Episodio 9 Sola sul lago(湖上の島)
1
船はゆっくりとその天然の防波堤のような細長い土地の切れ目を通って外の湖に出た。
左側は丘がその上に乗った岬で、やがてその岬が切れて入江の外に出る頃に左側に島が岬の陰から見えてきた。
小さな島だ。それでも人は住んでいる。岬の先端からはそう遠くはなかった。
島の上には小高い丘が緑を茂らせて乗っており、湖の対岸を背景に緑が映えた。今日は曇っているが、晴れていればもっと緑はきれいだったかもしれない。
その島までの航海はわずか数十分、しかし、その間ずっとシモンは船の中で胸の十字架を両手で持って、「天使祝詞」を日本語で唱え続けていた。しかも、その手は震えている。
「何をそんなに震えているのです?」
思わず私が声をかけた。
私の声が大きかったのか、シモンは例の船頭の男の様子を気にしながら声を落とすように身振りで示してきた。
私は言った。
「何も恐がることはないではないですか。この琵琶の湖とよく似たガリラヤの湖を使徒たちが船で渡った時に嵐に遭い、船は沈みそうになりましたけれど、イエズス様は言われました。『汝らの信仰いづこにあるか』って。どんな嵐でも怖がることはありません。イエズス様がお守りくださいます。イエズス様の名のもとに三人以上の人が集えば、イエズス様も必ずそこに一緒にいてくださると、イエズス様もそう言われています。『二、三人我が名によりて集まる所には、我もその中に在るなり』と。しかも今は嵐でも何でもなく、空は曇っているけれど、湖の湖水は穏やかではありませんか」
「いえ、ほういうことやあらへんのどす」
シモンは私にさらにそばに来るように手招きし、私の耳元で、
「あの男は警固衆どす」
と、言った。私も驚いた。これまでただの漁師だと思っていたのだ。
警固衆といえば海の交通、ここでは湖だが、それを抑える役目の武装集団だが、実質上は海賊だと考えてもよい。
私の脳裏に、あの瀬戸内海での海賊との遭遇や、とりわけ堺の港に入る時の海賊との壮絶なバターリャのことが蘇り、震えあがる思いだった。
私はすぐにそのことを、オルガンティーノ師にイタリア語で告げた。オルガンティーノ師の顔色も変わった。
「そう、たしかにこの島には警固衆がいると聞きました。信長殿は領内のすべての関所は廃止し、通行税を取ることは禁止しましたけれど、この沖の島だけは例外として許され、湖を行く船から交通税をとっていたはずです」
そうなると、我われはとんでもない所に行こうとしているのかもしれない。シモンが震えていたのも無理はない。
しかし、その島へ行こうと言い出したのはシモンだったはずだ。まさか海賊の船に我われが乗ることになるなどとは、シモンとて想定外のことだったのだろう。
すぐに島に着いた。港はまるで海辺の港のような本格的なもので、湖に浮かぶ島の港というような感じではなかった。
果たして我われが港に着くと、船頭の男が発煙筒のような物を口で空に向かって吹いた。その音と煙が出たすぐそのあとに、港に武装した男たちが十数名も現れて、我われの入港を待ち構えていた。
我われは促されて無理やり上陸させられた形となった。神学生たちも恐怖のあまり、船の上に座りこんでなかなか立てずにいる者さえいた。それでも何とか全員船から降りると、武装した男たちはさっと我われを取り囲んだ。手には刀や槍、中には銃を持っている者もいる。
その中の頭目らしき男が、我われの前に立った。
「これはこれはバテレン様方、我が島にようおいでやした」
話している内容は慇懃だが、あくまで我われを見下すような威圧感を感じさせた。その前に、オルガンティーノ師は立った。
「わざわざ船で送ってくださいましたこと、かたじけなく存じます」
オルガンティーノ師は日本語でそう言ってから、そばにシモンを呼んだ。それからまた頭目の男を見た。
「船でお送りいただきましたので、船賃をお支払いしたいと思いますが、どなたに支払えばよいのですか」
「おお、わしはこの地の警固衆の長や。わしに支払わい」
そこでオルガンティーノ師は、シモンに小声で聞いた。
「普通、船賃はいくらくらいですかね?」
「まあ、永楽銭が二、三枚というところどっしゃろ」
それならゴアの通貨のタンガが二、三枚といっしょだ。
「では我われは学生二十八人を含めれば約三十五人おりますから、永楽銭百枚というところですね」
「いやいやいや」
頭目の男は、突然に目を向いた。
「ほれはふつうの時のことや。今は皆命からがら安土より逃げよるときやろ。いつもと同じでは割に合わん。ほやな、あの荷物の半分もいただこか」
頭目が目線を向けたのは、我われの荷台車で、そこには高価な銀の装飾品や聖具、じゅうたんなどが箱に入っている。あれを取られたらたまったものではない。
だが、彼らの目的は最初から我われの財宝を奪うことにあったことは、もうこの時点ではすでに明らかである。それでも、オルガンティーノ師は一応抗って見せた。
