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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 6 Incidente di Honnoji(本能寺の変)
56/96

Episodio 11 Il bivio(岐路)

                  1


 協議は、学生たちは隣の部屋に行ってもらい、床の上に車座に座って行った。


「いくつか選ぶ道はあります」


 最初にオルガンティーノ師が口を開いた。


「一つは安土の神学校セミナリヨがどうなっているかも気がかりですし、ひとまず安土に戻って様子を見るという考えもあります」


「いや、安土にはもういられないからこそ、こうやって逃げ出してきたのではないですか?」


 まず異論をはさんだのはフランチェスコ師だ。それを、オルガンティーノ師は穏やかな表情で見た。


「たしかにその通りですが、これはあくまで模索すべき道のうちの一つです。ほかには、高槻ということも考えられますが、今の状況では難しいですね」


「どう難しいのですか?」


 次に私が聞いてみた。私には答えはだいたい分かっていたが、修道士たちにもはっきりさせるためだ。


「今ジュスト殿は毛利との戦争に当たっている羽柴筑前殿への援軍のために、播磨ハリマに出陣している可能性もあります。つまり、殿が留守のところに我われが行っても、ただでさえ不安なご家族や住民たちに迷惑をかけるのではとも思われます」


「でも、高槻には教会もあるし、住民のほとんどは信徒クリスタンでしょう? それでも難しいのですか?」


 あの九州にいる老アルメイダ師と同姓の、若いアルメイダけいがそんな疑問を挟んだ。


「そう思うのも、もっともですね」


 オルガンティーノ師は、その疑問にも穏やかな表情を見せた。


「しかし、今のこの国の情勢は日一日ところころ変わりますから、なるべくならそういったことに左右されない土地がいい。どの殿にも属していない土地といえば堺も考えられますが、堺はなにしろ遠すぎる」


 ニコラオ兄が顔を挙げた。


「この坂本に落ち着いて、ここで福音宣教するというのはどうですか? 見たところほとんど信徒クリスタンはいないようですし、開拓の余地はあるのではないですか」


「それは論外だ」


 フランチェスコ師がそれに間髪をいれずに口を挟む。


「それこそ、この坂本とて今後どうなるか分からない。それに昨日あの島で、明智殿が言っていたという言葉を聞いたでしょう? ある意味では明智殿に織田殿を討たせたのは我われだと、明智殿自身がそのようなことを言っているようですよ。もし我われがこのまま坂本に居続けたらあちこちの殿たち(トノス)も世間の人々も、やはりイエズス会が明智と結託していたのかなど痛くもない腹を探られることにもなりかねない」


「その通りです」


 オルガンティーノ師はうなずいた。我われは安土で明智殿の屋敷を訪ねて会見たこともある。そこを誰かに目撃されていた可能性もある。そんな我われが明智の城であるこの坂本に逗留していたとなると、たしかにあらぬ疑いをかけられるかもしれない。

 もっとも我われは織田殿がいなくなったことでスヴァンタージ((デメリット))こそあれ、織田殿が亡くなったことでなんのヴァンタージ((メリット))もないのだが、この国の人びとはそうはとらないかもしれない。


 オルガンティーノ師は言った。


「それに、今は安土にいる明智殿も、いつ自分の城であるここへ帰ってくるかわからない。その時に城中に我われがいたら、明智殿も我われをどう処遇するか……」


 「都ですな」


 この場での唯一の日本人であるヴィセンテけいがぽつんと日本語で言った。彼は我われのポルトガル語での会話がどのくらい聞きとれていたかは分からないが、だいたい何を相談しているかくらいは推測していたようだ。


「やはり、この日の本のかなめみやこです」


「よし」


 オルガンティーノ師がいつもの笑顔で、ポンと自分の膝を打った。


「先ほど高槻には教会があると言ったし、堺がどの殿にも属していないと言ったけれど、都はその両方の要素があるではないですか。都にもこの布教区の中心となる教会があるし、どの殿にも属していない。ここは都に帰るべきでしょう」


「都はかえって危険ではありませんか?」


 ニコラオ兄がいぶかしげに言ったが、オルガンティーノ師は笑って首を横に振った。


「少なくとも安土やこの坂本よりは安全だよ。それに、」


 そう言ってから、オルガンティーノした付け足した。


「都は大きい」


 そしてさらに言葉をつづけた。


「織田殿の庇護がなくなった以上、今後の状況では最悪の場合はこの安土・都布教区を引き払ってシモへ撤退する可能性も全くゼロではない。もちろん、そういうことはあってはならないことだけど、とにかく今は都に行って様子を見よう。すべては『天主デウス』のみ旨のまにまに」


 もはや異議を言うものはいなかった。そして早ければ明日にでも都に向け出発しようということで、話はまとまった。


 早速その旨を勘助に告げようと思ったが、勘助は本丸屋敷から我われを案内して戻って来た後、また屋敷の方に行ってしまったということだった。その勘助が再び戻って来たのは夕方だった。

