Episodio 6 Il Presepe vivente eseguita da Giapponesi(日本人によるキリスト降誕劇)
1
協議会が終わり、終結した司祭たちはまたそれぞれの配属の教会に帰って行った。
フロイス師も、しばらくは有馬でこれまでの記録を整理したいということで有馬に戻って行った。
それからナターレまで十日ほど、ヴァリニャーノ師はまた自室にこもりきりになってしまった。
自分の日本での滞在を振り返り、特に三つの協議会の内容を記録し残すための執筆に終始していたのである。
そしてその十日間で、まずは「日本滞在中の宣教師の内規」、そして「準管区長内規」、「布教区長内規」も同時に著していた。書きかけをちょっと見せてもらったが、まだ半分というところでかなりの量だった。
そうしているうちに季節はどんどん真冬へと向かい、それでも心温まるナターレまで日一日と近づいていった。
待降節第三主日、すなわち待降節中で司式司祭が紫ではなくバラ色の祭服を着用し、オルガンの演奏が許されるバラ色の主日も過ぎた頃、ヴァリニャーノ師の原稿執筆も一段落したのだろう。
「近々大村に向かいたいので、ルセナ神父に連絡を取って、ドン・バルトロメウにも知らせておいてください」
ヴァリうニャーノ師はそんなふうにコエリョ師に言っていた。コエリョ師はまたもやにこりともしない。
「わかりました」
それだけ言ってうなずいていた。
数日後、ルセナ師からの手紙が届いた。
午前九時の三時課の後にヴァリニャーノ師は我われ司祭団にその手紙を披露してくれたが、それによると時津という港まで来てくれればドン・バルトロメウが迎えの船をよこしてくれるということだった。
初めて行く私はいろいろとヴァリニャーノ師に尋ねていたが、時津の港までは歩いても二時間半くらいなのだという。
「長崎から船に乗っては行かれないのですか?」
「行かれないことはないがね、かなりの遠回りになるから、かえって時間がかかるよ。二、三日はかかる」
そう言って、ヴァリニャーノ師は笑った。
「この時津から船というのがいちばん近いんだ。前に行った時は知らないからすべてを陸路で行ってしまい、早朝に出て夕方に着くという感じでまる一日かかった。ましてや今は冬だから、それと同じ時間だと着く頃には暗くなってしまう」
「ではもしドン・バルトロメウが迎えの船を出してくれなければ、それくらい時間をかけて歩かねばならなかったのですか?」
「時津から、あの琵琶湖と同じように金を払えばだれでも乗せてくれる便船は出ているけれど、その船は彼杵という大村よりもずっと北の町へ行ってしまうから、結局そこから徒歩で大村まで戻る形で歩かないといけない」
そのような話をしながらも、私は初めての土地である大村へ行くという実感が湧いてきた。私がまだ日本に来る前にマカオにいた頃に、ヴァリニャーノ師は大村へは何度も足を運んでいるようだ。
こうして準備もあわただしく、ナターレの三日前の金曜日にはコエリョ師とヴァス師のみを残して、ほかの司祭は皆大村に向けて出発した。
ヴァリニャーノ師は全員で大村に行くとドン・バルトロメウには言っていたが、いくらなんでも本当に一人残らず行ってしまったら長崎の信徒たちはどうやってナターレを過ごすのかということになってしまう。司祭が全員不在ではナターレのミサも挙げられない。
ヴァリニャーノ師とメシア師、サンチェス師と私、それにトスカネロ兄の五人は馬で、まずは時津の港に向かった。
皆が道は知っている。なぜなら、このメンブロの中で大村が初めてなのは私だけであった。
まずは長崎の町の関門を出たらすぐに左に折れ、山の麓を旋回する形で歩く。ポルトガル船が停泊している港から見ると、入江を挟んで対岸に当たる部分だ。そこから北上する形で街道は続いていた。
左手の湾はだんだん細くなってその突き当たりが川の河口だった。その川に沿って道は続く。川といってもそれほど大きな川ではない。かつては湾の対岸も、今はただの川向こうになった。
