折角見逃してあげた姉がしつこいのでさくっと破滅させてしあわせになろうと思います
もうお仕舞だわ。
侯爵家からの手紙を握りしめ、わたくし、リュシオル・クラテールはそうつぶやきました。
手紙の内容は、至極単純です。
『お宅の次女のリュシオルは評判が悪いのでうちの嫁に相応しくない。よって、婚約破棄』
『ただ、婚約を結んだり破棄したりしていたらこっちの評判が落ちるので、かわりに姉を寄越せ。そっちと前から婚約していたことにする』
『結婚は予定どおりに半月後行う』
『そっちが娘をきちんと監督できていないのが悪いので逆らうな』
以上です。
つまり、これまで侯爵家の嫡男であるサンドルさまと婚約していたわたくしがその座を降り、かわりに姉がサンドルさまと婚約する、ということです。
相手の家との力関係を考えると、この提案を断ることはできません。というか……。
「リュシオル、わかった? そもそもお前では、王女さまの孫であるサンドルさまには相応しくなかったのよ」
「……お姉さま……」
わたくしの目の前では、姉のネージュが勝ち誇ったように胸を反らしています。ご自慢の整った顔には、意地の悪い笑みがうかんでいました。
お姉さまはわたくしの手から手紙を奪いとると、椅子に座って脚を組んでいるお父さまへしなだれかかります。意地の悪そうな表情はなくなり、父を思う娘の顔になっています。わたくしと違って華奢な姉がうかべるこの表情に、どれだけの人間が騙されてきたでしょう。わたくしだって、今にも騙されそうです。
「お父さま、わたくし、リュシオルの失敗をしっかり挽回してみせますわ」
「ああ、ありがとうネージュ」
お父さまはまっしろになったひげを撫で、小さな目を激しく瞬かせました。わたくしと同じ色の瞳は、わたくしを決して見はしません。わたくしはそのことに動揺しました。侯爵家が力を持っているといえ、突然婚約を破棄されたわたくしの心配は、一切してくれないのでしょうか。
お父さまはわたくしの気も知らず、目頭を拭い、お姉さまの手を握ります。
「お前が居なかったら、シエル家になんと云われていたか。婚約を結んだ時といい、あちらにはふりまわされてばかりだ……」
「お父さま、そんなことは考えなくても宜しいですわ」
お姉さまは優しく云い、お父さまの肩やひげ、うすくなった頭髪をやわらかい手付きで撫でました。
わたくしが一歩、前へ踏み出すと、お姉さまの睨みが飛んできます。わたくしは首を絞められたみたいになって、その場で凍り付きました。美人のお姉さまの睨みには、怯えざるを得ない迫力があります。
わたくしが動きを停めたのを見て、お姉さまは満足そうに頷きます。またしても意地の悪い顔をしていましたが、それは一瞬で、すぐに心配そうな顔をつくります。
「それよりもわたくし、心配していることがございますの……いえ、もう嫁ぐわたくしが口出しすることではないのでしょうけれど……」
「なんだ、ネージュ?」
「リュシオルのことですわ」
お姉さまがわたくしを見ました。「リュシオルの派手好きは社交界でも有名です。可哀相ですが悪い評判も立っていますし、このままでは結婚できる見込みはございませんわ。わたくし達姉妹を幼い頃から知ってくれている、ペルル伯爵でしたら、リュシオルが本当は優しい子だってご存じです。お父さま、伯爵は奥さまが亡くなって長いですし、リュシオルをもらって戴いたら……」
子爵令嬢リュシオル・クラテールの名前は、この国の上流階級ならばそのほとんどが知っているでしょう。
派手好きで、ドレスやアクセサリー購入に莫大なお金をつぎ込み、男遊びが激しい。
独身貴族だけでなく、将来有望な若者達まで毒牙にかけ、とうとう司教にまで手を出そうとした。
男遊びが辞められず、とうとう庭師や馬丁と戯れているところを見てショックで母親は寝込み、そのまま死亡。品行方正な姉が説教するまでに至った……。
それがひろく信じられている話ですが、実際は違います。
わたくしはこの十年、あたらしいドレスを仕立てたことはありません。お姉さまのお下がりを解いて、布を足し、縫い直して着ています。アクセサリーも、生前のお母さまにもらったものを幾つか持っているだけです。
着道楽で、次々にドレスを縫わせているのは、お姉さまなのです。
それも、ファッションにうといお父さまお母さまにばれないよう、最高級の布地と宝石をつかっているのに地味に見えるものをつくらせていました。わたくし自身も、つい最近まで知らなかったことです。
