Episodio 7 Don Francesco Ohtomo(大友宗麟)
1
その一週間の間に、ヴァリニャーノ師は豊後の全教会の司祭たちに協議会の招集の手紙を書き送っていた。
次の日曜日の主日のミサは、あの海戦から一週間目だった。司祭館の屋敷の敷地内の御聖堂には朝から次々と町中の信徒が押しかけ、有馬と同様にここでも全員が聖堂に入りきれない状態だった。司式司祭はヴァリニャーノ師だが、ほか私を含めすべての司祭が登壇した。ここでも日本人少年の聖歌隊による聖歌の合唱が見事だった。
この教会では十数年前からナターレには日本人信徒による聖劇や聖歌隊の合唱、ヴィエラ・ダ・アルコという弓で弾く弦楽器の演奏などが披露されていたという。
そして我われが安岐で海戦を目撃してからちょうど十日後、この日は風が強い日だった。
知らせによると、毛利の船手衆はさらに数を増やして、再度安岐城下に押し寄せたそうだ。それより先に若林殿の船手衆は再出撃していたが、再び激戦になったという。しかし、今回は折しもの強風に毛利の船手衆は体勢を崩し、その大部分を若林殿の船手衆は撃沈せしめたということだ。
人びとはその風を神の風と呼んだが、我われにしてはまさしく『天主の風』であった。
これで安岐城への物資食料の補給ペルコルソは断たれたことになるので、落城も時間の問題だということらしい。
こうなると、豊後の地域の平和も恒久的なものになると安心したかったが、まだまだ佐賀の竜造寺や薩摩の島津と、大友の敵は多い。いずれも今はとりあえずの小康状態が続いているにすぎないようだった。
そして十月に入ると、我われは臼杵へと向かった。気候は急速に、昼間でも涼しくなっていた。
府内から臼杵までは朝出発すれば、夕刻までには着ける距離だという。府内も臼杵も海沿いにある港町だが、海岸線にそって行くと間にある小さな半島の先端までぐるりと回ることになりかなりの遠回りとなるので、普通はほぼ直線距離である半島の付け根の峠道を越えていくことになるということだ。
ヴァリニャーノ師とメシア師、トスカネロ兄、私のほかにカブラル師、フロイス師、フィゲイレド師、ラモン師の総勢八人が馬で、あとにヤスフェがまた同行していた。
これで府内の司祭は全員臼杵に行ってしまうわけで、留守は修道士たちに預けてきた。十人ほどいる修道士は全員がポルトガル人で、四十代半ばのクラスト兄以外は皆二十代前半の若者だった。中には本国のポルトガルに行ったことがなく、ゴアで生まれ育ったというポルトガル人も含まれていた。
そんな修道士たちに後を託してきた我われ司祭団が進む道は、二時間ほどは平坦な土地を山の方へ向かって進んでいた。
のどかで素朴な田園風景が広がり、田の稲もだいぶ色が緑から黄金色に変わり始めている。
民家はほとんどなく、時々地主階級の家かと思われるような蔵のある農家に出くわすくらいだった。
やがて山にぶつかると、これから後は峠道だ。なだらかに登って行くのであまり峠ということは感じないが、それでも山に囲まれた山間部を道は続く。
夕刻、道が下り坂になり、また周りに田んぼが見え始めて平らになり、川沿いに道は進むようになると臼杵はもうすぐだという。そして共に歩んできた川から離れて右に折れ、しばらく行くともう少し大きな別の川にぶつかり、その川を渡るとすぐ川岸に屋根の上の十字架のある教会があった。
ここでも建物自体は日本式家屋で、十字架だけが教会であることを示していた。
府内の教会のように塀にかこまれた屋敷ではない。教会の前を流れる川にはちょうど教会の前の所に小さな中州があって島のようになっており、川はその右手ですぐに河口となって海に注いでいる。
ひと頃よりはもうすっかり日が短くなり始めており、着いた時点でかなり暗くなっていたので休む暇もなくすぐ夕食の準備ができていると案内された。
臼杵の教会で我われを迎えてくれたのはゴンサーロ・ラベロ師とアントニーノ師の両司祭で、二人ともほぼ私と同世代であり、アントニーノ師は私と同郷だった。
ほか、かなりの数の修道士がいた。
ここに普段よりも司祭が八人増えたのだが、さらにこれから協議会のために何人かの司祭が合流する。賄いの日本人信徒の女性たちも大変だなと思わず同情してしまったりした。
食事の時にはもうここは神学校のある有馬ではないので、私とトスカネロ兄、そしてアントニーノ師の三人は思う存分イタリア語で盛り上がった。
