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陰キャヒーロー×一途ヒロイン 短編集

『婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に気づかない〜何故かお見合い相手がいつも途中で居なくなるけどめげずに頑張ります〜』という小説の当て馬見合い相手に転生した

作者: 鶏冠 勇真


“私、シェイラ・プリムローズ、十七才!レオネクス国プリムローズ伯爵家の一人娘。将来の夢は素敵なお婿さんを貰って一緒に領地を盛り立てること!そのために昔からたくさんお見合いしてるんだけど、何故かいつも上手くいかないの。最初は好感触だったのに二度目で急に断られて音信不通になったり、突然僻地に引っ越して行ったり、他の女の子と真実の愛を見つけちゃったり……でも、私めげない。次こそ絶対に成功させて見せるんだから!……って思ってたんだけど、あれれ?どうして王子と急接近してるの〜?”


 

 ——頭の中で覚えのあるナレーションが流れた。



「は、初めまして、シェイラ・プリムローズです!ふつつか者ですがよろしくお願いします!」

「クロード・ウィズボーンです。こちらこそ是非よろし……くっ!?」


 レオネクス国プリムローズ領を拠点に経営しているウィズボーン商会会長直系の男子、しかし跡目争いとは無縁の三男。そのため今入婿を探しているという伯爵令嬢との縁談を受け、今日その見合いの席についたクロード・ウィズボーンは、唐突に思い出した。


「クロード様?どうかされましたか?」

 

 ハーフツインテールのローズピンクの長い髪。髪と同じ色の、ちょっとだけつり目がちな猫のような瞳を持ち、目の前で首を傾げる美少女。

 彼女を見た瞬間脳内に流れた台詞らしきもの。それはこの世界とは違う世界……いわゆる前世で読んだことのある小説のあらすじだったということを。


「も、申し訳ない、シェイラ嬢。貴女のあまりの可愛らしさに気を失いそうになっておりました」

「えっ!」


 衝撃のあまり片手で目を覆ってしまったことへの言い訳を咄嗟に捻り出している間にも、クロードの頭の中には堰を切ったように物語の起承転結が流れ込んで来ていた。

 その名も『婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に気づかない〜何故かお見合い相手がいつも途中で居なくなるけどめげずに頑張ります〜』という、女性向け異世界ファンタジーライトノベルの内容が。


「あ、あの、大丈夫ですか……?」

「すまないまだ直視できないようだ……貴女の眩しさに目が慣れるまでもう少し時間を頂きたい」

「はわっ!?は、はいっ」

 

 頬を染めつつ心配そうに尋ねてくる見合い相手に更に言い訳を重ねつつ、クロードは気付いた。

 彼女こそがそのライトノベルのヒロイン、シェイラ・プリムローズであること。

 そして自分は最愛のヒロインと見合いなどした不届き者としてヒーローの王子に実家諸共潰される、哀れな当て馬キャラに転生したのだということに。



 ◆◆◆



「そりゃ前世とは違う世界なのかとは思ってたけどさぁ〜〜まさか小説の世界とは思わないだろ!」


 ヒロイン(またの名をシェイラ・プリムローズ)との初顔合わせを終え、クロードは着替えもそこそこに自室のベッドにダイブした。


「しかもライトノベル……?中古で一冊100円、元値税込み780円の……?」


 この世に生を受けてから十七年。己に前世の記憶があることは幼い頃から自覚していた。この世界が前世からしたら“ファンタジー”と言われるような世界であることも。

 とはいえ今となってはこの世界がリアルであるし、ファンタジーどころか本の中の世界だとはすぐには受け止めきれない。

 しかしこの世界のヒロイン、シェイラ・プリムローズと対面した瞬間、タイトルと共にその物語が洪水のように流れ込んできたのだ。婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に気づかない〜何故かお見合い相手がいつも途中で居なく以下略。


「いやタイトルなっげぇ」


 普通こういう創作物の世界に入り込む時——いやそんな普通がそうあるとは思えないが——もっと前世であらゆるメディア化もされていた国民的大ヒット作品とか、廃人と呼ばれるまでやり込んだゲームで育て上げていた最強キャラとかじゃないか?

 それがどうして、おそらく暇潰しで立ち寄った古本屋で『どれでも一冊100円』のワゴンに放り込まれてた少女向けライトノベル元値780円に?


 ……まあ、今はそんなことを嘆いていても仕方がない。

 問題はあのプロローグである。ヒロインであるシェイラがお見合いをした相手がな・ぜ・か!みんな音信不通や遠方にお引越しやハニートラップにかかったりして居なくなる件だ。

 何故かって?それはもうタイトルで答えが出ている。彼女がこの国の第一王子、フレデリック・レオネクスに溺愛されてるからだ。王子にかかれば愛しいヒロインの見合い相手の一人や二人排除することは難しくない。

 じゃあさっさと婚約しとけよなんて野暮なことは口には出さないでおく。脳内では言うけど。なんだあの傍迷惑色ボケ癇癪持ち王子。

 ぐったりとうつ伏せから仰向けに寝返りをうちながら、クロードは数時間前にシェイラと交わした会話を脳内でもう一度反芻した。

 あの後、シェイラには一応ここが本当にあの小説の世界なのか確認するためいくつか質問をしたのだが、答えはすべて悲しいくらい予想通りであった。


『貴女のような可愛らしい人に今まで相手がいなかったなんて信じられない。伯爵令嬢ともあろう方がどうしてこんなしがない商人の息子なんかに声をかけてくれたんです?もっとずっといい相手がいくらでもいるでしょう』

『いいえ、いいえ!私、全然相手なんかいないんです!いつもいつもお見合いでは断られてばかりで、偉い人から無駄なことはやめるようになんて注意されるくらいで!』


 一例としてはこんな感じである。


『その偉い人って、もしや貴女に気があるのでは?だからお見合いを止めようとしてるとか』

『いえいえいえ!まさか、殿下は昔から心に決めた人がいるってよく仰ってますから有り得ませんよ』


 物語のイケメンってどうして好きな子に対して「俺好きな子いるんだ」と言うのがアプローチになると思っているんだろう。そこまで言うなら「それは君だよ」まで言え。

 前世で男ながら少女小説をそこそこ嗜んだクロードは素朴な疑問としてそう思った。


『あ、すみません、今言ってしまいましたけどその偉い人ってこの国の王子でして……それに、注意だけじゃなくてアドバイスもくれたんです』

『へぇ、それはどんなアドバイスを?」

『はい。もっとすぐ近くに良い人がいる、何も“貴族”に囚われることはないと……つまり他領の貴族ではなく、自領の人から身分に囚われずに選ぶべきだと殿下はご教授くださったのです』


