第三十八話
『鑑定』で見えた内容は一応全てヴァルトが記録しており、それはマティアスを通じてギルドへも伝わった。そこから過去の記録を調べた結果、今から十七年前に第八ダンジョンで行方不明になった冒険者の名簿に「イルメリ 16歳」という記録が見つかった。だがその記録には「妊娠中」との記載はなかったそうだ。
「妊娠が判明すると、母体保護の考えから女性冒険者はダンジョンや大森林へ入ることが禁止され、受けられる依頼にも制限がかかる。そこは今も昔も変わらん。だが、本人も気づいてなかったのか、それとも妊娠を知りながら敢えて、何かの理由でダンジョンに潜ったか。今となっては知りようもないがな。」
ギルドマスターが当時の書類を俺に手渡した。黄ばんで端のほうからボロボロになりかけた紙が十七年の歳月を物語る。
「……イルメリ、女性、リュカネン村出身、同地に係累なし……ふむ…地味だけどこまごました仕事でもきちんとこなす、いい娘だったみたいだな。」
「その頃の俺は渉外役として他の町と行ったり来たりしてたんでな、直接会ったことはないが、その書類を書いたのは信用できる人間だったから内容に間違いはないだろう。」
田舎の村に生まれ育ち、親兄弟のいない村を飛び出して冒険者になり、わずか二年足らずで暗いダンジョンの中で生涯を終えた少女の記録は実に素っ気なく、事務的にまとめられていた。
「……特定パーティーには加入せず、二歳年長で同郷のヴィルホと組む。……それじゃあこのヴィルホってのが?」
「一応はこの娘の縁者ってことになるな。しかし驚いたぞ。そのヴィルホがまさか、あのデ・コルト商会の婿殿とはな……」
「そんなに凄い商会なのか?」
「『街道の宰相』なんて呼ぶヤツもいる。最近は港都にも支店を出してタールベルク海沿岸まで手を広げているそうだ。それでオマエ、本当に自分で行くのか?」
「ああ、そこまでが俺の仕事のような気がしてな。アンタのことだ、先触れだってしてくれたんだろう?」
「合同慰霊祭が終わったらすぐに商会に行け。件の婿殿は船に乗らなきゃならんから、今日の夕刻には町を発つそうだ。」
「わかった。じゃ、コレは持ってくぞ。」
イルメリの唯一の遺品のボロボロの鞄は、開ける最中に微塵に崩れ去ったそうだ。中には紅石、蒼石と銀細工をあしらったナイフが一本。デザインは女性が夫となる男に贈るものに使われるものだそうだ。傷つけたり汚したりしないよう、布で包んだそれを持って俺はギルドハウスを出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……そうですか……イルメリが……見つかったんですね……すまん……すまなかった……イリィ……」
赤銅板章の冒険者なぞ相手にはしてくれないかもと思ったが、そこは流石に天下の大店。人を見下すような雰囲気などこれっぽっちもなく、上客のような待遇で豪勢な応接室に案内され、茶を出されてから十分としないうちにヴィルホ氏が現れた。時間が限られているので簡単に自己紹介をして本題に入る。先日、二年に一度の行方不明者捜索が行われたこと、ふとしたきっかけでイルメリの亡骸を見つけたこと、彼女のお腹には子供がいたことを告げる。妊娠の話をした途端、彼は目を見開いて驚きの表情を見せた。そして俺が布包みを解いて彼女の遺品でもあるナイフを見せるとゆっくりそれを胸に搔き抱いて涙を流し始めた。
「……あの頃の私は調子に乗りすぎていたんです。同期の連中よりも多くの仕事を成功させ、将来一緒になる約束をしていたイリィも町に来て冒険者になり、有頂天でした。そんなある日、私たちは第八に潜りました。背伸びしすぎだとはわかっていましたが、二人で暮らす家を持つために少しでも多くの金が必要だったんです。
ですが……そう、確か洞窟樹が壁一面に張り付いた場所だったと思います。大躯ゴブリンの群れにぶち当たりました。少しでも多く儲けるために私たちは特定のパーティーに加入せず、基本的に二人だけで行動していたのですが、それが災いしました。相手の数の多さに私もイリィもどうしようもなくなって、後でセーフピットで落ち合うことを確認して散り散りに逃げました。まずは全力でその場を離れて、態勢を立て直してから対処する。私た……いえ、冒険者たちの定石です。死に物狂いでピットに滑り込んで、しばらくは息も絶え絶えになって倒れていました。一刻も経ってからでしょうか、私はイリィが来ないことに気がつきました。
ポーションを飲んでわずかばかり体力を回復させた私は、ゴブリンどもに襲われた場所まで引き返しました。ですがイリィの姿はなく、彼女の手袋が片方だけ落ちていました。私はそれを拾ってピットに戻り、待ち続けました。何度か寝て、何度か彼女と別れた場所にも行って、どれくらいの間そうしていたのかはわかりませんが、やがてどこかの冒険者パーティーが私を発見して力ずくで地上に連れ帰りました……」
