Episodio15 Successori(後継者たち)
1
ジョアキムの言葉通り、それから四日後の金曜日、朝から門の外が騒がしく、どうやらこの日に織田殿の葬儀が行われるようだった。
もう七月も中旬に差し掛かっており、あの明智が討たれた戦争の日の雨以来もうほとんど雨もなく、梅雨も明けたようだ。それと同時に猛暑が始まった。
葬儀が始まると織田殿の屋敷のあった場所の方から仏教の僧侶が読む経文という、長い祈りの言葉が聞こえてきた。それは歌うように節がついていて、延々と続く。何人かが合唱のようにそれを歌いあげているので、少し離れたこの教会までその声は十分に響いてきていた。
それを聞きながら、私は幼い子供の頃、まだラテン語を学び始める前の自分はミサのラテン語の聖歌が何を言っているか分からず、ちょうど今経文を聞いている時と同じような感覚だったことを思い出していた。
葬儀は二時間ほどの長きにわたっていた。修道士たちが何人か様子を見に行った。私も誘われたのだがこの間のことがまだトラウマになっていて、あの場所には行きたくなかったから断った。
そして我われ司祭一同は、司祭館となっている教会堂の二階や三階だと経文の声がよく聞こえすぎるので、悪魔の声のように聞こえるそのリトゥモを避けて、離れとなっている教会の門に近い平屋造りの集会室の方に神学校の学生たちとともにいた。それでも、経文の声は聞こえ続けていた。
戻ってきた修道士たちから話を聞くと、屋敷があった場所の空き地に白い幕屋が張られ、祭壇が設けられ、僧侶が打楽器のようなものをポコポコと叩きながらリトゥモをとりつつ経文を読んでいる。
その間、並んで座っていた参列者たちは一人ひとり祭壇の前まで行って、我われがミサで使うような香炉に隣の小箱から没薬を指でつまんで入れて焚く、そんな動作を次々にするだけで他に何ら特別なことはなかったとのことだった。
修道士からそんな話を聞いているうちに葬儀は終わったようで、経文を読む声は聞こえなくなった。
その時、教会の門を入って来る人の姿がった。
「こんにちは」
ポルトガル語であいさつをしたのでどこかの教会の司祭か修道士が来たのかと思ったが、どう見ても着物を着た日本の武士、しかも身分のありそうな若い殿だった。
「おお、ジュスト!」
オルガンティーノ師はその姿を見ると満面に笑みを浮かべて、庭まで出て彼を迎えた。
高槻の殿のジュストだ。今日は黒い着物に縞模様の袴、そしてやはり黒い羽織と呼ばれる上着をつけていた。これが日本での葬儀参列の服装らしい。
「お久しゅうございます」
ジュストも笑顔を浮かべてはいたが、久しぶりに見るその顔はまだ二十代の若さなのにだいぶやつれて見えた。
「いろいろと大変でしたね」
そう言いながらもオルガンティーノ師はジュストを中へ入れた。まずは御聖堂でジュストは祈りをささげた後、我われがいる集会室の方ににやってきた。学生たちには隅の方へと行ってもらった。
「ご心配おかけしました。今日やっとこうして神父様方にお目にかかることができました」
相変わらずの流暢なポルトガル語である。
「あの事件以来、席が温まる暇もありませんでした。上様が討たれたその日は、私は西の播磨に向かって行軍しておりました。それで急遽引き返し、三七様のおられる大坂で羽柴様の到着を待っておりました」
「ええ、ご活躍はいろいろと聞いていますよ」
オルガンティーノ師は優しく、いつもの笑顔でジュストを包み込んでいた。
そのあと、ジュストは大山崎での戦闘の様子、坂本城の攻防戦の話などを語ってくれたが、大筋はドン・ジョアキムから聞いていたこととほぼ合っていた。
大山崎では三七殿の軍の先鋒として国境の関門を守るために関門近くの集落に兵を入れ、本隊の到着を待っていた。
だが、それよりも先に明智軍の方が関門を突破して侵入しようとしていたので本隊を待っている余裕はなくなり、単独で関門を開いて突撃したとのこと。
やはりジョアキムの予想通り明智軍は雨で鉄砲がほとんど使えなくなっていたところを屋内で待機していたので火薬も濡れずに済んでいたジュストの軍の鉄砲が威力を発揮し、そこに天王山麓と淀川べりにそれぞれ陣を張っていた中川瀬兵衛軍と池田紀伊守軍が合流して一気に明智軍を敗走させたとのことだった。