イエズス会にはいろいろな国の人が参加している。本部はローマにあってそのローマのジェズ教会ではそのようなことはなかったが、いざ海外に出るとやはり共通語はポルトガル語になってしまう。日本に来ているイエズス会士のほとんどがポルトガル人なのだから、仕方がないといえば仕方がなかった。
翌日は日曜日で、午前中は主日のミサがあった。ここでも日本人信徒が次々に押し寄せ、御聖堂はいっぱいになった。
そのあとの午後には、ヴァリニャーノ師がついに大友宗麟ドン・フランシスコに初めて会いに行くことになっている。いつものメシア師、トスカネロ兄と私、およびフロイス師が同行するが、ここでもカブラル師は我われとは行動をともにしなかった。
この臼杵の教会はもともとカブラル師の所属する教会であり、彼は「帰ってきた」わけだし、プリバートな自室も持っている。
それにしても同じ教会の屋根の下にいながら我われ、正確にはヴァリニャーノ師と顔を合わせようともしないカブラル師だ。口に出してこそ言わないが有馬から豊後までの旅も仕方なく我われと同行していただけで、もう勘弁してほしいというのが彼の本音ではないかとさえ勘ぐってしまう。
そんなことをぽろりと口にしてしまい、ヴァリニャーノ師からは叱られるかと思ったら、師も笑っていた。
「いや、私も息が詰まる思いだったよ」
府内のように屋敷は教会の隣というわけではなかった。我われは徒歩で教会を出て、町中のほぼ一本道を歩いた。左右は商家が立ち並び、臼杵の町でも一番賑やかな通りのようだった。我われが歩く道はまっすぐな道だが、曲がり角のたびに左右を見てもここは府内のようにまっすぐな道が縦横にきれいにそろっているわけではなく、これまで見た多くの町と同様に道は複雑に入り組んでいた。
平らな部分はそう広くはなくすぐ近くの三方を山で囲まれ、また小高い丘の上まで坂道で町は続いている。町の規模は三千人ほどの人口があるかと思われ、海があることをのぞけば、地形的にどことなくローマを連想させた。
七分ほど歩くと海に出くわした。ここも大きな湾のいちばん奥に当たるらしい。右にも左も岬がすっと海へと突き出している。岬の上は海岸からすぐに山になっている。
そんな海辺の目の前に、今までに見たこともないような巨大な軍艦が停泊しているのかと一瞬思うような、岩石でできた大きな丘が海上にあった。よく見るとそれは、洋上に浮かぶ楕円形の島であった。周囲は岩による断崖絶壁で、なぜこのようなものが自然にできたのか……その造物の妙に我われの誰もが舌を巻いていた。
そしてその島は、楕円形の付け根の部分でかろうじて短い橋によって陸地とつながっていた。
さらに驚いたことに岩石の断崖の上に人工の石を積んだいわば石垣と白い塀が、島の周囲に張り巡らされていた。その上に建物の屋根も見える。
「驚くでしょう、普通」
そんな我われの様子を見て、めったに笑わないフロイス師も笑っていた。
「私も初めて見たときは、ドン・フランシスコの将来を見据えて『天主』がお与え賜った自然の要塞かと思いましたよ」
「すると、この上が?」
ヴァリニャーノ師の問いに、フロイス師はうなずいた。
「はい。ドン・フランシスコの城です」
府内の町中にあった大友の殿の屋敷とは全く異なり、これは間違いなく要塞、つまり城(カステロ)であった。だいたいこの国の城は小高い丘か山の上であるが、このような海に突き出た島の上の崖の上というのは初めてだ。しかも人工の島ではなく自然の島だ。
「皆さんが下からここに来る間に、大きな火山の阿蘇の山を見たでしょう? あの山が噴火した時の溶岩流でできたといわれています」
あの、メシア師が聖母マリアの山と称したあの火山のことらしい。そうすると、あんな遠くから空を飛んできた巨大な岩石がここに落ちたということになる。まさしく『天主』のみ手によったものとしかいえないだろう。
我われは三方を海に囲まれたこの城の唯一の陸地との接点にある門を入った。今でこそ橋がかかっているが、自然の状態のときは潮が引いた時だけ陸続きになり、満潮の時は海に浮かぶ独立した島となったのだという。
だから、これまで見てきた城にあった石垣を囲む人工の水溝であるお堀は必要ないということになる。
門のところからは何人かの武士が我われを出迎えに出てくれていて、中まで案内してくれた。
まずは橋を渡るとすぐに島の断崖がそびえている。その上まで登る人工の石段をまずは登らないといけない。かなり苦労だった。
