Episodio 5 Monaci dal Giappone(日本からの修道士たち)
1
私がマカオに来てから四カ月くらいが経過した。
これまではずっと一年中暑い地域にいたが、ここでは去年のゴアと違って十一月、十二月と季節が移り変わるにつれ暑さは和らいでいき、だいぶ過ごしやすくなってきた。
それでもまだ寒いといえるほどではなく、ようやく涼しくなってきたという感じだ。だがそれでも季節が移り変わっていくという感覚が、ローマにいた頃を思い出して新鮮だった。
そして、待降節に入ってもそんなに寒くはなかったある日、マカオの港は賑わっていた。
カピタン・モールのレオネル・デ・ブリト率いる日本への船団が、マカオへ戻ってきたのである。
私も出迎えの司祭らと共に港まで出向いた。まさか日本へ行ったばかりのヴァリニャーノ師がこの船でマカオに戻ってくるとは思えなかったが、何か情報が得られるだろうと、つてを求めてのことだった。
私が港に着いた時は船はもう接岸していて、乗組員たちの下船が始まっていた。次から次へと下船してくるポルトガル商人たちの姿を眺めながら待っていると、ようやく聖職者の服を着た数人の姿が見えた。私と同行していた修練院の司祭たちは彼らとは旧知の仲であるようで、皆手を取り合って無事を祝し、再会を喜んでいた。当然、私とは皆初対面なので、私だけが取り残されていた。
船から降りてきた人びとは私と同年代か少し若い人が二人、あとは皆五十代と思われる年長者だった。だが、年は上でも階級はそう高くもなく、あとで聞くと全員が私と同じ助祭、もしくは修道士なのだということだった。
すると、その中の一人、五十代も後半らしき初老の人が私の方を見て、
「あなたがコニージョ兄ですか」
と聞いてきた。不審そうに私がうなずくと、その年配の修道士の顔はぱっと輝いた。そして、
「私はルイス・アルメイダといいます。以後、よろしく」
と、私に握手を求めてきた。その隣には私と同世代の助祭が立っていて、次に握手を求めてきた。
「フランシスコ・カリオン、イスパニア出身です」
私は戸惑いながらも、求められるままに握手に応じていた。
「あなたがコニージョ兄ですね。ヴァリニャーノ神父様より、お名前はよく聞いていました。神父様はあなたのことをずっとジョバンニ、ジョバンニとそう呼んでいらっしゃいましたけれど」
やはり日本からの船ということで、ヴァリニャーノ師の話が出る。
「神父様は、お元気ですか」
私は嬉しくなって、つい詰め寄るような形で聞いてしまった。
「はい、お元気です」
私はほっとした。隣のアルメイダ兄はにっこりとほほ笑んだ。
「ま、いろいろとつのる話もあるでしょうが、立ち話もなんですからとりあえずまいりましょう」
修練院の司祭に促されて、私たちは港を後に歩き始めた。私が最後を歩く形になったので、振り返ってみると船からはまだ人々が次々と降りてきていた。
そして、ほんの四センプリチェ、すなわち四歩くらい歩いた時である。船の方からおびただしい悲鳴とうなり声が聞こえた。私は思わず振り向いた。先を歩いていた私の同行者たちはなぜか歩を速めており、振り返って「コニージョ兄、早く!」とせかされ、仕方なく私は前を見た彼らを追った。
しかしすでに、私の眼はしっかりとそれを見てしまっていた。
それは船から次々に降りてくる、いや、降ろされてきているいくつもの人のかたまりだった。遠目でも女だと分かった。しかも若い女性が五十人ほどがひと固まりに縄で縛られ、足には足枷をつけられてわめきながら歩かされていた。そんな固まりが次から次へと船から降ろされていたのである。総勢、ものすごい数だ。
女たちは見もだえて抵抗しようとしているようだが、抵抗できる状態ではなかった。そばではポルトガルの商人が鞭を手に、女たちを叱咤していた。
女たちの顔はこの国の女と同じであった。だが、服装が違う。みすぼらしい布でできたその服は汚れ、破れ、ぼろぼろで、中には肩がはだけて乳房が見えているものも少なくない。
あれは何なんだ…港を後に歩きだしても、私の頭にはその光景が強烈に焼き付いて離れなかった。もしかしたらあれが日本人の女なのか…日本から着いた船に乗っていたのだから、当然そういうことになる。それが何人かまとまりで縄に縛られ、足枷をつけられている。
ふと私は、モサンビーキでの夜に現地の女が歌っていた歌を思い出した。
「だけど突然足かせをはめられ、手を縛られて、何人かずつ縄で縛られて、
そんな男たちをいっぱいに船に詰め込んで、船は港を出て行って帰らない」
そしてさらにはゴアの港で見た、ポルトガル船から降りてきたおびただしい数の手足を縛られた黒い男たちの固まり。
