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Episodio 9 Hashiba Chikuzen(羽柴筑前)

                  1


 その四日後、すなわち次の月曜日にヴァリニャーノ師は、ジュストの要請でジュストの領内に二十か所以上もある教会をすべて巡回するため、メシア師、トスカネロ兄と共に三人で出発することになった。


 そこで私とロレンソけいもヴァリニャーノ師から命じられていた通り、ヴァリニャーノ師の出発と同時に播磨ハリマに向かって旅立つことにした。


 ヴァリニャーノ師はとりあえず東に向かうということであったが、我われは都から川沿いに南下してきた道から離れてここからはほぼ真西に向かうので、行き先が近場のヴァリニャーノ師よりも早く、早朝にヴァリニャーノ師たちに見送られながらロレンソ兄とその介添えの同宿との三人で高槻を後にした。


 それは私にとって緊張の始まりの瞬間だった。同じイエズス会の聖職者とはいえ、やはりロレンソ兄は異邦人の日本人なのである。

 これまではどんなに異国であるとはいえ、ゴアでもマカオでも、そして日本に来てからも身近にはイエズス会の司祭たちが常にともにいた。ところがこの時から私は故国を離れて以来全く初めて、周りにエウローパの人が一人もいないという日本人の真っ只中にたった一人で放り出されたのである。

 それはまるで四方に陸地が全く見えない大海の中を、たった一人の小舟で航行するようなものだった。緊張するなという方が無理だ。

 だが、ロレンソ兄がいるお蔭で、異教徒の中に全く一人というわけではないことだけが心強かった。普段は無口なロレンソ兄だったが、我われだけになると驚くほど馬上からもよくしゃべりかけてきた。

 日本語しかしゃべれないというのはちょっと不便ではあったが、それでも心配していたように気まずく無言のまま旅をするというような感じではなかったので安心した。


 高槻を出てからしばらくは、ずっと平坦な道だった。それほど高くはない丘陵地帯が遠くに続いていて、我われを追って来る。

 もう五月も末なので気候もだいぶ暖かくなってすでに初夏であった。昼になると馬の上で汗ばむことすらあった。

 ロレンソ兄との話は、主に私がこの国に来てから体験したことが中心で、それをつらつらと私は語った。かなり日本語に精通してきたとはいえずっと日本語で話し続けるのはやはりまだ私には大変だったが、それでもやればなんとかなるものだ。

 ロレンソ兄との話は弾んだ。


 そしていいことばかりではなかった話も当然した。有馬や豊後での話で、豊後の殿のドン・フランシスコとのことやその家族のことで、特にドン・フランシスコの元の妻のジェザベル《(イゼベル)》と直接会話したことや、都での柳原大納言のことなど、自分にとって痛手でありトラウマとなりそうなことも全部話した。


「やはり相手を見て、相手に合わせて法を説くことだと思いまする」


 ロレンソ兄は言った。


下々(しもじも)に対しては、彼らがこれまでとっぷりと浸かってきた仏法の教えから創造主に目を向けさせるため、キリストの教えはこれまでの教えとはちと違う、違うだけ真理なのだということを伝えていかなければならないでしょう。しかし大名となると話は別で、真っ向から仏法を否定したら彼らはついてこられない。禅であれ法華であれ真言宗、一向宗であれそれぞれのお家ごとのしがらみがありますからな。それよりも仏法の教えと我われの教えが何ら矛盾することがないことを示した方がよい時もあるのです。結局は元一つなのだと理解させた上で、キリストの教えを説き、全能の『天主デウス』のみ業を伝え、よき知らせを告げ知らせていく。そしてキリストによって救われ、罪の許しを得ることへとだんだんともっていくのですよ。だからそのためには仏法を頭ごなしに否定するのではなく、その前に我われがしっかりと仏典を学び、仏法にも通じておくべきことだと思いますがね」


 さすがにこれまで何度も異教徒の聖職者を論破し、多くの人をキリストの教えへと導いてきたというロレンソ兄である。

 ロレンソ兄は、これから私が福音を告げ知らせようとしている国の民である。年は私よりもはるかに上だが、地位的には司祭である私の方が上位にある。それでも、私はこの年老いて盲目で日本人であるの修道士からも、まだまだ学ぶべきことは多くあると実感した。


