第二十六話
「なーんでできないんだろうな……」
夕方の風呂屋、たそがれ通りに一番近い『晶泉館』の男湯で湯船に肩までつかって天井を見上げていたら、自然とそんな言葉が口から出てきた。いい年こいたオッサンがこんな愚痴みたいな独り言を吐いてしまい、少し情けない気分にもなってくる。
ロビンの特異魔道具審査から今日で四日目、期限となる八日間の中日だというのに俺はまだ魔法が使えていない。大変にヤバイ状況なのだ。
ギルドマスターが紹介してくれた魔法の講師は話に聞く通りの若い男で、自己紹介の時にはきちんと白色魔杖紋付の板章を見せてくれた。魔法の指導者としてこの町ではそれなりに名前の知られた男らしく
「基礎レベルの魔法でいいとおっしゃるのなら、早い人で二日くらいで使えるようになりますよ。一番基本の『燭光』なら、それこそ今日の夕方にでもね。」
と胸を張って言っていた。しかしこれがどうしたものか、俺には魔法を使える気配の「けの字」すら見えてこない。魔法教習初日にギルドハウスで魔力があるかどうかの検査もして、「特別多いとは言えないが、一般的な魔法を使える程度の魔力なら十分ある」という結果も出たのだが、その後今日に至るまで何の成果も得られていない。
冒険者街のはずれにあるギルドの訓練場に
「『燭光』!『燭光』!」
という俺の声がむなしく響いただけだった。
余りのポンコツぶりに講師の兄ちゃんは自分の指導力を疑い始め、どうにもおかしな雰囲気になってきたので昼前に急用ができたと言って魔法教習をばっくれ、ひとっ風呂浴びて気分を変えようと風呂屋にやって来たわけだ。
身を浄め、蒸し風呂で汗を流しては水風呂に浸かって体を冷やすという苦行で我が身を虐めてみたのだが、解決策など思い浮かぶはずもなく、アホみたいに天井を眺めるより他にすべきことはない。
「どうしたらいいのかねえ……」
「何をどうしたらいいんでえ?」
うお、びっくりした。
「なんだファビオかよ。」
「人の顔見て『なんだ』はねえだろコノヤロウ。ほれ、もそっとソッチぃ詰めな。」
尻をずらすと頭に手拭いを載せたファビオが
「……っづあ゛あ゛あああぁぁ……おふ……くう゛ぁあああ……」
とか言いながらゆっくり湯船に身を沈めてくる。どう見ても温泉につかる日本のじいさんのようだが、白い肌に薄めの金髪と碧眼、長い耳で俺よりほんの少し美形のエルフなんだよな。
「なあ、オマエ背中にチャックついてないか?中に大工か左官を引退した江戸っ子じじいが入ってるだろ?」
「なんでえ、そりゃ。確かにオメエから見りゃジジイかもしれねえ年だが、俺ぁエルフの中じゃまだぴっちぴちだぞ、ぴっちぴち。オバン泣かせの娘ごろしと恐れられた槍づかいはまだまだ現役よ!」
「やめろよ。風呂ん中で腰を振るな、下品だぞ。」
「くあっかっかっかっか!……んでツル公、オメエいってえ何をどうしようってんでえ。このたそがれ通りの世話役、ファビオの旦那に聞かせてみな。」
……そういや大概のファンタジーものじゃエルフのキャラクターって魔法をバンバン使ってるよな。
「魔法の一つも使えぬのか!愚かな人間めが!」
みたいな高慢ちき系のエルフが描かれるのも多いけど、ファビオはそういう性格じゃないみたいだし年の功もある。一つ聞いてみるか。
「実はな……」
ロビンのことは正式登録前なので隠し、冒険者ギルドの強めの要請で魔法を使えるようにならなければいけなくなったと誤魔化して事情を話したところ、幸いにもファビオは親身に聞いてくれた。
「魔力があんのに『燭光』すら使えねえなんてことがあんのかね?そこらのガキでも使える奴ァ使えるぞ。」
「らしいな。だけどどうしてもできないんだよ。」
「ギルドの魔力検査器具は壊れてなかったんだな?」
「ああ。器具を変えて二度も検査したんだから間違いなく魔力はある、と職員も言ってた。」
「……よっし!」
突然ファビオが立ち上がる。湯を散らすな。あと前を隠せ、前を。自慢の槍が抜き身でぶらぶらしてっぞ。
「ツル公、明日の朝うちに冒険者ギルドに来な。朝イチぁガキどもでうるっせえから、四つ時の鐘が鳴る前くれえにカウンターのあるホールで待ってな。」
「何だよ、何かわかったのか?」
「わからん。だが秘密兵器を連れていってやらぁ。」
