Episodio 10 Torre del castello in riva al lago(湖畔の天守閣)
1
船は関船と呼ばれる中型の船で、かつてヴァリニャーノ師とともに下から都への往復に乗ったあの帆船とは違う種類であった。
具体的には軍船である。帆柱を立てる穴もあって帆走もできるそうだが、今回はすべて艪漕ぎで行くという。
しかし、安土から沖の島まで来た時もシモンの息子のトマスや神学校の学生たちが自分たちで漕いできたくらいで、船はあっても漕ぎ手までは提供してもらえなかった。
つまり、自分たちで漕いでいかなければならないのだ。
幸い我われには人数はある。学生だけでも二十八人いるし、漕ぎ手の数は最高で十人ということなので、学生で十分に漕いでいける。
もちろん全員が船の艪漕ぎができるわけではないが、これだけ数がいれば漕ぎが得意なものが十人くらいはいるものだ。
船は帆船よりもかなりの速さで湖面を滑り出した。とにかく海と違って波のうねりがないので漕ぎやすい。乗っている我われもほとんど揺れを感じなかった。
あの瀬戸内海も比較的海は穏やかだったが、やはり海は海でここほど穏やかではなかった。
島影から離れると、船は大いなる湖の真ん中に放り出された。右岸も左岸も岸上は山がちである。南下していることになるので右岸は湖西だが、そちらの方に比較的高い山が山脈として連なっていた。
行く手はよく見えなかった。もし晴れていたらかなり遠くまで視界は聞けていたであろうが、空はどんよりと曇っている。だから船が向かう先はあいまいで、陸地は見えない。だからといってはっきりと水平線が見えるわけでもなかった。
小一時間も行くと右岸と左岸が少し迫ってきてそれにはさまれた部分を通過した。狭くなったとはいってもそんなに極端に狭くなっているわけではない。
それに、そこを過ぎると、また湖はほんの少し幅を開いた。右岸の山脈は低くずっと続いていたが、前方に山脈とはつながりつつも高くそびえる山が見えた。勘助の指示で、船はその山の麓あたりを目指していった。
そしてさらに一時間ほどで、その山の麓に船はかなり近づいた。
「あの比叡山の麓が坂本です」
勘助の説明にオルガンティーノ師も私も驚いた。比叡山といえば都の教会からも、北西にひときわ高く都を見下ろす山であった。
あの山の上にある大きな寺と織田殿は交戦して、その寺の本堂を焼き払ったという話が織田殿との会見で話題に上ったのを思い出した。
前に大津からもこの山を見たことがあったが、その時と同様に、都から見たのとは反対側の山肌をここでは見ていることになる。
山だけではなく、船が近づくにつれて見えてきたもので、我われの目を驚かせたものがあった。
巨大な城が見えてきた。しかも山の上などではなく、この城は湖に臨んで築かれているようだ。
巨大なのは天守閣だ。まだ船が遠いうちは分からなかったが、近づくにつれその天守閣は瓦などに金細工が施され、きらびやかな外観を持っていた。
その大きさも安土城ほどではなく少し小ぶりであったが、それでも十分に威容を誇っているといえるくらいの大きさだ。
「おお、あの城が坂本城ですね」
オルガンティーノ師に問われて、勘助はそうだと言った。
「いやあ、大きくて立派な城だ。この国では安土城に次いで二番目に大きい城ではないでしょうか」
オルガンティーノ師はあまりほかの城を見たことがないようで、このようなことを言っているのだろう。
だが私は、安土城よりは小さく、でもこの坂本城よりははるかに巨大な天守閣を持つ城を見てしまっている。あの、播磨で見た烏のように黒い姫路城だ。その方がもう少し大きかった気がする。
ところが大きさもさることながら、この坂本城が我われを驚かせたのが、天守閣が湖の際に建てられていることである。つまり、湖水の中から石垣がそびえ、その上に天守閣がある。
天守閣の廻り、足元を湖水が洗う石垣に囲まれた部分には大きな屋根がいくつも見えるのでそこが城でいちばん重要な部分、すなわち屋敷のある本丸であろう。
つまりこの城は、湖に突き出た部分に本丸がある。このような構造の城は初めて見る。我われは船に乗ったまま城の中に入ることになる。
しかも城全体が山ではなく全く平らな土地に建てられていた。かつて薩摩で見た城もそうだったが、あの城は天守閣も櫓もなかった。