「そのことはオルガンティーノ神父パードレ・オルガンティーノからも、再三聞いております」


 確かにそのことの必要性は、十分すぎるほど実感していた。


 そのような話をながら我われは、夕刻になってたどり行いた街道沿いの村の中の、あの有馬から豊後に行く途中で泊まったような宿屋を見つけてそこに泊まることにした。

 もう寒くはないのだから野宿でもいいのだが、人間にとって寒くないというのは野獣たちにとっても同じことで、この時期はいちばんそのような野生の猛獣が夜になると出没して危険なのだという。


 翌日は道の様子は、昨日とはうって変わって山道となった。山道といってもそんなに険しい山の中に入るわけではなく、遠くに見えていた低い丘陵の山間部を縫うように道は続くようになっただけである。


「だいぶ山がちになったでしょう」


 景色は全く見えないはずのロレンソ兄が、馬の上からそういうので驚いた。肉の目は見えなくても、心の目、霊的な目はしっかりと開いているのだ。


「左側にそびえている少し高い山の向こうは兵庫の港です」


 そこまで分かるのかと、まさしく開いた口がふさがらなかった。

 瀬戸内の海を船で堺に向かっていた時に、最後に寄ろうとした港が兵庫の港だった。そこで海賊船に追跡され、さんざんな目に遭ったのだ。たしかに兵庫の港の背後には山が横たわっていた。その山の裏側に今、自分たちはいるようだった。


 山間の道を抜けて平野部にちょうど出たあたりで、日が暮れた。そのあたりの町で、泊まることにした。

 町の真ん中を大きな川が流れ、その川の畔の小高い丘の上に城があった。城といっても堀や石垣、白い塀などはなく、ただ盛られた土地の上を柵で囲まれているだけで、天守閣のような建物も見当たらなかった。

 ここは都から有馬という土地への街道の通り道だという。あの九州で私が数カ月暮らした有馬と同じ地名ではあるがこちらはスタツィオーネ・テルマーレ(温泉)で有名だそうだ。

 都からその温泉に行く人がよく泊まるという料理屋兼宿屋に我われも泊まった。


 その宿屋の主人の話だと、つい一年と数か月前までここで戦争が行われていたために温泉に行く人々の足はすっかり途絶えていたが、戦争も終わってようやく最近客足も戻ってきたという。

 戦争とはここの城と織田殿との戦争で、織田方によるここの城への攻撃は武力によるものではなかったらしい。織田方は城の脇の川の水が堰き止めて城の周りを水浸しにし、城をまるで湖上に浮かぶ島のような状態にして孤立させたのだという。

 そうなると城に食料を運びこむのが不可能になり、城中に立て籠もった武士サムライたちや町の人びとの食料が尽きて、それは凄惨な様子だったということだ。その状態が二年近く続いたというのだから、どれだけの地獄図だったことか。

 ちょうど豊後で丼フランシスコの大友家と田原親貫タバル・チカツラとの戦争で、田原の城の安岐城を大友の軍が攻めた時の戦法と同じだ。


 ここでは最後にその当時の城の殿が自ら命を絶って城は明け渡され、戦争は終わったという。

 そしてその時、この作戦でこの城を攻めていた織田家の武将が、なんと我われがこれから会うことになっている羽柴筑前殿という武将だったそうだ。

 羽柴殿とはどんな人物か全く予想もできなかったが、ここでの話を聞くと冷酷非道な鬼のような男なのではないかと身震いをするような気分になった。



                  2


 翌日は南の方角の有馬温泉へと続く街道から離れて我われは西へ向かい、それからはずっと平らな道が続いた。

 山はだいぶ遠のいたが、それでも南の方角以外はすべて低い山に囲まれていた。

 かつて何カ月にも及ぶ大海の航海を経験した私にとって、太陽の位置などから羅針盤がなくてもだいたいの方角は分かるようになっていた。


 そして平野を西に進んできた私たちの前に町が現れたのは、やはり夕刻になってからだった。

 やはり町の中央の丘の上に城がある。だが今度は堀と石垣、そして塀に囲まれた本格的な城だった。遠くからでもその天守閣を顎ぎ見ることができた。


 近づくと、だんだんとその天守閣の威容が間近に迫ってきた。安土の城の天主閣よりは一回ひとまわりも二回ふたまわりも小ぶりであるが、形は似ていた。

 安土城よりも一階少ない構造で、二階建ての大屋根の上に楼閣が乗っている形は同じである。ただ、その楼閣に安土城のような派手な金色の装飾があるのは認められなかった。屋根の色も普通の瓦であり、何よりも壁がすべて黒く、真っ黒なカラスが舞い降りてうずくまって羽を休めているようにも見えた。


