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とある司祭(パードレ)の憂鬱(メランコリア) ~聖なる侵略者~  作者: John B.Rabitan
Capitolo 6 Incidente di Honnoji(本能寺の変)
46/96

Episodio 1 Paura per i conquistatori(コンキスタドーレスへの危惧)

                  1


 私が安土に到着したのは、ヴァリニャーノ師が日本を去ってからひと月近くたった頃だった。

 長崎ではミゲル・ヴァス師やアルメイダ師に見送られ、二名の修道士とともにとりあえず船で長崎をあとにし、有馬に着いた。

 有馬ではジェロニモ・ヴァスけいという私と同世代のポルトガル人の修道士と合流し、とともに安土を目指すことになった。ヴァリニャーノ師の出発間際に、都布教区の高槻の教会への配属を命じられたとのことであった


 我われはまずは伊予の国に渡り、今度は馬で陸路を東に進んで、阿波から再び船で堺へと渡った。

 決して順調な旅ではなかったが、以前の船旅に比べたら難はなかったといえる。

 またヴァス兄が気さくでよくしゃべる人だったので、道中の馬上での退屈はなかった。


 ただ、堺でも、高槻でも、そして都でも、決して冷淡に迎え入れられたというわけではないが、以前にヴァリニャーノ師とともに来た時とは何か勝手が違っていた。

 供給された食事も、すでに四旬節クアドラジェシマに入っていたから質素だったということもあろう。だがそれだけでなく、以前は巡察師ヴィジタドールとしてのヴァリニャーノ師を歓迎するという趣旨でどこででもにぎやかに出迎えてくれた。

 今度はただの司祭と修道士だ。勝手が違って当たり前だ。


 高槻ではフルラネッティ師のほかに、かつて都にいたセスペデス師がいてここで再会した。

 都にはジョバンニ・フランチェスコ師という私と同じローマ生まれという司祭が一人でいた。年は私よりも十歳くらいは年長の四十代のようだった。フランチェスコ師は私と同名、同出身地というにもかかわらず、そのことをとりわけて驚いたり喜んだりしている様子はなく一通りの親愛の情を見せてくれただけだった。


 そうして都でフランチェスコ師に見送られながらも高槻へと戻る形になるヴァス兄とも別れ、修道士たちとともに安土に入ったのはすでに3月。

 厳しかった冬を終えて、ようやく少し春めいてきている頃だった。街道の道端には、時折黄色い花が咲き、蝶が飛ぶのも見えたりした。


 思えば約半年ぶりの安土だ。街道の行く手の丘の上にそびえる巨大な安土城天主を目にした時、帰ってきたと思った。

 城下に入っても、活気のある町のたたずまいに心持ち着く。正確には町というよりも、春の日差しの中の湖とその周りの山々の風景に懐かしさを覚え、心が安らいでいたのかもしれない。

 そして、街並みの中に神学校セミナリヨの青い瓦屋根と十字架が見えたときは、思わず馬を走らせたくなるような衝動に駆られた。


「おお、おお、おお、おお」


 神学校セミナリヨに入ると、満面の笑みでオルガンティーノ師は私を迎え入れてくれた。


「いやあ、ご苦労だったね。そしてこれからはここで一緒だ。そう巡察師ヴィジタドールからも手紙をもらったよ」


 会話は何のためらいもなくイタリア語だった。今まではとにかくヴァリニャーノ師のそばを離れなかった私だったが、これからはオルガンティーノ師が私の直接の上長となる。しかも、今までのようなあらたまった口調ではなく、砕けた感じだ。


「これからはTuで話そう(砕けた口調で話そう)」


 オルガンティーノ師自身が私にそう言ってくれたのだ。そして、にこやかな笑顔でいたわってくれた。


「まあ、今日のところはゆっくりお休みなさい。四旬節クアドラジェシマだから歓迎の宴はできないけれど、すぐに食事になる」


「ありがとうございます。皆さん、お変わりありませんか」


「『天主ディオ』の御加護で、とても順調に暮らしているよ。まあ、早く中にお入りなさい」


 そう言われて私はとりあえず荷物を解くと、神学校セミナリヨ内の礼拝室で到着の祈りを捧げた。

 オルガンティーノ師はしばらく休めと言われたが、私はとにかく織田殿に会いに行きたかった。まずは挨拶をしないとまずいだろう。

 その旨をオルガンティーノ師に告げると、早速に修道士を城に走らせて、アプンタメント((アポイントメント))を取り付けてくれた。


 ここで私を温かく迎えてくれたのはオルガンティーノ師ばかりではない。前にともに播磨まで旅をした日本人の老修道士のロレンソ兄も、目が不自由ながらも以前と変わらぬ笑顔を見せてくれた。

