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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 6 Incidente di Honnoji(本能寺の変)
50/96

Episodio 5 Dentice marcio(腐った魚)

                  1


 翌日の日曜日は聖霊降臨ペンテコステの祝日であった。

 前の日の晩から小雨が降り始めていたが朝になったらやんでおり、昼間は晴れた。

 聖霊降臨ペンテコステナターレ(クリスマス)復活祭パスクアと並ぶ三大祭日で、狭いながらも神学校セミナリヨの礼拝堂で厳かにミサは行われた。


 例によってこの日もヤスフェが来ていたので、早速オルガンティーノ師はミサのあとで司祭館にヤスフェを招いた。昨日の城に登った時にはヤスフェには会えなかったので、いろいろと聞きたいことがオルガンティーノ師にはあったようだ。もちろん、私やフランチェスコ師も同席していた。


「上様は、都のミカドから関白カンパク太政大臣ダイジョウダイジン征夷大将軍セイイ・タイショーグンか、このうちの一つを選んで受けるよう申し渡されたそうです」


「それはどういうことかね。よく分からないけれど」


 私が率先して尋ねた。


「どれも帝に次ぐこの国のトーポ((トップ))だそうです。私の詳しいことは分かりませんが、特に最後はいわゆる公方クボー様です。武士サムライとしては最高の身分となります。まあ帝やその取り巻きにどのような思惑あってのことか分かりませんが、上様はまだ悩んで回答はしていないようです。なにしろ織田の家を勘九郎様にお譲りになって隠居されてから、上様は何ら肩書がありませんでしたからね」


 やはりまだよく分からないが、とにかくミカドに次ぐ最高位を帝は織田殿に与えようということらしい。織田殿はそれを受けるかどうかという返事はまだ保留しているとのことだ。


「それと次の戦争ですが」


 甲斐での戦争が終わって間もないし、毛利との戦争はまだ継続中なのに、今度は他にどこなのかと思っていたが、ヤスフェは言った。


四国シコク


 それを聞いた瞬間に、私は思い出した。

 明智殿は織田殿が四国の長宗我部殿を討つ予定で、自分が何とかこれまでも仲裁に入ってきただけにその戦争を回避させようと彼は必死であると語っていた。

 だがどうもうまくいきそうになく、彼にとっては盟友である長宗我部殿が滅ぼされるかもしれないと明智殿は頭を抱えていたのだ。

 今も最後通牒(つうちょう)ともいえる使者を土佐に送ったばかりのはずである。

 まさかその返事がもう来たというわけではあるまい。それなのに、明智殿にとって最悪のシナリオがこれから展開されようとしている。


「戦争の総大将は信長殿の三男で、我われとも親しいあの三七殿です」


「あ、それでか」


 思わず私は声を挙げていた。戦争の総大将として出陣するため、三七殿は自分の領地からあのおびただしい数の軍隊を連れて来たのだ。これで納得がいった。

 しかし、私の関心はそこではなかった。


「明智殿はどうされている?」


「ああ。その明智殿でしたら二、三日後に三河ミカワ駿河スルガの領主の徳川トクガワ殿が安土に来られるので、その接待役を仰せつかっててんてこ舞いしています」


「徳川殿が来られるのか」


 ここでフランチェスコ師が口を挟んだ。


「なぜわざわざ?」


「上様が呼んだのだそうです。それ以上の詳しいことはちょっと。あ、そうそう、これも三日くらい前だったかな、明智殿と上様との間でちょっともめごとがありまして」


「もめごと?」


 そう聞いたのは三人同時だった。


「実は、完全人払いで上様と明智殿は天守閣内の小さな部屋で密談していたのです。でも私ともう一人の小姓の森乱丸モリランマルはすぐ隣の部屋に常に控えていますから、話は筒抜けでした。実は……」


 ヤスフェは声を落とした。我われしかいないし、しかもポルトガル語なので万が一町の人の誰かにこの話が聞かれてしまったとしても分かるはずはないのに、それだけよほど秘密の話なのだろう。