それから本隊が到着して勝竜寺城の包囲戦となったが、翌朝には開城、ジュストはそのまま坂本へと軍を進めたという。
坂本では攻防戦の後、明智弥平次が天守閣の上から城内の財宝を次々に湖に投げ入れ、城に火を放って弥平次も自害して果てたとのことだった。
それらの話をする間、ジュストは自らの功績を得意げに話すなどという様子ではなく、悲哀に満ちたような感じで生気なく訥々と話し続けていた。
「それは大変なお働きでしたね」
オルガンティーノ師がまた賞賛したが、ジュストはさらに元気がなかった。
「どうしました? どこか具合でも悪いのですか?」
少し間をおいてからジュストは、弱々しく言った。
「疲れました。私はこれまでも武将として何度も戦争をしてきましたけれど、こんな本格的な大きな戦争を指揮したのは初めてです。私の采配一つで兵たちは銃を構え、放たれた弾丸で多くの人の命が奪われました。十戒には『第五、人を殺すべからず』とあります。私は戦争をすることによって、『天主』の教えに背いた罪びとになってしまったのではないでしょうか」
オルガンティーノ師の顔から、笑顔が少しく消えた。どうも言葉を選んでいるようだった。
「あなたにとっては同じ日本人かもしれませんけれど、彼らは異教徒ですよね」
「でも、異教徒といえども霊魂の重さは同じ、等しく『天主』の被造物であり、『天主』の子ですよね。その命を奪った罪は消えません。私は戦場を馬で駆けながら、多くの倒れている敵味方の兵士の上を飛び越えました。そのたびに彼らの霊魂の叫びが、呻きが耳について離れないのです。どうしてこんな悲しいことをしなければならないのか、これが『天主』のみ意なのかと思うと、そうではないだろうと強く声がします」
また少しオルガンティーノ師は目を伏せていた。聞いていた私やほかの司祭・修道士は息をのんで、オルガンティーノ師の次の言葉を待った。
私もそうだが、それぞれ言いたいことはあったであろうが、ここは布教区長のオルガンティーノ師に任せることにした。
「私の国は王をはじめ国民のすべてが信徒です。隣の国もそうですし、周りの国もみんなそうです。それでも国には軍隊があって、戦争もします。軍人はそれが生業だから仕方がないのです」
ジュストは、驚いたような目でオルガンティーノ師を見た。オルガンティーノ師は言った。
「あなたは何のために戦ったのですか?」
唐突な問いに、ジュストはしばらく答えられずにいた。
「上様の仇を…討つため…」
「そうですよね。あなたが権力を握ろうなどと思って戦ったのではない。あなたがそんなもののために戦う人ではないことは、我われはよく知っています。上様の仇を討つため…その上様、織田殿は何を目指していたのですか?」
「争いの続くこの日の本の国を統一して、平和をもたらすことでしょう」
「そうでしょう? でも織田殿はその一歩手前であのようなことになってしまいました。では、あなたもその遺志を継いだらどうですか?」
「私が上様の後を継ぐなんて!」
「いえいえ、なにも天下人を継げと言っているのではありません。それは我われは三七殿こそふさわしいと思っています。そうではなく、あなたは織田殿の、平和な世の中を作るという志を継ぐのです」
ハッとした表情を見せた後、ジュストの顔に光がともった。
「そうか! もう二度と戦争のない世の中を作る、平和なこの国を作る、そのために戦う。そういうことですね」
「そうです。一日も早く戦争のないこの国を作ってください」
ジュストの心に希望のともしびが点ぜられた瞬間であった。
心の闇を照らす光、それは希望なのである。だが、まだ一握りの闇は、彼の中に残っていたようだった。
「しかし、やはり人を殺してきた罪は許されないでしょう?」
オルガンティーノ師は、笑顔でゆっくりとうなずいた。
「天の御父は何のためにその御独り子のイエズス・キリストをこの世にお遣わしになったのですか? イエズス様が十字架にかかって死んだのは何のためですか? その死に打ち勝って復活されたのは、何のためですか?」