 そして、かつてマカオでともに叙階を受けたスパーニャ人のフランシスコ・カリオン師も都からこちらへ異動となっていた。互いに再会を喜んだのは言うまでもない。

 カリオン師は私よりほんの少し若いが、ほぼ同世代といえる。だがそれだけではなく、やはり同期というのはどこか永遠につながりがあるものである。

 私は長崎でミゲル・ヴァス師やサンチェス師、アルメイダ師に会ったことも話した。


「いやあ、私も会いたいです。お元気でしたか」


 今の高齢のアルメイダ師の様子で元気というのははばかられたが、とりあえず元気だということにしておいた。


「いつかラグーナ神父(パードレ・ラグーナ)も含め、六人がそろって会いたいですね」


 カリオン師は言う。私も笑顔でそれに同意しておいたが、今ではミヤコ布教区とシモ布教区、豊後ブンゴ布教区とみなばらばらに散っているので、その提案の実現は難しいと感じた。

 だが、あえてそれは言わなかった。

 他にも修道士は何人かいた。その中の一人、シマン・デ・アルメイダけいは先ほども話題に出ていたアルメイダ師と同姓なので前から親しみを感じていたが、老人のアルメイダ師とは世代が違いすぎる二十代の若者だ。

 若者といえばもう一人、ジョバンニ・ニコラオ兄は今度は私と同名で、しかもナポリ出身のイタリア人だった。鼻筋の通ったいい男の二十代だ。

 そしてペレイラ兄は三十代、ヴィセンテ兄だけが四十に達する日本人だった。

 

 信長殿との会談は二日後、すなわち3月8日の木曜日と決まった。

 はじめはオルガンティーノ師も同行してくれることになっていたが、当日の朝になってオルガンティーノ師は体調がすぐれないということで、急遽私とカリオン師の二人で登城することとなった。

 出発前にオルガンティーノ師は城の一般的通用門になっている百々橋(ドドバシ)口からではなく、大手門の方から行くようにと指示した。


百々橋(ドドバシ)口からの道は、この正月、この国での正月だけれど道の両側の石垣が崩れて、今は通行止めになっているんだ」


 オルガンティーノ師の説明によると、正月におびただしい数の人々、すなわちこの近辺の領主たちが織田殿に新年のあいさつを告げるために一斉に登城したので、その人々が踏みしめる重みで道の石垣が壊れたのだというが、にわかに信じがたい話だった。

 オルガンティーノ師がいつものお得意のスケールツォ((ジョーク))だと思っていたが、どうもその話は本当らしいとカリオン師が脇から口をはさんだ。

 ただ、そうなると、あの仏教のテラの中を通って城に上るというペルコルソ(( ル ー ト ))を通らなくていいことになる。


「それと、今や織田殿は甲斐カイ武田タケダ殿との戦争の真っ最中です。もう今はなくなっているとは思うけれど、二、三日前までなら百々橋(ドドバシ)口から行けば見たくはないものを見なければならなかったでしょうね」


「見たくはないもの?」


「甲斐の国から送られてきた敵の大将の生首がさらされていました」


 その話に私は背筋にぞっとするものが走った。さすがにこの時ばかりは、いつも陽気なオルガンティーノ師も真顔だった。


 神学校セミナリヨから大手門まで安土の町中を我われは歩いたが、落ち着いてから見るこの町の様子に私はいささか感慨を覚えていた。

 去年はあくまで一時の滞在先だった。しかしこれからは、ここが私の町となるのだ。おそらく当分の間、ここに腰を落ち着けることになるのだろう。そうなるともはや訪問者ヴィジタトーレではなく住民になるのだ。


 ただ、町の人々は当然のことこの国の民であることは長崎と変わらないが、長崎の住民は日本人でも皆が信徒クリスティアーノだった。だがこの町では、ほとんどが異教徒なのだ。

 その異教徒の町の真っただ中に神学校セミナリヨはある。それを考えると、少し気が引き締まる思いだった。

 ただ、今はこの国全体が内戦状態の真っただ中なのである。しかし、なにもこの時初めて感じたことではないが、内戦の戦場となっているわけではない地域では至って平和だ。

 今もこの安土は甲斐と戦争をしているというが安土の町そのものは穏やかで、人々はそれとは関係なく日常の暮らしをしている。つまり、見事に秩序立っているのだ。

 エウローパの国でひとたびその国が内戦状態になったら、その国のどの町もこのような平和な状態ではあり得ないだろう。やはりこの国は不思議な国だと、私はあらためて認識した。