 オルガンティーノ師とフランチェスコ師、そして私の三人で、勘助のいる部屋へと出向いて行った。


 ここでは、勘助が上座に座っていた。

 まずは明日にでもおいとまするという旨を、オルガンティーノ師から切り出した。


「それはまた急ですね」


 勘助は若いながらも相変わらず無表情だ。


「して、どちらへ行かれるのです?」


「はい。都に戻りたいと思っています」


「都へ?」


 勘助の眉が動いた。都という我われの選択は、勘助にとっては意外な成り行きだったのかもしれない。


「高槻へ行かれるのではないのですか?」


「高槻?」


 もしかしたら彼は、我われが当然行くであろう場所は高槻と想定していたのかもしれない。たしかに高槻はこの布教区では最も信徒クリスティアーニの数が多い。そのような所だけに、我われは当然そこを目指すだろうと考えても不思議ではない。


「いえ。それも考えましたが、いろいろ話し合った結果、とりあえずは都へということになりました」


「都ですか。高槻ではないのですか」


 勘助は表情を曇らせた。普段無表情の彼が表情を動かすなど、よほどのことらしい。


「高槻ではないのですか」


 もう一度、今度はゆっくりと、うなるように彼は言った。よほど困っているらしい。しばらくうつむいていた。


「実は」


 そのまま伏せ目がちに、彼は言った。


「私も高槻へ行くのです。先ほどお方様(かたさま)よりそう命ぜられてきました」


「オカタサマ?」


「若君のいちばん上の姉上です。若君はまだお若いので、お方様がこの城の留守を取り仕切っておられます。ご一族で明智弥平次(やへいじ)様の御内儀ごないぎです。弥平次様は現在、明智日向様とともに安土におられます」


 つまり、明智日向守殿の長女で、同じ明智の親戚の者の妻ということらしいが、今この城で弟の十五郎殿よりも発言権がある人のようだ。

 日本の殿の家では、こういうふうに女性が中心になることも不自然ではないらしい。


「その方での命で、高槻へ行かれるのですか?」


 勘助はすぐには答えなかった。ただ、言いにくそうにしていて、やがてぼそりと言った。


「実はバテレン様方にも、ともに高槻に行ってもらえるものと思っておりました。いや、都に戻られるなら致し方ないことで、残念です」


 なぜ彼は高槻へへ行かされるのだろうか…それほど考えなくても、理由はほぼ推測できる。


「なぜ?」


 そう言いかけたフランチェスコ師を、オルガンティーノ師は手で制した。オルガンティーノ師も私と同じことを推測したらしい。


 勘助の部屋から戻った後で、オルガンティーノ師はフランチェスコ師と私をそばに呼んだ。


「おそらくはジュストを明智の味方に引き入れるための工作のためだろう」


 三人だけなので、イタリア語だ。


「私もそう思います」


 私が相槌を打つと、フランチェスコ師は首をかしげた。


「今ジュストは高槻にいないのでは?」


「おそらく。でも、推定にすぎない。たとえ不在でも、何らかの工作をすることを命じられたのだろうな。そしてジュストは信徒クリスティアーノだ。だから我われ司祭の言うことなら聞くと思って我われが高槻に行くのに同行し、我われにジュストを説得してもらいたいと明智家としてはそういう腹だろう。その役目を勘助は背負わされたのだ」


「だから、我われが高槻に行かないと知って、当てが外れたわけですな」


「そういうことでしょう」


 やっと納得したようなフランチェスコ師に、オルガンティーノ師もうなずいた。


「そうなると」


 さらにフランチェスコ師は話を続ける。


「我われをあの島から救出してそして坂本につれてきたのも、我われを高槻に行かせてジュストを説得させることを目的とした思惑からだったのでしょうかね」


「断定はできないが、その可能性はあるな」


「では、高槻に行かないと我われは殺される?」


「まさか、そんなことはないだろう」


 オルガンティーノ師は笑っていた。


「我われをここで殺したとて、彼らにはなんのヴァンタージ((メリット))もないし、我われが都に行くことによる彼らのスヴァンタージ((デメリット))もない。それよりも、昔、ジュストが父君のダリオとともに荒木アラキという殿の織田殿への謀反に加担したときに、荒木殿への加担をやめて織田殿の元へ戻るようにジュストを説得したのも私だった。明智殿はそのことを覚えていたのだろう」


「それはいつごろの話ですか?」


 私は初耳だったので、尋ねてみた。


「かれこれ三年か三年半くらい前かな」


 そうなると、ちょうど私がゴアに着いたころだ。

 あの頃の私にとってはまだ見ず知らずの場所であったこの国で、そのようなことが起こっていたのだ。ゴアにいたのが三年から三年半前……なんだか果てしなく遠い昔の気がする。


