Episodio 7 Pentecoste《聖霊降臨》
1
翌日の日曜日のミサに、ヤスフェはにこにこの笑顔で現れた。
三人ほど、首から十字架を下げた武士も一緒だった。こうしてヤスフェの神学校通いが始まった。
ミサの後には彼は残ってもらって、洗礼のための公教要理の勉強があったが、彼にはもう何も教えることはないくらいだった。
主日もミサは神学校の学生を別枠にしても、礼拝室が満員になるくらいそこそこの信徒が集まった。あの巨大な都よりも、この安土の方が信徒の数は多いのではないかと思われるくらいだった。
また、毎週ミサに与るかなり身分が高そうな武士が目にとまった。武士というよりもそのきらびやかな服装は殿といった感じで、他の信徒たちも皆彼の姿を見ると、腰を低くして頭を下げるのであった。
年の頃はまだ二十歳を少し出たくらいの若さだ。信徒の武士たちも、「カンベ様、カンベ様」と呼んで恭しく接していた。カンベというのがその人の名らしい。
ことにロレンソ兄とはかなり親しいようで、いつもミサの後には談笑する姿が見られた。
私はある日、ロレンソ兄に武士というか殿というか、そのカンベという人について尋ねてみた。
「ああ、神戸三七殿ですね」
やはりカンベという名だった。通称は三七殿というらしい。
「今では養子に出て神戸の家を継いでいますが、あの方は上様の三男です」
あまりにさらりとロレンソ兄は言うので、私の一瞬聞き流しそうになって我に返った。
「織田殿の、お子?」
「はい」
私はしばらく口をぽかんとあけていた。そう言われてみれば、織田殿とよく似た顔をしている。
そして、ふと思い出した。我われが都からこの安土へ向けて出発する前夜に不意に都の教会を訪ねて来た殿が、確か織田殿の三男といっていた。
あの時は私は準備に忙しくてその殿が帰る時の背中を見ただけで、その顔を直接は見ていなかった。
だが、たしかにその織田殿の三男は教会に理解はあるが、まだ信徒ではないといっていたはずだ。
「織田殿のお子? キリシタンなのですか?」
「いえいえ」
ロレンソ兄は含み笑いを見せた。ではやはりそうかとも思うが、疑問も残った。
「しかし、ミサには毎週来ているし、しっかりと十字架を首からかけていましたよね」
「まだ洗礼は受けていませんが、お心はもすっかりキリシタンでしょう。普段もお屋敷ではキリシタンと変わらぬ生活をなさっているようです。ご本人も今にでもすぐに洗礼を受けたいとのことですが、何しろお父君である上様のお許しがないと勝手には受洗できないとのことでして。それでまだ受洗の希望をお父君は話してはおらず、今はそれを話すために父君の顔色をうかがっているところだそうです」
「あの我われに親しげに接してくれた織田殿ならば、すぐにお許しくださるのでは?」
「たしかに上様はキリシタンを手厚く保護してくださってはおりますが、ご自身のお身内がキリシタンになるということになりますと話は別問題なのでしょうな。ですから、なかなか切りだせずにいるようですよ。なにしろお子様方でさえ、お父君である上様を恐れていますから」
あのにこやかな織田殿の顔を思い出すにつけ、皆から恐れられているという話が私にはどうも実感がわかずにいた。
「ごミサには何人かお城のお侍がいましたでしょ。あの方たちは三七殿の御家中で、すでに洗礼を受けています」
その三七殿の実の名は信孝というのだそうだ。
このことはすぐにでもヴァリニャーノ師のお耳に入れておかねばならないと私が上階に上がろうとすると、ロレンソ兄は私を呼びとめた。
「バテレン・ヴァリニャーノ様にお話しなさるのでしたら、もう一人お話ししておいた方がよい人がおりますね」
そのもう一人とは、三七殿とほぼ同じ年ごろの一人の殿で、すでに受洗の準備をしているということだ。京極殿というその若い殿は信長殿に仕えて安土にいるが、その両親が今年の二月に洗礼を受けたのだという。
