Episodio 1 Grande cambiamento(大転換)
1
「ジョバンニ!」
石畳の通りの向こうで、懐かしい声がする。見ると、学生らしき一人の青年がこっちへ笑いながら駆けてくる。
「チャオ!」
朝の澄みきった空気の中で青年は私の前で立ち止まり、依然としてその笑顔をあふれさせていた。
「チャオ!」
私も思い切り、その笑顔に笑顔で返事をする。その声に、石畳の上を歩いていた通行人たちがちらりと意識を私たちに向けた。
「早いな、マテオ」
「ああ、今日はヴァリニャーノ先生の講義が朝からあるからね。君だって十分早いじゃないか」
「同じ理由さ」
そう言って笑う私も、なぜか学生だった。
私とマテオは並んで少し登り坂になっている狭い道を歩いた。道の両脇はずっと三階か四階建てで薄オレンジ色の石造りの四角い建物が並び、開け放たれた上の階の窓から時々太った中年の女性が顔をのぞかせたりしている。
坂の上は少し広い道が横たわり、往来も激しい。いましがた、石畳の上に音を立てて荷馬車が通り過ぎた。
広い道沿いは店が多く、焼きたてのパーネの匂いがする。
すぐに道は広場に出た。広場にも石が敷き詰められ、その上で人々は思い思いにのんびりと朝の時間を過ごしていある。あくせくと動き回っている人などはいない。
広場の向こうは古代帝国時代を思わせるような石造りの大きな建物で、その脇の道を入っていったところが我われが目指すイエズス会の修錬院だ。
広場には明るい日差しが降り注ぐ。ここはちょっとした丘になっているので、遠くに改造建築中のサン・ピエトロ寺院の屋根も見えた。
そんな暖かい日差しの中で眠っているような、心地よい感覚が広場を歩く私にはあった。
眠っているような――ではなく、私は眠っていた。
いきなり現実に戻され、木の床に敷かれた布団の上で私は目を覚ました。
暑苦しさで布団は跳ねてしまっていたけれど、久しぶりに我が家に帰ったような心地よい教会の司祭館で眠ったので、遠い昔のあんな夢を見たのかもしれない。
しかし、目を開けた瞬間、心地よく眠ってなどいられないはずの現実が一気に私の頭の中に甦る。
昨日、ニコラオ兄やヤスフェとともに長崎に到着した私は、混乱の中で岬の教会での第一夜を過ごした。都はどうも天候が異常で夏なのに夏らしくなく、日照りも少ない冷たい夏だったが、さすがに長崎は南国だけあってまさに夏という感じの暑さだった。
到着が夕方近かったので、司祭館の部屋で少し休んですぐに夕食となった。
まだ二十代後半の若いニコラオ兄は初めて日本に来て口之津に上陸してからすぐに都布教区に派遣され、ずっと安土にいたので長崎は初めてだという。
そのニコラオ兄と私は完全な日本の武士の服装であるヤスフェをも伴って前触れもなく突然長崎に来たのだからさぞや皆驚くであろうと思っていた。
当然のこと港には誰の出迎えもない。
坂を上って岬の先端の教会の門をたたいた時も、取次に出たアントニオ・ロペス師は少し驚いた顔をしただけで慌ただしく我われを中に招き入れた。
かつては天草の修道院にいたはずの司祭だが、今はなぜ長崎にいるのかそれを聞く暇もなかった。
そしてまた慌ただしく準管区長であるコエリョ師の部屋へと通された。あのルイス・フロイス師も同席している。今やフロイス師は下布教区の上長ではなく、準管区長の補佐官だ。
「私も普段は口之津にいるのだけど、おととい急遽長崎に来たばかりだ。あなたはどうして突然……」
にこりともせず、ただ訝しそうにコエリョ師は聞いた。フロイス師も難しい顔をしている。やはりこの二人はどうも苦手だ。
「はい。オルガンティーノ神父の命で、重要なお知らせを届けに来ました」
「はて、聞いていないが」
それはそうだろう。我われは命じられて日数もなくすぐに都を出発した。我われが長崎に来るという知らせが我われを先回りにしてここに届くとは思えない。
「実は織田殿が……」
私が話し始めると、コエリョ師はそれを手で制した。
「その話は明日にしよう。実は明日、こちらからもものすごく重要な知らせがある。あなたが都から今日ここに着いたというのも、『天主』のお引き合わせだ。明日発表する知らせをすぐにでも都にもたらしてほしい」
コエリョ師は我われの長旅をねぎらうでもなく、すぐにまた引き返せと言わんばかりの口調だった。
そして我われは夕食まで、完全に放置された。たしかに教会全体が慌ただしく、我われの来訪どころの騒ぎではないようだ。
果たしてコエリョ師が言う重大な知らせと、我われがもたらす織田殿の死という知らせのどちらが重大か、明日になったらはっきりする。
夕食も何だか静まり返った雰囲気の中で、みんな黙々と箸を口に運んでいた。
その時、私はふと気になったことがあった。
長崎にいるはずの、今回会うのを楽しみにしていたある司祭の姿が見えないのである。それはマカオで私と一緒に司祭への叙階を受けたミゲル・ヴァス師であった。
ヴァス師の姿がない。
だが、天草にいたはずのロペス氏が長崎にいたりするし、この布教区は人事異動が激しいのかもしれない。なにしろ準管区長のおひざ元なのだ。
翌日は8月15日、聖母マリア被昇天の大祝日だ。
水曜日ではあったがそのためのミサが日曜の主日よりも盛大に行われる。そして聖母崇敬の祈りが捧げられる。
今や長崎の町は住民全員が信徒となっており、とても御聖堂に入りきらないのではないかと思われる人々が教会に押し寄せた。
