Episodio 5 Residenza Honnoji e Circo Massimo(本能寺屋敷とチルコ・マッシモ)
1
そんな騒ぎの翌日が、織田殿と会う約束をしていた日だ。
さすがにもうヤスフェは置いていくことにした。身支度を整え、信長殿への献上品を引き車に乗せて、我われ六人、すなわち昨日とはセスペデス師とオルガンティーノ師が入れ替わった六人は徒歩で本能寺の一角にある織田殿の屋敷へと向かった。
なにしろ本能寺は教会から目と鼻の先なので、馬に乗るほどでもない。
門を出て蛸薬師通を右手に西へと進んで最初の四つ辻からウンブロッコ先の、最初の曲がり角がもう本能寺の東南角だ。
そこを右に曲がって本能寺の塀沿いの西洞院通に出た時に、我われは思わず歓声を上げた。
塀は白い土壁の上に瓦が乗ったものだが、その内側の境内に塀に沿ってずっと桜並木となっている。枝は塀の上に頭を出しており、満開の花が道に覆いかぶさるように咲き誇って、塀にそって延々と続く。まさに桜のアーチの中を進んでいるようだ。
「なんだ。わざわざ清水まで行かなくても済みましたな」
ヴァリニャーノ師は桜を見上げながら、そう言って笑った。
「いやいや、清水の桜は、こんなものではありませんよ」
フロイス師も桜を見上げて歩きながら言う。
「まあ、都にいる間にもう一度行きましょう。と、言っても早くしないと桜はすぐに散ってしまいますけどね」
そんなことを話しているうちにまだ次の角まで来ていない途中で塀は途切れ、その先は堀に囲まれている一角となった。
堀といっても城の堀のような大きなものではないが、堀の向こうは腰の高さくらいまでの石垣もあって、その上に真新しい塀が造られていた。その塀の中が本能寺の北東の一角、すなわち織田殿の屋敷のようだ。
やがてすぐに六角通に出たが、そこを左に曲がってすぐに門があった。
教会からここまで、歩いてもわずか三、四分の距離だ。教会からこんなに近くに、織田殿は滞在している。
驚いたことに、こうしてみると本当に小さい。本能寺自体は二ブロッキを占める広大な境内があって、多くの大きな屋根が並んでいる。織田殿の屋敷はその境内の四分の一を占めているが、つまりは半ブロッコ《(ブロック)》しかないということになる。
我われの教会よりはずっと広い敷地だが、例えば府内の大友館に比べればかなり縮小された規模だ。これで日本全体をその掌中に収めようとしている覇者の屋敷とするにはあまりにも釣り合わない。
そんなことをふと漏らすと、フロイス師は言った。
「まあ、織田殿は、ここを本拠地とはしていませんから」
そんなこんなで、門の中へと入って行った。
通された部屋も、屋敷全体と同様に小ぢんまりとした部屋だった。いかにもまだ新築という感じの木の香りがする。
日本では木材で建築物を建てても、その木の柱や壁を塗装するということはあまりなく自然の材質のままだ。これまでは建ってから数十年を経たような建物ばかり見てきたので柱も壁も茶色く変色していたが、建ったばかりの建物はそれらが自然のままの白っぽい色合いだった。
これまでの信徒の殿との会見では殿が玄関まで迎えに出ていたり、自分が我われよりも下座に座ったりなどいろいろと型破りの方が多かったが、さすがに信長殿はまだ信徒ではないだけに、会見も型通りのものとなりそうだった。
果たしてしばらく待たされること十数分、その緊張の時間のあと武士の声がした。
「上様のお出ましでござる」
我われは手をつき座って頭を垂れると、大きな足音がして上座に人が座る気配がした。織田殿がようやく我われの前に座っているようだ。
「お顔を上げられよ」
その声にようやく顔を上げて、織田殿の姿を見た。これまでの殿とわけが違う。今やこの日本の大部分を支配し君臨する帝王なのだ。
フロイス師などから気難しい人だと聞いていたし、多くの家臣から恐がられている厳しい人だという前情報があったので緊張していたが、そのにこにこと笑っている顔を見るとその前情報との差異に不意を突かれた気がした。
だが、まだ油断はできない。
「今日はわざわざのお越し、痛みいる」
信長殿が直々に声をかけてくれている。それがまた実に甲高い大声であった。
「お久うございます。上様もお変わりございませんでしょうや」
まずは、フロイス師が声をかけた。フロイス師は織田殿を、上様という聞きなれない呼称で呼んだ。信長殿は微笑んだままうなずいた。年の頃四十代くらいであろうか、しかし日本人は実際よりも若く見えることが多いので正確には分からない。
面長の割と整った鼻筋の通った顔で、髭はほとんどないが鼻髭だけは立派なものだった。
「変わるも何もまあ、上り詰めた感はあるかな。いや、年がでござるぞ。人間五十年というが、そろそろその五十路の声も間近に聞こえ始めた。バテレン殿も予よりも少し若いくらいでほぼ同じ年であったのう。九州の方へ行かれていたと聞いたが、いろいろとご苦労も多いと思うが」
「はい。しかし、そのようなことも申しておられません」
「であるか。互いに多忙だのう。上り詰めたと申したが、この天下においてはまだまだ予は上り詰めてはおらぬ。これからやらにゃあならぬことも山積みで、その山をもっともっと上まで上り詰めないとならないしなあ」
織田殿は声をあげて笑った。気難しいどころか気さくな人のように思えてならなかった。だが、どんなに笑顔であったとしても、その眼光だけは獲物を狙う鷹のように鋭かった。
「時にあの四つ目のバテレン殿は息災か。かのバテレン殿も今は九州だったよな」
「はあ」
フロイス師も少し笑った。
「九州で、元気で活躍しております」
四つ目の司祭とは、カブラル師のことだろう。かつてカブラル師が眼鏡をかけていることで、眼鏡を知らないこの国の人びとがカブラル師には目が四つあるといって驚いたという話を聞いたことがあったような気がしたのですぐに分かった。
それからローマからの巡察師としてヴァリニャーノ師が紹介された。