もともとは織田殿の妹の婚家である浅井殿に仕えていたが、浅井殿が織田殿に背いて滅ぼされた後は織田殿に帰属したのだそうだ。
父親は洗礼を受けた直後に帰天し、母のマリアがこの安土から北へ半日ほどの距離のところに住んでいて、熱心な信徒になっているという。
そして彼女は、今は織田殿に仕えている息子の小兵衛殿が受洗するよう希望しているけれども、どうも本人が今一つその気ではないということらしい。
ちなみにマリアは織田殿の妹の元夫の姉というから、織田殿とはかなり近い親戚といいうことになる。
私は早速、ヴァリニャーノ師に以上のことを報告した。
「織田殿のお子が信徒になってくれれば、この上ない喜びだね。まさしく『天主』のみ旨だ」
ヴァリニャーノ師も目を輝かせてその話を聞いていた。
そうこうしてあっというまに月日は過ぎ、我われが安土に来てからちょうどひと月が過ぎたころの5月14日の日曜日が、この年の聖霊降臨の祝日だった。
その数日前の夕食の席でフロイス師はヴァリニャーノ師に、北陸という土地に行きたいということを申し出た。
「ここから北の土地です。そこの越前という場所にジュストのお父上がいらっしゃいます」
「おお、そうなのですか」
「はい。実は先月、高槻に行った時にお父上の姿が見えないので不審に思っていたのですが、オルガンティーノ神父の話では四年前に私が都から豊後に行ったその直後にお父上のダリオとジュストが仕えていた荒木という殿が織田殿に謀反を起こし、ジュストは途中で織田殿に寝返ったために高槻城主の地位は失いませんでしたけれど、お父上のダリオは荒木殿の謀反が鎮圧されてからとらえられて、今では越前に追放されています」
「それは大変なことでしたね。私は全く知りませんでした」
「越前の殿は織田殿の家来の柴田殿といいますが、ダリオはその柴田殿に預けられているということです」
「ジュストは全くそのようなことは話してくれませんでしたね」
「我われは短い滞在でしたから、その機会もなかったのでしょう。ですからこれもまたオルガンティーノ神父から伺ったのですが、ダリオは告解と聖体拝領のため、また越前での布教のために司祭を一人よこしてほしいとたびたびこの安土の神学校にまで要請があったとのことです」
「ほう」
「ただ、オルガンティーノ神父はなかなか安土の神学校を離れるわけにもいかないので延び延びになっていましたけれど、私がちょうど来たからにはダリオをいつまでも待たせたままでは申し訳ないので、これを機に私が行かせて頂きたいのです。豊後に戻ってからだともう機会はほとんどなくなるでしょうから」
ヴァリニャーノ師は、目をつぶって少し考えていた。さらにフロイス師は日本人の修道士の同行をも求めた。
「できればロレンソ兄を」
ヴァリニャーノはフロイス師の北陸行きは認めるとしたが、ロレンソ兄については首を横に振った。
「実はロレンソ兄には別の任務をお願いしたいと考えているのです」
そういうことで、同行はもう一人の日本人の説教師であるヴィセンテ兄に決まった。
私が臼杵で日本語の特訓を受けたあの老人のパウロ兄の子息なのだという。修道士に子供がいるというのもおかしな話だが、パウロ兄は信徒歴は長いがイエズス会に入ったのは去年のことで、しかも親子一緒にであった。
そうこうして聖霊降臨の祝日がやってきた。週日ミサは持ち回りだったが、主日のミサはいつもオルガンティーノ師の司式だった。
だが、この日だけは特別な日ということでヴァリニャーノ師が司式司祭となった。復活を祝う五十日間の最後の日に当たるこの祝日の、ヴァリニャーノ師の祭服は赤だった。
そしてこの式典中に、ヤスフェへの洗礼が執り行われた。代父はいつもともにミサに与っている織田家の家来のうちの一人だった。