住民ばかりではなく、同じ敷地内にあるポルトガル商館の商館員たちも全員が参列するので、庭まで人々はあふれた。
これでもこの岬の教会と山の教会とで信徒を二分してこの状況なのだから、よほど多くの信徒がいることになろう。
だが、ミサが始まる前に、隣に座っていたロペス師が私に耳打ちした。
「この御ミサは、ヴァス神父の追悼ミサでもあるんですよ」
「え?」
私は一瞬耳を疑った。聞き間違いなのではないかと、もう一度聞き返そうとした時、長崎の教会の鐘が鳴り、信徒でひしきめ合う中で聖母被昇天のミサが始まった。
私は久しぶりの長崎の教会でのミサというのに、感慨にふける余裕など全くなかった。
ミゲル・ヴァス師の追悼ミサとはいっても、聖変化の後の祈りの文の中にヴァス師の冥福を祈る言葉が一言付け加えられただけだ。
それよりも気になったのは、マカオから日本に向かっている船がどうも遭難したらしく、その無事を祈る言葉もあったことである。
そんな中でミサも終わり、我われ聖職者は司祭館で朝食となった。そこへ向かう途中、私は当然のことロペス師をつかまえた。
「ヴァス神父の追悼って、どういうことなのですか?」
「私も最近長崎に来たので詳しい事情は分かりませんけどね」
ロペス師は食堂までの廊下を歩きながら、小声で話してくれた。
「先月の末、ヴァス神父は天に召されました」
「なぜ! なぜですか?」
思わず興奮してしまった私は、詰め寄るような形になってしまった。一緒に廊下を歩いていいた何人かの修道士が、振り返って私たちを見た。だから、私はまた声を落とした。
「どういうことでしょうか?」
今年の春に私が長崎を後にした時は、まだ元気だったのだ。年も私よりも五歳くらい年長であるだけで、まだ三十代半ばの若さだ。
「先月、長崎で感染症が猛威をふるいましてね、毎日数十人の死者が出たんですよ。亡くなった信徒たちの葬儀もこの教会で連日行われたし、この教会の神父さんたちは町へ出て行ってその遺族の方たちを励ましたりもしていました。ヴァス神父もその中の一人だったのですが、感染してしまいまして……。九日間高熱にうなされて生死の境をさまよっておられたが、とうとう帰天されました」
知らなかった。
私が日本へ来る前からの旧知だ。私は衝撃のあまり、頭の中が真っ白になってしまった。何を言ったらいいのか分からない。言葉を失うとはこういうことなのだろう。
それでもなんとか気を取り直した私は、歩きながら黙祷を捧げた。
「それで急遽私が、代わりに天草から呼び寄せられたのですよ」
この人事異動にはそういった意味があったのかと呆然と思っているうちに、食堂に着いた。
朝食も、重苦しい雰囲気だった。そして食事も早々に終わり、コエリョ師が座ったまま一同を見渡した。
そこにはヤスフェのほかに、聖職者ではないポルトガル商館の何か偉そうな雰囲気の人もなぜか三人ばかり同席していた。
もしかして新しいカピタン・モールかなと私は思っていた。
「皆さん」
コエリョ師が口を開いた。
「今日は皆さんにとてつもなく重大なお知らせがあります。しかしその前に、まずは我われ身内に関する件、我われの修道会に直接関係するお伝えから先にしておきましょう。それと、都に行かれていて突然長崎に来られたコニージョ神父からも、あとで何かお話があるようです」
ミゲル・ヴァス師の突然の帰天の知らせに思考が停止していた私は、いきなり名前を呼ばれてはじめて私がはるばる長崎まで来たその目的を思い出したくらいだった。
「まず、我らがイエズス会の尊敬すべき総長、エヴェラルド・メルクリアン神父が実は一昨年、1580年に亡くなっていました」
人びとの間でざわめきが起きた。ここにいる司祭は私のほかはコエリョ師、フロイス師、そしてロペス師の三人だけだ。
ざわめいたのは修道士たちで、彼らは詳しいことは今初めて聞かされるらしい。
すると、新しい情報を乗せたマカオからの船が着いたばかりなのだろうか。それにしてはどこを見ても、マカオから新しく来たという感じの司祭も修道士もその姿は見当たらなかった。
ただ、最初から気になっていたポルトガル商館員がいるだけだ。
それにしてもやはりエウローパは遠い。一昨年の情報が今頃になってこの地に到着した。
「後任の総長は?」
修道士の一人が質問した。
「ローマ管区長をされていたクラウディオ・アクアヴィーヴァ神父だ」
コエリョ師の説明に、私は顔を挙げた。一瞬、どこかで聞いた名前だと思ったがすぐに思い出した。
リスボンからインディアのゴアまでずっと私とともに航海してきた司祭が同じ姓だ。つまり、今もゴアにいるはずのロドルフォ・アクアヴィーヴァ師だ。
そういえばアクアヴィーヴァ師は、叔父がナポリ管区長だと言っていた。
「あのう」
私が質問の手を挙げた。コエリョ師は表情も変えずに私を見た。
「その方はローマ管区長ということでしたけれど、以前にナポリ管区長をされていませんでしたか?」
「イタリア半島の人事など、私はよく知りません。まあ、そんなこともあったような気がします」
コエリョ師はそうは言ったが、やはりその通りなのだろう。すると、あのアクアヴィーヴァ師の叔父さんがイエズス会総長となったのである。
しかもその叔父は、ヴァリニャーノ師が学生時代の大親友だったという話も聞いている。するとヴァリニャーノ師が日本滞在中に、すでにその旧友がイエズス会総長になっていたのだ。
