表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/96

Episodio 12 Secondo Consiglio dei Sacerdoti(第二回司祭協議会)

                  1


 安土では、我われはもう一つの大きなイベンティ((イベント))があった。

 かつて有馬で予備会談をし、豊後の臼杵で第一回司祭協議会が開かれたが、その第二回の協議会を安土において開催することだ。

 すでに美濃から都に戻ってきていたセスペデス師はカリオン師、フランチェスコ師とともに、さらに高槻のフルラネッティ師とも連れだって安土に来ていたので、あとは越前に行っているフロイス師の帰りを待つだけだった。


 そんなある日、私はヴァリニャーノ師から小声で、しかもイタリア語で言われた。


「今すぐ私の部屋まで来てくれ」


 行ってみるとすでに何人かがそこにいた。

 まずはオルガンティーノ師、それからフルラネッティ師とフランチェスコ師、そしてトスカネロけい、ニコラオ兄の姿もあった。だが、常にヴァリニャーノ師と行動を共にしているメシア師の姿はなかった。


 私を加えた四人に対して、ヴァリニャーノ師は顔を近づけ、やはり小声で言った。


「今はイタリア語でいきましょう」


 言われてみれば、ここに集められたのは皆イタリア半島の国々の出身者ばかりだった。


「実はフロイス神父(パードレ・フロイス)が戻る前にと思って集まってもらったのですが」


 自身もイタリア語でそう言うヴァリニャーノ師の顔には緊張の様子が見られ、自然とその話を聞く四人とも表情を堅くした。


「ご存じの通り、これまで長く総布教長を務めてこられたカブラル神父(パードレ・カブラル)が辞任されましたよね。今は暫定的にカブラル神父(パードレ・カブラル)に引き続き総布教長を代行してもらっていますが、正式な総布教長は空席で、早急に後任を決めねばならないのです。臼杵の協議会ではそこまで話が行きませんでしたが、ここ安土での協議会でも当然話題となることでしょう」


 別に急に降って湧いた話ではなくこれまでもずっと懸案になっていたことだが、ヴァリニャーノ師はようやく心を決めたのではないかということを私は察したし、他の三人もそのような様子だった。


「もちろん最終決定はこの後のシモの会議で決まりますけれど、あるい程度はこの安土で骨子を決めておきたい。そして今日集まって頂いたのは、さらにその根回しとしての内諾を頂きたかったからです」


 そこまで言ってから、ヴァリニャーノ師はオルガンティーノ師を見た。


オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノ、私はあなたにぜひ総布教長を引き受けてもらいたいと考えています」


 「え?」という感じで、オルガンティーノ師はほんの少しの間、ぽかんと口を開けていた。


「あなたしかいない。こんなに長く日本での福音宣教に従事して来られて、日本語も達者だ。そして誰よりも日本を理解し、日本に精通しておられるし、日本人の信徒クリスティアーニからの人望も厚い。日本あなたにとって花嫁なんでしょう?」


 ヴァリニャーノ師の顔が少しほころんだ。そこでオルガンティーノ師は従来の持ち味である笑顔を取り戻し、そこだけ日本語で言った。


「はい。日本は私の嫁」


 だが、すぐにイタリア語に戻した。


「しかし、ちょっと待ってください。これとそれとは話が別です」


 そして間髪を入れずに続けた。真顔だった。


「私はずっと都で、そして去年からはこの安土でずっと福音宣教に従事してきました。たしかに私は日本が大好きですけれどそれだけでなく、布教区長としてお預かりしているこの都や安土をこよなく愛しています。総布教長になったら有馬か長崎か、とにかくシモに行くことになるのでしょう? 私はこの安土から離れたくないのですよ。わがままですけれどね」