本当にヤスフェは感無量という感じだった。洗礼式が終わってからその首に十字架がかかられた。これはヴァリニャーノ師が自らヤスフェのために安土城下の職人に作らせたものだった。
閉祭時にヴァリニャーノ師がミサの最後を告げる「イテ・ミサ・エスト(行きましょう、主の平和のうちに)」という言葉と同時に、私やオルガンティーノ師、トスカネロ兄は赤い花の花びらが大量に堂内にまいた。これはヴァリニャーノ師の指示であるが、我われにとっては当然のことであった。
あとでフロイス師からそのことを尋ねられたので、ヴァリニャーノ師が説明した。イタリア半島諸国では聖霊降臨のミサの式典中に、聖霊降臨の時に天から降った舌の形の炎を表す赤いバラの花びらを大量に堂内にまくのだとと。
故国のしきたり通りにやりたいというのがヴァリニャーノ師の考えだったが、日本には栽培された赤いバラというのはなく、また野ばらも白い花ばかりなので、バラということはあきらめざるを得なかった。
そこで妥協して私とトスカネロ兄は事前に湖のほとりで、種類は問わずとにかく自生する赤い花を探してその花びらを採集しておいたのだった。
2
聖霊降臨のミサも無事に終わり、その日の午後に神学校の全員で見送りをして、フロイス師はヴィセンテ兄とともに北陸へと旅立っていった。
そしてその日の夕食の席で、ヴァリニャーノ師は自らの今後の|タベーラ・ディ・マルツァ《(スケジュール)》を発表した。
「来週の木曜日、すなわち二十五日は聖体の祝日ですね。その日は高槻の殿のジュストと、必ず高槻に戻ると約束をしています。ですから、高槻に行かねばなりません」
このことは前から分かっていたことなので、誰も異存をはさむはずはなかった。だが、フロイス師は不在である。日本語ではフロイス師に負けないオルガンティーノ師も復活祭も高槻に行っていて留守にしたのだから、聖体の祝日まで安土にいないでは神学校の学生はもとより、安土の信徒たちに対しても申し訳ないということで安土に残ることになった。
するとヴァリニャーノ師は急に私に笑みを含んだ目を向けた。
「コニージョ神父、高槻では通訳をお願いします。」
いきなり私の名前を出されて気恥ずかしかったが、ただ私は笑顔でそれを聞いているしかなかった。
しかし正直なところ、いくら臼杵で缶詰め状態で日本語の特訓を受けたとはいえまだ来日して一年もたっていない私なのだから、フロイス師のように流暢に日本語をしゃべるというわけにはいかない。ヴァリニャーノ師はほんの片言くらいなら日本語を話すが、メシア師やトスカネロ兄もあまり自信がないという。
ただ、高槻ならその殿がポルトガル語が堪能なジュストだから、その分は楽ではある。
こうして三位一体の祝日である次の日曜日が過ぎたらオルガンティーノ師を残して、我われは高槻に行くことになった。
そして、やはり一時的にも安土を離れるのだから、そのことを織田殿にも申し上げて挨拶に行った方がいいだろうということになった。
早速、翌週もミサに現れたヤスフェに、信長殿に会いたい旨を伝えてもらうことになった。ヤスフェはその日のうちに帰ってきて、翌日早速織田殿は会ってくれるという旨を伝えに来てくれた。
翌日の午後、我われは安土城に登り、織田殿と二度目、都でを含めれば三度目の会見を行った。
今回はヴァリニャーノ師とメシア師、トスカネロ兄そして私と、純粋に豊後から来たメンブロだけだ。
迎えに来た案内の武士にヴァリニャーノ師は、今度は大手の方から登場したい旨を申し出た。やはりこの前の道だと、寺の境内を通ることになるのが嫌なようだ。
大手から本丸までは幅の非常に広い石の階段がほぼ真っすぐに続く。今回は、前にロレンソ兄のために信長殿が貸してくれた駕籠の返却傍ら、まだ腰を痛めているヴァリニャーノ師がそれに乗り、同宿の若者四人がそれを担いでの登城だった。
