第八話
日暮れ前、門外は仕事を終えて帰ってきたらしい連中や、彼らを相手にする商売人やらで祭りか何かのように賑やかだった。
「この時間はいつもこんななのか?」
「遠出組がいないから、まだ静かなもんさ。ヤツらの帰還が重なる三九日はこれの倍はうるさい。」
串焼きや煮売りの屋台、刃物砥ぎや素材の仲買だろうテントの間を抜けてミルカの後をついていくと、レンガ造りの建物があった。看板には『バーンスタイン両替所 信用第一で五十年』と書いてある。読める、読めるぞ。ドアを開けて中に入ると片眼鏡をかけたなでつけ白髪の老人が俺たちを出迎えた。
「いらっしゃ…ってミルカか、こんな時間にアホづら並べて何の用じゃ?強盗にでも来たのか?ウチに金はないぞ、カエレ。」
口が悪い。だが嫌味な爺さんというわけではなく、親しさゆえの軽口みたいなもんだろう。
「金のない両替商なんているわけあるか。客を連れてきたんだよ。」
「客ぅ?おお、そっちのオマエさんか。ほほう、金眼の黒猫連れとは縁起がいい。ようこそ!バーンスタイン両替所へ。さて何のご用事かな?」
根っからの商売好きなんだろう、客と聞いた途端に揉み手をしながらカウンターの向こう側に座って嬉しそうにこっちを見てる。
「少しばかり金と銀がある。ここらへんで使える金に換えてもらいたい。」
財布代わりにした巾着袋を開いて具合のよさそうなヤツを選ぶ。
「うひゃ~、ツクルおっかねもち~!」
「シニッカ!人の財布をのぞいてはいけません。恥ずかしいことですよ…」
エルメーテがシニッカを注意する。財布をのぞかれるのはいい気持のするもんじゃない。だがシニッカの反応から、どうやら今の俺は小金持ち程度ではあると考えてもよさそうだ。
カウンターに広げられた布の上にインゴットを置く。ペットボトルのふたより少し大きいくらいの金を一つ。少ないとかバカにされるかな……。
「ほほう、こりゃ大したもんじゃな……。純度が良い、滅多にお目にかかれんレベルじゃなこりゃ、重さは……どれどれ……ほうほう。」
手袋をはめて天秤にペレットを乗せた爺さんは、慎重に分銅を取り換えながら金の重さを測り、手元の紙に何事か書き写して計算を始めた。
「……ふむ、これなら手数料を引いて50000ガラというところかの。」
と言われても、そのレートが適正なのかどうかわからん。「信用第一」を謳う爺さん相手に『鑑定』使うとバレたときにややこしいことになりそうだしな。どうしよう、と振り返るとミレナが微笑んで小さくうなずいてくれた。どうやらきちんとしたレートらしい。
「じゃあそれで頼む。銀もあるんだがどうだろう?」
「オマエさん、すぐにまとまった金が欲しいのでないなら今日はこれだけにしておきな。ここは荒っぽい街だ。そこまで大金を持ち歩くもんじゃない。」
そんなに大金になるのか?ミルカが『500ガラで宿に二、三泊できる』って言ってたから、ビジネスホテル二泊で考えたら12000円くらいか。計算しやすいように1ガラが25円とすると。50000ガラは1250000円、ひゃくにじうごまんいぇん?うん、当面の予算としては十分すぎるんじゃないか?銀のペレットは袋に戻しておこう。
「そうしとくよ、親切なんだな爺さん。」
「それが商売を長く続ける秘訣じゃて。さて、どういう具合に換えてやろうかの…」
爺さんはカウンター下の銭箱の中身を選りながら一つずつ丁寧に並べていった。
「オマエさんは異土の人のようじゃからの、使いやすさを考えてみた。まずは10000ガラの棒状金が2本で20000ガラ。高額だからなくさないようにしなよ?次に1000ガラの共通硬貨が20枚で20000ガラ。そいで500ガラのコルシーニ硬貨が10枚で5000ガラ、100ガラのリッチャルディ硬貨が40枚で4000ガラ。最後に50ガラのリッチャルディ硬貨が20枚で1000ガラ。しめて50000ガラじゃな。どれ、オマエさんは初めての客じゃから、ウチの『特製・金運向上銭袋』をオマケにつけてやろう。」