その向こうには稲佐山がひときわ高くそびえているが、そこまでの間には平らな土地が若干広がっている。
右手はなだらかな丘がずっと続き、その丘の下を縫う形で川は流れ、道も続いていた。
ほんの少し歩いただけで、ヴァリニャーノ師は眼を細めて右手の丘を馬上から眺めた。
「このあたりはもうドン・バルトロメウの領国ではない。あの有馬の殿、ドン・プロタジオの土地なんだ」
地理的に有馬からだいぶ離れているのに不思議だなあと、私は何気にヴァリニャーノ師の説明を聞いていた。
どうも、ヴァリニャーノ師は馬を進めながらも右手の丘の一角を凝視しているようだ。そこには冬枯れした森で覆われているだけで、建物などは何も見えなかった。なぜヴァリニャーノ師はそのようなどこにでもある普通の丘を見つめているのだろうと、私は不思議に思った。
やがてその浦上と呼ばれた集落も過ぎて、道の両側は水田が広がるようになった。今は冬なので田んぼも耕作はされておらず、ただ水がはられているだけの浅い池のようであった。
右も左も道からちょっと離れたところに丘は続いているが、道自体は峠などもなく終始平らな道だった。
そして港は突然現れた。
ずっと山に挟まれた水田の中の道が続くと思いきやいきなり視界が開け、大きな湖が姿を現した。確かにまだ昼前、長崎の教会を出てから二時間半ほどしかたっていない。
「おお」と私は思わず声をあげた。雄大な景色だった。湖の周りはすべて山に囲まれ、よく晴れた空の下でそれらは輝いていた。
あの琵琶湖よりは小ぶりの湖のようだが、それでも広大さは引けを取らなかった。風は強くて冷たく、思わずスーダンの上のマントの襟を手で押さえてしまうほどで、さらには帽子が飛ばされないようにしないといけなかった。
その時私はふと違和感を覚えた。強い風の中に、潮の香りを感じたのである。
「この湖は、何というのですか?」
私が尋ねると、答える代わりにヴァリニャーノ師は声をあげて笑った。
「やはり湖と思うかね?」
「いや、湖ですよね。どう見てもこれは」
「それが海なんだよ。大きな湾なのだ」
「え?」
私が驚いて、眼をこすってよく見ても、水平線などは全く見えない。ここらいちばん遠いところはたしかにうっすら水平線のようにもみえるが、よく見るとその上に青い山が横たわっている。つまり、水平線など全くないのだ。
あの琵琶湖でさえ、北の果ての方は見事な水平線で、それでいて湖だと聞いて驚いたのだ、今はその逆である。
「とりあえず、急ぎましょう」
と、ヴァリニャーノ師は港の方へ馬足を向けた。ここの港町はかなり交易で栄えているようで、商人たちの屋敷が何件も並んでいた。そんな港にたくさん停泊している船の中に、ひときわ大きな船があった。
帆には大きく、あの織田殿の家の印がついていた。しかしよく見ると、織田家の印とは微妙に違う。
「あれが。ドン・バルトロメウがよこした船でしょう」
ヴァリニャーノ師はそう言って、船の方へと向かった。
船頭は愛想よく笑い、我われが誰も日本語が解せないと思っているのか、身振りでしきりに話しかけてきた。私が日本語で答えると驚いていた。
「ありゃあ、日本語が分かりなさっとね」
私は船に乗ると早速、船べりから手を出して、水をすくって口に含んでみた。かつて琵琶湖で、こんない大きいのだから海だと疑っていたときに、試しに水を口に含んでみて真水だと分かって湖だと納得したのを思い出したからだ。
そして今度はまぎれもなく海水だった。そのしぐさを見て、ヴァリニャーノ師もメシア師も大笑いをしていた。
強い風を帆いっぱいに受けて船は順調に進んだ。船はまっすぐ前方にではなく、若干右手の岸に向かって進んでいた。そしてわずか二時間くらいで、大きな島の島影にある港へと入っていった。