「お初にお目にかかります。ヴァリニャーノと申します」
それだけを自分で日本語で言ってから、自分は日本語があまりしゃべれないのであとはフロイス師に通訳をしてもらう旨をポルトガル語で話し、それをフロイス師が伝えていた。
それからフロイス師によって、オルガンティーノ師をのぞき織田殿とは初対面の私やその他の司祭たちが軽く紹介された。
「ようこそ来られた」
織田殿は慈愛の目ともいえるようなほほ笑んだ目で、一人ひとりにうなずいて聞いていた。
それからヴァリニャーノ師によって信長殿への献上品の説明があった。すでに我われが別室で信長殿の家来に渡していたエウローパの君主が着用する衣服、その玉座ともなるべき金細工を施した赤いヴェルートで覆われた椅子、地球儀、時計、クリスターロ・ヴェートロなどが家来によって信長殿の前に並べられた。
信長殿が最初に手に取ったのは、地球儀だった。
「これは何か」
「はい、グローボと申すもので、我われが今住んでおります地球をかたどったものでございます」
フロイス師が説明した。
「我われがこれの上に住んでいるだと?」
「はい。私どもが住んでおります大地は、実はこのような球体であることが分かっております」
織田殿の顔が一瞬曇った。
「それはまことか」
「はい。大地は球体で、これが太陽の周りを回っております。そして球であるこの大地の周りをまた月が回っております」
「たしかにのう」
やっと織田殿も笑ったので、一瞬緊張した空気が走った我われだったがとりあえず安心した。
「たしかに、太陽も月も球だな。それならこの大地が球だったとしても理にかなっている」
私はこの言葉に、少なからず驚いた。織田殿はこのとき初めて地球が球であることを知ったはずだ。
我われのエウローパにおいてでさえ、頭の固い人たちはまだ天動説を信じている。つまり、地球が球であることはほぼ確証されてはいるものの、まだその論争に決着はついていない。
カトリック教会の中においても然りで、ただ、我われイエズス会はこうして船で地球の反対側に来ているわけだし、すでに地動説を受け入れているが教会にもまだ頑なに否定している人たちもいる。
それなのに織田殿はほんのひと言ふた言の説明で、いとも簡単に地動説を受け入れてしまったのだ。
まさに天才としかいいようのない頭の柔軟さだ。
「ならば、我が日の本はどこじゃ? 苦しゅうないから近くにお寄りなされ」
織田殿にそう言われてフロイス師が一礼してから立ち上がり、織田殿のそばまで行ってまた座った。
「こちらでございます」
フロイス師が一角を指すと、信長ははっと笑った。
「これか。こんない小さいのか。では、そなたたちが来た天竺はどこだ?」
またフロイス師は地球儀を少し回して、ゴアの地を指差した。
「ほう、こんなに遠くからか」
「実は、私どもは確かにそこからまいりましたが、本当の生まれ故郷は」
そう言ってからさらに地球儀を少し回して、フロイス師はまた指差した。
「このポルトガルという国が、私とあちらのバテレン・メシアの生まれた国でございます」
「この陸地の先っぽか。なんだ、日の本よりも小さいではないか。ほかの者たちは?」
「ほかの四人はこちら」
「この岬のような国か。これなら日の本と同じくらいの大きさだな。もっともっと大きな国から来られたのかと思っておったが、大きさは日の本と変わらないのか。それにしても、この球では日の本のちょうど反対側ではないか。こんな遠いところから…しかも、我が日の本とそれほど大きさは変わらない国から…いや、恐れ入った」
フロイス師は元の位置に戻った。
「気にいった。これは頂戴しておこう。それとこの服と椅子も頂戴するぞ。いやあ、これは立派な椅子だ。お国の帝王は皆、このような椅子に座っておるのか?」
信長殿は上機嫌だった。
「はい。まあ、似たような椅子には座っております」
ヴァリニャーノ師の答えがはっきりしないものであったのは、私も知っているある事実があるからだ。実はその椅子はポルトガルから持ってきたものではなく、マカオで入手したチーナ製だったのである。
「して、これは?」
次に織田殿は、目覚まし時計を手に取った。
「時間を計るジスペルタドールという機械でございます」
「なに? すると、時計か。どういう仕組みになっているんだ? マーキナとはなんだ?」
「説明が難しゅうございます。後ろの面のつまみを回して時刻を定めれば、その時刻に音を鳴らして、朝目覚めさせてくれます」
「そうか」
織田殿はその時計を持ちあげて表にしたり裏にしたりして眺めていた。
「このジスペルタドールはポルトガルの王族のブラガンサ公ジャイメ一世の子息でのテオトニア大司教様より頂戴したものです」
ヴァリニャーノ師がそう言った言葉をまだフロイス師が通訳する前に信長殿は時計を、近くに控えていた少年を呼んで渡した。
「これも大変有り難いものではあるが、何しろ使い方がよく分からない上に壊れたら直すのも大儀であろう。非常に残念ではあるがこれはお返しする」
少年は信長殿から受け取った時計を、フロイス師のもとへ持ってきた。
「それではそちらのバナナはいかがでございますか」
フロイス師は房ごとのバナナの山を示した。
「これは何か? 果物か?」
「はい、バナナという果物でございます」
「どのように食すのだ?」
そこでオルガンティーノ師が一礼して立ち上がった。
「拙者がお毒見致しますゆえ、このようにお召し上がりください」
バナナのそばに座って一本取ったオルガンティーノ師は、皮をむいた。
「失礼つかまつります」
それからバナナを一口かじった。
「さ、上様もどうぞ」
「であるか」
織田殿も見よう見まねで同じように皮をむいて口に入れた。
「ん、甘い! 甘くてうまいぞ。これまで食したどの果物よりも甘くてうまい!」
ますます信長殿は上機嫌となった。そしてその上機嫌のまま、ヴァリニャーノ師にいくつかの質問をし、フロイス師がそれをポルトガル語で伝えた。ヴァリニャーノ師の答えも、フロイス師によって日本語に通訳された。