「姫路は播磨の中心地です。織田家の武将の羽柴筑前殿は、今はここのお城におられます」


 ロレンソ兄がそう言うので、いよいよあの冷酷な男と対面するのかと私は身を引き締めた。そのまま、城の門前に立った時には、日はかなり傾きかけていた。

 アップンタメント((アポイントメント))なしの突然の訪問なので羽柴殿はすぐに会ってくれるかどうか分からなかったが、門の入り口の警護の武士サムライに案内を乞い、かなり待たされて中から戻ってきたその武士サムライによると羽柴殿はすぐに会ってくれるとのことで、我われはそのまま城内に通された。


 東向きの大手門から入りしばらくは平らな道で、左手には屋敷が広がっている。正面は小高い丘になっていてその上に黒い天守がそびえているのだ。

 その天守に向かって丘を登る石段の坂道は右に左にとジグザグに折れ曲がりながら登っていく。日本語ではこれを「ツヅラオリ」というらしい。

 丘の傾斜の上の方は高い石垣になっている。その坂を登りきったところに、石垣に挟まって小さな木製の門があった。

 その門をくぐった次の一歩からすぐに登りの石段で、石垣にぶつかって左に折れるとすぐにもう一つの門があった。

 門の上には小さな櫓があるが、門も櫓の壁も真っ黒に塗られていた。その門の中がいよいよ天守と、本丸の屋敷だった。

 我われは天守ではなく、屋敷の方へと案内された。


 織田殿と安土では天主閣の中で会見したがそれは異例のことで、普通はその城の殿は天守ではなく本丸御殿の屋敷に住んでいて、会見もそこで行われるようだ。

 屋敷の部屋は普通の木材による日本式建築で、木材はまだ白木のまま木の香りが新しかった。


 今日は天使ガブリエルから受胎告知を受けた聖母マリアが、私の霊名の聖人の洗者ヨハネの母であるエリザベートを訪問したことを祝う祝日である。その日に私は、羽柴筑前殿を訪問することになった。

 やがてその筑前殿は、にこにこ笑いながら現れた。小柄な男だった。織田殿がこの国の人としては非常に背が高かったので、余計に羽柴殿が小さく感じられるのかもしれない。

 年の頃は四十代後半といったところで、年齢的な織田殿と同じか少し若いくらいだろう。

 我われが平伏した。


「まあまあ、そんなに畏まらずとも。どうぞ、ごゆるりとなさってくだされ」


 すると筑前殿はそんなふうに言う。そこで我われは顔を挙げて、筑前殿を凝視した。

 これが私と羽柴殿の最初の対面、すなわち出会いであった。

 小柄で気さくで茶目っ気ありそうなこの目の前の男と、この男が仕掛けたた残酷な戦争という事実がどうしても結びつかなかった。


「わしが羽柴はしば筑前守ちくぜんのかみ秀吉でござる。いやあ、いやあ、ようみゃあられた」


 羽柴殿は顔がゆがむばかりに相好を崩して言った。


「遠路はるばるお疲れだったでありましょう」


 我われは一応畏まった。


「了斎殿はやっとかめだわなあ。息災であられたか」


「は」


 ロレンス兄もずっと頭を下げている。はっきり言って私には、その羽柴殿の言葉が聞き取れなかった。


「してこちらのバテレン殿は?」


 私はもう一度頭を下げてから、名を名乗った。


「日本に来てからどれくりゃあになりますか?」


「間もなく一年になります」


「ほう!」


 羽柴殿は目をむいていた。


「わずか一年で、もうこんなにも日本語が達者か」


「まだ勉強中です」


 私はまた頭を下げた。羽柴殿は笑ってうなずいている。

 とかく日本人は感情をあまり表に現さないものだと思っていた。

 だが、その逆の状況に会すると、これは裏があるのではないかと思ってしまう。つまり、内心を表情に表さない代わり、意味もない大げさな笑顔を愛想のために見せることがある。それは必ずしも内心の現れではない。