当然、ヴァリニャーノ師は知る由もなく、マカオで初めてこの知らせを聞かれたであろうけれど、今後の師の活躍にとっては大きな励みになるに違いないと私は思った。
2
「次に!」
コエリョ師は声を張り上げた。
だが、それだけで彼は絶句してしまている。何かものすごく言いにくそうなことをこれから告げねばならないという重圧に耐えかねているという様子だ。
いよいよ彼の言う重大なことの発表のようだ。部屋の中にいるだれもが息をのんで、静まり返っていた。すると庭の方からけたたましく聞こえてくる蝉の合唱が、余計に強調されて響いてくる。
「私の口から言うに忍びない。船長、お願いします」
コエリョ師は、ポルトガル商館の人と思われる地位の高そうな人に言った。
私は隣にいたロペス師に小声で訊いた。
「新しいカピタン・モールですか?」
私は十分小さな声で言ったつもりだったが、相手がポルトガル人のロペス師であったため当然ポルトガル語で言ったのがその商館員の耳に入ってしまった。
「私はカピタン・モールではありません。三日前にマカオから口之津に着いた船の船長にすぎません」
普通、マカオからの定期便はマカオの市長ともいえるカピタン・モールが船長を務めるものだ。
「カピタン・モールは来られなかったのですか?」
私は聞こえてしまったついでに、普通の声で船長に聞いた。
「それと、司祭はどなたも乗船されて……」
「コニージョ神父!」
フロイス師のビシッとした声が、私の発言を遮った。
「今はそのようなことを話している時ではない。重大な発表があると準管区長も言われたではないですか」
当の準管区長のコエリョ師は、何を言うでもなく無表情で目を閉じている。
「いやいや」
そこへ、ロペス師が割って入った。
「コニージョ神父は昨日長崎に着いたばかりで、状況が全く分かっておられないから、船のことも先にお知らせしておく必要があるでしょう」
船のこと?……何だろう? と、私は思った。船長が準管区長に許可を求めるような目配せをし、薄目を開けたコエリョ師が軽くうなずいたので、細身の船長は私の方を向いた。
「実は、今回は船は二艘でマカオを出発しました。アンドレ・フェイオが船長を務める大きい船と、私アントニオ・ガルセスが船長を務める小さな船との二艘です。神父様方はフェイオ船長の大きな船の方に乗っておられました」
「豊後の布教区長になっていただく予定のゴメス神父がいよいよ日本に来られるというので、我われは心待ちにしていたのですよ」
ロペス師がまた話に割って入った。ペドロ・ゴメス師はイエズス会でも古参の大先輩で、私もそのお名前はちょくちょく耳にしていたが直接お会いしたことはなかった。
「ところがですね」
ガルセス船長は、悲痛な顔で話を続けた。
「我われは先月の10日にマカオを出港したのですが、航海二日目に大嵐に遭遇したのです。今思い出しただけでも身震いがする恐ろしさで、船は巨大な波の谷間を漂う木の葉のようでしたよ。積み荷も多くは海中に投じ、帆柱は折れるし、悲惨でした。でも、なんとか嵐が収まってから外を見ると、もう一層の大型の船がどこにもいないのです」
私以外のこの場に居合わせている人たちは初めて聴く話ではないであろうのに、それでも衝撃は大きいらしく、皆うなだれて沈黙のうちに聞いていた。
ロペス師が顔を挙げた。
「この船だけでも日本にたどり着けたのは『天主』の御加護によるもの以外の何ものでもありませんけれど、もう一艘の船もなんとか無事に着きますようにと、おとといから昨日と皆で祈りを捧げていたところなのです」
「イエズス会にとっても貴重な人材を乗せている船なのです。無事に着いてもらわないと困ります」
初めてコエリョ師が口を開いた。
「その船の船長はフェイオという方だそうですけれど、カピタン・モールは乗っておられないのですか?」
「新しいカピタン・モールのジョアン・デ・アルメイダは、今日本に来ているような状況ではないのです。マカオを離れるわけにはいかない」
「それが、今から船長にお話しいただく重大事項と関連しているのです」
フロイス師がたしなめるように私に言った。
「船の件はそういうことで、そろそろいいかな? コニージョ神父」
私がうなずくと、フロイス師はまた船長を見た。
「では、例の話をお願いします」
「はい」
船長は一つ、咳払いをした。
3
話し始めた船長の、悲壮な顔つきはそのままだ。
「実はこれももう二年前、1580年1月、ポルトガル国王エンリケ一世陛下はご自身のご生誕の当日に、お亡くなりになりました」
人びとがざわめいたのも、やはりポルトガル人が圧倒的に多いからだろう。正直言って私にとっては他国の国王であり、それはお気の毒だとは思ったが、まあ他人事だ。
それよりも、今私たちが生活をしているこの国での大異変、これから私が皆に告げなければならないあの方の死の方がやはり大事件に思われた。だが、そのようなことは表面に出すわけにはいかないので、一応私も驚いた様子を見せ、悲痛な顔つきでいた。
1580年1月といえば、私はマカオで霊操を受けていた頃だ。
「それで、次の国王陛下ですが」
船長は話を続ける。
私もそれが少し気になっていたのだ。エンリケ一世陛下は枢機卿という聖職者であるまま国王の地位に就いたのだから、当然として独身であって王妃はいない。当然、皇太子もいない。
