第五十話
「 あああああああああああああああああっ!! 」
あああああん…
あああん…
あん…
谷間にヘルマン氏の悲鳴(絶叫?)がこだまする。
俺さ、山に詳しいわけじゃないんだけど、そんなに大声出したらマズイんじゃない?雪崩が起こるかもよ?ま、コレを見たんじゃあ無理もないか。
俺たちの眼前、山肌に沿って続いていた道がおよそ50メートルも崩落してしまっている。大きな刃物で一気に削ぎ落としたような崩れっぷり。ジョナサンが口にした『道が抜けた』という言葉がこの状態を最もよく表すものかもしれない。
「そんな……村のこんなすぐ傍で……私たちが通った時は…何も問題なかったのに……」
その場に両膝をつき、ゆっくり座り込んでしまうヘルマン氏。
「雪崩の影響もあるかもしれんが、こりゃ地すべりだ。見ろよ、あそこ。」
フィリップが指さす先に目をやると……なるほど、わからん。
俺、ブラブラする大御所芸能人じゃないから地盤とか地層とかわかんないって。
「崩れたところと山肌の境のあたりだ。地面の質が違うだろう?山自体は頑丈そうな岩だが崩れたところはほぼ砂だ。その岩と砂の間にここ何日かの陽気で融けた雪の水が、一気に大量に流れ込んだんだろう。それで地面が浮いたんだ。」
「……詳しいな、兄ィ……」
「俺の故郷も雪の多い土地でな。雪どけの頃のこういう地すべりは何度か見たことがある。ここは割と日の当たる面だし、たぶん地形も周りの水を集めるようになっていたから、融けて染み込んだ水の量も多かったんだろう。」
勉強になるな~。九州はO県の海に面した某地出身の俺にはあまり馴染みのない自然の話だわ。
……待てよ?
「それじゃあフィリップ、俺らが今立ってるこの場所も……」
「遅かれ早かれいく。実際、その辺は既に浮いて山肌との間に隙間ができてる。」
やばいじゃん。
「親父、座りこんでる場合じゃない!逃げるぞ!」
コルネリアと二人でヘルマン氏を抱えて馬車に乗せ、慌ててその場を後にする。
数分後、俺たちがいた場所もきれいさっぱりなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヘルマン氏は寝込んでしまった。声をかけても返事らしい返事はない。何やらうわごとのようにつぶやくだけだ。マックス氏が傍について濡らした布を額に乗せるなどかいがいしく世話をしているが、どうなることやら。
「…だめだ……マックス…これで兄弟商会もおしまいだ……ハイディ、すまん……ああ、頭取!……すんまへん、すんまへん……堪忍や、堪忍しとくんなはれ……あても必死やったんだす……」
「兄さん、そんなにも辛いのかい?……修行時代のことまで思い出して……」
……なあ、アンタらどこで修行してたの?