天主閣では前回に信長殿と会った最上階ではなく、一つ下の赤い柱の八角形の階で信長殿を待った。ここは窓はあるもののそれほど大きくはないので少し薄暗く、照明の灯りの油がともされていた。
ここも壁には彩色が施されたチーナの国の人物の絵がぎっしりと書かれている。実にきらびやかだ。そして織田殿が座る畳の下は、床までもが真っ赤であった。
割とすぐに、信長殿は現れた。いつものにこにこした顔つきだった。
「いやあ、前にいらしたときに、こちらからまたお招きすると言っておきながら、そちらから先にお越しいただいて申し訳ない」
かつて織田殿の家来は、織田殿が我われに笑顔で接するのを何か魔法をかけたのかとか言っていたが、家来たちにとってはこの笑顔はとても珍しいものなのかもしれない。
しかし、どんなに笑っていても、織田殿のその瞳の奥には確固として動かざる芯のようなものがあるように感じられた。
私がその信長殿の言葉をポルトガル語でヴァリニャーノ師たちに伝えているのを見て、織田殿は首をかしげた。
「いつもの通詞のフロイス殿は?」
「所用がありまして、席をはずしております」
私が直接返事をすると、織田殿は私をじっと見た。そして、笑って言った。
「コニージョ殿はお若いようだが、だいじょうぶか」
「若いといいましても、もう三十半ばでございます」
「予から見れば若い。のう、フロイス殿やウルガン殿(オルガンティーノ師)から見ても若いだろうに」
信長殿の笑いと共に、ヴァリニャーノ師もともに笑みを漏らしていた。
ひときわ笑いが収まると、ヴァリニャーノ師は軽く頭を下げた。
「お招きもなく、こちらから押しかけて申し訳ありません。実は今日は、お願いがあってまいりました」
私がポルトガル語で話されたその言葉を、日本語で信長殿に告げた。
「ほう、なんなりと」
「実は我われは安土に参りましてから約ひと月が立ちました。つきましては、この御畿内のいろいろな地方でまだ我われを待つキリシタンたちがおります。せっかく九州よりこちらに参りましたので、いろいろな土地のキリシタンを訪ねたいと思い、それをお許しいただきたく本日は参上しました」
やはりフロイス師のようにすらすらとはいかないが、ヴァリニャーノ師の言葉をなんとか意味が通じる日本語にして言えたようである。
「あい分かった。いずこなりとも好きなところに行き、また説教士などを派遣するもよし、思う通り存分になされよ」
私の通訳を待って、ヴァリニャーノ師は織田殿に頭を下げた。
「ありがたき幸せ」
そして自ら日本語でそう言った。
「予もキリシタンの教えが広く伝わることをうれしく思うぞ。ただし、その巡業が終わればすぐにまたこの安土に戻ってきてくだされ。必ずだぞ」
「はい、たしかに」
もう一度頭を下げてから、ヴァリニャーノ師は信長殿を見た。
「上様もキリシタンにとお考えになったことはありませんか?」
この話題となると、その話に反対し無理だと断定していたフロイス師がいない今こそ、この話題を持ち出すべきだとヴァリニャーノ師は判断したらしい。
私の通訳を聞いてから、信長殿の顔はほんの一瞬だけ曇った。だがすぐにまた笑顔に戻り、さらには大声で笑いはじめた。
「前にも言ったであろう。予は第六天魔王の転生なのだ。そのような者が、いずれかの教えの信者になるなどということがあろうか。予はいずれの教団にも属さない」
それをヴァリニャーノ師たちに伝えてから、私は直接信長殿に聞いた。
「では上様は、やはり一切の神も仏も信じないというのは本当なのですか?」
「いや、そういうことではない。地上の組織としての教団には、いかなる宗門宗派といえども帰依する気はないということだ。釈迦牟尼も、そなたたちの開祖の耶蘇尊者も大いなる志の元で教えを始めたに違いない」
釈迦牟尼とは仏教の開祖のブッダのことである。