目立つ柄や大きな宝石をつかえばお父さまでもあたらしいドレスをつくったことに気付きますが、お姉さまはほんの少し襟の形をかえたり、袖の形をかえたりで、幾つものドレスをこしらえているのです。最近流行りの深い灰色で何着ものドレスをつくらせても、お父さまには違いがわかりません。
男性とのあれこれに関しても、お姉さまのやっていたことです。といっても、わたくしの噂ほど酷くはないでしょうが。
お姉さまはよく、「男性からの愛の言葉は女性に必要なものなのよ」と云っていました。
わたくしはその言葉を理解しておらず、きちんと愛してくれる伴侶を得ることが女性の人生に必要なことだという意味だと捉えていました。お父さまとお母さまのように、愛し合っている夫婦が理想だと。
去年の夏、お母さまが亡くなったのが、わたくしにとってはすべてのはじまりでした。
もともと、あまりひと付き合いが得意ではなく、ひとの顔と名前を覚えるのが苦手なわたくしは、社交シーズンになっても都へ出ることは稀でした。婚約者の……婚約者だったサンドルさまも、わたくしの気性をご存じで、それでいいとおっしゃっていたのです。手紙を送りあい、サンドルさまが我が家の邸まで足を運んでくださって、楽しくすごすことがよくありました。
もともと、お姉さまとサンドルさまが婚約する筈でした。それを、いとこのひとりと結婚して我が家を継ぐ予定だったわたくしが婚約することになったのも、サンドルさまのご要望だったとわたくしは聴かされています。
去年の夏も、わたくしは都へ行かず、お姉さまとお母さまだけが向かいました。といっても、貴族同士のかしこまった集まりへ顔を出すなど、お体の調子がよくないお父さまにかわって、クラテール家の代表としてお仕事をされる、というのがわたくしの認識でした。お姉さまは、いとこのひとりと結婚してクラテール家を継ぐことが、内々に決まっていたからです。正式な発表こそないものの、周知の事実でした。いとこはすでに、クラテール家の資産運用にかかわっていますし……。
サンドルさまと会う約束をしていたわたくしは、それを心待ちにしていたのですけれど、都からお母さまが急死したと連絡があり、サンドルさまとの予定を取り消しました。
思えば、それからあのかたには会えていません。
お母さまの遺体はすぐに、領地まで戻ってきました。お姉さまも一緒で、呆然としていたのを覚えています。お母さまが亡くなったのだから、当然の話です。
お父さまがお姉さまの付添人に話を聴くと、お母さまが都にある邸で馬にはねられ、亡くなったと説明したそうです。馬車の前にとびだしたのだ、と。事故が起こった場所から、お母さまの非が大きいと判断され、御者達は暇を出されるだけにとどまったそうです。お父さまは納得しなかったのですが、事故についての報告を聴いた殿下がそのようにご裁可なさったので、我が家は逆らえません。
わたくし達はお葬式をあげ、喪に服しました。
けれど、わたくしは違和感を持っていたのです。
お母さまは、とても慎重なひとでした。馬車の前にとびだすなど、ありえません。急いでいたのか、それとも馬車に気付かないくらい集中していたのか、とにかくよほどのことではなければ、そういった行動をとるひとではありませんでした。
疑問を持ったわたくしは、お姉さまへ相談しました。その頃は、お姉さまを信じていましたから。
お姉さまは、それまででは考えられないくらい激高しました。嘘を吐いているとでも云うの、と、わたくしをぶったのです。
いきなりぶたれ、わたくしは訳がわからなくて、ひきさがりました。お姉さまは、美しくて優しくて、そのようなことをするひとではないと思っていたのです。なにか、よほどの事情で、わたくしがお姉さまを動揺させてしまったのだ、わたくしが悪かったのだ、と。
お姉さまはなにか焦っているみたいに見えました。
けれど、その一件で、お姉さまへの不信感が芽生えたわたくしは、それまではなにも考えずに見ていたもの、聴いていたことに、多少は注意を払うようになりました。そして偶然、とんでもないものを見付けてしまったのです。
アクセサリーの領収証です。それは、わたくしの名前で発行されていました。
わたくしはそれを持って、お姉さまをさがしました。お姉さまはお父さまと、テラスでお茶を楽しんでいました。妻を亡くしたお父さまを慰めに、ペルル伯爵をはじめ、複数の殿方がそこに居ました。どなたも、お父さまの幼馴染みか、そのご子息です。