対策本部となったジョナサン宅の居間には重苦しい空気が立ち込めている。
兄弟両氏はずっとあんな風だし、ジョナサンは頭を抱えて時々うーうー唸ってるし、タマラさんは余程ショックだったのか自室に引っ込んでしまった。コルネリアは腕組みして目をつぶったまま何も喋らず、ジョアンナもほぼ同じ。シャールカは苛ついた様子でうろうろしているし、レナータは不機嫌そうな様子でナイフの手入れをしている。レベッカは……姿が見えないが、たぶんどこかで彼女らと同じ調子なんだろう。
余りの居心地の悪さに、俺は外の空気を吸って気分転換することにした。考えてることは同じなのかロビンも後をついてくる。陽の高いうちは春を思わせる気温だったが、西の空が赤みを帯びるのに従って寒さ、というより冷たさが増してくる。
カエデ林を見下ろす広場のような場所で切り株に座ると、ロビンが膝の上に乗っかって丸くなった。
「う~、この時間になりゃやっぱ冷えるもんだな。」
「おいロビン。他の住民の目もあるからさ、『念話』で話さないか?」
「大丈夫だよ、みんな家ん中に閉じこもってらあ。それによ、傍から見りゃ『ああ、ショックのパーになったオッサンがネコ相手に独りごと言ってるわ、かわいそうに。あ、コラ!小さい女の子は近づいちゃいけません!』くらいにしか思われねえって。」
「俺の損しかないじゃないかよ、何だそれ……」
アイテムボックスからネコちゅ~ぶを一本取り出し封を切って渡そうとすると、いつもみたいに両手で受け取ろうとせず、「あ~ん」なんて待ってやがる。甘えんなよ、と思いつつも口まで持っていってやると少しだけ首を伸ばして吸い付いてきた。
「あんがと…ちゅむちゅむ……それにしても…ちゃむ…ずいぶんピリピリしてんな、アイツら。」
「無理もない、完全孤立だぞ。」
「完全孤立みたいなものだろ?いつ話すんだよ、アレ?」
「ヘルマン氏が真っ先に倒れてワタワタして、探索隊とかいうのを出す話になってバタバタして、んで対策本部がギスギスし始めて……なんか言いだすタイミングを逃したんだよな。言わなきゃってのはわかってるんだが何となく……」
「やれやれ……そういやあのフィリップとかいうヤツは?姿が見えねえけど。」
「寝てる。さすが冒険者ってところかな、『メシも食ったし、どう足掻いてもどうにもならん時はまず寝る!』ってパーティー全員で毛布被って寝てる。ここまでの移動で疲れてるってのもあるだろうし。」
「胆が据わってるというか無神経と言うか、大した連中だよ。……なあ相棒よう、やっぱり早いとこ話した方がいいって。」
「今、ハリーが何人か連れて非常時に使う山道とかいうのを点検に行ってるだろ?その報告があるだろうから、そこでなんとか上手に話すよ。」
「無駄足踏ませちまったな。」
「ああ、悪いことをした。」
ロビンにちゅ~ぶを吸わせながら「夕日が沈んでいくわ~……」なんてぼうっと西の方を見ていたら、レナータが声をかけてきた。
「ツクさーん!探索隊が戻ってきたんで会合始めますよーっ!!」
「おお!すぐ行く!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食卓に乗せられた板の上にはランドルトン周辺のざっくり地図が描かれており、道を表す赤線の上、崩落した箇所には×印が書き込まれている。
「……山の様子は申し上げた通りでさ。『母神の竪琴』はもちろん『女人越え』まで、すぐ近くが雪崩でツブレちまっておりやす……」
ランドルトンは場所が場所だけに崩落した道だけでなく幾つかの非常用山道もあるらしいのだが、ハリーが調べたところ、どれも使用できそうな状況ではないらしい。
「『女人越え』までイッたのが最悪だな……。」
ジョナサンの悲痛な表情が今の状況の悪さを物語る。
「……兄ィ……フィリップに聞いたんだけど。ツクル、アンタの『大食い』スキルってやつでどうにかならないのかい?ダンジョンでやったみたいな……」
「……それなん……」
「やめたほうがいいお嬢!その旦那に何ができるのかは知らねえが、今はあちこちで小さい雪崩が起きておりやすから近づくのだって危険だ。それにこの陽気はじきに終わってすぐに元の寒さがぶり返しやす。そうなりゃ山は地獄だ、死にに行くようなもんでござんすよ。」
「くそっ……袋の何とやらだね……ったく……。それと、その『お嬢』ってのはやめてくれ。実家にいるみたいでムズムズする。」
「すいやせん。」
かぶせ気味のハリーに言葉を遮られ、言い出すチャンスを逃してしまった。
彼の報告は結果として八方ふさがりの確認にしかならず、部屋の空気は重苦しさを増して、濁った澱が目に見えるようだ。
足元ではロビンがズボンの裾をぺしぺし叩きながら
『言え!相棒!早く言っちまえって!』
なんてけしかけてくる。よし、まずは深呼吸して……
「ちょっと、いいスか……?」
扉を開けてレベッカが入ってきた。
そういや姿が見えなかったな、どこ行ってたんだ?あと、何だかんだ言ってその若妻スタイル、よっぽど気に入ってたんだな。それに昼間は紐で髪をくくってただけだったが、今はリボンに変わってるじゃないか。俺はきちんと気づいたぞ。でも下手に何か言って「ああ?自分なんかがリボンしちゃダメなんスか?お土産ァ泥スか?」みたいに絡まれても困る。だから黙るぞ、俺は。
「どうした副頭?おいおい、何を持ってきたんだ?」
レベッカが押すワゴンには湯気を上げる鍋とカップ、それに……え、クッキー?パン?何!?