しかし、それ以外の城は皆山か小高い丘の上に築かれているのがこの国では常だった。こんな立派な天守閣を持つ城が湖の畔の全く平らな土地に築かれているというのも不思議だ。
その天守閣はその姿をそのまま逆さに、湖の鏡のような水面に反映させていた。
船は天守閣の下の石垣をめぐって船着き場になっている所に進んだ。船を一歩降りると、そこはもう城内なのだ。天守閣は五階建てで、さらにその隣に少し小ぶりの三階建てくらいの小さなもう一つの天守閣が並んでいて、互いに渡り櫓でつながっていた。
比叡の山はすぐ近くに見えるが湖からすぐに山が始まるわけではなく、少し平地の部分を挟んでその向こうに山はあった。
上陸するとすぐに警備の武士たちに我われは取り囲まれ、勘助に尋問しているようであったが、勘助が明智殿の書状を示すと武士たちは急に丁重になった。
城内は多くの武士や兵たちで充満していたが、明智軍の大半は今は安土に行ってしまっていることを思えば、本来はもっと多くの兵力がこの城にあったのだろう。
「私の家があります。とりあえずそちらにお泊まりください」
歩きながら表情も変えず、勘助は言った。
勘助の家とは本丸を通り越して陸地とのあいだの堀にかかる橋を渡って比叡の山の方に進んだあたりにあった。そこが明智の家来である武士たちの居住区であるようだ。
勘助が家と言ったように、たしかにそれは屋敷と呼べるほどの大きさはなかったが、手狭ながらも三十人近くの我われが入っても何とか入りきれるほどではあった。
すでに時刻は午後になっていたが、夕方まではまだ間がありそうだった。しかしとにかくあの牢獄のような馬小屋で一晩を過ごし、さらに朝になってからはここまで船に乗ってやってきた我われだ。
若い学生たちももう疲労でげんなりしているし、高齢といえば怒られてしまうがかなり年長のオルガンティーノ師に至ってはなおさらであろう。私とて疲れ果てていた。
考えてみれば今日は土曜日だから、信長殿が本能寺の屋敷で命を落とした木曜日はつい一昨日である。それなのに、なんだか遠い昔のような気がする。
その日のうちに安土に来て、そして安土の神学校をあとにしたのが昨日、そして今日は坂本にいる。目まぐるしすぎた三日間であった。疲れないはずがない。ほかのみんなも昨夜はほとんど寝ていないはずだ。
だからその日のうちは、夕食に呼ばれるまでほとんど全員が死んだように木の床の上で眠りこけた。
2
十分に眠って、翌朝はわりと早めに目を覚ましたものが多かった。
ここでは学生たちも司祭も修道士も、大広間に雑魚寝だ。
幸い夏なので床の上に軽い布一枚でことが済んだ。冬だったらそうはいかなかったであろう。
ほぼ全員が起きると、簡単な身支度をさせた上で、オルガンティーノ師は全員を整列させて座らせた。
今日は日曜日、すなわち主日である。本当なら主日のミサを執り行わなければならない日だ。しかも、ただの主日ではなくこの日は洗者ヨハネの誕生の祭日である。それは、私の守護の聖人だ。フランチェスコ師も私と同じ名だが、フランチェスコ師は使徒聖ヨハネの方だという。
いずれにせよ、この状況でミサは完全に不可能だった。聖杯やその他の聖具も荷物の中だし、御聖体もなければその元であるホスチアもない。ただできることはみ言葉の祭儀のみで、あとはただひたすら祈るしかなかった。
聖書朗読は「イザヤの書」、「使徒行伝」、そしてオルガンティーノ師によって福音書が朗読された。
それからオルガンティーノ師の話になる。ミサの中でも、オルガンティーノ師の話だけは日本語だ。
ラテン語でなされる朗読箇所を、いつもここでオルガンティーノ師は日本語で分かりやすく解説する。もっとも、学生の中にはもうかなりラテン語に精通している者もいた。
「私たちは昨日、囚われの身となっておりましたが、『天主』の奇しきお仕組みによってそこから脱することができました。でもまだ本来の家に帰りついていないさまよいの身であります。かつてイスラエルの民も同じようにバビロンに囚われの身となり、また故国を持たずにさまよいの日々を過ごしていました。今日の朗読では、『われは徒然に働き、益なく、虚しく力を費やしぬ。然はあれど、真にわが審判は『天主』にあり。わが報いはわが『天主』にあり』と預言者イザヤは言います。働いてきたこと、力を費やしてきたこと、実はすべては無駄ではなかったのです。すべて『天主』の大いなる仕組みの中に、必要があってさせられた、いや、させていただけたものなのです。