Episodio 3 Akechi Hyuga(明智日向)
1
我われはそのまま一週間ほど都に滞在し、復活節第二主日のミサの後、安土に戻ることになった。
その前に都布教区の上長であるオルガンティーノ師から、若干の異動の話があった。都にいたフランチェスコ師は我われとともに安土へ行き、そのまま神学校の配属となるとのことで、代わりにカリオン師がこのまま残り、再び都の教会の配属となることになったという。
フランチェスコ師がイタリア人だからともにいたいとオルガンティーノ師は思ったのかどうか分からないが、自分はオルガンティーノ師がそのようなことにこだわるような人には思えない。
それよりも、やはりスパーニャ人であるカリオン師が織田殿にいろいろコンキスタドールの話をしたのをまずいと思ってのことだろうかとも思う。あるいはフランチェスコ師の方から願い出たのか……。
そのへんの詳しい状況は分からないのでオルガンティーノ師かフランチェスコ師に聞くしかないのだが、別に聞いたからとてどうということもないのであえて私は何も言わなかった。
カリオン師と離れ離れになるのはさびしかったが、安土と都なら至近距離で、会おうと思えばいつでも会える。
こうしてカリオン師以外の我われ一行は、フランチェスコ師も加えてかなり陽気めいてきた頃に安土に帰った。
織田殿が不在の安土は、特に変わった様子は見受けられなかった。
日一日と春の陽気が増していくのどかな町で、ゆっくりと時間は過ぎていった。
今、甲斐と戦争している真っ最中だが、安土の町は何ら普段と変わることなくのんびりと日常の時間が流れていた。
戦争の様子などの詳しい情報は、ほとんど神学校には伝わってこない。いつも情報をくれるヤスフェが、織田殿とともに甲斐に行ってしまっていることもある。ただ、これまでどおり織田殿が圧倒的に勝っているということだけは耳に入ってきた。
だが、相手の甲斐の国の様子はどうなのだろうかと思う。
まさかここのように無事平穏というわけにはいかずにいるのではないか。なにしろそちらが戦場となっているのだ。
安土での日々は、神学校の三十人ほどの学生相手に和気あいあいと過ぎていった。
学生の年齢は八歳以上十九歳までと規定ではなっているが、大部分が十二、三歳くらいで、全員が頭は仏教の僧侶と同じように髪を短く刈っている。
朝は四時半には起き、ミサのあとラテン語の授業がある。その後自学の時間を経て九時に朝食、食事中は一切沈黙である。
その後は日本語の読み書きと音楽の時間があり、エウローパの楽器の演奏も学ぶ。
他に地理、天文学、美術、体育の時間もあって夕方は午後五時の夕食を挟んで自由時間、夜はラテン語やポルトガル語、さらには日本の古典文学も学んで八時には就寝だ。
食事が一日二回なのはエウローパも同じだが、エウローパは昼と夜の二回なのに対し、日本では朝と夜の二回になる。
もっともエウローパで私が若い頃はすでに朝に食事をする人も出てきたのと同様、ちょうど日本でも昼に食事をする人も出てきているようだった。
これら学生の日課に我われは聖務日課が加わるだけで、ほぼ同じ時程で生活していた。私だけではなく他の司祭や修道士も、ここではどんどん学生たちの間に入り、ときには授業を担当して学生たちと接していた。
例えば若いニコラオ兄は美術担当で、学生たちにいつもエウローパの手法による絵の描き方を教えていた。
もちろん土曜の午後と日曜日は休みで、日曜日の午前中のミサには一般市民や城の武士の信徒も多く参列した。かつて甲斐に行く前はヤスフェも毎週ミサに与り、城の様子を逐次我われに知らせてくれていたものだった。
そして色とりどりの花が咲きほころび、初夏の風を感じるようになった5月になってようやく甲斐との戦争も終わったようで、織田殿がその軍勢とともに安土に戻ってきた。なんとか農繁期になる前に終わったようだ。