2
信長殿の質問はヴァリニャーノ師の巡察師という役職の内容と何をする役目なのかということ、また日本や日本人の印象、いつまで日本にいるのか、故郷のナポリという国はどのような国なのかなどであった。
さらにはヴァリニャーノ師をはじめ、ここにいる司祭たちがもともとはどのような階層の家柄の出身なのかにも及んだ。
それがかなり長時間にわたり、私には慣れない日本の座り方が少々苦痛に感じて来るくらいであった。日本の座り方は尻を床の上に着けて座るが、足は開いて膝を曲げ前で組む形となる。短時間なら苦にはならない座り方だが、普段は椅子にしか腰掛けていないと、だんだん股関節のあたりが痛くなってくる。
だが、ヴァリニャーノ師はもっとつらいようだった。三箇から高槻に行く時に痛めた腰がまだ本調子ではないようで、つらそうにもぞもぞと動いていた。信長殿はすかさずそれを見つけた。
「ナポリのバテレン殿は、お体がすぐれぬのか」
そう聞かれて腰を痛めている旨をヴァリニャーノ師が告げると、信長殿は心配の表情を見せた。
「それはよくない。わが国には腰によく効く補中益気湯などの薬もあるから、試してみられるとよい」
たしかオルガンティーノ師が、信長殿は厳しくて怖いだけでなく慈悲深いところがあると言っていたのを思い出した。なるほどこういうことかと思う。
「バテレン殿もおつらそうなので質問はこれくらいにして、もう一つだけ言っておきたいことがあるのだが」
織田殿は話題を変えた。
「三日後に我われはこの都で盛大なある催しをすることになっている。その行事に今日来られたバテレン方をお招きしたい」
「催し? それは何か神か仏のための催しでは?」
ヴァリニャーノ師の顔が少し曇った。だが、信長殿は大声で高らかに笑った。
「予がそのような催しをするとでもお思いか。純粋に、我が家臣団が馬とともに着飾って行列する馬揃えという催しじゃ。そもそも仏僧たちが催す催しなどろくなものがない。かの者たちは口では立派な教えを言うが、その生活も行動も堕落しきっている。民衆をだまし、自分たちが裕福な生活をすることしか考えていないのだ」
それを聞いて私は、キリストの時代のサドカイ人パリサイ人のことを思い出していた。
「仏法というものはそもそもは尊い教えかもしれぬ。釈迦尊者も立派な聖者であろう。しかし、今の世の仏僧ども自身が仏法を信じてはおらぬし行じてもおらぬ。そのようなものとは関係のない催しだから、安心して参加されよ。参加と申しても、そこもとらが物見する桟敷を用意するゆえ、そこで座って見ていてくださればいいだけのこと。実はふと思ったのだが、その時に今日頂戴したこの椅子を使わせてもらうゆえ、ぜひバテレン方にはご覧いただきたい」
そこまで言われては断る理由もないし、安心した顔でヴァリニャーノ師も参加を約していた。その眉がまた動いたのは、信長殿のある一言だった。
「この催しには帝も行幸あそばされる」
それをフロイス師から伝え聞いた時だ。そしてほんの少し間をいてから、意を決したようにヴァリニャーノ師は言った。
「承知いたしました。つきましてはもうひとつお願いがあります。我われは内裏の帝にも拝謁したく存じております。上様のお力でそのように取り計らってはくださいませぬか」
だがその言葉はフロイス師によって訳されて伝えられることはなく、代わりにフロイス師は隣からヴァリニャーノ師へ小声のポルトガル語で言った。
「その件は無理だと申し上げたでしょう。今ここで、その話は持ち出さない方がいい」
「いや、どうしても必要なことです」
そんなやり取りを、織田殿は不審そうな顔で見ていた。
これ以上織田殿の前で、織田殿が理解できない言葉でこそこそ言い合っているのは状況的によくないと私でさえ思った。
するとヴァリニャーノ師は顔を上げ、まっすぐに信長殿を見て自ら日本語で言った。
「私たちは、帝に会いたい。そのためにお力を頂きたい」
織田殿の顔がたちまち曇った。明らかに不愉快そうな顔で、我われの間でも緊張が走った。
だがすぐに織田殿はまずは鼻で笑ってから、次の瞬間には高らかに笑っていた。
「その必要はあるまい。ご存じないかもしれないが、帝とは伝統と権威だけのご存在で、何の権力もお持ちではない。お国の帝王と同じだと思われたら大きな間違いでござる。だから、拝謁しても何の意味もないこと。今やこの国の帝王は予、この信長ですぞ。予の庇護があればほかの誰の庇護をも必要ではないし、予に会えばもうこの国の帝王には会ったことになる。予に会えば帝とお会いしたも同然なのだ」
かなり尊大な言い方ではあるが、しかしそれは紛れもない事実なのであろう。
ヴァリニャーノ師はまだ何か言いかけたが、フロイス師から目配せで制されて、それ以上は何も言わなかった。
すると信長殿の方からまた、さらりと話題を変えてきた。もう元の上機嫌であった信長殿だった。
「昨日何やらこの本能寺の周りが騒がしかったので小者に様子を見に走らせたが、騒ぎの元はそこもとらの南蛮寺のようだったが」
「ナンバンデラ」とはこの国の人びと、特に異教徒が我われの教会を指して呼ぶ呼び方である。織田殿の言う騒ぎとは、昨日のヤスフェがもとになって群衆が好奇心から騒いで押し寄せたことだろう。
あれだけ騒げば、教会とは目と鼻の先のこの本能寺まで聞こえないはずがない。
それについてはヴァリニャーノ師の言葉を待つまでもなく、フロイス師が直接答えていた。
「実は我われのところには、遠いアフリカという場所から連れてきた顔と全身が真っ黒な従者がおりまして、昨日その者を連れて外に出ましたところ、人びとが大騒ぎして、その者を一目見ようと押しかけて来ていたので騒がしくなりました。申し訳ありません」
「それは予も聞いた。騒いでいたことはどうでもいいのだが、実は予もその者を見てみたい。連れてきてはくれぬか」
「では、機会があればまた」
「いや、今すぐに」
