Episodio 7 L'ambasciata e addio a Padre Valignano(遣欧少年使節とヴァリニャーノ師との別れ)
1
長崎の教会でもコエリョ師やヴァス師を中心にナターレは大々的に祝われたようで、まだその余韻が残っていた。
そうして1581年も暮れ、日本の正月よりも二十日以上も早く新しい年、1582年を迎えた。
この時期、ヴァリニャーノ師は日本出発を前に多忙を極めていた。用があってもほとんどつかまえて話すことも困難なほどだった。
だが、即急に事を進めなくてはならないのは、大村でヴァリニャーノ師が突然発案したローマへの使節団のことだった。
長崎に戻るとすぐに留守を預かっていたコエリョ師やヴァス師にもこのことは伝えられた。もちろん、二人とも異存はなかった。
主の御公現の祝日も過ぎてナターレの期間も完全に終了し、幼い頃から一抹の寂しさを毎年感じていたこの日に、一同が会した場所であらためてヴァリニャーノ師から少年使節団の趣旨説明があった。
「この日本の殿がローマに派遣する使節団の意義は三つあります。まずは少年たちにその目で我われのエウローパのことを見てもらい、それを正しく日本人に伝えて、日本人の我われに対する誤解と偏見を解いてもらう、これが第一点です。次に、キリストの教会が絶大な権力をもつエウローパの空気に触れさせることによってキリストの教えが唯一無二の揺るぎない教えであることを体で実感させ、それを日本人に伝えてもらう、これが二点目ですね」
ヴァリニャーノ師は少し言葉を切った。誰もが座っている中、ヴァリニャーノ師だけが立って話をしている。
「次ですが、この優秀な日本の少年を教皇様にお目にかけてお気に召していただければ、日本での福音宣教にも教皇様は大いにお心をお向けくださるでしょう」
「そうなると」
声をあげたのは、ヴァス師だった。
「日本でここまで福音宣教が伸びたのがこのイエズス会の功績だということもお認めくださって、経済的支援も大いに期待できますな」
笑いながらそう言うヴァス師はこの長崎教会の財務担当だけに、目の付けどころがそちらへ行ってしまうのだろう。
「まあまあ」
ヴァリニャーノ師は苦笑していた。
「それはあまり大きな声で言わないでください」
一同はどっと笑った。
すると、それまで窓から外を眺めていたコエリョ師が、やっと室内のヴァリニャーの師へ視線を向けた。そして厳かに、それでいて突き放すように言った。
「大村の殿、有馬の殿の代理の使節というのであれば、同じ信徒の殿である豊後の殿のドン・フランシスコや高槻の殿のドン・ジュストにも同じような機会と名誉を与えるべきでは?」
「確かに、その通りですね」
すぐに賛成したのは年が明けてからまた有馬から戻ってきていたフロイス師だった。
他にも同じように賛成の声が多数だった。だが、ヴァリニャーノ師は首をかしげた。
「ドン・フランシスコはともかく、高槻のジュストにまでこの話を持ち掛けてその代理使節の少年を派遣してもらうというのは、時間的に無理でしょう。私の出航に間に合わない」
たしかに高槻は遠すぎる。だから誰もがうなずいていた。師はさらに続けた。
「では、ドン・フランシスコの代理使節は誰がいいですか? 千々石のミゲルが大村の殿ドン・バルトロメウの甥で有馬の殿ドン・プロタジオの従弟であるのと同じように、ドン・フランシスコの親戚で同じような少年といえば」
ヴァリニャーノ師の問いに、メシア師が手を挙げた。
「彼しかいないじゃないですか、我われと一緒に安土に行った」
「ああ、あの伊東の爺さんの孫のジェロニモですね」
「彼なら母親がたしかドン・フランシスコの姪でしたな。つまり彼から見ればドン・フランシスコは母方の祖母の弟であって、すなわち大叔父になる。さらに母方の祖父はもともと都の貴族であった一条家の出です」
「なるほど」
その少年なら私も知っている。なにしろ豊後から高槻まで、ともに旅をした仲だ。
「だが」
ヴァリニャーノ師は再び首をかしげていた。
「彼は今、安土の神学校にいるのですよ。今から呼び寄せて間に合うかどうか。高槻からジュストの代理を派遣してもらうのが無理なのと同じでしょう。私が豊後まで出向いてドン・フランシスコの了承も得ないといけない。やはり間に合わない」
人々はざわついていたが、なかなか妙案は出なかった。
「まずはカピタン・モールに掛けあって、私の出航の日の正確な予定の日付を聞き出そうと思います。それから私は間に合うように豊後に出向いて、ドン・フランシスコに話します。だが、それから安土に使者を送ってジェロニモを呼び寄せていては到底間に合わない。今日にでもすぐに安土に手紙を書いて、メスキータ兄に連れてきてもらいましょう。安土にいる修道士のメスキータ兄には私はすでに私の出航に間に合うように長崎に来るようにという指示は与えてあります。ドン・フランシスコには事後承諾にしなってしまいますが、仕方ないですな」
「それなら、高槻のジュストには?」
私の問いに、ヴァリニャーノ師は静かに首を横に振った。
「そちらはまず人選からしてもらわないといけないから、事後承諾というわけにはいかない。ましてや私が高槻まで行くわけにもいかない。やはり高槻はあきらめましょう」
「巡察師が直接行かれなくても豊後の教会に手紙を書いて、誰かに話してもらえばいいのでは」
サンチェス師の提案に、ヴァリニャーノ師は少し首をかしげていた。
「それもいい考えですね。でも、手紙を書くといっても」
それから少し苦い顔をした。
「あの神父には頼みたくない。話がややこしくなる」
ヴァリニャーノ師はあえて名前は出さなかったが、私にはその「あの神父」が誰のことであるのかすぐに分かった。
実際、私だけではなく、この場にいるほとんどの人が察していたようだ。
私は手を挙げた。