 その日の打ち合わせはそこで終わり、翌日には早々に十五郎殿にあいさつに行って、そのまま出発するつもりでいた。

 だがその打ち合わせが終わった頃から、外で音が聞こえ始めた。夕方からかなり激しい雨が降り始めたのである。



                  2


 ところが、その翌日も起きてみると雨はまだ降り続いていた。

 この雨の中を荷台を引いて旅するのはちょっと気が引けた。学生たちも、まだあの島での出来事から、体も心も回復してはいないようだ。


 そこでオルガンティーノ師は出発を一日延期する旨を全員に告げた。

 この日は朝のミサの代わりのみ言葉の祭儀と、そして我われ聖職者は聖務日課を務めるほかは全く何もすることのない雨に閉ざされた一日となった。


 私は学生を相手にいろいろと話をして時を過ごした。時に学生の中にもこの国の将来を危ぶむ者もいたが、「すべては『天主デウス』のみ旨のままです」としか、その時の私には答えてあげられなかった。


 午後になって少し雨も小ぶりになったので、私はニコラオけいとともに、本丸の方へ行ってみることにした。

 別に屋敷に用があるわけではなく、あの天守閣をもう一度近くで見たかったし、雨にけぶる湖の景色も本丸の石垣の上から見てみたかったのだ。


 やはり雨とあって、城内は外を出歩いている人はあまりいなかった。我われは借りた日本風の傘をさしていた。

 日本の傘は紙でできており、油が塗ってあるので水をはじく。あとはすべて竹で、骨の数も我われの傘よりもはるかに多いので持っていてとても重い。

 そんな傘をさして私とニコラオ兄は本丸に出て、屋敷の脇を通って天守閣の方へと歩いた。


 思った通り、雨の中の湖は対岸もかすんでいた。目の前には湖の上という広い空間が広がってはいるが、どこまでが水面なのかどこからが空なのか境界もあいまいだ。水面も空も同じ淡い色で塗りつぶされている。


「こうして見ると、大きな湖なのですね。まるで単色の絵のようです」


 ニコラオ兄がイタリア語で言った。


「ああ、君はいつも神学校セミナリヨでは学生たちに絵を教えていたね」


「はい、実は僕はもともと画家なんです。今はまだ修道士として修行中ですけれど、いずれは我われの国の絵の技術をこの国に伝えるために修道会から派遣されてきました。でもこの景色は我われの国の絵では無理ですね。やはり日本の景色は日本の絵の技法で描くのが一番ではないですか? 日本では墨と水だけで、その墨の濃淡を生かして風景を描いてしまうのですから、あれを初めて見たときは衝撃でしたよ」


 そう言ってニコラオ兄は笑った。若いとはいっても、私とそう極端に年が離れているわけではない。鼻筋の通ったいい青年修道士だ。

 前に聞いたところだとヴァリニャーノ師と同じナポリ王国の出身だという。


 かつて私がマカオにいた時、マカオの学院コレジオで何度か見かけた顔だった。私が日本に来たのと少し遅れて来日し、しばらくは天草にいたそうだ。


 二人がそんなことを話しながら景色を堪能していると、背後から日本語で呼び掛ける声があった。


「あの、もし」


 それは女性の声だった。振り返ると屋敷の使用人という感じの婦人が、傘をさして立っていた。


「バテレン様。お方様かたさまがお会いしたいのでお呼びしてくるようにとのことでございます」


 女がそう言ってから屋敷の方を見るので、その方へ私も視線を向けてみると、屋敷の縁側の上に高貴そうな女性が一人立っていて、我われが見たのを認めると立ったまま深々と頭を下げてきた。私たちも慌てて同じように立って頭を下げた。


 そして案内されるままに屋敷に上がって、その高貴な女性と対座した。

 女性は二十代後半くらいに思われたが、丸顔の美人であった。

 美しいというだけでなく気品があり、高貴な雰囲気を漂わせていた。

 この女性が誰であるのか、先ほど案内した女が「お方様」と読んだことから私にはほとんど察しはついていた。


「明智日向守十兵衛が長女、明智弥平次が妻、りんと申します」


 やはりそうであった。そうなると、頭を下げるこの倫という女がこの城の留守を実質上仕切っている女性ということになる。

 我われも座って頭を下げた。女の手で城を取り仕切っているというからもっと年季の入ったたくましい婦人かと思っていたが、目の前にいるのは美しいうら若き女性であった。


「おくつろぎのところ、わざわざお呼び立てして申し訳ありません」


 私は、この女性が我われに何の用があるのかいぶかしくもあったが、昨日の勘助のことを考えるとなんとなく予想がつかないでもなかった。


「私には三人妹がおりまして、その三人の妹の下が長男の十五郎でございます」


 そのことは、すでに勘助から聞いていた。


「実はその三人の妹のうちの一人は長岡与一郎様に嫁いでおります」


「ああ、お珠様ですね。安土でお会いしました」


「え? そうですか?」


 珠という娘とは安土の明智屋敷で明智殿とお会いするまでに短い時間であったが少し話をした。

 目の前の倫よりはずっと若くまだ二十歳前後のような感じだったが、熱心にキリストの教えについて質問してきたことを覚えている。たしかに長岡という殿の妻だと言っていた。


「その与一郎様の父上の兵部ひょうぶ様は丹後宮津城の城主でありますけれど、もともとは足利将軍家より分かれた管領細川家とも縁戚のあるお方で、その昔はご公儀にお仕えしておりました」