「我われ人類を救うため?」
「そう。そしてそれが何をもたらしたか、それは罪の許しです。許すためでしょ? 主の十字架は」
さらにまたジュストははっとした顔をして、そしてその表情にさらなる希望の光がもたらされた。
「キリストの死と復活を受け入れ、信仰を告白し、罪を告白して許しを請うならば、すべての罪は許される、あなたに今さらお話しするまでのことでもないと思うのですが」
「そうでした。『天主』は光なりき。その希望の光はすべての闇を照らし、闇は光によって消え去ります。すべての罪から解放され、永遠の命に至る希望の光」
ジュストのか顔がますます輝いた。
「さすがにジュスト、あなたはよく分かっておられる」
「では早速ですが、罪を告白して許しを請いたいと思います」
「あなたはもう十分に罪を告白しましたね」
「でも、告解の秘跡という形で、きちんとお願いしたいのですが」
オルガンティーノ師は、フランチェスコ師を見た。
「フランチェスコ神父、お願いします」
指名されたフランチェスコ師は快く引き受けて立ち上がった。
「では、御聖堂の方へ行きましょう」
そしてジュストを誘って告解を聞くために部屋を出て行った。
2
しばらくして戻ってきたジュストの顔は、ますます輝いていた。
そして、部屋の片隅にいる学生たちをちらりと見た。
彼らとてジュストは顔なじみだ。学生たちもジュストを見知っている。だが、それが高槻の殿様であることも分かっているから、どうふるまっていいか分からずただ黙って固まってかしこまっていた。
「この青年たちは、安土の神学校の学生さんたちですよね? 高槻にも来てくれましたよね」
そう言いながら、ジュストは元の位置に座った。オルガンティーノ師は言った。
「そうですよ。あなたも建設にご協力くださったあの安土の神学校は、もう跡形もなく破壊されていたと聞きます。もう安土で再び神学校を開くのは不可能になってしまいました。この都ではとてももうそんな土地もないし、教会の敷地内に作るのにはあまりにも手狭過ぎていて困っていたところです」
「それならば」
ジュストは膝を一歩進めた。
「高槻に神学校を建てたらどうですか? 私が指揮をします。高槻の城内の教会の隣にでも、土地を確保し、建築も請け負います」
「おお」
それは願ってもいないことだった。司祭や修道士の顔も喜びに満ちて、称賛の声をあげた。
「ありがとう。ぜひお願いしたい」
オルガンティーノ師に言われてジュストの顔にも笑みが甦った。
これで長い間の懸案が解決された、
「戻ったら、早速神学校建設の手配をしましょう。場所は教会の隣がいいですよね?」
ジュストも天にも昇らんばかりの喜びようだった。
「そうそう、喜びついでに」
ジュストの顔はさらに輝いていた。
「間もなく父が戻ってまいります」
「え?」
オルガンティーノ師の顔も、光がさしたようにぱっと輝いた。ただ、ジュストの父を知らない私やカリオン師は小首をかしげていた。
まずはオルガンティーノ師はこれまでの会話がポルトガル語であったため、ロレンソ兄へ日本語で言った。
「越前から、ダリオが戻ってきます」
ロレンソ兄の顔もぱっと輝いて、喜びを表していた。
「おお、おお、ダリオもマリアもですね?」
「もちろんです」
ジュストは日本語でロレンソ兄へ言った。それからオルガンティーノ師は小首をかしげていた我われに説明してくれた。
それによると、かつて荒木という殿が織田殿に背いたときに、高槻の高山家は皆荒木殿の側に与していたが、ジュストはオルガンティーノ師の説得で織田殿の元に戻ったことは前にも聞いていた。
だが、その父であるダリオは最後まで荒木殿の側から離れなかったので、荒木殿の城が落ちて荒木殿が追放された後、ダリオは織田殿の怒りをかい、妻のマリアとともに越前へと追放されていたのだという。
だが、そこは織田殿の家来のカポである柴田権六殿が治める土地で、柴田殿には手厚く遇され、そしてその地で福音宣教に努めたということだ。
そういえば去年、ヴァリニャーノ師とともに安土にいた時に、ヴァリニャーノ師はルイス・フロイス師を越前へ派遣していたのを私は思い出した。