「手紙は修練院の長のラモン神父に書いてはどうでしょうか」
その時、コエリョ師がじろっと私を見た。
「布教区長をさしおいてですか?」
その豊後の布教長こそがあの、あのカブラル師なのだ。
「それがいい」
ヴァリニャーノ師は賛成してくれたが、コエリョ師は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
だが、事は急を要する。コエリョ師の不服そうな顔につき合っている暇はなかった。
その日のうちに、ヴァリニャーノ師は早速動き始めた。まずは安土からこちらへ向かおうとしているメスキータ兄に、そして豊後臼杵の修練院長のラモン師にヴァリニャーノ師は手紙を書いて、同宿の少年に馬で走らせた。殿がよくやる早馬だと言えば、さすが日本人の同宿にはそれだけで通じたようだった。
ところが、絶望は翌日の夕方に起こった。メスキータ兄はかなり前に安土を出発していたようで、なんとこの日に長崎に到着したのである。ヴァリニャーノ師が安土に宛てた手紙は全く間に合わなかったわけで、これでジェロニモを同行してもらう案は実現不可能としてなつてしまった。
夕食の席でも、もはやジェロニモのローマへの派遣は絶望的になったことが話題となった。その時ぼそっとフロイス師がつぶやいた。
「有馬の神学校にジェロニモの従兄弟がいる」
それを聞いて私も思い出した。かのミゲル千々和が受洗してすぐに神学校に入った時点でたちまちできた友達がいた。姓はジェロニモと同じ伊東である。
「いましたね」
私がヴァリニャーノ師に同意を求めると、ヴァリニャーノ師も思い出したようだ。
「たしかにいた。マンショといったかな、あれはそう、まぎれもなくジェロニモの従弟だ」
そう言って、ヴァリニャーノ師は一同に向かって長々と説明を始めた。
「ジェロニモはドン・フランシスコの姉の娘、つまりあのドン・パウロの姉が母親です。その夫、つまりジェロニモの父親の妹がマンショの母。ですから、マンショはドン・フランシスコと血のつながりはないけれど、一応は親戚ですね」
そんなことを口でぺらぺら言われても、私にはさっぱり分からなかった。
「そういうのは紙に図を書いてもらわないと分かりませんよ」
だからそう訴えるように言うと、多くの司祭たちも皆同感だったようで一斉にうなずいて笑った。
ヴァリニャーノ師も笑っていた。
「まあ、詳しくはいいのです。一応そういうことです」
やはり日本は縦のつながりを大切にする国で、先祖がどうなのかということにこだわる。そのあたりが、我われには初めはどうもピンとこなかったのだ。
「それではドン・フランシスコの代理の使節はマンショ伊東ということでいいですね」
「でも彼は」
そこでフロイス師が口をはさんだ。
「まあ、家柄はそこそことしても、かなり貧しい様子で豊後に来たのでそれほど裕福ではないようですが」
「それは関係ないでしょう」
ヴァリニャーノ師は笑って言った。
「彼の父親はすでに死んでいるし、家も裕福ではないのは確かですけれど、それは戦争のせいです。戦争さえなかったら彼は日向の殿にもなっていたかもしれない少年です」
そこで一同が賛成したので、もう一人の使節はマンショ伊東に決まった。
これで使節団は四人となったわけである。その四人ともが、有馬の神学校で学んでいる。
「私が有馬に行って、直接連れてきます。これから長い長い航海を共にしていくわけですから、気心が分かっていた方がいい。また、有馬の殿、ドン・プロタジオにも直接会って事の次第を説明し、承諾を得る考えです」
ヴァリニャーノ師は、この時はまだ悠長にそんなことを言っていた。
だが、実際にはそんな悠長なことを言っていられない事実を、我われは知らされた。
有馬への出発に先立ってヴェりニャーノ師は教会と同じ敷地内、岬の先端の高台にある商館を訪ねた。カピタン・モールのイグナシオ・デ・リーマに正確な出航日を聞きに行くためだ。
やがて戻ってきたヴァリニャーノ師は、放心したような顔をしていた。ちょうど司祭館に入り口で私と出くわしたので、ヴァリニャーノ師はうすら笑いを浮かべていた。
「ちょうどあとひと月後だそうだ」
あとひと月でヴァリニャーノ師は日本でのすべての仕事のしめくくりをした上で、使節団のことも手配しなければならないのだから超大忙しだろうが、私にとってはそれよりもヴァリニャーノ師との別れがあとひと月後という事実を突き付けられたことになる。しかし、なぜか不思議と実感がわかなかった。
翌日、早速ヴァリニャーノ師は有馬に向かった。同行したのはメシア師とトスカネロ兄だけだった。
2
二日後、ヴァリニャーノ師は戻ってきた。
我われ司祭一同が教会の敷地の門まで出迎えると、緊張でこちこちになった数人の日本人少年の姿がそこにあった。
そのうち、ミゲルとマンショは顔を見てすぐに分かった。なにしろミゲルはその受洗式に私は立ち会っているのだ。あとの二人ははっきりと顔は覚えていないが、私が有馬にいた時に見たような気はした。
四人とも髪はこの国の男子独特の束ねた髪ではなく、神学校入学時点で仏教の僧侶と同じように剃髪しているので、今はそれがそのまま伸びてちょうど我われエウローパの男性と同じような感じになっていた。
一行は早速御聖堂で到着の祈りをささげた後、その場に教会の全司祭と修道士は集められた。
すぐにヴァリニャーノ師から、一行の紹介があった。
まずは正使のミゲル千々石とマンショ伊東、そして副使となる原中務の息子のマルチノと中浦甚五郎の息子ジュリアンの四人が紹介され、拍手の中で四人とも表情をこわばらせていた。
そしてミゲルが驚いたことにラテン語で堂々とあいさつをした。ラテン語ばかりでなく、四人ともポルトガル語を解するようだった。