町は一気に活気づいた。なにしろ大勝利を収めての凱旋なのだという。
その翌日が日曜日だったので、神学校の礼拝堂での主日のミサに、織田殿とともに甲斐での戦争に行っていたヤスフェが久しぶりに顔を出した。
かなり疲れているようだった。
ミサの後、司祭館に我われはヤスフェを招き、遅い朝食を共にした。主日のミサの前には、食事をとることができないからだ。
「いやあ、今回の戦争は大変でした」
今回と言ってはいるが、ヤスフェは織田殿とともに戦争に行くのは今回が初めてのはずだから、我われは苦笑していた。
「あなたも戦ったのかね?」
食事の途中でフランチェスコ師が興味本位で身を乗り出し、ヤスフェに聞いていた。
ヤスフェは笑っていた。顔が黒いだけに、笑うとやたら歯が白く輝いて見える。
「いえいえ、わたしは上様のグアルダ・コスタスでしたから、ずっと上様のそばを離れませんでしたよ」
実際、織田殿が甲斐に着いたときは、もうほとんど戦争は終わっていたのだという。結局信長殿は、戦争に行ったというよりも戦後処理に行ったというのが正確なところらしい。
「上様がまだ美濃にいたときに、ご長男の城介勘九郎殿がすでに甲斐で武田殿の大将でもある四郎殿に総攻撃を加えて四郎殿は自害し、甲斐の武田殿は完全に滅び、甲斐と信濃の二つの国は上様のものになりました。ちょうどひと月ほど前、四月の最初の頃です」
そうなると、聖週間の頃となり、詳しく聞くと火曜日だったという。
ヤスフェは戦争の陣中にあっても、曜日を数えるのを怠ってはいなかったようだ。そうなると、我われが都での復活祭のために安土から都へ向かったちょうどあの日である。
「それからひと月、戻ってくるのにずいぶんと時間がかかったね」
フランチェスコ師が尋ねた。
「はい、実は……」
ヤスフェは話し始めた。
その内容は、織田殿はぜひ富士山を見たいと言われ、ヤスフェも同行したという。
富士山といえばこの国最大級の山で、その美しさは絶景であるとも聞いている。
「すごかったですよ! 神父様! すごかったです! 本当に巨大な山でした。頂上の方には少しですが、まだ雪が残っていました。きれいな円錐で、しかもそれが他の山とはつながらずに海の近くの平野にでんと居座っているのです。その大きさ、雄大さといったら、私がこれまでの人生の中で一度も巡りあったこともないものでした。まるで天の御父『天主』様を思い出させるようなすごい山でした。いや、これは自分の目で見ないと分かりませんね」
話を聞いて、そのようなすごい山を目撃したヤスフェがうらやましくもあった。私がこの国で見た山々……雲仙、阿蘇、比叡山、開聞岳、桜島……そのどれよりもすごい山であるらしい。
「それからは三河の殿である徳川殿の招きで上様は駿河の国に行かれ、徳川殿の領内をゆっくりと見て回り、私もお伴をしていました」
三河の徳川殿という殿は初めて聞く名前である。だが、オルガンティーノ師は知っていたようだ。
「あの徳川殿か」
オルガンティーノ師は言われたからだ。
聞くと、かなり有力な殿で、信長殿の家来というよりも友人、つまり同盟関係にあるようだ。
「駿河や三河ではあちらこちらでものすごい歓迎でした。ですからひと月もかかったのです」
「そうか」
そしてオルガンティーノ師は、信長殿と勘九郎殿の帰着に当たってあいさつに行きたい旨を話し、その段取りをヤスフェに頼んでいた。
だが、長男の勘九郎殿はそのまま自分の城がある美濃の岐阜に行き、まだ安土には戻ってきていないという。
さらに我われが会いたい三七殿、つまり織田殿の三男もまた自分の城である伊勢の神戸に行っていて安土には不在だということだった。