フロイス師の越前滞在は二週間程度でそう長くはなかったが、その期間にダリオは大活躍し、ついに越前に教会を建てるまでに至ったということだった。
越前でフロイス師はほかにリアンという信徒を訪ねており、そのリアンが落馬して大けがをしたにもかかわらずヴァリニャーノ師がまだ安土にいる間に越前から安土へヴァリニャーノ師を訪ねてきたこともあったと、私は思い出していた。
「そうですか。ダリオが高槻に戻ってきますか」
オルガンティーノ師はまだうれしそうだった。ダリオとは、それほどの人物だったのだろう。
「越前の教会はどうなるのですか?」
私が尋ねた。
「今は司祭不在で信徒だけで守っていくしかないでしょうね。ダリオはしきりに常駐の司祭を派遣してくれるよう頼んできていましたけれど、ダリオが希望していたのはフロイス神父でした。でもフロイス神父は今や下布教区に行ってしまいましたからね」
オルガンティーノ師がそう説明してくれた。
「そもそもダリオが越前へ行ったのは織田殿に追放されてのことでしたから、その織田殿亡き後今や晴れて高槻に戻ることが許されたのです。教会の方はいつか司祭を派遣できる時まで、信徒がきちんと運営管理するでしょう。何しろ殿の柴田殿は我われイエズス会とも懇意ですし、自らは禅宗の信者なので洗礼を受けるつもりはないようですけれどキリストの教えにはよく理解を示してくれて、保護してくれていることは織田殿と同じです。その柴田殿が家来のカポであり、しかも我らが友人である三七殿を次の織田家の当主にと推しておられる」
オルガンティーノ師がそこまで言いかけた時である。
「お頼み申す」
門の方でまた声がした。今度は日本語だ。
見ると、ちょうど今話が出たばかりの三七殿が何人かの小姓をつれて、教会の門に入ってきた。
3
「悪魔の話をすれば角が出る……」
あまりの奇遇に私がふとイタリア語で言ってしまうと、オルガンティーノ師も大笑いした。
「おいおい、三七殿は悪魔ではない。むしろ天使だ」
そしてそう言った。
イタリア語なだけに我われが何を言って笑っていたのか分からないジュストはすぐにそのまま三七殿に向かって平身低頭し、そして立ち上がって三七殿を上座に据えようとした。我われもまたそれまでの車座を崩し、そのように座り直すために立ち上がろうとした。
「いえ、そのまま、そのまま」
むしろ三七殿の方が慌てて、庭から我われを制した。
「ぜひ、そのままの状況でお話ししとうございます。右近殿もそのままに」
「は」
ジュストはかなり恐縮していた。
「先に聖堂で祈りを捧げてまいりますゆえ、供の者たちが庭で待っていることをお許しください」
「あの首から下げたコンタスといい、もうほとんど信徒ですね」
三七殿が聖堂の方へ立ち去った後に、オルガンティーノ師は笑顔を浮かべた。それを聞いて私は、三七殿がまだ洗礼を受けていないという事実にむしろ違和感さえ感じていた。
「皆さん、どうぞおあがりなさい」
三七殿が戻る前に、外の暑い日差しの中で待つ従者を気遣ってオルガンティーノ師が呼び掛けた。だが、彼らは動かない。
「いえ、主命がない以上、勝手に動くわけにはまいりませぬ。お心遣いのみかたじけのう頂戴致します」
従者はにこりともせずに言った。
やがて三七殿が戻り、集会室に上がって来て我われの車座に入ろうとしたので、オルガンティーノ師はもう一度従者たちを室内に上げるよう今度は三七殿に言った。
そこで三七殿の方から従者に命じると、彼ら五、六人の武士は集会室に入ってきた。
自然と元からいて隅で固まっていた学生たちを、さらに隅の方へと追いやる形となった。
「三七殿。今日は上様、お父上のお葬式で来られたのですね?」
オルガンティーノ師がまずそう聞き、それから正式に織田殿の逝去に対する追悼の言葉を述べた。
それからは三七殿が来る前にジュストと話していたこととかぶるが、今回の織田殿の仇討ちとなる明智との戦争の話題で話は続いた。
しかし、総大将と一武将の話では聞く方が感じる臨場感も違っていて、現場で実際に指揮していたジュストの話よりもどうしても生々しさの面で欠けていた。
「三七殿」