わたくしが手にしているものが見えたのでしょう。こちらがなにか云う前に、お姉さまが立ち上がって、わたくしを強くぶちました。
わたくしは倒れ、領収証がばらばらと空を舞いました。
「お母さまが亡くなったばかりだというのに、またあたらしいドレスの話なのっ、リュシオル! お前には呆れたわ!」
お姉さまがそう叫び、わたくしを糾弾しました。わたくしは反論しようとしたのですが、お姉さまが猛烈な勢いで喋りまくり、口をはさませませんでした。
それになにより、沢山の証拠がありました。ドレス、宝石、高価なクラレット、靴や髪飾り……それらすべてのものを、お姉さまはわたくしの名前で買っていたのです。
我が家へ届きさえすればいいのだから、わたくしの名前でも不都合はありません。その場でお姉さまの味方をした付添人やメイド達も、おこぼれに預かっているのでしょう。届いたものを、わたくしではなくお姉さまへ引き渡す人間が、必要ですから……。
わたくしはといえば、お父さま達は云わないけれどうちは台所が厳しいのよ、悪いけれどわたくしのお下がりで我慢してね――というお姉さまの言葉を、丸呑みで信じていました。おそらくそれも、事実ではないのでしょう。
我に返った頃には、お父さまは怒りで顔をまっかにしていました。お父さまはわたくしの言葉に耳を貸さず、邸から出るなとひと言、命じられました。
揺れる馬車のなかで、わたくしは爪を弾いていました。昔からの癖で、爪が傷むからやめなさいとお母さまに散々注意され、気を付けていました。治ったと思っていたのに……。
馬車は、ペルル伯爵のお邸へ向かっています。あのあと、わたくしがなにか云う前に、お父さまがお姉さまの提案を受け容れてしまいました。すぐにペルル伯爵へ手紙を出し、ペルル伯爵はわたくしを迎えるとおっしゃったそうです。
だからわたくしは、お父さまと同い年のペルル伯爵のところへ、今から嫁ぐのです。
以前から、ほんの少しだけど、不信感はありました。
お姉さまは楽器やダンスの名手で、社交的で、それに美人です。でも、時折ずるい顔を見せることがありました。
いつだったか、冬祭りの贈りものを、お姉さまがふたつとったのを見たことがあります。あれはひとりひとつまでしかとってはいけないものなのに、お姉さまは素知らぬ顔でひとつをさっと袖のなかへ隠し、もうひとつをにっこりして胸に抱きました。
冬祭りの贈りものは、時の王太子から貴族の子女へ配られるものです。中身は金貨数枚から、小さいけれど価値の高い宝石まで、様々あります。同じ包みにいれられていて、大体同じ大きさなので、包みを破るまで中身はわかりません。
殿下と、若い世代の貴族の関係を強化する目的ではじまったものですが、今では小さな令嬢令息達のお楽しみになっている行事です。
王家は貴族の子どもの数を把握しているから、誰かが余分にとったら、贈りものをもらえない子が出てしまう。
わたくしはそう思って、その時、贈りものを辞退しました。持ってきた使者が驚いたように、何度も何度も確認してきたのを覚えています。わたくしはそれでも、断りました。
「なによ、リュシオル、あんただけがいい子みたいじゃない」
お姉さまは使者が帰っていったあと、ぐちぐちとこぼしました。「ああいうものは予備を用意しているのよ。あんたってばかなのね。お父さまそっくり。せっかくお金があるのにしみったれてるのよね、お父さまもお母さまも」
「お姉さま、やっぱりふたつとったの?」
「ええそうよ」
わたくしの見間違いならと思っていたのに、お姉さまはあっさりと肯定しました。
「何度も云うけど、ああいうものは予備を用意しているの。都から遠い場所に領地のある貴族への贈りものがなくなったら大事でしょ。あんたそれくらい考えなさい。ちゃんと頭をつかわないと、お父さまやお母さまみたいになるわよ」
「考えたから辞退したの」
そう返すと、お姉さまはふんと鼻を鳴らし、それでその話は終わりました。
もやもやしたものが胸に残っていたけれど、お父さまやお母さまにそのことを伝えようとは思えませんでした。わたくしは口下手だから、お姉さまの云ったことをそのまま伝えるしかできません。お父さまやお母さまを悪く云ったと告げ口するのはいやだったのです。
あの時、お父さまへ伝えていたら、どうなっただろう?