 話が込み入って来るとよく分からないが、つまり長岡兵部(ヒョーブ)という殿はかつて足利の公方クボー様に仕えていたらしい。


「実はその時点では、我が父はその長岡の与一郎様のお父上、兵部様の家臣だったのですが、公方様と安土の上様の間に入ってとりなし役などをしているうちに我が父は織田家へ客分として迎えられたのです。与一郎様はそうして我が妹を娶り、長岡の家と明智の家は切ってもい切り離せない間柄のはずでした。しかしこのたびの挙兵とともに父は長岡父子に何度も自らの元へ馳せ参じるよう使いを出しましたが、長岡父子は丹後から動こうともしません。噂によると、兵部様は上様への弔意を表すために剃髪し、幽斎と名乗っているとか」


 話している倫は、だんだん涙声になってきた。


「このあとどうなるのか。もし長岡のお家がこちらについてくれなければ、父は孤立してしまいます。やがて越前の柴田、関東の滝川、播磨の羽柴などがいずれは父にいくさを挑むこともありましょう。いずれもすぐにはこちらの方に向かうことはできないとは思いますが、そんな状況なのに父は何を思ったのかすぐにでも家督を十五郎に譲って自分は隠居したいなどと言っているという噂も耳にしました。本当に何をお考えやら」


 倫は一つため息をついて、さらに続けた。


「でも、私としましては明智のお家ももちろん大事ですが、珠が今どういう状況に置かれているのかそれが不安でたまりません」


 ついに、倫は涙をこぼし始めた。我われはただ黙って聞いているしかなかった。倫も少し間をおいた。倫の話まだ続く。


「このような状況にあって、頼みの綱は高槻の高山右近様ばかりでございます。どうか高山様が父にお味方してくださるよう、バテレン様からもお願いしてはくださいませんか」


 やはり要件はこのことだった。

 しかし我われはすでに、高槻には行かずに都に向かうことは決まっている。だから何と答えていいか分からなかった。


「実はあまりこのことは言いたくないのですが、私はもともと荒木弥介の長男の新五郎の妻でした。もうお聞き及びかと存じますが、荒木というものは上様に背いて、一年近くも有岡城で上様と戦いました。その時点で私は離縁されて明智の家に戻って来たのです。その時高山様は荒木とくみしていたのですが、キリシタンである高山様はバテレン様のご説得で荒木を見限って上様の元に戻ってまいりました。そのために荒木方は総崩れとなって有岡城も落城したのですけれど、私はもはや明智家の人間、荒木の家がどうなったかなどについてはどうでもいいことでございます。今さらそれを蒸し返そうなどとは思っておりません。それよりも、その時のことを考えますれば、高山様はバテレン様のお言葉ならそれに従うのではないかと思うのでございます。どうか、ひとこと高山様に、父に味方するようによろしく申し上げくださいませ」


 倫は頭を下げた。せっかくの美しい顔は涙でぐしゃぐしゃだった。

 高山様、すなわちジュストがオルガンティーノ師の説得で反乱軍から織田殿へと戻ったという話は、昨日オルガンティーノ師から聞いたばかりだった。

 それでも我われはどう答えいていいか分からない。


「お気持ちは分かりました。しかし、私の一存でお返事できることではありませんので、お聞きしたお話は我われの上長に間違いなく伝えます」


 今、私が言えることは実際にこれだけだった。しばらく倫は泣いていたが、やがて弱々しく顔を挙げた。


「何の因果か……嫁いだ先は上様に謀反を起こしてつぶされ、今度は実の父が上様を討ち果たすなど……女子おなごはいつも巻き込まれるばかり。私のことはどうでもいい。珠がどうなるか」


 またひとしきり、倫は泣いた。


「柴田が怖い。滝川が怖い。羽柴が怖い。それに、城介様以外の上様のお子様方もいらっしゃる。茶筅ちゃせん様も三七様も黙ってはおられないでしょう。それに三七様には丹羽にわがついている。しかしその三七様と丹羽とともに、珠の下の私のもう一人の妹が嫁いでいる七兵衛しちひょうえ殿がいます。七兵衛殿は上様の甥、その妻となった妹のれんの立場も微妙でございましょう。いったい私たち姉妹はいかなる宿世か……」


