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Episodio 10 Lo stratega Kambyoye(軍師官兵衛) 

                  1


 宴が終わると、外はすっかり暗くなっていた。

 武士サムライが持つ大きな松明たいまつに照らされた道をゆっくり進んだ。

 月がない頃なので、かなり暗かった。

 しかも、例のつづら折りの坂道を、今度は暗い中で下っていくのだ。目が不自由なロレンソ兄にとっては難儀なことだろうと心配したが、思えば周りが明るかろうと暗かろうと彼には関係ないのだ。


 大手を入ってきた時にすぐに見えていた屋敷が二の丸で、そこが黒田殿の住んでいる所だという。

 その屋敷に着いてから我われの寝所にあてがわれた部屋に、杖を突きながら黒田殿が現れた。驚いたことに黒田殿は我われを上座に据え、自分は下座にいたのである。

 その城の殿が信徒クリスティアーノであるというような場合なら我われが上座に据えられることもよくあるが、黒田殿はまだ信徒クリスティアーノでもないのに、信徒クリスティアーノの殿と同じように我われにふるまってくれる。

 ただこの日は、もう夜も遅かったこともあって、ただ挨拶だけだった。


「バテレン様はこちらに何日ほど滞在あそばされるのでしょうか」


 黒田殿はそう聞いてきた。


「明日では早すぎますね。でも、あさってには室津に行きたいと思います」


 姫路滞在の目的である羽柴筑前殿との顔つなぎはもう終わった。あとは信徒クリスティアーノが全くいない姫路よりも、多くの信徒が、そして洗礼志願者が待っている室津へと一刻も早く行きたいというのが私の本音だった。


「では、明日はこちらでごゆるりとお過ごしください。ただ」


 相変わらず鋭い、見据えるような目で黒田殿は言った。


 「明日、少しだけそれがしに時間をくださらぬか」


 もちろん、断る理由はなかった。黒田殿はすぐに下がったので、我われは聖務日課ディビーヌモフィチューム終課コンプレトリウムを唱えてすぐに床に就いた。


 翌朝、空は晴れ渡っており、朝はまだ涼しい空気が漂っていた。だが、昼ともなると下手をしたら汗ばみ始める。我われはただ聖務日課ディビーヌモフィチュームだけをこなし、運ばれてきた食事を頂戴するだけで黒田殿は姿を見せなかった。

 丘の上の本丸の屋敷は目新しかったが、こちらの屋敷はそうとう年季が入っている。どうもここが本来の姫路の城で、もともと黒田殿の城だった時代の建物のままなのであろう。

 その黒田殿の屋敷で話し相手はロレンソ兄だけであり、状況はここまでの道中と変わらなかった。


「昨日は着いたのが暗くてよく分からなかったのですが、明るくなるとかなり大きなお城ですね」


 言ってしまってから、ロレンソ兄はその目でこの城を見ることができないのを思い出して失言してしまったかなと思ったが、ロレンソ兄は気にしているふうはなかった。


「はい。しかし、この城は筑前殿の城としては二つ目ですね。昨日の話の中に長浜という名前が何度か出てきましたな。それが筑前殿の本来の城です。安土と同じく琵琶のうみの東岸で、安土よりずっと北に行ったところに長浜の城はあります」


「二つも城持ちとは、かなりのお方ですね。ただ、何か違う。あの羽柴殿は、ほかの武士サムライとはどこか違うと感じるのです」


「たしかに。あの方は本来の武将ではなく、尾張という国の貧しい百姓、つまり農民の子なのですよ。それが織田家に仕え、城持ちの武将にまで上り詰めた。まあ、ある意味たいしたお方です」


 その話には驚いた。エウローパではそのような人物は自分の知る限り、歴史上類を見ない。もしいたらかなりの英雄ということになろう。

 そう言われてみると、武将としての気品や威厳にかけていたのはそういうことなのかと思う。

 だが、私が感じた違和感はそのようなことではなく、気さくでおおらかな人柄のように見える羽柴殿だが、どうもその腹の中にはいち物を秘めているような気がしてならないのだ。


 そんな話をしているうち、ようやく黒田衛がまた杖を突いて、足を引きずって現れた。そろそろ日も西の方の空に傾きかけていた頃だった。しかも今度は、童形の少年を連れている。