「今度の徳川殿の安土訪問で、上様はとてつもない恐ろしいことをたくらんでおいでです。その片棒を担いでいるのがどうも明智殿のようで」


「恐ろしいこと…」


 誰もが気になって、三人とも思わず身を乗り出していた。


「徳川殿に給する食事に……毒を……。接待役は明智殿です」


 ただでさえ心傷しているところに接待役だけでも十分に大役なのに、さらにそれ以上のこの大役では明智殿はたまったものではないだろう。


「ところがです。私がふと他のことを考えてボーっとしていた時に、上様は突然立ち上がられて、明智殿を足蹴にされたのです。あの、いつもは下にも置かずに丁重に接している明智殿をですよ」


 もしかして明智殿は、四国での戦争を最後まで阻止しようと信長殿に直接談判したのか、それとも例のコンキスタドールのことか、ヤスフェの証言が得られない以上、憶測するしかない。

 だが、明智殿が信長殿に蹴られたのは、ヤスフェが間違いなく目撃している。


「上様は皆さんバテレン様方へはとてもにこにこして穏やかに接していますが、それは例外中の例外です。他の家来に接するときはいつも怖い顔で、厳しい態度で接しているのです。激昂して暴力をふるわれることもしばしばと聞きます」


 その話は、前に織田家のある武士サムライからも聞いた。ニコニコ笑って我われと接する織田殿を見て、我われがいったいどんな魔法をかけたのかとその武士サムライは聞いてきたもののだった。


「明智殿とて皆さん方と同様な例外だったのです。上様は明智殿に対しては常にヘスペイト((リスペクト))を払い、丁重で、ときには笑顔で接していました。だから、今回の上様の明智殿への措置は我われにとっても衝撃でしたけれど、明智殿の方がもっと驚いているのではないでしょうか」


 たしかにそうだろうと思う。


「今から明智殿に会えないだろうか」


 私はふと思いつきでそう言った。


「会ってどうするのかね」


 すぐにオルガンティーノ師が釘を刺してきた。たしかに、会ったから何を言おうかとかどうしようかとか、私は全く考えていなかった。


「それは無理です」


 ヤスフェもまた別の方向から釘を刺してきた。


「明智殿は今、徳川殿の接待役として徳川殿を出迎えに行っています。今頃はここから北へ七(レグア)ほど行ったところにある番場バンバという宿場町で徳川殿の来着を待っているでしょう」


 それならばたしかに無理だ。そう思った瞬間、私の心の中で何かもやっとするものが発生するのを感じた。その正体は、私にも分からなかった。

 どうも明智殿は織田殿から徳川殿に関して何か重大な、恐ろしい任務をもらっているようだ。

 だがその直後に、彼のオルゴーリオ((プライド))がズタズタにされるような出来事が起こっている。

 その明智殿は徳川殿が安土に入る前に織田殿よりも先に徳川殿に会うことになるのだ。

 できればこれからの日々が無事平穏でありますようにと、私は心の中で瞬時の祈りを捧げた。自分が平穏でというよりも、とにかく神学校セミナリヨの学生たちを護りたかったのだ。



                  2


 ところがその徳川殿の安土到着よりも前、翌月曜日には曇った空の下、またもやおびただしい軍勢とともに織田殿の長男城介勘九郎殿が領地の岐阜から安土へと到着し、例によって町中が大騒ぎとなった。

 皆、その軍勢の雄姿を見たいのである。野次馬といってしまえばそれまでだが、特にこれといった娯楽も少ない庶民にとってはそういった軍隊見物もまた毎日の日常に変化をもたらすものであった。


 勘九郎殿はこの北側の番場で徳川殿と合流したのだが、彼は一足先に安土に戻って来たらしい。

 そしてヤスフェの言葉通り、さらにその翌日の火曜日には徳川三河守(ミカワノカミ)殿が安土に到着した。

 その日は雨だった。

 三河と駿河という二つの領地を領有する殿だからさぞかし大軍勢を連れての安土入りを予想していた我われは、また町中が人であふれかえることを覚悟していた。

 いい意味で言えば町に活気が出るかもしれない。しかしなにぶん田舎の軍勢がこの町に逗留するのだ。兵の大部分は普段は農民であると聞く。そういった人々がこの安土の文化の中で、短い期間とはいえ共存して生活できるのかなとも思っていた。


 徳川三河守殿やその家来たちはしかるべき宿所に泊まるであろう。実際、修道士が聞いてきた噂だと、三河守殿の宿所は安土城下の規模の大きい大宝坊ダイホーボーというテラに決まっていて、そこで迎え入れる準備が進められているとのことだった。

