Episodio 2 Padre Organtino e Dom Justo(オルガンティーノ師と高山右近)
1
我われの一行には我われの他に、荷物運びとして四十人ほどの人をディオゴはつけてくれた。また、我われ全員に馬を貸し与えてくれて、なんとヤスフェにも馬を与えて乗るようにとしきりに勧めてくれた。
ヤスフェは頑なに辞退していたが、せっかくの厚意だからとヴァリニャーノ師に言われ、ヤスフェも馬上の人となった。
荷物のための馬も含めて馬の数は三十五頭にもなってまさしく大行列であった。堺で我われに会ったドン・シメオン池田丹後殿も同行していた。
まずは堺からならこの日のうちに着けるという三箇という町に向かう。そこもまた信徒がこの堺以上に多い町だということで、その近辺には大きな教会がいくつも存在しているということだ。
そこへ着くまでの村々で、我われは歓迎を受けた。
ただ、我われへの歓迎もそっちのけで人びとの好奇の目を奪ったのは、やはりヤスフェの存在だった。
ここは、むしろ豊後よりも信徒は多いのではないかという気さえした。
まずは昼ごろに、ドン・シメオンの居城である八尾に到着。ドン・シメオンの指図ですぐに我われを歓迎する歓迎宴が開かれた。そこからさらに若江という所までドン・シメオンは見送ってくれた。
堺を出てからここまでずっと道は平らであり、この国では珍しくかなり広い平野が続いている。山は右手の方にだけ遠くに山並みが見え、それが生駒山というのだそうだ。
かつて下から豊後までの旅はカブラル師が道案内だったが、ここではやはり長年この地方で福音宣教に従事したフロイス師が地理に明るく道案内だった。
我われの来訪はすでに情報としてこの地域の信徒には知れわたっており、沿道は多くの人が出迎えてくれた。生駒山にある飯盛という城の麓あたりからは我われが通る予定の街道には人びとが蓆を敷いてくれていた。
本当はその付近の集落の信徒の人びとにも挨拶をしたかったのだが、もはや日は傾きかけていて我われは先を急がねばならなかった。
夕方近くになって、前方に湖が見えてきた。
「あの湖に浮かぶ島にあるのが三箇城です。教会もそこにあります」
フロイス師はそう説明してくれた。三箇から堺までの間のいわゆる河内という地域では、すでに七千人の信徒がいるという。そのうちの半数近くが集中するのが三箇の町なのだということだ。
深野池という名のかなり大きな湖にちょうど夕日に映えて、言葉では表せられないような美しさだった。
きらきらと赤い粉をまいたように光る湖面の向こうには、ずっと遠くに見えていた生駒山系の北の端の山が水面に影を落としていた。
島へ渡る舟は、いつでも出るようになっていた。渡し舟の船頭さえもが信徒だった。
「皆さん、お待ちでっせ」
気さくにそう言って船頭は笑う。
我われは、馬は堺から同行していた荷物運びの人々に預けて、小さな舟に乗り込んだ。すぐに舟は湖の中央の小さな島に向かって湖面を滑り出した。島は木が茂り、その中に屋根が見え隠れしているが、はっきりと十字架が立っているのも見えた。
さらに島には、城の周りに町もあった。ほかにも島は全部で三つほどあって、この三つの島が「三箇」という地名の由来なのだそうだ。
城はこれまで見てきたほかの城のように石垣があって小さい櫓はあるが、全体的に屋敷という感じだった。
その門を入ったところで、すでに殿のドン・サンチョ三箇頼照殿と思しき初老の殿が、別の殿二人と一緒に並んで立って出迎えてくれた。二人はまだ二十代と思われる若者だった。
「ようおいでくださいました。お待ちしておりました」
相好を崩して我われに礼をしたドン・サンチョは、すぐにフロイス師に聞いた。
「お久うござる。お変わりはござりませぬか?」
やはりこの地方に十五年近く住んでいたフロイス師は、どこへ行っても顔が利く。すぐにドン・サンチョは、隣の若い二人の殿のうちの一人を示した。