 そこまで言って、倫は真っ蒼な顔になって伏せてしまった。あまりの重圧に卒倒してしまったようだ。


「お方様!」


 我われはあわてて駆けよったが、抱き起こすなどということははばかられたので、近くにいた例の婦人を見たが気が動転しておろおろするばかりのようだった。


「どなたか! どなたかいらっしゃいませんか!」


 私が大声で叫ぶと、しばらくして足音が響きやはり高貴な雰囲気が漂う若い女性が駆けこんできた。


「姉上!」


 どうやら、倫のさらにもう一人の妹らしい。年齢は二十代のようなので珠よりは上の姉であろう。


「姉上、どうしました!?」


「お話をされていたのですが、急に気を失いました」


「医者を、医者をお呼び!」


 妹は部屋の外に向かって叫んでから、我われを見た。


「今日のところはお引き取りください」


 倫が心配ではあったが、そう言われたら下がるしかない。我われは座ったままお辞儀をしてから立ち上がり、部屋を後にした。


 戻ってからそのすべてをオルガンティーノ師に報告した。


「そうか。明智の家はそこまで窮地に立たされているのだね。あまり先はないな。そんな家に味方しろと、ジュストにはとても言えない。荒木殿の時も、荒木殿はやがてつぶされると私は確信して、それで織田殿に戻るようにジュストには言ったんだ。明智殿も同じだ」


 あの安土で会った珠のキリストの教えを聞く真剣な表情を思い出すとかわいそうではあったが、オルガンティーノ師がそういうのならそれがいちばんいいのだろう。

 それに、珠の夫の長岡殿が明智家に味方しない腹積もりならば、それはそれでいいことになる。


「はっきり言って明智殿は状況的にかなり危ない。それにあの狡猾そうな老人にも、あまり好感は持てないな。織田殿のように、多くの殿たちをまとめてこの国を治めていく器量があるとも思われない」


 たしかにそうだと、私も思う。明智殿が織田殿を討った理由が私の推測通りだとすれば、政治的権力を手に入れようなどということが目的ではないことになり、そうなるとこれからあとどうするのかということもあまり考えていないのかもしれない。なにしろ、もう隠居しようなどと漏らしていたというではないか。

 あの若い十五郎殿が後を継いだところで、何ができるわけでもないだろう。今この城を束ねていると聞いて気丈な女豪傑かと思っていた倫が、実はあのようにか弱き女性であった。


 そうなるとむしろかわいそうなのはその倫の方かもしれないが、すべて『天主ディオ』のなさること。あるがまま、なすがままに、成り行きに素直になるしかないと私はそう思っていた。



                  3


 翌日は雨も上がっていた。

 この国の雨季もそろそろ終わってほしいと思うが、どうも七月も中旬にならないと終わらないようだ。


 我われはいつでも出発できる支度をして、またオルガンティーノ師、フランチェスコ師、私の司祭三人で本丸の十五郎殿の屋敷にあいさつに行った。

 都へ戻る旨を告げると、十五郎殿の顔も曇った。やはり姉に、我われを高槻に向かわせる説得をするよう言われているようだ。だが、やはりそこは若年、強くは言いだせずにいるようだった。


「そうですか、どうか道中ご無事でありますように。つきましては、こちらから都まで警護のものをお付け致しますが」


 冗談ではない。警護のはずのものがいつ刺客に変わらないとも限らない世の中だ。そう考えられるまでに、私はこの国とこの国が今置かれている状況に慣れてきた。

 だが、私などよりももっとずっとずっと長くこの国にいるオルガンティーノ師は、言わずとも同じことを考えていたようだ。


「それには及びませぬ。お気持ちだけ頂戴いたします」


 これも日本人がよく使う、丁重な断りの言葉だ。オルガンティーノ師はそこまで身につけている。


「さらにお気持ちをということでしたらば、都までの道中、お味方の方々が道を固めていると思われます。そこを無事に通過できるような書状を一筆お書きくだされば幸いです」


 実に流暢な、この国の人々の言葉だけではなく言語習慣までをも完璧に身に付けたオルガンティーノ師の見識には舌を巻いた。私の日本語などまだその足元にも及んでいない。


「承知いたしました。すぐに祐筆に書かせましょう」


 十五郎殿は上座にこそ座ってはいるが、あくまで我われに対しては丁重だった。

 しばらくして他のものが書いた手紙を持ってきたので、十五郎殿はその内容を確かめてその手紙に自らのフィルマ((サイン))花押アウトグラフォを書き込み、我われに渡してくれた。