一通り戦争の話が終わった頃を見計らって、私が口をはさんだ。
「これからの織田家は、そして天下はどうなりましょうか?」
私としては最大の関心事、先ほど三七殿が来る直前まで話題になっていたことを切り出したかったのだ。
だが三七殿はあごに手を当てて目を落とし、しばらく何かを考え込んでいる様子だった。
その不機嫌そうな表情に、私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと困惑してオルガンティーノ師を見ると、オルガンティーノ師も小首をかしげていた。
だが、すぐに三七殿はこれまでと変わらない様子で目を挙げた。
「長兄の城介兄上亡き後、やはり織田家を継ぐのはそれがし……そう願っておりました」
「はい。我われバテレンも皆、それを望んでいます。あなたは私どもの友です」
オルガンティーノ師が口をはさんだが、三七殿は力なくうなずいた。
「しかし、茶筅兄上が後継ぎは自分だと主張して譲らないのです」
私はこのやり取りに、ずっと前に安土で聞いた複雑な事情のことを思い出していた。
実は織田殿の次男の茶筅殿よりも三男の三七殿の方が生まれたのは数日早かったということなのだ。なぜ次男と三男が逆転したのかということについては、三七殿の母親の実家の家柄や身分が低かったからだとか、出生の報告が織田殿に届いたのが茶筅殿の方が早かったからだとかいろいろいわれているらしいが、どうも本人たちも事情がよく分かっていないようだった。
いずれにせよ実は三男の三七殿の方が実際は次男なのだということは周知の事実であるらしい。そうなると、三七殿が織田家を継ぐということに何の支障もないはずだ。
要は、名目上次男である茶筅殿が後継者を主張して譲らないということのみが鍵なのだろうか。
そんなことを思っていると三七殿はまたもや目を伏せ、そのままで言った。
「兄は北畠の養子となっておりましたがそれを解消して織田茶筅信雄に、私も養子となっていた神戸家を出て織田三七信孝にと戻りました。こうなると私も兄上もどちらも譲れません。そこで、後継者に関してはらちが明かないので、織田家の宿老たちがひそかに会合を開いてすでに話し合って決定しているようなのです」
これには驚いた。主君の跡継ぎを家来たちが合議で決めるというのだ。
「だいたいの想像はついています。そしてそのための合議が近々清洲というところで開かれます。合議といっても話し合って後継者を決めるというのではなく、すでに決まっている後継者を発表するのが目的の一つのようです。話し合われるのは、今後の織田家の領地の配分でしょう」
「清洲?」
オルガンティーノ師は首をかしげた。オルガンティーノ師でさえ初めて聞く地名であるようだ。
「岐阜よりも南、海に近い尾張というところにある城です。実は父が若い頃を過ごした織田家にとっては原点ともいえる城なのです」
「つまり、原点に立ち返ってという意味合いでしょうか」
「いえいえ、そんな感傷的なことではありません」
私の思い付きは、三七殿に簡単に否定された。
「城介兄上の子、すなわち私の甥である三法師は、あの事件の折に住んでいた岐阜から前田玄以というものに救い出され、今は清洲にいます」
「城介殿のお子? 今はおいくつで?」
「まだ三歳です」
オルガンティーノ師も驚いていた。
「では、三七殿も清洲へ?」
「はい。しかし、」
三七殿は少し目を伏せた。
「私も茶筅兄上も合議には招かれておりません」
これは意外な成り行きだ。
「集まるのは柴田権六、丹羽五郎左、池田勝三郎、羽柴筑前の四人だけです」
我われはもう、誰も何と言っていいのかわからずに黙り込んでしまっていた。こんな時にすぐに口を挟むフランチェスコ師でさえ何も言えずにいた。
やはり遠い外国の、文化も政治形態も全く違う国での出来事であることを痛感せずにはいられなかった。我われが口を挟む余地はない。
そこでオルガンティーノ師は話題を変えた。
「ところで、三七様、洗礼の件は」
「はい。もはやこれまで気兼ねしていた父はいないのですからすぐにでも受けたいところですが、やはり今後の情勢などが落ち着いからでないと私自身の気持がついてまいりません。会議には招かれていないにせよせめて清洲にはということで、明日発ちます。その件は清洲より戻ってからということで」
