Episodio 11 Missione a Murotsu e Konishi Yakuro(室津での宣教と小西弥九郎)
1
岩見の漁村から四十分ほどで、次の港が見えてきた。ここも小さな岬の付け根で、向こうのもう一つの岬との間の入江の奥に当たる。
確かに先ほど見た漁村よりは活気だっていて、ここも漁村でもあるようだったがそれ以上に町であった。板葺きの民家ばかりではなく、大きな寺や神社の瓦屋根も見える。そしてあちらこちらにある蔵や屋敷は、ここの港が単に漁村だけではなく貿易港であることを物語っていた。
港には私たちが豊後から堺まで乗ってきたのと同じような帆船がいくつも停泊していた。港には商人の姿も多数見られ、堺の港に変わらないくらいの慌ただしさと活気を感じた。
ロレンソ兄の介添えの少年はここへ来たことがあるようで、黙ってロレンソ兄の馬を引くので私もそれに着いて馬を進めた。やがて我われは一つの門の中に入り、小ぢんまりとした屋敷の玄関で馬を下りた。たしかにまだ空は明るく、日が西に傾くまでにはまだ時がありそうだった。
「たのもう」
ロレンソ兄が大声で中に向かって叫んだ。すると一人の武士が現れ、我われが何も言わないうちに慌てて奥に入ってその屋敷の主を呼びに行った。
やがて出てきたのは、最初に出てきた武士よりは身分が高そうな、二十代前半と思われる若い武将であった。
その若者はまずロレンソ兄を見るやすぐに草履をはいて玄関から外に出てきて、我われのそばに立った。
「これはイルマン了斎様、お久しうございます」
そしてすぐ次の瞬間には、隣の私をも見た。
「バテレン様」
そうひと言だけ声を挙げ、私に向かって満面の笑みを見せた。この国では誰もが我われ司祭の顔を見ただけで身分を知ることができるので、便利と言えば便利だ。
「ようおいでくださいました。この地にバテレン様がおいでくださるのも久しぶりで、キリシタンたちも喜びましょう。さ、どうぞ、どうぞ、中へ」
「あなたが弥九郎殿ですか?」
若者は興奮のあまり、初対面である私に自分の名を名乗ることすら忘れているようなので、私から確認の意味で聞いた。彼があの都で我われと親しくしているジョアキムの、その息子である弥九郎殿であろうことは一目見た時から分かっていた。
ヴァリニャーノ師は彼がまだ信徒ではないと言っていたが、その言葉つきや我われに対する接し方はもう信徒以外の何ものでもなかった。
「はい。申し遅れました。小西弥九郎行長でございます。とりあえず中へ」
通された屋敷は弥九郎殿の私邸でもあり、また仕事の場でもあるようだった。
客間のような部屋で我われは上座に据えられた。その前で、弥九郎殿は平伏した。まだ若いということもあるがそれだけではなく、元来腰が低い男であるようだ。
「ようおいでくださいました」
もう一度同じことを弥九郎殿は言った。
「まあまあ、弥九郎殿、おもてをあげなさい。それでは話もできません」
気配を察してか、苦笑しながらロレンソ兄が言ってくれた。
そこでまず私の方から自己紹介をすることにした。
「私はジョバンニ・バプテスタ・コニージョというバテレンです。ヴィジタドールのバテレン・ヴァリニャーノと共に九州からこちらに来ました。都でお父上にお会いして、それから安土へ行き、安土からこの地に来ました。バテレン・ヴァリニャーノからの言いつけで、あなたに会い、そしてこの室の港のキリシタンたちの告解を聞き、話をします。また、多くの洗礼志願者がいると聞きました」
「はい。もう、みんな大喜びです。実は私も洗礼志願者の一人です。よろしくお願いします」
また、弥九郎殿は頭を下げた。彼の父のジョアキムは堺の大商人で、その息子だから腰が低いのも理解できる。だからその腰の低さは武士が主君に対するそれとはいくぶん異質の、店主が客に対するような感じであった。顔に愛想の笑みを浮かべているのだ。
彼の素性はここで来るまでの道すがらロレンソ兄から聞いていたので、だいたいは知っていた。一度は岡山の魚屋という商家に養子に出されたが、羽柴筑前殿が毛利との戦争で岡山の城を訪ねた際に羽柴殿に見いだされ、今では父の店の屋号の小西屋から取って小西という姓を名乗り、羽柴殿に仕える武将になっているという。
「この屋敷にはバテレン様がお泊まりになる部屋もありますさかい、どうぞおくつろぎください。また後ほど、夕食を共にしながらお話を伺いたい思います」
到着したばかりの我われを気遣ってか、すぐに弥九郎殿は我われを案内してくれた。そこは屋敷の中ではあるが、我われ司祭がいつ立ち寄っても泊まれるようになっている、いわば住院のような感じになっていた。