一度聖職者を辞して還俗し、王妃を迎えようとされたこともあったようだが、教皇様がそれをお許しにならなかったそうだ。
「実は亡くなる直前に兄君のドン・アントニオが王位継承の最有力候補とされていました。実際に、一度はドン・アントニオが国王としての即位を宣言したということです。でも、昨年になって状況は変わったようです」
話していた船長は、泣きださんばかりに顔を覆った。そして気を取り直すまで少し時間がかかったが、話は続けられた。
「なんとイスパニア国王フェリペ二世がポルトガル王の地位を狙って一気にポルトガルに三万の兵を送ってリスボンを陥落させたのです。そうしてイスパニア国王がそのままにポルトガル王を兼任するという形で、去年の四月にフェリペ二世はポルトガル国王となったのです」
私はふーんという感じだった。そのことは我われの日本における福音宣教とはあまり関係がないような気がした。
第一に私はポルトガル人でもスパーニャ人でもない。私の生まれ育ったローマは教皇領、つまり教皇様が殿なのである。
船長の話は続く。
「これはあくまでフェリペ二世陛下がイスパニア国王とポルトガル国王を兼ねるということにすぎず、両国はそれぞれ独立したままのいわゆる同君連合という形をとることになっていました。つまりこれまでのポルトガルの貿易はなんら変わることなく、ポルトガルの足場となっている場所もそのままで、役人や商館員もポルトガル人、船もポルトガルの船で貿易を行うということでした」
同君連合ならば特に問題はないのではないかと、私は思っていた。なぜにこの船長も、そしてあらかじめすでに話は聞いているであろうと思われるコエリョ師もフロイス師も悲壮な顔をしているのか、私には分からなかった。
それよりも早く、織田殿の死という一大事を彼らに告げたくて私はうずうずした。こっちの方が大問題だろうと思うのだ。
だがその時、悲壮な船長の顔が余計に悲壮になった。
「私どもマカオの商館員も、この事実は今年の5月まで全く知りませんでした。ですが、5月に本当なら直接の行き来はなかったはずのフィリピーナスから突然アロンソ・サンチェス神父がマカオに来られたのです」
「サンチェス神父はフィリピーナスのイエズス会の司祭なんだが、イスパニア人だ」
フロイス師が解説の口をはさんだ。船長は続けた。
「サンチェス神父はフィリピーナスのイスパニア総督ドン・ゴンサロ・ロンキーリョからの使者という名目で、国王フェリペ二世陛下の意向を伝えに来たのです。まずは同君連合の事実をマカオの商館員や聖職者すべてに伝え、マカオにいるポルトガル人すべてが新国王への忠誠を誓うよう求めてきたのです」
「それはおかしいですね」
私は抑えきれずにそう発言した。
「同君連合なのでしょ? なぜイスパニア総督からそのような話が来るのですか?」
「実は先ほど話に出たドン・アントニオはリスボンで敗れてからアソーレス諸島へ逃げていたのですが、どうもインジャのゴアへ移ってそこからイスパニアに反旗を翻すのではないかという風説が流れて、それがフェリペ国王陛下のお耳に入ったようなのです。だから、焦っておられるようだ。もはやただの同君連合ではないという事態になっていると、我われは解釈しています」
もしかしたら、スパーニャとしては表向きは同君連合だけれど、実質上ポルトガルを併合したつもりでいるのではないかと、彼らは解釈しているのかもしれない。
だから先ほどからの悲壮な顔つきなのか……。
そもそもがスパーニャ自体がアルゴン、カタルーニャ、カスティーリア、レオンの同盟によって成立している国だ。そのカスティーリアを中心とした連合王国にポルトガルも加わるということのようだが、そうなるとたしかにポルトガルという国は消滅してしまう。
連合王国もすべて同君連合にすぎないはずだが、アルゴンとかカタルーニャとかの主権はないに等しい。その四カ国が一つとなってスパーニャであり、ポルトガルもその中に吸収されるということを意味する。
しかし、我われイエズス会はあくまでローマ教皇様の尖兵としてこの東の果ての国まで来ているのであって、ポルトガル国王に派遣されて来たわけではない。だから、ポルトガルという国がなくなってもやはり我われイエズス会には関係のないことだし、日本での福音宣教に影響はないだろう。
ポルトガル人は新国王に忠誠を誓えということらしいが、イエズス会にはポルトガル人でない人も若干はいる。そもそも我われが忠誠を誓うべきは『天主』に、御子キリストに、聖母マリアに、そしてこの世においては教皇様に対してだけだ。地上の国の国王に忠誠を誓う必要はないはずである。
だが、それは口に出しては言えない。
ここにいる多数を占めるポルトガル人司祭や修道士の心情を考えたら、自分たちの故国がなくなってしまったわけだから、やはり気の毒に思うべきなのだろう。
かのカブラル師は自分たちがポルトガル国王に派遣されて来たような感覚でいたけれど、そういう感覚の人もポルトガル人ならいるはずだ。
でも、その時のポルトガル国王のエンリケ一世陛下は領土的野心はなく、ただ貿易でこの東の果ての国々と結びつこうとされていただけだった。
たしかにエンリケ一世陛下はそうだった。でも、ポルトガルにとっては新国王となるフェリペ二世陛下はどうなのだ……?