「いくら非常のときとはいっても、あまりにそれは法外ではありませんか」
「まあまあ、お頭、ちょっとお待ちやす」
そこでしゃしゃり出てきたのは、我われをここまで乗せてきた船のあの船頭であった。
「たしかにあの荷物の半分では、バテレン様方も難儀なさりまっしゃろ。ここは金子三十両ほどでどうどっしゃろな」
彼もこの盗賊たちの一味であるはずなのになぜ我々をかばうようなことを言うのか、その心の中は全く見えなかった。だが、当目はあっさりと承諾した。
「ええやろ」
どうやら最初から何か示し合わせがあったに違いないことは明白である。
だが三十両といえば百五十クルザードほどにもなり、それでも十分に法外な請求であった。
「いいでしょう」
オルガンティーノ師もまたあっさりとしたものである。それから我われにポルトガル語で言った。
「今は我われの命と、聖具を守ることが優先です」
そして銀塊を三十両分出して、頭目に渡した。
そのあと、我われは全員が武装した男たちに武器で脅されて連行される形で、港の周りの集落のはずれにある粗末な建物に押し込められた。
入ってみるとそこは異臭を放つ馬小屋であった。床は土間で、藁が散在している。つながれた馬と馬の間に我われ総勢三十数名は押し込められることになった。もう、ひしめきあっているという感じだ。
「イエズス様も、このようなお所でお生まれになったのですね」
土の上に座りながら、オルガンティーノ師はつぶやいていた。そして見渡すと、同じ建物の中に木の箱がいくつもあるのに気がついた。どうやら盗賊たちが盗んできた盗品をここに保管しているらしい。
入り口に特に見張りが立っている様子もなかった。このような小さな島だから、たとえここを逃げ出したとしても逃げようがないということで特に見張りも立てていないのかもしれない。
「とにかく、聖具を守りましょう」
オルガンティーノ師がそう言ってからしばらくは様子をうかがい、落ち着いたような感じがしたので神学生たちに指示して我われの荷物を盗賊たちの盗品の箱の陰にすべて隠した。一度は銀三十両で話は着いたが、彼らが我われをこのようなところに押し込めたということは、また必ず我われの荷を奪いにやってくるに違いないということは予想できたからだ。
箱の中は価値のあるものも多いが、何よりもかつてヴァリニャーノ師がもたらしてくれたものであるという精神的価値も高い。
だがそれは別として、盗賊たちはそれらの物質的価値を狙っているはずだし、最悪の場合は我われを皆殺しにすることさえ彼らはやりかねない。
やがて外は雨が降り出した。
「わしはとりあえず我が家に帰ってきます。そしてなんとかお救いできるよう、策を講じてきますさかい」
そう言って、シモンは一度外へと出ていった。その日は、特に盗賊たちは我われに何か言ってくるでもなく、日は暮れていった。
暗くなってから、雨もようやくやんだ頃、物音がして小屋の扉が開いた。
シモンともう一人、若者が大きな箱を持って入って来た。
若者はシモンの息子のトマスで、神学校の学生たちとだいたい同じくらいの年齢だ。急を聞いて安土に駆けつけて来たシモンの留守を守って、彼はこの島の自分の家にいたらしい。
箱の中は人数分の握り飯だった。
我われは朝から何も食べていなかったので、これはありがたかった。
「バテレン様。この小屋のすぐ裏は山どす。夜のうちに荷台の荷物を山の中に隠しましょ。せがれの仙太郎が案内しますさかい」
仙太郎とはトマスの日本人としての名のようだ。
それを聞いたオルガンティーノ師の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。感動のあまりむしろ言葉が出ないようで、目を閉じて手を組み、オルガンティーノ師は『天主』に深く感謝を捧げていた。
「かたじけない。礼を言います」
代わりにフランチェスコ師が日本式に頭を下げていた。
そこですっかり暗くなるのを待って学生たち数人とトマスは盗賊の盗品の山に隠していた我われの荷物の箱を出して担いだ。外に人の気配はなさそうだった。トマスと学生たちは荷物を肩に、そっと小屋を出ていった。
すでに雨はやんでいる。今頃の月は三日月でおそらくもう沈んでいるだろうし、よしんば月のある夜だったとしても、空はまだ曇っている。
そこで別の学生が松明を持っていく道を照らすことになったが、あまり煌々と照らして盗賊たちに見つかってもまずい。
彼らは緊張した様子で、暗闇の中を手さぐりで小屋を出て行った。
2
彼らが出て行ってから、我われはほとんど無言だった。
とにかく蒸して暑い。そして照明もないので馬小屋の中は闇に塗りつぶされた。
昨夜はほとんど眠れなかったことに加え、とにかく疲れたので私は藁を布団として壁を背にして眠りに落ちていた。だから他の司祭や学生たちが眠れずにいたのか自分より早く寝たのか分からずにいた。
どれくらいそうして寝ていたか分からないが、たぶん一時間くらいかと思う頃に騒がしさで目が覚めた。