「少しくつろげましたかな」


 我われの下座に座ると、まずは少しだけ笑みを浮かべた顔で黒田殿は言った。実はこの少しの笑みで日本人は十分に親愛の情を現しているのだということを、もうすでに私はよく承知していた。


「これは息子の松寿しょうじゅでござる。近々元服させる予定でおりますがな」


「松寿と申します」


 利発そうなその少年は父の隣に座って、礼儀正しく頭を下げた。私は年を尋ねた。


「十三でございます」


 我われの年齢の数え方では十一か十二歳だ。


「羽柴殿が鳥取に行かれたら当然私もまいりますゆえ、元服はその前にと考えております」


 元服ゲンプクとは武士サムライの子が大人として一人前に成人したことを披露する儀式で、年齢に決まりはない。そしてこの国では、十三歳で元服というのは決して早くはない。


 元服の話はさておき、私は昨夜黒田殿が時間をくれと言った時に、かつて安土でも初めての登城で城の隅々まで案内されたように黒田殿がこの姫路の城でも案内してくれるのかと思っていた。

 だが、彼の足のことを考えると、たやすくはそれを頼めないなと思っていた。そこでまず私は聞いてみた。


「そのお足はどうされたのですか」


「この足ですか。実はおととしまである戦さでそれがし、とある城中の土牢に一年間軟禁されておりまして、その時に痛めたのでござるよ」


 詳しいきさつはあえて聞かなかったが、一年間も土牢にと聞いただけで、もし自分だったらと思うと身の毛がよだつ。今目の前にいる人は、それにも耐え抜いた不屈の精神を持っている人だなと実感した。これが日本人の魂というものかと、ふとそんなことを思っていた。


「それよりも」


 官兵衛殿は微かな笑みで静かに切りだしてきた。


「今日、お時間を頂きたいと申したのは、ほかでもござらぬ。キリシタンの教えについてお教え願いたい、そう思いましてでござる」


 自らそう申し出るなど、今は異教徒にしてもよほど厚い信仰心を持っているのだなという気がする。だから私は心が温かくなり、胸が熱くなった。微かに笑みを浮かべているとはいえ、その目は真剣だった。


「私が教えるなどというと大変おこがましい。そうではなくて、あなたがキリストと出会うその一助になるなら、喜んでお話しさせて頂きましょう」


 私がそう答えると、黒田殿はさらに私を見据えた。


「実は高槻の高山右近殿とは昵懇じっこんの中でして、その右近殿が私にもしきりにキリシタンを勧めますので、いろいろと考えていたところなのです」


 その声は、魂から絞り出されるようにすら感じた。


「ひと通りの教義につきましては右近殿からいろいろと聞きましたけれど、私はこの播磨の土着の身、都や安土に行く機会もたまにしかありません。ましてや今は織田家にお仕えするようになってからは、羽柴様の配下に入って常に行動を共にしておりまする。ですから、実際にバテレン様よりお話を伺う機会がほとんどありませなんだ。どうかお願いします」


「だいたいの公教要理カテキズモは聞いているのですね」


「はい。ただ、この際いくつか疑問を正しておきたいと存じておりますれば、」


 この口調だと、滔々と質問が続きそうだった。


「キリシタンは一向宗や法華宗、禅宗と同じような宗門であり、宗派であるかどうかということをお伺いしたいのですが」


 私は言葉を選んだ。そして、ここに来るまでの道中で、今も隣にいるロレンソ兄と語り合ったことを思い出した。


「この世にあっては、我われキリシタンも、あなた方のお国の一向宗や法華宗と同じ形態の組織であり、宗門であり宗派といえましょう。しかし、天国には宗門や宗派はありません。いかなる宗門の人といえども、同じ一つの幹から出た枝なのです。元は一つなのです。従ってあなた方はキリシタンと呼んでいますが、私たちはこれを全人類に遍く広まる普遍な教会という意味で、カトリックと称しています。どんな宗門宗派の人でも、同じ唯一絶対の創造主が創られた存在ですから」