琵琶湖よりは小さいと思われる湖の、いや湖ではなく海の湾だというが、でもどう見てもこの景色はたとえ水が海水であっても湖だとしか思えず、その湖のしかも正面の対岸に向かうのではないようなのであっという間の船旅だった。港の上の陸地は平らな土地が若干あり、その向こうに小高い丘が横たわっていた。
そして最初に我われの目を引いたのは港に立つ巨大な十字架であった。あのような大きな十字架が戸外がに立てられている町など、日本全国他を探してもどこにもないだろう。船が港に近付くにつれ、十字架はますます大きく見えてきた。
「あれはね」
船室にこもったいたはずのヴァリニャーノ師が、私があの十字架を見るのが初めてで、驚いているのを見て笑った、
「もう二十年ほど前にトルレス神父が立てたものだそうだよ」
風雨にも負けずずっと二十年間も立ち続けてきた十字架に我われは敬意を表して、まずは教会に行くことにした。
2
港に着くと、城下の町の人々全員が押し寄せたのではないかと思えるくらいの住民による大歓迎だった。
その中を、我われは再び馬に乗って進んだ。
ドン・バルトロメウのいる大村の城・三城城は港からさらに三十分ほど歩くのだそうだ。
確かに三十分くらい歩くと、平らな土地の真ん中に木々が盛り上がったところがあり、そこが城だという。城といってもちょっと小高い土地の上の森がこんもりと見えるだけで、石垣ももちろん天守閣も見えなかった。どうも安土や姫路のように大きな天守閣のある城は、この九州の地には存在しないらしい。
その城の城門の手前、城まで歩いて一分もかからないであろうと思われる至近距離の田んぼの中に教会があった。
屋根の上の十字架からかろうじて教会と分かるような建物で、新しく建てたというよりもも元々あった仏教の寺の一部を改築して、ほとんどそのままの建物で教会として使用しているらしいことは見ればすぐに分かった。
入り口にはルセナ師と、もう一人の修道士が出迎えに出ていた。この年の冬至は早く、もうすでに十日が過ぎていたが、いずれにせよ一年で一番日が暮れるのが早い頃である。それでも、やはり海路で来たお蔭で暗くなる前には着けた。
ただ、日本はエウローパと違い、日没の時間の夏と冬の差がそれほど大きくないのは不思議だった。どんなに夏でも七時半ごろまでには暗くなるし、冬でも五時くらいまでは明るい。
我われはとりあえず、教会の聖堂で到着の祈りを捧げた。もともとは寺の僧侶の住居であった建物が御聖堂になっている。
これはヴァリニャーノ師の指示で、仏教の寺を改築して教会にする場合、寺の本堂を御聖堂にするのは禁止していたからだ。悪魔崇拝が行われていた場所を神聖な聖堂にするのは非常によろしくないという考えだ。
その日はルセナ師やそのほかの修道士たちと会食をしただけで、旅の疲れをいやすべくそれぞれ早めに寝た。翌日は早速城に上がり、ドン・バルトロメウに挨拶に行くことになっている。
その翌日もきれいに晴れていたが、風は冷たく寒かった。我われは朝のミサの後、すぐに城へと向かった。近いので徒歩である。
我われの来訪はすでに知らせてあるので、門のところには一様に首から十字架をかけた歓迎の武士たちが列をなしており、その中央に立ってドン・バルトロメウは自ら出迎えてくれていた。
「いやあ、ようおいでなさった。さあ、どうぞ、中へ」
ドン・バルトロメウはニコニコ顔で我われ一行を迎え入れてくれた。城門を入ると少し小高い丘の上への坂道を登ることになり、その上にドン・バルトロメウの屋敷があった。
堀はあったが石垣もなく、ただ土が盛られているだけの丘だ。今は葉を落としている木々でその丘は覆われていた。我われは秋に落ちてそのままになっているのであろう落ち葉を踏みながら、その坂を上った。坂は短かった。
屋敷に入ると、ドン・バルトロメウは我われを上座へと誘った。ドン・バルトロメウが長崎に来た時も、彼が我われの前の下座に座っていた。だから今度も自然とそうしようとしたのだろうが、この日に限ってヴァリニャーノ師はそれを固く拒んだ。