当然、まだ真っ暗である。
ところが小屋の入り口の方で松明の明かりが見えた。聖具を山中に隠しに行っていた学生たちが帰ってきたようだ。
最初に小屋に入って来たのはトマスで、松明の光に照らされたその姿は輝いて見えた。
「おお、あなたは私たちにとって天使です」
そう言って最初に駆け寄り、その手を取ったのはペレイラ兄だった。手を握られるという彼らにとっては慣れない行動に戸惑っているようで、トマスははにかみの笑みを見せていた。
それに続く神学生の一人が、オルガンティーノ師に顛末を告げていた。山中に格好の洞窟があり、そこに荷物はすべて隠して分からなくしてきたという。
「よくやってくれました。かたじけない。早く中へ入って休みなさい」
オルガンティーノ師はそう言って彼らをねぎらった。
「隠したのはいいですが、またちゃんと取り戻せますかね?」
隣にいたフランチェスコ師がふとつぶやいた。
「いや、取り戻せるかどうかよりも、まずは賊たちの手に渡らないようにするのが先決です。それが『天主』のみ意ならば、あの道具たちは必ず我われのもとに戻ってくるはずです」
そう言ってオルガンティーノ師は、やっといつもの陽気な笑みを取り戻していた。
朝の光にまどろみから目覚めた。最初は疲れから少し熟睡したが、トマスと学生たちが山から帰ってきてからはやはり寝つかれるものではなかった。
皆、すでに起きている。いや、誰もがほとんど眠れずに一夜を明かしただろう。つくづく夏でよかったと思った。もし冬にこんなところに閉じ込められたら、寒さに凍えていたはずだ。
昨日の雨はすっかりあがり、朝日がさしている。
オルガンティーノ師は立ちあがって、狭い小屋にひしめき合う人々を見渡した。
「皆さん、おはようございます」
神学生も多くいるので日本語だ。
「今日はこのような非常事態ですから、ミサを捧げることはできません。その代わり、皆で祈ることはできます。祈りましょう。私たち安土の神学校の司祭と修道士、学生たちは今苦難に満ちでいます。この状況をすべて『天主様』にお捧げして祈ります」
そうしてオルガンティーノ師は天を仰いだ。学生たちも皆起き上がって座り、手を組んだ。
「慈しみ深い父よ。この我われの苦難をすべてみ手に委ねます。あなたは処女マリアを通して、御ひとり子、主イエズス・キリストをこの世にお遣わしになり、私たちをすべての罪から解放し、悪に打ち克つ力をお与えになりました。主キリストは私たち人類を救うために十字架の苦しみを受けました。そして主イエズス・キリストは使徒に仰せになりました。『人もし我を責めしならば、汝らをも責めん』と。今、この試練は主の十字架の苦しみに与る栄光と感謝します。そして主に倣い、私たちも今、この日の本の国の信者、異教徒含めすべての民のため、私たちのこの苦しみを捧げます。願わくはすべてみ意のまにまになりますように。私たちの主イエズス・キリストによって」
「アーメン」
一同が唱和すると、ここまでは日本語だったが続いて「天使祝詞」を数回と「主祷文」を神学生も全員ラテン語で唱和した。
そのあとで、オルガンティーノ師はまた人々の方を見た。
「今祈ったように我われは『天主様』を信頼します。あのガリラヤ湖の嵐の夜の船の上でも、イエズス様は決して臆することなく、恐れて騒いでいる使徒たちをお叱りになりました。それは、『天主様』への絶対的信頼があったからです。ただ、『天主様』を信頼しすべてをお任せしてみ意に委ねるということと、『天主様』がなんとかしてくださるとあてにする心は似ているようで正反対です。そこを間違えてはいけません」
学生たちは、少し首をかしげていた。
それを見たオルガンティーノ師は、少しほほ笑んで話を続けた。
「『天主様』を信頼してお任せするというのはキリシタンとしての基本です。でも、きっと『天主様』が何とかしてくださると、ただ何もしないで空から雨が降るをも待っている、空からマンナが降るのを待っているというのは怠けの心です。それは『天主様』がいちばんお嫌いになることです」
「つまり、棚からぼた餅はないってことですね」
パウロが声を挙げた。オルガンティーノ師はうなずいた。
「そう、日本ではそう言いますね」
それからオルガンティーノ師は口調を戻してまた全員を見た。
「そしてさらにイエズス様はこう言われました。『汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝らの父の子とならん為なり』と。ここは心を一つにして、それぞれ心の中で、今我われをこのような目に遭わせている賊のためにも祈り続けましょう」
それから全員で十字を切った。
「聖父と聖子と聖霊の御名によって」
オルガンティーノ師の祈りに続いて、再び皆で唱和した。
「アーメン」
そしてちょうどその時である。小屋のドアが蹴破られるかのように開かれた。