そう言われては仕方がない。フロイス師は信長殿の要求をヴァリニャーノ師に伝え、ヴァリニャーノ師はトスカネロ兄に目で合図した。兄はすぐに一礼して立ち上がった。
それから十五分ほど雑談をしているうちに、すぐにトスカネロ兄はヤスフェを連れて戻ってきた。ヤスフェは庭先にかしこまった。
「そこではよう見えぬ。苦しゅうないからこの座敷に上げよ」
信長殿の言葉でヤスフェは立ち上がった。フロイス師が通訳する前だった。通訳を介してではなく、自分の言った日本語の言葉で直接にヤスフェが動いたので、まずはそのことに信長殿は驚いている様子だった。
ヤスフェは草履を脱ぎ、どっしりとした風格で座敷に上がって、左右に座を開けた我われの間で畳の上に座って信長に一礼した。
「顔を上げよ」
ヤスフェはゆっくりと顔を上げ、信長殿を見た。信長殿は目をむいていた。
「ほおお、これは。これでは民衆たちが大騒ぎするのも無理はない、真っ黒だ。本当にそのような肌の色なのか?」
織田殿としてはヴァリニャーノ師やフロイス師に聞いたのであろうが、ヤスフェは自ら日本語で答えた。
「ほんなこつ、拙者の肌の色でございますたい。拙者の生まれた国では皆、同じような肌の色ばしとるもんばかりでございます」
これにも織田殿は驚ききっていた。
「日本語をしゃべるのか」
「少し」
暫く無言で、信長はヤスフェをじろじろと見ていた。
「こちらへまいれ」
さらには自分の近くに呼び寄せ、その腕を直接触ってみたりした。
「いやあ、本当にこのような色なのか? 墨でも塗っているのではないか? 洗ってみせよ」
織田殿がそう言うと、控えていた少年たちがさっと立って大きな器と水の入った甕を持ってきた。そして信長殿の前で、ヤスフェの腕を洗いはじめた。しかし、いくら洗っても黒い色が落ちるはずはない。
「うむ、まことであるか」
信長殿は考え込んでいた。そしてヴァリニャーノ師に向かって言った。
「この者を予にくれ。予のそばに置きたい」
フロイス師の通訳を聞いて、ヴァリニャーノ師は驚きに声を失っていた。
「肌の色ばかりではなく、日本語も話すし賢そうだ、それに力も強かろう。何かの役に立つだろう」
この想定外の申し出に。誰もが瞬時には返事ができずにいた。
ようやくフロイス師が、口を開いた。
「この者は、奴隷でございます」
「何でもよい。予のそばに置いて、士分としてとりたてる。働きによっては城持ち大名も夢ではないぞ」
この言葉をフロイス師はヴァリニャーノ師に告げた。
「奴隷ではなく武士として使う、場合によっては将来は殿にまでするとのことです」
ヴァリニャーノ師はさらに驚きを隠しきれない様子で、目を見開いて信長殿を見た。だが、もっと驚いていたのは当の本人のヤスフェのようだ。
だが、ふとヴァリニャーノ師は何かに気づいたように、小声でフロイス師に言った。
「しかし、洗礼の件は?」
すると一列後ろにいたオルガンティーノ師が口をはさんだ。
「その件ならば、織田殿はヤスフェをおそらくは安土に連れて行くでしょうから、安土の神学校で洗礼を受けさせることは可能です。織田家の家来の方でも安土の神学校で洗礼を受けていますから」
ヴァリニャーノ師はうなずいて、ヤスフェの耳もとに顔を寄せた。
「おまえはどうなのだ? おまえ自身の希望は? 奴隷だからとかではなく、はっきりと答えなさい。織田殿はお前を武士にと言っているのだから」
「私はすべて『天主様』のみ意のまにまに、なすがままにするだけです」
ヤスフェは微笑んだ。まだ洗礼を受けていなくても、ヤスフェはもうしっかり信徒なのだと私も感じていた。
しばらく待っている形だった信長殿だったが、しびれを切らしたようで口を開いた。
「どうだ? 話はついたか?」
そこでヴァリニャーノ師が信長殿の方へ向きを変えた。
「仰せのままに」
それだけ日本語で言った。織田殿は、満足げにうなずいた。
「そなた、名は?」
「ヤスフェと申します」
「ヤスフェ…言いにくいな…そうだ、弥助…弥助にしよう。そなたの名は今日から弥助だ」
「ははあ」
ヤスフェは深く頭を垂れていた。
さらに織田殿は、我われに向かって言った。
「予の方からも、そこもとらに贈り物をしよう。あとで南蛮寺の方へ届けさせる」
こうして、長い緊張の時間が終わった。
帰り際に玄関まで、ヤスフェは見送りに来た。
「大変お世話になりました。ご恩は忘れません」
ヤスフェは頭を下げる。有馬からずっと旅の苦労をもともにしてきたヤスフェと、こんな形で突然の別れが来るとは思っていなかった。
ヤスフェも目に涙を浮かべていたので、私ももらい泣きしそうになった。
「主のご加護があなたにありますように」
私はヤスフェに言った。
もしかしたらこれはヤスフェにとっては願ってもない話かもしれないのだ。オルガンティーノ師はそんなヤスフェを励ますかのように笑って言った。
「私とはまた安土で会えますね。安土へ行ったら安土の神学校へはちょくちょく来てくださいね」
そして、その肩に手を置いた。
3
我われはその足で、さらに北に十分くらい歩いた所にある妙覚寺という寺に滞在しているという織田殿の長男、織田城介勘九郎殿を訪ねた。
年の頃は二十代半ばの若者だ。それでも織田殿のお子だけあって、しっかりとした「殿」であった。城介というのは名前ではなく彼の官職名で、正式には秋田城介というのだそうだ。勘九郎は通称で、実の名は信忠というらしい。
妙覚寺も本能寺に負けないくらいの大きな寺だった。織田殿と違って勘九郎殿はここに屋敷を造営しているわけではなく、純粋に寺の建物に投宿しているようだった。
そこで型通りの挨拶をすると我われはフロイス師の提案を受け、織田殿がこの都の所司代、すなわち総督あるいは市長のような役に任じていた村井殿を訪ねた。
妙覚寺の脇の室町通りをそのまま南下すれば教会なのだが、本能寺の隣に居を構えている村井殿を訪ねるためにはほんの少し寄り道をすることになる。だが、たいした距離ではなかった。
村井殿は気のいい老人で、織田殿と同様愛想よく我われを迎えてくれた。