                  2


 我われが大手門に着くとそこには出迎えの武士サムライがいて、恭しく頭を下げて我われを迎えてくれた。

 久しぶりのあの幅の広い石の階段を上っていくと、百々橋(ドドバシ)口の方からの道と合流する地点に至る。

 あの有馬の城の大手門からの石段はこの安土の城の石段を意識して造られていると感じたが、やはりスカーラ(スケール)が全然違う。


 ここからも例の摠見寺ソーケンジというテラの様子がよく見えるが、以前も大きな屋根を持つ本堂のある寺だった。

 だが、私は眼を見開いた。寺は信長殿の長男の勘九郎殿の屋敷の向こうだが、その本堂はかつてよりもさらに大規模な巨大な本堂となっていた。


「あの寺、ものすごく大きくなりましたね」


 私が感嘆の声を挙げると、歩きながらカリオン師は首をかしげた。


「私がここに来た時はもうこんな感じでしたけれど、前はもっと小さかったのですか?」


「前も大きい屋根でしたけれど、一階建ての本堂でした」


 今ではその屋根の上に城の天守閣のような望楼が据えられているのを私は見た。


「ほう、あの屋根の上の塔のような部分はなかったというのですね?」


「あとから付け足したというよりは、完全に新しく建て直していますね」


 道が黒金門へと続く細くて急な石段となると摠見寺ソーケンジを見降ろす形となるので、余計にその全貌が一望できるようになった。

 わずか半年足らずでかなりの工事が行われたらしく、摠見寺ソーケンジは巨大な寺院へと成長していた。


 やがて黒金門をくぐり、石垣で囲まれたスパーツィオ((スペース))を抜けて山の頂上に出たとき、さらに高くそびえる巨大な天主閣を私は再び仰ぎ見た。

 摠見寺がどんなに改築されて大きくなったとはいえ、この天主閣には到底及ばなかった。

 すぐに中に案内され、我われは最上階に通された。以前もここで織田殿と会見したあの場所だ。

 しばらくして現れた織田殿は、都で見たあのマントを着していた。我われと会うということでわざわざこの姿で登場したというのは我われへのセルビッツィオ((サービス))でもあり、茶目っ気であるとも感じられた。

 その織田殿は威厳の中にも相変わらずの笑み、聞いた話だと家来ケライには決して見せることがないという親しみの笑顔でこの日も接してくれた。


「いや、久しいのう、コニージョ殿」


 織田殿にいきなり名前を呼ばれて、私は日本式に床に座ったまま頭を下げた。驚いたことに、織田殿はきちんと私の名を覚えておいてくれていた。やはり頭の切れる男なのだ。


「カリオン殿も、いつもご苦労である」


 顔はにこやかではあるが、この日の信長殿は少しそわそわしている様子がうかがえた。


「実は今、甲斐の武田討伐の真っ最中であってな。予も近々安土を出座して甲斐、信濃へと向かう。すでに我が嫡男勘九郎の軍が破竹の勢いで、甲斐のほとんどは制圧し終わったという知らせも届いておるがな」


「それはおめでとうございます」


 我われはもう一度、頭を下げた。


「それで何かと準備に忙しいのだ。せっかくおいでいただいたが、あまり時間はとれそうもない」


「いえ、私はこのたびこの安土の神学校セミナリヨに着任し、これからはずっとこの地で暮らすことになりましたから、今日はとりあえずご挨拶をということで参りました」


「それはご苦労」


 織田殿はゆっくりとうなずいた。


「今日はウルガン殿は?」


 オルガンティーノ師のことだ。


「今日は体調がすぐれませんので」


 カリオン師が答えた。


「それはよくない。お大事にするように伝えてくれ」


 それから織田殿は少し何かを考えていた。そして軽く唸ってから、我われの方を見た。笑顔ではあったが、その目に厳しい表情があった。


「去年、コニージョ殿が九州に戻るということでいとまを告げられたあと、しばらくフロイス殿が残ってたびたび予に会いに来てくれたが、その時に興味深い話を聞いたのでな」


「興味深い話?」


 私はそれが気になった。たしかに去年、ヴァリニャーノ師とともに私が安土を辞してシモに向かう際、堺まで見送りに来てくれたオルガンティーノ師の代わりにフロイス師がここに残留し、あとからフロイス師は我われを追って堺で合流したのだった。