部屋は普通の日本式の畳の部屋ではあったが、十字架や御絵が飾ってある祭壇がしつらえてあった。
なんだか弥九郎殿がまだ信徒ではないということが不思議であったし、それが不自然にさえ感じられた。
弥九郎殿の家来と思われる武士が、夕食だというので我われを案内しにきた。
食事の前に弥九郎殿は妻のお菊さんを紹介してくれた。まだ娘とも思われるような美貌と若さを持っている妻だった。
お菊さんは挨拶をするとすぐに奥へと入った。
まだ日本へ来たばかりの私だったら、なぜ妻も共に食事をしないのかといぶかっただろう。今はもう、日本では特に武士の家では妻は夫と共に食事はせず、ただ給仕するだけだという風習も知っている。
妻は後ほど台所近くの別室で、この屋敷で働く女たちと共に食事をするのである。
妻のお菊さんが奥へ入ると入れ替わるように、家来たちが挨拶に来た。皆二十代か三十代であった。
食事が始まってからまずは、弥九郎殿のこれまでの経歴のことが話題になった。
弥九郎殿は笑っていた。
「驚かはったでしょう」
「だいたいのことは、イルマン・ロレンソから聞いています」
「そうですか」
そうは言ったものの箸を運びながらも、弥九郎殿は実によくしゃべる。
「私は次男坊ですさかい岡山の同じ薬屋の魚屋という店に養子に出されましてな、そこで岡山の城の宇喜多様のもとに出入りしていた頃に、宇喜多の殿様がお気に召してくださって、殿様にお仕えすることになったんです。いきなり商人から武士になって、最初は戸惑いました」
驚くべき転身振りである。
「そして宇喜多様の使者としてその頃三木城を攻めてはった羽柴様のもとに遣わされましたら、羽柴様がこれまた私に目を止めてくださって、羽柴様にお仕えすることになったのです」
なるほどロレンソ兄から聞いていたのより、本人から聞くとまた詳しく正確である。
「今では羽柴様からこの室の港を預かり、警固衆のような感じで羽柴様の戦船を管理しています。もし羽柴様が毛利に本格的に進攻するときは、私はその船を率いて海から攻めることになっています。でも、しばらくは羽柴様は鳥取に行かはるさかい、その戦が終わるまでは私の役目もありませけどな」
そこまで一気にしゃべってから弥九郎殿は食事の方に専念し、すぐに目を挙げた。
「それにしても、このたびはようおいで下さった。実はバテレン様方が堺に向かわれる途中、この近くを船でお通りにならはりましたやろ」
たしかに、この室津の沖合を通過した。
「あの時はバテレン様がこの港にお寄りなさると知らせがあって、キリシタンどもみんなして心待ちにしておりましたけれど、急に素通りされて行きましたさかい、あまりの心落ちで寝込んでしまった女もおりましたよ」
そう言って弥九郎殿は笑う。
「そうでしたか。それは申し訳ありませんでした。あの時は急に追い風が吹きましたので、この風を逃したらもったいないとのことで、こちらには寄らずに先を急ぎました。なにしろどうしても枝の主日までには堺に着きたかったのです」
「まあまあ、済んだことです。それよりもバテレン様。話は変わりますが、まずは明日早速で申し訳あらしまへんけど、キリシタンたちの罪を聞くのと、これから洗礼を受けようという人たちへのお話と、どちらになさいますか?」
私は少し考えてから言った。
「まずはキリシタンの方たちとお会いしたいですね」
それが私の率直な希望だった。
翌朝、早くから多くの人がこの屋敷に訪れた。そこで順番にその罪を聞いて告解、ずなわちゆるしの秘跡を授けているうちに日が暮れた。
その翌日は日曜日だった。
この町には教会はまだないようなので、弥九郎殿の屋敷の広間でミサを執り行った。村中の信徒が集まってかなり手狭だった。久しぶりに与るミサ、そして拝領した御聖体に、感激のあまり泣いていた婦人もいた。
そしてその翌日、空はどんよりと曇っていたが、雨が降りそうな気配はなかった。
その日から、毎日弥九郎殿の屋敷を訪れるのは、これから洗礼を受ける志願者たちとなった。
私は弥九郎殿を含む彼らを前に、公教要理を基本から話すことにした。
ただ、最初の日は講話をロレンソ兄にお願いした。これまで仏教の寺の高僧の人びとと語り合って論破してきたと話では聞いてきたが、実際に兄が語るところを見たことはなかったので、お手並み拝見という気持ちもあったのだ。
2
ロレンソ兄の講話を聞いている志願者は八十人ほどで、それが屋敷の広間にぎっしり詰まっているという感じだった。