案の定、早速賊たちは我われのいる馬小屋へとやって来たのだ。先日同様、皆それぞれ手に武器を持っている。彼らがその気になれば、いつでも我われを皆殺しにできる状況だ。
「まずは金目のものは全部頂く。その前に、昨日船から降ろしとった荷物、全部調べい」
賊の手下たちが室内を隈なく探し始めた。真っ先に見たのは賊の盗品が積んでいる中だった。昨夜山中に隠さずここに隠したままだったら立ちどころに発見されていたところである。
彼らはいくら探してもあったはずの荷台の荷物がないことに苛立ち始めたようだ。オルガンティーノ師の鼻先に刀を突き付けた。
「昨日の荷物はどこへやった? 言わんかい!」
それでもオルガンティーノ師は落ち着いていた。
「知りません。そのような荷物はありませんでしたよ」
オルガンティーノ師がゆっくりと言うと、賊はオルガンティーノ師を放り出し、仲間に合図を送って我われは彼らに囲まれた。
「身ぐるみ剥げい。銀を隠し持っとるかもしれんさかいな」
たちまち賊たちは我われ一人一人につかみかかった。まずは司祭と修道士が標的だった。だが若い修道士二人はまだ血気盛んで、ニコラオ兄などはそのへんに落ちていた棒を拾って賊に応戦しようとした。
その時、オルガンティーノ師の声が響いた。
「Mitte gladium tuum in vaginam! Calicem, Quem didit mihi Pater, non bibam illum? (剣を鞘に納めよ! 父の我に賜いたる酒杯は、我飲まざらんや!)」
それはニコラオ兄に対して発せられた叫びだった。そしてそれがイタリア語でもポルトガル語でもなくラテン語であったことから、ニコラオ兄はその真意をすぐに悟った。
ニコラオ兄は棒を捨てた。たちまち一人が数人に押さえつけられ、衣服の上から体中を探られて何かを持っていないかどうか手荒に探られた。
両腕をねじこめられているので身動きが取れないだけ恐怖があった。だが、こういう時は無駄に抵抗しない方が上策であることは分かっている。
私が気になったのは自分たちのことよりも、学生たちのことであった。彼らはまだ半分子供である。おそらくは恐怖のどん底にいるに違いない。彼らを守らねばならない。
その思いは私だけでなく、どの司祭も修道士も同じだったと思う。その証拠に、オルガンティーノ師も賊に取り押さえられながら叫んだ。
「子供たちに手出しはしないでください」
それは賊たちに対する日本語での懇願だった。だが、はいそうですかと来る相手ではない。
「うるさい! 黙れ!」
そう怒鳴りながらも体を押さえつけた力を強め、何も持っていないと分かると思い切り地面に転がしけりを入れられた。その痛みは並大抵のものではなかったが、今は耐えるしかなかった。
そして何とか立ち上がって学生たちが固まって座っているとこまで行って、その前にたちはばかって学生たちを守ろうとした。
そう思って、学生たちを見たときである。
その光景に私は驚いた。いや、私だけでなく、すべての司祭や修道士が驚きの目を彼らに向けていた。
彼らは恐怖に縮みあがって座りこむどころか、きりっと立って壁を作り賊たちを睨みつけて、逆に賊に迫る勢いで気迫をにじませていた。
「やめろ! これ以上バテレン様方に手出しをするな!」
学生の中でもリーデル格のパウロが一歩前に出て、大声で怒鳴った。
「これ以上の狼藉は許さぬ」
「何をぬかす。次はお前らの番やで」
うすら笑いを浮かべて、賊たちは皆学生たちとにらみ合って立つ形となった。
「それならば、我われも何も持っていないということを、存分に調べるがよい」
学生たちは一斉に着物を脱いで、上半身裸になった。
日本の着物は内側から袖を抜くだけで簡単に上半身が裸になれる。そのまま着物の裾はパンタローニのような下半身につける袴というものの中に入ったままだから落ちない。あとで着る時も簡単に着られるのである。だから、日本の信徒が鞭打ちの苦行をするときなどは実に便利なのである。
そうして何も持っていないことを示そうとする学生たちは、まさしく武士であった。
考えてみれば彼らは皆身分のある殿や武士の子弟なのである。日本の武士はその主君にもらった御恩のため、命をかけて主君を守るという。
今、彼らは我われを主君と同じような感覚でいて、我われを守ろうとしてくれている。あの神学校で時にはやんちゃでにぎやかであり、授業中に私の似顔絵を描くなどお茶目なところもあって、それだけにまだ半分子供だと思っていたのだ。
ところが今の彼らは、全く別人のようであった。
彼らはすでに一人前の日本の武士である。賊などを憶してなどおらず、逆に我われを守ろうとしてくれている。
その気概に押されてか、賊たちも少したじろいでいた。そこで、頭目と思われるものが、一歩前へ出た。
「よーし、全員殺したる! 覚悟せい」
血の気が引いた。いくら『天主』にお任せ、すべてをゆだねたとはいってもさすがに恐怖を感じてしまう。男の部下が刀を抜こうとした。だが、頭目はそれを手で制した。