「ここはあなたの城です。それにあなたは今でも長崎を含むこの国の殿ですから、我われが下に座るべきでしょう」
ヴァリニャーノ師はそう言って譲らず、サンチェス師の通訳を介しての押し問答の末に結局ドン・バルトロメウに上座に座ってもらった。
この広間にいるすべての家来の武士たちも全員が十字架を首にかけていた。
やがてドン・バルトロメウの妻と思われる女性と三人の子供たちが、ドン・バルトロメウに呼ばれて登場した。
「これが妻のえん、ドンナ・マリアとお呼びください。それから、子供たちです」
「リノでございます」
「セバスチャンと申します」
「ルイスです」
皆それぞれに頭を下げた。いちばん上の子でも、まだ十歳にもなっていないようで、いちばん小さなルイスに至ってはやっとしゃべっていると思われるくらいの幼児だった。ここまでは男の子だったが、いちばん小さいルイスよりは少し年上と思われる女の子もいた。
「メンシアです」
その女の子は名乗った。
「おやおや」
それを見てヴァリニャーノ師は驚きの声をあげていた。
「三人とも無事に竜造寺から戻ったのですか?」
ヴァリニャーノ師がそう驚くのを見て私は最初は何のことだかわからなかった。
「すでに去年のうちに竜造寺からは返されました」
「それはよかった」
ヴァリニャーノ師は納得していた。だが、私はよく話が見えない。その様子を察してかサンチェス師は私だけに耳打ちするような形で小声のポルトガル語で、説明してくれた。
「この三人はずっと竜造寺殿のところに人質に取られていたのですよ」
この国の風習で、ある殿とある殿が戦争をして、それで勝敗が決まってかつての敵が手を結ぶことになると、翻意を持たせないために相手に妻や子などの人質を送ることになっているという。
この城と竜造寺殿との間で大きなっ戦争があったのは、私も聞いて知っている。私がまだ日本に来る前だ。
この城を目ざして多くの兵士が攻めてきたが、ドン・バルトロメウはこれをよく守ったということが人々の間で語り継がれている。
「サンチョは?」
ヴァリニャーノ師の言葉を通訳した後、サンチェス師はまや私に小声で言ってくれた。
「ドン・バルトロメウの長男です」
その長男がいないのだ。ちょうど有馬の神学校で日本人の神学生とほぼ同じ年ごろなのだという。
「まだ、竜造寺に取られています」
「せっかく三人が返ってきたのに、今度は長男ですか」
そこでヴァリニャーノ師は少しきつい顔をした。ドン・バルトロメウは言う。
「致し方なかとです。これが乱世のならいですばってん」
「ところで」
そこで私が口をはさんだ。
「かなり多くの方が港では我われの船を出迎えて下さいましたけれど、どのくらいの割合がキリシタンなのですか?」
「はい」
悲痛な面立ちから、一転してドン・バルトロメウは得意そうな顔になった。
「わが領内の領民約六万人すべてがキリシタンですたい。一人残らずです」
「それは素晴らしい」
そう言ったのは私ではなくサンチェス師だった。彼は日本語でそう言った後すぐに小声のポルトガル語で言った。
「まさしく巡察師の方針通りで正解ですな。民衆への福音宣教のいちばん手っ取り早い方法は、領主の入信。これぞ娘を得ようとしたらまず母親からということですな。聞くところによるとドン・バルトロメウは家臣たちに、自分はどんなことがあっても、たとえ司祭たちが皆信仰を捨てても私は捨てないとまで言ったとか」
そして笑った。
私はそっとヴァリニャーノ師の顔を見た。ヴァリニャーノ師も笑ってはいたが、苦笑を含むその笑みのどこかに苦笑とは別の意味の翳りがあるように見えた。あの高槻で高槻の殿のジュスト高山殿が多くの領民を信徒に導いている様子に心から感激していたヴァリニャーノ師とはどこか表情が違う。
この領民がすべて信徒という状況に、以前だったら手放しで称賛しただろう。あの長崎の神宮寺の焼け跡での体験をするまでは……。