 黒田殿は異論をはさむでもなく、うなずいて聞いていた。その目は輝いて見えた。


「では、その唯一無二の創造主、すなわち『天主デウス』様とはどのようなお方なのですかな? 我われの国での神々とは異なるのか、あるいはそれも元は一つなのか、そのあたりのことはいかがでしょう」


 質問がかなり鋭い。この国ではたとえ信徒クリスティアーノであっても、このように本質を突いた質問をしてくるものはなかった。かといって、異教徒の僧侶との論争のような、相手を論破してやろうというような意図は微塵も感じられなかった。

 黒田殿は笑顔こそ少ないがあくまで謙虚に、へりくだって質問してきているのだ。


「『天主デウス』は天地の創造主、全能の父なるご存在です。天地のすべてのすべてを創造され、太陽がすべてを分け隔てなく照らしているように世界中のすべての人びとを生かし、育み、恵みを下さっている人類共通の親、あらゆる存在の源といってもよいでしょう」


「さすれば『天主デウス』とは、太陽の光のような存在と考えてよいのですかな」


「はい。十戒マンダメントスのことはお聞きになっているでしょう?」


「右近殿より、聞いております」


「そのマンダメントスを『天主デウス』より授かったモーセという預言者は、『天主デウス』様にその御名を尋ねたのです。すると『天主デウス』様はご自分が『在りて有る者』と仰せになりました。これは『天主デウス』が厳として実在するお方、人びとの考えの中で生み出されたのではない、今ここにもどこにでも、また昔も今も未来もいつにおいても永久とわに普遍的に実在するお方であること、そして力をお持ちの光の源であることを示しています。『天主デウス』は遍在し、過去も現在も未来も全部お見通しの全智全能のお方です。人類をはじめ山川草木、山、川、海も、またそこに生きているすべての生き物も『天主デウス』のみ手により創られた被造物なのです。人間は今あるものを加工して物を作りますが、それは育たないでしょう? 『天主デウス』は無から一切を創造され、その創造されたものは育つのです。成長し、繁茂繁栄するのです。『天主デウス』の光は天地の全般、世界人類を遍く照らし、万物を養い育て栄えさせ、しかも一切を統一運営されています」


 黒田殿は、少し何かを考えていた。それからまた、私を見た。


「『天主デウス』が光の源であるのならば、さしずめ我が国の天照大神アマテラスオオミカミが天地を遍く照らす太陽のカミであるとされており、また仏法では大日如来は大いなる太陽の化身であり、阿弥陀は無量の光とされていることと相通じるものがありますな」


 私は『天主デウス』とカミとは違うと言いかけて、ふと隣で穏やかな顔で聞いているロレンソ兄を見た。そして姫路に来る途中の道中でロレンソ兄が言っていたことを思い出した。


 一般庶民には『天主デウス』とカミとの違いから入っていった方がよいが、地位のある殿トノを相手にする時は両者に矛盾がないことを示したた上で、キリストの教えを説いた方がよいということだった。

 そこで私はとりあえず言わんとしていたことは呑みこんだ。


「まさしく、そうです。元は一つなのです」


 代わりにそう言った。


「はて、天照大神様は天の高天原たかあまはら、阿弥陀如来は西方浄土におわしますが、その『天主デウス』様はいずこにおわしますのでしょうか」


「キリストの使徒である聖パウロは、次のように述べました。『天主デウス』様は私たちから遠く離れた所においでになるのではない。むしろ私たちが『天主デウス』様の中にいるのだと。『天主デウス』様がどこにいらっしゃるかという問いには、永遠に答えは出ないのです。それは、池の中の鯉に水はどこにあるのかと聞いているようなものです。しかし、質問を変えて鯉に、お前はどこにいるのかと聞いたならば鯉は、私は水の中にいますと答えるでしょう。それと同じです。『天主デウス』様がどこか別の場所においでになるのではなく、私たちが『天主デウス』様の中で生かされ、育まれているのです。この大地も山も川も人の体も皆、『天主デウス』様の被造物であると同時に、それらは皆『天主デウス』様のお体の一部なのです」