『天主様』としても、すべて目的があってなされている。『汝わが僕となりて、ヤコブのもろもろの支派を興し、イスラエルのうちの残りて全うせしものを帰らしむることはいと軽し。我また汝をたてて異邦人の光となし、我が救いを地の果てにまで到らしむ』。『天主』はいつかイスラエルの民をもとのところにお集めになる。しかし、ここでいうイスラエルの民とは、昔のあるひとつの民族のことではありません。今の時代にあってイスラエルの民とは、私たちの教会、そこに集う私たちキリシタンのことなのです。私たちは異邦人の光、つまり異教徒の人たちにとっても光となり、救いの訪れを告げ知らさねばなりません」
学生たちは、波を打ったように静まりかえって耳を傾けていた。
「そして、『我、母の胎を出づるより『天主』、わが名を語り告げたまえり』とか『我を生まれ出でしより立て、おのれの僕となし給える『天主』』と、母の胎内より出るという表現が使われています。その母の胎内にあったバプテスマのヨハネがこの世に生まれ出ました。ルカの福音書ではヨハネが生まれたときのいろいろな不思議な話が今日の朗読で紹介されました。ラテン語での朗読で、ちゃんと聞きとれた人は?」
手を挙げたのは七割方だった。その数に、オルガンティーノ師は満足げに笑みてうなずいた。
「今手が挙がらなかった人も、一所懸命勉強してください。近々、全員の手が挙がるでしょう。エリザベートがヨハネを懐妊した時、天使のお告げのことを父親のザカリアは疑ったので口がきけなくなっていました。しかし、子供の名前をお告げ通りにヨハネとすると意思表示した途端に、ザカリアは話せるようになったのですよね。そうでしたよね」
オルガンティーノ師は、一番前で聞いていたパウロに念を押すと、パウロは大きくうなずいた。オルガンティーノ師は続けた。
「そして福音書にはこうあります。『この子はいかなるものにかならん。主の手、彼とともにありしなり』と。そのことは今日の二番目の朗読の使徒行伝で聖パウロがそのヨハネの言葉を伝えています。『汝ら我を誰と思うのか。我はかの人にあらず。観よ、我に遅れて来る者あり。我はその鞋の紐を解くにも足らず』。つまりイエズス様に先駆けて荒野を拓く役を負っていたわけです。そして聖パウロは、高らかに宣言します。『兄弟たち。アブラハムの血統の子ら及び汝らのうち『天主』を畏るるものよ。この救いの言葉は我らに贈られたり』と。なんと心が熱くなりますよね。ヨハネはその生涯をイエズス様に捧げ、その道を準備し、さきがけとなりました。その心を私たちも持つことができますよう、ともに祈りましょう」
私の守護の聖人のバプテスマのヨハネの話だけに、オルガンティーノ師の説教は私の心にも熱くしみ込んでいた。
そうして皆で祈りをささげた後、終わるのを別室で待っていたかのように勘助が部屋に入ってきた。
「これより私は、明智様よりの書状をご若君の十五郎様にお持ち致すが、皆さんはいかが致しますか」
部屋の入り口でかがんで、勘助はそう聞いてきた。オルガンティーノ師は立ちあがった。
「私どももまいりましょう。勘助殿の屋敷に泊めてもらっているとはいってもここはお城の中です。あいさつをするべきでしょう」
城主はあくまで明智日向殿だが、その明智殿は今は安土にいる以上、その長男がこの城の留守番役ということになろう。だから私とフランチェスコ師も続いて立ちあがった。修道士たちも立とうとしたが、オルガンティーノ師はとめた。
「あまり大勢で行っても」
修道士たちはここで待つように、オルガンティーノ師は指示した。
我われ三人は帽子をかぶり、勘助殿のあとに続いた。
安土の城では我われの存在に人々は慣れているようで我われが歩いていても皆普通に会釈をしてすれ違うだけだったが、ここでは珍しいものを見るようにじろじろ見られたので気恥ずかしかった。
やがて本丸への橋を渡って、天守閣の下に広がる屋敷の中に入った。その広場で待たされていると、やがて留守役の明智十五郎殿が入ってきて上座に座った。我われは下座から頭を下げた。
「頭をおあげください」
若々しい声が響いた。頭を挙げてみると、座っていたのはまだ少年のあどけなさが残る若者だった。
聞けば長男だという。あの老人の長男なのだからもう一人前の大人を想像していたので驚いた。