 どうして物語のイケメンは遠回しな表現を好むのだろう。しかもよりにもよって鈍感ヒロイン相手に。だからこんなすれ違いが起きるんじゃないか。


『おかげでこんなに素敵な人と出会えました!えへへ、アドバイスをくれたフレデリック殿下に感謝です』


 しかし、そう言って花が咲いたように笑うシェイラを目の前にして、クロードは覚悟を決めていた。たとえこの見合いを今から断ろうがもう遅い。

 腹黒い王子様はお姫様に近づく男に容赦が無いのだ。今頃既に制裁の準備に入っていることだろう。


『こちらこそ、貴女のように素敵な人に出会えて光栄ですよ。神の采配に感謝します』


 見合いを断って制裁される、見合いを受けて制裁される。どうせ同じなら天秤にかけるまでもない。それに何も悪いことをしてないのに色ボケ癇癪持ち王子の思惑通りにしてやるのも癪である。

 裏でそんなことを考えつつ、クロード・ウィズボーンはその日無邪気に差し出された白く細い手を取ったのだった。

 


 ◆◆◆



「紛失と言い張りますけどね。こっちは盗難を疑ってるんですよ。犯人探しする気あります?」

「いやぁ……そのぉ……盗難なんて大袈裟な……うちの従業員にそんなことをする輩がいるとは……」


 見合いの日から二週間後。

 クロードはとある配達業者の本舎応接室で革張りのソファに座り、目の前の人物を睨みつけていた。

 クロードの厳しい視線の先には、冷や汗をかきかき言い訳を続ける中年男性が座っている。


「実際に物が何個もなくなってます。伯爵家のご令嬢宛の手紙とそれに付けた小箱。一目で高価なものだとわかるでしょうねぇ。すぐにポケットにでも入れてしまえる大きさだ。毎回手紙も小箱も両方無くなってるのが尚怪しい。小箱を盗んで手紙を握り潰して証拠隠滅を図ったと考えるのが自然では?」

 

 クロードがここまで足を運んだのには、のっぴきならない事情がある。

 見合いを終えてすぐ、クロードはシェイラ宛に手紙とプレゼントを送った。一週間毎日送った。送った日付と日時と物の詳細と誰が対応したかとその時の会話も全て詳細に日記に書き留めた。

 何分初めてのお付き合いで浮かれていたため加減がわからなかったのと、物品の送付に証拠を残すのは商人としてのクセというのがクロードの言い分だ。

 しかしなんということでしょう。一週間後再び会ったシェイラに確認を取ったところ、手紙もプレゼントも何一つ届いてなかったことが判明したのである!


「う、うちの従業員がやったという証拠は無いじゃないですか!」

「七通の手紙と七個の小箱の一つも見つからないのが語るに落ちてますよ。あくまで“紛失”と言うなら、受領した営業所、日時、対応した従業員の名前、物の詳細、ここまで分かっていれば一つくらい見つかってもいいのでは?」

「それは……しかし、うちも毎日多くの荷物を預かっているわけでして……」


 最初に問い合わせた時はのらりくらりとかわそうとしていた営業所の責任者も、クロードが日記と共に従業員を名指しして糾弾すれば慌てて上に取り継いできた。

 そんなわけで現在このレオネクス王国一のシェアを誇る配達業者のオーナーとお話し合い中なのである。

 しかし、そのオーナーすらまともな説明をするどころか、このように窃盗犯を庇い続ける始末。仮にもトップシェアの配達業者が、全くもって嘆かわしい。


「毎日多くの荷物を預かっているから、多くを紛失しても仕方がないと?つまりそちらの配達物の管理が杜撰ということでは?ある意味、犯人を捕まえれば解決する盗難よりもタチが悪いですねぇ」

「うっ……そ、それは」


 狼狽えるオーナーを横目に、それっぽいことを言いながら思案する風を装うクロードであるが、実は既に原因に当たりをつけていた。ズバリ王子だ。この配達業者には、原作通りであれば『他所の男からのシェイラ・プリムローズ宛の手紙や贈り物はすべて王家に転送するように』と、この国の王子から密命が下っている。

 それがわかっていたからクロードも最初の見合いの日中にシェイラと次に会う予定を決め、手紙のみで会う約束はしないようにしたのだ。

 ヒロインへの他の男からの手紙やプレゼントを届く前に始末する王子。

 お花畑風に言うならば、意中のヒロインへほんの少しでも近づこうとする男は許さないというお約束のアレ。

 現実的に言うなら窃盗。普通に犯罪。加担した業者だって共犯。


「なので同じ轍を踏まないようこのことは商人仲間皆に共有させていただきます」

「ま、待ってください!!」


 クロードの脅しにもはや冷や汗を滝のようにして慌てるオーナーからは、まさかこのような問題になるとはカケラも想定していなかったことが窺えた。

 今までの横流しは、だいたいが表沙汰になる前に王子が送り主をそれどころではない状況に陥らせてくれるので有耶無耶に出来ていたのだろう。

 だとしてもあまりにも楽観的すぎるのではないかと思うが。


「まあ……どうしても一つは無くなってしまうのなら、予備を用意しないといけないですね」

「へ?」


 とはいえ。クロードも喧嘩をしに来たわけではない。いくら犯罪でも一国の王子から命令されては逆らえないのも理解できる。


「これからは同じものを二つ用意します。……それなら一つくらい無くなっても、"我が国の若き獅子"に捧げられたと思って忘れますから」

「!!」

 

 クロードの一見奇妙な提案に、オーナーは驚愕したように目を見開いた。

 クロード達が住まう国、レオネクスの守護神は金の毛並みと青い瞳を持つ獅子だ。『我が国の獅子に捧げたと思って忘れよう』というのは、高価なものや大事なものを失くしたときによく使われる慣用句。

 しかし、建国以来レオネクスを見守り続けてくれているという神様の年齢はゆうに2000歳を越えている。若いと形容する者など普通は居ない。


「二通とも"捧げる"か。信用を地に落とすか。どちらか選んでくれ」


 そしてこの国の第一王子、フレデリック・レオネクスは、その金髪碧眼の美貌と神がかった才覚から『レオネクスの若獅子』として有名だった。


「しっ、承知しました!今後はその通りに!」

 

 己の思惑を正しく読み取ったのであろうオーナーに頭を下げられ、クロードは満足げに笑った。

 これで王子に握り潰されない文通手段は確保した。定期的に手紙や贈り物の献上があれば王子もまさかそれがダミーとは思わないだろう。

 業者が王子を欺くことを怖がって断ってくる可能性もあったが、クロードがその密命を知っているという匂わせが役に立った。王子からの密命を把握する程の情報網で、手紙小包連続紛失事件を流されてはたまらないと思ってくれた様子。