我われの国であればにこやかに笑ってあれこれ話しながら案内してくれるのがいちばんの歓迎だが、この国では違う。
「お待ち申しておりました。ご案内致す」
武士はにこりともせず歓迎の意を述べ、腰を折って深々と頭を下げると、あとは動作を優雅に丁寧にして無言で我われの先を歩く、これが歓迎になるのだ。
2
高い断崖の上へと道は何回も折り返しながらジグザーグに登り、その上で左右の人工の高い石垣に挟まれたもう一つの門をくぐる。
門の中、すなわち巨大岩石の島の上は全体が平らで、さらに石垣と塀に囲まれた部分に屋敷の屋根が見える。その門は入らず左に回り、塀に沿って進んでいくつかの門をくぐると、島の奥の部分に当たるいちばん高い所にまた大きな屋根の屋敷があった。
その玄関に入ると、玄関の上には一人の老人がにこにこして立っていた。
「いやあ、よくおいでくださった」
日本人でもかなり親しい場合は、出会いがしらに相好を崩すこともある。しかしそれはよほどの場合でないとあり得ないのだから、今はそのよほどの場合だということになる。
「まあ、どうぞ中へ」
促されて、まずは顔見知りであるフロイス師が最初に靴を脱いだ。
「お邪魔し申す」
ヴァリニャーノ師はじめ我われもそれに従った。
先ほどの老人が先導して大広間に入ると、我われを部屋の前方の壁に絵などがよく書かれている床の間に向いてではなく横向きに座らせ、自分も正面に側面を向ける形で我われに向かいあってほど近い所に座った。
これまでどの城で殿と面会した時も、まずは広間に案内されて床の間の方を向いて座って、だいぶ待たされてから殿が現れ、我われが手を床について頭を下げると、殿は正面に床の間を背にして座るのが普通だった。そして「面を上げられよ」と声がかかる。
だが、ここでは全く違う。
老人は頭に頭髪はないが剃髪したというよりも、老人特有の自然に頭髪がない状態になっているようだった。その証拠に両耳の上あたりにだけわずかに頭髪があった。日本の着物を着てはいるが、首からは大きな十字架をかけていた。
「こちらがはるばるローマという地から視察に来られた巡察師のバテレン・ヴァリ
ニャーノです」
フロイス師がそう紹介する。
「ヴァリニャーノと申します」
ヴァリニャーノ師もそれだけ日本語で言って頭を下げた。すると驚いたことに、老人は座ったままではあったが手を差し伸べてきた。
「フランシスコです」
つまり、握手を求めてきたのだ。
握手に慣れているはずの我われの方がむしろ戸惑ってしまった。握手をする日本人など、日本に来てから初めてだ。
「それからその補佐官に当たるバテレン・メシアと秘書官のイルマン・トスカネロ、そしてバテレン・コニージョです」
大友宗麟ドン・フランシスコは、われわれ一人一人に対しても同じように握手をし、相好を崩した。むしろ通訳のフロイス師の方が終始真顔だった。
「いやあ、遠路はるばる、ようお越しくださいました。驚いたでしょう、この城」
「はい、少し」
「あとで櫓の上へ案内しましょう」
それからしばらくはこの城の造りの話や、なんとエウローパの食べ物の話をドン・フランシスコの方から持ち出し、フロイス師が逐次通訳した。
「時にドン・フランシスコ。あなたはフランシスコ・ザビエル師にもお会いしたそうですが、まだあの頃はこの国に信徒はほとんどいなかったのでしょう?」
ヴァリニャーノ師の言葉も、ほとんど逐語的に流暢な日本語にフロイス師は通訳していく。
「ええ。あの頃は私も若かった。まずはお国の文化に興味を持って、そしてキリストの教えにも魅かれていきました。でも、すぐに洗礼というのは難しかった」
「それは、どうしてでしょう?」
ヴァリニャーノ師の問いに、ドン・フランシスコは少し首をかしげた。
「そのあたりのいきさつは、バテレン・カブラル様がよくご存じなのですが、お聞きになってはいないのですか」
今はそのようなことをヴァリニャーノ師がカブラル師から聞けるような状況ではないのだが、おそらくこの殿には言ってもわからないであろうし、あるいはこちらの内情をあまり知られたくないとヴァリニャーノ師は思ったのだろうか、
「まあ、一応聞いてはおりますが、やはりご本人の口から、と思いまして」
師はそううまくかわした。
「そうですか。それで、バテレン様方はキリシタンの教えを広めるために、まずは領主や大名を改宗させ、それで多くの民草を一気に導こうとされておられるようですが」
なんだかそれでは数だけを追っているようにも聞こえるが、ヴァリニャーノ師は臆することなく言った。