耶蘇とはギリシャ語のイエズス様のみ名「イェースーズ」の音をチーナの人たちがチーナの文字で書き表し、それを日本の人が日本の読み方で読んだものだと聞いている。
チーナでは「耶蘇」を「イェースー」と発音するからギリシャ語の発音に近いが、日本語ではだいぶ変わってしまう。
もっともイタリア語のイエズス様もポルトガル語では「ジェズス」だから、違いが出てもしかたはない。
「だが、どんな教団でも、地上に降ろされたその時に地上の組織として独り歩きを始めてしまう。特に前に話した叡山の悪僧どもはどうだ。あれはもはや宗教とはいえぬ。宗教の隠れ蓑を着た武装集団で、それが予の前に敵対勢力として立ちふさがったから戦った。一向宗の本願寺とて然り、法華宗とて然り、だ。だが、どうもあの叡山との戦いについてはよからぬ風説が流れているようだがな、予は坂本でかの武装集団の僧兵どもとは戦った。だが、山の上に登ってみるとそこはもぬけの殻で、根本中堂と講堂だけ焼いたということは、前にも言ったであろう。その他は、非武装の僧侶たちは一人も殺してはおらぬ。殺すにも、いなかったのだから殺せぬであろう」
織田殿はそこで、声を上げて笑った。
「それを全山焼き討ちしただの、何千人もの首をはねただの、言いがかりも甚だしい。ま、どうでもいいことだがな」
織田殿の笑いは少々苦笑に変じていた。だがすぐに元の笑顔に戻った。
「そなたたちの耶蘇尊者は『天主』に遣わされた者として教えを広めたのであろう。その教えの概略は、すでにウルガン殿から拝聴している。釈迦牟尼荒野に梵天の声を聞いて立ち上がった。そこまでは一緒だ。だが釈迦牟尼の教えと今の寺とは別のものだ。だから、帰依する気は毛頭ない」
なんだか遠回しに、洗礼を受けることをきっぱりと拒絶されたようでもある。
それにしても、織田殿の頭の良さと知識の豊富さには驚かされる。それがキリストの教えにまで及んでいるからさらに驚きだ。キリストの教えについては教義の内容を、織田殿の口ぶりからして、すでにオルガンティーノ師からかなりの部分まで聞いているようだ。
それで、その話はそれまでとなった。
3
我われはその足で、都でも一度面会した信長殿の長男、城介勘九郎殿の屋敷に向かった。
屋敷は城内の、本丸を出る黒金門から坂道を下った突き当たりにあった。ここで道は摠見寺を経て百々橋口へ至る道と、大手に至る道とに分岐する。屋敷に隣接するようにしてその向こうにあるのが摠見寺だ。
城介殿は我われが着くとすぐに玄関まで直接出迎えてくれた。都で会った時以来だ。
父の織田殿がそうであったように、ここでもこの長男は我われを下にも置かない歓迎ぶりを示してくれた。
「バテレン様方にはもっと早く、我が屋敷にお招きしたいと思っておりましたが、機を失してしまいました」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れました」
まずは互いにそう言って軽く再会の挨拶をした後、城介殿は自分の経歴や武功などを延々と話し、我われにものを尋ねるということはあまりしなかった。
「今日は父上の方には何か折いったお話があったのですかな」
そう尋ねるので、ヴァリニャーノ師が答えた。
「これよりこの近辺の土地を回りたいと思い、お暇乞いを申しに来たのです」
私がそれを通訳した。
「ほう。どちらへ」
「今、バテレン・フロイスを越前に行かせております。我われは高槻に行き、その後播磨行きも考えております」
城介殿のまゆが少し動いた。だが、私も同じ気持ちだった。ヴァリニャーノ師が播磨というところに行くつもりだというのは初耳だったからだ。
「播磨は今、羽柴殿が出向かれて毛利との戦さの最前線となっておりますけれどね、なぜそのようなところに?」