「では、今後ともよろしく」


 部屋に入ってきた従業員が紅茶のお代わりを注ごうとするのを手で制して断り、クロードは応接室を後にした。



 ◆◆◆



「クロード!会えなくて寂しかった!」

「先週も会ったばかりじゃないか」

「もう、クロードは寂しくないの?」

「寂しくはなかったさ。毎晩君が夢に出てきてくれたからな」

「きゃああー!本当!?」


 見合いから一カ月。

 シェイラとの仲は順調であった。あまりに順調だった。順調過ぎてブレーキのかけどきを見失ったくらいに。


「私も昨日クロードが夢に出てきたわ!」

「もしかしてそれは本当に俺かもしれないな……君に会うために空を駆ける夢を見たんだ」


 元々次から次へとお見合いをするくらいバイタリティのある女の子で、恋愛に並々ならぬ憧れを抱いていたシェイラ。

 期待されるとつい相手が望んだ以上の返答を用意し、どんな注文にもすかさず応えてしまう商人気質のクロード。


「寂しい時はいつでも言ってくれ。夢で会いに行く」

「素敵!私達どこにいても繋がっているのね……!」


 二人が馬鹿ップルになるのにそう時間はかからなかった。

 今まで見合いは断られてばかり、異性から手紙一つ、プレゼント一つ貰ったことがないシェイラは、クロードとのやり取り全てが新鮮で楽しいらしい。

 クロードもクロードで前世今世合わせての人生初彼女、しかもめちゃくちゃ可愛いときて実は結構浮かれていたのもある。


「ところであの、手紙でも話してたことだけど……」

「聖花祭だな?勿論一緒に行こう」

「っ!うんっ!」


 しかし浮かれてばかりではいられないのもこの『婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に気づかな(以下略)』の世界。手紙盗難事件を解決して二週間、次なる妨害イベント(原作からすると当て馬成敗イベント)がやってきた。


「夢だったの、私……聖花祭に未来の旦那様と参加することが……!」


 胸の前で両手を組み、うっとりと語るシェイラ。

 原作でもそうだった。プリムローズ領の中心都市フルールでは、毎年この時期に都市のシンボルである聖花を囲んで都市の繁栄を願うお祭り、聖花祭がある。

 永遠に枯れない聖花に因んで、永遠の愛を誓ったり子孫繁栄を願ったり、恋人や夫婦の祭典としても名高い。


「その夢を初めて叶えるのが俺で良かった」

「初めてだけじゃないわ。最後まで貴方よ!」


 傍目からは呑気に浮かれる馬鹿ップルにしか見えない会話をしながら、クロードは頭の片隅で勢いよく『婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に(以下略)』原作のページをめくっていた。


 ——聖花祭。シェイラの地元での恋人同士の祭典。シェイラは今まで一度も参加できたことはない。


 当然だ。他の男とシェイラがそんなことをしないよう、王子が今まで裏でしっかり手を回していたのだから。

 そしてその腕はクロードとの聖花祭でも存分に発揮される。

 原作では己の手紙が全て横流しされていることを知らないクロードが聖花祭へと誘う手紙をシェイラに出すのだが、思惑のあった王子は敢えてその手紙だけは握り潰さなかった。シェイラにとってクロードからの“初めての”手紙、それも恋人達の聖典への誘い。

 喜んだシェイラは聖花祭当日に目一杯のお洒落をして待ち合わせ場所に向かい、待ち、待ち続け、待ちぼうけをくらい……。

 すっかり落ち込んで帰ったシェイラのもとに翌日届いたのは、『家の周りが急に渋滞になって出かけられなかった』と無理のある言い訳がしたためられた謝罪の手紙であった。


「本当に楽しみだわ!だって、だって今まで」


 心の底から嬉しそうなシェイラを見て、クロードもつられて嬉しくなってしまう。

 シェイラとクロードの仲だけ見れば既に原作とは違う展開になっているだろうが、これまでクロードの手紙や贈り物の片方は必ず握り潰されていたのに、今回だけ敢えて一通だけにした手紙が無事シェイラに届いた時点で、王子に原作からの変化は無いことは明らかだ。

 あの王子は男からのシェイラへの手紙を握り潰すだけじゃなく、検閲もしている。クロードが手紙で聖花祭のことに触れた以上、クロードがシェイラとそれに行くつもりであることは原作通り王子に知られてしまった。


「今まで聖花祭に一緒に行く約束は何度かしたことはあるけど、破られたことしかなくて……」

「俺は絶対に破らない。約束するよ」


 知られてしまった。が、こっちだって妨害されることを知っている。

 すっかり手の内のわかってる敵の策など、恐れるに値しないのである。


 

 ◆◆◆



 一週間後。


「よーし行ける行ける俺なら行ける多分大丈夫きっと大丈夫大丈夫大丈夫……」


 聖花祭当日。まさにお祭り日和に晴れ渡った朝。

 クロードは自宅の庭にて物理的な出発の準備は全て整え、今は心の準備に入っていた。


「クェエェエエエッ!」

「あーわかったわかったもう飛ぶから、もう飛ぶから!」


 一体何の心の準備かというと、今まさに跨っている飛竜と共にこの大空へと高く飛び立つ準備である。別に詩的な表現とかではなく本当に。

 飛竜とは幼い頃からの付き合いの相棒……というわけではなく、いつぞやの手紙横流し配達業者から口止め料としてぶん捕ってきたものだ。この世界の荷物配達には主に飛竜が使われている。


「大丈夫大丈夫……陸上で練習はしたし……ちょっとは飛んでみたし……いざという時の風魔石は積んだし飛竜の積載制限は余裕でクリアしてるし……」


 しかし何故本来は荷物運搬に使われる飛竜に乗ろうとしているのか?