もう何度も公教要理を聞いている人たちだから、ロレンソ兄の話もかなり高度な所まで及んでいた。
まずは日本の一般の神社や寺に異教徒の人びとが参詣するときに期待するいわゆる「ご利益」(すなわち、祈りの効力)と『天主』様による「成聖の聖寵」との違いについてであった。
「皆さんは今、洗礼を受けることを志願しました。皆さんと接していますと、私が三十年前に洗礼を受けた時のことを思い出します。洗礼は大きな恵みです。もともと『天主』様はすべての人間に御大切と大いなる智恵をお与えくださり、四六時中み光を注いでくださっています。その助力の聖寵は善人の上にも悪人の上にも分け隔てなく等しく降り注ぐ雨のように、すべての人に平等に降り注がれています」
人びとは、しんと静まりかえっていた。その人びとの上をロレンソ兄の言葉は降り注ぎ、別室で聞いていた私にもものすごい迫力を感じさせた。
「しかし皆さんは今、洗礼を受けようとしています。その洗礼によって特別な恵み、いわば成聖の聖寵というものが戴けるようになります。それによって『天主』様が皆さん一人ひとりの魂に宿り、罪は許され。魂は浄まり、『天主』様の命に与るお恵みであります。言わば皆さんの魂と『天主』様とが目に見えない糸で直接結ばれるということです。そこで皆さんは、これまでの命を捨てて新しく生まれ変わるのです。誤解しないでください。これまでの命を捨てるといっても、なにも一度死ぬということではありませんよ、安心してください」
人びとの間で、笑いも起こった。話の内容もさることながら、人を引き付ける話術というものもこの人は心得ている。
「イエズス様も『人は新しく生まれ変わらなければ、天国には入れない』とおっしゃいました。それを聞いていたニコデモという偉い人は、『そんなもう一度お母さんのおなかの中に入って、また出てくるなんてことはできません』って言ったんですね」
人びとは、また笑った。
「でも、イエズス様が言われたのはそういうことではないんです。生まれ変わりというのはこの肉身の体がではなく、魂が霊的に生まれ変わるということなんです。ですから、皆さんが洗礼を受けるその日が、みなさんにとって新たに霊的に生まれる日ということです。そういう霊的生まれ変わりを経験しない人はいわばただの人だと、イエズス様もおっしゃってますよ。ただの人では天国へは行かれません。さあ、皆さん、この近くのどのお寺で、どの神社でお参りをしたからとて、このように霊的生まれ変わりを経験することができますか? できないでしょう? それはなぜか。神も仏も創造主ではないからです」
この人は、入信歴は私よりも長い先輩であるけれども、学院で神学や哲学を専門的に学んだことはないはずだ。しかし、話は実に分かりやすく、無学文盲の大衆を相手に教えを説いたイエズス様のお姿を彷彿とさせるところがある。
イエズス様が人びとにお説きになったのは高尚な神学やキリスト教哲学などではあり得なかったはずである。誰が聞いても分かりやすい話をされていたに相違なく、時にはたとえ話も多くされていた。そうでなければ一般民衆が聞く耳を持つはずがない。今のロレンソ兄のその姿はまさしくそういったイエズス様のお姿であり、さすがだと私は驚嘆の思いを禁じ得なかった。
すると、一人の漁師風の男が手を挙げた。
「イルマン様。イルマン様は先ほど、洗礼を受けたらデウス様と目に見えない糸で結ばれる言いよってやったが、目に見えへんもんがあると、どないして分かるんすか」
ロレンソ兄は、にっこりと笑った。
「実は先ほどのニコデモも、イエズス様に同じことを質問してるんですね。その時イエズス様はこう言われましたよ。『あなたは、風が見えますか?』って。どうです? あなたも風は見えますか?」
「いえ」
「では、目に見えないから、風は『ない』のですか?」
「いや。風は吹くでしょう。我われ漁師にとっては、風ちゅうのは生活の上でもごじゃ大事なもんでおます」
「ではなぜ、目に見えないものがあると分かるのですか?」
「それは音がしたり、体で感じたり、ものが飛んだりすりゃ分かりますな」
「はい、それと同じです」
それだけで、質問者は納得してしまったようだ。
やはりロレンソ兄は話術と、公教要理の深い造詣ばかりでなく、話も聞く人も話をする人も同じ日本人同士という気安さが人びとの心を開かせているのかもしれない。
そうなると、もう私にはかなうはずもないのだ。