「その通りです。要は結果として多くの魂が救われればよいのですから」
「そうですか。それならば、私がバテレン・ザビエル様とお会いしてから何十年もしてからカブラル先生より洗礼を受けるまで、どうしてそんなに長い時間がかかったかということですが、私の場合をお話しすることで今後の参考になりましょう」
そう言ってから、ドン・フランシスコは咳払いをした。
「まずはこの豊後を統治する大名として、私はあまりにも忙しすぎた。今はせがれに家督を譲っていますから、なんとか時間的に余裕ができましたけれどね。これはどの大名でも同じことですよ。暇を持て余している大名なんていません。大名への宣教の難しさの第一点はこれです。あとは、個人的にはキリストと出会い、信仰を深め、ぜひ入門したいと思っていましてもね、大名は一人で生活しているわけではりません。多くの家臣団や、親類縁者にかこまれて生活をしています。先祖代々続いてきた諸行事もあるし、それぞれの家の伝統というものもある。そういう柵でがんじがらめになっているのですよ。私の家は代々禅という宗教を信じてきました。仏教の一派です。ただ個人的に信じるのではなく、寺という社会の中でそれぞれの生活はすべて律せられている。人間関係もあります。私もわざわざ都から呼んでいた禅の導師もいました。そういった手前、『今日からキリシタンになりましたので、はい、さようなら』とも言えないのですよ。日本では。親類の手前とかもいろいろありますしな」
それは分かる気がする。いや、本当に分かっていたかどうか分からない。生まれてもの心つく前に洗礼を受けていたという人ばかりで暮らしているのが私の母国であり、自分もその一員なので、長じてから改宗する人の気持ちを今一つ理解してあげられないでいた。
「まあ、そういった身辺整理とでもいいましょうか、これが案外時間がかかるのです」
「一つ聞いたのですが、その柵の一つに、あなたには信仰に非常に障害となる奥方がおられたのでは」
「ああ、あれ? 離縁しましたよ。あそこまで頭が頑固だと、致し方ないすね。なにしろ奈多八幡宮の大宮司の娘、つまり神に仕える神官の娘ですから。私がキリシタンになったら、実家の手前ということもあるでしょう。」
ドン・フランシスコはさらりと言う。
「まあ、そのことは聞いてはおりますが。ただ、その時、バテレン・カブラルはどう言いましたか?」
「カブラル先生がどう言われたかよりも先に、実は私の方からカブラル先生には尋ねたのです。彼女の責め苦のせいで私は病床に就き、弱り果てた状態にもなっているのに耐えかねて離縁を考えているのだが、福音書のみ言葉が私の決意を鈍らせていると。それについてどうお考えかと」
「み言葉とは、もしかして」
「はい。『開闢の初めより、人を男と女とに造り給へり。斯かる故に人はその父母を離れて、二人のもの一体となるべし。然ればはや二人にはあらず、一体なり。この故に神の合はせ給ふものは、人これを離すべからず』という、キリストのみ言葉です」
「で、バテレン・カブラルは?」
「はい、カブラル様は、福音書にはしかしこうも書いてあると言われました。すなわち、『もし右の目、汝を躓かせば、抉り出して棄てよ。五体の一つ滅びて、全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり』と、これもキリストのみ言葉だ、と」
私は、思わず首を傾げた。
「何か、違う!」
最初はポルトガル語で言いかけたがすぐに呑みこんで、ささやくようにイタリア語でヴァリニャーノ師にそう言った。ヴァリニャーノ師も私を見て、黙ってうなずいていた。
イエズス様が「えぐり出して棄てるべき」と言われた右の眼を信仰に反対する妻であるとし、「それを棄てよ」というのを離縁せよという意味にこじつけるのはいささか乱暴ではないかと思ったのだ。
どうもカブラル師のテキストの読みは、自分の工場に水を引く感がある。だが、さすがにそこまでは、若輩の私にはおこがましくて、たとえイタリア語でも口に出せなかった。
だが、その時まで通訳に徹していたフロイス師が、ヴァリニャーノ師を見てポルトガル語で言った。
「あの時のジェザベルは、本当にすごかったのですよ。まさしく悪魔の形相で、あのままではドン・フランシスコはジェザベルに殺されていました」
そのフロイス師の言葉はまだ終わっていなかったが、それを単なる通訳だと思っていたらしいドン・フランシスコはかまわずに話を進めた。