わたくしは頭を振ります。お父さまのことです。口下手ですぐに口ごもるわたくしの言葉を、信じてくれません。お姉さまがいいわけをすればそちらを信じたでしょう。
お母さまなら信じてくれたでしょうか。
お母さまのことも、確証はないですが、お姉さまが原因だったのだろうと思います。お姉さまはわたくしがなにも云わないのに、お母さまがわたくしのことを訊いてショックで飛びだしたとか、それで馬車にはねられたのだとか、そんなことを云っていました。とっさに出た嘘だとしては、真実味があります。わたくしではなくお姉さまのことで、お母さまは冷静さを失っていたのではないかしら……。
哀しいのは、わたくしが都に行かなかったことを知っている筈のお父さまが、どういう訳だかお姉さまのごまかしを信じていることです。
お父さまのなかでは、お母さまと都に行っていたのはわたくしで、お姉さまは領地に残っていたということになっているようなのです。お姉さまがあまりにも強くそう喚くので、お父さまの記憶がすりかわったのだろうとしか考えられません。多くの親族の間で、わたくしとお姉さまは混同されていて、いい評判はすべてお姉さま、悪いものはすべてわたくしの名前で語られているようでした。お父さまでも、わたくしとお姉さまを混同しているのでしょう。
もとから、口下手なわたくしより、お喋りが上手で社交的なお姉さまのほうが、お父さまやお母さまに気にいられていました。親族やお父さまの知り合いからも、お姉さまは評判がいいのです。
わたくしの気持ちは誰も考えてくれませんし、誰もわたくしを顧みることはありません。
馬車が停まり、ペルル家の使用人達に促されて、わたくしは馬車を降りました。
「おじさま……伯爵さまへご挨拶さしあげたいのだけれど」
「申し訳ございません、お嬢さま」
ペルルの使用人は堅苦しい口調です。しっかりと頭を下げ、続けます。
「結婚前に新婦と新郎が顔を合わせるのは、縁起が悪うございます」
「……わかりました」
わたくしは項垂れ、使用人に案内されてお邸へ這入っていきました。
お邸内は静まりかえっていて、わたくしはメイド達に手伝われて、花嫁衣装にきがえました。
ペルル伯爵領の特産品である真珠が沢山縫い付けられた、豪華なものです。こんな素敵なドレスは着たことがありません。
お相手がサンドルさまだったら……と頭をよぎりましたが、サンドルさまはわたくしとの結婚をいやがったのです。仕方がありません。
「お嬢さま、こちらでございます」
昔からわたくしを知っているメイドが、気遣わしげな調子で案内してくれました。お邸の隅には立派な礼拝堂があります。そこで、結婚式を挙げるのです。
わたくしはヴェール越しに周囲を見ました。黒いローブを着た司祭さまが待っているのが目にはいります。わたくしは、ブーケを持つ手が震えているのに気付きました。
「リュシオル」
ゆったりとした呼びかたは、ペルル伯爵の癖です。
幼い頃、わたくしを膝へのせて、絵本を読んでくださいました。お若い頃に結婚し、ご子息を得たもののすぐに奥様を亡くされたペルル伯爵は、わたくしによく、娘が居たらリュシオルのようだったに違いないと云ってくれたものです。
このかたなら、夫婦としてやっていける……。
そう思い込もうとしましたが、わたくしにとってペルル伯爵はお父さまのようなかたで、それ以外ではありません。夫とすることは、やはり考えられませんでした。
ペルル伯爵が、わたくしの腕をとり、歩き出しました。わたくしは足をひきずって歩いていきます。ふたりで祭壇の前まで行くと、司祭が祈りの言葉集を開きました。
ペルル伯爵が小さく笑い声をたてます。
「やあ、おそかったな。リュシオル、花婿がやっと到着したようだよ」
ペルル伯爵が見ているほうを向くと、息を弾ませ金の髪を乱して、サンドルさまが立っていました。
結婚の誓いは滞りなくたてられ、司祭は満足そうな様子で帰っていきました。
「あの……これは一体、どういうことですの?」
社交室の暖炉の前で、ペルル伯爵はソファに腰掛け、脚を組んで寛いだ様子です。わたくしはその斜向かいに、サンドルさまと寄り添って座っていました。
ふたりに促されるまま、結婚を誓ったのです。サンドルさまと。
サンドルさまと結婚すること自体は嬉しいから、断れなかったけれど……。
サンドルさまの髪が跳ねているのに気付きました。手櫛ですくと、彼はくすぐったそうに微笑みます。紫色の瞳が、きらきらしていました。