「十五郎様は御年十三歳でございます。この上に姉君が四方いらっしゃいますので、ご嫡男ではございますが五番目のお子でございます」
隣に座っている勘助が、そう説明してくれた。なるほどそういうことかと思う。まずは勘助が、明智殿の書状を十五郎殿に渡していた。それを読んでから十五郎殿は我われを見た。
「正直言いまして、私も今回のことは驚いています。父ともに愛宕に参詣した時は、表向きは中国出陣の戦勝祈願ということでありましたけれど、上様の密命を受けて父は都に密かに立ち帰ることになっていました。私はそれを都にいる徳川三河守を討つためと理解していましたけれど、いったい何がどうなったことやら。父のこの書状にも詳しいことは書いておりません」
やはり明智殿が徳川殿を討つことになっていたらしい。そのことは、ヤスフェが言っていたこととも一致する。
だが、オルガンティーノ師は不思議そうに首をかしげていた。実はヤスフェから聞いたことは、ごたごたが続いていたためにまだオルガンティーノ師には私からは詳しく話していなかったのだ。
「ときにバテレン様方は、これからどうされるのです?」
十五郎殿にそう聞かれて、私もフランチェスコ師もさっとオルガンティーノ師の横顔を両脇から挟むように見た。
実はこのどさくさで、我われにはこのあとどうするのかということまで考えている余裕はなかった。だから、オルガンティーノ師がどう答えるか、その言葉を待っていた。
ところが、オルガンティーノ師も我われと同じだった。
「はっきりとは決めておりません。これから考えます」
「そうですか。どうぞご遠慮なく、ゆっくりと滞在されてください。どちらかへご出発でしたら、また声をかけてください。私は病弱で寝込んでいることも多いのですが、何とかお役に立ちましょう」
十五郎殿はそれだけ言うと、奥へ入ってしまった。
我われは勘助の屋敷へと戻っていった。
「いや、驚いた。明智殿の長男はまだ少年だ。それなのに我われの国の同世代の子供に比べたらはるかに立派だ」
オルガンティーノ師の言葉に、私はあの下の有馬の殿も同じような少年だったことについてヴァリニャーノ師が言っていたことを思い出した。ほとんど同じことを、ヴァリニャーノ師も言っていたものだ。
「しかし」
オルガンティーノ師は言う。
「やはり若いだけに、今回の事件に関する状況がよく呑み込めていないのではないだろうか」
たしかにそうだと思う。
十五郎殿は状況が分からず、ただ驚き、戸惑い、途方に暮れているという様子だ。もし父の明智殿がこのまま織田殿のものだった天下を引き継いで治めることになったら、それを継承するのが自分だということもあまり意識にないようだった。
3
私は、織田殿を討った明智殿の真意を、この長男からなら何か聞けるかもしれないと思っていたが当てが外れた。
歩きながらオルガンティーノ師とフランチェスコ師はイタリア語でずっとしゃべっている。勘助は相変わらず無口だ。そこで私は、全く他のことを考えていた。
つまり、明智殿の真意についてだ。
ヤスフェの話などを総合すると、明智殿が織田殿から徳川三河守の暗殺を命じられたことは明白だ。前にも安土城に徳川殿が訪ねた時もその場で毒殺する予定が失敗した。
なぜ、織田殿は徳川殿を殺さなければならないのか……それは、今のこの国の殿たちの力関係を見ればなんとなくわかる。
織田殿と徳川殿は主従ではなく、いわば同盟であった。だが、天下をほとんど手に入れようとしていたほどの実力のある織田殿のことだから、徳川殿が将来必ず織田家に禍根をもたらすと察したのではないか。
これまで最大の脅威だった武田殿が滅んだあと、次の脅威が徳川殿だったのだ。
昨今の織田殿はヤスフェからもたらされていた情報によると、自分の家に古くから仕えてきた家来たちをもどんどん粛清していったと聞く。そんな織田殿が徳川殿を殺さずに放っておく方が不思議だという気もする。
だが、今度は明智殿はなぜ織田殿を殺したのか……。外国人である私がこの国の内政にこんな立ち入ったことを考えるだけでも不遜であると思う。しかし、気になってっしょうがないのだ。
織田殿が明智殿に言ったという「なすべきことをせよ」という言葉、それはやはり徳川殿を殺せということか……。それなのに、明智殿は織田殿を殺した。
徳川殿を殺すつもりが間違えて都に早く着き過ぎて、明智殿の勘違いでまだ屋敷にいる織田殿を徳川殿だと思って殺してしまった……???