「秘密兵器?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、俺はファビオに言われた頃合いの時間に冒険者ギルドにやって来た。室内を見回すが、まだファビオは来ていないらしい。
『少し早かったんじゃねえの?』
『待ち合わせだからな、こっちが少し待つくらいで丁度いいんだよ。』
人目もある場所だし、ロビンにはくれぐれも念話で話すよう言い聞かせてある。
「よう『大食い』、久しぶりだな。仕事探しか?それならウチはどうだ?来週からダンジョン潜行の予定でな、お前が強力してくれるんなら心強いんだが……」
「すまん、今抱えてる用事が片付かんことにはどこの仕事も受けられそうにないんだ。」
「そうか、まあいいや。暇ができたら声かけてくれ。じゃあな。」
「おう。」
今のは確かダンジョン崩落の時に救助したパーティのリーダーだ。『持ち帰る者』だったか?物品収集に特化した連中で荷運びの都合上、毎回何を持ち帰るかの喧嘩が絶えないと宴会の時に聞いたな。
『何だよ相棒、いっぱしの冒険者らしいやりとりじゃねえか。』
『…俺も思った。自分でも知らないうちにこの世界、冒険者稼業に慣れてきてるんだな。』
「ホールで待ってろ」と言われたので依頼掲示板の前にあるベンチに座ろうとすると、クララがすっ飛んできた。
「ツクルさん!おっそいですよ、もう!さっきからお待ちですよ。早くこっちへ!」
腕を引っ掴まれたかと思ったらそのままぐいぐい応接室の前まで引っ張られた。見かけによらず力強いな、クララ。ひょっとして俺よりも君のほうが冒険者適正みたいなのがあるんじゃないのか?
「ギルドマスター、ツクルさんをお連れしました!」
「入れ。」
そこはソフィ課長らからの聞き取りに使ったのとは別の応接室で、広いうえにえらく豪華な造りになっていた。照明はシャンデリアっぽいし、床は全面絨毯張り。壁にはでっかい剣やら何か大きな生き物の牙らしきものもかかっている。
「…ほへ~…(小声)」
『おい相棒、アレ…』
感心しながら見ていたらロビンのほうが先に、来客用のソファに座る顔見知りに気がついた。
「お、ファビオ。それに…骨董屋の爺さんだよな?なんでここに?」
「どうやら俺たちのほうが先だったみてえだな!年くうと変に行動が早くなっちまっていっけねえな。かっかっか!」
「アタシはともかく、アンタはエルフとしちゃまだ十分若い部類だろうに……。おはよう、ツクル。その後は元気にやっとるかね?」
「やっとるかね?」ってあたりで、人差し指と親指で作った輪っかをくいっと傾ける。朝っぱらからもう酒の話かよ、ホントに元気な爺さんだね。
「おい、ツクル…」
ギルドマスターがどこかやりづらそうな顔でこっちを向く。
「…オマエ、このお二人と知り合いか…?」
知り合い?いや?うん?どう説明すればいいんだ?
「知り合いというかなんというか……。今住んでるところに引っ越したその日その時に拉致られて突然酒盛りに参加させられた。というかなんでたそがれ通りの世話役と骨董店主がここに?」
「『たそがれ通りの世話役』?お二人とも何も教えていないんですか?」
「アタシらのことを知ったら知ったで態度の変わるヤツが世の中多いからねえ。まあ、『商店街のただの爺さん』扱いのほうが気楽で良かった、むしろ新鮮で楽しかったのさ。ふっふふ。」
「昔馴染み以外の奴らは俺らが相手だとどうしても皆お堅くなっちまう。骨董屋たちがくたばっちまったら俺ぁ気楽に酒を飲める相手がいなくなるからよ、飲み友達補充のつもりだったのよ。」
「…ひょっとしてアレ?俺の知らないところで話が進んでる系?」
「ツクル、このお二人は…」
「いいよ、それくらい自分らで言うさね。」
ギルドマスターを軽く制して二人は懐から黄金に輝くプレートを取り出した。
「第二等黒色魔杖紋及び三日月紋付黄金板章、冒険者パーティ『颯』魔導師。骨董屋の爺さんこと、『見抜く目』のオスモ・ティーリカイネンだよ。」
「第二等黒色双翼紋及び赤色三矢紋付黄金板章、冒険者パーティ『颯』斥候。たそがれ通りの世話役こと、『風斬り』のファビオたあ俺のこった。どうでえ、驚えたかコノ!」
「ツクル。このお二人は四十年前にダンジョン群を発見し、第一から第三までを最初に攻略したパーティ『颯』のメンバー、今のラハティの発展の礎を築いた方々だ。」