むしろはっきり言えるのは、フィリピーナのドン・ロンキーリョ・スパーニャ総督はかなり領土的野心旺盛だと聞く。
その時私は、思わず「あっ!」と声を挙げてしまいそうになるのをやっとの思いで抑えた。
ある事実に思いいたってしまったのである。それまでとにかくいろんな情報がいっぺんに入って来て頭が混乱し、ぼーっとしていたというのが正直なところだ。
だから、今頃になって恐るべき重要なことにやっと気がついた。
それは、私にとっても、日本での福音宣教にとっても決して他人事ではなかったのである。
スパーニャとポルトガルが併合……それは両国の間にあった垣根が取り払われること……つまり、地球を二分して両国それぞれの貿易範囲を定めたトルデシリャス条約とサラゴサ条約がすべて白紙になるのではないか……これまでは、そのサラゴサ条約のお蔭で日本はポルトガルの領域であったので、スパーニャの商館員は日本に来ることができなかった。またスパーニャ系の修道会とて然りだ。
唯一フィリピーノだけが例外的にスパーニャの領域に入っていたのだが、今やその条約による境界線も撤廃されたら、フィリピーノ経由で大勢のスパーニャ人が日本へ来るのも時間の問題だ。
いや、商館員だけならまだいい。まさか、まさかとは思うが、一気にスパーニャの兵力が日本へ……いきなりそれはないだろうとは思うが、またもや私の頭の中に思い出したくもないあの書物のタイトルが浮かんでしまった。
そう、ヴァリニャーノ師が日本を離れる際にひそかに私に託したスパーニャ語の本……「|Brevísima relación de la destr ucción de las Indias(インディアスの破壊についての簡潔な報告)」……ここにはエウローパの西の大海の向こうのインカという帝国で、スパーニャの軍隊がその巨大帝国を占領するためにどれだけ悲惨な言語を絶する残酷な仕打ちを原住民になしたか、それが克明に記されていた。
長らく忘却の彼方にあったその書物のことが、忌々しい記憶となって甦ってしまった。
その時にヴァリニャーノ師はこうも言われていた。
――今やスパーニャとポルトガーロは世界を二分して覇を競っている。でも、サラゴッツァ条約のお蔭で微妙な均衡が保たれているのだけれど、この均衡は実に危ない。もしこの均衡が破れたら、考えたくもないような恐ろしいことになるかもしれないし、この日本も危ない……。
まさに今そのヴァリニャーノ師の予言通りになろうとしているのではないか。
私は思わず手を挙げた。
「あのう、一つお伺いしたいのですが」
船長は気軽にうなずいてくれたが、コエリョ師とフロイス師はまたもや顔を曇らせていた。
「今、マカオはどのような状況になっているのですか?」
「サンチェス神父とカピタン・モールのドン・アルメイダとの会談は何回もありました。その席でドン・アルメイダは新国王に忠誠を誓うことを表明し、その旨手紙をしたためるということでした。さらには、カピタン・モールがフィリピーナスのイスパニア総督に対し、シーナを武力侵攻すべき旨を主張していました」
「え?」
驚いた。この驚きはコエリョ師やフロイス師も同じだったようである。その様子を見て船長もうなずいた。
「おかしいでしょう。もともと我われポルトガルは本来の条約では我われの領域となるはずのフィリピーナスにイスパニアが居座っているのが納得いかず、なんとか追い出そうと試みてきたのです。それを考えたら、カピタン・モールの今回の主張は変でしょう?」
やはり、私が先ほど危惧したことが実際に起こり得る可能性があるということだ。だから私は、さらに尋ねた。
「マカオには巡察師のヴァリニャーノ神父もおられるはずですが」
「はい。巡察師もフィリピーナスから来たサンチェス神父と何回も会談していたようです。でも、そのへんの詳しいことは私たちには分かりません。ただ、巡察師から準管区長宛ての手紙も預かって来ています。本当はゴメス神父様に託けたかったようですけどごたごたしていてゴメス神父様がつかまらず、それで私があとで渡しておくからと受け取ったのですが、私もまたゴメス神父様には渡しそびれてそのまま持ってきました。ここに持ってくればよかったのですけれど、商館の方に忘れてきましたのであとで持ってきます」
「とにかく」
コエリョ師が口をはさんだ。
「ゴメス神父も何かしら情報をつかんでいるでしょう。今は彼の船が無事に日本に到着することを祈りましょう」
「これから日本での福音宣教のあり方も、大きく変わるかもしれませんね」
と、付け加えるようにフロイス師も言った。私はそれを聞いて、どうも嫌な予感しかしなかった。
4
いよいよ私の番だ。
何から切り出していいか、整理して話をするには私の頭の中は混乱しすぎていた。
もう一層のこと、単刀直入に言うことにした。
「実は6月の下旬頃のことですが、日本全国をほぼ支配していた天下人、織田信長殿が亡くなりました」
「え?」
最初に声を挙げたのはフロイス師だった。私とニコラオ兄、ヤスフェのほかは、ここにいる中で直接信長殿との面識があるのはフロイス師だけだからだ。
