Episodio 14 La croce di Akechi(明智の十字架)
1
次の日の都は、ほとんど何事もなかったような静かな一日だった。だが、雨はまだ降り続いていた。
どうにも情報が入らない。夕方になってまたジョアキムがやってきて、ある程度の状況がやっと分かった。
「昨日はまず昼ごろに明智の軍の方から山崎の関門を守る高山様の陣へ戦をしかけてきたそうどす。総大将の三七様はまだ後ろの方の本陣にいてはりますし、羽柴様の軍はまだいつ着くか分からん状況やし、その前に国境を突破しよういう明智の思惑やったんとちゃいますやろか。でも、高山様は数千の兵でよう関門を守りましたわ。一万の兵を追い返したんどす。まあ、あの雨でしたしな、雨やったら野戦の明智軍の方は火薬が濡れてしまって、鉄砲の火縄に火がようつかんでしょ。大山崎の村の民家に陣取った高山様の方が有利どすわ。そうしてよう防いではったところに中川様と池田様の軍勢も合流しはって一気に明智軍を撃退したようどす。兵たちがぎょうさん逃げてきたんを、バテレン様方もご覧にならはったでしょ?」
オルガンティーノ師はじめ、皆大きくうなずいた。なるほど、そういうことだったのかと思う。
「そんで、明智の本隊はそれでも残ったわずかな手勢で勝竜寺城に立て篭もったんどすが、そこへ羽柴様の軍も到着して三七様を総大将に二万の兵力で勝竜寺城を取り囲んで、一斉に鉄砲を撃ち続けたいうことどす。その鉄砲の音、ここまでも聞こえましたな」
だんだんと、つじつまが合っていく。
「そうすると、今朝になって静かにになったのはもう戦争は終わったということですか?」
オルガンティーノ師が尋ねた。
「ええ。朝になって勝竜寺城は落ちたそうどす」
「明智殿は戦いで死んだのですか? それとも捕らえられた?」
「いやそれが、よう分からへんのどす。城は明け渡されたものの明智殿の姿はどこにもないということで、どうやら逃げて落ち延びたんかもしれんいうことどすな。そのあたりの詳しいことは、わてにもまだよう分かっとらんのどす」
そうなると、戦争はまだまだ終わっていないということになる。
「高山様の軍は今日、都の南を通って坂本の方に進んでいかはったいうことどす」
坂本といえばついこの間、ほんの数日でも我われが逗留した場所だ。そこが戦場になり、あの倫やその妹なども戦争に巻き込まれることになる。何ともいたたまれない気持ちだった。
だが、そのいたたまれない気持ちは、その翌日には最高潮に達することになる。
坂本での戦争を気にしながらも、ミサと聖務日課をこなす普通の一日が始まろうとしていた。
昨日までの雨もやみ、この日はからりと晴れていた。
晴れたらもう夏の日差しが容赦なく照りつけ、気温はどんどん上がっていった。ましてや雨が続いた後の晴れというのはとにかく蒸す。都は盆地だけになおさらである。
教会の集会場にはまだ多くの神学校の学生たちがひしめきあって泊まっている。ここで授業をやるにはあまりにも手狭だし、彼らは話すこともなくただ何となく毎日を過ごしているという感じだった。
安土での神学校が再開できるめどは立っていない。なにしろ、安土が今どういう状況になっているのかは全く分からないのだ。
「学生たちもいつまでもこうしてはいられないでしょう」
正午の六時課の後、フランチェスコ師が何気につぶやいた。
「確かに、今後のめどが立つまで、実家が近い学生だけでもとりあえず家に帰そうか」
オルガンティーノ師もそのようなことを話していた。だが、私は時課の間もどうも気になっていたことがあったので、顔をあげた。
「なんか外が臭いませんか?」
「私も気になっていた」
オルガンティーノ師もうなずき、またそこにいた司祭たち全員が同調するうなずきを見せた。
暑いので窓を開けていたが、風が吹き込んでくるたびに何とも言えない悪臭が外から漂ってくるのだ。
庭に出てみても、その庭に何か臭うものがあるというわけではなさそうだった。悪臭は風に乗って遠くから来ているような気がする。しかも、どうも北西の方角からのようだ。
「窓を閉めなさい」