だが、実はそれ以前から、ドン・バルトロメウはジュスト高山殿とは違って、どうも領民を強制的に受洗させ、拒否したものは追放か処刑という方法にまで及んだらしいことをなんとなく小耳にはさんでいたし、またヴァリニャーノ師の耳にも入っていたようだ。
そこで私はまた口をはさんだ。
「どのようにすべての領民を洗礼まで導いたのですか?」
「いえいえ、余は何もしとらんとです。全部バテレン・コエリョ様のご指導の言われる通りにしてきただけですけん、余の功績ではなくコエリョ様のお蔭ですたい」
ドン・バルトロメウは顔は笑っている。そして、あくまで謙譲の美徳を示している。
だが、いくら信徒とはいえやはりドン・バルトロメウも日本人。顔はにこにこ笑っているが、その笑顔の向こうの真意はどうも読み取れない。
いずれにせよフロイス師やコエリョ師に言わせれば、方法はどうあれその人がキリストに出会ったかどうかが大事で、その出会いのきっかけはどうでもよろしいなどと言うであろうことは想像に難くない。
「ところで、わが甥っ子は息災でやっとりますかいね?」
急にドン・バルトロメウは話題を変えた。甥っ子というから最初は有馬の殿のドン・プロタジオのことかと思ったが違った。
「千々石の紀員ですばい。キリシタンとしての名はミゲルとかいいよったとですな」
すると有馬の殿ではなく、かつて口之津で我われが受洗式に立ち会ったあの少年のことだ。今は有馬の神学校で学んでいるはずである。
ドン・プロタジオの従弟と言っていたから、たしかにドン・バルトロメウからすればこちらも甥だろう。
「はい。元気で勉学に励んでおります」
ヴァリニャーノ師がそれに答えた。
「そうですか。太かなりよっとでしょうね。で、バテレン様はいつお国へ?」
ヴァリニャーノ師は少し考えた。
「お正月? くらいですかな」
少し考えていたのは我われのカレンダリオを日本の暦に置き換えるための計算をしていたからだろう。
「そぎゃんですか。もうあとひと月余りしかなかとですね。ああ、できれば余も一緒に連れて行ってもらいたかとです。この目でローマという町も見てみたかです。ばってん、どだい無理な話でしょうな」
そう言って、ドン・バルトロメウはひとしきり笑った。
3
翌日はいよいよヴィジーリャ・ディ・ナターレであった。
本来なら日没後に前夜ミサがあってそこからナターレが始まるが、この日は日曜日だったので午前中は待降節第四主日のミサが行われた。そしてこの日の日没までは大斎、すなわち断食の日になる。
そして日没。この国では冬の日没はエウローパほど早くはないが、それでも一年のうちで一番暗くなるのが早い頃だ。
まだ完全に暗くなる前から城下の人々は次々と教会へと押し寄せてきた。もともとは小さな寺であった教会だけに、到底町の人全員を収容できるものではない。
なにしろ昨日、殿のドン・バルトロメウが自慢していたように、この町では一人残らず全員が信徒なのである。そこで四回あるミサをヴァリニャーノ師のはからいで、年齢層ごとに振り分けて参列するように教会の前に立て札を立てて、信徒たちには通達してある。
つまり前夜ミサは老齢者中心、夜半ミサは壮年の者たち、翌日の早朝ミサは女と子供中心、そして日中ミサは年齢の制限は設けないが早いもの順ということになっていた。
夕闇の中に荘厳な教会の鐘が鳴った。そして厳かに前夜ミサが始まった。
年齢層別制限はあっても人々はあふれ、聖堂には入れたのは一部の幸運な人々のみで、多くは教会の庭で寒さに震えながらの参列となった。
最初の司式はこの教会の主任司祭であるルセナ師であった。そして、ミサが終わっても人々はずっと教会にとどまって互いに語り合い、断食の日が終わった後の食事を食べ、ナターレの恵みを喜びのうちに分かち合っていた……と、表面的には紛れもなくそう見える。
だが、ここにいるおびただしい数の信徒の背後にここには入れなかった人々、改宗を拒んだばかりに追放され、あるいは処刑されたかもしれない人々の陰が揺らめいているように私には見えて仕方がなかった。
