後
「静かにして」
できるよね、と言われ、芽衣は素直に頷いた。
教室のドアの前に人の気配を感じて、彼女は息をのむ。
「優斗先輩」
そこにいますか、と可愛らしい声がして、芽衣はきつく唇を噛み締めた。
「凛ちゃん?」
「はい」
部活のことで少しいいですか、と控え目な声がして、芽衣は今すぐ、この場から立ち去りたい思いに駆られる。
今までなら、彼女の声が聞こえるだけで安心した。
凛がそばにいてくれるだけで、芽衣は心強かったから。
でも、今は違う。
自分の息をする音さえ凛に気づかれたくなくて、芽衣は優斗の背中に顔を埋める。
今、この状況を凛には見られたくない。
そんな考えばかりが芽衣の頭を駆け巡る。
そんな芽衣の気持ちに優斗も気づいたのか、微かに頷いた。
「ごめん、ちょっと今、立て込んでて」
後でもいいかな、と言う優斗の声に凛も慌てたようだった。
「す、すみません。急に来たりして」
また後で、と言う凛に優斗は頷く。
「ありがとう、凛ちゃん」
「いいえ、では後で」
失礼します、と言う凛の声がしたかと思うと、すぐに彼女の足音が遠のいた。
廊下に響く足音が聞こえなくなると、ようやく芽衣は彼から離れる。
「これで良かった?」
「……うん」
優斗の言葉に頷きながらも、芽衣の表情は浮かないまま、そっと息を吐くと、彼は怪訝そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「芽衣?」
「……何でもない」
大丈夫、気にしないで、そう言うと、芽衣は優斗の胸に顔を埋める。
その小さな背に腕を回し、優斗は彼女をそっと抱きしめた。
芽衣は優斗が好きだ。
そして、凛も彼を好きなのだろう。
小さな頃から一緒に過ごしてきたのだ。
それぐらい彼女を見ていれば、わかる。
だから、優斗への想いを、彼と付き合っている事を、まだ芽衣は凛に言えないままでいる。
それがどんなに卑怯な事だとわかっていても。
自分を見つめる優斗の視線に気づき、芽衣が顔を上げれば、彼は笑って、口づけてくれた。
その事を嬉しく思いながらも、芽衣はそっと目を伏せる。
そんな彼女の脳裏に浮かぶのは、大切な幼なじみの姿だった。
……同じものを見て育ち、何をするのも一緒だった。
いつだって一緒に笑っていた。
それがずっと続くのだと信じて疑いもしなかったのに。
……まさか同じ人を好きになるとは思っていなかった。
彼女に隠し事を、嘘を吐くにようになる自分なんて、芽衣は想像もした事がなかった。
今も彼女が芽衣にとって大切な幼なじみである事に変わりはないけれど。
何故だか寂しいと思えて、芽衣は小さく笑った。
END