 三河守殿の到着は夕方ということで、その頃になるとその軍勢を一目見ようと町の多くの人々が雨の中でミノと呼ばれる乾燥した草で造った雨具を着て、カサという雨よけのかぶり物をかぶって見物に押し寄せた。私も好奇心から、修道士一人を連れてその群集の中に混ざっていた。


 人々がざわめいた。どうやら到着したようだ。

 だが、軍勢などどこにもいなかった。

 現れたのはおよそ三十人ばかりの蓑を着て馬に乗った武士と、中央の輿こし、ほかには荷物を乗せた馬ばかりであった。

 その輿に徳川三河守殿は乗っているのであろう。それがすべてだった。

 軍勢どころか兵の姿などどこにもない。だからあっという間にその一団は大宝坊の門内へと消え、見物に訪れた人々の目的も瞬時にあっけなく終わってしまった。

 人々は愚痴を言いながらも雨の中を三々五々と散っていった。


 それから数日、雨は降り続いた。おそらく城では織田殿と徳川殿との会見が行われたりしているのであろう。我われは勘九郎殿にも三七殿にもまだ全く挨拶をしていないが、両者とも織田殿の子息だけにおそらくずっと城に詰めていると思われる。

 だがその様子は知るすべもなく、我われは我われで神学校セミナリヨの学生たちとともに、これまでと変わらぬ日常生活を続けていた。


 そしてようやく雨がやんだのは土曜日になってからで、例によって午後は授業がないちょうどその時に、また城の信長殿から登城の招待を受けた。

 昨日までの雨はやんではいたが、それでも空はどんよりと曇っていた。

 思えばあの織田殿の生誕の日からちょうど一週間。なんだか毎週週末になると城に上がっているような気がする。


 例によって司祭三人で城に登ると天主閣ではなく、摠見寺ソーケンジの方へと案内された。しかも織田殿に命じられてであろうが案内してくれたのはヤスフェだった。


「今日は徳川殿の歓迎のマイが上演されて、多くの御家来衆も観覧することになっています。そこでこういう機会はめったにないのでぜひその席にバテレン様方もという上様のご配慮で、この国独自の伝統的な踊りを見ていただきたいとのことですよ」


 ヤスフェは笑いながらそう説明してくれた。

 本堂の前庭のような広場の中央に舞台が設けられ、屋根のある見物席に織田殿や徳川殿およびその家来などの最重要人物が見物する席が設けられている。

 舞台の周りの空間に信長殿の家来ケライ武士サムライたちがひしめきあい皆立ったままの見物だった。

 我われもその中にいた。


 やがて織田殿が屋敷の方に姿を現したが、その隣に織田殿と並んで現れた殿が徳川殿らしい。少し小柄だが肉付きのいい体格だ。年齢は四十代と思われる。

 また他にも何人かの殿が、徳川殿に付き添う形で控えていた。彼らが席に着くと、いよいよ音楽が鳴り始め、男たちによる踊りが始まった。

 衣装はかなり袖が長い着物キモノで、舞う人は三人ほどだった。ただ単に踊っているだけではなく、長々と独特な節で歌を歌いながら踊るのである。


 踊るといっても激しい動作の踊りではなく、ゆっくりと手を振ったり体を静かに回転させるバッロ・レント((スローダンス))だ。

 いや、それよりもはるかにゆっくりである。

 しかも男女ではなく、男が単身で舞う。伴奏は簡単な打楽器が一つなので、ほとんどアカペラに近かった。

 舞手が自ら歌いながら踊るなどというダンスは、生まれて初めて見た。その衝撃は大きかったし、隣にいたフランチェスコ師も口をポカンと開けて見ており、その驚きの表情は隠せずにいた。

 ただ、オルガンティーノ師だけはさすがにもう何回か見たことがあるようで、純粋に芸術の世界に浸っているようだった。


 それが一通り終わると、次にさまざまな衣装の人々が舞い始めた。楽団にはこれまでの打楽器に、笛が加わった。踊るのは二人、それが二人とも仮面をつけている。奇妙なダンスだ。