「そうですか。あなたに洗礼のみ恵みがあらんことを、我われ皆で祈っています。あなたがキリストと出会い、『天主様』と結ばれる明るい希望の兆しが見えてまいりました」
オルガンティーノ師はうれしそうだった。
そして、三七殿もジュストも辞した後、その日の終課の後、オルガンティーノ師は一同に言った。
「今後のこの国の成り行きについては、もう『天主様』にお任せするしかありませんね。『天主』は三七殿をよくご覧になってこの国の天下人にふさわしければそうなさるでしょうし、ふさわしくないのならばその地位を取り上げなさるでしょう。お任せです」
オルガンティーノ師が今後のことについて話したのはそれだけだった。
4
三七殿が再び都の教会を訪れたのは十一日後だった。
もはやあの織田殿が亡くなった事件からひと月以上たって7月も下旬に差し掛かっており、すっかり梅雨も終わってかなり汗ばむ季節となっているはずだった。
だが、今年は梅雨が終わってもどうも天候不順で、太陽が出ている時間が極端に少ない。温度もあまり上がらずに、そんなに暑くはない夏だった。
本来なら都は周りが山に囲まれているだけに、余計に町全体が蒸し風呂の底にあるようにじめじめと蒸し暑いはずだ。だが、どうも夏らしい、かっと暑い日がほとんどない。過ごしやすいといえば過ごしやすくそれでも感謝なのだが、こうなると農作物の出来も心配になる。
そんな暑くはない夏の間に、高槻の方は新しい神学校の建設について驚くべき早さで事が進み、土地の選定や資材の調達など進捗具合についての報告がどんどんとジュスト本人から、あるいは高槻の教会のフルラネッティ師から都へと届けられていた。
他に高槻にはセスペデス師も無事に戻ったことや、ダリオ夫妻も無事に帰り、市民の大歓迎を受けたことなども報告が上がっていた。
そんな頃、また三七殿が教会を訪ねて来ることになっていた。今回の三七殿の来訪は突然というわけではなくあらかじめ来意は告げられていたので、我われは集会室で並んで待っていた。
だが到着した三七殿は上座には着こうとせず、あくまでオルガンティーノ師やカリオン師をはじめ私を含む五人の司祭の方が上座に着くまで座らなかった。
まずは三七殿の話では、今回は本能寺の僧たちとの話し合いのために都に来たのだという。
これまで信長殿が自らの屋敷を造営するために本能寺から譲り受けていた北東の一角の土地を正式に本能寺に返還するが、その代わりその場所に信長殿と城介勘九郎殿の墓を建ててほしいというそういう交渉で、すでに寺側も了承して話し合いは成立したという。
それよりも私が知りたかったのは、この間の清洲での合議のことである。それは私だけではなく、ほかの司祭たちとて同じはずだ。
だが聞くまでもなく、本能寺の話が一息ついたところで三七殿の方から話し始めた。
「ところで、今後の天下のことでございまするが」
我われは皆息をのんだ。
「結局清洲での合議は、予想した通りでした。三法師がいる清洲で会議を開くと聞いた時からそうではないかと思っていた通り、織田家の後継者は三法師」
「でも、まだ三歳なのでしょう? そんな子供が天下人なのですか?」
オルガンティーノ師の驚きの声に、三七殿は眼だけで否定の合図を送った。
「あくまで織田家の家督相続の話で、天下人ではありません。考えてみればまだ父上が織田家の棟梁で後継者の城介兄上とともに亡くなったというのなら、相続するのは茶筅兄上か私かのどちらかでしょう。でも、父上は織田家の家督をすでに城介兄上に譲っておられます。いわば父上はもう隠居の身。織田家の当主は城介兄上ですから、その兄上が亡くなった後の後継者は兄上の嫡男の三法師が継ぐというのは道理。私も茶筅兄上も異論は挟めませなんだ」
「では、天下人は?」
ようやくフランチェスコ師が口をはさんだ。
「特に決めないとのことです。今後天下は四人の宿老の合議で運営し、織田家の所領の分割も決まりました」
