一日千秋 ~待つ男に起きた結末~
真っ暗な病院の廊下。
真上で光る明かりは、今時蛍光灯なのか、ジジと奇妙な音を立てて、時々薄暗くなる。
不安げな明かりの中で、俺はただひたすら待っていた。
「今何時だろう」
ボソリと独り言ちて、パジャマの袖をめくるが、何もない腕を見て、時計を部屋に忘れてきたことに気づく。
はぁとため息をついて、再び待つ。
ぼんやり見える「喫煙室」の文字に、10か月前にやめたタバコが恋しくなる。
一日千秋とはよく言ったもので、もう何分も、何時間も、何日もこうしている気がしてくる。
「そういえば」
俺の人生はずっと『待つ』人生だった。
「あれは卒業式の日か」
一番最初に思い出したのは、中学3年の卒業式。
初恋の女の子に手紙を書いた。
『体育館倉庫の裏で待っています』
そっと彼女のカバンに忍ばせた、それだけの、とてもシンプルな、ベタすぎる手紙。
教室で最後の午礼が終わった後、友達とのお別れパーティを断って、急いで体育館裏に走った。
そして、細長い卒業証書入れを持ったまま、ただずっと待っていた。
いつしか日が暮れて、夜になっても俺は待っていた。
「きっと一度家に帰って着替えてから来るんだ」
そんな淡い期待を抱きながら。
結局、彼女は現れず、羽目を外して中学校に侵入した卒業生のグループと一緒に補導された。
「あのときもそうだ」
高校でできた彼女と付き合って3年。
大学生になる予定だった俺は、とったばかりの車の免許を握り、買ったばかりの中古の車の中で彼女を待っていた。
初めて二人だけの旅行を計画して、こっそり家から出てくる彼女を拾う約束になっていたのだ。
午前中には出発する予定だったが、一向に彼女は家から出てこなかった。
昼を過ぎ、夕方になっても、玄関は開かなかった。
「きっとばれないようにタイミングを見計らってるんだ」
宿に予約のキャンセルをしたあとも待っていた。
次の日の朝、彼女は父親と一緒に現れた。
彼女の父親に殴られた頬の痛みは、寝不足の頭と浮ついた恋をすっきりさせるには十分すぎるほどだった。
「大人になっても変わらなかったな」
大学を卒業し、就職した会社で待っていたのは、海外支社への出張だった。
出張とはいうものの、実際は海外駐在の仕事で、日本に帰ることすら稀だった。
遠距離恋愛に疲れた当時の彼女は、毎日電話で泣いていた。
「もうダメかもしれない」
そうつぶやいた彼女の言葉に、ただ彼女を失いたくなくて空港へと走った。
1日だけ仕事を休めば、数時間だけ日本にいられる。
成田空港からタクシーを飛ばして彼女の家に行ったけど、彼女はいなかった。
合鍵も持っていなかった俺は、そのまま玄関で待った。
「きっとコンビニにでも行ってるんだろう」
いつの間にか寝てしまっていたのか、朝日が顔に当たって目が覚めた。
ちょうど階段を上がってきた彼女は、別の男と一緒だった。
俺は会社を2日休んだ。
「いつだってそうだ」
俺が待っていたその先には
その瞬間、目の前の大きな扉が開いて、思わず立ち上がった顔に皓皓とした光が当たる。
静寂の中に小さな泣き声が響き、逆光の中から声が聞こえる。
「3000gちょうどの元気な女の子です」
駆け込んだ分娩室では、彼女の胸の上で小さな命が声を上げていた。
こちらを向いた彼女がフフフと微笑む。
「何その恰好!パジャマで来たの?」
「あ、ああ。もう生まれそうだって言うからさ。慌てて来たんだ」
彼女がまたフフフと笑う。
「いつもそうよね。手紙をくれたときも、日にちが書いてなくてさ。あの時は・・・」
「君が電話をくれたんだ。高校の入学式の日に」
「そうそう。それで付き合い始めたけど、何もなくて。思い出作りにって計画した旅行の日にお父さんに殴られたんだっけ」
彼女の上にのる小さな小さな頭を撫でる。
「あれは痛かったな」
「でも朝まで待ってるなんて根性あるって、あれでお父さん、あなたのこと気に入ったんだよ」
「そうなのか」
小さいけれどはっきりとした命。
それを主張するかのように、また泣き声を上げる。
「海外から突然帰ってきたときもあったっけ。私が実家からお父さんと帰ってきたら、玄関の前にいてさ。いきなり『結婚させてください』だもんね」
「そういえばお義父さんは?」
「連絡はしたから、もうそろそろ」
乱暴に分別室の扉が開いたかと思うと、義父と義母が入ってきて、「よくやった!」と言いながら赤ん坊を囲む。
それを見て、看護婦さんが赤ん坊を抱きあげると、透明なベッドへ寝かせてくれる。
二人は赤ん坊に着いて行き、俺と彼女がその場に残された。
「お疲れ様」
ぎゅっと彼女の手を握る。
彼女はふぅっと大きなため息をつくと、涙目でこちらを見ながら微笑む。
「お待たせ」
ああ、そうだ。
俺が待っていたその先には、いつも彼女がいてくれるんだ。