「改宗を拒むということはキリストとの出会いも拒み、万軍の『天主』に背を向けた、いわば悪魔に仕える民。それは滅ぼされて然りである」
そんなふうにコエリョ師やフロイス師なら言うだろう。しかし今ここで私がどう思おうとどうにもならないし、それが正しいことなのか正しくはないのかも私にはわからない。
そんな中で夜も更け、再び冬の夜空に教会の鐘が鳴り響くと、キリストの聖誕を祝う本番である夜半ミサが、今度はヴァリニャーノ師の司式で執り行われた。
このミサには城よりドン・バルトロメウとその妻のドンナ・マリア、四人の幼い子女も参列し、御聖堂内を占めていたのはほとんどが城に仕える武士たちであった。当然のことながらその全員が信徒である。
式に先立ちヴァリニャーノ師は参列した会衆に呼び掛け、サンチェス師がそれを通訳した。
「今から約千五百年前の、ここからですと地球の裏側になる場所、ユダヤのベツレヘムに一つの小さな光がともされました。その小さな光は次第に人類を照らす大いなる光となり、千五百年もかかって今やようやくこの国にも及ぼうとしています。ここに集った人々全員が心を一つにして、喜びを分かち合いましょう」
そうして、ミサは始まった。
ここに集まっている人々にとっては全く未知の言語であるはずのラテン語でのミサの進行であるにもかかわらず、人々は物音一つ立てずに厳かに祈っていた。
そして唯一、会衆に分かる言語でなされる司祭の説教もポルトガル語で、サンチェス師の通訳を通して日本語で伝えられた。
「皆さん。ナタルとは何でしょうか」
日本人はナターレを、ポルトガル語のままナタルと呼んでいる。
「ナタル、それは喜びです。その喜びは、世界中のすべての人の喜びでなければなりません。世界のすべての人々が平和で、祈りのうちにこの日を迎えるのです。しかし、今この国は乱世と呼ばれる戦乱の状態にあります。そのような中で喜びを与えるとはどういうことでしょうか」
ヴァリニャーノ師は、その言葉をサンチェス師が通訳している間、会衆の顔を隅々まで見渡していた。そしてにこやかに話を続けた。
「それは人々に希望の光を与えることです。千五百年前にユダヤのベツレヘムにともされた小さな光を、私たちが希望とともに分かち与えるのです。今がどんなに苦しくても、戦争が続いていても、『天主』は一人一人を御大切に思われています。その御大切のあまりに、御自ら人間と出会うために、その御ひとり子をこの世に遣わされました。しかもこの世に降りたときは赤子、つまりことごとく他人の手を借りなければ一瞬たりとて生存できないそんなこの世で最も弱い存在である赤子としてイエズス様はこの世に降り立たれたのです。さらには生まれたのは馬小屋、泊まる宿もないそんな貧しい境遇の中に『天主』はその御ひとり子を置かれたのです。ナタルはそんなイエズス様の生まれた日を祝うというのではなく、イエズス様がこの世にお生まれになったという事実を祝う日です」
ヴァリニャーノ師はつい饒舌になって話し続けるので、通訳の関係上サンチェス師がそこで切るように要請した。そして通訳が終わるとまた続けた。
「そのイエズス様を戴く私たちキリシタンは、一人一人が世の光となって、戦争が続くこの国の人々に希望を与えるのです。一人一人のともしびは小さいかもしれませんが一人一人の真心のともしびが集まればやがてそれは松明となり、世の中を明るく照らすのです」
そこでサンチェス師の通訳が入る。