「あ?ああ…ありがとう。助かるよ…」
爺さんが金の隣にバン!と置いたそれは、頑丈なのはまちがいなさそうな超厚手の帆布製の袋で、底や口の部分をこれも丈夫そうな革やら鋲で補強してある。表に「愛されて四十年 信用第一 バーンスタイン両替所」と赤くスタンプされているが、看板は「五十年」だったことから察するに、こりゃ在庫処分だな。
「なにが『金運向上』だよ。紐がなかなか緩まねえし、釦だってかってえから開けにくくって金を出そうにも出せない。いつの間にか金を使うことをあきらめてしまえば貯まる一方、だから『金運向上』…ってふざけんなよ爺さん。」
ラッシがからかうと爺さんはまじめな顔で答える。
「一度手に入れた金は決して手放さない。ワシらの一族に伝わる金儲けの秘訣じゃ。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
両替所を出た俺たちは門をくぐって城壁内に入る。ミルカたちは懐から出したプレートを警備隊員に見せることで通れたが、俺は身分証が何もないからと20ガラ取られた。門の出入りだけで500円も取られるのか!?これはイタイ。俺も彼らのプレートみたいな身分証を早く作らないとな。
「身分証になるものを発行しているのは商業、工業、美術工芸、宿泊飲食業、荷役運送業、冒険者なんかの各ギルドだな。エルメーテの所属する地母神教会も発行しているんだが…」
「ウチで出すのは学生用のものですからね。ツクル殿が市内どこかの学校や塾に生徒として入らない限り、発行はされません。」
「さすがにこの年で学校に入り直すのはなあ。今の俺にとっては生活を安定させるのが第一の目標だ。もしもここで暮らすことにしたときはどこかのギルドに入ったほうがいいのか?」
外国人のアラフォーでもできる仕事があればいいが。ないのなら、また別の土地を探さにゃならん。
「この市で働き始めたなら、必然的にどこかのギルドに所属するようになる。自営だろうが雇われだろうが関係なく、な。……さて、目的地に着いたぞ。」
六人であーだこーだとだべりながら歩きまわり、たどり着いたところには一軒の宿屋があった。『赤い屋根』と看板にあるとおり、赤い屋根がひときわ目立つ建物で、入り口からは灯りが漏れている。
「トゥーリア!お客だ!」
「そんなに大声で喚かなくったって聞こえてるよ。それにさ、ウチは閑静な高級旅籠なんだ、雰囲気を壊すんじゃないよ。」
二階へ続く階段を下りてきたのは小太りのおばさんで、雰囲気がどこかミルカに似て…
「姉貴だ。俺が世話になった先輩冒険者のところに嫁に行って、今じゃ宿屋の女将をしてる。こっちはツクル、外国から来た客だ。」
「ほ~ん、確かに変わったナリしてるねえ。ま、ウチは出すものさえ出してくれりゃそれでいいんだけどね。アンタ!ツク…ル?夜は色街に行くクチかい?」
「いや、そういうのはしばらく遠慮したい。今日はやることやったらすぐに寝て、明日以降に備えたい。」
「おや、真面目な兄さんだこと。ミルが連れてきたにしちゃ、随分と品がいいじゃないか。ウチは食事はつかないが、近くに食べ物屋はあるし朝には屋台も立つからそっちを使ってやっとくれ。宿賃は一泊150ガラだけど、ミルの紹介だから120にまけてあげるよ。なんかほしいものはあるかい?」
「特にない…いや、水。そう、水はあるかい?」
「中庭のが客用の井戸だよ、洗濯したり体を拭いたりするんなら掛小屋を使っとくれ。ただし、『使用中』の札ルールは守ること。女性客に不埒な真似をしようもんなら即刻衛士隊に突き出すからね。」
トゥーリア女将は人差し指をびしいっと俺に突き出した。しませんとも、そんなこと。俺は紳士ですから。気になってた宿代は一泊120ガラ、素泊まり3000円ってとこか。それなら、