 そしてまた、オルガンティーノ師はにっこり笑った。


「いや、そのことですが」


 ヴァリニャーノ師が手で制した。


「これは今回の協議会の議題にもしようと思っていたのですけれど、確かに今はマカオからの船が直接着く長崎がこの国の入り口として我われの福音宣教の拠点ともなっています。けれど、やはりこの国の中心はなんといっても都です。信長殿がこの安土に城を構えていますが安土と都は至近距離ですし、私はゆくゆくは日本におけるイエズス会の本拠地も都に移し、都に大規模な学院コレジオを儲けるつもりです。これはまだかなり将来さきの話ではありますが、いずれ日本が管区となり、また司教座を設けるということになれば、それも都にと考えています」


 それを聞いたオルガンティーノ師は、しばらく唸っていた。唸るにしても、愛嬌のある唸り方をする人だ。


「しかし今日はなぜ、イタリア人だけをここに集めたのですか?」


 鋭い質問である。実は私もそれが聞きたく思っていたのだ。ヴァリニャーノ師は即答だった。


「実はもう一つ、あなたに総布教長をお願いしたい理由がそこにもあるのです」


 オルガンティーノ師だけでなく、私を含めた他の三人もそこで身を乗り出した。


「今、スパーニャ((イスパニア))とポルトガルの力は強大で、この二カ国で世界を二分しようというような勢いですね。今のポルトガル国王は元枢機卿で聖職者ですからこれまでの王のような領土的野心はないとはいっても、世界的な勢いは国王お一人の問題ではありません。それで私は、福音宣教にこの世の世俗的な力関係を入れたくないのです」


 聞いていた私の方が、黙って大きくうなずいていた。ヴァリニャーノ師は続けた。


「しかし現実問題として、我がイエズス会が福音宣教の足場としてきたのはゴアにしろマカオにしろ、すべてポルトガルの領土やポルトガル人の居留地です。この日本にも、エウローパから来ている商人はポルトガル商人ばかりですよね」


「あのう、よろしいでしょうか」


 ここで私が口をはさんだ。ヴァリニャーノ師はどうぞというようなしぐさをした。


「たしかにカブラル神父(パードレ・カブラル)は、我われを派遣したのが教皇様でもイエズス会総長でもなく、まるでポルトガル国王であるかのような言い方をしていましたよね。彼の意識の中には、そう言ったことがあるんでしょうね」


「彼だけではなく、ま、全員とはえいないけれども、ポルトガル人の司祭の中にはそのような考えの人は他にもいるでしょう」


 ヴァリニャーノ師がうまくつなげてくれた。そこで私は話を続けた。


「長崎の教会領も、あれはあくまでイエズス会という修道会に寄進された土地であって、ポルトガルという国に寄進されたわけではないですよね」


「そう、そこなんだ。そこが間違って、いつの間にかポルトガル領ということになるとまた厄介なことになる。そういうふうにゴアやマカオのように長崎もなってしまうと、当然ポルトガル本国からの世俗的統治者が送り込まれてくる可能性もある。そうなるとただでさえ混沌としているこの国の国内情勢がややこしいことになり、織田殿もいい顔をしないでしょうね」


 聞きながら私が何気なく部屋にあった地球儀を見ているその視線の先を、ヴァリニャーノ師も気にとめた。


「これまではサラゴッツァ条約もあってスパーニャとポルトガルは均衡を保っていたけれど、スパーニャが西に、ポルトガルが東にと勢力範囲を拡大していったら地球は丸いのだからいつかはどこかでぶつかる。そのどこかというのが、この日本かもしれませんね。今、コニージョ神父(パードレ・コニージョ)が言われたように長崎がポルトガル領になっていったりしたら、二カ国の勢力範囲の拮抗に日本も巻き込まれる。私はそれが恐いのです」


「たしかに」


 フルラネッティ師も話に入った。


「スパーニャの勢力範囲の最西端のフィリピーネとポルトガルの勢力範囲の最東端のマカオは、海峡一つ隔てて隣合っていますからね」


「その通りです。ですから」


 ヴァリニャーノ師が話を取り戻した。


「私が巡察師ヴィジタドールに任命されたのも、そのような意図があったのですよ」


「そのような意図とは?」


 オルガンティーノ師が聞いた。


「つまり、ポルトガル人でもスパーニャ人でもない私をイエズス会総長の代行者にすることによって、二カ国のどちらにも偏らない見方で実情を視察し、物事が処理できるようにということだったらしいのです。我らがイエズス会のアクアヴィーヴァ総長もイタリア半島の出身です。つまり」