さらにロレンソ兄の個人的資質に加え、私が感じたのは、やはり日本人としての霊性の高さだった。日本人の魂の霊性とロレンソ兄の個別の資質が十字に組まれ、さらに聖霊に満たされることであのようなすばらしい話ができるのだろうと、私は思っていた。
今日も洗礼志願者だけで六十人近くが集まっており、ここにすでに信徒になっている人も加えたら、この大広間には入りきらないだろう。
下でも豊後でも、そしてあの高槻でも安土でも、ザビエル師の最初の伝道以来わずか三十年でこ三十万人以上の人びとが聖性に目覚めている。ゴアでもマカオでも、現地の信徒がほとんどいなかったのに比べると、対照的だ。異教徒の国といっても、日本はインジャやチーナとは全然違うというのが今さらながらの実感だった。
ロレンソ兄の話は午前中で終わった。午後はそれぞれ仕事があるのだろうし、皆大急ぎで帰っていった。多くは漁業に従事している者のようだが、この町の問屋や商家で働く商人も多い感じだった。そのような仕事を持つ人びとを、毎日まる一日拘束するわけにもいかなかったのだ。
3
翌日は、私が人びとの前に立った。
「皆さんは昨日、イルマン・ロレンソ了斎から洗礼による聖寵の話を聞きましたね。今日は皆さんが受ける洗礼について、少し補足しておきます」
まずは、こういう感じで語りだした。
皆が息をのんで静まり返って聴いているので、かえって緊張してしまう。だが、前に黒田殿に話をした時のことを思い出し、頭では何も考えずに魂が口を動かす通りに、ただ聖霊の助けを願って話を進めた。
「洗礼によって何がもたらされるのか、それはひと言でいえば罪の許しです。キリストは私たち人類の罪を背負って十字架にかかりました。その時に渡された体、流された血によって私たちの罪を洗い浄めて下さったのです。その前の日の晩餐でイエズス様はパン、これは小麦の粉を練った食べ物ですが、それとぶどう酒を聖別して、私たちがずっとずっとイエズス様の御体と御血を頂くことができるようにしてくださったのです。聖別しても、形の上ではパンはパン、ぶどう酒はぶどう酒のままです。でも、霊的にはそれはキリストの御体と御血なのです。それを頂くためには、まずは我われがキリストの十字架を受け入れなければいけない。それはキリストを遣わした『天主』との和解を意味します。そのための儀式が洗礼であると考えていいでしょう。ですから、洗礼を受ければ人類が『天主』に対して最初に犯した罪、『天主』が食べることを禁じた善悪を知る木の実を食したという罪、さらに言えば『天主』に反逆した人類共通の罪がまず許され、それから皆さんが個々に抱いていた罪も許されます。罪の許しは『天主』の無限の慈しみから発します」
あまりにも皆が静まりかえっているので、彼らが理解しているのかどうか私は気になった。まずは話の内容が分かっているかどうか、難しすぎないかどうか、そして私の日本語が通じているかどうか、一対一で話しているのならすぐに反応で分かるが、大勢の人に一斉にだとそのあたりが今一つ分からない。うなずいて聴いている人もいれば首をかしげている人、ポカンとしている人などさまざまなのだ。
「皆さん、私の話は分かりますか?」
それでもしばらく沈黙があったが、何人かが大きくうなずいて見せてくれた。このような時にあまり反応しないというのも、日本人の特徴の一つだということも、私は最近分かってきたばかりである。
「とりあえず続けます。天国は不正な行い、思いを持つ者は入れません。他人に不正を行う者、偶像を崇拝する者、姦淫を行い、また男色を行う者、盗む者、貪欲なもの、酒を飲み過ぎて酒びたりになる者、他人の悪口を言う者、人を騙す者などは天国へ入れません。でも、そんなこと言われてももう遅いという方もいるでしょう。でも、大丈夫です。過去にそのようなことをしてきてもそれを悔い改めた人なら、その罪は洗礼を受ければ許されるのです。洗礼によって人は新たに生まれるのだと、昨日イルマン・ロレンソから聞きましたね。洗礼によって『天主』の子となり、さらに公教会の子となります。公教会の掟を守ることをはじめとして、公教会の教えに従わなくてはならなくなりますが、その代わり大いなる天の財宝が与えられるのです。昨日のイルマン・ロレンソの話でイエズス様は『人は新しく生まれ直さなければならない』と言われたとありましたが、イエズス様はその時「水と聖霊によって」と仰せになっています。水で罪を洗い流し、聖霊で浄めます。聖霊の本質は霊的な火であり、光なのです。皆さんが洗礼を受ける時、水を注がれながら私がある言葉を唱えるのを聞くと思います。その時はラテン語で唱えますから皆さんには分からないと思いますので、今のうちに何と言うのか教えておきましょう。それは『私は父と子と聖霊との御名によってあなたを洗う』という言葉です」