織田殿からの返事はその翌日の月曜日にはもたらされ、我われはすぐに織田殿に会いに安土の城へと上った。
今度はオルガンティーノ師も一緒で、フランチェスコ師の着任のあいさつも兼ねていた。
かつてヴァリニャーノ師とともに面会した時は日本語を解しないメシア師などもいたのでフロイス師や私が通訳を務めたが、今は全員が日本語堪能なので通訳はいらない。
城内は人々でごった返していた。近隣の領主や商人などが次々に信長殿への戦勝祝いのために城に押しかけてきていたのだ。
面会は例によって天主閣の中だったが、今日は最上階ではなく下層の大広間だ。実は、こちらの方が公に使われる場所だという。天主閣最上階はどちらかというと織田殿のプリバートの場だそうだ。
私たちは約一時間半ほど別室で待たされてから、ようやく呼び出された。
織田殿は長い戦争と、それに伴う長い視察の旅から戻ったばかりなのでさぞお疲れの様子で現れると思ったが、我われにはいつもの笑顔を見せてくれた。
間もなく五十代とは思えないほど若々しく、元気だった。
「いやいやいや、皆ご苦労である」
今日も上機嫌だ。
「フランチェスコ殿であるな。都で会うて以来、久しいのう」
織田殿はたった一度会っただけでその相手の顔と名前を記憶してしまう、その点に関しては天才的ともいえる。
「このたびは勝ち戦の由、真におめでとうござる」
オルガンティーノ師が板に付いた武士言葉できちんと挨拶を述べた。織田殿は満足げにうなずいた。
「ついに甲斐と信濃を手に入れた。これまで目の上のたんこぶのような存在だった武田も滅んだ。毛利は羽柴筑前に任せてある。そうなると、あとは四国と九州でわが天下布武は終わりだ。思えば長かったなと、今では感慨ひとしおだよ」
そう言って織田殿はまた高らかに笑うので、オルガンティーノ師はじめ我われも愛想笑いを重ねた。そこで私が目を挙げた。
「上様。天下を統一なさったあとは、どうなさるおつもりですか?」
「いいことを聞く。だが、今は申せぬ。日本には『一所懸命』という言葉がある。主君より賜った土地はご恩として、そのため家臣どもは命を懸けて仕えてくれる、だが、もうこの日の本には、家臣たちに与える土地はない。今言えるのはそれだけだ」
信長殿はにこやかなまま話すので、私はホッとした。
しかし、これで信長殿がシーナへ遠征して自分がコンキスタドールになろうとしているということは明白だ。
それが是であるか非であるか、もちろん我われが判断することではないが、私個人としてはどうも賛成しかねる。だがこの時は、話はそこまでにした。
「ま、とりあえずはしばらく大きな戦争が新しく行われることはないであろうから、この安土の町の整備と拡張に専念致そう。そなたらの南蛮寺も早くに建てねばならぬからな」
我われの心願を、信長殿はちゃんと知っていたのだ。
「畏れ入ります」
オルガンティーノ師は床に両手をついて、深々と頭を下げていた。我われもそれに倣った。
2
我われが退出するとき、天主閣の入り口でヤスフェが待っていてくれた。
この間と同じように織田殿のはからいで、ヤスフェは我われを大手まで見送るよう申しつけられたとのことであった。
そうしてヤスフェとひと言ふた言話しながら天主閣をあとにして、相変わらずの人混みをかき分けながら我われは本丸の方へ少し歩いた。
そこでヤスフェは慌てて道をあけ、我われにもそうするように促した。
ちょうど黒金門の方から天主閣へ向かって身分の高そうな老人が、何人かの供をつれて歩いてくるところだった。
細身の、気難しそうな顔つきの老人だった。
ヤスフェが道の脇で立ったまま頭を下げるので、我われも同じようにした。すると老人は、我われの前で歩みをとめた。
「そなたたちは、バテレン殿ではござらぬか」
にこりともせずに、老人は言った。オルガンティーノ師が代表して返事をした。