 ここでヴァリニャーノ師は、再びオルガンティーノ師を見た。


「日本におけるイエズス会も、そうあるべきなのです。そのためには総布教長はポルトガル人でもスパーニャ人でもない方がいい。そうなると、ポルトガル人ではない布教区長といえば、オルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノ、あなたしかいない」


 オルガンティーノ師は口をへの字に曲げて、泣きまねをするかのような表情を見せた。


「引き受けてくださいませんか」


 もう一度ヴァリニャーノ師が念を押した。そして我われに向かっても念を押してきた。


「皆さんも異存はございませんね」


 少なくとも私に異存があるはずもなく、他の二人も同様という感じだった。フルラネッティ師にとっては、オルガンティーノ師は自分たちの布教区の長なのである。


「こんな重大な話。ここで即答はできませんよ」


 オルガンティーノ師は笑いながら言った。


「しばらく考えさせてくれませんかね」


 その後も二言、三言問答があって、その日は終わりとなった。



                  2


 それからあともヴァリニャーノ師とオルガンティーノ師は二人で何回か話し合っているようだったが、数日たってフロイス師が越前から戻ってきてようやく安土協議会が開かれる運びとなった。

 結局オルガンティーノ師が総布教長にという話はどうなったのか、我われには正式には知らされていなかった。


 暦はもう七月に入っていたが、まだなかなか雨が続く日々は終わりそうもなかった。

 会議は安土の神学校セミナリヨの一室で行われた。会議は長時間にわたるので、豊後と同様に椅子とターベラ((テーブル))の部屋でであった。

 参加しているのはヴァリニャーノ師はもちろんのこと、メシア師、フロイス師、オルガンティーノ師、セスペデス師とカリオン師、フルラネッティ師、フランチェスコ師、そして私の九人の司祭と、さらに特別にロレンソ兄も参加していた。

 この会議に修道士が、しかも日本人が傍聴ではなく正式に参加するのは初めてだった。隣にはフロイス師が通訳で付いていた。

 フロイス師はすでに臼杵の協議会に出ているので今回は通訳でということだったがもちろん正式な参加者であり、発言権も有するということが最初にヴァリニャーノ師によって皆に確認された。

 私とメシア師も二回目の参加だ。


 さっそく会議が始まったが、まずは臼杵での第一回協議会の内容の伝達であった。

 特にオルガンティーノ師、セスペデス師、カリオン師、フルラネッティ師の四人は初めての協議会なので、彼らに向けての話だった。これがかなりの時間を要し、これだけで第一日が終わった。


 翌日は前の日にひと通り話された内容の中から、学院コレジオのことに話が絞られた。

 前回の協議会での議題の中心は学院コレジオの建設のことで、それを受けてすでに豊後の府内では学院コレジオが開校している。

 そして数日前のヴァリニャーノ師の自室での話でも出たことだが、本来ヴァリニャーノ師の構想をここではオルガンティーノ師が提案するという形で、将来的に都に大規模な学院コレジオの建設と、イエズス会の日本における活動拠点を都に置くという議題が出された。

 これに異論をはさむ者は誰もいなかったので、すんなりと決まった。


 そしてヴァリニャーノ師が次に提案したのは、日本人司祭の養成であった。現在ではイエズス会に入会する日本人がいても修道士か説教士にしかなれず、司祭への道は開かれていなかった。

 これまではカブラル師が故意にその道を閉ざしてきたと言えないこともなかったが、ここでは誰もそれは口にしなかった。前向きに今後どうするかということに話の焦点は絞られた。