それでも、一応全員に動揺は広がった。面識がなくても、今この国を実質上支配している殿が織田殿だという知識くらいは誰もが持っている。
「あまりにも急ではないか? なぜだ?」
フロイス師にせきたてられて、私は光秀の謀反によるものだということをはじめ、当日の様子、その後の安土の様子、今の都の教会の様子、光秀の最期などをかいつまんで話し、ところどころニコラオ兄が補足した。さらに、現場の生々しい様子を、ヤスフェの口からも話してもらった。
それから、カリオン師が記した記録をコエリョ師のもとへと提出した。
「これが総ての記録です。そしてこれが」
もうひとつは羽柴筑前殿がしきりに宣伝している文書「惟任退治記」のポルトガル語訳をも同時に手渡し、
「こちらは羽柴殿の主観による記録で、かなり信憑性には欠けると思いますがあくまで参考のため」
そしてそう付け加えておいた。
「これまで都布教区は織田殿の庇護のもと進展をしてまいりましたけれど、もはやその庇護がなくなりました。都としてはゆゆしき事態かと」
私がそう言っても、コエリョ師は無表情のまま顔を曇らせていた。そして、しばらくしてから口を開いた。
「実は私はここのところ口之津や有馬の方面に出掛けることも多く、何度か有馬の殿、ドン・プロタジオにお会いしたのですが、ドン・プロタジオもすでにこのことを断片的には知っている様子でしたね。でも、詳しいことまでは知らないようでした。なんだか都の方でとんでもないことが起こったようだという感じでしか言ってなかった。豊後の大友殿、ドン・フランシスコのところにも同様な知らせは来ているようで、臼杵のラモン神父からもドン・フランシスコからそういう知らせを受けたという旨の手紙が来ています」
「気になるのは」
フロイス師がそれを受けた。
「ドン・フランシスコは『せっかく均衡が保たれていた九州の平和もこれでおしまいだ。また戦争になる』とぼやいていたということなので、私も詳しく何があったのか知りたかった。まさか、こんなこととは」
私はそのフロイス師の言葉にはっとした。
豊後や下の、いわゆる九州の地の殿たちがとりあえず安定を保っていたのも実は織田殿のお蔭で、大友、竜造寺、島津の殿たちは信長殿の影響下にあったために均衡を保っていたのだ。
だが、その重鎮の要ともいうべき信長殿が消えた今、箍を外したように一気に戦乱に逆戻りになるのは明らかである。
海の向こうではポルトガルとスパーニャの均衡も崩れた。いつスパーニャが日本にやってくるか分かったものではない。
都では布教区の庇護者を失い、豊後や下では戦乱と、こういくつものことが一気に襲いかかってくるということを思うと、背筋がぞっとして寒気を感じる。
いよいよ本格的な『天主』の試練が始まったとしか思えない。
「時に、安土の神学校の学生たちはオルガンティーノ神父が安土から連れ出して、坂本を経由して都の教会に連れて行ったということだが、その後どうなったのですかね?」
フロイス師に尋ねられて、いつまでも背筋を凍らせているわけにはいかなかった。
「今、高槻に新しい神学校を建築中です。ほぼ全員、そちらに収容できるかと。そのことを準管区長にご報告するのも、今回の私の役目です」
そう言って私は、コエリョ師を見た。例によってコエリョ師はにこりともせず、うなずいた。
「そのあたりのことはオルガンティーノ神父に任せてありますから」
コエリョ師の言葉に続いて、フロイス師がさらに私に質問を続けた。
「織田殿の後継者の関しては、いったいどういうことになったのですかね?」
これがまた複雑な話なのだが、私はまたかいつまんで話した。
「織田家の家督はすでに信長殿のご長男の城介勘九郎信忠殿に譲られていましたけれど、城介殿も先ほど話しましたように織田殿が亡くなったのと同じ日に明智と闘って討ち死にしました。ですから、家督はその城介殿の長男の三法師様に譲られることになりました。でも、三法師様はまだ幼少ですので天下人にはなれません。当面の養育係と後見は織田殿の三男の三七殿に決まりました。この方はキリストの教えも非常によく理解し、洗礼を受ける意思もあって受洗は時間の問題でしょう」
「ほう、あの方なら」
フロイス師は初めて目を細めた。
「先ほどの話では、信長殿を殺した明智を討った総大将は、三七殿でしたね。ほとんど信徒と変わりない信仰を持っておられる彼が一日も早く洗礼を受けてそのまま天下人になってくれれば、都布教区における布教はむしろ織田殿の時代以上に安泰だ。それと、高槻のジュストもいる。三七殿が明智を討った時も、実質上の先鋒はジュストで、坂本の城を落としたのもジュストということで間違いないですね?」
私はうなずいてから、付け加えるべきことを思い出した。
「三七殿から言われたのですが、織田殿の旧家臣団の中でも羽柴筑前殿には気をつけよとのことでした。どうも腹に一物あって何か企んでいるようだと。今、話が出た例の戦いでも、まるで自分が単独で明智を討ったかのような言動があるそうです。もっとも実際に私がお会いした時は、とても気さくな感じのいい人でしたけれど……」