「はい、さようでございます」
老人から少しため息が漏れた。
「あなた方に言っておきたいことがある。ここで立ち話というのもなんだから、私の屋敷に来ていただきたい。私はこれから上様とお話がある。それが終わり次第すぐに戻りますゆえ」
言葉は丁重であるがにこりともしないその表情から、この老人はどうも我々に好意を持っていないようだということはすぐにわかった。
「弥助。バテレン様方を案内してくれ」
「はい、かしこまりました」
老人が行ってしまってから、私はヤスフェにすぐにあの老人について尋ねた。
「惟任日向殿でござる。でもそれは最近になって朝廷から頂いた姓で、元からの十兵衛明智殿といった方がみんなすぐに分かるでしょう」
「あ」
声をあげたのは私だった。
前に安土から豊後を目指していた時、伊予の国で会ったドン・パウロ一条殿からその名前は聞いていた。
かつての同盟者で今は関係がこじれている土佐の長宗我部殿との間をなんとか取り持とうとしてくれていると、ドン・パウロが言っていた織田殿の家来だ。
あのとき聞いた明智殿というのがあの方だったのかと、私は奇妙な思いだった。
だが私の驚きをヤスフェは察しようもなく、話を続けていた。
「上様からも格別に丁重に扱われています。普段は乱暴な口調でめったに笑わない上様もあの明智殿にはとても優しく、笑顔さえ見せて、皆の前でその軍功を表して褒めちぎっていました」
老人の後ろ姿がある方を見ると、老人はすでに天主閣の入り口に吸い込まれていた。
「もともとは都の公方様に仕えていた方ですが、それを上様は引き抜いたのです。それにこの安土城も、もともとはあの明智殿の家来の城だったのを譲り受けたわけです。上様もあの方を下には置けないのでしょう。年齢でも家来の中では長老格ですし」
その明智殿の屋敷に、これから行かねばならない。
言っておくことというのが気になる。我われの安土での福音宣教に文句をつけるのだろうか。
しかしこちらは織田殿に布教許可の手紙をもらっている。だからそんなに大それたことではないのだろう。
そう思って我われは全員でヤスフェの巨大な背中について歩いて行くと、すぐ近くの大きめの屋敷の門にヤスフェは入っていった。
屋敷はそれほど大きいものではなかった。もっとも安土城内の武将の屋敷は、どれもみな小規模である。なぜなら彼らはみな自分の城を持っており、安土の屋敷は安土城に用があって来た時の宿泊所みたいなものだからだ。
その玄関でまずはヤスフェが大声の日本語で言った。
「お頼み申す」
すぐに案内の武士が出てきたので、ヤスフェが天主閣の近くで明智殿に会ったこと、バテレンたちに話があるからこの屋敷で待つようにと言われたことなどを手短に語った。
すぐに中に通された。
待たされている間、私はヤスフェに先ほどの老人、明智日向という人物についてさらに尋ねてみた。
「上様に取り入るのがうまい人ですね。それで上様もちやほやして別格扱い。もともとの家来ではなくよそから来た人ですから、お客様扱いなんですよ。でも、それが原因で上様の家来の間では評判が悪いんです」
ヤスフェは大きな声で話しているが、ポルトガル語だからたとえ家人に聞かれたとしても解せないはずだ。
「前に甲斐でも、武田が滅んだことで明智殿が『甲斐だけに我われも骨を折った甲斐がありましたな』と言うと、いつも気難しい上様が『うまいことを言う』と上機嫌でお笑いになった。その様子をみんな嫉んでましたね。私と一緒に小姓をやっている森乱丸などは『あんたがいったい何をしたって言うんだ』とあの金柑頭を鉄扇で打って、顔を欄干にこすりつけてやりたかったと憤ってましたよ」
「キンカアタマ?」
私が聞くと、ヤスフェは笑った。
「禿げですよ」