 そのあと、勘助の屋敷に戻ると、勘助の方から我われが寝泊まりしている部屋まで足を運んできた。

 我われが今日出発するというので見送りに来たのかと思ったが、勘助は頼みがあると言って座り込んだ。


「実は、出発は明日にしてもらえないだろうか」


 またもや最後まで我われに高槻に行くように頼むのかと思っていたところそうではないようなので、この頼みの真意が計り兼ねた。


「なぜ、今日ではだめなのです?」


 オルガンティーノ師もその前に座って、勘助に尋ねた。


「私は明日、高槻に向け出発します。よろしかったら途中までご一緒いたしましょう。あの沖の島でバテレン様方と出会ったのも何かの縁」


 やはりこの国の人たちは「エン」というものを大切にする。もともとは仏教の教えから来ているようであるが、それは理屈を超えた感情の領域から発する考えかもしれない。

 我われがいうところの運命デスティーノと似ているかもしれないが、もっと奥深いところが違う気もする。


「それと、高槻までご一緒いただけるのが無理ならば、せめて高山右近殿に書状をしたためては頂けませんか。明智に味方するようにと説得の書状です」


 オルガンティーノ師の眉が動いた。昨日の取り決めでは、明智に味方することをジュストに勧めることは我われにはできないという結論に達していた。だからオルガンティーノ師はきっぱりと断るかと思った。だが、オルガンティーノ師はあっさりと引き受けた。


「いいでしょう」


 私もフランチェスコ師も一瞬驚いた。


「明智につけと説得するのですか?」


 フランチェスコ師は、オルガンティーノ師に詰め寄るようにイタリア語で言った。


「大丈夫。私に考えがある。ほら、このように勘助に聞かれたくない話は、イタリア語でなら勘助の目の前でこのように大声で話しても問題ないだろう? そして、ジュストはポルトガル語が分かるのだよ」


 もうオルガンティーノ師が何をしようとしているのか分かった。果たしてオルガンティーノ師は、勘助に言った。


「筆と墨をお貸しください」


 オルガンティーノ師は貸し与えられた背の低い机の上で、髪に筆で手紙を書き始めた。

 のぞき見している私はただただ呆気にとられた。

 オルガンティーノ師は日本語が流暢に話せるだけでなく、日本の文字もこのようにすらすら書いてしまう。しかも我々にとっては使い慣れない毛を束ねて作られた日本の筆で、縦書きでだ。


――昨今の天下の情勢を鑑みるに、明智殿へ御味方(これ)肝要に存じ居りそうろう(最近の世の中の状況を考えると、明智殿に味方するのが大事だと思います)――


 そして最後に、自分のフィルマ((サイン))だけは横書きのローマ字で、毛の筆で書いた。さらにその下に横書きでローマの文字をいくつか書いている。

 それを見て私もフランチェスコ師も、なるほどとうなずいた。

 

 オルガンティーノ師はその書状を勘助に渡した。さっと読んでいた勘助は最後の部分に目を止めた。


「このお国の文字は?」


「私の名前と、あとはキリシタンの祈りの言葉でございます」


「そうですか?」


 勘助はその手紙をたたむと、大事そうにふところに入れた。


 私もフランチェスコ師もはっきりと見たのは、最後の署名の下のローマの文字は祈りの言葉ではなかった。


――明智についてはなりません。正義を貫いてください。それが天主デウスのみこころです――


 はっきりとそうポルトガル語で書かれていたのだ。

 ポルトガル語が読めない勘助は、言われたとおりにそれが祈りの言葉だと思っているようだ。

 結果として、それを明智に味方することを勧める内容の手紙だと思い込んでいる勘助や明智家を騙す形にはなっている。そんな手紙に「正義を貫く」と書いてあるのが矛盾といえば矛盾だが、私はオルガンティーノ師の真意がなんとなくわかる気がした。


 結局出発は一日延期になったのでその日の午後暇になり、その時間を使って私はオルガンティーノ師と例の手紙について語った。

 ますは手紙を見たときの率直な感想を述べると、オルガンティーノ師は笑っていた。


「『正義』の基準は何を元にするかだね。我われには『天主ディオ』のみ意という絶対基準がある」


「そうですね」


 やはり私が感じたオルガンティーノ師の真意というのは、間違いではなかったようだ。


「常に『天主ディオ』のみ意がどこにあるのか、それを読み取ってその通りに行動する、それが基準でしょう」


「それが『天主ディオ』にお仕えすることになるわけですね」


「そう。『天主ディオ』は我われにどうしてほしいのか、そうするとどうなるのか、そしてそれがどう『天主ディオ』の御ためになるのか、でしょう。まず我われが考えなければならないのは、ジュストのような信徒クリスティアーノの殿や信徒クリスティアーニ、そして我われ宣教の徒がこの日本の乱世ランセで生き延びなければならない。明智から庇護が受けられるならばそれはそれでいい。庇護を受けてでも存続しなければならない。でもその可能性はゼロに近い。逆に明智とともに滅んでしまったのでは、とてもそれが『天主ディオ』のみ意とは思えないでしょう」