オルガンティーノ師は言った。窓を開け放していると悪臭が入ってきて、御聖堂の中まで充満してしまう。
窓を閉めたらかなり暑くなってしまうが仕方がない。人間が耐えられる範疇を越えた悪臭だった。
「そういえば、本能寺のあたりが騒がしそうですね。ちょっと見てきます」
オルガンティーノ師が立ちあがったので、私もすぐに立ち上がった。
「私もまいります」
たとえ布教区長であろうとも、単独外出は不可という会の規約には従わなくてはならない。
そこでオルガンティーノ師は私と連れだって門の外へ出た。門の前を東西に走る蛸薬師通りを西に向かうと、ほんの二、三分歩いただけで本能寺の東南角に出る。前の事件で爆発炎上したのは本能寺の北東角の織田殿の屋敷の部分のみで、本能寺という寺自体は延焼を免れて無傷だった。
だがその東南角の四つ辻に至るずっと手前から、本能寺の東側面を南北に走る西洞院通に人々がごった返しているのが見えた。騒ぎはこれだったのだ。しかも、悪臭はますます強くなる。もはや、風に乗ってくるという段階ではなく、周りを悪臭が完全に包み込んでいた。
我われは人混みをかき分け、その西洞院通を織田殿の屋敷があった場所に向かって北へ進んでみた。そして今は空き地となっている屋敷跡を取り囲む人垣の後ろから覗き込んで、まずはオルガンティーノ師が目を皿にして絶句していた。
次にのぞいた私も同様だった。
そこにはおびただしい数の人間の生首が山と積まれていたのである。しかもそれを、何人かの甲冑を着た武士が検分している。
武士は織田方の兵士のようだ。見ている人たちは一応に顔をしかめ、若い女性など一目見て口を押さえて駆け去って行ったりもしていた。
「あれはもしかして明智側の兵士たちの首かね」
小声でオルガンティーノ師が私に耳打ちしてきたが、私とて知るよしもない。
「おそらくそうでしょう」
それしか言えなかった。
そこへまた別の武士が縄を引いて人々をかき分けて入って行った。縄の後ろについて引きずられているものは、髪を振り乱し、血で染まった人間の首。
中には目を見ひらいたままのものもあった。
おそらくは三十体くらいあるだろうが、それを髪の毛で一本の縄に鈴なりに結びつけて引いてきたのである。引いてきた武士の顔は無表情だった。怖がるでも気味悪そうにするでも、また多くの人の遺体の一部なのに哀れんだり悲しんでいたりするような表情もない。
彼は屋敷跡地の広場の生首の山に近付くと、自分が引いてきた縄から首を一つずつはがして投げていく。それがいかにかつては霊魂を宿して、尊厳を持って生きていた人間の、泣いたり笑ったり感動したりして生きてきた人間の体の一部だったとしても今はそのようなことは関係なく、もはやただの「モノ」としてしか扱われていなかった。
オルガンティーノ師も私も、思わず脱帽した。
「地獄だ」
オルガンティーノ師は茫然自失状態でつぶやいた。おそらく首を一つ一つ確かめている武士は、この中に明智殿の首がないかどうか調べているのだろう。その時の私にはオルガンティーノ師が言われたようにここは地獄で、武士たちは悪魔に見えてしょうがなかった。
この生首の山から、悪臭は立ち上っていたのだ。何しろあの戦争からもう二日もたっている。
昨日までは雨だったから悪臭も抑えられていたのだろうが、今日は晴天で強い日差しが照りつけてかなり蒸しているので、生首は一気に腐敗し始めたのだろう。その悪臭だったのだ。
もはや私は堪えられなくなった。体の中からこみあげてくるものが、もう止めようもない。
こんな暑さの中にもかかわらず悪寒がして、私はその場を離れて道端に胃の中のものを全部吐き出してしまった。そして心配して駆けよってきたオルガンティーノ師を、顔をあげて見た。
「もう、帰りましょう」
やっとの思いで私はそれだけを言った。
戻ってからも、何があったのか聞く司祭たちにも、私は何も話す気がしなかった。オルガンティーノ師も同じようだった。
「地獄を見てきた」
それだけをオルガンティーノ師は言った。
2
その日は終日あの悪臭が鼻について離れなかったし、夕食もほとんど喉を通らなかった。
