16. Are you insane?
集中治療室を出て、ラカシアは個室に移った。家族以外の面会も許されると説明を受けたが、一度は命も危ぶまれる状態だったとあって、安静を申しつけられている。気を遣ってかその他を代表してひとりだが、友人も見舞いに来てくれて、気は紛れている。
父と母は、寂しくないようにとリロ・バウ・ワウに似たクッションを持ち込んできた。丸くって、白くて、毛が長い。ふわふわに囲まれながら、ラカシアは本を読み、たまに寝落ちしてしまう。腕の痛みもあるし点滴はしているが、自分の足で短距離を歩けるくらいにはなった。
ドアのノックに入室を促す。誰か点滴の減り具合を見にきた。でなければ痛み止めの飲み薬を持ってきた。いずれにしても看護師だ。見舞いに来た友人の忘れ物もないし。
「こんにちは、うさぎちゃん」
抱き枕にしていたクッションが滑り落ちていく。床から拾われたクッションは男の手によって戻された。
「ど……どうしてヘナシェさんが」
「友人は面会してもいいんでしょ?」
この男を友だと思ったことはない、だから問題だった。
「ええ、まぁそうですけど。メイシーさんのところには行ったんですか」
「うん、まあね」
ラカシアは恋人の見舞いのついでというわけか。それなら納得できた。嬉しいかは別として。
「あの日ジオを選ばなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに」
嫌味かと思えば、しおらしくしている。少なからず責任を感じているらしかった。受け取りようによっては当時の選択をしたラカシアを責めているようにも聞こえる。ヘナシェやそれ以外の人を護衛としていれば、ラカシアは寄り道しようだなんて誘いもしなかった。誘われても行かなかった。よって虫に刺されることもなかったはず。しかし彼の申し出をつっぱねてジオを選んだのはラカシアだし、過去をどうこう言っても現状が変わることはない。
「もう過ぎたことです」
「うん。ごめん。……それ、痛くない?」
腕にはあの日ついた模様がある。空気に晒しているし、病院内で隠すこともしていないのでヘナシェはすぐ気づいた。
「痛み止めをもらってるので」
「よかった。……かわいいね。似合うよ。いいな」
女の傷痕にふさわしい表現ではないが、ヘナシェは微笑んだ。傷に嫌悪感は持たない性質のようだけれども違和感を覚える。
ーー正気なの?
「これを見てふつうそんな感想出ます?」
生々しい、いまだ傷痕っぽさの残る腕。見舞いに来た友人は目を逸らした。あとは泣きそうにしていた。ラカシアが自分でおしゃれなタトゥー扱いするのは強がっているだけだ。いまよりも薄くなるが、痕は残ると医師から聞かされている。欲しくもないものだが消せないのだからどうにかして受け入れるしかない。とくに、もともと好ましく思っていないヘナシェに笑いながら言われるのは、もってのほかだった。
「だってかわいいよ。いい特徴になる」
言うに事欠いて、特徴とはなんだ。もとが没個性という意味か。ほんとうに、無神経な人だ。
「もういいです」
さすがにラカシアの怒りを感じ取ったのか、重ねて変な方向に褒めることはしなかった。
「疲れてるんだね。早く体調治して。退院したら今度こそデートしようね」
ウィンクつきのお誘いをラカシアは聞き流した。
「お帰りはお気をつけて」
「……ほんとうに。待ってるよ、ラカシア」
ぐっと低い、ふざけた様子のない声で呼ばれて、ぎょっと振り向いた。ヘナシェは「スウィート・ピー」やら「ハニー・バニー」といった妙なあだ名で呼んでばかりだったし、正しい名前なんて覚えていなかった。それがどうして、「ラカシア」だと覚え直してきちんと呼ぶ気になったのだろう。
ヘナシェの訪問などなかったかのように、きっちりドアは閉まっている。残った空気だけが後味が悪い。
Are you insane?
(正気なの?)