あれと同じだと、私は思った。違うのは肌の色が黒ではなく黄色であることと、男ではなく若い女たちだということだけだった。
せかされて一行に追いついた私は、修練院の司祭の隣を歩きながら耳打ちするような形で、小声で聞いた。
「さっきの、女たちは…?」
私はただ、異世界の人びとを見たのかと一瞬勘ぐっていたからそう尋ねたにすぎなかった。だが、それを聞いた司祭の顔は曇った。そして、だいぶたってから、司祭はゆっくりと、
「あれは異教徒の女たちです」
と、それだけを言った。私はよほど見てはいけないものを見てしまったのかと、唖然とした。
その夜、日本からの助祭・修道士たちをねぎらう夕食会に私も招かれた。ヴィーノで乾杯した後、食事をしながらも当然のこと話題は日本のことばかりになった。だが、例の女たちのことは決して触れてはならない禁則事項のように私の上に重圧となってのしかかっていたので、それについて話題にすることはなかったし、またその勇気もなかった。
まずは助祭たちの中でも最年長のアルメイダ兄が司祭たちに話している内容を、私は食事をしながら黙って聞いていた。その内容はこうだった。
ヴァリニャーノ師は日本へ行く前にこのマカオで日本からの書簡を読み、ある程度その状況を机上ではあるが把握していたという。
日本は総人口約一千五百万人程度だが、信徒数はすでに十万人を超えているという。滞在するイエズス会士は司祭が二十二人、助祭や修道士が三十三人の計五十五人に達している。すなわち、ザビエル師が初めて日本に渡って以来約三十年にしてこれだけ発展を遂げた。
ヴァリニャーノ師はゴアでインジャの現地の信者の惨状に嘆いていたが、報告にあるこの状況に胸躍らせ、このマカオでは旅立つに当たって日本へ行けることへの感謝のミサを捧げ、希望を胸に揚々と日本に向かったのだという。
だが、「見ることは信じること」というが、実際に日本に到着したヴァリニャーノ師を待っていたのは、失望だけだったという。師が日本で見たのはイエズス会と現地信徒との間の絶え間ないインクリンガ、日本人修道士のイエズス会への不満、そして多くの棄教者問題だった。
「この惨状は何だと、神父様たちはずいぶん巡察師には叱られていましたよ」
アルメイダ兄は苦笑していた。そしてその笑いを押し殺し、急に低い声で、
「ここだけの話にしておいてほしいのですけれどね、そもそも元凶は日本における福音宣教の長であるカブラル神父ですよ。巡察師とカブラル神父がたびたび衝突しているのを、私自身何度も目撃しています」
このアルメイダ兄がどうしてそこまでカブラルという司祭を悪しざまに言うのか、私はなんとなく何かあるなと勘繰った。だが、アルメイダ兄もだいぶ酔いが回っているようだった。そして急に私の方を見て、酔ってはいるけれど穏やかに言った。
「あなたも気をつけた方がいいですよ。日本人は酒を飲んで酔っ払うと、こんなものじゃありませんから」
それからやっと、アルメイダ兄はかつての笑顔を取り戻した。
「ま、酔っぱらうといっても、彼らの酔い方はたちの悪いものではなくて明るく陽気に酔いますけれど、でもその羽目のはずし方が尋常じゃあない」
そういってもう一度にっこり笑ったアルメイダ兄は、少しだけ真顔で私を見据えた。
「あなたはこれから行く日本という国について、どのような所か思いを巡らせているでしょうな」
たしかにそうだ。
「はい」
私がうなずくと、アルメイダ兄はさらに身を私の方へと乗りだしてきた。
「私は初めて日本に言ってからかれこれ三十年近くにもなります。最初は商人として日本に行って、向こうでイエズス会に出会って入会したんだ。だから、日本のことはだれよりも知っている。でも、今はあなたにはあれこれとは言わずにおきます。先ほども言ったように『見ることは信じること』ですからね。私の話で勝手にイマジンを膨らませて、向こうに行ってからそのラクナに失望されても困る」
最初にそう釘を刺しておきながらもアルメイダ兄は結局日本について、次のように語ってくれた。
まず、日本人は高い文化水準を持ち、非常に礼儀正しくて親切である。また、感情をあまり表に出さない半面、お互いの意思疎通は言葉よりも顔の表情で取り合うことも多い。
今や日本はあの小さな島国の中でそれぞれ領主が自分の領地を治め、互いに戦争を繰り返しているというばらばらの状況だ。日本全国をまとめるクボーサマという国王もいるが、それはほとんど力を持っていない。その中でも最大の領主はオダいう武将で、ほぼ全国を統一しかけている。