夜もうなされて、暑さで寝苦しいのに加えてあの生首たちの表情が一つ一つ目に浮かび、絶叫しそうになる衝動を抑え続けるのがやっとで眠れたものではなかった。
だが運命は無情にも、翌日も追い打ちをかけるようにいろいろなことがあった。
例によってジョアキムがやってきては、手に入れた情報を披露してくれる。。
まずは明智軍を敗走させた三七殿が総大将としてこの都に来ているという。
だが、都のどこに逗留しているのかは分からないし、またジュストも都に来ているのかどうかはそれも明らかではないとのことだった。
それよりもグランディ・ノティッツェは、ついに明智日向守殿が討ち取られたとのことだった。
あの戦争の翌日、つまり一昨日の火曜日の早朝に勝竜寺城が明け渡されると。明智殿は城を脱出して、たった一騎で坂本を目指して落ちて行ったのだという。
彼は都へは入らず、伏見から醍醐を抜けて大津へ至る道をとっていたようだ。その醍醐の近くの勧修寺あたりで農民の一揆か盗賊かに襲われて命を落とし、その首が今日になって三七殿のもとに届けられたのだという。
すぐに明智殿本人に間違いないことが確認され、ともに届いた胴体と首をつなぎ合わせて、三七殿は明智殿の遺体を四条通りで十字架にかけてさらしているとのことだった。
「ここからすぐですさかい、見に行きますか?」
ジョアキムはそう言っていたが、誰もが首を横に振った。もちろん私とて、たとえ命ぜられても断っただろう。
「なぜ三七殿は明智殿を十字架にかけたのか」
憤慨したようにイタリア語で言ったのはフランチェスコ師だ。
「全くの異教徒ならいざ知らず、三七殿はキリストの教えにも造詣が深く、洗礼を受ける準備もほとんど整っていると聞いたけれど、どうしてそういう人がこのような行為に出るのだろうか」
「たしかに。これでは主の十字架への冒涜だ。あの聖ぺトロでさえ最期に十字架に架けられることになったとき、主イエズスと同じ姿で十字架に架かるのは畏れ多いと、逆さまに磔にしてもらったくらいなのに」
オルガンティーノ師もさすがに笑顔はなく、静かにそう言った。
そこにヴィセンテ兄が口をはさんだ。
「いや、この国でも十字架は罪人を処刑する普通の道具です。そういったこの国の慣習に従ったまでで、主の十字架とかは考えてなかったでしょうな。三七殿も形だけはまるでキリシタンのように生活しているとはいえ、まだ洗礼は受けていない。つまり、実質上はまだ異教徒ですからね」
だがその時私は、別のことを考えていた。私の頭の中には「マタイ伝」の次の個所が繰り返されてしていた。
――ここにイエズスを売りしユダ、その死に定められたまいしを悔い、祭司長・長老らに、かの三十の銀を返して言う。『われ罪なきの血を売りて罪を犯したり』。彼ら言う、『われなんぞ千らん。汝自ら当たるべし』。彼その銀を聖所に投げ捨てて去り、ゆきて自ら縊れたり。
主イエズスを裏切ったユダは、結局自ら命を絶った。
明智殿が織田殿を裏切ったと聞いた時に私はユダを思い浮かべていた。その後すぐに死に至ったのはどちらも同じだが、ユダは自分の罪を悔いて自ら命を絶った。明智殿は命を奪われた。しかも、ユダによってイエズス様は売られて十字架に架けられたのだが、明智殿は自らが十字架に架けられている。
不思議なことに、このユダの死は「マタイ伝」のみに記されていて、他の福音書にはその記述はない。
「あなたは明智殿の十字架を見たのですか?」
オルガンティーノ師がドン・ジョアキムに聞いた。
「はい。見ましたとも。裸にされて十字架に架けられて、まあ、何と無様な姿やったことか、あんな無様な格好を晒されて、明智殿も末代までの恥や」
その言葉に、私の中で衝撃が走った。「無様な格好……晒されて……」、…明智殿が十字架に架けられたというのがイエズス様と同じ姿ということに、十字架への冒涜だとオルガンティーノ師をはじめここにいる司祭たちは感じている。もちろん、私とて同じだった。
しかも、裸でというからますます主の十字架と同じ姿ということになってしまう。