他に有馬にいた日本人修道士のジョルジュ・ロヨラ兄も随行員としてともにローマまで行くことになった。二十歳前後の若者だ。
さらには安土から到着したばかりのメスキータ兄も、教育係としてローマまで彼らを連れていくことになった。
メスキータ兄はマカオで叙階を受けることになっており、そのためマカオまでヴァリニャーノ師と同じ船に同乗することになっていた。そのつもりで彼も安土から長崎に来たのだろうが、話は転がって、マカオで司祭に叙階されてからはそのまま四人の少年とともにローマまで行くことになった。
彼も今回長崎に着いてから初めてこの話をヴァリニャーノ師から聞かされ、大変驚いているということだった。
他にも日本人少年が二人、コンスタンチノ・ドラードとアウグスチーノといい、四人の使節団よりは少し年上のようだったがそれでも二十歳になったかならないかくらいの若者だ。
彼ら二人は神学校では印刷技術を学んでおり、さらに進んだ印刷技術を習得して日本に伝えるという目的でこの使節団に加えられたという。
彼ら一行は出発までこの教会の司祭館で我われと寝食を共にする。なにしろ彼らとて今回ヴァリニャーノ師が有馬に行ったときに初めてこのローマ行きの話を聞いたことになるが、その驚きは身にしみてわかる。
自分が日本へ行くことをローマで聞いたときとちょうど方向は逆だが同じ立場だからだ。しかも、私が日本へ行けと言われた時よりも、彼らはずっと若いのである。
こうして新しいメンブロが加わっての生活となったが、四人の少年が流暢にポルトガル語を話すのには驚いた。この頃もヴァリニャーノ師は記録や書類のため自室にこもることがほとんどだった。
「彼らはローマに行くのですから、イタリア語も学ばせた方がいいのでは」
ヴァリニャーノ師と顔を合わせた時に私が半ば冗談で言うと、ヴァリニャーノ師は笑った。
「その必要はないね。私は彼らをあまりローマの一般市民とは接触させたくはない。ローマの市民にもろくでもないのはいるからね。だから、通訳としてメスキータ兄を同行させるのであって、彼らはイタリア語は知らない方がいいんだ」
まあ、なるほどなという感じで私は聞いていた。
そのような感じで月日は過ぎ、ヴァリニャーノ師の離日の日は刻一刻と近づいていった。
そんな慌ただしい日々の中で、大村の殿ドン・バルトロメウがヴァリニャーノ師への最後の挨拶ということで長崎に来た。
彼は二通の書状を携えていた。
あくまでドン・バルトロメウの代理としてのローマへの使節なのだから、そのドン・バルトロメウのローマ教皇宛ての親書を携えていないと使節にはならない。
そのことをすでにナターレの時にヴァリニャーノ師より聞いていたらしく、まずはドン・バルトロメウの親書だった。
もう一通は彼の甥で有馬の殿であるドン・プロタジオの親書であった。先日、ヴァリニャーノ師が有馬を訪れて使節のことをドン・プロタジオに話した際に、親書のことも併せて伝えた。
しかしドン・プロタジオは教皇様宛の手紙など恐れ多くて手も震え、うまく書ける自信がないとのことで、叔父のドン・バルトロメウに代筆を依頼していたとのことだった。
「もうひとつお願いがあるのですが」
親書を預かるために受け取っていたヴァリニャーノ師は、司祭館の一室でドン・バルトロメウに依頼したことがある。
それは、さらに豊後のドン・フランシスコの親書をも代筆してほしいとのことだった。すでにドン・フランシスコにはこの使節団を派遣する旨、マンショ伊東をドン・フランシスコの代理とする旨などを伝えるよう臼杵の修練院のラモン師に手紙は送っているが、その手紙を届ける同宿が豊後にもう着いたのやらまだなのやら全く分からない。
何しろマンショをドン・フランシスコの代理にということは、完全に事後承諾になってしまう可能性もある。ましてやドン・フランシスコの親書がヴァリニャーノ師の出港まで間に合うという保証はない。そこで、安全策としてヴァリニャーノ師はドン・バルトロメウに代筆を頼んだのだろう。
三人の親書がたとえ同じ筆跡であったとしても、教皇様のお目に触れるのは原本ではなく翻訳されたものになるはずだから問題はないとのヴァリニャーノ師の判断だ。もっとも原本を見ても、この黒い墨が紙の上で文様を書いているようなこの国の文字の、その筆跡がどうのこうのまで分かる人はあちらにはいるはずもない。
そういったことでドン・バルトロメウは快くドン・フランシスコの書状の代筆も引き受けてくれた。
そのあとで、四人の使節のうちドン・バルトロメウとかかわりのあるミゲル、マルチノ、ジュリアンの三人は、一室で会見していた。
ミゲルにとっては叔父だが、他の二人にとっては親が仕えている領主、すなわち殿なのである。その殿と同じ部屋でひざを突き合わせて語り合うなど、本来ならあり得ないことなのだろう。
ミゲルに関しても、この使節に選ばれてから初めて自分が代理を務める叔父との対面だ。
彼らがどのような話をしていたのか、彼らだけの水入らずで過ごしていた時間なので私には分からない。ただ、終わって出てきたときミゲルは泣いていたし、ドン・バルトロメウも頼もしそうな目つきで彼らを見ていた。
数日の滞在後、ドン・バルトロメウが大村に帰ると、長崎の町全体が慌ただしくなった。
この国における正月が始まるのだ。
それは我われの暦でいうところの1月24日だった。町の人々も信徒とはいえ日本人なのだから、当然この正月を祝う。
それを、その正月をやめて我われの暦で正月を祝えなどと言ったら、これがヴァリニャーノ師の適応主義に反する。
普通、日本人は正月には神社仏閣に大量に押し寄せて拝むものだ。全員が信徒である長崎市民はさすがに神社仏閣には行かないが、その代わり大挙して教会に祈りにやってきた。
もちろんヴァリニャーノ師は、その日は正月の祈りをしに来る長崎市民のために終日聖堂を開放した。典礼暦では我われの暦での1月1日は主の御割礼の祝日のミサがあるが、日本の正月は全くの平日である。