いわば、天下人のいない状態である。これではこの国は一気にまた内乱状態に戻ってしまうのではないかという危惧を感じさせる状況だったが、我われ司祭側は思っていても誰もそれは口にしなかった。いや、できなかった。
「で、三七殿は?」
「私は岐阜を中心に美濃を受け継ぎます。さらには三法師が成人するまでの後見人ともなりました。三法師が安土城主ですが、しばらくは私とともに岐阜におります。安土には全く焼けていない二の丸の修復が完了次第移ってもらいます」
「そうですか。それは一応は落ち着いたということですね。三七殿にとっても一応は悪くはないお話なのでは?」
おどけて言うオルガンティーノ師に、三七殿は少し目を伏せた。
「まあ、一応は、ですが」
「一切あるがまま、なすがまま、『天主』に感謝して素直に受け入れましょう」
「はい。岐阜の様子も落ち着きましたら再び岐阜の南蛮寺も再興したいと思いますから、その時はバテレン様を派遣してください。私のみならず三法師ともども洗礼を受けさせて頂きたいと思っておりまする」
「いいことずくめではないですか」
オルガンティーノ師は満面の笑みで喜んでいた。だが、三七殿の顔には少しだけ陰りがあった。
「ただ、気を付けてください」
三七殿は言う。
「先ほど申した宿老の合議による天下運営ですが、一応は柴田権六殿を筆頭に動いております。だが、羽柴筑前には気を付けてください。どうも動きが怪しい。合議を逸脱した行動が目立ちはじめています」
「羽柴筑前といえば、明智との戦争のときは三七殿の配下で一番働いた武将ですよね?」
オルガンティーノ師もいぶかしげに言っていた。
「いや……いちばん働いたのは高山殿と中川殿です。羽柴はただ誰よりも早く播磨から駆けつけたということと、軍勢を提供したというだけにすぎません。でも、どうもそのことを鼻にかけているようで、まるで自分が明智を討った総大将であるかのように振る舞っております」
そういわれても私にはあの姫路で会った、小柄で気さくな明るい好人物しか頭には思い描けない。
だが三七殿はその羽柴筑前という殿のことを「腹黒い」とまで喝破して、その日は帰って行った。
それから二日後、水曜日ではあったが使徒ヤコブの祭日のミサがあった。聖ヤコブゆかりのスパーニャでは大々的にお祭り騒ぎをする日であり、そのお祭り騒ぎはポルトガルやそのほかのエウローパの国にも広がりつつあった。
ただ、日本では普通に祭日のミサが執り行われただけである。
そのミサの後に私は教会の御聖堂の三階にあるオルガンティーノ師の自室に呼ばれた。
「急で申し訳ないんだが」
二人きりの時はイタリア語だ。
「下に行ってくれないか」
「え?」
確かに急な話だ。しかも自分は高槻に建設中の新しい神学校が完成した暁には、また神学校付きを希望していたのだ。
「あのう、高槻の話は?」
オルガンティーノ師は声をあげて笑った。
「ちょうど帰ってくる頃に、神学校もできるだろう」
つまり、下布教区への転属というわけではないようだ。
「今回の、この日本の国の流れを大きく変えてしまう事件を我われは目撃した。これはイエズス会総長にも当然報告すべき大事件であり、そのためにはまずこの国のイエズス会の本部がある長崎の教会と、準管区長にも知らせておかなければならない。そして、都と安土の両方の様子を見聞した君こそが適役だ」
確かに、事件発生時に都にいて、その後の安土や坂本まで行ってすべてを実際に見たのは私だけである。
しかし、久しく離れていたあのコエリョ準管区長の顔を思い出したら、どうにもため息が出てしまう。私にとって苦手なフロイス師もいる。
「まあ、報告したらすぐに帰ってきなさい。連れていく修道士は君が選んでいいから。行ってくれるね?」
一応は疑問形だが、上長の命令を拒絶することなど許されはしない。
私は同じイタリア人である修道士のニコラオ兄に同行を頼むことにした。
出発は一週間後、それまでに事件当時都にいたカリオン師と安土にいたアルメイダ兄がそれぞれの見聞を記録し、私がそれを長崎にもたらすことになった。
「私もその間、やりたいことがあります」
そう言ってニコラオ兄も、一週間の間部屋に閉じこもっていた。