「しかし、『天主デウス』様は唯一絶対のお方だということですが、日本には八百万やおよろず神々(カミガミ)といわれるくらい多くの神がおります。そのへんはいかが」


「『天主デウス』様は唯一最高のお方ですが、その眷属には多くの天使がおります。天使がそれぞれ役割を分担し、この世を運営しているのです。しかし、本来は天使だったものでもいつか堕落して地獄に落ち、悪魔と化してしまったものもおります」


「ほう」


 黒田殿は、何か納得したようだ。


「たしかに。神々といえどもすべてが正しき神ではなく、曲津神まがつかみといわれるいわば邪神も跋扈していると聞きます。やがてその邪神には魔が入ったともいいますな。そう考えればお話にも合点がいく」


 黒田殿は何度もうなずいていた。



                  2


 この官兵衛殿と私との問答を、官兵衛殿の隣ではその息子の松寿が身動きもせずに座ったまま、真剣な表情で聞いていた。


「『天主デウス』様が最初にこの天地をお創りになった時は、『光あれ』というみ言葉から始まったと記されています。また福音書にも『言葉に生命いのちあり、この生命は人の光なりき』とあります。『天主デウス』は光なりきということですね」


「では、なにもわざわざキリシタンに入門しなくてもいということになりませぬか?」


「それは違います。大元は一つでも、日本の神社に祭られているカミの中にはかつて人間としてこの世で生活していた存在も多く含まれていますね。そこはきちんと分けなければなりません。人間は人間、『天主デウス』は『天主デウス』です。ですから、『天主デウス』と、神社のカミとはちょっと違う。神社の神のように人びとがお金を投げて、パンパンと手を打って自分の身勝手な願望の実現を願ったりする、そういうご利益だけを求める存在ではありません。違うだけに正しい信仰が必要になります。その信仰を教えてくれたのがあなた方が耶蘇と呼んでいる『天主デウス』の御ひとり子イエズス・キリストで、その教えを引き継ぐのが私たちの教会です」


「では、耶蘇様と『天主デウス』は親子なのですか?」


「親子ですが、でも『天主デウス』とキリストはいったい、一つの御存在です。父と子とそして聖霊、この三つは三つであって一つ。唯一の『天主デウス』の三つのペルソナリティ、すなわち性質と言ってもいいでしょう」


「三位一体ですね。右近殿からも聞きました」


 さすがにジュストである。


「たしかに、神社の神は人間を創ってはいない。人を創られたのは『天主デウス』様ということですな。でも、その『天主デウス』様が人をお創りになった目的は何でしょう?」


「あなたは、幸せになりたいですか?」


 突然の質問に少し黒田殿は戸惑っていたが、やがてうなずいた。


「はい。誰でも幸せになりたいと思うものでしょう。私は幸せにななりたくない、不幸になりたいという人はいないのでは?」


「そうですね。誰もが幸せを追及している。でも、幸せとはなんでしょうか?」


「まあ、病などなく健やかに暮らし、また食べるものや着るもの、住む所に不自由せず、また争いなく日々を暮らすことですか。今のこの乱世では、いくさのない世になるのが一番の幸せといえるのかもしれませんな」


「あなたが言ったことは、間違ってはいない。しかしもっと最高の幸せは創造主を知り、その創造主を御大切にし、創造主と一致した生活、それこそが最高の幸せと考えます。そんな幸せな人びとばかりが暮らす幸せな世界、あなたが今言った戦のない世というのもそれに含まれますが、それだけでなくもっともっと幸せな世界を造る、そういった役割を担って人びとは創られました。『天主デウス』様のみ旨が天に行わるるごとく、地にも行われるように、それを実現させるという目的で『天主デウス』様は人類を創られたのです」


 少しずつ官兵衛殿は、その顔に表情を動かすようになった。


「そうは言われても、現実はなかなか難しうござるな」


 それは苦笑まじりであった。


「幸せ者ばかりの世とはいっても、現実は多くの人が戦に巻き込まれたり、貧しい生活を余儀なくされている人もおります。それがどうやって幸せ者ばかりの世にするのですか?」