「キリシタンがいるからです。我われは『天主』の教えとキリストによる救いというよき知らせを一人でも多くの方に告げ知らせたいということとともに、すでにキリシタンとなった人びとの元に出かけてなるべく多くのキリシタンと接したいと考えております。一人でもキリシタンがいるのならば、我われはその場所に参りましょう」
私が伝えるヴァリニャーノ師の言葉を聞いて、勘九郎殿はにっこりとうなずいた。
「私は今父上より、かつて父上の城であった岐阜の城と、美濃・尾張の両国の統治を任されています。その我が領地にバテレン殿がおいでにならないというのはどういうわけでありましょうか」
それは詰問というよりも、やんわりと我われの岐阜への訪問を促す言葉であった。
「いずれ、考えておきましょう」
「いえ、実はもう何回も、ウルガン殿へは直接申し上げたり、書状などをもって促しているのですよ。岐阜の城下にあなた方の南蛮寺を建てるための土地も、すでに用意してあります。私はすでにウルガン殿よりキリシタンの教えについてはある程度は聞いており、心に刺さるものがあります。弟の三七ほどではありませんけれどね。あのものは城中でも、しきりに『天主』の話を人びとに説いておりますよ」」
ここまで言われたら、その話に乗らぬ手はないと私は思ったし、ヴァリニャーノ師もそう感じているはずだ。
そこでヴァリニャーノ師は、近いうちに自分か、もしくは司祭の誰かを必ず岐阜に行かせることを約してこの日は退去した。
神学校への帰途、私は大手への石段を降りながらその前の織田殿との会見を反芻し、織田殿の現在の仏教への毒舌を思い返しながら、ふとあのシモン田原のことを思い出していた。
彼も教会に属さずに信仰生活を続けている。だが彼の場合好んでそうしているわけではなく、状況的にそうせざるを得ないということもある。
だが、織田殿の場合は違う。
それでも織田殿は、宗教というものを嫌っているのではなく、現在の寺というものや宗門宗派を嫌っているようだ。仏教を嫌うあまり対抗勢力としての我われに手厚くしてくれているわけでもないようだし、逆に宗教を否定しているわけでもないようで、それらのことから織田殿の受洗の道はかなり難しいといえた。
もしかしたら織田殿は難しくても、長男の城介殿ならば洗礼を受けるに至るかもしれないという気は、もしかしてヴァリニャーノ師も感じたのではないかと思った。
事実、この城介殿の弟である三七殿は毎週日曜日の神学校でのミサには参列するほどで、まだ洗礼を受けていないというのが嘘のように実質上はほとんど信徒と変わらない。
その姿はヴァリニャーノ師も見ているし、三七殿と親しいロレンソ兄からも話は聞いているようだ。
今も城介殿から、三七殿がまだ正式な信徒ではないにもかかわらずすでに伝道を行っていると聞いた。城介殿はその兄であるのだから、十分に脈があるといえる。
だが、ほかにもいろいろと考えさせられてしまうことはある。織田殿はイエズス様が「遣わされしもの」と言われたことを知っていた。オルガンティーノ師から聞いたのだろうが、たしかに主は「我を信ずる者はわれを信ずるにあらず、我を遣わし給いし者を信じ、我を見る者はわれを遣わし給いし者を見るなり」と、はっきりとご自分を「遣わされた者」と言われている。
さらに、「我に対いて主よ主よという者、ことごとくは天国に入らず、ただ天にいます我が父のみ意を行う者のみ、之に入るべし」とも言われている。
そのへんがイエズス様ご自身と、キリストの教会というものとの関係を強く示唆しているようにも思うが、どうも課題が重すぎて歩きながら考えるには妥当ではなかった。
ただ、教会に奉仕するのも大事だが、それが主体となって、『天主』のみ意成就とそのための実践がおろそかになるようでは確かに本末転倒だ。この国の人びとを導くに当たってはそこを強調しないといけないのではないかと、織田殿から聞いた仏教の寺の現状をも鑑みて私はそう感じていた。