「せがれの頼連、つまりマンショです。今はわしはもう隠居して、家督は譲っておりますさかい、このマンショがこの城の城主ですよ」
紹介されたマンショも、笑みながら我われに頭を下げた。
「どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」
もう一人の若い殿もフロイス師と親しげに話していたが、この近くの岡山城主のジョアン結城殿だった。ドン・ジョアンは、やはり笑顔で我われに挨拶してくれた。
我われはすぐに城内にあった教会へと案内された。日本建築ではあったが驚いたことに二階建てのかなり大きな建物で、むしろ修道院と言ってもいいくらいの規模だった。
「ここは、往来を行き来する司祭たちがいつでも宿泊できるようにと、ドン・サンチョが設けてくれた司祭館です」
廊下を歩きながら、フロイス師がそう説明してくれた。
やがて、応接間のような一室に我われは通され、そこでしばらくドン・サンチョとドン・マンショの親子、そしてドン・ジュアンとしばらく談笑していた。やはり、フロイス師が彼らと旧交を温める内容が主だった。
そして気がついたことは、ここには教会はあるが常駐する司祭はいないらしいということだ。私がそのことを話題に出すと、高槻の教会のジョゼッペ・フルラネッティ師が時々巡回に来くるということを、フロイス師がわざわざ日本語で説明した。
その名前を聞いただけで、私にはすぐにその司祭がイタリア半島の出身だということは分かった。
フルラネッティ師の巡回の時だけは城門が開き、町の人びとも自由に城内の教会に来ることができるようにするのだという。
この島にある町も湖の外にある町も、このあたり一帯の住民はほぼ全員が信徒だというから驚いた。
その話の途中で、ドン・サンチョがにやりと笑った。
「バテレン・フルラネッティ様は、今ちょうどおいでです。今、呼びに行かせましたさかい、間もなくいらっしゃいます」
そのにやりという笑いのわけを私は分からなかったが、やがて襖をノックする音がしてさっと襖は左右に開かれた。
そこには二人の人影があった。一人は背の高く、一人は頑丈そうな体格であった。
「おお」
その二人が一歩部屋に入って行灯の火に顔が映された時、フロイス師はそう叫んで思わず立ち上がっていた。
「驚きましたな。フルラネッティ神父だけでなく……」
私と同じくらいの年かっこうで、体格がいい方がフルラネッティ師のようだ。そしてもう一人の長身の、年配の司祭もにこにこと笑っていた。
「突然来て、驚かせようと思いました」
するとヴァリニャーノ師もあ立ち上がり、尋ねた。
「あなたが、オルガンティーノ神父ですか」
「イカニモ セッシャガ オルガンティーノデ ゴザル」(確かに私がオルガンティーノです)
日本語でのおどけた口調に、皆笑った。ただ、我われが急に立ちあがって話をしだしたので、ドン・サンチョ達は驚いていた。
「いやあ、お会いしとうございました。今日はわざわざ、ありがとうございます」
安土・都布教区の上長として私も幾度となく名前を聞いていた本人が目の前にいた。
背が高く、顔も長めで愛嬌があり、一目で自分の同胞のイタリア半島の人だなということは分かった。
「ヴァリニャーノ神父は、ご存じだったのですか?」
フロイス師に目を向けられて、ヴァリニャーノ師はただ笑っていた。
いつもは安土にいるはずのオルガンティーノ師が、わざわざここまで我われを出迎えに来てくれたのである。
ヴァリニャーノ師とオルガンティーノ師はかねてから何度も手紙のやり取りをしていたのは私も知っているが、二人は実はこの時に初対面だったはずだ。
「いやあ、手紙ではしょっちゅうお会いしているから、何かまるで初めてお会いするという感じがしませんなあ」
オルガンティーノ師も、そう言って高らかに笑った。