「毎年どんどん司祭や修道士が宣教師としてマカオから到着しますけれど、まだまだ数が少なく、人手不足です。現在安土や高槻を含む都、豊後、シモを中心に多くの教会ができていますが、まだ司祭が常駐せずに巡回教会となっている所も多数あるのを私はこの目で実際に見てきました。司祭の絶対数がまだまだ不足しています。その不足する司祭をマカオやゴア、ひいてはポルトガルから呼び寄せるなどということは物理的に不可能で、そこで司祭の数を増やすには日本人の司祭が誕生しなければならないのです。そして日本人は文化的で、利発であり、霊的にも高い次元にある民族です。今後日本国内の教会はすべて日本人司祭に任せるという時代もきっと訪れるでしょう」


 この発言に、全員が拍手をした。そこで私が手を挙げた。


「私たちは皆、生まれてすぐに洗礼を受け、家族も親戚も隣近所も町中、いや、国中の人びとが全員信徒(クリスタン)という環境の中で育ちました。ここにおられるロレンソ兄(イルマン・ロレンソ)はちょうど私が生まれた頃、若くしてザビエル神父(パードレ・ザビエル)の手から洗礼を受け、イエズス会に入会してからもう何十年もたっており、幼児洗礼の私よりもむしろ入信歴は長い先輩です。そのイルマンが私の説教を聞いて、どんなに自分が入信歴が長くても大人になってから洗礼を受けて改宗した自分は、幼児洗礼の人には逆立ちしたってかなわないと言ってくれました。しかしです」


 私はここで声を大きくした。


「私はイルマンの説教を聞き、逆にそれが日本人民衆の中に入り込み、完全に彼らの心をつかんでいると実感したのです。やはり同じ日本人同士でないと、微妙なところで通じ合えないところがあるようです。そこで、私も日本人司祭はどうしても早急に養成する必要があると思います。我われはこの国の生活や文化、風習に溶け込もうと努力してきましたが、どうしても限界がある。しかし日本人ならそれらを持って生まれてきている。その日本の生活や文化、風習の中で育った人が同じ日本人にキリストの教えを説くというのは、これ以上の最高の適応主義はないのではないでしょうか。そういった点でも日本人司祭が必要だということを、私ごとき若輩者がおこがましいのですが補足しておきます」


 これにも、拍手喝采だった。ヴァリニャーノ師が厳かに口を開いた。


「まあ、今の状況では日本に司教様をお迎えするのは困難ですが、いずれ将来的には日本にも司教座ができ、いつのことになるかわかりませんが将来的には日本人の司教がその座に就くというのも夢ではありません。私はそういったヴィザン((ヴィジョン))を持って、ことを進めていきたいと思っています」


 これにも拍手喝采だった。やはり雰囲気が有馬や豊後での会議とは全然違う。


「適応主義といえば」


 プロドゥットーレ・ディ・ウ((ムードメーカー))モーレのオルガンティーノ師が口を開いた。


「皆さん、食事はちゃんと日本の食事を召しあがってますね?」


 セスペデス師、カリオン師、フルラネッティ師の三人は苦笑しながらもうなずいていたが、どうも怪しかったので、オルガンティーノ師もにやっと笑った。


「徹底しましょう。我われ司祭はもちろん修道士や神学生に至るまで、イエズス会員は全員食事は和食、食卓も畳にお膳。いいですね、ヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノ


「その通りです」


 ヴァリニャーノ師でさえ苦笑していた。


「まあ、服装はスータンでいいでしょう」


 そう言うオルガンティーノ師に、セスペデス師はまたにやっと笑った。


「本当はオルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノとしては不本意でしょう? あなたは時々、テラ僧侶ボンズの服を着ておられる」


 オルガンティーノ師は高らかに笑った。


「ばれたか。本当は服装もそれをお勧めしたいのだけれど、そこまで他の皆さんにも強制したらちょっと行き過ぎだと思うのでスータンでいいと言ったのですよ。私は袈裟ケサを着たい。あくまで異教徒の服装ということではなく、日本人の服装としてです」


 オルガンティーノ師とその他の人びとの笑い声の中で、和やかに会議は進んでいった。


 そして三日目の会議で、臼杵でも話し合われたことが再度持ち出された。

 日本を管区にするという話が出ていて、決定は巡察師に一任されているという話だ。


「これは司教着座が時期尚早なのと同様、まだ今の段階では無理しない方がいいでしょう」


 その意見はオルガンティーノ師からだった。初めて出た反対意見だ。そこでしばらくいろいろな意見が出たが、とりあえず皆の意見を聴取した上で追って巡察師が決定するという運びになった。