考えてみれば、キリストの時代の昔のユダヤにおいても、十字架は死刑の道具だ。主の十字架の像というのは、そういった死刑になったイエズス様の「無様な」姿を何百年にもわたって晒し続けているのではないか……。
そう、そのことは以前にこの国で、異教徒の誰かから指摘されたことがあった。
そうだ。豊後で、あのドン・フランシスコの元妻で教会の敵のジェザベルからだった。
あの時は私の日本語力もまだ不十分だったので全く反論できなかったが、
しかしながら今、異教徒から十字架像はキリストを蔑みないがしろにしているのではないかというふうに言われたら、私は聖職者の司祭として次のように答えるだろう。
……たしかに主の十字架の御像は死刑になっているところです。しかしキリストは『天主』の御子でありながら人間の赤子という、この世で最も弱い立場、他人の手を借りなければ一日たりとも生息できな赤子としてこの世にお生まれになりました。そして、十字架につけられて死ぬという人間として最も無様な死に方をされました。でもその十字架こそがすべての民の救いとなったのです。キリストはすべての民の罪を背負われて十字架で苦しまれましたが、死に打ち勝って復活されました。すべてが『天主』の人類への御大切であり、『天主』の栄光であったのです……
すると「それならば十字架で死刑になっている姿よりも、復活された時の姿の像を造るべきではないか」という反論も来るかもしれない。だから私は司祭としてはこう言うだろう。
……誰でも主の十字架を受け入れて、復活を受け入れるものでなければ救われません。そういう意味で救いのしるしとして十字架像を掲げているのです……
そう、それはたしかに司祭の答えとしては満点だろう。だが、司祭という聖職を離れて一人の人間としての私はこの答えに納得するだろうか…?
もちろん、今はあくまで司祭として、そしてイエズス会士としてその疑問は封印しなければいけないことくらい百も承知である。
これは日本人がよく使い分ける「本音」(本当の気持ち、意思)と「建前」(公共の場で示す意見や行動)というようなものではない。どちらも私の「本音」である。
「今度、三七殿に直接聞いてみたいのですが、お会いする機会はないでしょうか?」
私のそんな思考とは別に、オルガンティーノ師はジョアキムに聞いていた。
「さあ、どないでっしゃろ、なにしろご多忙で動き回ってはりますによって。明智殿が討たれたとなると、いよいよこれから後の織田家のことなど取り決めにゃああきまへんやろ」
「たしかに、そうですね」
「ただ、これから五日後か六日後くらいには、上様のご葬儀ということで織田家中の主だった方々は皆都に集まるいうことも聞きましたし、その時でした らなんとかお目通りもかなうかもしれまへんな」
「ジュスト、高山右近様も来られますか」
「もちろんでしょう。高山様は山崎での戦の後、そのまま明智の坂本の城を攻めはって、坂本城は落城して炎上、安土から戻ってきて坂本城を守っていた明智弥平次も腹を切らはったいうことどす。もう坂本も落ちましたさかい、高山様も戻って来はるでしょう」
私は思わず顔をあげた。明智弥平次と言えば、あの明智日向殿の長女の倫の夫だ。
「その弥平次の奥方は? 明智の殿の息子さんは?」
私は詰め寄るようにドン・ジョアキムに聞いた。
「さあ、城とともにご自害なさったとも、城を出て落ち延びなさったとも言われてましてな、その辺のことはようわからへんのどす」
私はますますいたたまれない気持ちになった。坂本で会った倫や明智十五郎殿の顔が脳裏をよぎった。
あの方たちの消息は不明ということだが、最悪の場合は城と運命を共にしたことになろう。できれば生き伸びていてほしいと思う。
だが少なくとも、あの湖水にその姿を映していた美しい天守閣もを含め、我われが二、三日を過ごしたあの城は炎上して、もうないということだ。
その時、オルガンティーノ師は大きくうなずいた。
「いよいよこの国が大きく変わりますな」
そして、真顔で司祭たちにそう言った。
3
一日おいて土曜日の午後、高槻からフルラネッティ師が都の教会に、修道士とともにやってきた。
「いや、ひどいものです」