さらに私は長々と洗礼について述べた。そしていよいよしめくくる時間が来た。
「皆さんは、約束してください。洗礼を受けるに当たっては完全に悪魔と手を切らなくてはなりません。悪魔とは虚しい名誉、悪い楽しみ、現世の宝などに執着することを指します。これらを捨て、教会を信じ従うということを『天主』様に誓わないといけません。初期の教会でもイエズス様の第一の弟子だったペトロは、自分の罪を捨てて『天主』に立ち返るよう教えています。そのためにはイエズス様をキリストとして認め信じることです。皆さんは大人になってから洗礼を受けるわけですから、教会の教えをよく理解して固く信じ、また自分の罪を痛悔しなければなりません」
この日はそこまでとした。この日も聖霊の助けを借りて、私は成し遂げたという充足感と満足感に満たされていた。
翌日はまだ信徒にはなっていない人たちだから正式にではないけれど、彼らが罪の通悔の手助けになればということで、個別に罪を聞いてあげることにした。
次に私が彼らの前に立ったのはその二日後の木曜日。あと三日で洗礼式となる。そして次の日曜日のミサで入門式が執り行われることになっていた。
この日は私からの一方的な話ではなく、人びとからの疑問を受け付ける日とした。
最初はなかなか手が上がらなかった。日本人はこういうとき沈黙をしてしまう。それは謙譲の美徳ともいえるが、日本人は総じてティーミドであり、また誰かが手を挙げたら続いて自分も質問しようと周りの様子をうかがっているものも見受けられる。やはり、そういう国民性なのだ。
「皆さん、質問はありませんか? 質問をすればするほど、それがあなたが高められることになります」
それでも、ためらっている人がいるのは分かるが、手は上がらなかった。
「質問がないということは私が話したことがよく分かっていないか、あるいはもう何も聞かなくていいくらい何でも分かったということですよねえ」
私が冗談半分でそういうことを言ったら、ようやく恐るおそる手を挙げた者がいた。
「あのう、バテレン様はこのあいだ、わしらの罪は何でも許される言いよったったけど、『天主』様はなんでそんな罪を許してくれるんかいえ」
「まあ、ひと言で言いますと、『天主』様の慈しみですね。あなた方一人ひとりが皆『天主』様の御大切なのです。『天主』様の慈しみは永遠です。時間的に永遠であるというだけでなく、あらゆる場所において永遠なのです。イエズス様はご受難に向かう前に、この『天主』様の慈しみの永遠を賛美する歌を歌いながら捕らえられた園へと向かいました。ご自分にこれから起こるであろうことを、イエズス様は全部ご存じだった。それなのに『天主』様を賛美する歌を歌っておられたのです。『天主』様は限りない慈しみで私たちを哀れみ、罪から解き放って下さいます。それはもう、はらわたがちぎれるほどの慈しみなのです」
「これまでどくしょいこと仰山してきたわしらでも、許したったるんはほんまかいえ」
別の若いものが、また声を挙げた。一人が口火を切ると、あとは次々に連鎖的に質問は上がる。ただ、このあたりの漁師の言葉はよく分からないところもあって、私が聞きとれずに困った顔をしていたら、すかさず隣にいるロレンソ兄が私の分かる言葉で言い直してくれた。
「『天主』様はごじゃ心の広いお方やのう」
「はい、『天主』様はけた外れに辛抱心の強いお方です。その慈しみが、常に辛抱心を上回ります。『天主』様は私たちの罪を許し、病を癒し、私たちの命を死から救ってくださいます。私たちに慈しみと哀れみの冠をかぶせてくださるのです」
私は俄然、調子づいてきた。いつものように聖霊に満たされているようで、どんどん聖句が口を突いて出る。
「あのう」
その時、また別の人が手を挙げた。
「前に聞いたカテキズモでは、世の終わりの時にすべての人は墓からよみがえって最後の審判を受けるいうことやったけんど、この国のやんごとなきお方や一向宗門徒やらなんやらは遺体を墓につっこむ前に焼いてしまいまっせ。そないな場合どないなるんか」
私もそのような話は聞いていたが、今まで接してきた少なくとも信徒の日本人は普通に土葬にしているので問題にはしてこなかった。だからどう答えていいか、一瞬戸惑った。