教会に帰ってから何か気の抜けたような感じで、皆で集会所の木の床の上に足を延ばして座っていると、しばらくしてから織田殿の使いの者が大きな籠と共にやってきた。織田殿が言っていた贈り物のようだが、出てみると籠の中は大きな鳥が十羽ほど入っていた。
「バテレン殿のお体がお悪いようなので、この雉の肉で精力をつけてくださいとの、上様の仰せです」
運んできた織田殿の家来たちはそう説明してくれた。彼らがキジと呼んだ鳥は、我われにとって見たこともない美しい鳥だった。頭が赤く体は青っぽいが、羽は白かった。全身に筋模様が入っており、尾も長い。
これを食べてしまうのはもったいないような気もしたが、日本でも坂東と呼ばれている地方にしか生息しない鳥だという。
鴨に似ているが明らかに鴨ではない。鴨よりも一回り大きい。
こんなところにも織田殿の人柄が表れているような気がした。
三日後、とうとう四月になった。その4月1日の土曜日は、fagianoが言っていた馬揃えの日だ。
この日は朝早くから町全体が騒がしく、我われは朝の七時にはもう教会を出て教えられた見物の席へと向かった。会場は内裏の東側ということで、教会からは少し東へ行ってから大通りである烏丸通を左に折れてずっと北上していった。かれこれ三十分も歩いてからようやく内裏の森が見えてきた。そのあたりまで来ると織田殿からの案内の武士が待っていてくれており、その誘導に従って内裏の南側を東へ向かうと、そこにはかなり広い空間があった。
この国の町中ではローマのような広場というものを見たことがなかったが、ここはむしろローマの広場というよりもむしろチルコ・マッシモといってもよかった。
内裏の東側の黄色い土の塀に沿って南北に遥か彼方までその日本のチルコ・マッシモは広がっていた。
そんな私の感想は、私だけではなかったようだ。
「おお、チルコ・マッシモ」
ヴァリニャーノ師もうなっていたし、オルガンティーノ師もうなずいていた。
「まさにそうですね。いやあ、驚いた」
笑いながらそう言うオルガンティーノ師に、ヴァリニャーノ師は少し首をかしげた。
「神父も初めて見るのですか?」
そう聞かれて、オルガンティーノ師は言った。
「そりゃそうですよ。だって、このような施設は今までなかったのですから。織田殿は今日の催しのためにわざわざ作らせたのでしょう」
そして高らかに笑った。
南北に細長い広場の両脇には、ずっと少し高くなった見物席があって、その上が貴人の席のようだ。
その下のところにすでに多くの庶民で埋め尽くされていたが、広場と庶民たちが立って見物する間には縄が張られていた。細長いといっても幅も相当なもので、向かい合っている席の人びとの顔は見えないほどだ。
私たちはずっと北の方に案内されたので、そこからまたさらに五分ほど歩かねばならなかった。
見物席は桟敷と呼ばれ、立って見ている庶民の見物人の頭くらいの高さの台の上に座布団が敷いてあった。縁には低い手すりが付いており、背後は布の幕で織田家のステンマ・ディ・ファミーリア(これを家紋という)である花が染められている。
そんな桟敷が広場の両側に延々とつながっているのだ。幕の上からはずっと桜の木の枝がのび、満開の花がきらびやかに咲き誇って幕と一緒に遠くまで続く。
桟敷の上には貴人が座るようになっているが、よく見ると手前が男性、向こう側が女性の席と別れていた。
我われの席の斜め前方の向かい側の桟敷の中央あたりには、一つの特殊な建物があった。
建築様式からしてこの国の宮殿を一回り小さくしたような形で臨時の建物のようだが、それでもきらびやかな金で装飾されている。そしてその周りを多くの兵が警護しているのが見えた。
どうもあそこが帝の玉座、すなわちチルコ・マッシモでいう皇帝観覧席のようだ。もちろん。中は見えない。
この細長い広場の向こう側は端から端まですべて深い森で、つまりはそれが全部内裏の敷地であろう。織田殿の都での屋敷があのような小ぢんまりとしたものだったのに対し、やはり内裏はその規模も比べものにならないくらい大きい。
やはり帝こそがこの国の帝王なのかと、私はぼんやりと思っていた。ただ、森があるだけで、その中の建物は見えなかった。
そのまま待つこと一時間くらいで、人びとの間からどよめきが上がった。
馬に乗った武将らしき人を中央に何騎かの馬と徒歩の兵たちの集団が広場の隅から入場してきた。
馬もそれに乗る人も甲冑姿ではあっても派手に着飾っており、また徒歩の兵たちもそれぞれきらびやかな贅を尽くした意匠をこらし、色とりどりの旗を無数に従えていた。
人びとの歓声を受けて、その集団は広場を行進する。それに合わせて笛や太鼓の音楽も奏でられ、それが軽快なリートゥモであった。
歓声に応えながらその集団が過ぎると、少し間をおいて次の集団が入ってくる。やはり十五騎ほどの馬で、先頭はやはり着飾った武将であった。そんな集団が十あたり続いて入ってきた。馬は隊列を組んで帝の玉座の前を通過すると向こうの方から折り返してくる。次々に入場してくる一団とはすれ違う形になって、途切れなく行進は続く。
「これ、みんな織田殿の軍事力なのですね」
私がふとつぶやいたように、まさしくこれは天下に己の武力を見せつけるペルフォルマンスでもあるが、その軍事パラータ的要素にも娯楽が散りばめられていた。
とりわけ、五つ目の騎馬団は、すべて織田殿の親族たちだということだ。
ひと通り入場が終わり、広場が騎馬武者であふれると、最後にやはりきらびやかに着飾った多くの従者に杖や武器である長刀、太刀などを持たせ、さらにこれまたきらびやかな衣装の三十人弱の少年に囲まれて、黒い馬に乗った信長殿が登場した。
その服装たるや誰よりもきらびやかではあったが、我われを驚かせたのはその赤いヴェルートのマンテッロとシャボラにスティバリ、そして襞襟を着け帽子をかぶった姿だった。
それらは皆、ほんの三日前にヴァリニャーノ師が織田殿に贈ったものだった。