「君のお姉さんの言葉をかりるとね、リュシオル」
おじさまは指を組みます。
「僕はね、ずっと前から、君のお姉さんをきらっていた」
「え……?」
「君は気付いていないみたいだけど、あの子は何度も、君のお菓子をとったり、君の手柄を自分のものにしたりしていた。二回、皆に見えないところでお説教したんだが、それからもずるいところはかわっていないようだった」
お菓子。たしかに、お茶の時にわたくしだけお菓子が出てこないことは何度かありました。しかし、手柄、というのはなんでしょう。
わたくしの顔で疑問がわかったようで、ペルル伯爵は微笑みました。
「君は裁縫が得意だろう? 君が縫ったものを、自分が縫ったといって、母親に何度もご褒美をねだっていたんだよ」
「まあ……」
「彼女は君の名前を出して両親にお金を出させることも繰り返していた。君がなにかをほしがっているとか、そういうことを云って……だから、領収証をあれだけ持ってきたのを見て、また同じ手をつかったんだなと思ったんだよ」
伯爵は頭を振ります。「だが、残念ながらクラテールは僕の言葉に耳を貸さなかった。それに関しては僕の手落ちだ。君の姉のずる賢いところに気付いた時に、すぐに伝えておけばよかったんだ。それを、君の姉の評判を傷付けないようにと気を遣って、当人に注意するにとどめたのが間違いだった。君の家の財政は、娘が多少お菓子やドレスを欲しがったくらいではどうにもならないしね。甘かったよ」
その言葉で、自分が騙されていたことに改めて気づかされました。
勿論、部外者のおじさまがクラテール家の財政の本当の部分を知っているとは限りませんが、おじさまは真珠の養殖や販売で名をはせているかたです。お金持ちなのか、お金があるように装って実際はそうではないのか、その区別はつくでしょう。なによりこのかたは、お父さまの幼馴染で、無二の友人なのです。
それでもまだ、心のどこかにお姉さまを少しでもよく思いたい気持ちが残っていたようです。それに、クラテール家を心配する気持ちも、少しはありました。
わたくしはおずおずと、口にしています。
「おじさま……あの……我が家は、お金に余裕があるのですか?」
「どういう意味かな? ああ、クラテールは君に、収支を知らせていないのか? 娘に……ネージュのことだったんだな。あいつは君とお姉さんとを一緒くたにしているから、お姉さんに伝えたら君にも伝わっているものと思っているんだろう」
おじさまは頷きます。「貴族がその領地の収支を、宮廷へ対して報告する義務があることは知っているね。僕はクラテールの頼みで、去年の収支報告書を作成するのに立ち会った。奥さんのことがあってがっくりしているから……一言で云うと、リュシオル、君の実家はこの先百年、なにもしなくても安泰だ」
「実際のところ」サンドルさまが苦々しげに云います。「僕と君の婚約だって、僕の家が君の家の財産を当てにして結ばれたものだよ」
衝撃でした。わたくしは口を開け、しかし呻くこともできません。おじさまが頷いているので、ご存じだったのでしょう。
「君のお父上は目端が利くと、口さがないことを云う者もあるね」
「事実です」
「まあ……だから、リュシオル、ネージュが三十人くらい居たら少々暮らしを引き締めなくてはいけなくなるだろうけれど、君の家に関しては心配は要らないよ」
わたくしの質問を、やさしい心から発したことだと誤解してくださったようです。わたくしはそれを訂正できませんでした。本当は、お姉さまに騙されていたばかな自分を認めたくなくて、すこしでも事実が含まれていないかと訊いたのに。
「だから、あの子にもっと厳しく云っておくべきだったし、気付いた段階でクラテールへ忠告しておけばよかったんだが」
「ペルル伯爵がなさったのは普通のことです」
呆然とするわたくしの耳に、サンドルさまがはきはきと云うのが聴こえました。
「子どもがそうと気付かず、ずるいことをしてしまうのはありうることです。注意され、あらためられなかった時から、それは当人の責任になるんですよ」
「サンドル、なかなかに手厳しいことを云う」
おじさまは微笑み、傍らのテーブルからゴブレットをとります。おいしそうにクラレットを呑んでいます。
わたくしはサンドルさまを見ました。
「ですが、何故? サンドルさまは……お姉さまと……」
「リュシオル、簡単な話だよ」サンドルさまはわたくしの手をぎゅっと握りしめてくれます。「僕は君を愛している。君以外と結婚するつもりはない」