「日本人は何を考えているか分からん」
コエリョ師が口をはさんだ。
すぐにまたフロイス師が私に問いかけた。やはり、都には行ったことがなく、信長殿も直接は知らないコエリョ師よりも、長い年月を都で過ごし、織田殿とも親しく付き合ってきただけにフロイス師の方が関心の度合いが遥かに高いようだ。
「織田家の家督のことは分かった。でも、これから後すぐにでも信長殿にとって代わるような天下人は出ないだろうか」
「実は、織田家は三法師様が継ぎ、三七殿が貢献するということでしたけれど、国内の政治に関しては織田殿の四人の家来たちが合議の上でということになったようです」
「四人の家来とは?」
「柴田殿、羽柴殿、丹羽殿、池田殿の四人です」
「先ほど、三七殿が気をつけろと言ったという羽柴殿も入っているのか……」
フロイス師が顔を曇らせた。
「はい。そうなのです。しかも、この中でリーデルはあくまで柴田殿で、三七殿との関係もいい。でも、その柴田殿と羽柴殿がどうもうまくいっていないようで、羽柴殿は四人の合議の決定事項を無視する動きが多すぎると、あとの三人は不満を持っているようです」
コエリョ師がそこで話に入った。
「まあ、偉大な帝王が死んで、その領土を王子たち、もしくは重臣たちに分けるといういわゆる分割相続は、エウローパでもいくらでも同様な事例があった。カルロス・マギノ亡き後のフランコ王国も分割相続された。相続者はそれぞれ分国王となったのだけれど、そうなるとその国は衰退の一途をたどることは歴史が証明する通りです。こんな時にイスパニアが来たりしたら、いろいろと面倒なことになりますな」
やはり今は、最大の危機なのだろうか。フロイス師も不快そうな顔で私を見た。
「コニージョ神父は、来るのが少し早かったかもしれない。もう少し織田殿亡き後の形勢がどう落ち着くかはっきり見定めてから来てくれてもよかった」
「とにかくコニージョ神父には今度は逆にイスパニアとポルトガルの併合のことをオルガンティーノ神父や都の教会の人たちに伝えてもらわなければならない。来たばかりのところをとんぼ返りというのも申し訳ないが、よろしく頼みます。一週間くらいゆっくりしたら出発してほしい。もしかしたら、それまでにはゴメス神父を乗せた船も着くかもしれない……いや、着いてもらわないと困る」
やれやれという感じだ。その一週間が、私にとってはつかの間の休息の日になるかもしれない。
とにかくいろんなことがありすぎて、頭の中がパニコだ。
マカオからの定期船のうちの一艘が嵐に遭って未着のことをはじめ、イエズス会の総長の交代、スパーニャとポルトガルの併合、そして信長殿の死による九州への影響……。
司祭館にあてがわれた部屋の窓から、涼を取りがてらに久しぶりに見る光景を眺めた。
教会のある岬の先端の高台はこんもりとした森に囲まれているため、蝉の声がけたたましい。
その木々の向こうに見える港湾とその向こうの稲佐山はなんら変わっていない。こんなに世の中が激変しても、自然は変わらないものだ。
ただ、司祭館の反対側の窓の方から長崎の町の方を眺めると、あの山のふもとの、異教徒の巨大な寺院の神宮寺があった場所は今も何も建物は見当たらない。
ただすべてが明るい夏の日差しに輝いて、山々はその緑を濃くしていた。
5
そんなふうにして、私が長崎に着いて一夜を明かした後の一日目は暮れようとしていた。
だが、この西の町は都よりも暗くなるのがほんの少し遅いようで、夜の八時近くまで空は明るい。それでも、夏のローマよりは遥かに暗くなる時間は早かった。
そんな時、部屋をノックする音がした。開けると、フロイス師だった。
「いやあ、ご苦労だね」
私はどうもこの人が苦手だが、コエリョ準管区長よりは少しは親しみを感じる。日本に来て以来、かなり長い時間を共に過ごしてきた人だ。
私は部屋の中へ誘ったが、フロイス師は辞退した。
「いや、疲れているだろう? これを届けに来ただけだから」
見ると、二通の手紙を彼は僕に手渡した。洋風の封筒に入っている。
「さっき、ポルトガル船のガルセス船長が巡察師から準管区長あての手紙を託ってきたといっていたけれど、預かってきた手紙は準管区長宛てのほかにあと二通あった」
手渡された二通の封書の裏を見ると、私にとって涙が出るほど懐かしい人の名前がそこに書かれていた。
その一通はオルガンティーノ師宛て、そしてもう一通は私宛てだった。
「まあ、ガルセス船長がゴメス神父に渡せずに持ってきたお蔭でこの手紙もいち早く届くことになったのだから、総てが『天主』のみ摂理だね。オルガンティーノ神父宛てのは、君が都に戻ったらお渡ししてくれ」
私は何度も礼を言って、その手紙を受け取った。
部屋に戻った私は、とにかく立ったまますぐに私宛ての方の封書の封を切って、懐かしい文字を読み始めた。もちろん、イタリア語だった。
――親愛なるコニージョ神父、
長崎でお別れしてからもう半年近くがたつね。聞いているかもしれないけれど、今はマカオは大変なことになっている。この手紙と同時に君のところにも知らせはもたらされただろう。