開口一番、フルラネッティ師はオルガンティーノ師に訴えるように言った。
「川が死体で埋まっています」
高槻から都に来るにはかなり川幅が広い淀川沿いに、上流に向かってくることになる。高槻から見て上流が例の戦争があった大山崎の地である。そこを過ぎた淀城という城があるあたりで二つの川が合流して淀川になるので、川幅が相当なものであることは理解できる。
「上流からどんどんどんどん兵士の遺体が流れてくるのです。私が歩いているとひっきりなしに川面を埋め尽くすくらいの勢いで流れてきましてね、最初はなんだろうと思ったのですが、よく見ると人間の遺体なんです」
その場に居合わせた我われは一応に顔をしかめた。
「その数はざっと五百くらいはありましたかね。もう、あの戦争から五日もたつというのに」
私はまた、思わず口を押さえた。私とほぼ同世代のフルラネッティ師の言葉に、あの本能寺屋敷の跡地で見た光景がトラウマとなって甦ってきたのだ。
その気持ちはオルガンティーノ師も同じだったようで、まずはそれを手で制した。
「それよりも、わざわざこちらに来られたのは、どういう用向きですかね」
そしてフルラネッティ師にそう聞いた。
「三箇のことです」
オルガンティーノ師の眉が動いた。とりあえずは落ち着いてからということで、フルラネッティ師には少し休んでもらうことにした。
しばらくの休息ののち、我われ司祭は司祭館の一室でフルラネッティ師を囲んで座っていた。
「三箇がどうしました?」
オルガンティーノ師が重い口を開いた。三箇の殿が明智側についたことは、すでにフルラネッティ師からの手紙で知っているだけに、あまりよい知らせではないことは十分予想されていたからだ。
「ジュストが大山崎に出陣した後、織田側の軍勢は明智側についた三箇の殿の城をも攻めに行ったようです」
「織田側の、何という殿です?」
「多羅尾殿とか」
「ああ」
オルガンティーノそはため息を漏らしていた。
「あの人か」
そう言ってから我われ他の司祭を見た。
「昔から何かと我われの教会に敵対し、迫害をしてきた人です。とりわけ、三箇の殿のことは目の敵にしていましたからね」
早口でオルガンティーノ師の説明の後、フルラネッティ師はさらに話を続けた。
「それで城下も城も焼かれて殿のドン・サンチョ、ドン・マンショの親子はどこかへ逃亡したとのことです」
「教会は?」
詰問するようなオルガンティーノ師の問いに、フルラネッティ師は黙って首を横に振った。
「信徒の領民たちが多羅尾殿に、教会だけは焼かないでくれと集団で詰め寄って懇願したそうですが、あの多羅尾殿です。聞く耳などもつはずがありません」
城が焼かれたとなると、教会も無事ではいられまい。なぜなら、三箇の教会は城の中にあった。
私はかつてヴァリニャーノ師とともに三箇を訪れた時のことを思い出していた。湖の中にある島に城はあって、教会もまた実に美しい建物だったのを覚えている。私が初めてオルガンティーノ師と出合ったのも、その三箇の城の中でのことだった。
今や城も教会もあとかたもないという。
「今、信徒の皆さんは?」
「自分たちの殿を失って、教会も失って、ただ怯えています」
「それは気の毒な。何とかしてあげねば」
オルガンティーノ師がますます顔をしかめた。
「でも、近くの岡山城の殿のドン・ジュアン悠木殿が織田方についていたので、おそらく三箇の地はドン・ジュアンが治めていくとになるでしょう」
引き続き信徒の殿が治めるというのならば、一応は安心だ。
そんな話の後、夕食の席でオルガンティーノ師は一同を見渡した。そして言った。
「我われを庇護してくれた織田殿が亡くなってからまだ二週間とちょっとしかたっていないのに、もうすでに岐阜の教会、三箇の教会がどんどん失われていく。安土の神学校とて今頃どうなっているか分からない」
皆、食事をする手を一度止めた。さらにオルガンティーノ師は言う。
「もはや明智勢は安土にはいないと思うから、一度安土の様子を見に行きたいと思うのだが」
「いや、まだ危険です。今は世の中全体が乱れに乱れています。明智殿が討たれたからとて、騒ぎが収まったわけではありません」