「そのことをウルガン殿にも聞いたが、ウルガン殿はあまりそれについては話したがらない」


「何のことでしょう?」


「そなたらの国はその西の海の向こうに大きな大地を見つけて、海を越えてその大地にあった帝国を滅ぼし、占領したというではないか。たしかコンキスタドーレスと呼ばれる人々によって」


 たしかにそのような政治向きの話は、オルガンティーノ師は好まれないであろう。しかし、それよりもフロイス師がどういう意図で信長殿にその話をしたのか、その真意が測り兼ねた。だがその時、隣にいたカリオン師の眉が動いた。


「それまで大地は平らで西の海の彼方は崖っぷちとなっていると考えられていましたけれど、大地が丸い球だと分かってからは西の海にと船は乗り出したのです。するとそこにも広い大地があって、巨大な帝国があることを発見しました。そして今から七十年ほど前から次々に我が国からコンキスタドーレスが西の大地に渡って、インカやアステカという帝国を討ち滅ぼしてイスパニアの領土としてきました。その話ですね」


 何か得意げに話すカリオン師を見て、私はまずいのではないかという気がしてきた。おそらくカリオン師は何の気もなく、自分の故国のスパーニャの話が出たので嬉しくなって話しているだけだろう。

 だが、私の脳裏には、その時はっきりと蘇ってきたのだ。あの長崎の寺院の焼け跡で、我われ宣教師を侵略者呼ばわりした子供たち……。

 高槻でも同じようなことがあった。

 もしここで織田殿がコンキスタドーレスの話を聞いて、信長殿の中に我われに対するひどい誤解が生じたら大変なことになる。

 そこで私はまだ話し続けていたカリオン師にの言葉に強引に割って入った。


「バテレン・フロイスがどういうつもりでそのような話を上様ウエサマに申し上げたかは分かりませんが、我われキリシタンのバテレンには関係のない話でございます。我われバテレンはいろいろな国の人がいますが、皆故国を捨ててキリシタンの教えを広めるために来ました。バテレン・ヴァリニャーノもバテレン・オルガンティーノも、そして私もそういう世界征服の野望など持たないイタリアという地域のものでございます。ですから、この話は詳しくは申し上げることはできません」


 それを隣で聞いていたカリオン師も口をつぐんだ。彼も、自分が少ししゃべりすぎたと感じたようだ。


「そうです。私はバテレンとしてここに来ていますが、私の国はこの国に来ることはできません」


 ばつが悪そうに、これまでの勢いはよそにぼそっと言った。


「来られぬとは?」


「それは」


 私が変わって口を開いた。


「イスパニアとポルトガルで取りきめがありまして、イスパニアはエウローパより西、ポルトガルは東にと商いをするということでございます」


 商いという言い方は事実と反するが、今ここで織田殿にあからさまなことを言うわけにはいかない。


「ご存じのとおり大地は丸いので、イスパニアは西、ポルトガルは東といいましても、大地の反対側ではその境目は再び接点を迎えます。この国の皆さんがルソンと呼んでおりますフィリピーナスは例外として、この日本まではすべてポルトガルの商いの範囲でして」


「つまり、縄張りということか」


 その言葉は使いたくなかったのだが、信長殿の方からそう言われて一瞬ギクッとした。だがすぐに信長殿は高笑いをした。


「なるほど、日の本はポルトガルの縄張りよのう。それでこの国に来る南蛮人はポルトガルという国の人々ばかりということだな」


「はい。イスバニアの商人は来られません」


 カリオン師がさらりと言う。だが、口に出してこそ言わないが、商人ばかりではなく軍勢も含まれている。

 私は焦ってきた。


「しかし、ポルトガルの国王は我われと同じキリシタンのバテレンなのです。よその国を自分の国の領土にしようなどということは考えておられません。ですから上様も、どうかご心配なさらないよう」