もはや織田殿はこの国の殿ではなく、エウローパの英雄貴族の軍人にしか見えなかった。
全体が南の方角の方へと退き、最初に入ってきた集団の馬から一斉に駆けだしはじめた。十五騎が一斉に駆けだすのだから壮観だ。馬が駆けだすと楽の音に重ねて爆竹も鳴らされた。あのマカオで、チーナの暦による正月に町中を包みこんでいたあの音だ。この国にも同じものがあったことを初めて知った。
十五騎の馬が駆けだすとさすがの日本のチルコ・マッシモも、所狭しという感じだ。広場の北の端まで行ったら折り返して南の端へ、そしてまた折り返す。今ではただの広場にすぎないローマのチルコ・マッシモが、かつてのローマ帝国時代にはこんな感じだったのだろうかと想像を掻き立てられた。
最初の一団の十五騎がひと通り駆け回るとやがて退場していき、次の一団の十五騎がまた造られたチルコ・マッシモを駆け巡り始める。馬だけでなくたくさんの旗も一緒になって動くから、それがまたいかにも「動」という感じで目を奪われる。
これが次々に、入れ替わり立ち替わり続く。最初は十五騎ずつの一団での早駆けだったが、そのうち騎馬団同士二団で一つ、三団で一つとどんどん数が増えていき、よくぞ互いにぶつからないものだと感心するくらいひしめき合いながらも素早い馬足と洗練された手綱さばきで、全くぶつかる馬はなかった。
織田殿もともに馬を走らせ、また途中で何回も馬を乗り換えたりしていた。彼は赤いマンテッロを着用しているだけに、走るたびにそれが風になびいてはためき、まるで巨大な赤い鳥が大空を舞っているかのようであった。
ヴァリニャーノ師はじめ我われは皆息を呑んで、その華やかで勇ましい行事に見入っていた。都での生活が長いフロイス師やオルガンティーノ師でさえ、このような行事を見るのは初めてだという。朝の九時ごろから始まった行事だが、もうすでに昼を過ぎていた。
そしていよいよ最後のクリーマックスで、騎馬武者たちの早駆けを静めた後信長公は、そのまま皇帝観覧席の前へ進み、馬を止めた。するといつの間にかそれに付き従う少年たちの何人かが、大きな椅子を乗せた台を運んできた。その椅子もまた、三日前にヴァリニャーノ師が信長に贈ったあのヴェルートの椅子だった。
その椅子を皇帝観覧席のまん前まで運ばせた信長殿は、その椅子を高らかに二回ほど上にあげさせた後、一度地に降ろし、自分は馬から飛び降りるとその椅子に座って見せた。彼はその椅子を最初に見た時に、帝王の座る椅子なのかと質問していたはずだ。その帝王の椅子に、この国の皇帝ともいえる帝の御前で、織田殿は自らが座って見せたのである。
織田殿が座ると、再びその椅子はやはりきらびやかな衣装の四人の男に担がれ、信長殿は椅子の上から威圧するかのように周囲を見ていた。自然と皇帝観覧席をも見下ろす形となる。
それを見ていたヴァリニャーノ師が驚きの表情を見せたのを、私は横目で見た。
「信じられない」
ヴァリニャーノ師はイタリア語で、小声でつぶやいていた。
「どういうことですか?」
私が聞くと、ヴァリニャーノ師は私を見て、そのままイタリア語で言った。
「帝といえばこの国の皇帝、信長殿はその大臣にすぎないはずだ。しかも、その地位からすでに離れているとも聞く。我がナポリ王国では皇帝や国王の前で大臣、まして前大臣があのような素行をしたら、即刻首をはねられる」
貴族の出身であるヴァリニャーノ師だけに、そういうところには目聡い。私はそれを聞いて、それまでただただ行事の華やかさに目を奪われてそこまで深い考えを持っていなかったが、言われてみれば確かにそうだと思った。
織田殿との会見でヴァリニャーノ師が帝への謁見を求めたが、織田殿がそれを一笑に付したことともなんとなく関係があるような気もした。
その後、多くの騎馬団に分かれていた信長殿の家臣団も、一団ずつゆっくりと馬を進め、総ての桟敷の前を通るように場内を一巡した後に北側から退場していった。
その最後が織田殿で、信長殿はずっと四人の男が担ぐ台の上の椅子に座ったまま、騎馬団と同様に場内を一巡した。そして、我われの席の前にもさしかかったので、今までは遠くたよく見えなかったその顔がはっきりと見えた。
高く掲げられた椅子に座っていた男の顔は、三日前に我われを迎えてくれたときのような慈愛あふれる笑顔の織田殿ではなく、威厳に満ちた帝王の顔だった。
こうして、華々しくも錦に染まるような一日の時間が流れた。しかしそれは確実に流れており、とどまることを知るすべもなかった。
4
翌日は日曜日だったので、教会で主日のミサが行われた。司式司祭はセスペデス師だった。
ミサが始まる前に何気に門の外を見ていた私は驚いた。
この教会の門の向こう、通りをはさんだ所に何軒か店があるなくらいにはこれまでも思っていたが、何を売る店なのかまでは注意を払っていなかった。
今日、ミサに参列するために信徒たちが集まる時間になると、その通りの向こうの店が売っているのがなんとコンタツや御絵など聖具や十字架、マリア像などで、明らかに信徒を相手にした商売だったのだ。私はただ苦笑するしかなかった。
イエズス様はエルサレムの神殿で商いをする商人たちをことごとく追い払ったが、彼らは教会の中で商売しているわけではなく、教会の外の自分の店で商いをしているのだから文句の言いようもない。
それにふと、こういった店が一般の町衆にも我われの文化に接する機会を与え、そこからキリストの教えに興味を持ってもらう一助になればそれで越したことはない。それに信徒にとってもこの国ではめったに手に入れられないけれども信仰生活では必要な品々が手に入るのだから、いいことではないかと思った。
ここは彼らの商魂に感謝すべきかもしれなかった。
さらに私はその店先を歩いて売られている聖具などを見てみたが、なんとそれらは我われが持ち込んだものではなく、それをまねて日本人自らの手で作ったものであった。見事に模倣しているのには驚いた。やはりこの国は技術面でも水準が高い。