 音楽は決して激しくはなく、穏やかでゆっくりとしたしたメロディアで、やはり歌を歌いながら舞っているが、二人の舞い手が時折問答している場面もある。

 ただ単に音楽に合わせて踊るというのではなく、これは一種の筋書きのある劇のようであった。

 しかも、その問答、すなわち舞手同士が互いに会話をするそのセリフもただの話し言葉ではなく歌なのだ。


 セリフが歌である劇などというのはこれまでに見たこともないので、実に新鮮だった。決して華やかではない。むしろセンプリチェ((シンプル))な美しさだ。

 こういった舞が延々と続いたが、いくら見ても飽きなかった。


 途中、舞が一時中断した。織田殿がどうも舞手を気に入らなかったようで、その一人が追い返されていた。あまりにも下手なのでその場で立ち上がった織田殿に怒鳴りつけられていた。

 こうして舞のプログランマが進むうち、私はどうもあることが気になっていた。

 明智殿の姿が見えないのだ。

 明智殿は徳川殿の接待役なのだから、本来は徳川殿のそばに控えていなければならないはずである。それがいない。顔はよく覚えていなかったとしてもあれほどの老人だから、もしいたら探すに苦労しないはずだ。


 私はそのことがずっと引っかかっていたが、なぜそのようなことが気になるのか私にも分からなかった。所詮は我われが関与すべきではないこの国の内政のことなのに、である。


 それに、もう一つ気になったことがあった。

 先日、ヤスフェがミサの後に司祭館の方で我われに語った内容だ。


 ――徳川殿の食事に毒を……


 だが、徳川殿は平然と生きていた。



                  3


 翌日の日曜は三位一体の主日だった。

 日本人に宣教するに当たって理解させるのがなかなか難しいのが、この三位一体の理念である。

 実際、この理念は人知では計り知れない神秘がある。その神秘を多くの神々(カミス)を奉じる多神教の中で育った日本の人たちに理解させるのは至難の業だ。いや、我われとて本当に理解しているかどうか……。


「願わくはイエズス・キリストの恩恵めぐみ、『天主デウス』の御大切、聖霊の交感まじわりが、汝らすべてのものとともにあらんことを」と、ミサでは祈る。ここで「すべてのもの」とあるが、福音書エヴァンジェリウムは手厳しい。

 イエズス様は言われた。「彼を信ずる者は裁かれず。信ぜぬものは裁かれたり。『天主デウス』の独子ひとりごの名を信ぜざりしが故なり」――。

 この国はまだまだ「信ぜぬ者」が多い。それだけに我われ司祭の使命も重い、そんなことを私はミサの中で考えていた。


 そのミサにもヤスフェは来ていた。そこでミサが終わってから私は、明智殿が見当たらなかったことをヤスフェに聞いてみた。

 今やヤスフェは信長殿の側近中の側近であり、ほかの家来たちが知らないようなこともヤスフェは知っていたりする。


「ああ、明智殿なら徳川殿接待役を解かれて、自分の城の坂本サカモトに帰りました。三日ほど前でしたかね」


 ヤスフェはさらりと言う。こうして客人が安土に滞在している以上、その接待役ともなれば最重要な役回りであるはずだ。それが、徳川殿はまだ滞在中に接待役の任を解かれるとはどういうことだろうか。


「なぜ、彼は接待役の任を解かれたのだ?」


「表向きは明智殿は徳川殿に腐った鯛を出したので信長殿が激怒して坂本に帰らせたとか、あるいは播磨の羽柴筑前殿が毛利相手の戦争で苦戦しており、甲斐の時のように上様直々の出陣を願ってきたので、まず先鋒隊として明智殿は播磨に遣わされたのだとか、いろいろな人がいろいろなことを言っています」


「坂本とは遠いのかね?」


「この大きな湖の対岸です。彼はそこに結構立派な城を築いているという噂です」


「ところで今、表向きと言ったけれど、裏があるのかな?」


「はい。私は立場上信長殿のいちばんそばにいるので、いろいろなことが耳に入ってきますからね」


 黒い顔の中に白い歯を浮かび上がらせてヤスフェは笑った。


「腐った鯛を出したことで明智殿は上様にひどく叱られたということですけれど、私はその場に居合わせましたので状況をつぶさに見ております。まず、本当に明智殿は腐った鯛を出したと思いますか?」