 私も少し考えたが、考えるのをやめたら途端に口が勝手に動き出したような感覚となった。


「人類はもともとエデンという楽園を司る者として最初は創られたのです。しかし今の世は楽園どころか、本当の意味で幸せを感じている人は少ない、と思います。何が幸せになることを阻んでいるのか、それは罪です。最初に創られた男と女は『天主デウス』様の言いつけを破って禁断の果実を食してしまいました。それが罪の始まりです。人類は誰もが、これまで人類全体で『天主デウス』様に反逆してきた罪を負っているのです。そこでキリストが来られたのは、『罪の許し』をもたらすためです。『天主デウス』の御ひとり子であるキリストは全人類の罪を一身に背負われて苦しんで亡くなられたが、三日後に復活されたのです。そのキリストの十字架を受け入れ、洗礼を受け、罪を告白すれば罪は許されるのです。これこそ人類にもたらされたエヴァンジェリウム、すなわち『よき知らせ』なのです。それを受け入れないと、人類は『天主デウス』様の試練によって苦しみながら罪のあがないをしなければならなくなる。そうなると幸せな人ばかりの世とはほど遠いものになってしまいますね。『天主デウス』様を知り、キリストを受け入れることによって、人類は一度は追放されたエデンの園への復帰復活を期していかなくてはならないのです。そのキリストと出会いキリストの救いの十字架を受け入れるためには、洗礼を受けてキリシタンになる必要があります」


 黒田殿はそこまで聞くと、少しため息を漏らしていた。多くの情報を一気に与え過ぎたのかもしれない。


「おっしゃっていることはよく分かります。ただ、先ほどバテレン様は『天主デウス』様が実在しておられると言われたが、目には見えない『天主デウス』様が実在しているとどうしてそれが分かるのでしょうか」


聖書ビブリアにはこう書いてあります。たしかに『天主デウス』は目には見えない。でも、その永遠の力と尊さは天地創造以来、そのみ業について考える人にとってははっきり目に見えるものであると」


 黒田殿は、少し首をかしげた。私はそこで、言葉を変えた。


「空の鳥を見てごらんなさい。野の花を、白い雲を。目に映るものすべてが美しく、また少しの狂いもなく生活が営まれていますね。太陽も月も、毎日きちんと同じように昇り同じように沈む。全く狂いがない。このような大自然の仕組みは、たまたまできたのでしょうか? やはりそこに至れり尽くせりの創造主の意図を感じずにはいられないでしょう? すべてが『天主デウス』様のみ手のわざによるものです。全智全能のそのみわざを見れば、そこに『天主デウス』様が実在されていることはいやでも分かるではありませんか。そして感謝の心が湧きあがってくるではありませんか。聖書ビブリアでも聖パウロが旧約聖書ヴェートゥス・テスタメントゥムを引用して、人が見たことも聞いたこともないようなすばらしいものを、『天主デウス』を御大切にする人びとのために『天主デウス』はご用意されていると述べています。すばらしいことではありませんか」


 『天主デウス』の「アガペー」は、日本語では「ゴタイセツ(御大切)」と訳すのが普通だ。


「たしかに、言われてみればそうですな。これまで、考えたこともなかった。すべてがただ当たり前だと思っておりました」


 気がつけば、もう相当長い時間がたち、外も暗くなり始めていた。


「お話はよく分かり申した。やはり右近殿からだけ聞いていたのではいろいろせぬこともありましたが、やはりバテレン様から直接お聞きすればかなり違いますな。自分なりにもう一度かみしめて、考えてみようと思います」


「あなたも『天主デウス』様の御大切なのですよ。あなたが『天主デウス』様を知り、キリストと出会い、それを受け入れて信仰を告白してくれる日を待ち望んでいます。そしてキリシタンの最大の掟は思いを尽くし心を尽くして『天主デウス』を御大切にすること、そして己のごとき隣人を御大切にすること。人々は互いに御大切にし合わなければなりません」


「いやあ、かたじけのうござった」


 あれだけ無表情だった黒田殿の顔が、かなり明るくなったように感じられた。明るい笑みを浮かべながら、黒田殿は息子の松寿とともに退出していった。


 その後、夕食が運ばれてくるまでの間、私はただ茫然としていた。何か力を出し尽くした感があった。


「いやあ、さすがですな」


 対座しているロレンソ兄が、にこにこしながらそう言った。


「やはりバテレン様がお話しになるのは、我われとは違う」


「いやいや、疲れました。まる一日山道を歩いてきた時よりも、もっとたくさん疲れました。イルマンはもうこのような問答を何十回と繰り返して来られましたね。しかも相手はこの黒田殿のようにキリストの教えを求める人ばかりではない。なんとか言い負かせようと言葉で戦いに来た寺の僧侶相手だったと聞いています」