だが特別にその日の平日のミサは、彼らのための正月のミサとなった。主の御割礼の祝日のミサはあってそれには参列しても、正月だからといって皆がこぞって教会に行くという習慣はエウローパにはないのでどこか新鮮な光景だった。
3
そんな喧騒の中で、私はヴァリニャーノ師に自室に呼ばれた。いつになく険しい顔つきのヴァリニャーノ師だった。
「そろそろ決めておかないとね」
イタリア語だった。そう言われて、私ははっと気付いた。これまではヴァリニャーノ師の腰巾着としてずっと行動を共にしてきたが、ヴァリニャーノ師がいなくなった後はどこかの教会に所属して落ち着かないといけない。
今までは漠然とこのまま長崎に居続けるような気でいたが、そういうわけにもいかないだろう。
「君の希望はどうかね?」
所属教会は上からの命令ではあるが、一応希望は聞かれる。上とは、ヴァリニャーノ師がいる間は巡察師たるヴァリニャーノ師ということになる。ヴァリニャーノ師がいなくなった後は準管区長かそれぞれの布教区長が上である。
私は一人一人の顔を思い浮かべた。下布教区は準管区長が布教区長を兼任しているので、思い浮かべるでもなく今この同じ教会にいるコエリョ師だ。
そして豊後布教区は当面代わりが日本へ来るまでの間はあのカブラル師だ。もし命じられたのならそれは『天主』のみ旨と素直に従うが、自分で選べというのならやはりこの両者の下というのは少々躊躇する。
そして都・安土布教区の布教区長はあのオルガンティーノ師だ。同じイタリア人ということだけでなく、あの陽気で気さくな、そして包み込むような人柄、さらには心からこの日本を愛していることなど、そのお顔を思い出しただけで私の胸は躍りだした。もはやためらいもなかった。
「私は安土、もしくは都に戻りたいと思います」
即答していた。ヴァリニャーノ師もにっこりと笑った。
「それがいい。私があなたと同じ立場で、同じように尋ねられても都を選ぶだろうね」
ヴァリニャーノ師も最初からそのつもりだったようだ。
「それだけでなく、これから日本で福音宣教するに当たっては日本の仏教や神道についても深い造詣が必要となる。それを学ぶのに最もふさわしい町は都であるし、その手ほどきをしてくれる最高の司祭はオルガンティーノ神父をおいてほかにない」
「それともうひとつ。やはり今後の日本の福音宣教の鍵を握るのは、あの織田殿だと私は思います。そのためにも安土か都にいた方が何かと先が見えてくる気がするのです」
「分かった。では、イエズス会総長の代行たる巡察師として命ずる。コニージョ神父に、安土の住院配属を命ずる」
「ありがとうございます」
「あとは安土と都を適宜往復するのも、たまには高槻に顔を出すのも、布教区長のオルガンティーノ神父の指示に従うように」
「はい」
こうして、今まで先が見えずに悩んでいた私の行く先が照らされた気がした。
それから、ヴァリニャーノ師の表情も和らぎ、口調も穏やかになった。
「ここだけの話だけれども、私としてはやはりあのときオルガンティーノ神父に準管区長を引き受けてもらいたかったよ。やはり本当の意味での福音宣教は、ローマのおひざ元である我われイタリア人こそがふさわしい。いやこれは手前味噌で言っているのではないよ」
「はい。大丈夫です」
私は大きくうなずいた。
「前にも言ったけれど、総長がなぜ私を巡察師に任じたのか、それは私がイタリア人だからだというのもある。はっきりとそう言われたんだ。今やスパーニャとポルトガーロは世界を二分して覇を競っている。でも、サラゴッツァ条約のお蔭で微妙な均衡が保たれているのだけれど、この均衡は実に危ない。もしこの均衡が破れたら考えたくもないような恐ろしいことになるかもしれないし、この日本も危ない」
「そんな、均衡が破れることはあるのですか?」
「世の中、何が起こるか分からないからね。その点、イタリアには領土的野心がない。野心を持とうにも国がない。イタリア王国滅亡以来、私のナポリ王国や君の生まれた教皇領、そしてオルガンティーノ神父のヴェネツィア共和国など多くの国に分かれている状態だ。だから領土的野心など持たずに、純粋に福音宣教に従事できる。そしてそのために私は日本の風土、習慣にこちらが合わせて溶け込むという方策をとった。けれども、やはりポルトガーロの人々にはその考えは受け入れられないのだろうね。これまでが、その土地をエウローパ化することを宣教の基盤としてきた彼らだ。ゴアを見ても、マカオを見てもそれは分かるだろう?」
たしかにゴアでもマカオでも、そこにポルトガルの町がほとんどできていた。日本でも長崎をそうしたいらしいが、そこでヴァリニャーノ師が「長崎はあくまで教会の私有地であって領土ではなく、ましてやポルトガル領などではあり得ないし、またそうしてはならない」と何度も力説して、くぎを刺してきたのだろう。
「だからカブラル神父、フロイス神父、コエリョ神父には日本の西の片隅にいてもらう。やはりこれからの宣教の中心は安土であり都だ。君はそれをオルガンティーノ神父とともに、ともに人文復興の運動を起こしたイタリア人として盛り上げていってくれ」
「はい」
決意の返事だ。
「どうもカブラル神父たち三人には、現地に溶け込んでこちらを現地に適応させるという私の考えには賛同してもらえないようだ。ポルトガーロだからとばかりはいえないけどね、状況的にはそうなるのも分かる気がする。それにポルトガーロだってメシア神父やあのアルメイダ神父のようにすばらしい人もたくさんいる。だけれども、あの三人組には要注意だ」
それから一度ヴァリニャーノ師は立ちあがって、部屋の書棚から一冊の古い本を取り出した。