「そこで私はこの臼杵の城をひそかに出て、そして今の妻のジュリアと共に暮らし始めたのです。カブラル先生は、妻に喜んで洗礼を授けてくれました。ただそこで、困った問題があると先生は言われ始めました」
「離婚のことですか」
「いえ、その当時、私はまだ洗礼を受けていませんでしたから、教会の法度に縛られることはなかった。そして、今の妻の洗礼にもカブラル先生は大喜びでした。しかし、もし私が今の妻と再婚して、その後で洗礼を受けるということになれば、洗礼の前に元の妻との結婚がもともと無効であったということを証明しないといけないとのことでした。そうせずに今の妻と結婚すれば、それは重婚ということになって大罪になると」
たしかに、それでは姦淫とみなされて十戒にも背く大罪になる。
「でも私は、洗礼を受け、今の妻との結婚生活も続けております。カブラル先生は、私が今の妻ジュリアと死ぬまで共にいて決して離れないという強い意志と断固たる決意があればよいと言ってくださいました。それで、私は許されたのですね」
ヴァリニャーノ師は、少し考えてから言った。
「許すとか許さないとかは我われの権限ではなく、天の御父の『天主』がお決めになることです。私どもの立場としては、これはご子息にも言ったことですが、教会は決して裁くためではなく人を救うためにあるということを堅持するだけです」
「ありがとうございます」
ドン・フランシスコは年配ながらも、その目にうっすらと涙を浮かべているようだった。
「婚姻の問題は、この国の慣習からいってもバテレン様方の宣教にかなり大きな支障になっているでしょう。先ほど大きな問題点を二点あげましたけれど、もう一点追加ですな。息子の時も、それが問題となりましたから」
「いわゆる、側室のことですね」
「庶民だとそういう問題はないのですけれど、大名を対象に教えを説くとなると、まずは解決しなければならない重要な問題として行く手を阻むことでしょう。キリシタンは一人の妻しか認めないけれど、この国の大名は多くの側室を持つのが慣例です。しかしそれは決して姦淫のためではなく、大名にとって最重要事項は世継ぎを設けて家名を存続させることにあり、そのためです。だから、どうしても多くの側室が必要となる」
「その事情は分かります。しかし、洗礼を受けるということになれば、お世継ぎの問題はもう『天主』にお任せ頂くしかない」
「わかります。私は理解しておりますが、今後ともこれは難しい問題ですぞ」
そう言って、ドン・フランシスコは少し笑った。
3
離婚や側室の問題はとりあえずそれで置いておいて、ドン・フランシスコは口調を変えて、違う話題に入っていった。
「ご存じのとおり、私は洗礼を受けた直後、すなわち二年前に薩摩の島津義久と耳川で戦って大敗を喫しました。それまではすべてが順調にいっていたのに、私がキリシタンになった途端に手のひらを返したようなこの逆境になったのです。だから、私の周囲の者は皆異口同音に、『それ見たことか』とか『天罰が下った』とか言ったものです。耳川の大敗は、私が神や仏を棄ててキリシタンになったことに対する神仏の罰であると言うのですね。でも、私はそうは思わなかった。この大敗は私がキリシタンになったがゆえに、『天主』がお与えくださった試練でもあり、またよろこびでもあったと。『天主』にすがることを決意した私の汚れた魂を洗い浄めるための贖いであり、罪びとである私を憐れみ、罪から解放してくださった。それはキリストの大いなる贖いの業の恵みに、私をも与らせてくださったに他ならない。そして、この大友家の大掃除でもあったわけです。この戦いで重臣たちが何人も戦死しましたけれど、その多くは私がキリシタンになることや教会にとっても大いに敵となり得るような人たちばかりだったのです。もしあの戦がなく、かの者たちが生きていたら、豊後における今の教会の発展はあり得なかったかもしれない。天地の創造主である『天主』の偉大なる叡智によればおできにならないことはないし、またその天地創造のみぎりに『天主』はすべてを『善し』とされたように、すべては『善一途』であって悪し悪ろしと見えることも一切善くなるための変化あるのみ、ですな」
私は感銘のあまり、言葉も出なかった。この遠い遠い東の果ての国にも、こんなにも熱い信仰を持つ領主がいる。これでは、むしろ我われの方が恥ずかしくなるくらいだ。
ヴァリニャーノ師はフロイス師に通訳を頼んで、さらに話し始めた。