ミサには当然小西屋のジョアキムの姿もあった。だが、ここで正直な私の実感は、参列している日本人の一般信徒の少なさだった。
長崎や豊後そして高槻など、これまではどこへ行っても主日は御聖堂があふれんばかりの日本人の信徒が押し寄せる光景に慣れてしまっていたので、何だか物足りなかった。
やはり都は伝統的な町であるし、寺の勢力も強いのでなかなか福音宣教は難しいようだ。
ミサに参列している人が少ないだけに、私はいやでもある高貴そうな若者が参列しているのが目に入った。
あの堺で会った田原家の養子だったシモンだ。
ヴァリニャーノ師も彼に気づいたらしく、ミサが終わってからすぐにシモンに近づき笑顔で挨拶をしていた。
「あの折は、ありがとうございました」
シモンは丁重に頭を下げた。私も歩み寄ると、彼は私に対しても同じようにした。
「今日はお一人ですか?」
私が聞くと、シモンはうなずいた。
「はい。妻は先に伊予に帰しました」
「実のお父さんには会えましたか?」
その問いには、彼は一瞬顔を曇らせた。
「それが、実は…」
聞くと、なんと門前払いだったという。
「そんな、実の息子が訪ねて会わない、そんな親いますか?」
シモンはため息をついた。
「一度は他家に養子に出た身。それが追い出されたからと言ってのこのこ帰ってきても、家に入れてもくれないのも道理かもしれません」
「だけども、親ならば」
私の言葉を、シモンは遮った。
「私の実家は普通の家ではないのです。格式が高く、伝統を重んじる家柄なので」
そこまで聞くと私はヴァリニャーノ師ともに、彼を集会場の方へ誘った。
そこで、さらに詳しく話を聞いた。その内容は、私がヴァリニャーノ師にもイタリア語で伝えた。
「今は、どこに住んでいるのですか?」
私は尋ねてみた。
「はい。実の母の実家に身を寄せています。母は父の正式な妻ではなく、身分も低いので、だから私も父の正式な嗣子にはなれずに養子に出されたのです」
「お母さんには会えたのですね?」
「はい。母は実家におりました」
彼の母親は庶民の出で、その実家というのも屋敷などではなく小さな一軒家だという。もともと彼の母は、彼の父の柳原家の奉公人だったということだ。
彼はどうしても父親に会いたいという。しかし、そう簡単にはいかないようだ。彼から聞きだしたところによると、彼の父親は武士や殿ではなく、エウローパでいうところの貴族に当たる階級らしい。
役職も権大納言という大臣に次ぐ高い地位で、すなわちグランデ・コンシリエーレということになろう。
私の通訳によってそれを聞いた時に、何かひらめいたようにヴァリニャーノ師が目を輝かせた。
「権大納言が大臣の次ということは、自分の上位である大臣のいうことなら聞きますね。大臣といえば」
そしてヴァリニャーノ師は私と顔を見合わせた。
「織田殿」
私は言った。ヴァリニャーノ師もうなずいた。大臣を辞しているとはいえ、前大臣として同等の力を持っているはずだ。
そこで早速、織田殿からシモンの父に、シモンと会うように指示してほしい旨の手紙を書くことになり、日本語の手紙もすらすら書けるオルガンティーノ師に頼むことにした。
墨(日本人が使うインキョーストロ)と筆(毛でできたペンナ)で、オルガンティーノ師はたちまち手紙を書きあげた。フロイス師でも書けるのだが、フロイス師はシモンとは豊後でのことがまだわだかまりとなっているようなので適任ではなかった。
そしてまだ御聖堂に残っていたジョアキムを呼んで事情を説明した。
「どうしても、織田殿にお願いしたいことがあるのです」
そう言ってジョアキムに織田殿への手紙を託すとともに、ジョアキムからも織田殿に口添え頂けるよう、何度もそのようなお願いばかりで恐縮ではあったが頼むことにした。
ジョアキムは今度も快く引き受けてくれた。
すぐそばの本能寺に行って帰ってくるだけなので、ジョアキムはすぐに信長殿からの手紙を携えて戻ってきた。手紙はどうせ祐筆に書かせたのだろうが、最後の花押は直筆のようで、赤い印鑑も押してあった。
「ほかならぬバテレン殿のたっての頼みとあらば、嫌とはいえない。さっそく柳原大納言にはそのように命じておく」
そのような意味のことが書いてあると、オルガンティーノ師は伝えてくれた。
ついでに赤い印鑑に書かれた文字について聞くと、その「天下布武」という四つのチーナ文字は「世の中をを武力で治める」という意味で、信長殿の理念を表しているのだということもオルガンティーノ師は教えてくれた。
翌日、シモンには私ともう一人日本人修道士が随行するようにと、ヴァリニャーノ師から指示を受けた。
柳原邸はあの信長殿の馬揃え、すなわち騎馬によるパラータ・ミリターレが行われた広場、日本のチルコ・マッシモに隣接する東側で、すなわちちょうど我われが座って行事を見物していたあの席の裏手にあった。
織田殿が本能寺の境内に造った織田殿の屋敷と、ほぼ同じくらいの大きさだった。だが、貴族の屋敷にしては小ぢんまりとしている。
訝しげに私はそのことを聞いてみた。
「この日の本の国は今は武士の国です。このような公家は昔の権力の残り火にすがり、ただただ伝統と格式の上でのみ存続しているのですよ。血筋と伝統だけで、権力も財産はほとんどありません。とても貧乏です。むしろ商人の方がずっと金持ちなんです」
財産と権力があってこその貴族なのではないかと思うが、それはあくまでエウローパでの常識で、この国でその常識は通用しないらしい。
屋敷の門は固く閉ざされていた。
修道士が案内を乞うと、大きな門の脇にある小さな門が開いた。取次に出た使用人に修道士が来意を告げると、だいぶ待たされてから再び同じ使用人が顔をも出し、我われを門内に入れてくれた。
シモンは興奮してきょろきょろと邸内のあちこちを見まわしていた。
「懐かしいなあ。あの頃と変わっていない。ここにいたのは私が十歳までですが」
そんなことをつぶやいたりしている。
だが、我われが通されたのは屋敷の中ではなく、庭先だった。そこでしゃがむように言われたのでそうしていると、今度もまたかなり待たされた。