だが私はこの時、奇妙な感覚を覚えていた。私にとっても初めて会うはずのオルガンティーノ師に、不思議と「懐かしい」という感覚を抱いてしまったのである。
別に私はオルガンティーノ師と手紙のやり取りもしたことがなく、文字通り全くの初対面なのにである。誰かに似ているとか、以前にどこかで会ったことがあるというような感覚ではなく、それでもただ単に同じイタリア人だという親近感とは違う奇妙な既知感があった。
もしかしたら私にとってこの出会いが、何か大きな衝撃であるかのような予感が全身を走っていた。
「とにかく皆さん、座りませんか」
ドン・サンチョ達があっけにとられていたので、私はそう提案した。
なぜドン・サンチョが茫然としていたのか、その理由は分かっている。
我われの文化では、例えばみんな椅子に座っていた時にその部屋に貴人が入ってきたらさっと起立して礼をなす。ところが日本では逆で、仮に立っていたときに部屋に貴人が入ってきたら、さっと床に座って手をついて頭を下げるのだ。
だから我われも自分たちの文化に従って立った。それふぁドン・サンチョには奇妙に思われたのだろう。
そして座りがてらに私は自分が紹介してもらえるのを待つでもなく、勝手にオルガンティーノ師に自己紹介をした。そして最後に言った。
「ローマ出身です」
そこだけイタリア語だった。果たしてオルガンティーノ師はすぐに反応し、「おお、あなたもローマの方ですか」と、にこにこしながらそこだけイタリア語で言ってきた。
その後、ドン・サンチョは我われに食事を遇してくれた後、また司祭館のこの部屋に戻ってからもオルガンティーノ師を囲んでの談笑は続いた。
聞けばオルガンティーノ師は、あのカブラル師とほぼ同時に日本に来たのだという。日本に来た当初はどちらが日本の布教総責任者になるのかで、両師は少しもめたようだ。だからヴァリニャーノ師の都巡回をカブラル師は快く思わず、中止するようにさえ進言していたが、その時にヴァリニャーノ師に都を巡回してくれるよう切実に手紙で要請してきたのがオルガンティーノ師だったという。
オルガンティーノ師とヴァリニャーノ師の話を聞いているうちに、そのような輪郭が私にもだんだん見えてきた。
そしてもう一つ気付いたのは、ここにいるメンブロのうちポルトガル人はフロイス師とメシア師だけだということだった。これまではゴアでもマカオでもそして日本でも私の周りでは圧倒的多数を誇っていたのがポルトガル人で、イタリア半島出身者は少数民族だった。それが今や逆転して、ポルトガル人の方が少ないという初めての状況となった。
オルガンティーノ師はヴェネツィア共和国、ヴァリニャーノ師とトスカネロ兄はナポリ王国、私はローマ教皇領、そしてフルラネッティ師は会ったばかりなので詳しくはまだよく知らないが、それぞれ国は違うけれど皆イタリア半島出身ということで同胞だった。
翌朝、ヴァリニャーノ師は突然腰を痛めた。馬に乗るのは無理なようであった。
だから、ヴァリニャーノ師の腰が治るまでこの町で待機しようかという意見も出たが、ヴァリニャーノ師はそれを認めなかった。どうしても今日中に高槻に着かないと、ある人との約束をたがえてしまうことになるということだった。
そこでヴァリニャーノ師は馬ではなく古代ローマのような人が担ぐ輿に乗っていくことになった。担ぐのは三箇城の武士たちで、やはり信徒だった。
我われはオルガンティーノ師とフルラネッティ師とともに三箇を後にしようとした。
ところが、ドン・サンチョは、ぜひ復活祭までいてほしいと懇願してきた。復活祭は次の日曜日だ。三箇では復活祭にはこの湖の上で舟による行進を毎年行っているという。
だが、復活祭には他の約束があるようで、ヴァリニャーノ師は丁重に辞して北上した。
2
高槻までは半日もあれば着くという。途中、すぐ近くの結城殿、すなわちドン・ジョアンの居城である岡山に行き、そこの教会堂でヴァリニャーノ師の司式でミサが捧げられた。ここの教会は目を見張るような美しさで、砂という土地にあるので砂の教会と呼ばれていた。