 答えはクロードの家の周りが大量の馬車でギチギチに渋滞しているため、人間の交通手段である馬車が出せないからだ。

 原作のクロードの手紙にも書かれていた通り、聖花祭に行かせまいとする王子の妨害策は実にシンプルである。

 毎回見合い相手の家の周りを馬車で埋めて大渋滞を起こし、約束の時間に間に合わなくさせる。目的地があるわけでもなく、延々と同じ場所を回り続ける馬車の大群は上空から見れば異様な光景だ。

 ちなみにその馬車の御者をしているのはなんと王子の近衛部隊の騎士達。次期王近衛部隊なんてエリート中のエリート騎士のやることが空の馬車を引いて進路妨害とは、人材の無駄遣いに商人として涙が出てくる。

 そんなことを考えて早数十分。そろそろ出発しなくては空路でも間に合わない時間になり、クロードも覚悟を決めた。


「っしゃあ行くぞダイキチ!男は度胸!剣と魔法の世界っつったら竜は乗るものだろ!!」

「キッシャァアアアアアアアア!」

「何それお前の気合い入れる時の声なの?初めて聞いたわ」


 これはクロードは知らなかったことだが。

 はるか昔、世界がもっとファンタジーだった頃。飛竜は人を背に乗せて狩りをしていた。そんな種としての本能を呼び起こされ、飛竜——命名ダイキチ——はクロードを相棒と定め、ハイテンションで大空へと高く飛び上がったのだった。



 ◆◆◆



 荷物運搬用の飛竜は予め決まったルートを飛ぶよう躾けられている。飛竜は知能が高いので、いくつかの目的地を覚えさせ、単語を関連付ければ多少出発地が変わってもその通りに飛ぶ。

 クロードが分捕ってきた飛竜、命名ダイキチもきちんと『フルール大公園』までの空のルートを覚えていた。そこが聖花祭の開催地である。

 怖くてあまり下を確認はできないが、高い塔などの目印から推測するに順調に目的地へ進んでいる様子。

 二階建ての家の屋根にぶつからない程度の高さで飛びながら、クロードは案外快適な空の旅をできていた。

 シェイラとの待ち合わせは公園の中の大きな噴水前。公園の上空に来たらダイキチに降下の合図をして、人のいないひらけた場所に停めればいい。


「……あ!人が!」


 ゴミのようだ、ではなく。

 そろそろ降下しようと下を確認したクロードは、己の失態に気づいた。

 フルール大公園は広い。通常であればどこかには誰もいない場所があるが、今日は街一番のイベントの聖花祭である。

 どこもかしこも人、人、人で埋め尽くされて飛竜が着地できる程の広いスペースが無い。

 今から公園から離れた場所に降りて徒歩で待ち合わせ場所に向かっては、約束の時間に遅れてしまう。

 多少の遅れくらい普通なら問題にならないかもしれない。しかし今まで何度も待ちぼうけをくらったシェイラのことだ。ほんの少しの遅れでも不安にさせてしまうだろうことは想像に難くない。

 どこか無いのか、この人でごった返す公園で人のいない場所……飛竜の翼が引っかかる構築物や屋台も無い場所……一箇所だけある!


「ダイキチ!降下!」

「ヒュゥウウウイッシィイイイイ!」

「いや鳴き声安定しないなお前」


 降下場所に当たりをつけたクロードは、これから己の身に降り掛かる不幸を予測しぐっと息を吸い込んだ。

 

 その数十秒後。


「うわぁああぁあ!何か噴水に落ちてきたぞぉ!」

「きゃあああ!何事!?」


 バッシャァアアアンと大きな音と水柱を立て、群衆の驚く声を浴びながら、あと結構大量の水も浴びながら顔を上げる。

 思ったより水深が深かった。流石はこの街最大級の噴水。前世ジュ◯シックパークのアトラクション並にずぶ濡れになった。デート前にずぶ濡れになるのもどうかと思うが遅れるよりはマシ。あれだ、水も滴る良い男。その線で行く。


「っ!?クロード!?」

「……待たせたか、シェイラ」


 クロードが着地地点に選んだ場所。それは噴水の中心部だった。縁ならば沢山の人がいるが、水が溢れ出ている部分の近くにまで来る輩はいない。

 そして噴水の中は、シェイラとの待ち合わせ場所である噴水前にもとても近かった。


「ど、どうしてそんなところから?まさか一緒にいるのって飛竜!?乗ってきたの!?」


 大きな音に振り返ったシェイラがクロードを見つけ、噴水の縁で身を乗り出してきた。

 ごもっともな疑問であるが、その答えならもう用意している。

 実は自宅周辺が急に渋滞になったのだなど朝寝坊の言い訳のようにしか聞こえないだろうから、ここは。


「言っただろ?君に会うためなら空も駆けると!」

「…………っ!!!」


 最初は驚いていたシェイラの顔がクロードの言葉を聞いてみるみる輝いていく。


「クロード……!私のために……っ」


 ロマンティックなら細かいことは気にしない。シェイラ・プリムローズにとってその言葉はめちゃくちゃどストライクのロマンティックフレーズであり、クロードの狙い通り細かいことは頭から吹き飛んだようだった。



 ◆◆◆



 聖花祭デートは大成功だった。

 シェイラは『空を駆けて会いに来た』事実に終始ご機嫌であったし、クロードがしばらくずぶ濡れであったことも水も滴るいい男で本当に通った。いや通るんかいとクロードの方が内心で突っ込んでしまった。

 もうシェイラのクロードへの好感度がとどまるところを知らない。

 原作であれば手紙は届かず、聖花祭にも行けず、婚約解消も時間の問題だったはずのシェイラとクロードの仲は、現実では結婚する日を指折り数えるくらいに上手く行っている。

 原作中盤までの改変具合としては大成功と言っていい。

 そう、中盤。中盤までだ。中盤まではまだ王子の妨害はせいぜいシェイラとクロードの仲を引き裂くだけにとどまる。

 問題はここからクライマックスにかけてだ。


「早く来月のダンスパーティで貴方を私の婚約者だってみんなに紹介したいわ!」


 何度目かのデートでシェイラにそう言われた時、ついに来たな、とクロードは心の中で呟いた。

 

「婚約申請書の承認がそれまでに下りればいいのだけど」

「時間がかかってるみたいだな。まあ伯爵家次期女当主と商家の三男だ、いい加減に判は押せないさ」


 この国、レオネクスでは、貴族の婚姻に限り婚約承認制度がある。

 下位貴族ならともかく、上位貴族となればその婚姻の影響は大きい。

 一つの家が次々と政治的に有利な婚姻を結んであまりに力をつけすぎたり、敵国のスパイが国の中枢に紛れ込んだり、成り上がりの平民によるお家乗っ取り等を防ぐため、婚約の段階で王家が確認をするのだ。