 だから、日本人の考えていることはなかなか分からないのだ。


「この地へは何しに?」


「はい。室津ムロツという所で洗礼を待っている人びとがいるというので、巡察師ヴィジタドールから言われて派遣されましてござる。また、ぜひ羽柴殿にもお目にかかるようにともいわれました」


 たしかに私の日本語はまだ勉強中である。


「室津へ行くのはよいが、その前にここを素通りせなんだのはあっぱれ、いい心がけじゃ。このわしとよしみを通じとけば損はあらせん」


 羽柴殿は上機嫌だった。


「今夜たまたまこの城で酒宴を催すことになっとりましてな、ぜひともに汲みかわしましょう」


「はい」


 我われはただそれだけ言って、頭を下げるしかなかった。

 ただ、気になっていたのは、我われが今夜泊まるところである。この姫路の町には教会はない。まだ新しい町だそうで、信徒クリスティアーノもいそうもなかった。

 このままこの姫路の城に泊めてくれるのならよいが、いきなりその話を出すのも憚られたし、またその機会を持つまでもなく羽柴殿は忙しそうにさっさと奥へ入ってしまった。


「羽柴殿はこれからまた戦争を始めるようで、忙しいのでしょうな」


 ロレンソ兄はそう言って苦笑していた。



                  3


 夜になってかなり大勢の人が広間には集まった。ここでも日本独特の一人ひとりのための小さな膳が並べられ、私とロレンソ兄はほとんど相好を崩しっぱなしの羽柴殿にうまくおだてられて上座に着いた。


「さあ、皆飲もう。今日はバテレン殿とイルマン殿が来られたで、その歓迎のうたげじゃ。思う存分飲むとええ」


「おお」


 参列している羽柴殿の家来たち(ケライス)の間から歓声が上がった。私は日本のサケはあまり飲まない方だが、羽柴殿が上機嫌で次々に勧めて来るので拒みようもなかった。

 日本のサケはぶどう酒と同じくらいの度数であろう。飲めば軽くいってしまう。ウイスキーほど強くはない。色は透明ではなく、白く濁っていた。

 日本にも焼酎ショーチューという度の強い酒があるようだが、私はまだ一度もそれを飲んだことがなかった。

 皆は酒を勧めて相手の杯に酒をぎ、、勧めた相手からいでもらう。これが日本のしきたりのようだ。

 皆思い思いに雑談して、場はかなり盛り上がっていた。


「いや、慌ただしくて申し訳にゃあ。実は今は中国の毛利攻めの真っ最中であってなも。間もなくここからずっと北の海沿いにある鳥取という城を攻撃に出陣せにゃあならなくて、席が温まる暇もにゃあでよ」


 そう言って羽柴殿は高らかに笑った。毛利といえば豊後のドン・フランシスコの大友一族とも宿敵の殿トノである。我われも瀬戸内の海を航海して堺に着くまでには、毛利のせいでずいぶんに恐い思いをしたものだった。


「そのように忙しいところに、急にお邪魔して恐縮です」


 そう言って私が畏まると、ますます羽柴殿は上機嫌になった。


「いやいやいや、上様も下に置かずにお付き合いされておるバテレン様方を粗末にしたら、この筑前の首も飛びますわい」


 またもや高笑いである。

 織田殿の武将と言っても、この羽柴殿は織田殿とは全くティーポ(タイプ)の違う人間のようであった。


 そのあと、羽柴殿はそしてすぐに話題を変えた。


「貴殿は今は安土の御城下におられるとのことやが、都へは行かれましたかな?」


「はい。高槻から都へ行って、そこで上様にお会いしました」


「ほう。いつ頃のことやかな?」


「四月、あ、いえ、これは私たちの暦ですから、日本の暦ではいつでしょうか。桜が咲き始めた頃でした。あのときは、上様が馬揃えを行って、私たちにも見せてくれました」


「おお、おお、あの時でござるか」


 羽柴殿はまた少し身を乗り出して、私とロレンソ兄の杯に酒を満たした。


「そういえば羽柴様はあの馬揃えには」


「ああ、わしは中国攻めと播磨平定で、この姫路に張り付いておったからのう。ちょうど三木城の攻略で手こずっていた時で、馬揃えどころではなかったんや。やけどすぐそのあとに、いっぺん都へは上ったのやけど、上様は安土にお帰りになりよった後やった」