禿げといわれても、日本の武士は他の修道会の司祭のトンスラのように頭のてっぺんを剃ってしまうから、天然の禿げか剃っているのかは分からないはずだ。
「いや」
オルガンティーノ師も笑っていた。
「漢字だよ」
カンジとは、この国でも使われているチーナの文字だ。
「あの殿の本当の名前の光秀というのを漢字で書いて、その二つの文字の半部ずつを合体させると禿げという漢字になるんだ」
フランチェスコ師は感心してうなずいていた。
「お邪魔してもよろしいでしょうか」
その時、障子の外で声がした。
現れたのは、若い女性だった。年の頃は二十歳かそれくらいだ。日本では二十歳くらいの女性はすでに結婚しているはずだし、その着ている服装からも未婚・既婚はすぐに分かるようになっている。
彼女が着ている着物は既婚者のそれであった。
彼女は我われの前にかしこまった。
「明智日向守の三女、長岡与一郎が妻、珠と申します」
鈴のような声で、女は言った。あの老齢でこのような若い娘がいるというのは、相当年をとってから授かった子のようだ。
「わが長岡家の屋敷もすぐそばですし、時々こうしてお邪魔しています。今はバテレン様がお越しになっていると聞いて、どうしてもお話がお聞きしたくてお邪魔しました」
「キリシタンの教えについてですか」
私が聞くと、珠は大きくうなずいた。
「はい、町を歩いてセミナリヨの屋根が見えるたび、一度キリシタンの教えについてお話をお聞きしたいと思っておりました。今日はたまたまこちらに来ておりましたらバテレン様方がおいでとか。私、前後の見境もなく来てしまいました」
人の妻とはいえ、まだ幼さによるあどけなさが残っていた。
我われはオルガンティーノ師を見た。
オルガンティーノ師がうまく答えてくれるだろうと思ったからだ。果たしてオルガンティーノ師は、柔和な笑顔を珠に向けた。
「あなたは今『たまたま』と言われたが、この世の中のことで偶然ということは全くありませんよ。すべてが『天主』のみ意のままに、その御手内で生かされているのです。キリシタンの世界は一言で言い表すことなどできない奥が深い世界です。ただ、あえてひと言で言うのなら、『天主様』から我われ人類への御大切、そしてそれを身をもって示してくださったのが『天主様』の御ひとり子、イエズス・キリストなのです。イエズス様は『天主様』の御大切と、罪の許しをお説きになりました。我われはイエズス様の十字架を受け入れてその死と復活に与り、その教えを守り、み言葉に従い、み旨に従って生活すればすべての罪は許され、やがて永遠の命を得て天国を迎え入れられるのです」
珠は分かったような分からないような顔で首をかしげていた。そのしぐさに、オルガンティーノ師は声をあげて笑った。
「初めての方には難しいですね」
「はい。私は禅を信仰しておりますけれど、教えがかなり違うのですね」
「あ、そうだ」
私が声をあげた。
「高槻の殿、ジュストをご存じですか?」
珠はさらに首をかしげていた。私は自分の失言に気がついた。霊名を言っても、一般の日本人には分からないはずだ。
「ジュストとは、高山…」
彼の日本名を私はとっさに思い出せなかった。
「そう、高山右近殿」
「ああ」
珠の顔にぱっと光がさした。
「夫とは懇意にしてもらっています。今回の甲州出陣でも父や夫とともに右近殿も同じ陣中ににおいでになったと聞いています」
「それは話が早い。御主人を通して右近殿からキリシタンについてはいろいろ聞くとよいでしょう」
その時である。
「お待たせした」
そう言って、明智殿が入ってきた。
「珠、ここにいたのか。とりあえず奥に入っていなさい」
明智殿はそう言って珠が退出したのを見てから、さっさと上座に座った。
我われ司祭三人はそれに向かい合う形で座っている。その後ろにヤスフェはいたが、明智殿はそのヤスフェを一瞥した。