 というわけで実はクロードはまだシェイラの正式な婚約者ではなく、承認申請が下りるまでは暫定婚約者的な立ち位置である。

 とは言っても何代も他所の国との戦争も内戦も無い平和な治世が続いて百年余り、殆ど形骸化している制度。

 普通であればすぐに承認の判が押されて返ってくるはずであるが。


「もう!どうしてこんなに遅いの!」

「はは、どうしてだろうな」


 どうしてもこうしても。クロードは知っている。

 貴族の婚約申請や戸籍を管理する王都の役所のとある一部署。

 そこには『プリムローズ伯爵家の長女の婚約承認申請書は決して通してはならない』と、王子から密命を受けた者が目を光らせているということを。

 そして散々妨害したにも関わらず婚約承認申請を取り下げないシェイラに痺れを切らし、腹黒王子がクロード抹消のためついに立ち上がるということを。



 ◆◆◆



『ど、どうして!?ウィズボーン商会が……跡形もなく消えてるーー!?』


 婚活令嬢は腹黒王子の溺愛に気付かない(以下略)原作、七章『消えた婚約者』参照。


「そう簡単に消えてたまるか!!」


 シェイラが自分の屋敷へ帰って行った後。

 脳内原作に勢いよくツッコミを入れながら、クロードは一人せっせととある作業をしていた。

 シェイラの言っていた、来月に王宮で行われるダンスパーティ。確か名目はこの国の第一王子フレデリック・レオニクスの成人祝い。

 実はこのパーティが原作のクライマックスであり、パーティに婚約者と出るためにシェイラが、シェイラをパートナーにするために王子が本気を出し、物語は佳境に入る。

 原作シェイラは最早名ばかり婚約者であるクロードとパーティに出ることを諦めておらず、手紙の返事が来ないならとついに直談判に行く。

 そこで彼女が目にしたものは、ウィズボーン商会の本拠地の変わり果てた、いや朽ち果てた姿であった……というのが原作の後半ストーリーである。


「ふー……」


 スコップを脇に置き、額を流れる汗を拭うクロード。

 生まれ育った我が家が朽ち果てる予定の日まであと数日。

 原作ではシェイラは王宮のパーティのちょうど一月前にこちらに来てその惨状を目にし、周囲の人に『そこはもう五日前から空き地だよ』と教えられる。

 つまり逆算すると、パーティを翌月半ばに控えた今、今月の十日目がウィズボーン商会の撤退開始の日なのだ。

 ……敷地内で闇商品である麻薬花を栽培していたことがバレ、追及を逃れるために事業所を取り壊して証拠隠滅をし、プリムローズ領から逃げ出す日である。

 ちなみに当然ながらクロード達にそんなことをした覚えは無いので冤罪だ。原作で冤罪であることは明言されてはいないが。

 しかし商会撤退が判明する前の章の最後に差し込まれた、謎の花びらを手で弄びながら足を組み、意味深に笑う王子の挿絵。

 落ち込むシェイラを王子が慰めるシーンでの『気に病むことは無い。彼は決して触れてはいけない()に手を出した。罪は償わせないと、ね』『まだ信じられません……うちの領で麻薬花の栽培なんて』『麻薬花?ああ、そういうことにしたんだっけ』『え?』『ううん、なんでもないよ(ニッコリ)』というわざとらしく不自然な会話。

 近衛騎士による『俺は任務を遂行したのみ。恨むなら殿下の最愛の()に……()()()に手を出した己の愚かさを恨むのだな』との独白。

 何故物語のヒロインは位の高いイケメンに溺愛されると◯◯様の最愛とか花とかナンチャラ姫とか小っ恥ずかしい渾名で呼ばれるのだろう。罰ゲームかな。

 まあそれはどうでもいいとして、重要なのは王子がその麻薬花と近衛騎士を使い、ウィズボーン商会を罠に嵌めたのだと読者が察せられる構成になっていることだ。

 お花畑風に言うならば腹黒王子による無慈悲でクレバーな当て馬排除策。全てはヒロインへの愛故。

 現実的に言うならば。

 

「職権濫用通り越して犯罪だろ〜〜」


 そんなわけでクロードは今、せっせとその麻薬冤罪対策を練っているのである。

 どうやってそんな冤罪がかけられるのか?それもここまで手の内を明かされれば察せられるというもの。

 向こうがその作戦を決行するのもおそらく明日か明後日の夜あたり。


「こんなもんかぁ」

「ゴッシュゥウウウウウ」

「手伝ってくれてありがとなダイキチ」


 人手がいるがどう説明するか悩ましかった対策作業も、クロードの動きを見たダイキチが意図を汲んで手伝ってくれたため想定より何倍も早く完了した。

 後は工作がバレないようにしっかりとカモフラージュを施し、明日以降やって来るだろうターゲットを待つだけである。




 翌々日。

 朝起きて庭の前の巨大落とし穴に予想通りの人物がかかっているのを確認し、クロードは大通りに飛び出してパトロール中の兵士に向かって声を張り上げた。


「お巡りさん!ヤク中の泥棒がうちの庭に!」



 ◆◆◆



「そんな……ダイキチちゃんが掘った穴にそんな怖い人が落っこちていたなんて……」

「ああ、可愛いペットの無邪気な悪戯がまさかこんなことに……」


 プリムローズ伯爵家にて。

 半月ぶりに顔を合わせたクロードとシェイラは、お互い会えなかった期間の出来事について報告し合っていた。

 クロードからの話題はもっぱらヤク中泥棒落とし穴事件である。

 最近飼い始めた飛竜のダイキチが商会の敷地に巨大な穴を掘ることにハマってしまったのを、客を案内する場所ではないからと放置していたところ、ある日の朝その穴のうち一つに大荷物を抱えた男が落っこちているのを発見したのだ。

 最初は迷い込んだ客か従業員がうっかり足を滑らせてしまったのかと慌てたのだが、その男の荷物から溢れていた毒々しい花の苗が闇商品である麻薬植物に酷似していた。

 推定被害者から一転、犯罪者として通報と相成った。


「でも一体何の用だったのかしらね?そんなものを持ってクロードの家に忍び込もうとするなんて」

「そうだなぁ、全く想像がつかないなぁ」


 また、半月もシェイラとろくに連絡を取れなかったのも、この事件の犯人のことで上から何かお達しがあったらしい騎士達と示談やら口止めやら言い訳やらで話し合いが長引いたせいだった。

 それというのもこの犯人、犯罪者にありがちなただの浮浪者や貧乏人などではなく。

 それどころかむしろエリート中のエリート、レオネクス国第一王子フレデリックの近衛騎士だったのだ。

 なので上からどうにか揉み消すよう指示があったのだろう。王宮から使いの者が派遣され、『実はかの者はこの国の将来を左右する極秘任務の途中で、麻薬所持も不法侵入も任務遂行のため致し方なくしたことなのだ』と説明してきた。

