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ステンドグラスの瞳

作者: けい
掲載日:2023/08/25

大人な雰囲気()を目指しました。

「…水は、いかがですか?」

「いただきます」


気だるい体を起こしながら発した声は掠れていた。自分でも気付くか気付かないかというその変化に気付いた夫が、申し訳なさそうに瞳を伏せる。


「すみません」

「いえ、大丈夫ですから」


とはいえ、動きは緩慢だし、正直眠たくて仕方がない。水の入ったグラスを両手で持ってこくりこくりと喉を潤す。

満足してグラスを返そうとすると、じっと私を見つめる彼の視線に気付いた。


マリンブルーのその瞳は澄んでいてとても美しいと思う。


けれど彼の瞳を見るたびに、私は教会のステンドグラスを思い浮かべる。

美しいそれは人々を魅了し楽しませるけれど、窓のガラスと違って中を見せてはくれない。

彼の瞳を見るだけでは、その内側は決して分からない。

そして、私の気持ちも、彼には届かない。


「好きです」


グラスを受け取り残りを一気に呷る彼の喉仏を見上げてから、私はその裸の胸に頬を寄せる。

心臓の音が心地よい。

このまま眠ってしまいたい。


「俺も、ですよ」


嬉しいはずなのに、どうして悲しいのだろう。


髪を撫でる手が優しい。

その優しさがたとえ偽りでも甘んじて受け入れてしまう私は、ずるい。


終わりも始まりもない、いつもの一日が、終わる。




◇◇◇◇◇




貴族の娘に生まれた以上、愛のない結婚は覚悟の上だった。

しかしそれは政略に限った話である。

私たちは、政略でも何でもない、贖罪と罪悪感の支配する結婚をした。


私たちが結婚に至った訳は、半年前に遡る。


私、クレアはウィレムス侯爵家の娘だった。兄が一人いて家督を継ぐ必要がなく、花嫁修行として学園に通い、良き友人もでき、卒業まであと少しといったところだった。


その日私は、王家主催のパーティーに参加していた。隣国の王女も招いた大規模なもので、同学年であった王太子とその婚約者の結婚の日取りを発表するために開かれた会だった。

私は王太子の婚約者であるシェリル様と親しくしていて、他の友人と共に歓談していた。

私含め、ほとんどの令嬢が卒業して間を置かずに結婚する。その幸せや不安を楽しく語り合っていた。

ちなみに当時の私には同格の侯爵家令息の婚約者がいた。彼との仲は良くも悪くもなく、これから生活を共にする中で少しずつ歩み寄っていければと考えていた。


そんな最中、事件が起こった。


パーティーの警備は万全だった。

騎士だけでなく魔導士も多く配置され、主役である王太子殿下とシェリル様には専属の護衛も付き添っていた。


それでも、どれほど厳重な警備でも、予期せぬ事態は存在する。


まさか、来賓である隣国の王女の従者がシェリル様の暗殺を目論むとは、誰も思わなかったのだ。


我が国の王太子に恋する我の強い(ワガママともいう)王女と、戦争を起こしたい隣国の過激派が組んでしまった愚かな企みだ。


幸い、シェリル様の暗殺は成功しなかった。異変にいち早く気付いた護衛騎士により阻止され、会場に悲鳴が飛び交う中、刺客の捕縛に騎士と魔導士が動く。

そして、魔導士の一人が刺客に向けて炎魔法を放った。


生き物は本能的に火を恐れる。どれほどの手練れでも目前に炎が現れれば一瞬怯むという。後から聞いた話だが、相手の足止めのために初級でかつ威力を極限まで弱めた火球(ファイアボール)を使うのはよくある手なのだそうだ。


火球は正確に刺客に向かっていった。しかし、相手に当たるよりも先に、刺客が魔法によって引き寄せた人質に当たってしまう。


その人質こそが私だった。


いくら初級で威力が弱くとも炎は炎だ。

右胸に直撃した炎により私は大火傷。服も燃え上がり熱くて痛くて、悲鳴すら出ず、意識を失うことすら出来ないあの地獄の時間は二度と体験したくないし思い出したくもない。


命を落としてもおかしくない状況だったが、刺客は捕らえられ、私は速やかに救助された。

おかげで命は助かったが、胸を中心に広範囲の火傷の痕が残ってしまった。

下は臍のあたりまで、上は右頬に少しかかるくらい。流行りのデコルテを魅せるドレスはもう着られない。頬の火傷は化粧で誤魔化せるが、首の痕がひどいので母どころか祖母の代が好むような襟が首全体を覆う古いデザインのドレスでしか人前に出られない。