「まあ、待ちいや。この小屋を血だらけにしたらあとで掃除が大変やさかい、船で他の場所に連れて行って殺そう」
「おう」
賊は勝鬨のような声を挙げ、再び我われを取り押さえようとした。今度はここから引きずり出されれ船に乗せられる。どこに連れて行かれるかは分からないが、もういよいよだめかもしれない。
そう思ってふとオルガンティーノ師を見ると、先ほど祈りの時にあのような説教をしただけに、実に落ち着きほほ笑みさえ浮かべていた。
3
その時、大慌てという様子で外から駆けこんできた賊の仲間の男がいた。
そして頭目の近くまで行くとその耳に何か耳打ちしていた。頭目の顔がみるみる変わった。そして、オルガンティーノ師を睨んだ。
「おまえらどころの騒ぎではなくなったわい、これはあかん」
そう言って仲間たちを顎でしゃくって、一斉に小屋から出て行ってしまった。
我われはわけが分からずしばらくは茫然としていたが、まずは学生たちが、そして司祭と修道士たちも皆一気に気が抜けてその場に座り込んだ。
この時になってやっと学生たちは恐怖のあまりに泣き出していた。
オルガンティーノは、胸の十字架を持って高く掲げた。
「何があったのかは分からないけれど、間違いなく『天主様』のお力です」
そうして頭を下げて深く祈っていたので、誰もがそれに倣った。
シモンの実家のものがまたもや人数分の握り飯を届けてくれたのは、それから小一時間ほどたってからだった。
それといっしょにやって来たシモンは、慌ててオルガンティーノ師の前に来ると身をかがめた。もちろん私もフランチェスコ師もそこにいた。
「えらいことどすわ。ついに明智勢が今朝方安土に到着したとのことどす」
我われは顔を見合わせた。
「都から来る途中の橋は焼かれて、今はないはずです。湖の方から船で来たんでしょうか」
私が聞くと、シモンは首を横に振った。
「いえ、それならこの島から必ず見えるはずどす。この島は昔から、湖を行きかう船の監視所でもありましたさかい。軍勢を渡すいうたら大船団となるはずどす。そないな船、全く来とりまへんがな」
「だったら陸路ですかね」
オルガンティーノ師がゆっくりと言った。
「織田殿が亡くなったのが木曜日、今日は土曜日。明智殿はたった三日であの橋を修繕したということですか」
それはそれで驚きの事実である。だが、そうとしか考えられない。
「それでか」
フランチェスコ師はつぶやいた。先ほど、賊たちが慌てふためいてこの小屋から出ていったのは、明智勢が安土に来たという知らせを聞いたからであろう。
彼らは明智勢が安土の街と城を焼き払った後には、必ずこの島を攻めてくると思ったらしい。
「そうなると、ここも危ないのでは」
フランチェスコ師はそう言ったが、シモンはやけに明るい表情で首を横に振った。
「いえいえ、実はわしの甥が明智家に仕えよります。明智殿が安土におわしたんやったら、あの子も来とるはずどす。ほれに連絡取って何とかとりなしてもらいまひょ」
「そうですか」
オルガンティーノ師の顔がぱっと輝いた。だが、フランチェスコ師は浮かない顔をしていた。そしてポルトガル語で言った。
「明智にとりなしてもらうなんて、大丈夫なのですか? 彼は安土を焼こうとしているのでしょう?」
「いや、その意図は会ってみないと分からない。それに」
そこでオルガンティーノ師はイタリア語に切り替えた。
「我われ三人は以前明智殿に会っているではありませんか。キリストの教えをよくは思っていないあのご老人が、ああしてまで我われに頭を下げたのですよ」
私はなぜオルガンティーノ師がここでイタリア語に切り替えたのか、最初は分からなかった。
だが、すぐそばにポルトガル人のペレイラ兄もいて聞き耳を立てている。彼は、我われが以前明智殿に会ったという事実を知ると動揺するかもしれないと思ってのことではないかと推測した。
そこで私もイタリア語で付け加えた。
「それに、織田殿を討ったその真意も、聞いてみたいではありませんか」
私はここに来る途中の馬の上で、明智殿がなぜ織田殿を討たなければならなかったのか考えていたが結論が出なかった。単なる「下剋上」でもなく深い事情があったのか……そのことをもう他には聞くすべもない。
明智殿が安土を離れて坂本に赴く際に信長殿が明智殿にかけた言葉、「そなたはすべきことをせよ」……その言葉の意味も知りたかった。
「とにかくこないな暑苦しいところやのうて、我い家においでやす。小宅やけんど、ここよりはましでおます。もともとそのつもりでこの島へと申し上げたんどすさかい」
とにかく学生たちを落ち着かせたかった。今なら我われがごっそりこの小屋から出て行っても、賊たちは明智のことで頭がいっぱいでそれどころではないであろう。
持ってきてもらった握り飯をほおばると、我われは小屋を出ることにした。
一応警戒してあたりをうかがいながらこっそりと外へ出たが、やはり見張りがいる様子はなかった。先ほど散々乱暴されたあとだったので体中が痛いし、衣服も破かれたりしてぼろぼろだったが、何とか小屋を抜け出してシモンとともに歩いた。