 まあ嘘ではない。将来の国王の伴侶を左右する、恋敵の排除という極秘任務だったのだから。

 半月経った今現在もどこの新聞社も騒いでないあたり、揉み消しは成功したようだ。

 当時説明を受けたこの地の兵士達も、説明をしに来た使いの者すら納得いかないような渋い顔をしていたことは除いて。

 近衛騎士は皆高位貴族出身。身分で罪を帳消しにしたのだろうと彼らが忌々しい視線を向ける中、唯一真相を知っているクロードだけが『そんな崇高な任務の邪魔をしてしまって申し訳ない。正義のために頑張ってください』と激励する異様な光景であった。


「ところでシェイラは何か変わったことは無かったか?」


 一通り話し終えたクロードがシェイラに話題を振る。


「変わらなかったわ……婚約承認申請書をもう毎日何十通も送ってるけど変わらなくて……」

「そんな数撃ちゃ当たる方式で」


 予想外なシェイラの行動に反射的にツッコミを入れるも、何気にそれが今一番の有効打かもしれないと思い直す。

 シェイラとクロードの婚約申請が通らないのは身分の問題ではなく、受付部署にて王子の息がかかった者がシェイラの名を見つけ次第秘密裏に王子に献上し、王子が握り潰しているからだ。

 何通も出してそのうち一通でもその者が見落とすことがあれば、無事通る可能性も無いわけではない。

 そうでなくとも短期間に提出された何通もの申請書を周りにバレずにくすねるのは大変なはず。

 

「よし、うちの複写機を使おう。俺達の愛の重さ分の枚数刷ってやろうぜ」

「ええ!なら百枚二百枚じゃ全然足りないわね!」


 運命のダンスパーティまであと半月。

 本当に通ったら儲けもの、少なくとも嫌がらせにはなるだろう。

 数枚の書類なら優雅に握り潰すであろうところ、それを何千回も繰り返す間抜け作業になると思えばちょっとは溜飲が下がるというものである。



 ◆◆◆



「クロードと一緒に出られないならダンスパーティなんて行く意味が無いじゃない〜!」


 半月後、ダンスパーティ当日。

 王都のタウンハウスに移動し、全身ドレスアップをして後はもう出発するだけとなったシェイラは、ついに当日まで婚約申請書の承認が返って来なかったことを嘆いていた。


「ごめんな。俺も出来ることなら君をエスコートしたかった」


 招待を受けていないクロードでは、シェイラの正式な婚約者としてでしかパーティには参加できない。

 さすがに門で婚約承認書の提示を求められることは無いが、だからと言ってルールを破っていいわけではない。どっかの国の王子でもあるまいし。


「クロードは悪くないわ。役所の怠慢よ」

「最近王都の役所で文書大量炎上事件なんてことがあったって新聞に載ってたし、明確に期限の無い婚約申請の審査なんて後回しにされてるのかもしれないな」

「もう、こんな時にそんな事件が起きるなんてタイミングが悪いんだから」


 なんでも、ちょうど貴族の戸籍や婚姻申請を管理する一部署でとある職員がいきなり奇声をあげながら大量の書類をかき集め火を放つというとんでもない事件があったそうだ。

 幸いすぐに消火がされ人的被害はゼロだったが、何千枚もの書類が焼失してしまい、現場は大混乱らしい。

 犯人は何故そんな暴挙に出たのだろう。何かヤケになることでもあったのだろうか。


「パーティ会場にはなんとかツテで給仕として潜り込めるようにはしたから……」

「それは凄いけども!」


 まあそんな犯人の事情に思いを馳せるよりも、今は悲しむシェイラを元気付けることの方が重要だ。

 せめて同じ会場内には居れるように準備はしておいた。ほんの慰めにしかならないとしても。


「うう〜給仕なんていいから私をこんなつまらないパーティから攫っていって……!」

「ダイキチがいるから出来ないこともないが」

「オンギャ?」

「今完全に『呼んだ?』のイントネーションじゃなかったかダイキチ」


 鳴き声のバリエーションの尽きないダイキチがクロードの肩に顎を乗せる。

 給仕として招待客より前に会場に着かなくてはいけないので、クロードは一足先にダイキチに乗って城に行く予定であった。

 ただその前に一目シェイラのドレス姿を見てからということでここにいる。


「せっかくクロードが選んでくれたドレスなのに」

「ああ、とても似合ってる。まるで花の妖精だ」

「うふふ、ありがとう」


 ローズピンクの髪と瞳に合わせた、ブロッサムピンクの裾から上にかけてからだんだんと色濃くなっていく生地に、赤の糸で花の刺繍が施されたドレス。クロードがシェイラに一番似合う色をと選んだものだ。


「そういえばあれからドレスの追撃はないか?」

「ううん、なかったわ。あの時はアドバイスありがとうクロード」


 ところでパーティの三日前に、匿名でシェイラ宛にドレスが届いていた。見事な金の花の刺繍が施された青色のドレス。関係無いがこの国の王子の髪は金で瞳は青色である。

 ちょうどクロードとシェイラが庭でお茶会をしている時にそれが届き、クロードが『最近平民の間で問題になってる送りつけ詐欺かもしれない。クーリングオフしよう』とアドバイスして事無きを得たのだ。

 危うく後から高額な請求をされるところであった。あとこれも関係無いがこの国の古びた慣習の一つにダンスパーティには婚約者の髪や目の色のドレスを着るというのがあったりする。

 クロードのほぼ黒に近い紫の髪と瞳に合わせたら年中喪に服してるようになってしまうのと、本人の好きな色や似合う色を選ぶのが一番良いと思っているのでクロードは特にその慣習に従う気は無いが。


「まったく、伯爵家相手に送りつけ詐欺なんていったいどこの誰だろうな」

「市井の犯罪に疎い貴族を敢えて狙ったってわけね……巧妙だわ……」


 あとこれも関係無いが、原作の表紙でシェイラが着ていたドレスは青地に金の糸の刺繍がされたドレスで、背後で王子が顎に手を当て意味深な微笑を浮かべていた。

 シェイラのローズピンクの髪と目に鮮やか過ぎる青は色が喧嘩してあまり似合わない。が、やっぱりこれも今となっては関係無いことである。



 ◆◆◆



『貴女、そのドレスは何?』

『これ見よがしに殿下の髪と目と全く同じ色……なんて図々しいこと』

『最近は平民にまで擦り寄っていると聞きましてよ?見境が無いのもいい加減になさいまし』


 原作最終章『運命の舞踏会』の冒頭のシーン。

 元婚約者に夜逃げされたシェイラは、ついにパートナーを見つけられないまま王宮のパーティに参加することになる。

 夜逃げのショックのあまりドレスの準備もままならないでいたところ、パーティの三日前に匿名でドレスが送られてきて、不思議に思いながらもそれを着ることにしたシェイラ(何故かサイズもピッタリと合っていた)。