サンドルさまは、侯爵が婚約を破棄するのを、停めようとしてくださったそうです。
ですが、サンドルさまのお父さまは、首を縦には振りませんでした。わたくしの噂を信用しておいでだったのです。
サンドルさまのお父さまだけではありません。多くのひとが、わたくしの噂を信じているでしょう。それを考えると、おなかが痛くなってきます。
「リュシオル? なにか心配ごとでもあるのかい?」
「あの……本当によかったのですか? わたくしと結婚してしまって。今なら、司祭さまを呼び戻して」
「なにを云っているの。君は僕がきらいなのかい」
「そのようなことございません」
「なら、いいじゃないか」
「ですが、サンドルさまは将来侯爵になるおかたです。わたくしのように評判の悪い娘が妻では」
「いや、僕は侯爵にはならないよ」
彼はにこっと笑いました。「家を飛び出てきた。お祖母さまは僕を応援してくれたよ。君のお姉さんは、僕の弟と結婚して、侯爵夫人になる訳だ」
一週間後、姉とサンドルさまの弟の結婚式が行われたと、噂に聴きました。
お父さまはわたくしのいとこ、ですからお父さまからは甥にあたる子を養子に迎え、クラテール家の跡取りとされました。本来、お姉さまと結婚する筈だった若者です。
わたくしとサンドルさまは、おじさまのお邸で、しあわせな夫婦生活を営んでいます。
わたくしはもとから、社交界に興味はないので、パーティなども行くつもりはありません。開くこともありませんでした。
サンドルさまも、お声がかかっても遠慮しています。おじさまのお仕事を手伝って、真珠の養殖の見学などもされています。おじさまの秘書になるという話が出ていました。
一年が経って、わたくし達夫婦は宮廷から呼び出されました。
「リュシオル! お前……!」
〈冬の宮〉の大広間に足を踏みいれると、そこには姉が、その夫と腕を組んで立っていました。サンドルさまにはあまり似ていませんが、社交界では評判の美男子です。
その隣で、姉は豪勢なドレスに埋もれるようになっています。侯爵家に嫁いで、好きにお金をつかっているのでしょう。それが悪いとは云いませんが、婚家に必要以上に経済的な負担をかけるのは、宜しくないのではないでしょうか。サンドルさまのお話では、シエル家はあまり、お金に余裕がないようですし。
大広間中の視線が自分に集まっていることはわかりました。わたくしはそれでも、毅然として顔を上げています。項垂れるものかと思っていました。
姉が扇をたたみ、それでわたくしを示しました。
「成程、噂を立てたのはお前だったのね! サンドルさまを騙して結婚したので満足していればよかったのに、どうしてわたくしの邪魔をするの? そんなにわたくしが憎いの?!」
「お姉さま」
お姉さまが口を噤みました。わたくしが云い返すと思っていなかったのでしょう。今まで、お姉さまにまくしたてられると、わたくしは黙ってしまっていましたから。
でも、今度は黙りません。
「お言葉はそのまま、お姉さまにお返しします。お姉さまこそどうして、わたくしとサンドルさまを放っておくことができなかったのですか? 放っておいてもらえたなら、お姉さまを告発するようなことはありませんでした」
お姉さまが口を開きましたが、侍従が陛下のお越しを宣言したので黙りました。
陛下と王太子殿下がいらっしゃると、わたくしとサンドルさまは丁寧にお辞儀し、姉夫婦もそうします。
陛下が口を開きました。
「皆、よく来た。今日は王太子の執政就任に際しての宴であるが、ひとつ、皆に伝えねばならぬことがある。シエル家は財務に関して不正があった。貴族に相応でないと判断し、その爵位を剥奪する」
サンドルさまの弟が声をあげました。
「陛下、お待ちください! それは故のないことです。妻の妹が妻を恨みに思い」
「証拠ならそちの兄が持って参ったぞ」
陛下は億劫そうに脇息へ寄りかかり、侍従へ顎をしゃくります。侍従が頷いて、帳簿を持ってきました。
姉夫婦が大口を開けます。
「領地の収入をごまかしていたそうだの。税も、法でゆるされているのの四倍もとっておる」
「それは……」
サンドルさまの弟が口をぱくつかせましたが、声はもう出ませんでした。
サンドルさまは、お祖母さまのウイエさまと親しくしておいでです。侯爵家を出た後も、ウイエさまだけはサンドルさまの味方でした。