「心配? 予が何を心配しているというのだ?」


 織田殿の顔から一瞬笑顔が消えたのでギクッとしたが、またすぐに高笑いをした。


「予は間もなく武田を平定し、天下布武の理想をいよいよ実現しようとしておる。この日の本が再び一つの国となって、泰平を取り戻す時も目前だ」


 そして隣の部屋に向かって叫んだ。


乱丸ランマル。地球儀を持て」


 すぐにフスマが開いて入ってきた体格のよい無骨そうな少年が持ってきたのは、かつてヴァリニャーノ師が都で織田殿に贈った地球儀であった。


「ここがそなたたちの国であると言ったな。この日の本よりも小さい」


 織田殿は地球儀を抱え、身を乗り出して我われにエウローパを指さして見せた。


「そして聞くところによると、これがそなたたちの国が征服したインカやアステカであるというではないか」


 信長殿は正確にそれぞれの地域を指さしていた。


「こんな小さな国がどうやってこんな巨大な帝国を滅ぼして手に入れたのか、予はそこが知りたいのだ」


 私はどう答えていいのか返事に窮していた。カリオン師はすっかりおとなしくなってしまっている。

 どうにか私は、顔をあげた。


「我われの使命は、この国にキリストの教えを広め、人々の魂を救うことのみでございます。この世の政治的なことに関しては、何も申し上げることはございません。お許しください」


 織田殿は一瞬失望したような顔をした。しかしそれが、ヴァリニャーノ師からも言われていた我われの立つべき立場である。


「であるか。まあ、いい。そなたたちの本分を考えたら、致し方ないことかもしれぬ。天下を平定したらそのあとどうするか、考えておったのだがな。この日の本の西の海の向こうにも、インカやアステカに匹敵するようなミンという巨大な帝国がある」


 織田殿は苦笑を洩らし、さらに続けた。


「織田家の家督もすでに嫡男に譲ったし、予は隠居の身。嫡男がやがてこの日の本全体を治めるようになったら、予の居場所はなくなるのでな」


 そう言って織田殿は高笑いをしたのでこの話はここまでと、私は話題を変えることにした。


「時に、上様のコンプレアンノ…」


 私はコンプレアンノ((バースデー))の適当な日本語の訳語が見つからず、平たく言い直した。


「お生まれれになった日はいつでございますか」


「知らん」


 その答えは意外だった。だが、織田殿の方が怪訝な顔をしていた。


「なぜ、そのようなことを聞く?」


「いえ、上様のお生まれになった日をお祝いせねば失礼に当たるかと思いましたのでお聞きしました」


「この国ではそのような、生まれた日を祝うという習慣はない。そういえばそなたたちは冬になると、キリシタンの教祖であるヤソ様の生まれた日だといってセミナリヨでは祝っておったな。たしか、ナタルとか称しておったが」


「はい。それだけではなく、我われの国では、それぞれ一人一人生まれた日が来ると、コンプレアンノ《(誕生日)》と称して周りの者に酒や料理をふるまいます。それで皆で盛大に祝います。なにしろそれで一つ年をとるのですから」


 「年をとるのは正月ではないのか」


 たしかに、この国では年齢の数え方がエウローパとは違うことはすでに知っていた。生まれた時点では一歳で、正月に皆が一斉に年をとる。我われのようにコンプレアンノで年を取らない。だから、祝う意味がないのであろう。


 「正確な日付は知らぬが、なんでも五月頃に生まれたというようなことは守り役から昔聞いたような気がする。しかし、いいことを聞いた。まだ三月みつきも先のことだがな」


 またもや織田殿は上機嫌に笑った。

 あとは織田殿も忙しいということでこの日の会見はここで打ち切りだった。やはり、信長殿と会うのは緊張する。

 しかも以前はあくまでヴァリニャーノ師やフロイス師がプリンツィパーレ((メイン))で、私はただ同席しているだけという感じだった。私が中心となって直接織田殿と話をするのは、これが初めてだったのだ。