婚約は破棄された。


火傷のせいで熱にうなされ寝込む私に元婚約者は冷ややかな目を向けた。


「わざわざ刺客に捕まり人前で肌までさらした愚鈍な女と誰が結婚するものか」


熱のせいで見た悪夢かと思ったが、後で侍女に聞いたところ現実だったらしい。むしろ私が覚えていないだけでもっとひどい言葉を投げられていたという。

「お嬢様は何も悪くないのに」と涙ぐむ侍女に私は何も言えなかった。


元婚約者の言葉は正しい。

事故とはいえ傷物になった令嬢を受け入れてくれるほど貴族社会は甘くない。


父はこの事態に大層憤った。

何の問題もなく片付くはずだった娘が傷物になってしまった。娘よりも息子を愛する父としては兄の足手まといとなるであろう私をどうしてもどこかに嫁がせたかった。


そこで、責任を取れと火球を放った魔導士に詰めよったのだ。


その方こそが現在の私の旦那様であるアラン様だった。


私に火傷を負わせた負い目のあるアラン様は私と結婚を決めた。父の持つ男爵位をもらい、私に婿入りした形になる。

アラン様は平民でありながら実力で王宮魔導士にまで登り詰めた実力者で、その整った顔立ちからファンも多いそうだ。


あれは、ただの事故だった。

誰が悪いかといえば刺客と暗殺を目論んだ隣国の者達で、アラン様は悪くない。

分かっているのに私はこの結婚を受け入れた。


ひどい女だ。


自分の恋のために、アラン様の未来を縛り付けた。

そう、私はアラン様に恋をしている。


ドレスが燃え上がり火に包まれる中、真っ先に私を助けてくれたのはアラン様だった。


『ごめんなさい!必ず、助けます』


生き物は本能的に火を恐れるというのに、アラン様は躊躇なく燃え上がる私に手を伸ばし、抱き締めてくれた。


命の危機だったのに、その優しい腕に恋をするなんてどうかしている。


アラン様には無限の未来があった。


平民だから政略結婚の必要はなく、自由に相手が選べた。

爵位だって父から貰わずとも実力で手に入っただろう。こんな形で男爵位を持てば妬みを買う。

魔導士の仕事だけでなく貴族のマナーなどを学ぶ時間が必要になってしまった。

そして何より、こんな火傷の目立つ醜い私を娶るはめになってしまった。


全部、全部私が断らなかったからだ。

修道院に入ればよかった。もしくは、兄の助けになる何かしらの実力を示せば実家に居座れただろう。

でも、私はそうしなかった。


アラン様が、欲しかったから。


ずるくて、醜くて、こんな妻でアラン様に申し訳ない。


政略ならば割りきれたのに、ただ互いの罪悪感だけが結びつけたこの縁は、歪で、ただただ空しい。

私がどれほど愛を伝えても、きっと、他に行き場のない女が媚びているようにしか聞こえないだろう。


それでも私は想いを伝える。


「好きです」

「俺も、ですよ」


同情で返してくれるアラン様の優しさが嬉しくて、悲しかった。




◇◇◇◇◇




「お帰りなさいませ」

「…こんなに遅くまで待っていなくていいんですよ」


眉を下げて言われたその言葉は、心配してくれているのか、迷惑だと思っているのか。ステンドグラスの瞳は相変わらず夫の考えを隠してしまう。


「私が待っていたかったのです」

「無理は、しないでくださいね」


アラン様はそういうけれど、今の私はやることがないのだ。

爵位はもらったけれど領地はもらっていないので領地経営を考える必要もなく、父から与えられたこの小さな屋敷では女主人の仕事もたいしてない。


実家からついてきてくれた侍女のグレンダから少しずつ家事を教わって、料理以外は私一人で済ませることを目標にしているくらいだ。

ちなみに料理が除外されているのは火傷のトラウマで火を見ると心臓がバクバクと嫌な音を立てて血の気が引いてしまうからだ。


こんなお荷物を押し付けてしまった以上、何か役に立ちたいのに、私には何もない。だから、夜遅くに帰ってくる夫を出迎えるくらい苦でも何でもなかった。


アラン様が、私の髪に触れる。

焼けてしまって男性ほどに短くなってしまったくすんだ金髪は、ようやく肩ほどまで伸びてきた。

毛先をいじる彼の手が私の頬までもくすぐり、私を落ち着かなくさせる。


「…今夜も、いいですか?」


それは、夫婦の営みのお誘い。

私の顔が熱を持つ。恥ずかしくて、アラン様の顔が見れない。私は彼から視線を外した。


「その、何度も言いますが、無理に営みを行わずとも大丈夫ですよ。私のこの体ではご満足いただけないでしょうから。

アラン様ならお相手はいくらでも見つかりましょう」


本当は、嫌だ。

アラン様が他の女性を抱きしめる姿を想像するだけで胸が痛い。

でも、アラン様に申し訳なかった。


望まない結婚なのに、この先火傷だらけの醜い体としか向き合えないのはあんまりだ。もしかしたら私が知らないだけで浮気相手の一人や二人いるのかもしれないけれど。でも、それならばなおさら、彼の好みの女性と自分を比べられたくなかった。