岡山ではミサを挙げただけで多くの信徒に見送られながらそこを後にし、我われの行列は高槻を目指した。
その途中、旧知のオルガンティーノ師とフロイス師はもちろんだが、オルガンティーノ師とヴァリニャーノ師も話が弾んでいた。しかも二人は堂々とイタリア語で話し、オルガンティーノ師はそのまま私やトスカネロ兄にも話をふった。そこに時折フルラネッティ師も話に加わり、皆が堂々とイタリア語で会話した。このようなことは久しぶり、いや日本に来てからは初めてであった。
ところが時にはフロイス師も話に入ってくることがある。もちろんポルトガル語でだ。
私がかつてリスボンで初めてポルトガル語に接した時の体験だが、イタリア語とポルトガル語はもちろん別言語だが時には似ている部分もあって、ポルトガル人がイタリア語を聞いても時々わかることもあるのだ。
やがて、淀川という大きな川を馬ごと船で運んでもらうと、対岸にものすごい数の人びとがいるのが見えた。
そして船が着くや人びとからは歓声が上がり、その喜びに満ちた笑顔から、それが我われを出迎えてくれた信徒の大群であることはすぐに分かった。
その人びとの群れの中の最前列に武士たちに警護されながら若い貴人が一人立って、こちらを見て手を振っていた。
「おお、ドン・ジュスト」
オルガンティーノ師が感嘆の声を上げた。そして、我われに説明してくれる。
「高槻の城の殿、ドン・ジュスト高山右近殿ですよ」
「殿?」
私は一瞬耳を疑った。
その周りに一緒に並んで我われに歓声を上げているのは城の武士でも偉い人たちでもなく、その服装から普通の領民たちのようだ。
その若い殿はそんなふうに、領主でありながら自分が治める領地の領民と同列に立って我われに手を振っているのである。
しかも、普通の日本の着物を着てはいるが、首には我われの国の貴人が用いる襞襟を着用し、胸元には大きな十字架を下げていた。
「間違いないです。私もドン・ジュストがあのような方だということは聞いていました」
そのドン・ジュストの方へ歩きながら、ヴァリニャーノ師も言った。
我われがドン・ジュストの前まで行くと、ドン・ジュストはまずオルガンティーノ師に深く頭を下げた。
「ご苦労様です」
その脇には女性と、それに手を引かれた五、六歳の男の子がいた。
さらにドン・ジュストは我われの中にフロイス師を見つけた。
「おなつかしうございます。お変わりはございませんか」
フロイス師の前でにこにこしながらまた頭を下げた。
「お久しぶりですね。あなたこそお元気そうでなによりです」
フロイス師もそう言うと、ドン・ジュストはフロイス師に尋ねた。
「天竺よりおいでになった偉いバテレン様はどの方でしょうか」
フロイス師がヴァリニャーノ師を示すとドン・ジュストはすぐにその前に行き、そしてなんと驚いたことに流暢なポルトガル語で言った。
「はじめまして。ジュストと申します。わざわざこの地においで頂き光栄です」
教会にいる同宿や説教師でポルトガル語を話す日本人もいることはいるが、殿でポルトガル語を話す人とは初めて会った。
「妻のジュスタと息子のジョアンです」
ドン・ジュストの妻も頭を下げ、その息子もしっかりと礼をなした。そしてその背後から顔を出したのは、我われと同じエウローパの人で、スータンと帽子からやはり我われと同じ司祭であると分かった。
「都の教会にいるセスペデス神父です」
オルガンティーノ師がヴァリニャーノ師に紹介しているのを聞いて、私もその司祭の名を知った。その名から明らかにスパーニャ人である。私とほぼ同世代だった。笑顔でヴァリニャーノ師と握手し、我われには目礼をした。
「さ、皆さん。行きましょう」
笑みと共にまたもやポルトガル語で我われを促し、ドン・ジュストは馬に乗った。
それからというもの、街道の両脇には延々と人垣ができていて我われが通ると歓声を上げてくれた。