 だが織田殿は我われに対しても終始笑顔で、そして我われへの気遣いも忘れない。乱丸という少年とともに退出しようとした織田殿は、部屋の外に向かってまた叫んだ。


 「弥助!」


 すぐにあの懐かしい、黒い巨大な体が現れた。


「バテレン様方を大手までお送りせよ」


 そう言って織田殿は退出し、部屋の中は我われとヤスフェだけが残った。



                  3


 ヤスフェは我われの横に入り口を背にして座ったので、我われも座る向きをヤスフェの方に変えた。


「元気だったかね」


 私は座ったまま、ヤスフェの手を取った。


「はいお蔭さまで」


「去年以上に武士サムライらしくなったな」


 髪もすっかり伸び、きちんと武士サムライの髷を結っている。ただ、人種柄髪は縮れ毛なので、そこだけが本物の武士サムライとは違っていた。

カリオン神父(パードレ・カリオン)、こちらは去年都で大騒ぎとなった…」


 カリオン師は、私がヤスフェを紹介するのを笑って手で制した。


「毎週神学校(セミナリヨ)で会ってますよ」


「ほう。ちゃんと日曜日には休みがもらえるのかい」


「上様の特別なお計らいです」


 ヤスフェは洗礼を受けて信徒クリスティアーノとなって以来、毎週日曜日の神学校セミナリヨの礼拝堂でのミサには欠かさずあずかっているらしい。

 服装もしっかりとこの国の武士サムライ格好いでたちで胸には大きな十字架が光っていた。


「では、お送りせよとのことですので、話は歩きながらでも」


 物腰も、すっかりこの国になじんでいる。そのヤスフェに先導される形で、我われは天主閣を出た。


 黒金門を出て、大手への石段を下る。本当ならばこの足で織田殿の嫡男の勘九郎殿にもあいさつに行きたいところだが、先ほどの織田殿の話にもあったように、勘九郎殿は甲斐の武田殿との戦争のために総司令官として出征していて不在のはずだ。


 彼が今は織田家のあるじとはいえやはり天主閣に居住しているのは父の織田殿で、彼の屋敷はその足元にある。

 かつて安土の城ができる前は織田殿の城であった美濃の岐阜という城を、彼は譲り受けているにすぎない。かつてセスペデス師が布教に赴いた地だ。


神父様パードレ、やはりあの話はまずいのでは」


 歩きながら不意にヤスフェが言った。カリオン師にだ。ヤスフェは隣の部屋で、我われの会話は全部聞いていたようだ。

 彼は今信長殿の小姓コショウという身分で、我われの国でのパッジョに当たる。だから、信長殿が誰か人と会うときはあの乱丸ランマルという少年とともに常に隣の部屋で待機している。だから織田殿が会っている人との話の内容も彼らの耳には筒抜けなのだ。


「いや、それは私も今はそう思う。あのときは調子に乗っていた」


 カリオン師もヤスフェに指摘されてばつが悪そうだった。


「まあまあ、カリオン神父(パードレ・カリオン)の気持ちも分からないではないから、そう蒸し返しなさんな」


 私は何とかカリオン師を弁護しようとした。


「上様が心配していたが、イスパニアがインカを滅ぼしたようにはこの国に軍事的攻撃を仕掛けてくることはできないのだし、上様もそれで我われを誤解することもないだろう」


「まあ、それはあなたの|アコンパーニャール《( フ ォ ロ ー )》があったからで」


「私はポルトガル人ではないのだから、そんなに気にしなくていいですよ」


 さらに私は笑顔をカリオン師に向けた。だが、ヤスフェの表情はいつしか固くなっていた。


「上様は、そんなことを心配なさっているのではない。上様はイスパニアやポルトガルがこの国を攻めてくるなどということはお考えになっていませんよ」


 城中は結構武士(サムライ)たちが行き来している。皆、戦争に行く準備で忙しいのだ。

 だが我われはポルトガル語で話しているのだから、話の内容が聞かれても彼らには分からないはずである。

 ただ、聞き取れてしまうであろう「上様ウエサマ」のような単語については、ヤスフェはそこだけ小声で言った。


「上様はご自分がコンキスタドールになろうとされている。上様にとってのインカやアステカはシーナのミング帝国」


 私は言葉を失くして思わず足を止めそうになったし、カリオン師も初めて聞くことらしい。

 あくまで他国の政治向きのことだから我われがどうこう思うべきことでもないし、口をはさむことでもない。ただ、心配なのはこの国の民と明の民だ。織田殿の野望は、それはそれでぞっとする話だ。


家来ケライの人たちは知っているのかね?」


「ごく一部の人にしか話していないようです。それでも十分に波紋は広がっています。やっと訪れようとしている平和な世の中なのに、わざわざ外国へ行って戦争をする必要はないし、迷惑を受けるのは自分たちだとひそかに言っているものもいます。もちろん、上様に直接そのようなことを言ったものの首は胴体から離れるでしょう。でも、家来たちにとってはそうなったら一大事です」


 なるほどそうかもしれないと思うが、こればかりはその時になってみないと分からない。果たして「その時」が来るかどうかも分からない。

 それにしても、織田殿の考えていることのスカーラ((スケール))の大きさには我われは舌を巻くばかりだった。

 

 その日の夜、終課コンピエタのあと、昼間の信長殿の会話から忘れかけていたものを思い出した。

 ドミニコ会のラス・カサス師というスパーニャ人司祭が書いた「Brevísima relación de la destrucción de las Indias(インディアスの破壊についての簡潔な報告)」というあの本だ。