書類上だけでも妻になれた。

私はその事実で満足しなければならないのだ。


それなのに、アラン様はいきなり私を強く抱きしめる。


「妻がいるのに、どうして他を考えなければならないのですか」


そうして、あっという間に唇を塞がれてしまった。

今日の夫はずいぶん荒々しい。


アラン様は優しい人だ。

()()()は痛いものだと聞いた。人によっては痛みがなくなるまで時間がかかるとも。


痛いのは、怖い。

熱くて、痛くて、身体中に火が燃え上がるあの光景を思い出す。


未知への恐怖でどうしても体の震えが止まらない私に、アラン様はゆっくりゆっくり時間をかけてくれた。

確かに痛みはあったけれど、想像していたよりもずっと少なかった。


愛されていると錯覚しそうになるくらい、アラン様は優しい。


口付けに翻弄されている間に私はいつの間にか寝室に運ばれて、ベッドの上にいた。アラン様の手が私の胸元に伸びているのに気付き、私はついその腕に触れてしまう。


「ま、待ってください」

「嫌、ですか?」


じっと私を見て、子首をかしげるその仕草はずるい。マリンブルーの目が、今はほんのり熱が灯っている。


「…嫌じゃ、ないです」


私は、アラン様を拒めない。


私の火傷痕をそっとなぞるアラン様。


アラン様は後悔しているだろう。

のろまな私が捕まったせいでこんな火傷を負って。彼の人生設計は大きく狂ってしまったに違いない。


それでも、私はアラン様を手放せない。

お飾りでも何でもいいから、アラン様の妻でいたい。


「余裕ですね。今ぐらい、俺のことを見てくださいよ」


今ぐらいも何も、私はずっとアラン様しか見ていないのに。

ステンドグラスの瞳は、やっぱり私の気持ちも伝えてくれない。


愛を育む、なんてわけもなく、互いの熱を共有するだけの行為が終わった後、アラン様は早々にベッドから離れてしまった。


熱を失った体は虚しくて、ベッドの上で丸まって自分自身を抱きしめる。

涙が出そうになるのをシーツに顔を押し付けることで我慢した。


「寝て、しまいましたか?」


ギシ、とベッドのスプリングが鳴る音がして顔を上げる。

いつの間にかアラン様が私を覗き込んでいた。ベッドに丸まる子どもみたいな姿を見られてしまって恥ずかしい。


「起き上がれますか?」

「はい」


ゆっくりと体を起こすとアラン様がそっと支えてくれる。

「少し話がしたくて」といいながら隣に座るアラン様。いつの間にか夜着に着替えていて、着崩れたそこからのぞく鎖骨が妙に色っぽかった。


「これから仕事が忙しくなって、今日と同じくらい遅くなる日が増えると思います。だから、無理に待つ必要はありません」


仕事で帰りが遅くなる。

浮気する男性が一番よくつく嘘だという。

もしかしたら先程までの行為はこれから先に行う浮気への罪滅ぼしなのかもしれない。


頭の片隅で疑いつつ、私は従順に「分かりました」と頷いた。


仮にアラン様が浮気をしていたとしても、どこかに愛人がいたとしても、私にはそれを反対する資格などない。

愛のない結婚でそれらはどうしても切り離せないものだと理解している。

しかも私は傷物なのだから、どうしたって彼を引き留められない。


「でも、あと数ヵ月もすれば落ち着きます。そしたら、二人でどこか出掛けませんか?」

「え…?」


私は目をパチクリとさせる。そして、そのまま俯く。


あの事件からこれまで、私はまともに外に出ていない。火傷をさらす勇気も、火傷を隠すような数世代も前の時代遅れな服を着て出歩く勇気も私にはなかったのだ。


ただでさえそうなのに、見目麗しいアラン様の隣を歩くなんて、周りの目が気になる。絶対無理だ。


せっかく誘ってくれているのになんて嫁なのだろう。

ますます申し訳ない。


なんと言葉にすればいいか迷う私の首もとにふわりと何かが巻き付く。


「…?」

「ああ、やっぱりよく似合う」


首もとを見ると、淡い青色のスカーフ。軽いけれど布地は厚めで、私の火傷痕をしっかり隠してくれている。


「これは…?」

「このスカーフをしていれば首もとまで覆うような服を選ばずに済むでしょう?軽量化の魔法と氷魔法を少し付与しているので、長時間つけていても苦にならないはずです」

「アラン様が、選んでくれたのですか?わざわざ付与魔法までかけて」

「はい。こんなもので俺の罪がなくなるとは思っていませんが、あなたが少しでも過ごしやすいようにしたくて」