「さっき、もしスパーニャとポルトガーロの均衡が破れたらどうなるかということを言ったけれど、日本でもこのような恐ろしいことが起こりかねない」
表紙にはスパーニャ語で「|Brevísima relación de la destr《インディアスの破壊についての簡潔な報告》ucción de las Indias」と書かれていた。
「これはドミニコ会のスパーニャ人司祭のカサス神父という人が書いたものだ。インカの地でスパーニャがどれだけ残酷なことをしたか、つぶさに書いてある。食事前には読まない方がいい。それからあまり他人の目に触れないように。所有していることも知られないようにした方がいい」
中身はスペイン語だが、ポルトガル語を知っていればなんとか拾い読みはできる。
私はしばらくそのそう厚くはない本を少しめくり、それから顔をあげた。
「それと、一つお願いが」
「それと君に知らせておきたいことが」
私の言葉とヴァリニャーノ師の言葉が重なったので、私は言葉をヴァリニャーノ師に譲った。
「ああ、君の友達だったマテオ君。今はすでに叙階しているけれども、そのリッチ神父だが、前にミゲル・ダ・ガマの船がマカオに帰る際に手紙をことづけて、彼をマカオに呼び寄せておいたよ」
「え?」
私は眼を見開いた。
「実はさっき言いかけたのは、ローマへ行く途中にゴアに寄られたら、ぜひマテオによろしく伝えてくださいと頼もうとしたのですよ」
「そうか」
ヴァリニャーノ師は笑った。
「もしかしたらその手紙は今頃ゴアに着いた頃かもしれないけれど、もし私がマカオにまだいる間に彼がマカオに来たら伝えておくよ。間に合うように来てくれたらいいのだけれどね。彼にはこれから、チーナの福音宣教に当たってもらおうと思っている」
「ゴアではなくて、ですか?」
「そう。チーナでの福音宣教も、日本と同様に大事だからね」
思いもかけず懐かしい名前が出たので、私は心が温かくなるのを感じていた。
4
それからの月日は、あっという間だった。
2月になり、日一日とヴァリニャーノ師の出発の日は迫っている。
今回ヴァリニャーノ師は、マカオで叙階を受ける三人の修道士も伴って行くことになっている。
有馬にいたクリストヴァン・モレイラ兄をはじめ、アルヴァロ・ディアス兄、ジョアン・デ・クラスト兄の三人である。モレイラ兄以外の二人は、私は初対面だった。
この三人に加えて、ローマまで少年使節団に随行するメスキータ兄を含めた四人がマカオで叙階することになっているという。
日本には司教がいないので、ちょうどアルメイダ師らが日本からマカオに渡って私と一緒にマカオで叙階を受け、それからまた日本に戻ってきたのと同じで、メスキータ兄以外の三人は叙階が終わったら次の定期便で日本に帰ってくるそうだ。
三人とも若い。その若さを見て、今までは自分たちの世代が最若手だったのに、これからはもう自分よりも若い新司祭が誕生していくことを実感した。ぼんやりしているうちにどんどん後進が続いてきて、自分も先輩と呼ばれる立場になっていく。
港もあわただしくなった。たんにヴァリニャーノ師が日本を離れるというだけでなく、それは定期船のマカオへの出発でもあるのだから、商館のポルトガル商人たちも長崎の町の商人たちもいろいろな手続きや積み荷の開始やらであたふたとしていた。
2月4日の第一日曜日の主日のミサは、長崎での最後の司式としてヴァリニャーノ師が執り行った。いつにも増して多くの信徒がそのミサには詰めかけた。
そしてその週の水曜日の夜、ヴァリニャーノ師の日本における「最後の晩餐」となった。この時は平戸や天草、口之津や有馬から、あの協議会の時と同じように多くの司祭が駆け付けた。天草からの一団の中には、高齢者といってもいいアルメイダ師の姿もあった。一時期よりもかなり老けて見えた。
歓談のうちに食事は進んだが、その途中でヴァリニャーノ師は皆に挨拶があるということで人々を静めた。
「明日、私とメシア神父、トスカネロ兄、メスキータ兄、および日本人の少年使節とその随行員は日本を離れローマを目指し、まずはマカオに向かいます。私が日本に来てから二年半、まだまだ日本のすべてを見たわけではありません。しかし、我われの文化を日本人に押し付けるのではなく、我われが日本の文化、風俗習慣に合わせて、互いの尊敬と信頼の築いた上で福音を述べ伝える、この私の方法は決して間違っていたとは思いませんし、今後も続けていただきたい」
ヴァリニャーノ師は釘をさすかのようにちらっとコエリョ師を見たが、コエリョ師は反応しなかった。ヴァリニャーノ師は続けた。
「我われエウローパの人間にとって、自分たちとは異なる文化を持つ異なる人種の人たちに尊敬の念を払うなどということは、至難の業かもしれません。しかし、あえてそれが必要なのです。日本をエウローパのようにしてしまうわけではなく、かといって古い日本のままでもなく、二つの文化をいい意味で合体させる。これが私のやってきたやり方です。決して妥協ではありませんし、キリストの教えに関しては妥協はできませんが、文化は押し付けてはいけないのです。もっとも我われの文化を紹介し、興味を持った人には取り入れてもらうのは構いません。そこが福音宣教の切り口になった事例も多い」
ヴァリニャーノ師はそこで息を切った。そしてまた続けた。
「二つの文化の融合、そのためには我われが一方的にやってきて日本を見るだけではできない。日本の人にもエウローパを見ていただきたい。だからどうしても今回私と同行する日本人の使節団が必要なのです。いわば彼らは二つの文化の懸け橋、東西の霊界の融合の象徴となってくれることを私は祈ってやみません」
人々の間で喝采が上がった。それがやむのを待って、ヴァリニャーノ師は話を再開させた。