屋敷は普通の殿の屋敷と大差はないが、造りがほんの少しだけ違うような気がした。縁側と部屋の間には簾というすなわちテンダのようなものが降ろされていた。
だいぶ待たされてから、その簾の中から人が出て来て縁側に横向きに座った。これまで接してきた武士とは全く違う服装で、頭には黒い帽子をかぶっていた。
司祭がかぶるそれよりもずっと高い帽子だ。この国ではあの馬揃えの時の信長殿は別として、普通は庶民も武士も帽子をかぶる習慣がないので、その服装は私には異様に感じられた。
そしてその人が庭先の我われに向かって言った。
「権大納言様、お出ましでござる。お控えあれ」
すぐに簾の内側に人が座ったような気配はあったが、部屋の中は全く見えない。一応我われは立て膝で屈む形で、両手は腰に頭を下げた。
簾の中で声がした。しかし、何を言っているのか全く聞こえないくらいの声だ。すると、縁側に座った男がこちらに向かって言った。
「勝之四郎殿は何しにまいったのかとの、権大納言様の仰せでござる」
私は、この男は通訳なのだろうかと一瞬思った。だが、簾の中の声もよくは聞こえないがまぎれもない日本語、この男が我われに伝えたのも日本語だから、なんとも奇妙な話だ。
だが、シモンは当然のように振る舞い、縁側の男の方へ少し向きを変えて言った。
「家司の殿に申し上げます。私は一目父のお顔を再び拝したく、それだけでまいりました。他意はございません。ただ、懐かしさのみにて。昔のように、お顔をお見せくださいませんか」
小さな声だった。するとその言葉を、縁側の男は簾の中へ伝えているようだ。
「お控えなさいとの仰せでござる。我が子といえども今は地下の身、殿上人たる我が身とはこのように御簾越しに人を介して話すのが習いであろうとの仰せでござる」
これが、身分の低いものが身分の高い者と会話するときの、この国の作法なのかと思った。
だが、やはり変だ。大納言という地位よりも大臣である織田殿の方が上なのに、我われは織田殿とはこのようなことなく座敷の上で、直接対面して直接会話を交わしていた。
そのことを訝っていると、さらに縁側の男は言った。
「そればかりでなく、一度は他家に養子に出したもの。その養子となった家から絶縁され、養子縁組解消ということで追い出され、のこのこ帰ってきても、本来ならこの屋敷の門の敷居をまたぐことさえ許されないはずだ。今回は右府殿からのたってのお話でしぶしぶ対面はしているが、座敷に上げるわけにはいかぬ、との仰せでござる」
十分に声が届く範囲にいある相手に、いちいち人を介さないと話ができないというのもめんどくさいしもどかしくもじれったい。
「ましてやそなたは、キリシタンになったと聞く。しかも、そのキリシタンのバテレンを随行して我が屋敷を訪れるなど言語道断。異国の僧である南蛮人のバテレンなど、藤原北家の流れの日野家の血筋であるこの柳原家の伝統ある屋敷に一歩も上げることなどできぬ、との仰せでございます」
かつてカブラル師は日本人に対してずいぶんと見下す差別的発言をしていたが、ここでは逆に我われが見下され差別されている。
もはや私もシモンも、もう何も言うことはできなかった。さらに縁側の人は、シモンの父親の言葉を伝える。
「一度家を出て他家を継いだからには、もう二度と生家には戻らぬという覚悟が必要だ。たとえその継いだ家から絶縁されて追い出されたとしても、もう戻れぬ。自分も町の家からこの柳原に養子に来たが、町の家が跡目なくて断絶ということになった時も戻りはしなかった。養子とは、そういうものだ、との仰せでござる」
「私は決して」
シモンの声は、涙ぐんでいた。
「決して田原を棄ててこの柳原に戻りたいと申しているのではございません。ましてや柳原を継ごうなどとは」
しばらくして、返事が縁側の人を通して、来た。
「当たり前だ、との仰せでござる。今やこの柳原には今二歳になる男の子がいる。もう立派に跡目を継ぐ者はおる、との仰せでござる」
私も黙ってはいられなかった。私は直接、簾の中に向かって大きな声で言った。
「父親ならせめて声を聞かせ、お顔を見せてあげてください」
縁側の男が伝えるそれへの返事は早かった。
「そもそも勝之四郎が田原の家を追い出されたのは、キリシタンになったからだと聞く。そのようなことがなければ、息子は立派に田原の家を継いでいるはずだ。そんな息子をキリシタンにとそそのかしたバテレンの話など、聞く耳は持たぬ。そもそもそなたらは、何をしにこの国に来たのか。この国はこの国の伝統の上で独自に生きておる。そなたたちの教えなど必要ない。無用どころか、息子の人生をめちゃくちゃにするなど、害を及ぼしているではないか。とにかく、一応は息子とも会ったのだから、右府殿への義理は果たした。早々に立ち去れ、との仰せでござる」
そして簾の中では、シモンの父は奥へ入ってしまったようである。
シモンはしばらく、その場で泣きじゃくっていた。私はなんと言葉をかけていいかわからなかった。しかし、割と早くに彼は顔を上げ、笑顔を作った。
「バテレン様、かたじけのうございました。感謝しております」
そしてそれだけ言った。
「これからどうなさる?」
「伊予に戻ります。あとはあるがまま、なすがまま、すべて『天主様』にお任せです」
そう言ってからシモンは立ち上がり、さらににっこりと笑った。
結局は、柳原の家の中はどうなっているのかも分からなかった。この国の貴族は、文字通りヴェロに包まれた世界だった。
あとで同行した日本人の修道士の話を聞くと、柳原家は貴族である以上、その当主の現時点での宮廷での役職は大臣である織田殿よりも下だが、家柄の点では柳原家の方が武家である織田家よりも格式がずっと上なのだそうだ。
役職の上下や権力の有無が家の格式の上下とは必ずしも一致しないというこの国の状況は、はっきり言ってよく分からないというのが我われにとっての正直な感想だった。