「あれは、事故です。アラン様は何も悪くありません」

「いいえ。俺の浅慮が招いた失態です」


ぎゅっとスカーフを握りしめる。

ひんやりとするのは氷魔法の効果だろう。

魔法の付与は難しいらしい。魔法自体を使ったことがないのでその難易度はよく分からないが、これほど威力を弱めスカーフ全体に行き渡るような付与は相当高度な魔法だろう。


私のために、用意してくれた。


その事実だけで泣きそうだ。


「アラン様、絶対、絶対大切に使います。ありがとうございます」

「寒くなってきたら暖かくなるように調整しますね。あと、好きな色を、教えてください。いくらでも用意しますから」


ああ、なんて幸せなんだろう。


たとえアラン様に好かれていなかろうと何の問題があるだろうか。


大切な宝物ができた。

しかも、これから増えていくという。


愛を育むことはなくとも、私たちには未来がある。

嬉しいはずなのに、心のどこかが苦しかった。



◇◇◇◇◇



「やっと来てくれたわね」


微笑みながら迎えてくれたのは王太子妃となったシェリル様。

今日は二人きりの私的なお茶会だ。もちろん侍女も護衛騎士も大勢いるけれど、彼らは距離をとっていて私たちの会話までは聞こえない。


久しぶりの王宮だ。

あの事故を思い出して足がすくんでしまったけれど、首もとにひんやりとした風が通り、冷静になることができた。

アラン様のスカーフのおかげだ。


シェリル様には何度か面会を打診されていたけれど、もう私たちは身分が違う。

形だけに近い男爵家夫人の私にとって王太子妃は雲の上の存在だ。それにこの火傷のこともあって会いづらかった。

誘いが私的なものだったのを良いことに、何かと理由をつけて断っていた。


けれど、今回は面会ではなくお茶会。

しかも王家の印籠付き。私的なものでありながら公的なそれと変わらぬ扱いとなるこの誘いはさすがに断れない。

アラン様のスカーフに勇気をもらい、なんとか王宮にやってきたのだ。


本日はお招きいただきありがとうございますと礼を述べ微笑む。

私が真っ先にすべき行動はデビュタント前の子どもでもできるようなシンプルで当たり前のものだ。

しかし、私はそんな常識すらも忘れて呆然としてしまう。


「その髪は…」


シェリル様は流れるような白銀の長髪の持ち主だった。キラキラと輝くそれは光を反射する水面のようで密かに憧れていた。

それなのに、今のシェリル様のお髪は私と同じ、肩ほどの長さしかない。

私のように結い上げて誤魔化すこともせずおろしたままのその短い髪は、お似合いだけれどもたいそう目立った。


シェリル様はおそらく間抜けな顔をしているだろう私の視線に気付き、にっこりと笑った。


「一度短くしてみたかったの。この長さに慣れてしまうともう伸ばすのが億劫になってしまったわ」

「そんな…」


シェリル様はそういうけれど、きっと私を慮っての行動だ。

貴族の女性は長髪でなければならないという決まりはないが、長い髪を隅から隅まで手入れができる経済力を持っているという一つのアピールポイントとなっていて、短髪の女性は論外という共通認識がある。

いくら王太子妃といっても周囲の批判は当然あったはずで、無茶をなさったものだ。


「あなたがこうして来てくれたおかげで、私は友を思いやれる優しい王太子妃様になれるわ」

「王太子妃様…」

「クレア、私たちの立場は変わったけれど、私を護ってくれたあなたを私はかけがえのない友と思っているの。どうか、この場ではいつものように私の名前を呼んでちょうだい」

「シェリル様、私は勝手に捕らえられただけです。あの日シェリル様をお守りしたのは騎士様と魔導士様たちですわ」

「謙虚なのもあなたの魅力ね」


シェリル様が私の手を引いて「お茶を楽しみましょう」と誘ってくださる。

茶目っ気たっぷりのその笑顔は淑女とはほど遠かったけれどシェリル様によく似合っていた。公私の切り替えがはっきりしているのがシェリル様の魅力の一つだ。彼女の公私の『私』に値する存在だと示してくれたのが誇らしい。


久しぶりの再会に、私たちのおしゃべりは止まらなかった。互いに結婚をして環境が変わり、話題がつきない。とはいっても、引きこもっていた私自身の話はそう多くなく、専ら聞き役となっていた。

学園時代の他の友人のことから現在の社交界について、流行りのお菓子や劇、書籍など、シェリル様の見聞は果てしなく広く、小さな屋敷の中という狭い世界で過ごしていた私には眩しかった。