「はい、たしかに」


「これは決して我らがイエズス会という一修道会の護身などというけちな発想ではない。この国の一人でも多くの人々の『天主ディオ』の教えとキリストの救いを告げ知らせる、つまり魂の救済、目的はただそれだけでしょう。だから、ここで手段はどうあれ明智に味方しないのことが『天主ディオ』にとっての正義を貫くことになり、『天主ディオ』にお仕えすることになる。そういった範を示してくださったのが、ほかならぬ主イエズス・キリストだよね。自分をキリストに明け渡す、こういう時にイエズス様ならこんなことはしない、イエズス様ならきっとこうなさるだろうということを基準に行動する、『キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに』というのはそういうことだろう?」


 全くその通りだと思う。

 私はなんと素晴らしい先輩、そして上長に恵まれたことか。ヴァリニャーノ師も素晴らしい恩師ではあったが、この国で『天主ディオ』は私にこんな素晴らしい出会いを用意していてくださった。

 このとき私には涙が出るくらいの感謝の情がわき出てきた。オルガンティーノ師がいかにこの国を、この国の民を「御大切」に思っているか、あらためて伝わってきた。

 あとはこの手紙を読んだジュストにどれだけその真意が伝わるかだが、ジュストなら大丈夫だろうという確信がこの時の私の中にあった。



                  4


 そして翌水曜日の早朝、ついに我われは出発することになった。

 ここは安土よりも都に近いので、早朝に出れば昼下がりくらいには都に着けるという。

 十五郎殿には昨日挨拶をしたので、そのまま勘助の屋敷から出発だ。倫とも、その後は全く会わないままの出発であった。


 道は湖を左に見て南下する。その湖沿いの道から比叡の山まではやはりちょっとした平野がある。稲の苗を田んぼに植える田植えからもう少したっているので、一面の水田では稲はある程度伸びて緑の波となっていた。

 湖の方から風が吹いてきた。空は相変わらず曇っている。

 勘助とわれわれ司祭および修道士は皆馬だが、学生たちは徒歩で、しかも何人かは我われの荷台を押しているのでそんなに早くは進めない。それに合わせての歩行だから、我々は馬上から十分に湖の景色を堪能できた。


 そうこうして一時間ほど歩いた頃、何気なく湖の後ろの方の景色を見ていたアルメイダけいが、湖の北の方を指差した。


「あれは何です?」


 湖岸線は決して直線ではなく時々小さな岬が湖に突き出ているが、その上の山が乗っているというような岬はなかったので、遠くまで見渡せた。

 われわれがあとにした坂本城の天守閣が、もうかなり小さくなってはいるがまだはっきりと湖岸にそびえているのが見えた。

 その天守あたりを目指して、おびただしい数の船団が北の方から向かってきていた。遠くて一つ一つの船はコメ粒くらいにしか見えないが、数が多いことはわかる。それらは北の水平線のようにぼやけている彼方から来たという感じだった。

 われわれは馬をとめて、その船団を見ていた。勘助はしきりに首をかしげ、そして言った。


「あれは、間違いなく明智様の船団ですね」


 そうなると、今日明智日向守殿は安土から坂本に帰ってきたのだ。


「早くに出発してよかったですね」


 私は率直にオルガンティーノ師に言っていた。オルガンティーノ師もうなずいた。


「ああ、危ない。たった一時間の差だね。われわれがまだ坂本城にいるときに明智殿が帰ってきていたら、いろいろと面倒なことになるところだった。すべて『天主ディオ』に感謝」


 馬上ながらもオルガンティーノ師は目を伏せて『天主ディオ』に祈りを捧げていた。


 だが、勘助殿は困った顔をしていた。今日、明智殿が安土から坂本へ戻るということは、彼は全く聞いていなかったようだ。

 だから一度坂本へ引き返すか、このまま進むか悩んでいるようだ。

 だが、その時間は短かった。


「このまま行きましょう」


 彼はまた馬を進めたので、我われもそう同じように馬の手綱を引いた。


 そうして、一時間半ほどで大津に着いた。ここで安土から来た道とぶつかる。そのぶつかったところを右に折れると、道はしばらくは平らだがすぐに逢坂山の峠道へと山中へと入っていく。