「弥助。おぬしは上様の小姓よな。すまぬがおぬしも席をはずしてくれ」
ヤスフェは言われたとおりに退出し、玄関から出て行った。
3
明智殿はそれを確認してから、我われの方を向いて話し始めた。
私は思わず緊張していた。
「ときに、これまでもあなた方バテレン殿を御城中で何度かお見受けしたが、おぬしらにどうしても言っておきたいことがある」
「何でしょう?」
オルガンティーノ師がいつもの笑顔で尋ねたが、明智殿はにこりともしない。
「今も娘にキリシタンの話をされていたようだが、あなた方がこの国に来た目的は何かな?」
「はい、キリストの教えをこの国にも広めるためです」
それをやめろというのなら、我われは織田殿の布教許可証を持っているのだから、断固初心を貫きとおすつもりで構えていた。ところが明智殿は言った。
「キリシタンの布教のために来たのなら、それに専念しなさい」
その言葉は意外だった。オルガンティーノ師も、一瞬次の言葉をためらっている様子だった。。
「もとよりキリシタン布教に専念するつもりでございます。何か我われに不都合なことがありましたか?」
「余計なことを上様に吹き込まないでいただきたい」
「余計なこと?」
オルガンティーノ師は、さらに怪訝な顔をした。明智殿の顔は厳しかった。
「それは、我われが上様にキリシタンの教えを伝えたことですか?」
「いや違う。それは構わない。まさかあり得ないことだとは思うが、万が一に上様がキリシタンになったとしても、それはそれでいい。問題はそこではない」
他に何か余計なことをしゃべったのか、私は思い当たることはなかったし、オルガンティーノ師もそのようであった。
「おぬしらはおぬしらの国が西の海を渡ってそこの大地の人々を支配し、そのまま現在に至っているとのことだろう?」
またしてもコンキスタドールの話題で、明智殿が心配していたのはそのことだったようだ。少し私は納得がいった。
そこで、オルガンティーノ師は目をあげた。
「私どもはそれについては触れないようにしております。ただ、私どもの仲間でフロイスという者がすでに話してしまったとか」
最近でも、カリオン師が同じようなことを織田殿に語ってしまったいる。
「いや、それだけではない。織田家がまだ美濃にいた頃に、四つ目のバテレンからそのような話を聞いたと上様は語っておられた」
四つ眼のバテレン、つまり眼鏡をかけたカブラル師に他ならない。カリオン師は別土地sても、やはりカブラル師にフロイス師、それにコエリョ師を入れたポルトガル三人組は要注意人物だ。
オルガンティーノ師はゆっくりと顔をあげた。
「その者たちは皆今は安土にはおりません。我われはそのような話はするつもりもありません」
「なぜ? なぜかな? 仲間がやっていることをともにしないとは」
オルガンティーノ師は少し考えたから言った。
「その海を渡ったコンキスタドールというのは、我われの国ではなくイスパニアのものです。我われ三人は奇しくもイタリアという国から来たものでござる」
現在イタリア半島にはイタリアという統一国家はないが、そのことまで話しても明智殿は理解しないだろうと、オルガンティーノ師はかなり大雑把に話している。
だが、明智殿は顔をしかめて首をかしげていた。
「よくわからぬが、南蛮は南蛮であろう。そなたたちはキリシタンの教えを伝えるためと称して、本国の軍勢の水先案内人を務めているのではないか? そして上様をけしかけて海を渡らせ、その隙に乗じて本国の軍勢をこの日の本に差し向けるという腹ではないのか」
明智殿はどうも「南蛮」を一つの国だと思っているらしい。
それにしても、日本で我われ宣教師がこのような言われ方をするのには、私はもういい加減慣れてきてしまっていた。また、オルガンティーノ師が説明を始めた。