「そういえば、どこぞのお姫サマはご病気でもう社交の場には出られないそうよ」


ハーブティーに口をつけ、その波紋を眺めながらなんてことはない世間話のようにふと落とされた情報。

しかしその内容に自然と私の背筋が伸びた。

私に視線を向け、シェリル様が淡く微笑む。


隣国の王女のことだ。


他国の王太子妃の暗殺を企ててお咎めなしというわけにはいかない。

本来ならば処刑ものだ。


しかし、我が国としても隣国と争いたいわけではない。処刑となれば罪状を公表せねばならず、それは大きな火種となる。

暗殺が未遂で終わったことをいいことに両国の間であの事件はなかったことにされたのだろう。


もちろん、それで白紙になったわけではない。


結果、王女は病気療養という名の生涯幽閉生活となり、おそらく関係者は一族郎党抹殺された。

全て私の推測だけれど、そう大きく外れていないだろう。


「大変重い病で、着飾ることもままならず食事制限もあるとか。静かな場所でゆっくり過ごしていただけたらいいわね」


つまり、豪華なドレスも食事もない質素な生活をしているということ。

我の強い(ワガママ)王女にはなかなか応える罰だろう。しかも静かなところということは世話役は最低限。ワガママを言う相手もいない。

これで少しは性格が落ち着くといいが、どうだろうか。


「それで、あなたにはそれなりの金額が慰謝料として支払われるわ」

「え?」


隣国の王女からいきなり自身の話になって私は目をぱちくりとさせる。


「いろいろと国に有利な条件を提示してもよかったのだけれど、変に逆恨みされても困るから、ほどほどにする代わりあなたへのお金は奮発してもらったの。殿下の交渉術、あなたに見せてあげたかったわ。我が夫ながら見事なものよ」