来たときはとても景色を見ている余裕などなかったが、この島は本当に小さな島だ。大部分が丘となっており、港の付近だけに集落がある。あの賊たちの屋敷と思われる建物のほかは、ほんの十数軒の民家があるくらいの小さな集落だ。
少し離れると、丘のふもとの湖沿いに漁師の家が立ち並ぶ。シモンの家もそんな一軒だった。
たしかに狭くて、あの馬小屋と同様、我われ総勢三十余人が入るともうそれで手いっぱいだった。だが、あくまで小屋ではなく家なのでずっと快適だった。シモンの妻のアンナも快く我われを迎えてくれた。
目の前はすぐに対岸で、安土から来るときに旋回してきた岬の先端だった。ちょっとした山になっている。安土は湖の入江の奥なので船で数十分かっかったが、この対岸までは船で行ってもほんの数分で着きそうだ。しかも海ではなく湖なので押し寄せる波などというものはなく、湖水は鏡のように穏やかだった。
とりあえずは自由の身になったことで我われはくつろいでいたが、その間にシモンは自分の甥に手紙を書いていた。それを自分の息子に持たせて届けさせるというので、我われも学生の中から屈強そうなのを二人ばかり供に付けた。
シモンの息子のトマスは学生たちとほぼ同じ世代なので、学生たちの何人かとはすでにうちとけていた。
船はシモンの家の船だ。このあたりの家は漁師なので、当然すべての家が船を持っている。船というよりもそれはバルカと言った方がよく、手こぎで、しかも立ったまま櫓を漕ぐ。左右に一人ずつで漕ぐので、一人では行かれない。だから学生をつけたのは正解だった。
船はかなりの速さで湖上を滑っていった。目の前の対岸は湖岸まで山の斜面が落ちているのでそこを左に旋回して、その岬の陰に隠れていった。
私はそれを眺めながら、ふとある疑問を感じていた。明智殿がどうやってあの橋を三日で修繕したのか……あの橋はかなり長い橋で、つまりは川幅も広い。しかも流れはかなり急で、それなりの深さもあるようだった。どう考えても三日で橋は架けられまい。
だが、私はあの橋を最後に渡りはしたが、そのあと焼かれて落ちるところは見ていない。本当にあの橋全部が焼かれてしまったのか……あるいは人馬が渡れない程度に一部を焼いただけなのか……。
ここで私は、あの逢坂山を切り開いた織田殿のことを思い出していた。戦争の時と同様に人々を動かし、険しい山を切り開いた。
明智殿て一軍の将、かなりの数の兵力を動員できるはずである。ただ、架橋は山を切り崩す土木工事と違って、人海戦術で人が多ければ多いほどいいというわけではない。作業が細かいため、あまり必要以上の人々が押し寄せるとかえって足手まといになる。
必要以上の人数は割かず、しかもそれを動かす統率力も大したものだ。この国の戦争の時の兵士は、基本的に農民だと聞いた。彼らは根っからの武士と違って主君への忠義などその範疇にないだろう。
そういった寄せ集めを、いかに統率をもって動かし得るのか、我われにとってそれは謎でしかなかった。
やはりこの国の軍事力は世界に類を見ないと実感した。
二時間ほどたっただろうか、昼近くになって岬の向こうの入江から五艘ほどの船団が姿を見せた。船は大きな船で、武装した兵士たちがぎっしりと乗っていた。
彼らが立てていた旗は水色の桔梗の花、すなわちあの本能寺の屋敷襲撃の時に私が見た水色にカンパニュラの花のあの旗だから、兵士たちは明智軍の武士に違いない。
船はこの島のわずかな集落がある港の方へと向かっていた。
だが、そのうちの一艘がこちらへと向かってくる。
近づくにつれよく見ると、舳先にはシモンの息子と学生たちの姿があり、こちらにしきりに手を振っていた。
トマスが天使に見えたのは、これで二回目である。
やがて船は何とか船着き場に着いた。ここは本来がこのような大きな船を止める港ではなく、あくまで自家用の漁船の船着き場だから、接岸には苦労した。
4
船に乗っていたのはトマスと学生たちのほかに、留守番に残したヴィセンテ兄や同宿の若者が多数乗り込んでいた。
中でも異彩を放ったのが、鎧で武装した若者だった。鎧といっても大将のような仰々しいものではなくごく簡単な、あまり身分は高くはないことを思わせるものだった。
「甥の勘助どす。明智様の小姓をしよります」
シモンが我われに鎧の若者を紹介した。彼はほんの少し笑みを漏らして会釈をしてきた。まだ異教徒であるらしい。トマスとは従兄弟ということになるが、トマスよりも少し年長のようだった。
しかし、漁師の甥にしては、立派な武士の姿だ。そして小姓といえば、かつてヤスフェが織田殿のそれであったように、身分は高くはないが主君のいちばん近いところで仕えている人だ。
オルガンティーノ師は部屋に充満していた学生たちをとりあえず庭に出して、部屋で勘助と対座した。相手が信徒ならばたいていオルガンティーノ師の方を部屋の奥、すなわち上座に据えるが、そうでない場合は自分が上座につく。