一週間の後、ニコラオ兄が皆のいる部屋にニコニコして持ってきたのは、一枚の絵だった。
「おお」
誰もが歓声を上げた。それは一枚の肖像画、描かれていたのはすでに亡くなった織田殿だった。
「本当ならばご本人を前に書きたかったところですが、今はそれもかないませんので私の記憶だけで描いてみました」
この国の絵画は人物画にしてもあまり写実的ではない。そのような絵を見慣れてしまっていた我われは、ニコラオ兄が描いたエウローパの画法によるまるで生き写しの織田殿の姿に驚いた。
「いやあ、よく似ている」
オルガンティーノ師も称賛していた。
「さすが芸術の国、イタリア」
カリオン師もまた眼を細めて言ったが、オルガンティーノ師はそれを聞いて笑っていた。
「いや、イタリア人ならだれでもこんなふうに描けるというわけではありませんよ。そこはニコラオ兄の腕、ですね」
たしかに、エウローパの画法で描けばだれでもこんな見事な絵を描けるというものではない。
「これを三七殿に差し上げてください」
ニコラオ兄はそういう意図でこの時間を使ったようだ。
さらにもうひとつ、動きがあった。
ずっと織田殿に仕えていたヤスフェだが、今や主をなくして我われの教会で同居していた。
そのヤスフェが私の下行きを聞きつけて、オルガンティーノ師に頼んできたのだそうだが、彼も有馬に戻りたいとのことだった。
彼は日本に来てからずっと、この都と安土に来る前はヴァリニャーノ師とともに有馬の神学校に住んでいたのだ。
オルガンティーノ師も彼の希望を聞き入れてくれたということで、私のところで同行のあいさつに来た。
無論、私は異論を言うつもりはないし、その必要も感じなかった。また、彼こそあの本能寺屋敷の事件の時に現場に居合わせた、事件の直接の目撃者でもある。
準管区長への報告にも、いてもらえたらありがたい。
そうして、八月に入ったその日に私とニコラオ兄、そしてヤスフェの三人は下へと旅だった。
出発間際にこれも参考として準管区長に提出するようにとオルガンティーノ師が持たせてくれたのは、「惟任退治記」と書かれた記録で、例の三七殿が気を付けるようにと注意を促してくれたあの羽柴筑前殿が自分の部下に今回の事件の一部始終を記録させたものだそうだ。
惟任とは明智殿の別の姓である。羽柴殿はそれをいろいろな殿にすごい勢いで配布しているようで、あのジョアキムが入手して教会に持ってきてくれたのだそうだ。
それをオルガンティーノ師自らポルトガル語に訳して私にことづけた。
「この間の三七殿の言葉もあるし、この記録がどこまで信用できるかどうかわからないけれど、一応参考までにということで。あくまでカリオン神父とアルメイダ兄の記録、そして君自身の、そしてヤスフェの直接の見聞を中心に報告してきてくれたまえ」
それが、オルガンティーノ師から私への付託だった。
その「惟任退治記」を少しめくって見たが、たしかに明智殿を打った総大将がまるで羽柴筑前殿であったかのように記されている。三七殿の名はほとんどなかった。
都を出発した私とニコラオ兄およびヤスフェは高槻でまず建設中の神学校を見て、ジュストとも会見し、ダリオとも初めて会った。
その体の中のどこに福音宣教のあの強大な力が隠されているのかと思うほど、柔和で細身の老人だった。
それから堺へと至り、堺よりジュストの手配の船で無事に船出した。
今やかつてと違い毛利は織田家の敵ではない。
船は海賊を避けてほとんど陸伝いに進み、わずか十日ほどで毛利の領地と九州との間の、まるで川ような細長い海峡を通過した。
それから海は荒海となったが、なんとか無事に見慣れた山と山に挟まれた入り口の狭い湾に船は入って行った。
しばらく湾の奥に進んだ後、右側に湾へと突き出た細長い岬がよく晴れた空の下で緑を輝かせたいた。船はその岬にどんどん近付く。海の方から見ると本当に細長い岬で、その長い岬の上に文字どおり長崎の町がある。
岬の先端は松で覆われた小高い丘となっていて、その上に岬の先端の教会の屋根の十字架が光っていた。
それを見たのが都を出てから二週間後、聖母マリア被昇天の祝日にぎりぎり間に合った8月14日のことであった。