金額を聞くと二世代は遊んで暮らせるような大金だ。あまりに高額すぎてクラクラしてきた。


王太子殿下はかなり優秀な方だ。そしてシェリル様を溺愛といっても差し支えないくらいには愛していらっしゃる。

シェリル様のためならばそれはもう容赦などしないだろう。


正直、私が一方的にシェリル様をお慕いしているだけだと思っていたので、ここまでご厚意をいただいて、私の胸は熱くなる。


「ありがとうございます」

「あら、あなたにそんな傷を負わせてしまったのだもの。当然のことよ。もしも私が死んでいたらこんなものじゃ済まなかったわ。

個人の感情としては戦の一つや二つしてやりたいところだけれども民を思えばそんなことできないもの。クレアのことを一番に考えてあげられなくてごめんなさいね」

「そんな。当たり前じゃないですか。私はただの男爵夫人です。シェリル様とは立場が違いすぎます」

「そうね。だから、私はあなたを特別扱いはできないわ。でもどうか覚えていて。クレアは私にとって大切な友人なの。今までも、これからもずっとね」


微笑むシェリル様は美しい。

私は我慢できずにホロリと涙がこぼれてしまった。慌ててナプキンで拭き取る。


「ところで、クレア、好みが変わったのね」

「へ?」


私とシェリル様はほとんど好き嫌いがないけれど、シェリル様は果実の入ったお菓子が好きで、私はナッツの入ったお菓子が好きと、好みが分かれていた。

お菓子の取り合いにならなくていいなんて冗談交じりに笑いあった学生時代が懐かしい。


でも、今の私はどうだろうか。


目の前には何種類ものお菓子が並んでいる。

お茶会と銘打っていても食べたり飲んだりよりは話をするのがメインなため、そのお菓子を全て食べるのは不可能だ。

自然と、好みのものだけ口に運ぶようになる。


今回私が選んでいたのはアップルパイにドライフルーツ、そしてジャムつきのスコーンなど、シェリル様好みのものばかりだ。

完全に無意識だった。

それに思い返せば失礼にならない程度だっただろうがいつもよりも食べる量が多い。

そういえば、最近食欲が増していたような。


「クレア、妊娠したの?」

「!!」


目を輝かせてのシェリル様の言葉に私は頭が真っ白になった。


最後に月のモノが来たのはいつだっただろうか。

あの事件以来、体調不良やストレスからか周期が乱れていた。最近では数ヶ月来ていないのも当たり前だったので特に気にしていなかった。

むしろこの火傷だらけの身体で妊娠ができるのか疑問に思っていた。


そういう意味でも、私は貴族の女性として致命的だったのだ。

子を産むことこそが最大の義務なのだから。


「その様子だと、調べていないようね。ねえ、医者を呼んできてちょうだい」

「シェリル様、自分で手配いたします」


背後の侍女に声をかけ始めたシェリル様を慌てて止める。

本音としては今すぐ医者に診てもらいたいけれど、わざわざ王宮に配属されている方を呼んでもらうほどの価値は私にない。


それなのに、シェリル様は止まらない。


「これも何かの縁よ。それに、乳母候補が現れたのだもの。丁重に扱わないとね」


楽しそうなシェリル様と裏腹に、私は血の気の引いた顔で腹部のあたりでドレスを握りしめていた。




◇◇◇◇◇




カタン


扉の開く音がする。

たいして大きくないそれは、静まり返った室内で妙に響き、思わず肩が跳ねた。


アラン様が、帰ってきた。


私は一度服を握りしめてから椅子から立ち上がる。


もうすぐ日付が変わる時間だ。

いつもならば待たずに寝てしまっている。待っていても申し訳なさそうな顔をさせてしまうだけだから。

朝だけは早く起きて見送りをするようにしているが、それだっていつの間にか出てしまっていることもあり、このところすれ違いの生活を送っていた。


それでも、今日だけは、どうしても会いたかった。

会って、話すことがたくさんあった。


きっと、狡くて意気地無しで、どうしようもない私の背中を押すために、この子は私のもとに来てくれたのだ。


アラン様に会う前に、まだ膨らみのない下腹部を一撫でした。


「起きて、いたのですか?」


私を見て、目を丸くするアラン様。

その目元には分厚い隈が張り付いている。

急な仕事がない限り明日は休みのはずだ。お疲れのところ申し訳ないが、少しだけ、時間をとってもらおう。


「お話があるんです。座って、私の話を聞いてくださいますか?」

「ええ、もちろん」

「こういう時、飲み物でも用意できたらいいのですが」


どこまでもでき損ないな自分に苦笑しか出ない。

冷え込むこんな夜中には温かい飲み物があるといいだろうけれど、私は火を使えないからそんな気遣いすらできない。


「いや、それくらい俺がやります。水を沸騰させるくらい、魔法であっという間にできますから」


そのまま本当に実行しようとするアラン様を止めて席に着くよう促す。ただでさえ疲れているところを魔法など使わせたくない。


アラン様が椅子に座ったのを確認してから私は口を開く。

少しだけ、唇が震えた。


「こどもが、できました」

「は?」


ポカンと口を開けて、目を大きく見開くアラン様。

少しは、喜んでくれるだろうか。たとえ好いていない相手との間だったとしても自分の血を引く子どもができたのだ。

それとも、それすら疑われてしまうだろうか。誰の子だと問われてしまえばさすがに正気を失ってしまう。


アラン様の表情から驚愕の心しか窺えないまま、ガタ、とアラン様が勢いよく立ち上がったため顔が見えなくなる。


瞬間移動でもしたのかと疑いたくなるほど瞬時に私の背後にまわったアラン様が上着を脱いで私の肩にかけた。


「妊婦がこんな遅くまで起きてるなんて。しかもこんな薄着で体が冷えたらどうするんですか。体調は大丈夫ですか?つわりは?」


常にない早口。

真剣な表情。


ああ、やはり私はこの人が好きだ。


だから、終わりにしよう。


「大丈夫です」

「あなたは無理をしがちだ。明日にでも住み込みのメイドを雇って、」

「アラン様」


ただ好きというそれだけで、縛り付けてしまった私の夫。

傲慢でずるい私に未来を奪われた哀れな人。


私もこれから母親になるのだ。

子どもの前で、正しい存在でありたい。


「大丈夫です」


にっこりと微笑む。

あなたにとっての最後の私は、綺麗な姿で映っていたい。


「クレアさま?」

「これで、夫としての責務は果たせたでしょう。もう、無理に夫婦である必要はありません」


さようなら、アラン様


「火傷の件で、多額の慰謝料をいただくことになりました。この子を養えるくらいには貯えがあります」

「なに、を」

「それに、王太子妃様から乳母の打診がありました。この子も、王太子殿下のお子さまの遊び相手になれればといっていただけました。将来的に、侍従や侍女になれるかもしれません。

そうなると、父はこの子を兄か父の養子にするでしょう」


シェリル様達のお子の乳母なんて恐れ多いけれど、シェリル様の立場を思えば私に声をかけてきたのも納得だ。


シェリル様は王太子殿下の寵愛を得て妃の座を得、それに見合った家柄の令嬢でもあるが、殿下の婚約者候補は他にも多かった。

つまり、シェリル様に敵は多い。


そんな彼女が大切な子どもを任せるのに学園時代の親しい友人を頼るのも自然な流れかもしれない。


「アラン様は、もう自由になっていいのです。

私も子どもも心配いりません。離縁は、難しいかもしれませんが、私はもうこの屋敷を出ていきますので好きになさってください。

たとえ他の女性がここに住むことになっても文句はいいません。子どもが増えても問題ありません。だから、」


ダンッ


私の言葉を遮るように鋭い音が響いた。

私の背後から、アラン様が両手の拳をテーブルに勢いよく叩きつけたのだ。

驚きで、心臓が跳ねた。


「あなたは、」


掠れた、絞り出したかのような声。

私のすぐ耳元で、なんで、どうして、そんなにも苦しそうなの?