いやいや、そんなへまはするまい。
事件のほんの前日までいっしょにいたはずの長男にも自分の計画を打ち明けてはいなかったということだから、都に向かう途中で急に魔がさして織田殿を殺して天下を取ろうとしたのか……???
いやいやいや、少なくともこんな城の城主であり、家族や多くの家来を抱えているあの老人が、そんな思いつきでことをなすような人には見えない。
明智殿は織田殿にかなり大事にされていたということだから、織田殿を個人的に恨んでいたなどということもあり得ない。
我われと会見した時も、我われに頭まで下げたのは本当に織田殿を思って、客分といえども一応主君である織田殿のためにという感情が滲み出ていた。この国独特の、強い主従の結びつきというものすら感じたものである。
まさか、老人特有の頭の病気が高じていて、突然突拍子もない行動をしてしまったのか……??? いやいやいやいや、まさかそれはないだろう。
あるいは、こうも考えられる。
織田殿は明智殿といろいろ結びつきの強い四国の長宗我部殿を討とうとして行動していたことだが、明智殿はそれを阻止するため、さらには織田殿のコンキスタドールたらんという意志を止めさせたいとそう思ったのかもしれない。明智殿はかつて、そのために我われにも頭を下げたのだった。
だが信長殿の制止もうまくいかず、ついにやむを得ず、日本の国を守るにはこれしかないと立ち上がった結果なのか……???
わからない。
もしかしたら誰かに操られていた? ここで浮かんだのが、徳川殿の名前だった。それほどしたたかな男だから、織田殿も警戒したのか……。
たしかにしたたかな男なら自分も織田殿を倒したいだろう。だがそれを自分は手を汚さずに、明智殿にさせてしまう。つまり、明智殿は徳川殿に利用されたのか……???
だが、明智殿の方にも四国かコンキスタドールかいずれにせよちゃんとした動機があれば、彼こそ徳川殿を利用したといえなくもない。そうなると、互いに利用し合っていた? それもお互い了承の上で……??
すると、早くから明智殿と徳川殿の間には密約ができていて、信長殿の徳川殿暗殺計画はすべて明智殿を通して徳川殿に筒抜けになっていた……???
あの安土城での腐った鯛事件も、あれは徳川殿毒殺のたくらみだったのを、明智殿は徳川殿に事前に鯛には箸をつけぬよう耳打ちしていたのか。
そういえばその前日、徳川殿を安土の近くまで出迎えに行ったのは明智殿だった。その時にいくらでもこのような話はできるはずだ。
そうだとすると、まだ箸もつけていない鯛を腐っているなどと徳川殿が言い出した謎も解ける。
そして本能寺は……本当なら昼に徳川殿が都について本能寺の屋敷に入り、口実を作って信長殿が外出した隙に一気に都になだれ込んだ明智殿が徳川殿を討つ、そういう手はずだったのではないか?
だが、明智殿はそれよりもずっと早い早朝に都に着いた。手違いなどではない、それが計画だったのだ……。しかしまだすべてが憶測だ……本当のところは分からない……。
「コニージョ神父」
いきなりオルガンティーノ師から名前を呼ばれて我に帰った。
「先ほどから何の考えごとをして歩いているのかね?」
少し揶揄の笑みを含ませてオルガンティーノ師が言った。
「あ。いえ、その」
わたしはたじろいだ。
もう本丸から二の丸への橋も渡り、勘助の屋敷も近くだ。
たしかに今はそのようなことよりも、今後我われがどうするかの方が重大な問題だ。
まず、我われはこれからどこへ行けばいいのか……。そして織田殿という大きなスポンソルを失った今、イエズス会は、少なくともこの安土・都布教区はどう福音宣教を進めていったらいいのか……。
そして織田殿という柱を失ったこの国はこれからどうなっていき、その中で我われはどうするべきなのか……そういった重要課題が山積みされているのにあえて明智殿の真意のことばかりを考えているのは、一種の現実逃避ではないかという気もした。
そういったいわば謎ときに熱中していれば、目の前のうんざりするような重大案件から一時でも目をそむけることができる……そんな逃げの心があるのか……考えるのに疲れた。
勘助の屋敷に着いた。間髪を入れずオルガンティーノ師は、我われ三人の司祭のほかに四人の修道士も一部屋に集めた。早速、これからの我われの身のふり方の協議となった。