「世も終わりのよみがえりについては、はっきりとどのような形でかというのはイエズス様も何もおっしゃっていません。もしかしたら私たちには想像もできないような状況がその時に起こるかもしれません。ですから、どのようなことが起こってもいいように備えておいてください」
我ながらあいまいに濁した、答えになっていないような答えだなと自覚はしていたが、質問した者は納得していたような顔をしていたのでほっとした。
「ええでっか?」
別のものが手を挙げた。
「昔聞いた寺の坊はんの話では、お釈迦様は『一人出家すれば九族天に生ず』と言うてやったったそうやけど、キリシタンでも同じやろけ?」
私にはその者が引用した言葉が理解できなかったので、そばにいたロレンソ兄に助けを求めた。ロレンソ兄は小声で私にその意味を説明してくれた。
つまり、家族の誰かが一人仏教の教えに入門して僧になれば、家族は全員が自動的に救われるという意味だそうだ。
私は質問した者の方を見た。
「私たちはあくまで一人ひとりが『天主』様に向き合います。ですから、もし家族や親戚を救いたければ、家族に福音を述べ伝え、家族がキリストに出会い、キリストを受け入れて信仰を告白するように、洗礼を受けるように持っていかねばなりません」
「まあ、それで家族が洗礼を受けそれでええいうことになっても、わしらのご先祖さんはどないなんけ。先ほど言うた九族っちゅうのは、もう亡うなりよったご先祖はんも含みまっせ」
私は一瞬、どう答えていいかわからなかった。何も考えずにひらめきにまかせようと思っても、口からは何の言葉も出ない。まさしく想定外の質問だったのだ。
しかし、いつまでも黙っているわけにもいかず、私は口を開いた。
「まずはあなた方が、キリストより以前に生まれた人ではないこと、キリストと同時代に生きていたけれどキリストを知らずに死を迎えた人ではないこと、そしてキリストの福音が地の果てまで伝えられている今にあってもまだ福音に接したことのない人でもなく、また接していても故意に受け入れない人でもないことを『天主』様に感謝しましょう」
かつてマカオにいた時に受けた霊操の中で、このようなことを聞いたような気がする。この時なぜか、そのようなことを思い出した。
だが、聴いている日本の民衆たちは、うまく理解できていないようだった。
「そないなことちゃいまんがい。ご先祖はんはキリシタンの教えがこの国に来やへん前に亡うなってやったったさけえキリストと出会わへんし、洗礼も受けてへんし、そやったら罪も許されへんでどないなっておまんかいな」
どうもこの地方の漁師の言葉で言われると、きつい口調でとがめられているような気になる。
「残念ながら天国に行くことは無理でしょう。でも、煉獄で苦しんでいるとしても、私たちの祈りの力で霊魂を救って天国に上げることはできます」
「ちょう待ってや。わしら、今こうして生きてるんも、全部ご先祖はんのお蔭じゃ。そのご先祖はんが煉獄いう所で苦しんどってやなんて、聞き捨てにならしまへんわい」
「そうじゃ、そうじゃ。今、わしらがここにおるんも親、爺ちゃん、婆ちゃん、そしてご先祖はんがおってやったからで、先祖はんがおってやってくれたおかげで、わしらは肉身を持ってこの世に生まれてきた」
人びとの間にどよめきが起こった。
「わしら、毎日お位牌を祀って、ご先祖はんには感謝の祈りを捧げっとうます」
正直言って私は戸惑ってしまった。このような考え方を私はしたことがない。いや、私だけではなく、私の国では司祭とかそうでないかに関係なく誰ひとりこのように考える人はいない。
その時私の脳裡に閃いたのは、かつての黒田殿のような殿という人たちにはキリストの教えとこの国の従来の神や仏の教えとの共通点を強調した方がいいというロレンソ兄の助言だった。
だが、その時ロレンソ兄は同時に、庶民に対しては逆で、むしろ違いを強調した方がいいと言っていた。
「皆さん。私は先日、皆さんに洗礼を受けるに当たって、すべての悪とは手を切るようにお願いしました。私たちが祈り、崇めるのは唯一絶対の『天主』様だけです。それ以外のものを祀って祈りをささげればそれは偶像崇拝です。すなわち、悪魔崇拝になります」
「ちょう待て、ちょう待て。わしらのご先祖はんが悪魔かいや」
人びとは一斉にどよめき立った。
「いえ、そのようなことではありません」
「そないなことちゃうでって、今バテレン様はご先祖様を祀ったらあかん言いよってやった。せやけど、ご先祖はんへの感謝の現れとして供養するんは子孫として当然の務めちゃいますやんな」