「先のことはわからんが、とりあえず十日泊まらせてもらおう。先払いでいいのか?」
本当に紐がきつくて出し入れしにくい銭袋から1000ガラの硬貨一枚と100ガラの硬貨二枚を出して差し出すと、
「十日も泊まってくれて先払いじゃ割り引かないわけにいかないだろう、これは引っ込めときな。」
トゥーリアは100ガラの硬貨を一枚返してきた。こういうことのできる人間を俺は信用することにしている。ちょっと気分がいい。
「さて、俺たちはギルドに寄って報告してからヤサに戻るとするか。」
「ミルカ、ラッシ、シニッカ、ミレナ、エルメーテ、今日は本当にありがとう。何か礼をしたいんだが、俺はまだこの町のことをよく知らん。そうだな、今度どこかでメシでも奢らせてくれないか?」
「いいってツクルさん。ウチのリーダーの世話好きはただの趣味なんすから。」
「そうそう。ご飯どころかこっちはすっごい高級品飲ませてもらったんだしさ。」
ラッシやシニッカはそう言ってくれるが、世話になりっぱなしってのはどうも落ち着かないんだが。
「……今日はギルドに帰還報告に行って、明日は装備の点検と報告書の作成。明後日は休養日で夜に打ち上げをする予定だからその時でどうだ?いっしょに飲もう。」
「いいな。そんじゃ、それで。」
「明後日の夕刻、ここに迎えに来るからそれから店に行こう。」
「待ってる。」
「ああ、今日明日はゆっくり休むことだ。何かあったら姉貴に聞けばいい。大概のことならどうにかしてくれるはずだ。な、姉貴?」
「ああ、任せときな。兄さんも何かあったら、下手に動こうとしないでアタシに遠慮しないで言うんだよ。」
胸を張ったトゥーリアは俺の腰を音が出るほど強く叩いた。イテエ。
「じゃあ俺らはこれで。明後日の夕方また会おう。」
「おう。ありがとうな。」
握手を交わして俺は一行を見送った。ミルカは「ギルドに報告に行く」と言っていたが、ミレナとエルメーテはそれぞれ別の方向に歩いていく。
「ミレナさんとエル坊は門内に家があるからね。この宿だって本来ならアタシら姉弟の実家なんだが、弟は『若い者に示しがつかん』と門外に家を借りて共同生活をしてるんだ。誰に似たんだかねえ、あのクソ真面目なところは…」
そりゃ大したもんだ。『鑑定』で真面目だ善人だ、なんて出るだけのことはあるな。
「さ、それじゃ兄さんを部屋に案内してやろう。アタシはか弱い女だからね、荷物は自分で運んでおくれ。」
屈強そうな女性についていくと一階の一番奥、中庭に面した部屋に通された。広さは四畳半くらいか。小さな机とイス、ベッド。イスの上には洗面器のような器が置かれている。
「ウチは複雑なつくりじゃないが、もし迷ったら壁を見な。白い矢印はアタシらがいる受付のある出入り口、赤い矢印はトイレに進むように描かれてる。井戸を使う時は中庭側のドアを使ったらいい。」
戻ろうとするトゥーリアを呼びとめて、さっき戻された100ガラの硬貨を渡そうとすると、
「やめとくれよ、ウチはそういうのは受け取らないことにしてるんだ。その代り誰もかれも差別なし、人間だろうがエルフだろうが獣人だろうがドワーフだろうが、皆ウチのルールに従ってもらってるしね。」
弟を「クソ真面目」なんて言ってたが、この姐さんもそのお仲間らしい。
「わかった。なるべく部屋を汚さないように気をつけるし、夜は静かにする。トイレだって清潔に使わせてもらう。もちろん相棒にだって徹底させる。何かやらかした時は相応の額を出す。それでいいかい?」
「上出来。ものわかりのいい客は好きだよ。食事に出るときは一応受付に声をかけておくれ。それじゃ。」
ドアを閉めたトゥーリアの足音が遠くなってやがて聞こえなくなると、俺は荷物を机の上に置いてベッドに寝転んだ。
「っかあーっ!今日は一日よく歩きました!お疲れさまでした俺!」