「私は彼らをローマに送り届け、また日本のことをイエズス会の総長および教皇様に報告申し上げたら、またこの使節団を伴って日本に戻ってきます。その時はもう巡察師ではなく一司祭としてかもしれません。どんな形にせよ、私はこの愛してやまない日本に必ず戻ってきます」
最後の方は涙声になっていた。また人々の喝采が上がった。
そしてサンチェス師が杯を高く掲げた。日本の陶器の杯で、中は日本の白い酒だった。
「巡察師とそのほかの司祭、修道士の皆さん、そして日本の使節団の航海の無事を祈って、乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
みな口々に叫んで杯を高く上げた。
こうして、私がヴァリニャーノ師とともに過ごした日も終わりを告げようとしていた。
ついにその日が来た。その日…2月8日の木曜日は朝からよく晴れ、寒さも和らいでいた。
朝の平日のミサを終えると、いよいよ出港準備である。だいたいの準備は前日までに終わり、司祭館のヴァリニャーノ師の自室にあった私物はほとんど船中に運び込まれている。それは出港準備というよりもほとんど引っ越しに近かった。
あの織田殿よりもらった安土城の屏風絵も、丁重に船に運び込まれた。
見送りに集まった下布教区の司祭たちも皆、教会を出て港へと集まっていた。また長崎市民の多くの信徒たちも、続々と港に集まり始めた。それはあくまで信徒の代表ということだったが、それでもかなりの数だった。
やがて、商人たちに囲まれて、仰々しく行進をするかのようにカピタン・モールのイグナシオ・デ・リーマがまず船に乗り込んだ。それを待っている間、ヴァリニャーノ師をはじめ今回出港する人々は近くの商家の店の部分を借りてそこで休息していた。
そこへ、港の様子を見に行っていたサンチェス師が戻ってきた。
「なんだかお見送りの方たちでしょうかね。海の方から港へと入ってきた船が三隻ありますが、帆には大きく十字架が描かれています」
サンチェス師がそう言うので、私も商家から出て港へと見に行った。港では目の前にこれからヴァリニャーノ師一行や使節団をマカオまで運ぶ巨大なナウ船が停泊しているから湾の方の視界は良くないが、その脇から見るとすでにかなり大きい日本式の船がたしかにゆっくりと港に入ろうとしている時だった。そしてその帆には、たしかに大きな十字架が描かれていた。
だが私には、いや、私だからこそ、それは十字架ではないということは見てすぐに分かった。私はあわてて商家に戻ると、座敷で待機していたヴァリニャーノ師の前に座った。
「神父様、あれは信徒の船ではないですよ。帆に描かれている十字架は、たぶんみんなは十字架にしか見えないでしょうけれど、あれは十字架ではありません。薩摩の島津の船です」
そう、まぎれもなく帆に描かれている十字架のように見える文様は、薩摩の島津家の家紋だった。私は鹿児島でそれを見ているから知っている。そこへちょっと遅れて、アルメイダ師も部屋に入ってきた。
「島津の船が来ましたね」
島津の紋様が分かる人が、ここにももう一人いたのだ。トスカネロ兄も分かるはずだが、彼は出発する身なのでヴァリニャーノ師のそばにずっといる。
かつて私とトスカネロ兄で島津の殿に会いに行ったとき、島津殿はいずれ長崎に使者を遣わすと言っていた。それが今日になったのだ。
よりによってなぜ今日なのかと思う。もう少し早く来てくれたらヴァリニャーノ師もゆっくりとその使者と対面することもできた。
だが、考え方によっては、かろうじて間に合ったともいえる。明日だったらもうヴァリニャーノ師はいない。
「私はもう行かなければいけない」
残念そうにヴァリニャーノ師は言った。カピタン・モールが乗船した以上、すぐに巡察師としてヴァリニャーノ師たち、および使節団も乗船しなければならない。
「準管区長を呼んできてください」
ヴァリニャーノ師は私に言うので、私はすぐに同じ建物の別の部屋にいたコエリョ師を呼びに行った。
私がコエリョ師を伴ってヴァリニャーノ師のいる部屋に戻るまで、そう時間はかからなかった。アルメイダ師もそのままその部屋にいたし、ほかにメシア師、メスキータ兄、トスカネロ兄、ディアス兄、モレイラ兄、クラスト兄などもいたので、畳六枚分の部屋はかなり手狭だった。
「なんというモメントで来るんでしょうかね」
コエリョ師がにこりともしないで言った。
「とりあえず事情を話して、私は今にも乗船しないといけないから、まずはここで挨拶だけ受けて、あとは教会に案内して準管区長、あなたが対処してください」
ヴァリニャーノ師の言葉に、コエリョ師は黙ってうなずいた。それからヴァリニャーノ師は、我われを見た。
「薩摩の使節との会見にはアルメイダ神父、あなたが通訳をお願いします。彼の地の言葉は訛りが激しくて、何度も彼の地に行って耳慣れているあなたが最適です。それと、コニージョ神父、あなたが薩摩で交渉してくれたその使者ですからあなたも当事者です。あなたも立ち会ってください」
「え?」
それではヴァリニャーノ師が乗船するときに間に合わないし、会見が長引けば出航にも間に合わないかもしれない。
「もう、十分別れは惜しんだでしょう。あなたに話したいこともすべて話しました」
港の方では薩摩の船がもう接岸して、人々が降りはじめたようだ。かなりの騒ぎになっているらしいことは、その聞こえてくる喧騒で分かる。早く行って収めないといけない。今は感傷に浸っている時ではないようだ。
「とりあえず港に行って、使節団を連れてきてください」
私はそう言われて、とりあえず外に出た。この商家のすぐ前はもう岸壁で、ナウ船が接岸している。その右手、岬の付け根に近い方が人だかりとなって喧騒はそちらの方からだった。
港にはすでに帆は降ろしているが、薩摩の船三隻はもう接岸されていた。上陸する場所にはかつてヴァリニャーノ師の命によって頭人中によって組織された長崎の住民による自警団がすでに集められ、彼らは甲冑を着て整然と並び、警護していた。