私は慌ててなだめようとしたが、一部の人たちは立ち上がって抗議してきた。それを私の代わりになだめて座らせようとしている人たちもいる。
だが互いに早口で言われたら私はもう彼らが何を言っているのかわからず、またその口調は喧嘩以外の何ものでもないかのように感じられた。
「だぼが、わやにしくさりおって。わしゃ往ぬわい」
立ち上がって騒いでいた若い漁師は大股で飛び出し、十人くらいがその後を追った。
「ちょっと待ちなはれ」
同席していた弥九郎殿も、慌ててその後を追って行った。
残った人たちはぽかんとしていたが、私自身が茫然としてしまった。
どうしてこのようなことになってしまったのか、そしてこの場をどうしたらいいのか、そういったことで頭の中が真っ白になっていた。
とりあえずはこの日の話をここで打ち切るしかなかった。
4
人びとが帰った後、私は屋敷の縁側に腰掛け、茫然と庭を見ていた。
すでに夕日が港の向こうの岬の陰に沈もうとしていて、あたりをオレンジ色に染めていた。
私は腰かけたまま両腕を足の上に乗せ、両手を組んでうつむいた。何人かの洗礼志願者を躓かせてしまった、そのことが申し訳なくひたすら『天主』に詫びていた。
いつの間にか背後にロレンソ兄が来て、縁側に足を組んで座った。
「バテレン様、そうご自分をお責めにならないように。私だってこのようなこと、これまでに何度もありました」
説教の天才のようなロレンソ兄にもこのようなことがあったなどと言われても、実感がわかない。それよりも何よりも、私の耳には何もかもが空虚に聞こえた。
「私が申し上げるのもおこがましいですが、そうやって自分を卑下するのは地獄の想念ではございませんか」
確かにその通りだ。私は少しだけ顔を挙げた。
「イエズス様も七十人以上もいた弟子が途中でどんどん離れていって、最後には結局十二人しか残らなかったっていうではありませんか」
振り向くと、ロレンソ兄はにっこりとほほ笑んでいた。
「この国の先祖崇拝は根強いものがあります。仕方のないことですよ」
私の心が、その笑顔で少しだけ癒された気がした。
翌日は説教はロレンソ兄にまかせ、私は別の部屋で黙想に明け暮れた。
一晩たって思い当たることもあった。
私は自分が聖霊に満たされていると思っていた。それはそれでその通りだったかもしれないが、それで慢心してしまったのだ。謙虚さがかけらもなかったような気がする。そのようなときは間髪を入れず、『天主』はびしゃっと止められる。それはまたそれで、『天主』が実在していることの証なのだ。
そしてもう一つ、ヴァリニャーノ師が提唱している現地への適応主義だが、それがどこまで適応すればよいのか。日常の暮らしや文化的なことなら私も大いに賛成だ。だが、今回のようなこの国の先祖崇拝などに対してはどうなのか。
フロイス師などはこの国の神も仏もすべて悪魔崇拝と断言している。適応と妥協は紙一重だ。
そんなことを考えながら、私がこの国で成し遂げなければならないことはまだまだ多いと感じていた。
日曜日になった。その主日のミサの中で洗礼式が執り行われることになっている。そして洗礼を受けるべくやってきた志願者は本来の八十人から約三分の二の五十人くらいに減っていた。
しかし私は、その五十人が来てくれたことを『天主』に感謝した。一人ひとりの手を取って「かたじけない、よく来てくれた」と礼を言いたいくらいの思いだった。
だが最大の衝撃は弥九郎殿だった。
「真に済まぬことです。あのあとあの場で席を立った人たちが私にも詰め寄りまして、私も洗礼を受けるいうんならもう漁はせぬというてきまして」
弥九郎殿は冷や汗をかいているようだった。
「わずか十人でも漁をやめられては、この村の生業は成り立ちません。洗礼を受けないいうこととちゃいまっけど、とりあえず私は今回は見合わせたい思います」
そう言われては、何も言い返せなかった。だが彼の場合、お父上が熱心な信徒である以上、希望がなくなるわけではないと思った。
その代わり、ここにはオルガーノもなく聖歌隊もいないので、聖歌はすべて弥九郎殿がアカペラで、しかもラテン語で見事に歌い上げた。
本当にこの人がまだ信徒ではなく、また今回も洗礼を受けないということが嘘のようであった。
ミサの中で、五十人は無事に受洗した。これが、私が司祭として初めて授けた洗礼であった。
「十二人だけでなくてよかったですね」
洗礼式が終わってからロレンソ兄は、そんな冗談を言って笑っていた。
いろいろとあったこの室津の町だが、この海と岬の景色だけはいい思い出として私の脳裏に刻まれた。