 しかしそれが偶然にもレオネクス国第一王子フレデリックの髪と目の色と全く同じであったことで、以前より王子と気安く会話する仲であったシェイラを妬んでいた令嬢達により取り囲まれ、糾弾が始まってしまう。

 これは親切な誰かが匿名で送ってくれたドレスだなどと言えるわけもなく、シェイラが口籠もる。


『そんな図々しいドレス、こうしてあげるわ!』


 令嬢達の一人がワイングラスを掲げ、シェイラに投げつけようとしたその時。


『おや、これはいったいどういうことだい?……僕が贈ったドレスに何か問題でも?』

『フ、フレデリック殿下!?』


 煌めく金髪と鮮やかな青い目のフレデリック第一王子が、ワイングラスを弾き落とし、シェイラの目の前に立っていた——。



 ◆◆◆



 と、原作ではそんな感じのシーンだったなぁと思い出し、クロードがワインで濡れてまぶたに張り付いた髪を片手でかき上げた。

 もう片方の手には何とかキャッチした空のワイングラスが握られている。

 弾き落とすなんてとんでもない。これ一つでいくらすると思ってる。クロードの今晩のバイト代全額でも遠く及ばない額である。


「クロード!大丈夫!?」


 駆け寄ってきたシェイラに小さく頷きを返し、何事もなかったように近くの別の給仕を手で呼んでワイングラスを託す。

 ただの給仕がパーティ参加者と気安く会話するわけにはいかない。

 それにしても、王子という存在はこうも年頃の女性を狂わせるものなのか。

 原作では王子の髪と目の色と同じドレスであったことで絡まれていたシェイラだが、今は全く違う色のドレスであるのに同じことになってしまった。

 なんと王子の目の青も髪の金もどこにも使わず、近い色ですらなかったそのドレスが『逆にワザとらしい』とのことで、令嬢達に責め立てられていたのだ。

 言われてみれば他の年頃の令嬢達のドレスはあの原作表紙のドレス程ではないものの、青や金を一部に取り入れたり、それに近い色のものが多い。

 婚約者の色を身に纏うというのは古い慣習であるが、だからこそ最近は女性側からさりげなく好意を示す手段として、意中の人の色を身に纏う新しい流行もあると聞く。

 フレデリック王子の成人を祝するパーティとなれば、暗黙の了解でその妃選定の側面もあり、婚約者のいない令嬢達は皆精一杯アピールをする。

 そんな中シェイラの『不自然なまでに一切のアピールをしない』装いは、『そんなことをしなくても王子は私を見てくれる』と自慢しているに他ならない……らしい。

 というわけで修羅場が勃発、令嬢達に取り囲まれたシェイラを見て、クロードが急いで駆けつけた次第である。

 しかし王子は何をしている。いちゃもんの細かい内容は変わったとはいえ、原作通りのイベントならば王子が助けに来てもいいはずなのだが。


「……シェイラ?これはいったいどういうことだい?僕が贈ったドレスは……」


 そうクロードが思った途端、ニュアンスはだいぶ変わるが原作に近い台詞が飛び込んで来た。


「フレデリック殿下!」


 シェイラの嬉しそうな声で、背後にいる男が予想通りの人物であることを悟る。

 ……いやちょっと待て。

 嬉しそうな声?……嬉しそうな声!!?


「えっ!?」


 クロードは思わず声を荒げて振り返った。

 自分がすぐそばにいるのに、王子が近づいてきたことでシェイラがそんなに嬉しそうな声を出すなんて!


「ご挨拶が遅れ申し訳ございません、フレデリック殿下。この度はご成人おめでとうございます。本当はすぐにでもお祝いしたかったのですが、私などが他の皆様を差し置いて殿下にお目通り願うわけにもいかず、機会を窺っておりました」


 まさに待ちきれなかった、と言うように弾んだ仕草でカーテシーをし、フレデリックに話しかけるシェイラ。


「フフッ、気にしなくていいよ。僕と君の仲じゃないか」


 最初はシェイラが着ているドレスのことで訝しんでいた様子だったフレデリックも、シェイラの反応に気をよくしたのだろう、ふわりと笑みを浮かべている。


「……!」


 成る程イケメンだ。これぞ物語の王子であろう金髪青い目のイケメンだ。

 原作の表紙でわかってはいたが、実際に目の前に見る王子は本当にイケメンであった。

 楽しげに歓談する二人を見て、クロードは唐突に不安に陥った。

 王子がどんな邪魔をしてこようとも、その裏をかいてやろうと思っていた。実際そうしてきた。

 だが裏も何も、シェイラが純粋に王子に惹かれてしまっては成すすべなんて無い。

 クロードがどんなに原作から外れた動きをしようと、王子の行動は変わらなかった。

 ではシェイラは?原作のシェイラは中盤までずっとそんな素振りはなかったのに、終盤で王子からの好意を知った途端に王子を意識するようになっていた。

 今のシェイラも、そうなってしまう可能性があるというのか?


「……ところで。君はいつまで僕のシェイラをそんなに醜い顔で見ているつもりだい?」


 不意にフレデリックが視線を上げ、いまだにシェイラをギリギリと睨んでいた令嬢達に鋭い言葉を突き刺した。

 途端に憎々しげな顔から一転、我に返ったように「も、申し訳ございません!」と口々に言い残し、令嬢達が散り散りに逃げて行く。

 クロードではただかけられたワインの盾になることしかできなかったところ、王子はいとも簡単にその元凶を追い払って見せた。


「悪かったね、シェイラ。僕のパーティで不快な思いをさせてしまったのだから、何か詫びをしないと。何か僕にしてほしいことはないかい?なんでも一つだけ叶えてあげよう」


 そして次に王子がシェイラへとかけた、覚えがあるその台詞。

 これぞ原作の最後の見せ場のシーン。

 意地悪女達を華麗に追い払い、邪魔者がいなくなったところで始まる王子とヒロインの特別な会話。

 王子にとっては給仕の男なんてただの背景の一部でしかないのだろう。少し離れてはいるとはいえ、同じ場所にいるクロードなんて気にする様子も無い。


「殿下……その言葉を待っておりました……!」


 このシェイラの台詞も原作通りだった。

 なんでも叶えてくれるという王子にシェイラが望むのは勿論、彼女が原作の最初からずっと求めていたもの。『私、婚約者が欲しいです!どうか良い相手を紹介してください!』と答えるシェイラに、王子が『では目の前にいる男はどうかな?』と提案し、驚く彼女へ王子がキスをして物語はハッピーエンドを迎える。