ヴィルホは上着の内ポケットから革の小さな袋を取り出した。
「彼女の手袋で作りました。中には、彼女の髪をしまってあります。二人で借りていた部屋にはもう、それくらいしか残されていませんでしたから……」
卓の上にナイフと革袋とを並べて置くと、彼の言葉は続いた。
「彼女を待ち続けました。ひと月、ふた月……。ダンジョン管理のギルド職員に金を握らせて、こっそり一人で潜ったりもしました。それでも彼女の手がかりひとつ、私には見つけることができませんでした。そして更に何か月か経った年の暮れ、行方不明者捜索のためダンジョンに入った先輩冒険者が地上に戻ってきて、私に言いました。『諦めろ。お前はお前の人生を歩め。』と。
心が、折れました。正直な話、その後しばらくの間どうやって自分が生きていたのかは、あまりはっきりとは覚えていないんです……」
眉を八の字に下げ、涙の出ない情けなさの混じった泣き笑いの顔で俺を見つめる。
不意に応接室の扉がノックされた。
「何だ?」
一瞬で大商会の跡取りの顔に戻ったヴィルホは外に向かって問う。
「貴方、お話中失礼します。フンパーディンクさんがお見えです、出発の前に詰めておきたい件があるとかで……」
「ガエターノを出してくれ。あいつなら私の代わりにある程度まで進められるだろう……ツクルさん、でしたね。紹介します、妻のテレーゼです。」
「テレーゼと申します。夫共々、以後よろしくお引き回しのほどを…それでは私はこれで。」
美しい所作で細君が退室すると、彼の顔は再びあの情けない泣き笑いに戻った。
「……イリィを失い、文字通りの野良犬みたいな生活をしていた私を救ってくれたのが彼女でした。彼女が私を引っ張って、義父の店に入れてくれたんです。それから私は、死に物狂いで働きました。イリィのことを決して忘れてはいけない、いつかきっと自分が彼女を探しに行かなければいけないと思いつつ、それでも心のどこかではイリィを忘れようとして、必死に働きました。私にはどうやら商売の才が多少はあったらしく、自分より若い同期連中の輪から抜け、自分と同じ位の年の先輩を追い越し、自分より年上の上司とも並ぶことができました。義父はそんな私に目をかけて下さり、一人娘のテレーゼと一緒になれ、と。それで十二年前、彼女と籍を入れてこのデ・コルトの家の人間となったのです。」
ヴィルホはナイフを手に取り、鞘を優しくなでるようになぞっていく。
「今では息子が二人に娘も一人います。この子たちが一人前になったら私は早々に隠居して仲間を集め、もう一度あのダンジョンに潜る気でいました。」
泣き笑いの顔が一瞬、ふへっと崩れたかと思うと彼の右手はナイフを鞘から逆手に抜き出し、卓上の花瓶に挿してあった花を斬り落とした。
「お恥ずかしながら、今でもこうして練習だけは欠かさずにいたのですが無駄になってしまいました
……いや、これは別に恨み言とかいうのではありません。本来なら私がやらなければならなかったことを、皆さんがして下さったのです。本当に……ありがとうございます……」
ヴィルホが深々と頭を下げると、卓の上に水滴が二、三粒落ちる。
「それで彼女の、イルメリの遺骨は今どこに?」
がばと起こした彼の顔に情けなさや過去の失敗の惨めさのようなものはもうなかった。大店を預かる男の、責任と使命感のようなものがにじみ出ている。
「ギルドの合同慰霊祭が今日の午前に行われました。イルメリの遺骨は地母神教会の納骨堂に仮に収められています。」
「そうですか……。ツクルさん、今の仕事が片付いたら私は彼女を弔うために、一度リュカネンに戻ろうと思います。私たちが生まれ、共に時間を過ごしたあの美しい村に彼女の墓を建ててやろうと思います……」
「……では用は済みましたし、そちらにはお急ぎの仕事もおありでしょうから俺はこれで……」
辞去しようと立ち上がるとヴィルホは
「少々お待ちを……」
と言って一旦部屋を出、すぐに小さな銭袋を持って戻ってきた。
「些少ではございますが、どうかお納めください。今は出立前のことで大した用立てもできませんが、日をあらためてギルドの方にもご挨拶に伺わせていただきます。」
「いや、俺たちはギルドから報酬を受け取ってますし、頂戴するわけには……」
「どうか、どうかお受け取り下さい。彼女、イルメリへの供養だと思って……!」
「……では、一旦お預かりしておきます。」
「ツクルさん、この度はお世話になりました。ありがとうございました……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……んで、デ・コルト商会を後にして金床亭に来た、ってワケだ。」