「本当に、いろいろありましたね。我われ教会も、この豊後では、いやもっと前から都においても本当に筆舌に尽くしがたい苦しみを味わってきましたけれど、その総てが『天主』の愛による試練だったのですね。試練とはそれを試練として感謝で乗り越えれば大きな恵みと栄光に至りますけれど、ただつらい、苦しいと不平のみを言っていたら、それはただの不幸現象で終わってしまいます。『天主』はその人が乗り越えられないような試練は決してお与えになることはありません。使徒パウロの書簡にも『天主は真なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試練に遭はせ給はず』とあります。また、使徒ヤコブの書簡にも『汝ら色様な試練に遭ふ時、ただこれを歓喜とせよ。試練に耐ふる者は幸福なり。これを善しとせらるる時は、主の己を愛する者に、約束し給いし生命の冠を受くべければなり』とあります」
実際は途中何度か切って通訳してもらっていたのだが、それを聞きながらドン・フランシスコは何度もうなずいていた。
そして話題を変え、ヴァリニャーノ師は言った。
「あさっては何の日かご存知ですか?」
「あさって……はて、八月の二十六日ですな、たしか」
「はい。しかし、我われの暦では10月4日、つまりあなた様の霊名の祝日、アッシジの聖フランシスコの祝日です。ですから、それを祝って、日曜ではありませんが盛大にミサを執り行いたいと思っております」
「それはかたじけない。ただ、もう私はこの城を下りて教会へ行くのはかなり難儀でして。若い頃は、まだ府内にしか教会がなかった頃は、ミサのために毎週府内まで行っていたものですけれども、年には勝てませんな」
ドン・フランシスコは笑った。
「何をおっしゃいますか。私より二歳年上なだけでございましょう」
このフロイス師の言葉に、私は驚いた。ドン・フランシスコは実はもっと老人だと思っていた。そうなると、実は五十代になったばかりということになる。頭髪がなく、立派な鼻髭と顎髭から、老人の風格を感じてしまったのかもしれない。
さらにヴァリニャーノ師は言った。
「大丈夫。我われの方から、このお城に参ります。お部屋をお貸しくだされば、そこでミサを行います」
「そうですか。それはありがたい。今教会にいるバテレン様方はすべてお招き致しますので、全員で来てくださいよ。カブラル様も」
「はい。実はバテレン・カブラルにとっても、同じく霊名の祝日ですから」
「そうでしたか。私の霊名は、あのフランシスコ・ザビエル様にあやかってと」
「まあ、そういうことでおつけになられたのでしょうけれど、しかしバテレン・ザビエルは聖人ではありませんので、あくまでフランシスコという霊名はアッシジの聖フランシスコという聖人から頂いたものということになります」
ヴァリニャーノ師はいたずらげに笑った。
そのあと、ドン・フランシスコは天守に登ろうと言いだした。天守とは、城でいちばん高い建物だ。この城の場合、天守は三階建てだった。
フロイス師は何度も登っているからと辞退し、我われいつもの四人だけがドン・フランシスコに直々に案内されて天守へと向かった。
天守は屋敷の玄関を出てからすぐのところで、一階建ての屋敷のほかの建物――これを櫓という――が二階建てなのに対しこれだけ三階建てというだけで、それほど大きなものではなかった。
中は木の柱と板敷きの何も使っていないと思われるような部屋があるだけで、案内されて急な木の階段を上った。そして同じような部屋があるだけの二階を通って三階に上がっても、やはり何もない板敷の部屋があるだけだった。
「どうぞ、外をごらんなさい」
ドン・フランシスコに促されて我われは立ったまま各自、壁にある窓から外を見た。
絶景だった。
細長い地形の根元で陸地につながっているとはいえ、実質上ここは島である。当然のこと三方は海に囲まれているわけだが、大きな湾のいちばん奥にあるため二つの側面からの景色は、海の向こうに山が乗る岬が横たわる。
我われは互いに時々位置を変えて、あらゆる方向を見た。湾の外側、つまり臼杵の町とは反対側に向かう窓からは外海の水平線が見えたが、その前に目を引くのは、お椀を伏せたよう小さな緑の島が遠くに見えることだった。まるで緑の球が海に半分浮いているかのように、海の中から盛り上がっている。
その向こうにもはるか遠くに小さな島影が見え、さらにはるか海上は水平線のようであって、実はうっすらとした別の陸地が横わわっているのも見えた。