「バテレン・フロイスやカブラルはポルトガルという国のもので、海を渡ったコンキスタドールはイスパニア人でございます。ポルトガルとイスパニアでは国と国の取り決めがあり、日の本はポルトガル、呂宋はイスパニア人の範囲でございます」
これは織田殿にも説明したとおりだ。その時と同じようのオルガンティーノ師は、日本にスパーニャの商人もましてや軍勢も来ることができず、一方の日本に来ているポルトガル人は宣教師と商人のみであることを説明した。
ポルトガル国王は聖職者なので他国への領土的野心はなく、ただキリスト教の布教と貿易のみが主眼であることを懇々と説いた。
まだ半信半疑のようであったが、明智殿は一応は理解してくれたようだ。
「おわかりいただけましたか」
オルガンティーノ師の言葉に、明智殿もしぶしぶという感じながらもうなずいていた。
「しかしそのようなことを抜きにしても、上様には何としても海を渡ることはお考え直し頂きたいものだ。すでに今年に入ってから、上様は博多の商人の鳥井宗室らとも接触を持っている。海を渡るとなるとまずは博多からだし、上様のお考えがこれで分かった気がする。私は鳥井や堺の天王寺屋を茶会に招いて聞き出そうとしたけれど、なに、口の堅いこと。そのようなことは彼らは決して漏らさぬ。まあ、今の織田家家臣団でも上様のそのようなお考えを察しているものはおらぬだろうし、いたら大騒ぎになる」
明智殿は、そこで一つため息をついていた。そしてまた、きりりと我われを見た。
「だから、困るのです。たしかにこのまま天下が泰平になれば恩賞の土地は不足するし、そうなると天下が泰平になった分だけ人々の不満は募る。かつて蒙古襲来のあとの鎌倉の北条家が滅んだのもそれだった。あなた方はご存じないかもしれないが、この国では主従の結びつきは土地によってなされる。主君がご恩として土地を与え、その一所の土地に命を懸けて奉公するということで忠義の道は成り立っておる。その土地がなくなるから海を渡るというのも分からないでもないが、古来のこの国で考え方では出てこない発想だ。やはりあなた方が入れ知恵をしたとかしか思えぬ」
「いえ、決してそのようなことはございません」
オルガンティーノ師は言ったが、さらなる返答に窮していたようだ。
もしかしたらカブラル師やフロイス師が信長殿をけしかけたというのは本当かもしれない。彼らならやりかねない。
だが、今は確かめようもない。
そこで私が口をはさんだ。なんとか話題を変えようと思ったのだ。
「実は以前にドン・パウロ、つまり、一条兼定殿から明智様のお名前は伺っておりました」
「一条兼定?」
あからさまに明智殿の顔が曇った。
「どこで会ったのか?」
「伊予の国の島で暮らしうております」
「そうか。気の毒な方ではあるが、でも、あまり思い出したくない名だな。また一つ気が重い」
再び、明智殿はため息をついた。
「私と我が家臣の石谷兵部とはともに土岐氏の出、その兵部の妹が長宗我部元親殿の妻であるゆえ、長宗我部家と石谷家は血縁関係にある。だから、長宗我部の説得に再三にわたって兵部を使者として使わしてきた。だが、そのたびに長宗我部は拒絶の返事しかせぬ。また、明日にでももう一度石谷を長宗我部への説得に遣わす許しを、先ほど上様から頂いてきた。だがこれで最後の通告となろう。もはや上様は長宗我部討伐の大軍を計画されており、すでに三好殿を中心とする先鋒隊は、我われが甲斐に向かうのと同時に四国へ出陣しておる」
また一つ明智殿はため息をつき、頭を抱えた。我われはその話の内容が完全に理解できなかったので、黙って聞いていた。