「いえ、お恥ずかしい」


イルマンが洗礼を受けられたのはちょうど私が生まれた頃と聞いております。イエズス会に入会してから二十年ほどたっているのでしょう? でしたら、このイエズス会においては、私よりもはるかに先輩ではありませんか」


「そうは言われましてもですね。やはりバテレン様にはバテレンとしての『天主デウス』の御稜威ミイヅが働くのでしょう」


「ミイヅは何ですか?」


「『天主デウス』様の特別なお恵みとでもいいましょうか。さらに、バテレン様はたとえバテレンではなかったとしても赤子の時に洗礼を受けられたのですよね」


「はい、私の国では、みんながそうです」


「私どもはどんなに長い年月兄イルマンであったとしても、大人になってから改宗した者は、幼児洗礼を受けた人には逆立ちしてもかなわないところがござりまするな。ましてや今はまだ、たとえイエズス会士だとしても日本人は永遠にバテレンにはなれない」


「今、そのへんをなんとかして日本人のバテレンが許されるようにもっていこうと、バテレン・ヴァリニャーノもがんばっています」


「まあ、しかしわしももう老い先短いですからな。いつかはそうなってもらわないと困りますが、わしのような老いぼれは間に合わないでしょう」


 そう言って、ロレンソ兄は力なく笑っていた。


 ロレンソ兄は率直に先輩として私の説教を称賛してくれたようだが、しかしあれは私ではないと、私は思っていた。黒田殿相手に話していた時の私は、頭で何を話そうかなど全く考えていなかった。それでも話すべきことは、どんどんと湧き出てきて、勝手に口をついてしゃべっていたという感じなのだ。自分でしゃべったことに、なるほどそうかと自分で感心していたりもしたのだ。

 これこそロレンソ兄の言う御稜威ミイヅ、つまり聖霊に満たされていたとはこのことなのだなと私は自分の体験について実感していた。



                  3


 翌日は午前中に本丸に出向いて羽柴筑前殿にいとまを請い、姫路を出発した。今回の目的地である室津に向かうためだ。

 羽柴殿は本当に忙しそうにしていて、愛想はよかったが、我われの挨拶にそう時間は割けられない様子だった。


 姫路から室津までは昼前に出ても、日が長いこの季節なら十分に明るいうちに着ける距離だという。

 私とロレンソ兄、そして介添えの同宿の三人は城門の所まで見送りに来てくれた黒田殿とその奥方、そして息子の松寿に別れを告げ、姫路を後に再び旅路についた。今度は途中に泊まりのない短い旅だ。


 しばらくは平らな播州バンシュー平野の水田の中を道は続いていた。田の稲はもうかなり伸びて、時折吹きぬける風に青々とした波を描いていた。

 行く手に向かって右の方はずっと低い山脈が遠くの方に断続的に横たわっているが、左手は山はない。風はそちらの方から吹いて来て、潮の香りを含んでいることから、見えはしないがかなり海に近い道を進んでいるようだ。

 よく晴れた空から日差しはかなり強く照りつけていて、本格的な夏も間近であることを感じさせていた。

 姫路に着いた日が聖母訪問の祝日だったから、もうすでに六月に入っている。


「やはり羽柴殿はキリシタンには無理でしょうか」


 歩きながら馬上から、私は馬を並べるロレンソ兄に話しかけた。


「すべて何ごとも人間の頭で決めつけることはできませんけれど、今の状況では難しいでしょうな。それよりもあの官兵衛かんひょうえ殿の方が見込みがあります。なかなか筋の通ったお方で、筑前殿だけでなく上様からも大変信頼されております。今後、毛利とのいくさが終われば、筑前殿はその居城である長浜に戻ってしまわれるかもしれません」