カップの酒を一口あおり、小串のピクルスを齧る。おぉおっほ、これ酸っぱい……
「なるほどね……十七年前の死に別れ、若い恋人たちの悲しい物語だったのね……あいーッ!!ずびーむッ!あいーッ!!」
まわった酒の影響もあるのか、変な声で鳴き……泣き始めたルディはとめどなく流れ出る鼻水をハンカチでかむ。ド紫の布地に小さな百合の花の刺繍がイラッとする。
「それで、ヴィルホ氏からもらった銭袋ってのはどうしたんだ?」
「ここにある。それがなあ、やっぱコレは受け取れんよ。どうしてもその気になれんのだ。ルディ、『持ち帰る者』の共同利益ってヤツにしとくか?」
「おフザケでないわよツクル!今の話を聞いてそんなことできるワケがないでしょおぉッ!?ちょっと見せてごらんなさい……あらやだ、ケッコー入ってるわね……ってそうじゃなくって!いい?明日にでも花屋に行くの、時期が時期だから大したものにはならないかもしれないけど、出来る限りのキレイな花環を誂えてイルメリちゃんにお供えするのよ!いいわね?ハイ決定!!……あいーッ!!」
やれやれ。
「これで残る疑問は一つ、なんでイルメリの霊がホルヘとツクルには見えたかってことなんだが……お前ら二人の何がイルメリに近かったんだろう?ツクル、心当たりはあったか?」
長めの串で煮豆を一つずつ刺しては口に運びながらヴァルトが聞いてくる。
「テキトーな考えでもよければな。……彼女、イルメリの体には新たな命が宿っていた。まだ十六歳とはいえ彼女は『母親』だったんだ。んで、俺たちがピット近くの穴に行く途中でホルヘが話したろう?娘がいて、土産に飴が欲しいって。」
「そういえばそうだったな。」
「それで思い出したんだよ、ホルヘとイルメリには『親』という共通点があったことを……我が子への思いの強さって言うのかな、そういうのが二人を通じさせたんじゃないのかな。」
「ああ、ホルヘの娘への可愛がりっぷりといったら他にないからなぁ。」
「いや、それほどじゃあ……」
ヴァルトに軽くからかわれてホルヘが赤面する。ヤメレ、あんまりかわいくないから。
「じゃあアンタの場合はどうなのよ?女の子でもないし、人の親でもないじゃないの!むっさい顔して!」
「『孤独』……。」
「「「「 は? 」」」」
「彼女は恋人のヴィルホと離れ離れになってダンジョンに一人残された。そしてこの俺も故郷を追われて、どこかわからん遠くの外国にただ一人飛ばされて今に至る。共通点といえば『孤独』なことかな、と……」
ぴん
正面から煮豆が飛んで来た。
「いたっ(痛くはないけど反射として)!何すんだよ?」
「ツクル、俺たちは友人じゃなかったのか?」
なんか不満そうにミルカが言う。あ、そう言えば前に「俺たちマブダチだよな」みたいにグータッチしたこともあったな。忘れてた、すまん。そうそうオレタチズットモ。馬車で来た。古いな、ネタが。
「あら何よツクル、アンタ寂しいの?いいわよ、今夜はアタシのベッドに来ても。」
「すまん、気持ちは有難いがまだ覚悟ができてないんだ。勘弁してくれ。」
「おい待てコラ。覚悟とは何だ、覚悟とは!」
「あ~、おじさんが怒ってる~。どしたの?」
「小娘ェ!キサマもか!いいだろう、変則タッグだ。どっちからでもいいからかかってこいやクラ!」
「ルディ、素を仕舞え、素を。……シニッカ、そちらのツクルさんがな、自分は孤独で寂しい存在なんだと悩んでおいででな……」
背後から前に回ってきたシニッカは両手で俺の頬を挟み、ぐっと自分のほうに向ける。くりくりの瞳の中に俺の顔が映っている。
「ツクルは孤独じゃない。ミルカもミレナもエルもラッシもアタシもいるし、ヴァルトさんやホルヘさんもみんないる!だから絶対に『孤独』じゃない!いい!?」
「……ふぉい……」
顔をアッチョンブリケに固定されたままなので変な声でしか返事できん。ってか……
「ほふぶぅううううううッ!シ、シニッカ、笑かすな……なーにやってんのオマエ?」
シニッカの両眉は描き込みで太くつなげられ、鼻の穴の周りも黒く塗られている。そんな顔して真面目なこと言うなや。
「あれ?ツクルさんどしたんスか?」
「んがふっく……ラッシ……オマエもか……」
こっちは目の下のクマと飛び出た大量の鼻毛が描き込まれ、ご丁寧に鼻の頭は赤く塗られている。あと、額の「おにく」はやめろ。なんでソレ?全世界共通なの?二人とも、年の最後の宴会だからってハジけすぎだろう、なんぼなんでも。
『さて、相棒よう……』
何だか随分長いこと聞いてなかったような声がして、黒い毛玉が膝の上に上ってくる。
『よう、相棒。調子はどうだ?』
『俺というものがいながら寂しいとか孤独とかはねえんじゃねえか?なあ、ちょいと説教してやろうか。なんだか俺、キズついちゃったしなー……』
……スマン。