「石谷氏もその縁族となった長宗我部も今や土岐一族同様。そもそも石谷兵部は土岐氏と縁が深い美濃の斎藤家から石谷家に養子に行ったもので我が重臣斎藤内蔵助の実兄であるし、長宗我部元親殿の母御も美濃斎藤家の出。そういう意味で私は長宗我部と今は落ちぶれた土岐氏再興のための結束を固めるつもりでおった。今、長宗我部が上様にうち滅ぼされればその考えも露と消えるし、もともと私は織田家の中では客分であやふやな立場であるのに、長宗我部が消えたら私は孤立してしまう」
気難しい顔からは想像できないくらい、実際はよくしゃべる老人であった。
だが、その話の内容は、ほとんど我われの頭の上を須ⓕ通りしていた。
話が見えないし、何のことやらわからない。
ただ、目の前の老人は興奮しているらしいことだけは確かだった。
この年であまり興奮すると体に良くないのではないかと思ったが、やはり我われは黙って聞いているしかなかった。
「しかし、そのようなことは大事の前の小事、私事に過ぎぬ。今、上様がお考えのことを実行されれば、長宗我部が滅びるなどという程度のことではなく、この日の本全体が危うくなる。だから、頼む」
明智殿は、急に我われに頭を下げた。
「これ以上、上様を煽るのはおやめくだされ。この通りだ」
「わ、わかりました」
オルガンティーノ師も、少し慌てていた。
「私たちはもともと、上様を煽るなどということは考えていません。今後、コンキスタドールの話は一切しません」
とにかくこの場を治めるにはこれしかなかったが、もとより我われは明智殿に異を唱えるつもりもなかった。実際、カリオン師が以前に信長殿の前でコンキスタドールの話を始めたとき、それを制したのは私だった。
だが、さらに明智殿は頭を下げ続けていた。その頭の頂点は、剃ったというより自然に頭髪がないようだった。
まさしく「キンカンアタマ」だった。
「さらにお願い申す。そなたたちの口から上様の無謀なはからいを思いとどめてくださるよう、申し添えてはくださらぬか」
明智殿がもう一度頭を下げたとき、オルガンティーノ師はぴしゃりと言った。
「それは、できません」
明智殿の顔が「え?」という表情になった。さらにオルガンティーノ師は続けた。
「我われがこの国の政治に口を挟むことは、我われの会の規則が固く禁じておりますので」
そのあと、明智邸を辞して神学校までの帰り道、見聞きしたことがあまりにも衝撃的で、我われ三人はほとんど話もしなかった。
そしてその日の夜、我われはさらにとんでもないものを見てしまうのである。
我われというと語弊がある。
この安土の、そして日本の、いや地球にいる大部分の人が見てしまったことなのである。
夜暗くなるとすぐに北西の空、安土の町から見るとすなわちちょうど琵琶湖の湖水の上辺りの空に、巨大な彗星が出現した。
湖の向こうの山の上辺りに頭を下にしてその彗星は浮かんでいた。長く引いた尾は地面から垂直に上へと延びて、まるで動かない花火のようでもあった。
この間の赤い空の時と同様に町中が大騒ぎだったので、皆で外に出てみてそれに気がついた。
赤い空は一夜限りのしかも局地的なものであったが、この彗星はそれからも数日間、地球の少なくとも北半球では見え続けていくはずだ。
町の人たちは彗星のことを「箒星」と言っていた。たしかに、掃除をするときに使うあの箒のような形をしている
さらにはその三日後、白昼堂々と彗星の片割れか流れ星かは分からないが、昼でもはっきりと分かるような明るさで、お城の向こうへと飛んで行って落ちた。
瞬間だが、町にも衝撃が走った。早速我われはこのことについて話した。答えは赤い空の時と同じである。どのような『天主』のお示しななのか分からない。
だが、この国の人々は、この彗星の吉凶に関しても無頓着のようであった。とにかくはこれが凶事の前兆ではないことを祈って、司祭と修道士全員が礼拝堂に集まって祈りを捧げた。