「私たちもすぐ後に、安土に向かいました」


「おお、そうするとほんのわずかの差でバテレン様方とは行き違いじゃったのか。もうちびっと早く行けば、都でバテレン様と会えておったかもしれませぬな」


 私も笑みを返した。


「都の前には高槻におられたのか。どうじゃ? 今やキリシタンの数もどんどんどんどん増えておるんやな。高槻といえば領主の高山右近殿、あのお方がおられれば心強いことでしょう」


 高槻の殿のジュストのことだ。


「ええ。あの方のおかげで、だいぶ助かっております。ここで安土の上様もキリシタンになってくださればこんなに素晴らしいことはないのですが」


「上様がキリシタン? あ、そりゃあ無理だがね。あのようなお方だからバテレン様方を大切にはされておられるけれど、ご自身がキリシタンになったりしたら、それこそ太陽が西から上るでの」


 また羽柴殿は高笑いだ。織田殿は、やはりそういうお方なのらしい。


「わしはもっと柔軟に考えておりましてね。キリシタンの教えは右近殿やそちらにおられるイルマン了斎殿から、ぞれとバテレンのウルガン殿からも一通りは聞いておりますからな。なんやったっけ、あの、カテキ…カテ、カテ」


公教要理カテキズモですか」


「そう、それ。それは一通り聞いておりますがね。だから今すぐその洗礼とやらを受けてキリシタンになってもええ思っとるがね」


「え?」


 私は驚いて酒を口に運ぶ手を止めた。あまりにも話がとんとん拍子過ぎる。ところが隣でロレンソ兄は、何かを知っているようで薄ら笑いを浮かべていた。


「ただし」


 羽柴殿は指を開いて手のひらをこちらに向け、何かを制止するポーザ((ポーズ))をとった。


「キリシタンのマンダメントスという十の掟がござろう。あの六番目、あれだけはまああかん。あれさえなければわしはキリシタンになるのやけど」


 この国の人はポルトガル語そのままでマンダメントすというが、その十戒コマンダメンティの六番目といえばラテン語で「ネクェ・モカベリス」、すなわち「汝、姦淫するなかれ」である。


「聞くと、キリシタンでは、生涯妻は一人しか持てぬというではござらぬか。下々(しもじも)たみ百姓ならいざ知らず、城を預かる武将としてはそれでは困るがね。次の代に家を続かせていかなくてはならん。わしも長浜におるおかかとの間にはいまだに一人も子に恵まれておりませぬ。これでもうあのおかか以外に側室も持てにゃあとなれば、羽柴の家はまああかん」


 そのようなことを真顔でならともかく、先ほどまでと変わらぬ上機嫌で羽柴殿は言う。


「どうかわしだけ、その第六の掟を免除すると言うてちょうせんかのう、バテレン様。そうすればわしは明日にでもキリシタンになりましょうぞ。さすればこの姫路の地に、南蛮寺を建て申すための土地をも進ぜよう」


 教会を建てる土地はほしいが、そう言われても私は困ってしまう。私ごとき一介の司祭に公教会の掟を変えることなどできるはずがない。

 ところが羽柴殿の笑って言うその顔を見ていると、どこまでが本気でどこまでが冗談なのかよく分からない。

 そして隣でロレンソ兄も、まだ含み笑いを続けている。どうやら羽柴殿がこのことを言いだしたのは初めてではないらしい。ロレンソ兄も、すでに何度も言われているようだ。


「マンダメントスは『天主デウス』が御自ら定めたもうた掟でありまして、人間が作ったものではありません。もし私たちが異教の教えのように人間が作ったものを広めているのでしたら、マンダメントスに関しても御希望どおりにすることもできましょう。しかし、我われが伝える教えは人間が考えたものではなく『天主デウス』様からの教えでありますから、ご希望に応じることはできません」