「いや、腐っていたら出す前に気づくでしょう。魚が腐った時の悪臭はすごい」


「そうです。その鯛が腐っているということは、食べる直前に徳川殿が言いだしたのです。しかも、全く箸もつけないうちに見ただけでそう言ったと」


 なんだか話が急に謎めいてきた。この日は私とヤスフェだけの対談だったので、気がねなく尋ねられた。


「確かに変だな。でも、明智殿は信長殿に叱られていたのでしょ?」


「叱られたといっても軽くたしなめる程度で、信長殿が明智殿を持ち上げていることは変わりはありませんでしたよ。どうもたしなめられたのも腐った鯛を出したからということではなさそうです。『ことこうなっては、次の手だな』とか言っていましたからね」


 なにしろ現場に居合わせた者の証言だから、いちばん正確だろう。だが、その信長殿の言葉の意味するところなどは今ひとつよく分からない。


「信長殿は明智殿を坂本に帰すと決まった時に、明智殿にこう言っていましたよ。『明智殿は自分の城に戻って、貴殿のなすべきことをなされよ』と。だから何か裏があると私は読んでいます」


 いくらヤスフェでも入る情報はこれが限界か……そんなことを考えているうちに、私はふと信長殿の言葉、「貴殿のなすべきことをなされよ」……それがどこかで聞いたことがあるセリフだと気がついた。

 だが、かつて信長殿が自分の生まれ日をナターレになぞらえたときは、そのあまりにも畏れ多い思考に私は愕然としたほどだった。だから今度も、この言葉をあのみ言葉と結びつけて考えるのは抵抗があったから、あえて聞き流すことにした。

 それよりも気になるのは、「貴殿のなすべきこと」とは何なのかということの方だ。


「ヤスフェ。君は前に信長殿が明智殿と安土城内で密談していたと言ったね。その時の話の内容と関係があるのではないかね?」


「はあ。でも前にも言いましたように、あの時は肝腎なところを聞き逃したのですよ。あ、でも、徳川殿に給する食に……毒……たしかに信長殿は明智殿にそう言っていた。これも前に申し上げましたとおりですが……」


 点と点と点は見えてきたが、どうもそれが線につながらない。

 しかしやはり明智殿が坂本に帰されたのは、単に毛利との戦争の援軍とかいう意味ではなさそうな気がして仕方なかった。

 そして、もしかしたら明智殿が番場へ徳川殿を出迎えに行ったとき、番場において二人で何か特別な話でもしたのだろうか。

 その話の内容も気になる。気にはなるが、それを知ることは今の私には全く不可能であった。

 それに加えて、さらにこのことは所詮この国の内政のこと、これ以上私が考えても仕方がないことだ。

 ただ、どうも嫌な予感がする。

 まさか信長殿は徳川殿を毒殺……その実行役を命じられたのが明智殿……? でもそれは失敗した? いや、果たして本当に「失敗」だったのだろうか……?

 しかし徳川殿が平然と生きていたのも事実である。


 それ以上は考えても仕方がないことだ。そのようなことを考えているのはこの神学校セミナリヨにいる司祭・修道士たちの中でも私だけだろうかと思うし、だからあえて他の人たちに聞く勇気は私にはなかった。



                  4


 三位一体の主日が終われば、その次の木曜日が聖体の祝日(コルプス・クリスティ)となる。

 去年は高槻で大々的な行列を行い、多くの信徒クリスティアーニが参列して夢のようなひと時を過ごしたことはまだ記憶に新しいが、それでももうあれから一年がたつのである。

 今年は果たしてどうするのか、オルガンティーノ師の考えを聞いてみなければと私は思っていた。だが聞くまでもなくそ日曜の夜、オルガンティーノ師の方から話があるということで司祭、修道士は集められた。


「これまで毎年、聖体の祝日(コルプス・クリスティ)は学生たちを連れて高槻まで行き、そこで祝っていました。聖体の祝日(コルプス・クリスティ)には聖体行列が欠かせませんが、この安土の神学校セミナリヨの礼拝堂ではいかにも狭すぎるし、ふさわしくありません。しかし、今は高槻に行くとなるといろいろと問題があります」


 オルガンティーノ師の言おうとしていることは、だいたい察しがついた。

 いよいよ織田殿が軍事力による国内平定、すなわち「天下布武テンカフブ」の総仕上げの戦争をしようとしている。その状況を鑑みてのことだろうとそう思っていたら、果たしてオルガンティーノは話を続けた。