日本にはゴアのようなポルトガルの海外県もないし、マカオのようなポルトガル人が永住権を認められている区域もない。主に洗礼を受けて信徒となった領主に保護されてその城下に教会を建て、布教の基地としている。だから、司祭も助祭・修道士も日本の庶民のまっただ中で生活している。
さらには、ゴアやこのマカオのようにポルトガル人だけを守ってくれる城壁というものは、日本の都市には全くないそうだ。つまり日本では、ポルトガル人が甘やかされてはいないということになろう。
「今度は私があなたに聞きたい」
アルメイダ兄の口調が、また変わった。
「私たちは生まれたその瞬間にもうキリストに出会い、キリストに導かれて育ってきた。周りの人も全員が幼児の時からのクリスタン、あなたもそうでしたでしょ? 私もそうでした。我われの国では誰もがクリスタンの家族の環境の中で、もの心ついたときから教会に通い、聖書の話を聞きながら、それが当たり前のこととして育ってきましたよね。でも、日本の人は違う。生まれてから大人になるまで、全くキリストを知らずに育っているのです。そんな人たちとキリストとの出会いを導く、つまりそんな人たちの中であなたは福音宣教をやり遂げる自信がありますか?」
「はい」
そううなずくしかないだろう。しかし考えてみれば、私はゴアでもマラッカでも、ここマカオでも、信徒となった現地の人とは全く接していなかった。その姿は見ていても、言葉を交わしたことは一度もない。当然、私は彼らの言葉が分からない。
私は途惑っていたが、アルメイダ兄は私に「はい」のひと言だけを耳に止めて、
「それならばよろしい」
と、高らかに笑った。だが、その「はい」は嘘ではなかった。これまでの現地の人と話せなかったのとはわけが違って、私は今、そのために死に物狂いで日本語の勉強に努めている。
「ヨロシク、オタノミ、マウス」
だから私は、やっと覚えた日本語で言った。アルメイダ兄は驚いた表情を見せ、すぐにそれは嬉しそうな顔に変わった。
「ヨキカナ、ヨキカナ」
そして、アルメイダ兄も日本語で言って高笑いをした。
2
それから数日後、主の御降誕つまりナターレを間近に控えたある日、私は司教座に呼び出された。私が応接室ともいえる一室に入ると、すでにそこにはアルメイダ兄がいた。兄は私を見るとすぐに相好を崩し、
「先日は少々飲みすぎて、失礼をした」
そう言ってアルメイダ兄は、椅子から立ち上がって手を差し出してきた。私も特に気にしてはいなかったので、笑顔で握手に応じた。
「今日は司教様からのお呼びということで、なんか緊張しているんですよ」
私もなるべく笑顔で答えたが、どうもこの年配の修道士は悪い人ではなさそうだが謎が多い人物と感じられてならなかった。
「おそらく叙階式の話でしょう」
「叙階?」
私がいぶかしげな顔をするので、アルメイダ兄は私がまだ何も知らないことをすぐに察したらしい。
「私どもの叙階ですよ。実は私どもは今回一時的にマカオに来たのは、叙階のためなんだ。日本にはまだ司教様がいらっしゃらないから、叙階のためにはこのマカオに来ないといけない」
「それは、おめでとうございます」
そう言っておいて、兄が座ったので私も座ってから、意を決するようにおそるおそるという感じで私は口を開いた。
「大変失礼なことをお聞きしますけれど、兄は日本に行かれて三十年と
おっしゃいましたけれど、これまで叙階のシャンシは?」
一瞬聞いてはいけないことを聞いてしまったのかとひやっとしたが、兄は笑っていたので安心した。
「そう思うのも無理はない。でも、前にも言ったけれど、私はもともと商人として日本へ行った口でしてね、イエズス会入会の恵みはその五年後だったかな。もう三十歳を過ぎてからでしたからね」
私はまた首をかしげた。それにしても叙階まで十五年近くは長すぎる。だが、それを口に出せずにいたところ、
「叙階まで時間がかかりすぎるって思ってるんでしょう?」
と、アルメイダ兄の方から笑って言ってくれた。
「布教長のカブラル神父からは、私はよく思われていませんからね。私が商売で得た多額の資金を持って入会して、その財産を献金したものだから、カブラル神父はそのせいで会士がぜいたくとなって堕落が始まった、その元凶が私だと、そう思っているらしい。イエズス会のモーチである清貧の理念から外れてしまったと。あからさまには言われませんけどね。もっとも私も清貧ならんとして財産を全部献金したのだけれど、皮肉ですね」
「献金は、いいことじゃないですか」
「ま、もう一つはさっきも言ったように日本には司教がいないから、叙階のためにはわざわざマカオに来ないといけない。それも障壁となっていました。ただ、今回叙階の運びとなったのも、カブラル神父とは何かと衝突しているヴァリニャーノ神父のお蔭ですよ。カブラル神父も、イエズス会の総長の代行である巡察師には逆らえませんからね」
