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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 6 Incidente di Honnoji(本能寺の変)
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Episodio 2 La fioritura dei ciliegi e la Pasqua(桜花と復活祭)

                  1


 翌日も神学校セミナリヨでは、例の赤気という夜空の赤い発光現象のことで持ちきりだった。

 食事をしながらの話題も当然そのことばかりだった。

 まずは昨夜オルガンティーノ師も言っていたように、あれが吉兆なのか凶兆なのかということだった。

 いずれにせよ偶然は一切ないので、間違いなく『天主デウス』からの何らかのメッサージョ((メッセージ))であるというのが皆の一致した意見だった。


「だから、皆さん、とにかく気を引き締めてまいりましょう」


 食事をしながら、オルガンティーノ師はそう締めくくろうとした。だがカリオン師がそこへ口をはさんだ。


「昨日ロレンソ兄(イルマン・ロレンソ)が言われていたことも気になります。日本の記録では上に立つ重要な人の死の前兆としてあの赤気セッキというのが現れたということです。異教徒の迷信と言ってしまえばそれまでですが、上に立つ重要な人といえば、織田殿以外には考えられない。織田殿はこれから戦争に行かれようとしている。なんだか嫌な予感がします。織田殿の庇護あってこそ、この国での我われの福音宣教も順調に進んでいます。しかしここで織田殿に万が一のことでもあれば、福音宣教は停滞してしまうでしょう。やはり織田殿には、今回の戦争に行くのはやめていただいた方がよろしいのではないでしょうか」


「いやいやカリオン神父(パードレ・カリオン)


 オルガンティーノ師がそれを手でさえぎった。


「あのお方の性格だ。この国での異教徒の迷信さえ、あの方は迷信は迷信として全く気になさらない。それに、織田殿が戦争に行くか行かないかはこの国の内政に属します。そういったことに口出しはしないようにということが、巡察師ヴィジタドールから言われた指針の中にもありましたよね」


 オルガンティーノ師は顔はにこにこして話していたが、言っている内容は厳しかった。


「今はお城の中はごった返しています。織田殿も実に多忙そうでした」


 私も昨日実際に目撃した内容を伝えた。

 たしかに織田殿の毎日は甲斐の武田殿との戦争のことで手いっぱいで、まずは会ってもらえるのも難しいだろうし、その戦争に織田殿自身が出向くことをやめさせるなどまずもって無理だろうと私も思った。

 なにしろ兵の大部分は農民であるため、農閑期である今のうちに織田殿は戦争の決着をつけたいのだろう。農繁期まで長引けば兵を農村に帰さなければいけなくなるため、戦争は一時中断となる。そうなると、今は勝っているようだが形勢が逆転する可能性すらある。


「ここは吉兆であることを、『天主デウス』に祈ろうではありませんか」


 オルガンティーノ師は、今度こそ本当にこの話題を締めくくった。


 この食卓にいる人々は皆昨夜のことばかりを考えている。だが、私はそうはいかなかった。あの赤い光が現れたとき、私はちょうど例の本を読んでいたのだ。

 その内容がトラウマとなって頭の中に焼きつき、赤い光の騒ぎもそのせいで私の中では薄らぐくらいであった。


 その後に始まった安土での私の日常生活においても、衝撃はいつまでも消えなかった。

 もっともあの本に書かれていた状況がこの日本で起こることは考えにくい。サラゴサ条約がある以上、日本に来られるのはポルトガル商人と我われ聖職者だけだ。スパーニャ人は軍隊はおろか商人でさえ日本に来ることはできない。スパーニャ人でもカリオン師のようなイエズス会士の聖職者のみが例外である。だから、コンキスタドーレスの日本上陸はあり得ないのだ。