 日本を離れる直前に、ヴァリニャーノ師がそっと私にくれたものだった。

 私はまだ完全に解いていない荷物の中から、ようやくその本を見つけた。そして恐る恐る表紙を開いた。中はスパーニャ語で書かれていたが、ポルトガル語が分かればスパーニャ語は何とか読むことはできる。


 そしてそこに書かれているのは、戦慄の内容だった。

 コンキスタトーレに率いられたスパーニャの兵士が、かのインカの地でどれだけのことをしたか……。

 最初の方こそインカの地とそこに住む人々、この本では「インディオ」と称される人々の様子が記され、それはさしずめ我われの会が総長に送る報告書のごときものであった。

 しかし、わりと最初の方で内容はすぐに衝撃的になる。

 

「イスパニア人たちは前に述べたような資質を『天主デウス』より与えられたおとなしい羊の群れを見つけると、空腹なオオカミ、虎、ライオンのようにその間へと入っていった。そして今日に至るまで四十年間、今まで耳にしたこともないような残虐な方法で彼らを殺し、苦しめ、拷問にかけたりして破滅へと追いやってきた。私たちがエスパニョーラ島に上陸したときは三百万人ほどいた原住民は、今では二百人程度になってしまった。他にもすべての島で人口はほとんどない状態になっている。彼らはすべて征服者によって殺されたのである。多くの島が過疎と化すか、もしくは無人島となっている」

 

 そのあとで、エスパニョーラに限らずジャマイカ、キューバ、ヌエヴァイスパニアなどの土地の惨状が記されているが、中でも悲惨なのがやはりエスパニョーラ島であった。

 そこで兵士たちは競って原住民をいかに一撃で真っ二つに斬れるかとか一気に首をはねることができるかなどを遊戯のようにして楽しんだという。

 そして乳飲み子を持つ母親からその赤子を取り上げ、母親の目の前でその赤子の足を持って頭を岩に叩きつけた。

 また、幼い子供を川に突き落とし、その母親の背中を刺してともに川に放り込んだりもしたようだ。


 さらにはイエズス様と十二人の使徒を崇めるためと称して十三人の首を絞首台に吊るし、下から火をあぶり、生きたまま全身を焼いたりしたことも記載されている。

 まさしくそこに描かれているのは地獄の様相だった。

 地獄で悪魔にさいなまれる亡者たちが原住民であるが、その悪魔というのがなんとすべてキリスト教徒(クリスティアーニ)なのである。


 そのような話が次から次へ、延々とその本には記されていた。

 私は読み進めるうちに、体の震えが止まらなくなった。読まなければよかったとも思った。嘘だろう、嘘に決まっていると自分に言い聞かせたりした。

 これは作り話だ、あり得ない話だと何度も思おうとしたが、それにしてはこの本の内容はあまりにも生々しく、そして衝撃的だった。


 原住民たちは災いを逃れて山に逃げ込んだが、スパーニャ兵士は猟犬を使って隠れている原住民を狩りだし、見つけ次第次々にその場で八つ裂きにしていったという。

 こうして何百万人もの原住民を虐殺したスパーニャ人であったが、何よりも身の毛がよだつのは、彼らの口実である。


 彼らは言った。「キリストの教えを受け容れ、カスティーリャ国王に服従せよ。さもなくば情容赦なく戦いをしかけ、殺し、また捕らえるだろう」と。


 イエズス様が言われた「全世界を巡りて、すべての創られし者に福音を宣べ伝えよ」というみ言葉を、スパーニャ人たちはそのように解釈したのである。

 そして手始めは金銭の強奪だが、それよりも先に原住民の村々で「われらは『天主デウス』とローマ教皇およびこの地の王であるカスティーリャ国王について知らせるために来たのだ。今すぐカスティーリャ国王に忠誠を誓うべし。さもなければ、今すぐにおまえたちを殺したり捕えたりすることになる」と宣言した。

 ある日突然やってきた人々のそのような脅しに原住民がすぐに従うはずもなく、そうなると村に火が放たれた。女子供を含め大勢の原住民が生きたまま焼き殺されたとあった。


 つまりコンキスタドールとは残酷な暴力による侵略にほかならず、それは『天主デウス』の掟だけでなくこの世のあらゆる法律にも背く行為で、それは「トルコ人がキリスト教会を破壊するに等しいひどい行為である」とこの本は述べていた。