 私はできる限りまじめな顔でそういったが、羽柴殿はさらに声を挙げ笑ってそれを聞いていた。


「そうかそうか。じゃあ、わしがキリシタンにというのは無理じゃな」


またひとしきり、羽柴殿は笑う。


「ところでバテレン様。この姫路の城はいかがですかな」


 もうあっさりと話題を変えられてしまっている。


「まだ新しいお城のように感じましたが」


「その通り! おっしゃる通り!」


 いちいちジェスト((ジェスチャー))が派手である。日本人としては珍しい。


「もともとあった城やけど、昨年大改築して、安土に倣って天守も作り申した。ここはもともとはわしの城ではなかったのだがな」


 筑前殿はそう言ってからあっちこっちで盛り上がっている宴席の場を眺めわたした。


官兵衛かんひょうえ!」


 羽柴殿は大声で誰かを呼んだ。呼ばれたらしい武士サムライはゆっくりと自分の席を立ち、杖を突きながらたどたどしい足取りでこちらに来て近くに座った。どうも足が不自由な人のようだ。


「こちらは黒田官兵衛。本来、この姫路の城はこの黒田家の居城でござってな」


黒田官兵衛くろだかんひょうえ孝高よしたかと申します」


 官兵衛カンヒョーエと呼ばれた男は我われに無表情のまま頭を下げた。年の頃は私よりもほんの少し上くらいかと思われる。まだ四十歳にはなっていないだろう。

 その目は実に鋭かった。全体的にいかにも武士サムライという感じの風格で、羽柴殿とは対照的だった。


 その時気付いたのだが、羽柴殿に対して感じていた違和感は、どうにも武将としての貫録というか風格が欠けているような気がしていたのだ。


「実はわしが上様より毛利討伐を命じられてこの播磨に来て、一時この姫路の城を本陣として借りて、官兵衛は城を明け渡して他の城に一時住んでおられた。それで、三木城も落としてとりあえず播磨が平定できたのでわしはこの姫路の城を官兵衛に返すと言うたやがな、官兵衛がこの城はわしにくれると頑として譲らにゃあ。わしは長浜という城があって、そこの城主だからと何度も辞したのじゃが、こいつもなかなかの頑固者でなあ」


 羽柴殿の大笑いにつられてか、無表情だった黒田殿もほんの少し笑みを浮かべた。


「まあ、それで去年この姫路の城を大改築して、わしは本丸に住んでおるが、官兵衛には二の丸に住んでもらっている」


 なるほどそれで、この屋敷はいかにも新しいという感じなのだ。


「とりあえず、毛利が完全に平定できた暁には、またわしはこの城は官兵衛に返すつもりじゃがな」


「いえいえ、滅相もない。この城は永代不変に殿のものでござる」


 黒田殿がやっと口を開いた。そのまま黒田殿は羽柴殿に向かってまた畏まった。


「お願いの儀がございます。この城でバテレン様方が我が二の丸にご逗留くださることをお許し頂きたい」


 あまりの真剣な頼みに、羽柴殿は一瞬身を引いた。


「なんだ、官兵衛。そんな怖い顔して言わなんでも、そもそもこの城はもともと貴殿のもの、貴殿の好きにされればよかろう」


「ありがたき幸せにござる」


 黒田殿は羽柴殿に、もう一度頭を下げた。


「ようし、飲め飲め飲め飲め」


 羽柴殿は、そう言って立ち上がった。


楽人がくびとみゃあれ」


 そのひと声で広間に楽器が運び込まれ、音楽の演奏が始まり、多くの人がそれに合わせて歌を唱和していた。

 楽器は笛や太鼓であった。そのうち羽柴殿はもろ肌脱いで扇子を手に踊りだした。人びとはそれに掛け声をかけ、手拍子を打っていた。


「皆のものも舞え、舞え、舞え」


 羽柴殿が舞うので、何人かの家来も立って一緒に踊っていた。それは決してテンポは速くないが、おもしろい動きをする踊りだった。音楽と歌のほかに、広間には笑いと歓声があふれていた。

 これは安土の城では決して見ることのできない光景なのではないかと、私は思って見ていた。

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