侯爵家でおかしな動きがあったと、ウイエさまが教えてくださったのです。
ウイエさまは、サンドルさまのお父さまや弟が、税のことで話しているのを何度も見ました。それに不安を抱いたウイエさまは、手紙でわたくしに相談くださいました。
わたくしはサンドルさまとおじさまに提案し、侯爵家の領地まで行って、税について調べました。
わたくしはひと付き合いは苦手なのですが、見ず知らずのひとと話すこと自体は不得意ではありません。礼を尽くせば、農民達はわたくしに、多くのことを教えてくれました。
その結果、宮廷に対しては「不作」と報告していたのに実際は寧ろ豊作であったこと、年々、税が増えていることなどが、明らかになりました。そして、農民達の力をかり、執政官の邸から帳簿を持ち出すことにも成功しました。
シエル家は不正に税を増やし、また本来宮廷に献上しなくてはいけないお金を、ごまかしていたのです。
勿論、なにもないのによその領地のことをくわしく調べるほど、わたくしもひまではありません。
お姉さまはわたくしがサンドルさまと結婚したことがゆるせなかったようで、わたくしに関する噂をこれでもかと流していました。
当然、サンドルさまはそれを信用しません。
ですが、わたくしとペルル伯爵が不適切な関係にあったとか、サンドルさまはうすのろだからそれに騙されたのだとか、そういう噂は看過できませんでした。
わたくしに対する暴言ならともかく、恩義あるおじさまや、サンドルさまを悪く云われるのは、我慢なりません。
だから、わたくしはふたりに無理を云い、自分で動いたのです。姉をこらしめる為に。
陛下はにっこり笑います。
「もうひとつ、皆に報告がある。サンドル・シエルは祖母が王家の人間だ。この度、王太子がサンドルを養子に迎えることが決まった」
大広間内がざわめきました。侍従が咳払いし、静かになります。
「王太子は妻を亡くし、再婚する予定はない。わたしにはほかに子どもはおらぬし、王太子にも子どもは居ない。わたしの姉の孫で、母親も数代遡れば王家につながるサンドルは、血も近く、相応であると思い、王太子の申し出をうけた」
王太子殿下が陛下へ頭を下げました。「わがままをおゆるしくださって、ありがとうございます、陛下」
「いや、余も考えていたこと故。サンドル、これよりは妻とともに宮廷で暮らすように。よいな」
「はい、陛下」
「皆、サンドルをあらたな王子として、きちんと敬うように。生家は残念なことになったが、それはサンドルの告発あってのこと。あげつらう者には容赦せぬ」
陛下がそこまでおっしゃるのです。
誰も、サンドルさまのご実家がたった今取り潰されたのを理由に、サンドルさまが王太子殿下の養子になるのをとめることは、出来なくなりました。
「どうして……」
お姉さまがまっさおになって、扇をとりおとしました。陛下が顔をしかめてそれを見ておいでです。
サンドルさまがいたずらっぽく云いました。
「寝た子を起こしたな、ネージュ」
「なっ」
「リュシオルは君を無視しようとしていたのに、君が彼女を引きずり出したんだ。この場にね」
「なにを……わたくしは、その子が……その子はふしだらで、派手好きで、わたくしの名を騙って!」
「それしかないのかね」
貴族達のなかから、ペルル伯爵が出てきます。「ネージュ、いい加減にしなさい。もう誰も君を信用しない。それ以上、リュシオルを中傷すると、君自身が痛い目にあうぞ」
「わたくしは本当のことを云っているわ」
「その本当のことというのに証拠はあるのか?」
「あります! 妹の名前の領収証を、おじさまも見ているじゃないの!」
「そうか。じゃあ、僕が持っているこの証拠はどうかな。領収証にまでは記載されないが、君とリュシオルではサイズが違う。これは仕立屋にあったサイズ表だ」
わたくしはお姉さまのドレスを一旦解き、端布を足して、仕立て直して着ていました。お姉さまは華奢な体付きをしているのです。わたしではお姉さまのドレスをそのままは着られません。
お姉さまが口をぱくつかせました。
「ひとのサイズ表を勝手に」
「君が根拠のない中傷をしていると証明するのに必要だと、陛下のゆるしを戴いている」
ペルル伯爵が云い、陛下が頷かれます。
「サンドルを王太子の養子に迎える話は、ずっと前から出ていたことでの。それなのに、リュシオルと結婚したので、一度は話が流れたのだ。ペルルが、リュシオルの評判が悪いのは姉が噂を流したからだと教えてくれた。それならばと、疑いを晴らすだけの材料を手にいれるのに必要な許可はすべて与えた」