意味ありげに、アルメイダ兄は笑みを浮かべた。それよりも、ヴァリニャーノ師の名前が出るたびに私は嬉しくなった。離れて久しい師が身近に感じられるからだ。
「それに、私の叙階をカブラル神父がなかなか許さなかったのにはもうひとつわけがありましてね。実は私は」
そこに、カルネイロ司教が入って来られた。私とアルメイダ兄との会話はそこで中断された。
「いやあ、お待たせした」
立って礼をなした我われに対し、まず自分が座ってから我われに椅子を勧めてくれた司教は、私に向かってアルメイダ兄を手で示した。
「こちらの兄のことはもうご存じだと思いますが、
「はい」
私がうなずくと、司教は私に向かって話を続けた。
「私はマカオに司教として着任してからハンセン病患者のための病院を建てさせて頂いてましてね」
それは有名な話だから私も知っている。この司教座からも割と近い聖ラザロ教会のところに、司教はすでに「聖なる慈悲の家」のマカオ支部を設立している。
ミゼリコルディアとはキリスト教信徒の互助組織であり、病院、孤児院、老人施設などを運営する慈善団体だ。約百年ほど前にポルトガルの国王ジョアン二世のレオノール王妃によって、リスボンで設立された。あのリスボン大聖堂の回廊の中にその本部事務所があったのを私は覚えている。たしか、ゴアにもそのような組織があった。ここで司教が病院を建てたというのは、正確には司教が設立した「ミゼルコルディア」マカオ支部が病院を建て、運営しているということだ。
「実はアルメイダ兄も日本のブンゴという地方のフナイという町で、すでに『ミゼルコルディア』の日本支部を設立しています。さらには西洋医学の病院まで造られたんですよ。私はその辺の話をお伺いしたいと、今日お呼びしたのです。兄ご自身が国王陛下から与えられる医師の免許をお持ちですから」
「え?」
私は驚いた。そしてアルメイダ兄を見た。兄は黙って笑っていた。実はそんなすごい人だったのかと、私はこの人への勘ぐりと誤解がすべて解けたような気がした。
それからみんなソファーに座り、司教とアルメイダ兄はそれぞれの医療施設の技術や運営についてずっと話しておられた。司教といいアルメイダ兄といい、イエズス会の目指す宣教、教育と共に三本柱の一つである社会事業を自ら実践していることになる。
実はこの兄は、こんな素晴らしい人だったのだ。
ところが、そんな二人の話の終わりごろに司教は、ぼそっとゴアでの時と同じように小声で私に言った。
「この方たちの叙階と同時に、あなたの叙階も考えていますよ、いや、これはヴァリニャーノ神父からの、巡察師としての命令でした」
「え? 今、なんと?」
「叙階ですよ。あなたの。司祭へのね」
しばらく私は言葉がです、少し間をおいてからやっと、
「ありがとうございます」
とだけ言えた。しかも、ヴァリニャーノ師の口利きによってだという。ヴァリニャーノ師が、私を今でも気にかけてくださっている…私は胸が熱くなり、目からは温かいものが流れ落ちていた。ついに私も、司祭への叙階の日を迎える。
アルメイダ兄も自分のことのように嬉しそうな顔をした。
「今年は最高のナタルとなりますな」
私は力強くうなずいた。
それから司教は、我われににこやかに言われた。
「ついては、今回叙階を受ける皆さんも、それからコニージョ兄も共に霊操を受けることをお勧めします」
霊操―それは、我がイエズス会創始者のひとりであるイグナチオ・ロヨラ師が、自らの霊的体験や『天主』との交わりの体験によって編みだした修行プログラマである。いわゆる体を鍛える体操が体行であり、心を浄める瞑想が心行であるならば、「霊操」は霊を鍛える霊行である。
司祭になる人全員がそれを受けねばならないということではないが、強く勧められる。
霊操の期間は四週間であり、その約一ヶ月弱の間、アルメイダ兄やカリオン兄、そして私を含め六人の霊操者は、司教座で寝泊まりすることになる。しかしこの修行は集団で行うものではなくあくまで個人でなすものなので、お互いは食事のとき以外は顔を合わせることはないという。
そうしてその霊操に先立って季節はナターレを迎えた。故国を離れて二度目のナターレだ。去年の炎天下での不思議なナターレと違い、一応ここではおなじみの冬のナターレだったが、一応は冬だけれどあまり寒くはない。
参列者はここでも多くはポルトガル人だったが、ゴアでは地元インディアの人は全くいなかったのとは違ってチーナ人も何人かは参列していた。そして厳かなナターレのミサと対照的に、やはり町はここでもポルトガル人たちによってお祭り騒ぎだった。