「先ほど読まれたラテン語の『聖書』の朗読は『幽暗を歩める民は大いなる光を見、死蔭の地に住める者の上に光照らせり。汝民を増しその歓喜を大いにしたまいければ、彼らは收穫時に喜ぶがごとく、掠物を分かつ時に楽しむがごとく汝の前に喜べり』という内容です。さらに『すべての人に救いを得さする『天主』の恵みはすでに顕れて、不敬虔と世の欲とを捨てて慎みと正義と敬虔をもてこの世に過ごし、幸いなる望み、すなわち大いなる『天主』、そしてわれらの救い主イエズス・キリストの栄光の顕現を待つべきを我らに教う』ともありました。キリストが最も弱い赤子としてこの世に生まれたとき、世界の人々は誰もその栄光の光がこの世にともされたことを知りませんでした。しかし、たった数人の羊飼いだけが、天からの声を聞いたのです。その声は、先ほどミサの中で聖歌隊がラテン語で歌ってくれた歌、『Gloria in excelsis Deo. Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.』、これは『天のいと高き所には『天主』に栄光。地には善意の人に平和あれ』という意味です。この歌声を聴き、羊飼いたちは救い主の誕生を知って、いち早く駆けつけました。この日の本の国では、まだ大部分の人がキリストと出会っていません。その中でもほかの人々に先駆けてキリストと出会った皆さんはいち早く駆けつけた羊飼いと同じ栄光を今宵受けたのです。かよわい存在である赤子のイエズス様をいち早くメシア・キリストと認め、喜びに満たされたのです。皆さんも同じ喜びに満たされていますね。その喜びを一人でも多くの希望を失っている人々に分かち合う、その自覚と決意を持つ日がナタルであるといっても差し支えないでしょう。その心をもって、平和のうちにともに祈りましょう」
それからはまた、ラテン語によるミサへと戻った。
ミサの後はまたささやかな宴が教会の庭で催され、領主も武士領民もなく、皆がともに同じ食事をし喜びあった。そしてここでも日本独特の風習としてのナターレの贈り物の交換があちこちで行われて、殿であるドン・バルトロメウにも領民たちが贈り物を行列をなして直接手渡していた。
そして仮眠の後、すぐにサンチェス師による早朝のミサ、そして再びヴァリニャーノ師による日中のミサへと続いた。 日中のミサでのヴァリニャーノ師の説教は夜半とは少し趣が違った。今度は私が通訳だった。一通りナターレについての講話が終わった後、ヴァリニャーノ師は少し口調を変えた。
「さて、私ごとですが、このナタルが私にとって日本での最後のナタルとなります」
その言葉を伝える私自身が、身が引き締まる思いになった。
「私は皆さんのお正月の頃に日本を離れ、ローマの地に帰ります。皆さんのことを、日本のキリシタンのことを、ローマの教皇様にお伝えしなければなりません」
いつしかヴァリニャーノ師の言葉が涙交じりになっていたので、通訳する私の声もあやしいものになっていた。こうしているうちに、刻一刻と私とヴァリニャーノ師の別れの時が近づいているのだ。
「私はこの国が大好きです、皆さんが大好きです。今日の日のことは一生忘れないでしょう。いつかまた、必ずこの国に戻ってきたいと思います」
そして、また場は厳かなミサの場に戻った。
日中のミサの後は締めくくりとして、大宴会となった。
エウローパでもナターレが大々的なお祭り騒ぎになってきている傾向があったので、それを引き締める動きも起こっている。だがここ日本では、高槻や長崎、そしてここ大村など以外では、多くの人々にとってまだまだナターレは全く知られてもいない行事である。多くの日本人はこの日も、普段と変わらない「日常」を過ごしているはずだ。
それとは対照的に、ここ大村ではもはや教会を訪れる人々を収容できるカパチタはもはや教会にはなく、そこでドン・バルトロメウの厚意で、城の城門の中、本丸へ上る坂道までの大広場が開放され、人々はそちらへと列をなして移動した。
ここでまた一グランデ・エベントが開催されることになっている。それは、日本人信徒によるキリスト降誕劇、すなわち神秘劇の上演であった。
すべてのセリフは日本語で、しかもこの下の地方の方言であるが、受胎告知より始まり、ナザレからベツレヘムへの旅、宿さがしと馬小屋での聖誕、天使の歌に駆けつける羊飼い、そして東方三博士の拝礼までもが忠実に演じられていたので驚いた。