 これまで何回か明智の家中の者が関所のようなものを設けて通行人を取り調べていたが、勘助がいれば彼の顔で難なく関所は通過することができた。

 彼は明智殿の小姓だから常に明智殿のそばにおり、それでだいたいの家来たちは勘助の顔を知っていたのだ。

 こうして逢坂山の峠道も越えた。その峠の下り坂を下りて都の手前の小さな盆地に出た時、道は別れ道となっていた。

 勘助は馬をとめた。


「私はこちらの道をまいります。バテレン様方は都へ行かれるのならここでお別れとなりますが、やはりどうしても高槻へは来ていただけないのですね」


「申し訳ありません」


 オルガンティーノ師が申し訳なさそうなふりをしてうなずいた。


「そうですか。では、気をつけて行かれてください」


「今まで大変お世話になりました。何かお礼をしたいのですが」


 オルガンティーノ師はそう言うものの、日本人が喜びそうなエウローパのものや金銭的に価値のあるものは皆荷物の中で、ここで荷物をおろして開くわけにもいかなかった。


「その、かぶり物を頂けませぬか。私はずっとそれがほしかったので」


 勘助が指さしたのは、オルガンティーノ師の山高帽だった。


「このようなものでいいのですか?」


 オルガンティーノ師は帽子をとり、それを勘助に渡した。


「恩にきます。大切にします」


 やはり表情をほとんど変えないで早速勘助殿は帽子をかぶり、馬上から軽く会釈をして左側に分かれる道の方へと進んでいった。


「おそらくあの人は、都は通らずに高槻に行くのでしょう」


 日本人のヴィセンテ兄は言った。


「この左の道を行けば醍醐、、伏見を通って直接高槻に行けますから」


 だからここで別れたのだ。

 あとは緊張が漂う。もし今後また明智の関門があっても、もう顔で通れた勘助はいない。我われだけで通過しないといけないのだ。


 この盆地となっている狭い平らな土地には、ちょっとした集落もあった。村というよりも、十分に町と呼んでよさそうだった。

 いくつかの大きな寺や貴人の屋敷の屋根も見える。ここは山科ヤマシナというところだと、ヴィセンテ兄が説明してくれた。

 そこを過ぎると、すぐにまた都の手前の最後の峠道となる。

 開けていた地から山道となり、人通りも全くなくなった。

 我われにとってもうここは初めて歩く道ではない。都と安土との往来で何回か通ったことがある。それでも、我われは緊張しながらゆっくりと進んだ。


 すると、前方の木々の間に多くの人影が見えた。思った通り、ここにも関門が設けられており、多くの武装した兵士がそこにたむろしていた。

 我われが通りかかると、その兵士たちはさっとわれわれを囲んだ。われわれも全員馬から降りた。


「いずこへまいられる?」


 兵士の一人が、居丈高にわれわれの前に立ちはだかってそう聞いてくる。


「都へ行きます」


 オルガンティーノ師が頭を下げながら、丁寧に答えた。


「異国の僧だな。キリシタンのバテレンか。どこから来た?」


「坂本のお城からでございます」


 兵士は首をかしげた。


「なぜバテレンが御城下に? 怪しい。まことに坂本から来たのか?」


 御城下ゴジョーカとは、主君の城のある町という意味である。坂本をそう呼ぶということは、この兵士は明智の兵と見て間違いない。

 その様子にアルメイダ兄が舌を打った。


「都も目前になって、なんで」


「いや、都の入り口だからこそ、警備も堅いのだろう」


 そう言って答えるニコラオ兄もポルトガル語だったので、兵士は分からないはずだ。だから兵士はそれは無視して、オルガンティーノ師に見下すような口調で言った。


「もし坂本からというのがまことなら、我われの情報を織田方に知らせる役目ではあるまいな。信長はお前らバテレンをことのほか大事にしていたと聞く」


「そのようなことはございません」


「我らが殿はキリシタンを毛嫌いしておいでだ。それなのに御城下にバテレンがいるというのはおかしいではないか。やはり密偵であろう。荷を調べよ」


 兵士がほかの武装した武士サムライたちに命じると、武士サムライたちは一斉にわれわれの荷台に手をかけようとした。

 だが、学生たちがその前に壁を作ってそれを拒もうとした。フランチェスコ師が慌てて、オルガンティーノ師に話しかけていた兵士の前に出た。


「この荷物には手を出さないでください」


「うるさい。抵抗するのなら全員斬り捨てよ!」


 兵士の命で、武士サムライたちは一斉に刀を抜いた。さらなる緊張が走った。しかし、あの賊に暴行された時のことを考えると、皆度胸がついている。

 学生たちは心静かに両手を組んで祈りを始めていた。声を合わせて「天使祝詞アヴェ・マリア」を唱えている。


 そこでオルガンティーノ師は落ち着いて兵士の前に膝をつき、ポケットから一枚の紙を出して兵士に見せた。

 兵士はそれを見て驚きの表情を見せ、背後にもう一人いたやはり指揮官風のもう一人の兵士にそれを見せた。その兵士の顔つきも変わった。


「この花押はまさしく……」


 その紙をオルガンティーノ師に返すと、二人の態度は急に改まった。


「刀を納めよ!」


 武士サムライたちに命じると、二人とも腰を曲げて頭を下げた。


「御無礼致した。どうぞお通りあれ」


 我われはそんな彼らのわきを通って、ゆっくりと進み始めた。

 彼らの姿が見えなくなると、みんな大きく息をついて、肩で息をしていた。堂々としていたように見えても、そこは少年たちである。やはり学生たちも恐怖を感じていたのだろう。


「やはり十五郎殿に通行証を書いておいてもらっていてよかった」


 オルガンティーノ師も大きく息を吸った。


「すべて『天主デウス』に感謝です」


 再び馬に乗ったオルガンティーノ師は、学生たちに聞こえるように日本語で大きくそう言った。

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