「向こうの陸地はもはや九州ではなく、四国の伊予です」
ドン・フランシスコは説明してくれる。
一通り景色を満喫した後、ヴァリニャーノ師がドン・フランシスコのそばにきた。
「ところで、少し話があります」
フロイス師がいないので、今はトスカネロ兄が通訳だ。
「では、また戻りますか?」
「いえ、ここで。バテレン・フロイスがいない方がいい」
それを聞いて、私にはピンときた。カブラル師の話だろう。フロイス師がいると、話の内容がカブラル師の耳に入ってしまう確率は高い。
「実はバテレン・カブラルは日本の布教長を辞めるといいました。布教長とは、日本にいるバテレンのいちばん上の位です」
「おお」
ドン・フランシスコは少し驚いた顔をした。二人はそのまま立ち話を続け、私やほかの二人も思い思いの所に立っていた。
「今はまだ、次の人が決まっていません。決まるまではしばらくバテレン・カブラルは日本にいますが」
「あの方が、お国に帰ってしまうのですか」
「国に帰るかどうかは分かりませんが、とにかくは日本から離れます」
「そうですか」
ドン・フランシスコとしては複雑な思いがあるようだった。
「私はあの方から洗礼を受けたし、最初の出会いはザビエル様を通してであったとしても、私を直接にキリストの道へと導いてくださったのもカブラル様でした。それは少し、さびしいことですな」
「たしかにあの方の功績は大きい。あなた様をキリシタンに導いたことも、この豊後にこれだけの数のキリシタンが増えたことも、あの方の功績だ。日本では何度も命を落とす寸前までのいろいろな目に遭って、それを乗り越えてこられた方でもあります。しかし、あの方の日本に対する、日本人に対する考え方は、私とはどうしても合わない。宣教のやり方も私とは正反対なのです」
ドン・フランシスコは、初めて聞かされる内容に戸惑っている様子だった。私も、なぜここでヴァリニャーノ師は我われの内情を隠居したとはいえまだまだ実質上の領主=殿であるドン・フランシスコに話してしまうのか不思議だった。その様子をヴァリニャーノ師も察したらしい。
「まあ、いずれは分かることだし、その時になってドン・フランシスコが驚かないようにね」
師はそう我われにポルトガル語で言った。
「たしかにあの方は怖かった」
ドン・フランシスコも口を開いた。
「些細なことでも許さない厳しいところがありました。時には窮屈でしたし、きつく言われることもありました。それもこれも、我われを思うてくれての御大切のゆえかと思うておりました」
「あの人の愛は本物です。しかし、やり方が間違っている。そしてこれからは、このままのやり方ではだめなのです。そこのところをご理解いただきたくて、お話ししました。引き留めまして申しわけありません。しかしキリシタンの教えは厳しいだけではありません。先ほどお屋敷でも言いましたけれど、教会は人びとを救うためのもので、裁くためのものではありませんから」
そしてヴァリニャーノ師は、にっこりと笑った。
4
翌日、城の方でもミサの準備が進んでいるということで、祭壇設営に必要な道具や、ミサで使う聖具などを修道士に城へと搬入させた。
そして迎えた当日。天気はよく晴れていた。
カブラル師とフロイス師、ヴァリニャーノ師はじめ私とメシア師、トスカネロ兄、府内教会のフィゲイレド師、ラモン師、さらには臼杵教会のラベロ師とアントニーノ師、そして野津教会のモンデ師と、このメンブロで城へと上がった。ほかにも若干の留守番を残して、ほとんどの修道士もミサに参列するため登城した。
ミサを上げる聖堂の代わりとして借りた広間には、もう美しい飾りが施されていた。
この日の司式はヴァリニャーノ師で、アッシジの聖フランシスコを偲んだ。当然のこと、ドン・フランシスコも今の妻のジュリアと共に参列した。また、城内のドン・フランシスコの家臣で信徒である武士も女中も皆ミサに与った。
司式司祭のヴァリニャーノ師の祭服は特にきらびやかで、ここでもミサ中に教会から連れてきた聖歌隊による聖歌の合唱があった。
ミサの後、ドン・フランシスコは我われ司祭たちを酒肴でもてなしてくれた。事前にヴァリニャーノ師がドン・フランシスコにはカブラル師に関することを聞いたことは口止めしておいたので、ドン・フランシスコはこれまで通りカブラル師とも打ち解けて談笑していた。