「あなたは、いつになったら俺のことを見てくれるのですか?」




◇◇◇◇◇




アランが王宮魔導士になった理由は、金が稼げるからの一言に尽きる。


アランの家は子だくさんだった。その数五人。しかも長子のアラン以外の四人が女だった。


アランの家は本来それほど貧乏でもなかったが、それ以上にお金が足りない。女性で稼げる仕事はそう多くない。自然と、家族の家計は父親とアランの肩にのしかかった。

そんなわけで、家族を養うためにアランは魔導士になった。幸いアランには魔法の才能があったのだ。もちろんかなりの努力を要したが、なんとか王宮魔導士まで登り詰めるくらいの才能が。


とはいえ、平民の彼は何年経とうと王宮魔導士の中では下っ端だ。身分の違いがそのまま出世に響く。

それでもアランはかまわなかった。

現段階で十分な給料はもらっている。

家に仕送りをして、個人の貯えもできた。


たとえ下っ端だろうと庶民からすれば王宮魔導士はエリートなので、容姿が整っていることも相まって女にも苦労しない。


このまま下っ端の雑用係で終わり、無難な人生を送るのだろうと思っていた。この調子でいけば妹四人が嫁ぐ際の持参金くらいは用意できるし、出世欲も特にない。結婚願望もたいしてないが、その気になれば普通にできるだろう。

アランはそれで満足していた。


そんなアランの転機は唐突にやってきた。


王太子殿下の婚約者暗殺計画。

計画というのもお粗末なそれは、当然未遂に終わったが、犠牲者が出てしまった。


その方こそが後にアランの嫁となるクレア·ウィレムス侯爵令嬢である。


引力を扱う魔法はかなり高度だ。

まさか、捨て駒に等しい刺客がそんな魔法を使うとは誰も想像していなかった。

もちろんこれはただの言い訳だ。

王宮魔導士たるもの、あらゆる場面を想定しなければならなかった。


まして、刺客が引力によって引き寄せようとしたターゲットは本来未来の王太子妃であるシェリル令嬢だったのだから。


あの時、大半の貴族が事態を察した途端逃げ出した。当然だ。誰だって命は惜しい。

そんな中、クレアはシェリルを守るように抱きしめていた。

とっさの行動だったのだろう。その体はブルブルと震えていた。


そして、彼女のその勇気ある行動は、結果的に大勢の人間の命を救った。


クレアがシェリルを守っていなければ、刺客は引力でシェリルを捕らえその命を奪っていただろう。そして、その責任はその場にいた騎士と魔導士の首全てを用意しても済まなかっただろう。


被害者がクレアだったから、クレアが一命をとりとめたから国際問題にならずに済んだ。

隣国との兵力は同等。戦争になれば双方に大きな被害が出る。勝って得るものもあろうが犠牲が大きすぎる。

それが分かりきっているから、クレアの父親のウィレムス侯爵も声を荒げることなく抑えてくれた。

その代わり婿であるアランへの当たりが強いがそれも当然だろう。娘に一生ものの消えない傷ができたのだ。妹が同じ目に遭ったらアランなら一発は殴っている。暴力に頼らずネチネチ責めてくるだけの侯爵は温厚だとアランは思っている。


予期せぬ形で手に入った嫁と身分。そのおかげで思わぬ出世をし、地位を得たことで仕事が増えてしまった。


冗談じゃないとアランは憤る。


これでは、新婚だというのに妻と愛を深める時間がないではないか。


アランはとっくにクレアに惚れていた。

混乱していただけかもしれないが、あの事態でまず友人の身を案ずる心根。そして、そんな大胆な行動に出ていながら、助け出す際に触れた体はあまりにも華奢で、アランに縋るその力は弱々しかった。


そのギャップにやられた。


相手が命の危機の真っ只中で恋に落ちるなんてどうかしている。


「アラン様…」


クレアの肌に触れれば、一部がざらりとしている。

その火傷の痕がどうしようもなく愛おしい。


これがなければ、クレアは決してアランのものにならなかった。

アランの末の妹が貴族らしい美しさと気品を持つクレアを見て、「お兄ちゃんはお姫様と結婚したの?」なんて目を丸くしていたが、そう間違っていない。

アランからすればクレアは姫と同じくらい、手の届かない雲の上の存在だ。


そんな彼女を傷物にする形で手に入った罪悪感と背徳感。

浅ましく、己の欲に忠実なアランだが、これ以上彼女を傷つけたくないと思う。


「好きです」

「俺も、ですよ」


正直、こんな傷を負わせたアランなど、憎まれて当然だと思っていたが、何の奇跡かクレアはアランを好いてくれている。


女性関係に不自由しなかったアランだ。

クレアの態度から恋情を読み取るのはたやすい。


それなのに、アランもきちんと想いを伝えているのに、クレアは自分がアランに好かれているとは微塵も考えない。


好きだ、愛していると言葉にしてもわずかに表情を曇らせて微笑むだけなので、アランはそのうち言葉にするのをやめた。


一方通行で相手に響かない想いは口にしても空しいだけだ。


それでもいつか、いつか気持ちが通じ合う日が来るのだと信じていたのだ。




◇◇◇◇◇




「あなたを傷物にした俺にそんな資格がないのは分かっているけど、俺は、クレア様を愛しています。

一生、大切にしたいと思っているし、気持ちも伝えているつもりです。

でも、あなたは受け取ってくれない。気付いてもくれない。どうしたら、俺の気持ちが伝わりますか?」


テーブルの上、握りしめられた拳が細かく震えている。


「俺は、愛する妻と子どもができた喜びを分かち合うことすら、許されないのですか?」


息を飲んだ。


アラン様が、私を愛している?