フランチェスコ師が、かなりの勢いで言った。皆がそれぞれそれに賛同していた。
「では、我われで見てまいります」
そう言ったのはアルメイダ兄とペレイラ兄の二人のい若い修道士だった。
「では、お願いすることにしよう」
こうして翌日の日曜日、主日のミサが終わった後に二人の修道士は安土に向かって旅立っていった。
二人は、翌日にはもう戻ってきた。
「安土の町は今や廃墟と化しています」
彼らは言った。町全体がチタ・ファンタズマで、ほとんど人気がないという。それだけならまだしも、かなりの面積が焼き払われていてかつての町の面影は微塵もないということだ。
「神学校は?」
オルガンティーノ師の問いに彼らは一瞬目を伏せたが、アルメイダ兄が先に目をあげた。
「跡形もありませんでした。建物はすべて破壊され、家財道具はすべて持ちだされていて、残っていたのは崩れ落ちた屋根の残骸だけでした。
「ああ」
オルガンティーノはは、額に手を当ててうつむいた。ため息をついているものもあった。私とて同じだ。
その私は、聞いてみた。
「今、安土の城には?」
「織田殿の次男の茶筅殿の家来で蒲生忠三郎殿という殿が入っています。安土から一番近い城の領主ですらね」
「では、城は無事なのですね? 明智弥平次は坂本へ退却する際に、城を焼いたりはしなかったのですね?」
日本では戦争の後、負けた方が城を出る際に、自分で自分の城を焼いてから出るという習慣があることも知っている。
開城して降伏という場合と、敵に城を焼かれるほか自ら火を放って自害か落ち延びる場合とがある。自ら火を放つのは、敵に城を渡さないという意地からかもしれない。だから弥平次も坂本に行く際に安土城を焼いたのではないかという気がしたから聞いてみたのだ。
「明智弥平次は城は焼かなかったようです。でも」
ペレイラ兄がそこでため息をついたので、アルメイダ兄が言葉を受けた。
「あの巨大な天主閣はもうありませんでした」
誰もが驚きの声をあげた。やっとうつむいていたオルガンティーノ師が顔をあげた。
「蒲生忠三郎殿が焼いたのかね?」
「そのようです」
「なぜ?」
「主君の茶筅殿の命令のようです。まだ町に残る明智の残党を一掃せよとの命令で、街中で残党とちょっとした市街戦になったようで、彼らを掃討するために蒲生殿は町に火を放ったのではないでしょうか。そして、折からの風に舞いあがった火の粉が山の上まで飛んで天主閣は延焼したというふうに思われますけれど」
「城に火を放ったわけではないと、なぜ言えるのかね?」
「焼けたのは天主閣だけで、城のそのほかの部分は無傷でしたから。現に、城の中の御殿に蒲生殿はいましたから」
「そうか」
オルガンティーノ師はまたため息をついた。織田殿のシンボロさえ、もうこの世には存在しなくなった。
「とにかくジョアキムの話では四、五日後に信長殿の葬儀のために主だった家来たちが本能寺の屋敷跡に集まるそうだから、その時に何か動きがあるだろう。織田家とていつまでも跡継ぎを決めいないでるわけにもいくまい。本来の跡継ぎである長男の勘九郎殿も亡くなっているし、また次に誰が天下人になるのかもはっきりしないと、またこの国の内戦状態は長引くことになる」
「やはり我われは待つしかないのですね」
カリオン師が疲れた表情で言った。
「そうです。待つしかありません。我われには何もできません。ただ、やはり我われとも親しく、またもうすぐ洗礼も受けるであろう三七殿に後を継いでほしいですね」
オルガンティーノ師は祈るように言った。
「今まで洗礼を先延ばしにしてきたのは、父君である織田殿の承認が得られそうもないからということでしたが、もう織田殿はおられない」
すると、ヴィセンテ兄も言った。
「世間一般でもやはり三七殿こそ次の天下人だというと評判です」
だが、オルガンティーノ師は困ったような表情をした。
「でも、三七殿は三男。兄に次男の茶筅殿もいますからね、簡単にはいかないかもしれません」
師はまたため息をついた。いつものオルガンティーノ師の陽気な笑顔が戻るには、もう少し時間がかかりそうだった。