だが、帰りを急がねばならない。ロレンソ兄の話だと、この国ではもうすぐ年に一度の雨季が訪れるというのだ。梅雨もしくは五月雨と呼ばれる雨季の間は、ほぼ毎日のように雨が降り続くのだという。
五月雨とは五月の雨という意味だが、今はもう六月でも日本の暦ではまだ五月なのである。だから、その前に安土に帰り着いた方がいいというのだ。
帰りは小西弥九郎殿が船を用意してくれた。さらには織田家の旗を立ててくれたので、海賊に襲われる心配もないという。船は海からそのまま大きな川をさかのぼって、高槻まで直接つけるという。
別れ際に弥九郎殿は笑顔でこのように言ってくれた。
「ぜひ、次の機会には洗礼を授けてください」
私もその時は、笑顔を作っていた。
早朝七時には船出したので、夕方には高槻についた。行く時に途中で三泊もしたのに比べたら、やはり船は速い。
そのまま高槻で、各地の教会を巡回しているヴァリニャーノ師一行の帰りを待った。ヴァリニャーノ師が戻るまで一週間くらい待っていたのだが、とうとう曇りがちから雨の日が続くようになってしまった。
雨季とはいっても激しい雨が降るわけではなく雨は普通の雨だが、降っている期間が数日に及ぶのである。
その間も、雨という天候のせいもあってか、私の心はふさぎこんでいた。やはり例の室津での洗礼志願者たちとのやり取りのいきさつが、私の中でトラウマとして残っていた。
やがてヴァリニャーノ師が戻り、私が室津で体験したことをすべてヴァリニャーノ師に語った。
話の内容もさることながら、もう私はポルトガル語ではなく遠慮なくイタリア語でしゃべった。そのことが無上の喜びのようにも感じられた。ミサや聖務日課はラテン語で唱えるとはいえ、ここ一月弱の間、私は完全に日本語だけの中で日本語だけをしゃべって暮らしていたのだ。
いくらもう以前よりかは少し日本語が自由に話せるようになったとはいえ、やはり日本語漬けでの生活では「疲れた」というのが実感だった。
そして特に例の先祖祭りに関しての出来事はわざと二人きりの別室で、洗いざらいすべてをヴァリニャーノ師に報告した。ヴァリニャーノ師も、深刻な様子で聞いていた。
「たしかにこれは、日本における福音宣教で課題となるね。この国では先祖を祀るという習慣が行きわたっている。恐らくあのカブラル神父ならそのようなものは悪魔崇拝だとかたづけてしまって聞く耳持たないだろうけれどな」
「実は私も、これまで考えたこともないものでしたから戸惑いました。だから、ついつい『天主』以外のものを拝礼するのは悪魔崇拝だという短絡的かつ断定的なな物言いをしてしまったのです。彼らは神や仏を崇拝するのは偶像崇拝であって罪になるということは素直に聞いてくれましたし、多くの偶像や寺、神社などを破壊するのも吝かではなかったはずです。ところがこと先祖の位牌ということになると、これほどまでに抵抗されるとは思ってもみなかったのです」
しばらく難しい顔をして、ヴァリニャーノ師は何かを考えていた。
「たしかに、我われの国を含めエウローパでは先祖を祀るという習慣もないし、発想もないからね。まあ、一つの考え方として、この国の先祖崇拝は宗教的な儀式ではなく、宗教とは関係のない昔からの社会的な習慣だと位置づけて許容していくしかないかもしれぬな。それがこの国の文化に適応することにもなる」
確かにそれなら、適応主義と矛盾しない。
「そうですね。私たちだって先祖は祀りませんが、亡くなった方のお墓にお墓参りはしますものね。それと同じと考えればよいわけですね」
「今言ったのはあくまで一つの方案であって、今後の課題として日本に残る司祭たちで十分に話し合っていくことが大事だ。また総長の意向も聞いてみる必要もあるしな。同じような問題は、日本と同じような文化や習慣を持つチーナでも、今より福音宣教が進展した場合にも起こり得る可能性がある」
そういうことで、この問題は今後の課題として残された。
そしてその二日後は、からりと晴れた。これを梅雨の中休み、すなわち梅雨が一時休止することで、日本の暦では五月であることから五月晴れ(五月の晴れの日)ともいうのだそうだ。
その日を狙って我われは高槻を後にした。別れ際にジュストは、餞別ということでヴァリニャーノ師に一頭の立派な馬を贈った。都の教会で一泊して、安土に戻ったのが私の霊名の聖人である洗者ヨハネの祝日、つまり6月24日の土曜日だった。
そしてその翌日からまた、雨ばかりが続く日となった。