しかし、信徒である自分の叔父に遠慮してか、勘助はオルガンティーノ師の方に上座を勧めた。我われ司祭団と修道士も、当然同席していた。
「ときに勘助、明智様への取り次ぎはどうなったかい?」
「はい」
勘助はまず、叔父の方を見た。あまり笑わない男だ。
「一応叔父上のご意向はお伝えしました。しかし何分明智様は多忙を極めております。今日やっと瀬田の橋も通れるようになって、安土に入ることができました」
「バテレン様方の件は?」
「それですが」
勘助は我われの方をちらりと見ると、言いにくそうにしていた。
「勘助殿」
オルガンティーノ師が話に入った。
「私たちはこれまで、織田殿の庇護を頂いて宣教活動をしてきました。ところがその織田様は亡くなった。庇護もなくなって我われはすごく困っています。ところが今は明智殿が織田殿に替わられたと聞いております。引き続きこれまで通り明智殿の庇護が頂ければ幸いです。そうすればまた、安土に戻れます」
自分たちを庇護してくれた織田殿を討った明智など、我われイエズス会にとっては困っているどころか怒りを感じてもいいくらいのことをしでかしてくれた人物だ。
しかしシモンの甥ではあってもあくまで明智側の人間が相手なので、オルガンティーノ師も言葉を選んでいるようだった。
その時、フランチェスコ師がイタリア語で口を挟んだ。
「それは無理だと思いますがね」
どうもフランチェスコ師はオルガンティーノ師の言葉を額面通りに受け取っているようだ。そこで私も便乗して口を開いた。
「いや、私は庇護がどうのこうの以前に、まずは直接明智殿にお会いして、今度の事件の明智殿の真意を聞きたいと思っています。きっと何か委細があるはず、それを伺ってから我われの挙動を決めるべきではないでしょうか」
オルガンティーノ師は穏やかに、我われの発言を手で押さえた。勘助は自分が分からない言葉での我われの会話の間も表情を変えず、身じろぎもせずにいた。そして我われの話が途切れたのを察して、我われに向かって話し始めた。
「先ほどのお話ですが、状況は厳しうございます。言いにくいのですが率直に申し上げます。はっきり言ってあなた方の話題を出したときに、明智様はあからさまにお顔を曇らせなさいました。そして言われました。明智様のお言葉をそのままお伝えします。『バテレン様方はあれだけ頼んだのに、頭を下げてまで頼んだのに、上様のお気持ちを動かそうとはしてくれなんだ。もしバテレン様方が自分の頼みを聞いていてくれたら、上様を討つ必要もなかった。そもそもが上様をけしかけたのがバテレン様方ではないか。こうなると、上様を死に至らしめたのはバテレン様だと申しても過言ではない』と、このように言われておりました」
「ちょ、ちょっとそれは……」
目を吊り上げて身を乗り出したのは、フランチェスコ師だった。またもやオルガンティーノ師が穏やかにそれを手で制した。そして少し微笑んでイタリア語で言った。
「まあ、言わせておきましょう」
勘助は例の明に対してコンキスタドールになるという織田殿の野望のことを言っているのだろう。
たしかに、それを思いとどまるように説得してほしいと、明智殿は我われに頭を下げて頼んでいた。だからといって、我われにどうこうできる問題でもなかったのだ。
それを、我われのせいで信長殿が死に至ったなどといわれるのは心外で、フランチェスコ師が目をむくのも無理のないことだった。
だが、それでもオルガンティーノ師は冷静だった。
こうなると庇護どころか、これまで通り我われが安土に住んで、神学校を安土で運営することは難しいかもしれない。教会の建設などは、もう夢だろう。
「ところで今、安土の町はどないなっとるのかい?」
シモンが口を挟んだ。
「我われが来るまでは掠奪横行がはびこって無法状態でしたけれど、今は落ち着いています。ただ、本来の安土の町衆はほとんどが国元へ逃げ帰ったようです」
たしかに安土は新しい町だから、その町の住民たちは皆よその土地から安土に移住してきた人々の寄せ集めだ。ことがあれば本来いた実家に帰ってしまうだろう。
明智軍が来れば町も城も焼き払われると彼らは信じていたので、大騒ぎの末に一斉に逃げだした。
だが、実際に明智軍は、そのようなことはしなかったようだ。考えてみれば、あの本能寺の屋敷を焼き払った明智殿だが、その周りの民家に火をつけた掠奪したりなどは一切しなかったことを思い出した。
オルガンティーノ師は、今度は安土から来たばかりのヴィセンテ兄を見た。
「ヴィセンテ兄、安土の街の様子は本当にそうですか?」
勘助のいる手前あまり堂々と聞きたくはなかった。だからイタリア語かポルトガル語で聞けばよかったが、ヴィセンテ兄は日本人だ。ポルトガル語はあまりわからない。
「はい。あまり町に人はいなくなりましたけれど、落ち着いています。お城もそのままで、そのお城に今は明智様が入ったようです」