ポルトガルではすでに前の国王が亡くなり、スパーニャの国王がポルトガル王を兼ねることになった。これは同じ王を戴くという同君連合という名目だけれど、実質上はスパーニャによるポルトガル併合だ。
それが二年も前のことだけれど、私がマカオに来た後、五月も末になってやっとフィリピーナから来たイエズス会のスパーニャ人司祭によってその情報はもたらされ、それからというものマカオは上を下への大騒ぎとなっている。
ポルトガル商人たちは自分たちの故国がなくなったと騒ぎ、そこに追い打ちをかけるようにスパーニャ王でもある新しい国王に忠誠を誓えとのことだから、みんな頭が混乱している。
そんな中、カピタン・モールは6月23日付で、フィリピーナのスパーニャ総督経由で新国王に手紙を書いていた。その中でカピタン・モールは、シーナの皇帝にはどんな贈り物を送っても好を通じるのは不可能で、唯一有益なのは軍勢を送ることだと新国王に述べたという噂が広まって、さらに混乱は拡大した。
なぜポルトガルのカピタン・モールがスパーニャに対してシーナ攻略を勧めるのか……カピタン・モールは混乱のあまりに頭が狂ったのだとか、知らせをもたらしたスパーニャ人のサンチェス神父からそのような手紙を書くように強制されたのだとかいろんな憶測が飛び交っている。これまでマカオのポルトガル商人は、スパーニャがシーナと接触しないように神経をとがらせてきたはずだからだ。
もっとも、もう数年前にフィリピーナのスパーニャ総督は国王にチーナ攻略を進言したことがあったけれど、国王はまずはフィリピーナ支配を強固にする方が優先とその意見は一度は跳ねのけたと聞いている。
だから私もそのうち、新国王への手紙を書くつもりだ。まずは正面切ってチーナ攻略に反対するのではなく、情報と時宜をしっかり見極めないとスパーニャにとって不利になると忠告したい。もし、スパーニャがチーナ大陸で侵略戦争でも起こそうものなら、ルッジェーリ神父と、それから今ゴアから呼び寄せてマカオに向かっているはずのマテオ君、いやリッチ神父に託そうと思っているチーナへの福音宣教が全部おじゃんになる。もしそのために我らが修道会の宣教活動がスパーニャに利用されるなんてことになったら甚だ遺憾だ。私がこんなことを思う理由は、君に渡したあの一冊の本、あれをもし読んでいてくれているのなら分かると思う。日本がかつてのインカへのコンキスタドーレスの時にようになってしまったら大変だ。
だから、その国王宛ての手紙では、日本への武力侵略は絶対に無理なので、それだけはお考えにならないようにと釘を刺しておこうと思う。
日本はエウローパの人が考えている以上に文明的であり、日本人は勤勉で礼儀正しく勤勉である。そして侮れないのが日本の軍事力だ。今はそれぞれの殿が自分の兵力を有して互いに戦っている状態だけれど、もし日本という国の兵力が一つになったらスパーニャの軍もひとたまりもないだろう。
さらに日本は島国だから海防にたけていて、攻めるにも難儀である。
いずれにせよ、今世界の情勢は予断を許さない状況になっている。
だが、8月の頭にはリッチ神父も、そして君がゴアで会っていると思うがパシオ神父もともにマカオに着くだろう。君は日本で、彼はチーナで、ともに福音宣教のため、人々の霊益のために頑張ってほしい。
君の日本での活躍は、私からリッチ神父にも話しておくよ。君の行く手に『主』の恵みがあらんことを。
1582年7月8日 マカオにて
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
カピタン・モールがスパーニャ総督に手紙を書いているのが6月23日だから織田殿の本能寺屋敷での死の二日後、ちょうど私がオルガンティーノ師らとともに琵琶湖上の沖ノ島の湖賊に捕らえられていたあの日だ。
今の状況に対するヴァリニャーノ師のお考えが分かって、少し安心した。
それにしても、マテオ……なんと懐かしい名前が出たものだろうか。ローマの修錬院で共に学び、共にリスボンを船出して途中ゴアまでずっと一緒だった。
ゴアで別れてからもう三年たつ。
彼も今は司祭に叙階されていると聞く。そのマテオが8月上旬にはマカオに着く予定だということだから、今はもうとっくにパシオ師とともにマカオにいるはずだ。
ヴァリニャーノ師やルッジェーリ師とも再会していることだろう。パシオ師はゴアで会っているどころか、リスボンからゴアまで私とともに旅をしてきた人だ。
私はすぐにヴァリニャーノ師に返事の手紙を書いた。
その中で、正式には準管区長やフロイス師から報告が行くだろうがと前置きし、今回の織田殿の死を簡潔に述べておいた。世界の情勢は予断を許さないとのことだったが、日本国内もまた同じように混沌としている。そのことを伝えたかった。
次にマテオにも手紙を書いた。彼はザビエル師が果たそうとして果たせなかったことへこれから挑戦するのである。今はすぐ隣の国にいるのに、会えない。でも、いつか会える日も来るのではないかと思いの丈を綴った。