5
最初はその帆に描かれた島津の紋様の十の字から誰もがそれを十字架だと思い、信徒の船だと思っていた。
だが着いてみると乗っているのは武装した武士ばかりなので、急遽自警団が集められたのである。集まるのは恐ろしいほどの早さだった。
なにしろ、この土地の本来の領主である大村の殿が来られたとかいうのとはわけが違う。
かつて長崎は竜造寺殿の軍勢に焼き払われそうになった過去もあって、まだ人々の記憶に新しいはずだ。だから、そういった時のための自警団であり、今回も帆に十字の紋がある船に武装した武士が乗っているのを見て、竜造寺の軍勢が信徒の船を装って入りこんだのではないかとものすごい速さで招集されたようだ。
私が到着する前に、上陸しようとしていた薩摩の武士が自警団に、自分たちが教会の司祭に対する薩摩の殿の使者であることを告げていた。自警団の人々も納得したようで、二列に整列して、逆に彼らの上陸を警護するような形となっていた。
そこへ私が到着した。先頭のリーダー格の武士の前に立った。
「薩摩のお方ですね。ようこそ」
武士たちは一斉に足を止め、立ったまま私に向かって身をかがめて頭を下げ、日本式の礼をした。
「我われは島津三郎左衛門尉様の使者でごわす」
見ると武士の後ろの方で今ちょうど船から上がろうとしている甲冑を着ていない身分のありそうな武士が、島津殿が遣わした使者であろう。今私が話しているのは警護の武士のようだ。
やがてゆっくりと、使者の武士が私の前まで来た。そして同じように身をかがめて頭を下げるので、私も同じようにした。
「島津三郎左衛門義久が使いのものでごわす。いつぞや鹿児島においでになったバテレン様でごわすな」
私はこの人の顔は覚えていなかったが、向こうは私のことを覚えていてくれたらしい。
「はい。お世話になりました」
「いやあ、これはこれは」
使者も顔をほころばせていた。
「あんときわが殿は、いずれ正式な使者を送りもすと申しておいやったどん、強行してわいが参ったとでごわす」
「いや、それが、ローマから来ています巡察師のバテレンが、今日、ローマに帰るために船を出すのです」
「今日?」
「今日、しかも今です。今ちょうど船に乗ろうとしていたところだったのです。もう、そろそろ船に乗らないといけないのですが、皆さんをお待ちしておりますので、まずは少しでも話をしてください。すぐそこの商人の屋敷におります」
「お、今でごわすか」
それを聞いて使者は急いで商家に行きたそうだったので、私もすぐに彼らを案内した。彼らは船で来たはずなのに、立派な馬が一等、行列の中で少年にひかれて混ざっていた。誰も乗ってはいない。
ヴァリニャーノ師がいる商人の屋敷は、見えるほどすぐ近くだ。私が彼らを連れて歩いている時、その商家の店の方から一人の少年が駆け出すのを見た。同じ商家で乗船を待機していたはずの、ローマへの使節団のマンショ伊東だった。
私は不審に思ったが、まずは使者をヴァリニャーノ師のもとへ案内するのが先なので中へとお通しした。警護の武士は店の前の道に整列して待機していた。
私は彼らをヴァリニャーノ師のいる部屋へ案内すると、気になっていたのですぐに外へと戻った。左右を見てから、先ほどマンショが走っていった方角に行くと、最初の角を曲がった路地の奥で壁に背をもたらせて肩で息をしているマンショを見た。
「どうしました?」
私がポルトガル語でそう言いながら近づくと、涙目で彼は私を見た。
「ごめんなさい。でも、薩摩の人が来ると聞いたので、どうしても耐えられなくて」
「なぜです?」
「薩摩は父の仇っちゃが」
急にそこだけ日本語で彼は言った。
「父のカタキ?」
マンショはまたポルトガル語に戻した。
「はい、私の父は薩摩との戦争で死にました。薩摩に殺されました」
「恨んでますか?」
「いえ、恨んではいけないということは、バテレン様方からすでに教わっています。イエズス様も七の七十倍まで人を許せとおっしゃったんですよね」
「その通りです」
「でも、やはり、感情的にはいたたまれなくなるのですよ。父を殺した薩摩の人たちが同じ屋根の下にいるということが」
私はゆっくりと息をしてから、やさしく言った。
「イエズス様は『汝の敵を愛し、汝の敵のために祈れ』と仰せになりました。そしてイエズス様は言葉で言われただけでなく、自らそれを実践なさいました。十字架の上で苦しみに打ちひしがれている時も、自分を十字架につけた人たちのことを『天主様』に『この者たちをお許しください。この者たちは自分が何をしているのか分からないのです』と祈られました。あなたの気持ちは分かります。でもあなたはたった今、広い広い世界へと旅立とうとしている。これから大きな大きな世界をその目で見るのですから」
「ああ、こぎゃんとこさおったとね」
その路地に入ってきたのはミゲル千々石だった。
「わいがおらんことなったって、皆大騒ぎしよっとたい」
「すまん」
「今のバテレン様の話、実は角を曲がる前に聞かせてもらったばってん、全くそん通りたい。おいの父上も竜造寺との戦で亡くなったばってん、その父上も一度は大村の伯父上に実の弟でありながら戦ばしかけたこともあったと。だけど後で伯父上は父のことをなんも言わんと許してくださったっち聞いとう。バテレン様のおっしゃったとおり、わいどんはこれから広か広か世界に旅立つんだけん、こぎゃんこまかか国ん中でのこつなんか忘れた方がよかとよ」
「んだあな」
マンショもやっと笑った。
商家に戻ると、薩摩の使節たちはすでにあいさつを終え、コエリョ師が案内して教会までお連れすることになっていた。そこで準管区長のコエリョ師と正式の会談になるという。