 コンキスタドールとは誰が見てもはっきりした人類最大の敵であり、「その所業は語り尽くすことは不可能である」という。


 ただ残忍な暴力で侵略したというのならまだしも、彼らが侵略の道具として利用したのがキリストの教えであった。

 キリストの教えに従うのならスパーニャ国王に従うことになるという図式を編み出し、拒否すれば残忍な虐殺が待っている、つまりその口実にキリスト教が使われたようなものだ。


 これらはすべて著者であるラス・カサス師がその目で実際に目撃したことばかりなのである。

 さすがに聖職者であるカサス師はキリスト教徒であるスパーニャ兵のあまりにも人間業とは思えない残忍な行動に我慢ができず、この本を著したのだろう。


 私は読み終わっても、しばらく意識は宙をさまよっていた。ヴァリニャーノ師はなぜこの本を私に渡してくれたのだろうか。キリスト教が侵略の口実になっている現状を認識し、日本ではこうならないようにせよという忠告なのか……。

 しかし、実際に我われ宣教師は武力侵略のお先棒を担いでいるという見方もあったし、私もそのような言われ方をしたこともある。

 その時私は痛くもない腹を探られたような気持ちでいたけれど、こうなると他人ごとではない。スパーニャがもし矛先を日本に向けたら日本もこうなるぞという忠告なのか……今はヴァリニャーノ師の真意を確かめるすべはない。

 私はこの国で、こういった地球の裏側での出来事を知った上でどう福音宣教に従事していくか、それを考えていかなければならないとぼんやりと思っていた。


 その時である。


神父様パードレ! 大変です! 表に出てみてください!」


 外で叫ぶ修道士の声があった。私を呼んでいるらしい。

 ほぼ満月の月明かりに照らされた外の路上に出ると、オルガンティーノ師もカリオン師もすでに神学校セミナリヨの入り口の外の道端に立っていた。

 修道士も全員出てきており、神学生たちも皆何事かとぞろぞろ出てきていた。


 そうやって表に出たのは我われ神学校セミナリヨの関係者ばかりでなく、町の人々も大騒ぎしながら家から出てきている。町の人々も神学校セミナリヨの人々も皆一斉にお城の方角の上の空を見上げている。そこで私もそちらを見て「あっ!」と声をあげてしまった。


 空の低いあたりが真っ赤だった。しかも、うすぼんやりとではあるが、赤く光っている。一瞬、火事かとも思ったけれど、火事にしてはあまりにも低い空の大部分に赤いコルティーナ((カーテン))は広がっていた。


「おお、これは一体どんなみ意のお示しなのだろうか」


 オルガンティーノ師も真顔で、その赤い空を眺めてつぶやいていた。

 カリオン師などはただ言葉を失くしていた。今や町中の人々が全員戸外に出て、騒ぎながらこの点の異変を見ていた。


「これは災いの前兆でしょうか、それとも栄光の祝福でしょうか」


 私がオルガンティーノ師の横顔につぶやくと、


「いやあ、分からない」


 その横顔は言った。そこに、ほかの修道士に介添えされながらロレンソ兄も出てきた。出てきたところでロレンソ兄には何も見えないであろうが、皆が騒いでいる気配は察したらしい。


「何があったのですか」


 見えない目を空に這わせていたロレンソ兄のそばに、カリオン師は寄った。


「空が赤いのですよ。山の上の低い当たりが一面に」


「ほう」


 ロレンソ兄は少し目を細めた。


赤気せっきですな」


 その聞きなれない単語に、私を含め三人の司祭は一斉にロレンソ兄を見た。


「ここよりもずっと北の国では、夜に空の一部が赤く輝くという現象が見られたと大昔の記録に書いてあるそうです。もちろん、私が目が見えていた頃でも、一度も実際には見たことはありませんが」


 私もリスボンからゴアに向かう船旅の中で、船員からこのような現象の目撃体験の話を聞いた。だがそれははるか北の方、インギリテッラ((イギリス))よりも北の海域でということだった。

 その船員の話ではこのような赤一色ではなく、緑や黄色などさまざまな色合いの光のコルティーナ((カーテン))が夜の大空から垂れ下がって輝いて見えたそうで、この世のものとは思えないような美しさだったという。

 今回はそんな大げさなものではないが、人々の目を驚かせるのには十分だった。


「日本では昔からこの赤気が出たら、政治的異変や上に立つ重要な人の死の前兆だと考えてこられたようですな」


 ロレンソ兄が、もう一度そうつぶやいた。もう夜も十時を回っているだろう。赤い光は消えそうもなかった。

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