「タマラさんが途中で引っ込んじまったんで、自分が続きをやったス。」
「え?副頭、料理なんてできたの?すっげ!」
レナータが目をむいて驚いているが、それはちと失礼だろう。シャールカじゃあるまいし。
「ほとんどは……タマラさんス。自分は計って混ぜて、焼いて切っただけス。」
いや、それほとんど全部だから。タマラさん何したの?応援?
「昔、ばっぱ……婆さんが作ってくれたのを、思い出しながらやってみたス。皆、イライラしすぎスから、一息いれたほうがいいス。」
レベッカは鍋の液体をお玉でカップに注ぎ、焼き菓子(?)と一緒に順に渡してくれる。あれ、このにおいは……
「大麦を炒って煮出したス。味が苦手なら、シロップか塩を入れれば少しは飲みやすくなる……と思うス……」
麦茶だこれ!
「れべっか、コレ熱ヒ。」
「ふーふーすりゃいいじゃないの、もう。あむ……あら、意外と美味しいじゃないこれ。」
レベッカが作ったのは麦茶と、ナッツや干した果実の入ったバノックのようなごく素朴な焼き菓子。焼き上げた上からメープルシロップを少し染みこませてあるので甘さもあるし、適度な柔らかさもある。
しばし無言のおやつタイム。
誰かが麦茶をすする音がして、誰かがほうと息を吐く音がして、ハリーが最初に口を開いた。
「すいやせん、坊ン。アッシが一番落ち着いてお助けしなきゃなんねえのに、どうも頭に血が上っちまったみてえでついカーッと慌てっちまって……」
「いや、俺もはまらんでいいドツボにはまってたみたいだ。ここは郷主らしくしないとな、爺様や父上に顔向けできん。」
ジョナサンは眉間を指でほぐして頬を両手でぱあん!と叩き、「つぉあい!しゃい!そゃあい!」と変な掛け声を出しながら肩を大きく揺すって気合を入れ直したようだ。
「ふう!幸いにもけが人や急病人が出たという報告はない。住民には安全が確認できるまでは基本、家の中で過ごすように伝えよう。補給の目途が立つまでは、食糧は世帯人数と健康状態を考慮した上で量を少し減らして配給することになる。ハリー、何日もつか勘定を頼む。もちろん、この麦湯?と菓子を片付けてからでいい。」
「へい。しっかり休んでから、仕事に取り掛からせていただきやす。」
おお!?空気が変わってきた。
「親父やオジキがあんなんなっちまったのを見て、アタシも少しおかしくなってたみたいだね。くっくっく、兄ィみたいにいっそ寝ちまえばよかった。」
コルネリアの顔からも険がとれ、優しくも不敵な笑みが戻る。
「じょお、窓開ケル。空気悪ヒカラ、皆機嫌ガ悪カッタ。ちメタイ空気吸ウハ、頭ニイイ。」
そうだな~えらいぞ~、換気は大事だぞ~。
窓から入る外の空気は冷たいが、皆の間にたまっていたもやもやを洗い流すみたいで気持ちがいい。
シャールカが
「ちょっと、もういいでしょ?これ以上は風邪ひいちゃうわよ!」
などとぼやく頃にはさっきまでの重たい雰囲気は消え失せていた。
不機嫌そうな様子の見えなくなったレナータが、レベッカの肩を叩きながら話しかける。
「にしても、我らが副頭もなかなかやりますねえ。オトナになっちゃってまあ。」
「何がスか……?」
「いつものレベッカなら、こんな時はウチらの中で一番イライラした挙句に手近なオトコ捕まえて八つ当たりで蹴り殺してるんじゃないの?それがこんなにおしとやかに!」
「ころ!……殺しはしない……ス」
蹴るのは蹴るんだ、ふ~ん。あっれ?俺かジョナサンはひょっとして命の危機的状況だった?