そんなまさか。


未だ信じることのできない私の目の前で、アラン様が跪き私を見上げる。

その瞳は、真剣だった。


「クレア、愛してる」


私の心の中で、何かがひび割れてパラパラと砕けていくような気がした。


こちらの気持ちもあちらの気持ちも映さない。

ステンドグラスの瞳を持っていたのは、アラン様じゃなかった。


この、私自身だった。


粉々に砕け散ったステンドグラスを捨てた瞳でアラン様を見る。


その目は熱を持っていて、私が好きだと告げていた。


ああ、私はなんて愚かだったのだろう。

悲劇のヒロインにでもなったつもりで、愛されない、彼を不幸にした、未来を奪ったなどと自分勝手にただただ嘆いて。


こんなにも真っ直ぐに私を求めてくれているアラン様を全く見ていなかった。


自然と、私の瞳から涙がこぼれ落ちる。


「…この子に名前を、つけてくれますか?」

「ええ、一緒に考えましょう」

「一緒に、育ててくれますか?」

「もちろん。誰にも渡しません。クレアも子どもも、ここにいてください」

「アラン様、愛しています」

「俺もですよ」


泣きじゃくる私を、アラン様が優しく抱き締めてくれる。私は遠慮なくその胸にすがって、何度も愛を伝えた。アラン様も同じくらい、それ以上に言葉を返してくれた。


この、幸せで尊い時間を、私は生涯忘れないだろう。




◇◇◇◇◇




「やっぱりね」


シェリルはクレアからの手紙を読んで、ため息と共に呟く。


そこには、先日のお茶会のお礼の言葉と共に、乳母はできない。夫と二人で子育てを頑張るといった内容が丁寧な言葉で書かれていた。


予想はしていた。

あの男がクレアを手放す訳がない。


クレアは何故か自己評価が低い。

秀でたものが何もなく平凡な存在だと本人は思っているし、能力だけ見れば正直そう評価するしかないだろう。


しかし、気立てがよく努力家でほんわかした雰囲気を持つクレアは癒しであり、人間関係における潤滑剤でもあった。

彼女ならば良き乳母になっただろう。これから生まれるであろうシェリルの子が何かで躓いた時、彼女の存在は癒しとなり、あらゆる努力をしてきた彼女のアドバイスは有益だっただろう。


それもこれも、クレアの元婚約者が悪い。


たとえひどい外傷があろうとも、シェリルはクレアを社交界から放り出す気はなかった。そのために髪まで切った。

彼女の戻りやすい場を作ろうと考えていた。


王太子妃をかばって受けた傷だ。

それを中傷しようものならシェリルも王太子も黙っていないつもりだった。


それなのに、一番クレアを支えるべき存在が、他でもない彼女の婚約者が、彼女を突き放してしまった。

あの男がクレアにかけた言葉の数々は到底許されるものではない。


そう、シェリルはクレアが受けた誹謗中傷の言葉を全て知っていた。


それは、クレアの夫であるアランの働きによってである。


クレアについていった侍女から婚約破棄の経緯を知ったアランは、まず彼にとって義母にあたるクレアの母を頼った。

元婚約者の非道をありのまま義母に伝え、社交界でこの話をしてほしいと頼んだのだ。


大切な娘が苦しんでいる時にそんなことがあったなんてとクレアの母親は大層憤った。


そこからは簡単だ。

クレアの母親は侯爵夫人。淑女たるもの常に笑顔でという鉄壁の掟を自ら崩し、公の場でホロリと涙を流しながら娘の不幸を嘆く姿は人々の同情を生んだ。

事実が噂となって水面下であっという間に拡がっていく。

王太子妃(シェリル)の耳まで入ってくるまでそう時間はかからなかった。


名誉の傷を受け苦しむ婚約者に対する非道な言動は元婚約者の評判を大幅に下げた。

相手を思いやる心のない男に娘を嫁がせたい親などいない。

現に元婚約者の嫁探しは難航しているという。


しかも、アランはそれだけでは止まらなかった。


アランの生家がちょうど元婚約者の親が治める領地に近かったことを利用した。

今度は自分の妹たちに元婚約者の話を広めさせた。妹の一人が庶民に人気の食堂の看板娘だったこともあり、こちらも瞬く間に悪評が広まった。


貴族の間だけでなく、領民からの評判もすこぶる悪い嫡男を彼の父親がどう扱うか、これから見物である。


アランは目的のために手段を選ばない。

友人の夫が彼でいいのか少々不安があるが、手紙を読む限りクレアは幸せそうなのでシェリルは気にしないことにした。


「あーあ、次の乳母候補は誰にしようかしら。今度はアンネに声をかけてみようかしら」


クレアは残念だが、シェリルの友人は他にもいる。

全員大切な友達だ。


「クレア、幸せにね」


シェリルは微笑みながら手紙を折り畳んだ。

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