宴は大広間で行われた。大きな食卓はなく、床の上に列をなして座ったそれぞれの前に一人分の小さな膳が据えられ、食事はその上に乗っていた。この、一人ひとり別々の食膳というのが珍しくも奇妙であった。
宴も終わりの頃、ドン・フランシスコは立ち上がってヴァリニャーノ師の背後にかがみ、何か耳打ちしていた。そして立ち上がって宴の間より出ていく。ヴァリニャーノ師もすぐに立ってメシア師、トスカネロ兄、そして私に目配せだけで一緒に来るようにと促した。
何ごとかといぶかしく思いながらも私も立ち、襖が開けられた方へ歩いていく時、カブラル師の背後を通る形になった。カブラル師は振り向く形で私を見上げた。
「ああ、あの狭い部屋に閉じ込められるのですな。お気の毒に」
そんな謎めいたことを言ってから、カブラル師はにやりと笑った。
廊下に出ると、我われを待っていたドン・フランシスコは、我われを先導してゆっくり歩き出した。そしてある部屋の前で、小さな扉を横に開けた。先ほどの宴の間から遠くはなく、宴の席の談笑の声がここにも聞こえる。
扉は背丈ほどの高さはなく、胸くらいまでしか高さのない入り口だった。
「どうぞ、こちらへ」
そう言って先にドン・フランシスコが入った。まずヴァリニャーノ師がそれに続いたが、私はまさかと思いながらもどうしても警戒心を持たずにはいられなかった。
最後に入ると、部屋はもうろうそくの明かりで照らされていた。ろうそくは紙でできた四角い囲いの中にあり、直接に光が当たらないようになっていた。
本当に狭い部屋だった。奥の床の間の上には何のきらびやかな装飾もなく、この国の文字が一文字書かれた壁掛けとその下に小さな花瓶に一輪だけの小さな花が置かれているだけだった。それなのに全体的に清潔さが漂い、そのセンプリチェさが余計に「何もない」という美しさを醸し出していた。
まずドン・フランシスコが床の間の前に座った。それから我々を促した。
「どうぞ、お座りなさい」
我われ四人が座るともうそれで部屋はいっぱいで、かなり窮屈でもあった。ドン・フランシスコの脇には囲炉裏があって鉄瓶で湯が沸かされている。我われはとにかく物珍しくて、きょろきょろと室内を見回し続けていた。
「皆さんは初めてですな。ここは茶室といいまして、これから茶の湯をふるまわせて頂きます。これが、客人をおもてなしするのに最高の振る舞いなのです」
つまり、我われはドン・フランシスコにとって最高の客人ということになるのだろうか?
「これから茶を立てます。順番におあがりください」
ドン・フランシスコは陶器の器に緑の粉を入れ、柄杓で鉄瓶から湯を汲んで器に入れた。器は丼くらいの大きなものだった。湯を入れてから毛の生えたスパーツォラのようなもので手際よく混ぜて、その器をヴァリニャーノ師の前に置いて、ドン・フランシスコは頭を下げた。
つられてヴァリニャーノ師も同じように両手をついて日本式のお辞儀をすると、ドン・フランシスコは言った。
「茶です。どうぞおあがりください」
その後も細かい作法をドン・フランシスコは教えてくれて、我われはその通りにやった。メシア師の次に私の番だった。
茶というので我われのテのようなものかと思ったら全然違って緑色の液体であり、かなりクレモーゾでもあった。ただ飲んでみると、味は砂糖を入れないテとあまり変わらなかった
一通り茶を飲んでから、ドン・フランシスコはさりげなく言った。
「明日は私も出陣です。息子の包囲する安岐城へまいり、息子を支援したいと思っております」
それからもう一巡、茶は回された。
「バテレン・カブラルもこの部屋に来たことは?」
ヴァリニャーノ師が聞くと、ドン・フランシスコは少し苦笑を浮かべた。
「最初にお誘いしたのがもう何年も前ですけれど、あの方は断固として部屋に入ろうともしませんでしたよ」
たしかに、あの人ならそうだろう。異教徒の儀式とでも思ったのだろうか。しかし、この茶の会は宗教とは全く違う日本の文化である。カブラル師は何を毛嫌いしているのか……最初に私はそう思ったが、カブラル師のことだ。日本の伝統文化がことごとくお気に召さないのだろう。
「この部屋お入り口はわざと低く作ってあります。そうすると入る時にどうしても頭を下げることになります。ここで尊大な心、傲慢な心をぬぐい去って、下座の心でこの部屋には入ることになります」
ドン・フランシスコはそれからも延々とこの茶の会について語り、また先ほどの器を見せて、それがいかに高価なものかということを自慢げに説明していた。