ここ大村では十五年ほど前に大々的に舞台が組まれて上演され、その時も二千人以上の観客がいたという。今も観客数はほとんど変わらないと思われるが、その後は戦争のあった年などを除きこうしてほぼ毎年恒例行事として続いているということだ。
高槻での復活祭での行進もさることながら、ここでもヴァリニャーノ師は大いに感動している様子だった。
4
こうして大村でのナターレ気分を満喫した我われは、翌日もう一度城内でドン・バルトロメウに挨拶をし、早速に長崎へと帰還することとなった。その日の朝、城に向かう前に我われ司祭全員は、司祭館の一室に集められた。
「実は急な思いつきで申し訳ないのですが」
そう前置きしてから、ヴァリニャーノ師は話し始めた。
「こちらの殿のドン・バルトロメウは、自分の目でローマを見、教皇様にも拝謁したいものだと言われていた。だからといって、もちろん領主である殿をローマに連れていくことは不可能です。そこで」
そこでヴァリニャーノ師は一息入れた。
「そこで、殿の代理人を使節としてローマに派遣してもらう、それを私がローマまで連れて行くということを思い立ったのです」
「おお」
その場の誰もが歓声を上げた。日本人をローマに連れていくなど、誰もが思いもよらないことだった。しかもただ日本人を連れていくということのみにとどまらず、正式な領主の使節として同行してもらうというのである。
「本当ならば皇帝たる帝か天下人である織田殿の代理の使節が望ましいのですが、お二方とも今はまだ異教徒ですからそれは無理でしょう。そこでせめて信徒である領主の代理となる使節を派遣してもらうのです」
「具体的には誰をです?」
メシア師が尋ねた。ここでメシア師が質問をするということは、ヴァリニャーノ師はその側近中の側近ともいえるメシア師にさえこの場で初めてその意中を打ち明けたということになる。
「それはこれから殿にお会いしてから相談することにしましょう」
ヴァリニャーノ師は言った。
城では、ヴァリニャーノ師は早速このことを持ち出した。ドン・バルトロメウは顔が崩れんばかりに喜んだ。
「願ってもなかこつ。よろしく頼みます」
そして何度も頭を下げていた。
「それで、家来の方の中から、それにふさわしい方を紹介願いたい」
ヴァリニャーノ師にそう言われて、ドン・バルトロメウは少し考えていた。
「若かもんがよかでしょう。お国まではどれくらいかかるのです?」
「普通に行けば半年くらいですが、おそらく船の関係で途中何ヶ所か停泊しますのでもっとかかります。私が来る時は二年かかりました」
「そぎゃん時間かかっとでしょ。じゃけん、あまり年寄りを遣わしたら行って帰ってくるまでに寿命が尽きたらいけん。じゃけん、若かもんがよか。そうだ。有馬におる甥っ子の紀員がよか。わしの甥じゃけん、それに若か」
あの聡明そうな少年ならと、聞いていた私も思っていた。今は少年であるくらいが、行って帰ってきた頃には立派な働き盛りの若者になっていよう。
「では、そのように本人にも聞いてみます。親御さんは?」
「あの子の父親はすでに戦で亡くなっとるけん、予が父親代わりですたい」
それならば話は早い。
「あと、もうひとつ」
ドン・バルトロメウは言った。
「余の名代というだけでなく、やはり甥の有馬の十郎の名代ということにもしてくれませんかね」
有馬の十郎とは有馬の殿、ドン・プロタジオのことらしい。
「紀員はあの子にとっては従弟ですけん」
それも都合がいい。
「さらには」
ドン・バルトロメウはまだ何かを言いたそうだ。
「紀員が正使ならば、副使もいるじゃろ。やはり今有馬の神学校に、紀員と同じくらいの年かっこうで、この大村の領内から行っておる者がおる。原中務の息子と中浦甚五郎の息子じゃ。この二人は親も熱心なキリシタンじゃけん、問題なかろう」
「そのように取り計らいます」
そう言って頭を下げるヴァリニャーノ師は、どこか嬉しそうだった。それにも増して、ドン・バルトロメウはにこにこ顔だった。




