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4. The Clicker.

 ジオとラカシアは道があやふやになる度に相談し合いながら先に進んできた。方角は大きく間違えていないだろう。


 道のはじにいた男達が立ち上がった。みな髪は根元が白く、油で固めたように房になっている。見える肌は垢で黒い。繊維になるまでほどけた袖は左右で長さが違う。定住地を持たない浮浪者だと一目でわかった。それが、三人も立ちはだかっている。


「なぁ、クリッカー持ってんだろ?」


 にへ、と開いた口からは歯がいくつも溶け抜けた隙間が目立った。話し方は若いのに、肌に張りもなく見た目は荒み正確な年齢をわかりづらくさせている。


 ラカシアは無意識に一歩退がったが、ジオは前へ進み出た。自分の得物に手を添えるのを忘れずに。


「そんなもの俺たちが持ってるわけないだろ。見るからにお前ら薬物中毒(アディクション)だな」


「今日のこの時間に通る奴が運び人だって聞いたんだ。金なら払うから、分けてくれよォ」


 紫の斑点の浮かぶ腕は大きな荷物を背負うラカシアを目指してくる。ふらふらしているわりに素早くて、反応が遅れてしまった。ぎゅっと身を竦ませる。細まった喉からは空気も出ない。


「ラカシア、走れ」


 歩いて来た道をジオが指差していた。彼が目で捉えているのは、話しかけた男ではなく毛皮に覆われる澱んだ闇だった。闇は中毒者の背後に迫ってきている。


 毛皮を着ているのに、獣とは明らかに違う。ゾッと背中が気持ち悪くなった。普段あるのかどうかもわからない本能が、警告を出している。足の力が抜けた。倒れ込む前に、足を意地で動かして遠くへ離れた。


「……あれって」


 イビル・ペルト・カバートと呼ばれる魔の力に満ちた土地からやって来た存在。闇の毛皮(イビル・ペルト)が潜む場所(・カバート)は現在、聖女の一族の監視下にあるが、完全に魔を抑えきれてはいない。強大な魔物は目立つし聖女たちが捕らえているが、比較的弱いものは数が多くその牢獄をすり抜ける。弱いとはいっても、戦う訓練を受けてもいない人間では武器を持っても敵わない強さだから、ジオのような雇われ護衛が世界中で活躍している。


「魔物だ。できるだけ距離を取れ」


 ジオが剣を抜く。中毒者の男ひとりを踏み台にした魔物が飛び上がった。一息に黒い腹を突き刺して振り抜く。そこでラカシアは視界を閉じた。


「いぎゃあ!」

「ふぐっ……」

「げぇっ!」


 重いものが地面に落ちる音がした。魔物も薬物男達も、倒れて動かない。


「逃げればよかったのに。こいつら、頭に溜まった血を薬ごと抜いたら正気に戻るだろうか」


 恐怖の極まったラカシアが目を瞑っている間に、ジオは魔物にとどめを刺していた。男らは無傷で呼吸をしている。


「なにかされる前でしたし、勘弁してあげてください……」


「そうか。先もあるしな」


 縛り上げ、三人を木の影に転がしたのはせめてもの温情だった。見慣れない記号が描かれた札を腕の隙間、縄に挟み込んで、発煙筒に火をつけた。天に一線がのぼる。


「これでギルドの職員が後処理してくれる。

 行くぞ」


「……魔物はあれで大丈夫ですか?」


「いくら魔物でも蘇ることはない」


 振り返っても、男共は意識を無くしたままだ。もしあれがラカシアだったとして、起きて魔物が寄り添っていたら、それが息絶えていたとしても怯えてしまいそうだ。



 魔物でなくとも、ああいう輩はいた。父やザカリーから襲われた話を聞いたことがある。原因はラカシアがいま背負う荷物。隙のなさそうな父と長らく護衛を務めているザカリーの組み合わせでは諦める者もあろうが、今回は距離感のある若い男女とあって甘く見られていた。それで接近を許してしまった。


「あの、言っておかなきゃいけないことがあります」


「なんだ?」


 怒りでも不愉快でもなかった。純粋な疑問形で、ジオは静かにラカシアの続きを待っている。


「私……『クリッカー』、持ってるんです」


「……いや、クリッカーって有害指定薬物だぞ、知ってるか?」


 ジオの足が止まりラカシアを振り返った。

 裏世界に縁のなさそうな女性に知識があることが信じられない様子だ。冒険者として歩き回れば中毒者を見かけることもあるし、世界を回っていれば裏道で薬を売りつけられそうになったこともあるだろう。そしてラカシアもジオと同程度、薬の存在、その名前の由来にも通じている。クリッカーとは、意識消失(トリップ)する前にカチリカチリとクリック音の幻聴がすることから付けられた名だ。


「知ってます。運んでいる荷物がそうです。正式にはプレポステロンという薬剤で、脳関連の病の特効薬です。精製の仕方によって、脳を破壊する危険な麻薬になります。厳密には原材料ですけど。これを使ったって、効果はないのに。そうと知らず狙ってくる人間がいるので……」


 精製の仕方を知っているのでない限り、プレポステロンを煮ても焼いても望むものは得られない。


「それでさして遠くない町へ配達に行くのに護衛が要るのか」


 魔物の心配もさることながら、ラカシアの背中にある品の商品価値は高い。護衛を必要としたのは先ほどのように、襲われる危険性を考慮してのこと。地元アレンサールの町中は安全だが、森や山を挟んだ町と町との間の治安は保証されない。


「ちゃんとお伝えしてなくて……」


「いい、荷物の中身など知らなくても、丸ごと道中のきみの無事を確保することが俺の仕事だ」


「それじゃあ……このままグレイキーまで行ってくれますか?」


「もちろん、最後まで引き受けた責任を全うする。アレンサールに帰すまで油断はしない」


 影で誰か見ていたのかもしれない。これ以降道中に他の中毒者が割り込んでくることはなかった。先の件はただの偶然なのか。


「あの、商品じゃない薬も一応持ち歩いてて。何かあったらジオさんも遠慮なく使ってください」


 軽い怪我をしたり気分が悪くなったときの応急処置に使えるものを、ひとつずつ手にしながら説明した。


The Clicker.

(クリッカー)



お薬の名前は架空のものです。

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