「シェイラ……?」


 でもまさかそんな、ここまできてシェイラがクロードのことを忘れて王子を選ぶなど考えられない。

 無意識のうちに片手を伸ばし、クロードがシェイラの名を掠れた声で呟いたその時。

 王子をまっすぐに見つめ、シェイラが口を開いた。


「この先々月から出し続けてる婚約申請書に判子押してください!王家の委任を受けてるお役所が全っ然仕事してくれないんです!!」


 王子、クロード、走り去ったものの背後を気にしていた令嬢達、実はこっそりと王子とそのお気に入りらしい子の動向を注視していた周囲の人々が言葉を失う中、シェイラの「サインでも構いません!」との力強い声が響き渡った。


 

 ◆◆◆



 結論から言うと、シェイラとクロードの婚約申請書には国王からのサインが綴られることとなった。

 

「うふふふふ、やっとだわ、やっと私達正真正銘の婚約者になれたのね!」


 承認の下りた婚約申請書を握り締め、ひと気の無いテラスにてシェイラがくるくると舞う。


「まさかそれ持ってきてるとは思わなかった……」

「こんなこともあろうかといつでも持ち歩いてたの!」


 シェイラのあの衝撃発言の後、王子はそれでも食い下がってきた。『つまり……正式な婚約者が欲しいということだね?それならもっとオススメの男がいるのだけど、どうかな?』と優雅に笑みを浮かべてみせてきた。

 それをシェイラが『いえ!クロード以上の人なんていません!』と切り捨て、しかし『フフッ、面白いことを言うね。でも……本当にそうかな?』と王子はまだ笑みを浮かべ、シェイラが『本当にそうです!』と笑顔で答え、まだまだ微笑をたたえた王子が『君は忘れているよ。その男よりもっと近くにいる……運命の人を』と前髪をさらりと流したところにシェイラが食い気味に『居ません!』と言い切り、さすがに周囲も居た堪れない空気になってきてもなお笑みを絶やさない王子の『でも例えば……この僕、とか……さ』とのウィンクをシェイラが無情にも『無いです!』と打ち返したところで、いつのまにか近くに来ていた国王が『これ以上恥の上塗りはするな』と王子の肩を叩いた。

 そうなってもなお『いえ、僕はただ彼女の過ちを正そうと』と言いかける王子を『なんでも叶えると言ったのだろう。王族が一度した約束を反故にする気か』と王は遮り、呆然とする息子に代わりサインをしてくれたのである。

 国王の台詞には覚えがあった。

 原作ではこれは少し違うものの王子の台詞だった。

 いきなり結ばれた王子とシェイラの婚約に反対する令嬢達に向かって、王子が『僕はなんでも叶えると言ったからね。王族が一度した約束を反故にするわけにはいかないだろう?』と言い放ち、してやったりと黒い笑みを浮かべていたのだ。

 国中の貴族が集まる公の場で国王により保証された婚約だ。これでもう王子ですらシェイラにもクロードにも手出しはできない。

 原作で他の令嬢達が王子とシェイラの婚約に反対できなかったように。

 つまり王子は結局、最後は自分で埋めたつもりの外堀に退路を塞がれる形になったというわけだ。


「外堀埋めるだけ埋めて本丸を落とさなかったら意味ねーわ」

「なあに?商売の話?」


 また詫びの代わりか国王は更に、シェイラの相手がこの場にいる給仕の男だと知るや、替えの服と仕事を切り上げてこのままパーティに参加する許可もくれたのである。

 そんなわけで二人でホールで踊り、休憩がてらテラスに出て今に至る。


「文通も、聖花祭のデートも、舞踏会に婚約者と一緒に出ることも……クロードに出会ってから、私の夢はどんどん叶っていくわ」


 テラスの手すりに手を乗せて、ずっと浮かれていたシェイラが噛み締めるように言った。


「今回は俺はいいとこ無しだったけどな」


 同じく手すりに寄りかかり、クロードが苦笑しつつ答える。


「ううん、助けに来てくれた時すっごくカッコ良かった!」

「そうかぁ?ならいいけど」


 今夜のMVPは間違いなくシェイラだ。王子の口説き文句を容赦なく打ち返すさまは、うっかり拍手を送りたくなるほど見事であった。一瞬でもシェイラが王子の手を取るかと焦燥してしまった己が恥ずかしい。

 原作ではなく、今ここに居るシェイラを信じるだけで良かったのに。

 

「じゃあまあ、今日の最後に一つ君の願いを叶えようか」


 とはいえこのまま彼女にお株を奪われたままでは男が廃る。

 クロードが手袋を外して指笛を吹くと、どこからともなく大きな羽で風を切る音が聞こえてきた。

 そしてその音はどんどん大きくなってくる。


「クルゥゥウウウックルァァアアアア!」

「最後まで鳴き声安定しないのか」


 次の瞬間には、テラスの上空にダイキチが現れ、ぐるりと一回転を披露してからクロード達の目の前に着地した。


「パーティから攫って欲しいって言ってただろ?ここから二人乗りして帰ろう、お姫様」

「……っ!うんっ!」


 帰りがこれになることはプリムローズ家の御者には予め伝えてある。

 クロードもパーティに参加できたのでもうそんな必要は無いとか、家に帰るのでは『攫う』とは言えないとか、懸念事項は色々あるがロマンティックなら細かいことは気にしない。


「私、好きな人に攫われるのが夢だったの!」

「それはもう俺以外に叶えられる気がしないな」


 クロードが大仰な動作で手を差し出せば、シェイラはそれはそれは嬉しそうに自身の手を重ね、空に攫われるためのエスコートを受けたのだった。




もう何度書いたかわかりませんがキラキラのイケメン王子様より当て馬地味男子を選ぶ可愛い女の子が好きです。



宣伝になりますが

他連載作『嫌われ令嬢は愛されたい』の新見まにも先生によるコミカライズが本日(2023/8/1)よりピッコマにて配信開始になります。

どうぞよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
そう!こういうの!こういうのでいいんだよ! 腹黒系ヒーローはこの人にしかヒロインは扱えない系の人じゃないとグッとこないタチなので本当にありがとうございます! 素直に好意を伝えられない男よりも伝えてくれ…
2025/06/16 01:47 ドール・D・相原
ただの王子で成人もしてないヤツに権力持たせすぎ問題・・・ダイキチかわいい
>「外堀埋めるだけ埋めて本丸を落とさなかったら意味ねーわ」 名言いただきましたー! 外堀埋め腹黒ヒーロー嫌いにとって最っ高のアンチテンプレ! 主人公もヒロインも好感度高い! あとダイキチかしこいかわ…
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