 しかし、サラゴサの例外としてスパーニャが統治しているフィリピーナにはスパーニャの軍隊が駐屯しているという不確定な情報も耳に入っているから油断はできない。


 そしてもう一つ気になるのはヤスフェが言っていたこと……織田殿自身がコンキスタドールになろうとしているということだ。

 まさかあの本に書かれた状況が日本人によって、シーナ大陸で再現されるなどということはないだろうとは思うが、やはり心は晴れない。


 そして、今さらながらもう一つ思い出したことがある。

 長崎で信徒たち(クリスティアーニ)の自警団が神宮寺を焼き打ちし、その門前町をことごとく焼き払ったあの事件だ。

 翌日、焼け跡を調査しに私は神宮寺の門前町があったところに行った。そして、そこで見たのは我われに対する子供たちの憎悪の目だった。

 さすがに神宮寺ではあの本に書かれたような酷いことはなかったかもしれないが、実質的に家は焼かれ、家族が焼け死んだ数はおびただしいものであっただろう。

 だ神宮寺の焼き打ちは、この本に書かれているようになスパーニャやポルトガルの軍隊の兵士がしたことではない。同じ日本人同士の殺戮である。日本人の信徒の自警団が、勝手にやったことである。

 日本人同士の殺し合いだから、内戦状態にあるこの国では珍しいことではない。しかも日本人同士なら我われがどうこう言える問題ではない。

 そう思って少しは心が落ち着いたものの、また別の考えが、今さらながらに頭に浮かんだ。

 たとえ日本人同士の殺し合いだったとしても、自警団は十字架の書かれた旗を揚げていったようだ。つまり、「キリスト」の名においての行動だということになるが、断じて「キリストの御名による行為」ではない。

 しかし、少なくとも「キリスト教団」、この国でいう「キリシタン」の名においての行動であることはもうぬぐい去りえない。


 あの大村の殿のドン・バルトロメウも、自分の領内の民をすべて信徒クリスティアーノにしたと言っていたが、断固拒否した住民はよくて追放、最悪火あぶりで処刑したのではないかなどということも小耳にはさんでいる。

 そうなると、ますますスパーニャのコンキスタドーレスと重なってしまう。


 そんなもやもやを引きずりながら毎日を過ごしていたが、教会の配属だったら日常は聖務日課とミサのほかは自らの修練に没頭し、日曜日に一般信徒と顔を合わせるくらいだ。

 だが、神学校セミナリヨに配属になったお蔭で毎日初々しい神学生と接することができる。私も三十の大台に乗ったとはいえ、まだまだ若者のつもりである。

 だが、神学生はもっと若い。

 彼らは小さい頃から信徒クリスティアーノの家庭に育ったものが多く、純粋な心が培養されている。そんな彼らと接し、ときには質疑に答え、また彼らの姿から私も何かを吸収しつつ過ごすうちに、例の本の衝撃も少しずつではあるが和らいでいった。


 あの本は、再び荷物の深いところにしまい込んだ。

 すでに神学校セミナリヨの隣に教会建設予定地は確保され、建築の資材も集まりつつある。

 だが、まだ教会はできない。この甲斐との戦争がとりあえず終わるまでは、実現は難しいだろう。

 それでも。これからこの国の中心地となっていくであろう安土に教会がないというのは、『天主ディオ』に申し訳がないという気がする。

 もちろんオルガンティーノ師も重々それは思っているようで、だから私はあえてそのことには触れなかった。


 そして赤い光の夜から二十日以上たち、あたりの様子もかなり春めいてきた三月の最後の日に、織田殿はおびただしい数の軍勢を連れて安土を出発していった。

 我われは神学校セミナリヨの三階の窓から兵士が進む街道を見ていたが、本当に長い列の軍隊の行軍だった。

 その日が土曜日で、翌日の4月1日は枝の主日ドミニカ・イン・パルミスである。そのミサも取り行われ、棗椰子なつめやしの代用のネコヤナギの葉を持っての行列も行われたが、何しろ狭い神学校セミナリヨの礼拝堂での儀式だけに小ぢんまりとした感じはぬぐい切れず、やはり教会の早期建設が望まれた。



                  2


 いよいよ春たけなわとなり、聖週間を迎えようとしていた。

 ちょうど去年の復活祭パスクアは高槻で盛大に行われ、多くの市民も参列し、ローマさながらの光景にヴァリニャーノ師も感動しておられた。そんなことを思い出していると、オルガンティーノ師も、食事の席で皆に切り出した。