つまりあの天主閣の信長殿が座っていたあの座に今は明智殿が座っているのだろうか。そんなことを想像しているうちに、ヴィセンテ兄は付け加えた。
「神学校も無事です」
これには安堵だった。
そこで私は、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「織田殿のご長男の城介勘九郎殿は」
「亡くなったそうです。壮絶な最期だったと聞いております」
よく聞くと、明智軍の者がヤスフェを捕らえ、そして解放したあの直後だったようだ。そうなると、織田殿はその後継者さえも失ったことになる。
「ときにバテレン様方」
勘助がきりりと言った。
「皆様方は安土に戻られるのではなく、坂本へ行かれたらいかがでしょう?」
我われは互いに顔を見合わせた。フランチェスコ師が興奮気味に、またイタリア語に切り替えた。
「ちょっと待って。坂本といえば、明智殿の城がある本拠地でしょう? いわば織田殿を倒した張本人である明智殿は我われの敵ではないですか。そんな敵の本拠地に行くのですか?」
「『ライオンも哀願するものは殺さない』ってことわざもあるでしょ」
オルガンティーノ師がにっこりとほほ笑んだ。
「もしかして今はその坂本こそが、一番安全な場所かもしれませんよ」
我われの会話が分かってはいないはずのヴィセンテ兄も言った。
「日本のことわざでも『窮鳥懐に入らば猟師もこれを殺さず』といいますから、坂本はかえっていいかもしれませんね」
だが、シモンは首をかしげた。
「けんど、どうやって坂本へ行けばええやろか?」
「私の船でお送り申します」
勘助は言った。たしかに勘助が乗って来たあの船なら巨大なので、我われ三十人弱も余裕で乗れるだろう。
「しかしあなたは、明智殿のもとへ帰らなければならないのでしょう?」
オルガンティーノ師が聞くと、勘助は初めて微笑みらしい表情を見せた。
「実は私がここに来たのは明智様から、明智様のお文を坂本のご子息様にお届けする任があり、その途中に明智様のお許しを得てここに立ち寄らせてもらったのです。ですから、私はどのみち坂本へ行かねばならないのです」
「おお、それはありがたい。『天主』に感謝!」
オルガンティーノ師は素直に喜んでいるが、私ははっと気付いたことがあった。
かつてヤスフェが本能寺の事件の時に敵に捕らえられ殺されかけそうになった時、明智殿はヤスフェのことを動物だから殺さなくてよいと言って釈放したということだった。
表面からとらえるとヤスフェを動物扱いしているのだから人種差別甚だしくひどい話だが、それはヤスフェを逃がすための口実だったのかもしれない。
もしかしたら今回も勘助を坂本へやるのも、手紙を届けさせるというのも口実である可能性もある。
明智殿とは表面上は冷酷で情け容赦ない人のようであるが、内実は優しいところがあって、それを表に出さないだけなのかもしれないと私はこの時考えていた。
ただ、それが合っているのかどうかも分からないし、憶測にすぎないので口には出さず私の心の中だけにしまっておいた。
こうして我われがこれから坂本へ行くということが決まったその時、港の方が一段と騒がしくなった。その騒ぎが尋常でないので、オルガンティーノ師は同宿の少年の一人を見に走らせた。
しかし、見に行かせるまでもなく、騒ぎのもとが何であるのかは容易に察しはついている。今頃明智軍の兵士たちとこの島の湖賊とのあいだで戦闘が起こっているに違いない。果たして、
「港は戦になっとります」
走って戻って来た同宿の少年は、肩で息をしながら報告した。
「今のうちです。あの荷台を取りに行きましょう」
オルガンティーノ師の指示で、昨夜我われの荷台を山中に隠しに行ったトマスと学生数人は急いで山へと登っていった。しばらくして、荷台ごと我われの荷物、すなわち聖堂内の装飾品や銀器、香炉、聖杯、じゅうたんなどのがそのまま手つかずに我われのもとへ戻って来た。
「『天主様』がお返しくださった」
オルガンティーノ師が目を閉じてほんの短い時間祈っていたので、我われもそれに倣った。
「戦が終わらぬうちに早く、船に」
シモンに言われて、まずは学生たちを勘助の船に乗せ、すぐに我われも続いた。その際まで、シモンは妻のアンナや息子のトマスとともに見送りに来てくれた。
「シモン。あなたが洗礼を受けたときに、なぜシモンという名を与えたか覚えていますか?」
オルガンティーノ師は船に乗ってすぐに、岸に立っているシモンの方を振り返っていった。
「はい」
シモンは即答だった。
「イエズス様の弟子のペトロはもともと漁師で、その時の名前がシモンやったからですほん」
「そうです。その時、イエズス様は漁師であったヨナの子のシモンに言われました。『汝今より後、人を漁らん』と。あなたもそれに倣って人を漁る漁師、つまり多くの人を福音宣教の網ですくって天国へ導く人となってください」
オルガンティーノ師はそれだけ言い残して、船の中へと入っていった。