「これで安土における協議会を終わりたいと思いますが、その前に、現在これまで総布教長を務めてくれたカブラル神父(パードレ・カブラル)が総布教長を辞任したことはご存じだと思います。早急に新しい総布教長を選出しないといけないわけですが、やはり筋として現在布教区長を務めておられる三人のうちのどなたかということになると思います。まず、この都教区の布教区長のオルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノからご意見を」


 私は注目した。先日のヴァリニャーノ師からの要請に対する答えを、ここでオルガンティーノ師は発表するようだ。そこで腰を下ろしたヴァリニャーノ師と替わって、オルガンティーノ師は立ち上がった。


「この件に関しましては、今の日本におけるイエズス会の現状を鑑みて、今日本に滞在している司祭、修道士は圧倒的にポルトガル人が多いですね。それを束ねるのですから、やはり同じポルトガル人がいいでしょう。この状況は打破しない方がよろしい。ポルトガル人がまとめてくれた方が何かとうまくいくと思います。それが均衡を保つ秘訣だと存じます。よって私は今後もこの都・安土教区の布教長をやらせてください」


 つまりは、拒絶だったのである。ヴァリニャーノ師はただうなずいていた。恐らく事前に話し合いで、二人の間ではこう結論づいていたのだろう。

 総布教長はポルトガル人がいいというのも先日のオルガンティーノ師の発言から考えれば矛盾するが、それはあくまでこの場に居合わせているポルトガル人への配慮からそういううふうに言うようにとヴァリニャーノ師から指示があったのかもしれない。


「では、豊後教区の布教区長のフロイス神父(パードレ・フロイス)


 ヴァリニャーノ師に指名されて、フロイス師はロレンソ兄への通訳を一時中断して、立ち上がった。彼ならポルトガル人である。


「実は私は、これからお願いしようと思っていた矢先だったのですが。私は今後、この国におけるイエズス会の活動の記録やローマの総長様への報告書などそういった面に専念したいと思っているのです。申し訳ありませんが総布教長どころか、現在の豊後教区の布教区長も私は辞任したいと考えております」


 これにはヴァリニャーノ師も驚いた表情を見せた。そしてしばらくは何かを考え込んでいた。そして、少し間おいてから、ヴァリニャーノ師はまた立ちあがった。


「分かりました。ただ、豊後布教区長の件はまた後日話し合うとして、とりあえず総布教長は辞退ということで」


 そうなると、残る布教区長はシモ教区のコエリョ師だけだ。彼もポルトガル人である。しかし彼は今は有馬にいてここにはいないから、意見を聞くことはできない。従って、この問題はまた保留ということになった。


 私としてはコエリョ師が総布教長にという流れに何か不吉な予感がしていた。どうもコエリョ師にはカブラル師と同じアウラを感じるのである。あの二人はつるんでいると思えて仕方がならない。

 だが、有馬を後にして以来コエリョ師とは会っていないので、不確かな記憶を頼っての感覚ではあったが。

 

 こうして安土の協議会は終わった。

 下に向かって出発するのは梅雨が明けてからにしようということになり、それからというものヴァリニャーノ師は書類上の仕事があるようで毎日部屋に引きこもりがちになった。

 セスペデス師とカリオン師、フランチェスコ師、フルラネッティ師はそれぞれ都および高槻へと帰っていった。

 我われはミサと聖務日課の他はやることがないので、湖畔を散策したり、神学校セミナリヨの授業を見学したりしていた。


 そうこうしているうちに梅雨も明け、本格的な夏の暑い日差しが降り注ぐようになった。蝉も鳴きだしている。

 思えばちょうど私が日本に来てから一年がたった。それなのに、一年前が遠い昔のようにも感じられる。あっという間のようでもあったが、やはり私にとってこの一年は長かったといえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