「やはり復活祭パスクアは教会のあるところで迎えたいな」


 それは私もカリオン師も賛成だった。


「では、また高槻に?」


「いや」


 私の問いに、オルガンティーノ師は首を横に振った。


「今、ちょうど織田殿もおられないから安土を離れるのは構わないであろうけれど、実は高槻の殿のドン・ジュストも織田殿といっしょに甲斐の戦争に行かれていて不在なのだ。高槻の教会も当然復活祭(パスクア)を祝うだろうけれど、ジュストが不在の折に我われが出向いて行って去年のように盛大にというのはやはりまずいだろう」


「では……」


 箸を置いて、カリオン師が身を乗り出すようにオルガンティーノ師を見た。オルガンティーノ師は言った。


「その土地の殿に気兼ねがいらない教会といえば、長崎と都しかない」


「では、都ですね」


 カリオン師の言葉に、オルガンティーノ師はうなずいた。


「ここの修道士たちも神学校セミナリヨの学生も全員連れて行こう」


 今年の復活祭パスクアはこうして都の教会のミサに、上長であるオルガンティーノ師をはじめ安土の神学校セミナリヨの関係者は全員参列することになった。


 折しも安土の城下にあるサクラが満開だった。去年は復活祭パスクアが早かったので桜はそのあとであったが、今年は桜の時期が終わりかけた後での復活祭パスクアとなる。


 我われは聖木曜日に間に合うようにということと桜が完全に散ってしまう前にということで、3日の火曜日の早朝に安土をあとにし、その日のうちに都に着いた。

 今、都にいる司祭はジョバンニ・フランチェスコ師一人のみだった。


「どうです、皆さん。もうだいぶ散って葉っぱも出てきましたが、都の桜を見物なさっては?」


 そう提案してきたのは、フランチェスコ師だった。


「去年、巡察師ヴィジタドールがおいでになった時は清水キヨミズまで行きかけたのに例の騒ぎで行かれませんでしたからね」


 聖木曜日まであと一日ある。そこで、翌日の水曜日に我われ安土からの一行は、以前都に住んでいたカリオン師の案内で清水に出かけることにした。

 清水は都の東、大きな川を渡った向こうに横たわる山の中腹にある。そこに向かう長い坂道を上った。道はものすごい人の出であった。

 おそらく都の市民もこぞって桜を見に来ているのであろう。この時期は多くの貴族や有力者は桜の花をめでるための宴会を催しているという。

 道の右側は谷間に沿って広大な面積の墓地であった。


 やがて坂の上に赤い柱の大きな門と、塔が見えてきた。その門をくぐるのは我われにははばかられたので、門の右へ迂回する道を行き、また坂を登ると、清水寺の建物が見えてきた。

 寺は高い石垣の上にあるが、その建物からはパルコシェーニコ((ステージ))のように崖に張り出している部分があり、木の柱が組まれてそのパルコシェーニコ((ステージ))を下から支えている。

 我われはそれを見上げる谷間のようなところに人々をかき分けながらたどり着いたが、そのあたりが一面の桜であった。

 たしかにもうほとんど花びらは散って、まるで道にピンク色のじゅうたんが敷かれているいようだ。木を見ると、わずかに残った花の間からもう緑の新芽が多数吹き出していた。

 桜はまず裸の枝に一面に花が咲き、花が散るのと交代で葉が出てきて夏の間に茂るのである。今はまさにその交代の時期であった。

 花に包まれ、暖かな日差しを浴びていると、これまでのもやもやした気分がほんの少しだけ晴れるような気がした。振り返るとここからは都が一望できる。ここから見ると、本当に都は山に囲まれた盆地なのだと実感する。

 その盆地の底にたくさんの家々が密集して詰め込まれている。ところどころには寺の塔や殿の屋敷の大屋根などが点在している。そして道はスカッキ((チェス))の板の目のように縦横きれいに走っている。雄大な眺めだ。今日はここに来て本当によかったと思った。