サンドルさまは王子など荷が重いと云っていたのですけれど、わたくしの噂を晴らす為には陛下の許可を得るのが一番の早道だとおじさまに云われ、陛下におすがりしたのです。
おじさまがサイズ表を、近場に居る公爵夫人に見せました。「こちらがリュシオルのサイズ表で、こちらがリュシオルの名前でドレスが注文された店のサイズ表です、ご夫人がた」
夫人達が興味津々でサイズ表を覗きこみます。型紙の本を二冊出している公爵夫人が、鋭い声を出しました。
「これは別人ね。腰や胸のサイズが変動することはあっても、成長期を過ぎてここまで腕の長さがかわることはありません」
「なによ!」
お姉さまは扇を踏みつけ、喚いています。華奢な腕がぶるぶると震えています。
「あんたはいつだって余計に食べてたからそんなに背が伸びたんでしょ! おばあさまやおじいさまにひいきされて、ずるいのはそっちじゃない! どうせ興味がないとか好きじゃないとかばかみたいなことを云ってパーティにも出ないんだから、あんたのドレスの分をわたくしがもらったっていいわ!」
ああ……わたくしはお父さまと同じ目の色をしています。そのことがあったからか、おじいさまとおばあさまはわたくしを、たしかに可愛がってくれました。
ですが、だからといって、お姉さまをじゃけんに扱うことはありませんでした。姉妹の扱いに大きな差があったとは思えません。
近衛兵達がやってきて、お姉さまの腕を掴みました。お姉さまはまだ、サンドルさまやおじさまがわたくしに騙されていると喚いています。サンドルさまの弟も近衛兵に捕まり、揃って大広間を出て行きました。
「つまらん」
陛下が鼻を鳴らされました。
シエル家は王家を欺いた廉でお取り潰しとなりました。
姉夫婦とサンドルさまのお父さまは、生涯貴族籍に戻れないという但し書きつきで貴族ではなくなり、それぞれ労役につくことになりました。
但し書きは、サンドルさまが王子になったからでしょう。サンドルさまの父や弟ということで、いつか貴族に戻ろうとするかもしれません。
わたくし達は陛下のご命令に従って、宮廷に移りました。サンドルさまは王子として、忙しくお勉強し、お仕事に精を出されています。
お母さまの死に関しては、メイド達が白状し、わたくしの考えていたことよりは幾らか悪い事実が明らかになりました。
お姉さまは、お説教にいらした司祭見習いと「戯れていた」そうです。それを見たお母さまはお姉さまを叱りつけ、お姉さまをつれて領地へ帰ると云いました。お姉さまはその場では素直に従ったのですが、その次の日の午后、お母さまは馬車にはねられてしまったのです。
現場を見たメイドは居ませんし、お姉さまも語りませんが、御者はお母さまをはねた直後にお姉さまが出てきたと証言し、なおかつそれを黙っているように使用人達はお姉さまからいいふくめられたそうです。
ふたりの間にどのようなやりとりがあったかは想像もできませんが、お姉さまがお母さまを馬車の前まで導いたのは間違いないでしょう。
クラテール家はいとこがどうにか切り盛りしているようです。お父さまは、もともとお体の具合がよくなかったのですが、今度のことで隠居を願い出たと聴いています。陛下がまだ、おゆるしにならないので、そうはなっていませんが、すぐにもいとこがクラテール家を継ぐのでしょう。さいわい、財政面での不安はありませんから、いとこに余計な負担がかからないのだけはよかったです。
おじさまは絶交していたお父さまとまた、友人関係に戻りましたけれど、わたくしはお父さまをまだゆるせないでいます。
お父さまも、まだ、わたくしに対する悪い印象を拭えていないでしょう。顔を合わせてもお互いにいやな気分になるだけでしょうから、気持ちが解れるまでは会わないつもりです。
宮廷でのお茶会で、そう伝えると、おじさまは頷いてくれました。サンドルさまもです。「僕は反対しないよ」
「僕もそれがいいと思う。云っちゃ悪いが、クラテールはネージュに騙されきっていた。これからすぐに考えをあらためるのは難しいだろう。リュシオル、いい判断だと思うよ。君はまったく、賢明だから」
おじさまは慰めるように云ってから、苦笑いになりました。おどけた様子で、ぴしゃりと額を叩きます。「こんな口をきくのは無礼でしたね、殿下。ああ、こんなことなら、陛下にサンドルをすすめるのじゃなかった!」