「ご存じのように、織田殿は四国の長宗我部殿との戦争に三七殿を派遣することになっています。ほかに、毛利との戦争にもたくさんの援軍を出す模様です。高槻のドン・ジュストにも織田様より戦争に行くようすでに命令が下っているとも聞きます。もし、土地を領有する殿であるドン・ジュストがもし戦争に行っていて留守ならば、その城の中にある教会で盛大な祝い事は慎んだ方がいいと思うのですよ」


「やはり、都でしょう」


 フランチェスコ師が口を挟んだ。


復活祭パスクアも都でやったのですから、この安土に教会ができるまではしばらくは都の教会で行うのがいいとも私も思いますよ」


「ただ、高槻は市民の大部分が信徒クリスタンなのであのような盛大な行進ができましたけれど、都は信徒クリスタンが少ないし、一般の庶民の方々にとっては馴染みのない行事となるでしょうね」


 私も思うところを述べた。やはり私としては、あの高槻の盛大な行列が忘れられなかった。


「しかし、それだけに行列自体が福音宣教になるのではないですか」


 フランチェスコ師が言うとおりだった。オルガンティーノ師も笑みながら、うなずいた。


「今年は、都の教会にします」


 ということで、前日の水曜日は都に行くことに決まった。その日のうちに都に入ることになる。


 そして月曜日を迎え、また神学校セミナリヨでの学生たちと過ごす毎日が始まった。

 その日、徳川殿はいよいよ安土をあとにして都へと向かった。

 安土に来た時はごく少人数で見物に行った人たちは拍子抜けしたが、今度はかなりの数の軍隊を連れていたので、またもや安土中の人々は大騒ぎで見物に行った。

 だがそれは、徳川殿の軍隊ではなかった。徳川殿とともに織田殿の長男の城介勘九郎殿もともに都へと行ったのである。

 だからそれらは勘九郎殿の軍隊だったのだ。

 だが、なぜ勘九郎殿も都に行くのか今一つ分からなかったし、またなぜここしばらくことごとく徳川殿と行動を共にしているのも不思議だった。

 とにかく私は、何か事情があるのだろうと深く考えないことにした。これから徳川殿は織田殿の勧めで都、奈良、堺などを見物してくることになっているという。


 そして我われは徳川殿が去った翌日の火曜日、つまり我われが都へ向かう前の日に城に上がって織田殿と対面した。

 やはり、我われが安土の地を離れるときは織田殿に挨拶を申し上げ、その道中の許可を得るべきだと考えたからだ。

 我われが天主閣の最上階の部屋で待っていると、やがていつものように上機嫌で織田殿は現れた。そしていつものように和やかな会話が織田殿とオルガンティーノ師との間で交わされていた。


 ところがいつもと違って、我われが「都」という言葉を言った瞬間に、織田殿の顔つきが変わった。顔を曇らせている。しばらく沈黙もあった。


「どうしても今、都に行かねばならぬか」


 その沈黙の後で、織田殿は言った。


「たとえば十日後とかではいかがか」


「我われはキリシタンの間で行われる行事のために都に行くのです。これは日付が決まっている行事なので日延べはあり得ません」


「であるか」


 織田殿は、また少し考えていた。


「分かった。実は、これはあまり大げさに言いふらさないでもらいたいのだが、予も近々都へ参るつもりなのだ。だが、バテレン殿たちは予が参る前になるべく安土に戻って来られよ。あるいはそれが無理なら、予が都に参った時も予の在所を訪ねるのは無用ということにしてほしい」


 ここからはいつもの織田殿ではないような気がした。いったいこの織田殿の言葉の背後には何があるのか、我われには見当もつかなかった。

 ただ、織田殿は何かをたくらんでいる、そして何かを隠している、そんなことが薄々と感じられる彼の様子であった。

 しかし、織田殿がこうしろといったらこうするしかない。

 そして信長殿はまたいつもの様子に戻って言った。


「バテレン殿方も予も双方が都より戻ったら、いよいよ南蛮寺の建設に入ろう」


 織田殿は力強く言ってくれたので、それだけが明るい話題となった。

 我われはまた一通りのあいさつをして、城を退出した。

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