「美しい」


 オルガンティーノ師もイタリア語で言った。


「こんな美しい天国パラディーゾのような国は、ほかにないだろう。だから日本は私の嫁なのだ」


 オルガンティーノ師は高らかに笑い、皆もそれに同調した。

 のどかだった。だが、私の心の靄は完全に拭いきれたわけではない。何かの前の静けさではないことをただ祈るばかりだった。

 

 翌日からは、聖週間サンクトゥム・サバティが始まった。聖木曜日のミサは主の最後の晩餐を記念して行われる。

 この最後の晩餐の席で、ユダはイエズス様を裏切った。イエズス様は言われた。


「我とともに食する汝らの中の一人、我を売らん」――イエズス様はすべてをご存じだった。愛する使徒の中の一人に裏切られるイエズス様のお気持ちはどんなだったのか、またユダは本当に何を考えていたのか……分からない。

 福音書エヴァンジェリウムを読んでも「時に悪魔サタン、十二人の一人なるイスカリオテととなうるユダに入る」としか書かれていない。

 この短い本文テストから何を読み取ればいいのか……。


 そしてさらに不思議なことにイエズス様はユダに「汝がすことを速やかにせ」と命じている。しかも、ユダがその言葉を聞いて即座にその場を去ったのを、ほかの使徒は誰も奇異に思っていない。おそらくユダは何か買いものでも言いつけられていて、それで出かけたのだとくらいにしか思っていなかったと福音書エヴァンジェリウムには書いてある。

 でも、イエズス様のそのみ言葉の真意は何だったのか…そんなことをミサの間私はずっと考えていたが、やはり分からなかった。


 そして翌金曜日はミサはなく、主の御受難を記念する典礼が行われる。その後受難の道行を我われも追体験するのだが、ここでも私の頭からユダのことが離れなかった。

 もう物心ついてから三十年近く毎年繰り返し迎えていたこの日である。それなのにユダのことを考えたことはこれまでになかった。

 この御受難も世俗的な考えでは、ユダというたった一人の人物によって引き起こされた事件なのである。


 そして聖土曜日はそのまま復活徹夜祭となる。ここで死から生へと再生が行われ、教会では毎年それをこの時期に繰り返す。

 ちょうど桜の木において花が散って葉が茂りだす、そんな「交代」の意味もそこには含まれている。復活は再生であるだけでなく、それはいわば新生なのだ。

 その間に、ユダの滅びが福音書エヴァンジェリウムには記されている。福音書エヴァンジェリウムでは悪魔の業とされているユダの裏切りだが、私はどうもそんな単純なものではなかったような気がする。

 しかし、こういったことは聖職者同士で互いに論ずることは禁忌という雰囲気さえある。

 『天主ディオ』は何らかの使命をユダに与えたのではないか。さもなくば、イエズス様がユダに「汝がすことを速やかにせ」などと仰せになるだろうか。

 この国の言葉では裏切りを意味する「ムホン」とか「ハンギャク」といえるユダの行為には、それなりの意味が『天主ディオ』にもユダ本人にもあったのかもしれない。


 その復活の主日のミサは、昨年の高槻での早朝からのおびただしい数の信徒クリスティアーニによる行列が思い出される。

 あれからもう一年たったのだ。都では高槻ほどの信徒は集まらないが、それでもそこそこの数の信徒で御聖堂おみどうは埋まっていた。

 ミサの司式はオルガンティーノ師だった。参列者の中にはあのジョアキム夫妻の姿もあった。

 都では高槻とは違って教会の敷地の外へ出ての行進ははばかられたが、教会の敷地内で聖歌を歌っての短い行進は行われた。

 そしてこれは都の教会の昔からの伝統だというが、ナターレ((クリスマス))復活祭パスクアでは異教徒である近隣の人々へも食事の提供が行われるという。

 こうして都での復活祭は執り行われたが、巨大な都ではその片隅で行われていた祭儀は埋もれてしまう。大多数の都の市民は、全く無関係な日常を過ごしている。

 それだけ都は巨大だといえた。

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