「たしかに、戦争が終われば姫路の城はあの黒田殿に返すと、羽柴殿は言われてましたね。黒田殿は辞退していましたけれど」


「すべては上様の胸三寸にありますからね。毛利との戦のあと、上様が筑前殿をどこに持っていかれるか…。しかし、あの姫路はもともと官兵衛殿の城ですから、また官兵衛殿が姫路城主として返り咲くことも可能性としては大いにあります」


「つまり、そうなりますと、官兵衛殿がキリシタンになってくれれば大変有り難い。黒田殿の魂の救われだけではなく、今はほとんどキリシタンのいなかった姫路でしたけれど黒田殿がジュストのようになって、姫路が高槻のようにキリシタンであふれかえるというのも夢ではないわけですね」


「そうです。そうなりますと播磨の国での福音宣教は飛躍的に伸びるでしょう。核となるのは、今私たちが向かっているキリシタンも多い室の港ですな」


 ロレンソ兄は、声を挙げて笑った。


 そして、何本かの大きな川も越えた。川の幅の広さからも、河口が近いことが分かる。そして二時間も歩くうちに左手にはちらほらと、水田越しに海が見えるようにもなってきた。

 だが、まだ道は海沿いにはすぐには出なかった。いつしか海は遠ざかり、道の両方に山が迫ってきた。そう言うと大げさだが、実際は連続する小高い丘と丘の間に道が入っただけで、道自体は平らなままだった。その丘が次第に低くなってきた頃にパッと視界が開け、海が見えた。


 そこは入り江のいちばん奥のようで、丘の先端は左右で岬となって延びている。その入江の奥にある集落へと道は続いていた。私は馬を止め、集落の方に向かってロレンソ兄と馬を並べた。


「入り江に面した港町に着いたのですが、ここが室津ですか」


 思わず私はロレンソ兄に聞いた。


「集落が見えますか?」


 ロレンソ兄が聞くので、私は見えている入り江と村の光景をかいつまんで語った。ロレンソ兄は笑った。


「まだ、室津ではありません。ここは岩見村でしょう。ただの漁村ですよ」


 たしかに港といっても漁港のようで、聞いていた室津のような活気はなかった。


「でも、ここまで来たなら、もうすぐです」


 またロレンソ兄は、さわやかな笑顔を見せた。介添えに合図して、介添えの少年は手綱を引いて馬を歩ませた。

 それからは、道は右手の岬づたいに続く海沿いの道となった。山の下の海岸線が道となっておりその海岸線にそってかなり曲がりくねっている。道から見ても海はまだだいぶ下の方だった。


 広がっているのは瀬戸内の穏やかな海だ。そして海の向こうは対岸の陸地やいくつもの島ががかすんで見えており、水平線は見えなかった。あの安土の城の麓の琵琶の湖も、確かにこれくらいの広さはあったような気がする。

 だが、湖と決定的に違うのは風の中に潮の香りがすることで、どんなに同じくらいの広さであってもやはり海と湖では根本が違うのだと私は実感した。


 右手は山、左手は海という道を進んでいるうちに、私はある光景を思い出していた。ちょうど二年前の夏、マカオに着く前にチーナの入り口ともいえる小さな島で、ザビエル師のゆかりの教会跡を訪ねた。その島の港から教会跡までの道と風景が似ている気がした。ともに山の麓の海岸線の道だ。海の向こうには島と陸地が見えることも同じだ。


 間もなくあれから二年がたとうとしている。日本に来たのはその約一年後だから、あとひと月もすれば私が日本に来てから一年になるのだ。


「月日がたつのは本当に早いものですね」


 私は唐突にそう言ったので、ロレンソ兄は話の脈絡がつかめないようだった。


「はい?」


 そういって言って、ロレンソ兄は馬上で首をかしげていた。


 そしてそろそろ室津も近いということで、私の問われるままに我われが訪ねるジョアキムの次男という人について、ロレンソ兄はかいつまんで話してくれた。


 名は弥九郎ヤクロー殿というらしい。農民から武将、すなわち殿となった羽柴筑前殿も十分に珍しいが、商人の子として生まれ、商人として育ったその弥九郎殿が今は武士サムライになっているというこれはこれで珍しいケースだ。だから私は急に、その人物に興味がわいてきた。

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