「皆さん、高槻の信徒なのですか?」
私はオルガンティーノ師に聞いてみた。
「そうですよ。驚いたでしょう?」
おどけて笑いながら、馬上からオルガンティーノ師は言った。
「どのくらいいるのですか?」
「今は高槻だけで一万五千人はいますね」
私は言葉が出なかった。さらに聞けば、高槻の人口は二万人くらいだというから、ほぼ七割が信徒だということになる。
高槻の町が見えてきた。町へ入ると、ここでも信徒たちの大歓迎を受けた。
まずは教会へということであったが、この城の主人であるドン・ジュストに先導されるまま一行の乗る馬の脚はそのまま城門をくぐり、城内へと入っていった。
城門の脇からその中へ続く道の左右には武士たちが一列に並び、我われへの歓迎の意を表していた。
高槻の城は町の中央にあり、城といっても山の上でも丘の上でもなく、全くの平地に造られていた。一応城らしく堀に囲まれ、石垣が築かれているのでただの屋敷とは違うようだが、石垣の中へ入ってしまえばそこは屋敷だった。
堀の橋を渡って門をくぐり、さらに内側の堀に沿ったかなり広い道をまっすぐに進む。左手の堀の向こうは石垣で、その中がこの城の殿のいる屋敷のようだ。
堀に突き当たって左に折れると、左手に屋敷へ通じる橋と門が見えたがそちらへは行かず、逆に右に曲がるとそこに巨大な十字架が屋根の上にそびえる教会が見えた。
教会堂は二階建てで、二階の部分の屋根は三角形が四つ集まった形をしていた。その向こうが日本建築の平屋の屋敷の司祭館だ。かなり広い庭もあって、そこには大きな池があるのが見える。
さらに第一印象として庭全体がまるで花畑のように、折しも春の日差しの中で多くの色とりどりの花が満開に一面に咲き誇っていた。そして池の手前には前方と左右に三つの階段を持つ台の上に大きな十字架が立てられていた。
まずは、我われは御聖堂へ直行し、到着の感謝の祈りを捧げた。そして司祭館でくつろぐよう、ドン・ジュストの配慮を受けた。
その日の夜はドン・ジュストが司祭館の方まで出向いて来てくれて、簡単な会食をした。ここでも我われが上座で、ドン・ジュストは一番下座に席をとっていた。
「四旬節でなければもっとおもてなしができるのですが」
恐縮するドン・ジュストにヴァリニャーノ師は、言った。
「とんでもありません。あなたとこうしてお会いできたというだけで、私には最大の恵みです」
「いえいえ、はるばるローマから巡察師においで頂けたということこそ、我われ高槻の信徒にとっては最大の恵みですよ」
完全に会話はポルトガル語だった。
「さらに今年のご復活にごミサをお上げ頂けるなんて、夢のようです」
ドン・ジュストはうっすらと涙さえ浮かべているようだった。さらにはドン・ジュストと初対面のメシア師や私、トスカネロ兄にも一人ひとり言葉をかけてくれた。
その気さくだが丁重な口ぶりといい笑顔といい、彼が一城の城主であり領主であるということを忘れてしまいそうになるほどであった。もう、古くからの友人と談笑しているような感覚なのだ。いや、彼の態度は友人というよりはむしろ、我われに仕える下僕のような態度でさえあった。
「ドン・ジュスト」
ヴァリニャーノ師が呼びかけると、ドン・ジュストは笑いながら言った。
「ドンはいりませんよ。ジュストで結構です」
イタリア語やポルトガル語での敬称の「ドン」は貴人に対してだけだが、日本人は他人の名を呼ぶ時には親子・夫婦のような家族や主君が家来を呼ぶ時などのほかは必ず名の後に「様」や「殿」などの敬称をつける。その日本人であるジュストが、自分への敬称を不要と言ってくれたのである。
もはや我われを家族か、あるいは主君のように彼が感じている証拠だ。
そして、我われが疲れているであろうと気遣い、とりわけ腰を痛めているヴァリニャーノ師の体に配慮して、ジュストは早々に切り上げて場内の屋敷に帰っていった。