私とアルメイダ師もともに行かねばならない。するとここで、ヴァリニャーノ師とはお別れとなるのだ。
「この馬と立派な刀を使者の方たちは贈り物としてくださった。刀はこのまま船に乗せてローマまで持っていくけれど、馬はあなた方が教会まで連れて行って、教会で使ってください。ローマまで生きて連れて行くのは大変だし、もし無事に着いても日本の馬は向こうの人にはポーネイにしか見えないからね」
そういってヴァリニャーノ師は笑っていた。
「では、神父様、お元気で」
「ああ、また日本に来るまでしっかり頑張ってくれたまえ」
最後のやり取りはやはりイタリア語だった。
「マテオによろしくお伝えください」
「ああ、会えたらね」
そして握手、これだけのあっけない別れだった。それでも、もはやすべて語り合いつくいたという感じだった。
次にアルメイダ師がヴァリニャーノ師と向かい合って立った。。
「ご恩は一生忘れません」
アルメイダ師は言っていた。
「あなた様が来られなければ、私は今でも司祭にはなっていなかったでしょう」
「長かったですね。でもまだまだ老いぼれないで、元気で活躍してくださいね。薩摩のことも頼みますよ」
「私がイエズス会に多額の献金をしたことがカブラル神父のお気に召さなかったようですけれど、それよりも何よりも私がユダヤ人だということが長く妨げとなって司祭になれずにいたのに」
「その話はあまり大きな声でしないでください」
声を落としてヴァリニャーノ師はいさめていたが、しっかりと私の耳に入ってしまった。そして驚いた。
もともと商人だったアルメイダ師が、日本でイエズス会に入会した時にほぼ全財産をイエズス会に献金したのにそれで清貧のモットーが崩れたとアルメイダ師はカブラル師から目の敵にされていたということは聞いたことがある。
ところがそのもう一つの理由が、アルメイダ師がユダヤ人であることにあったとは初耳である。
アルメイダ師がユダヤ人であることすら初めて知ったのだ。なるほど、日本人に対して「この日本人が」などと見下した心を抱いているカブラル師だ。アルメイダ師がユダヤ人であることを見下していたのは間違いないだろう。
実はユダヤ人というのは単なる人種の問題ではなく、もともとはユダヤ教からの改宗者ということを意味する。そこには根が深いそして微妙な問題が含まれているのだ。
そのアルメイダ師は、ヴァリニャーノ師との握手の途中から涙をこぼしていた。コエリョ師はとっくにヴァリニャーノ師とのあいさつを終えて、薩摩の使節の一行を案内して教会の方へ向かって歩いて行っている。我われもそれを追わねばならない。
そこで私はもう一度ヴァリニャーノ師に、日本式に立ったまま深く頭を下げてから歩きだした。
薩摩の使者との会談はすぐに始まった。内容は前に私が島津の殿から直接聞いた通り、鹿児島の港もポルトガル船の寄港地にしてもらいたく、もし承諾すれば薩摩領内でのキリシタン布教も大いに奨励してくれるということだった。
私は通訳しながらも、コエリョ師がどう出るか興味があった。
「分かりました。しかし、ポルトガル船の寄港地に関しては我われの権限ではないのです。あくまで我われイエズス会はポルトガルという国から派遣されたのではなく、ローマの教皇様の派遣によるもの。ですからポルトガル船の寄港地に関してはカピタン・モールと話してもらわないといけない。でも今やカピタン・モールは先ほど港にいたポルトガル船の出発準備に忙しい。しかも、あの船を操って航海しなければならないのです。つまり、皆さんのご要求は、私どもではお聞き致しかねます」
「そんカピタンとは、言っみれあ船長ですかね」
「そうなりますね」
この会談の間も、コエリョ師はにこりともしなかった。だが、ヴァリニャーノ師がすでに船に乗った以上、今やこの国におけるイエズス会=キリスト教会の最高責任者はこのコエリョ師なのである。
そして私といえば、通訳しながらも気持ちは港の方へ飛んでいた。ヴァリニャーノ師の船はもう出港したのだろうか、まだ停泊しているのか、そんなことばかりが気になっていた。
「まあ、あと何ヶ月かすれば新しいカピタン・モールがマカオから来ますから、とりあえずそれまで待っていただければ、話は私から次のカピタン・モールに通しておきます」
使者はそのコエリョ師の提案をとりあえず飲むという形で、交渉は終わった。
「話が決まりましたら、こちらからお伺いします。私は長崎から動けないので、こちらの「アルメイダ神父に行っていただきます。もう何回も薩摩には行ったことがある方です」
「ええ、ゆうと存じておいもす。ぜひ、お待ちしておいもす」
こうして、交渉は終わった。彼らは港の船宿を一軒借りきって泊まるのだという。
彼らが帰るのを教会の門まで見送ったあと、コエリョ師は私にその場で聞いてきた。
「安土の方に行かれることになったと聞いていますが、いつ発つのですか」
実は私は長崎を離れる日をはっきりと決めてはいなかったのだが、こう言われて決めた。
「一週間後くらいには発ちたいと思います。メスキータ兄とともにきた修道士が安土に戻るときに、ともにと考えています」
「そうですか」
コエリョ師が言ったのは、ただそれだけだった。私はとにかく港へと駆けつけたかったので、コエリョ師の態度など気にしてはいられなかった。
ところが、坂の下の街の方からどんどん司祭たちが戻ってくる。つまりヴァリニャーノ師を乗せた船はすでに出港したのかと私は教会の敷地内に戻り、岬の先端部分に行った。
すると目の前を巨大なナウ船がゆっくりと左の方へ向かって、帆いっぱいに風を受けて、かなりの速さで進んでいくところだった。私はそんなナウ船を、じっと見つめていた。そして船は左の方の、湾の入り口に向かって進んでいき、やがて見えなくなった。
私の眼に、この時になってやっと涙があふれてきた。