「そうだね。それに、こんな差し入れひとつで場の空気を変えちまいやがった。アレかい?そのカッコが一段と女を成長させたとかかい?」
「姐さんも!やめてください、そんなんじゃないスから。」
「いやいや。レナじゃないけどね、アタシも気がついたんだよ。副頭、アンタ確かに妙に落ち着いているよな?いつもと違うよ、何かあったのかい?」
コルネリアの表情は真剣だ。レベッカ、ここまで心配されるってことは、オマエ本当に二、三人蹴り殺してるんじゃないか?
「自分じゃないス……ツクル……さんが……」
「「「「 ツクル? 」」」」
俺!?
「冒険者になって一年も経ってないツクル……さんが、男のクセに『荒事勘弁』なんてフザケたこと言ってる赤銅なのに全然動じてないスから、青鋼の自分がパニクる訳にゃいかないス……」
俺への対抗心!?やめろよ、俺みたいなオッサン相手に張り合うの。その道の先には何もないからね?
「そうだね……崩れたって話を聞いた時はツクルも一緒に驚きはしたけど、その後でアタシらみたいにヘコんだり腐ったりはしてなかった……」
「それに……この三、四日ほどは隠れて何かやってたみたいスから、それが何か関係あるんじゃないかと思うス……」
『うお!おい相棒!見られてたみたいだぞ!』
『だな。』
レベッカ、住民のみなさんと一緒に楽しげにシロップ作りやってたんじゃないのか?いつ見てたの!?
「「「「 ツ~ク~ル~…… 」」」」
「何だよ、皆して……は!アタイの体、この若く瑞々しい体をどうにかしようって魂胆だね!はん、無駄だよ!アタイの体はどうにかできても、アタイの心まではアンタたちの好きにはさせないからね!どうしてもって言うのなら……一人三万八千円くらい持ってきな!」
「ふざけんな!今度は何を隠してる!?ワケわかんねえこと言ってねえで正直に答えろや!春呼びの祭りで贄にすんぞ!」
「ツクル、さっさと吐いちまいな。部屋を血で汚したくない。」
「旦那ァ、アッシらの間に隠し事はなしにしましょうやぁ……なんせ、今夜の山は冷えますぜ?」
「つくる、意味ノナイ秘密ハヨクナイ。じょおハつくるの敵ニナリタクナイ、ワケデモナイ。」
「ツクさ~ん、知ってました?尊敬は意外と簡単に憎悪に裏返るって。」
「このド外道乳マニア!最低色情狂!痴情の星!変態中年!人面エロゴブリン!外面出歯亀内心助平!学名ミサカイナシデス・テダシマクリデス!」
いや、シャールカはただ俺を貶したいだけだろ。あと人を中傷するのにエロ方面の言葉を多用するな、いらん誤解を招くから。
「わかった!正直に言う。あのな、そもそも『道が崩れて完全孤立』なんて問題は存在しない。」
「「「「「「 はあ? 」」」」」」
「あのね、穴掘っちゃった♡」
こんな土地なら穴くらい掘るさ!
O県人だもの!
禅海和尚を見習ってな!
あれは越後の人?
こまけえことはいいんだよ!




