第十九話
二日酔い気味の頭を抱えて門外の冒険者街へ向かう。若いころほどのバカな飲み方をしないように常々注意していたはずだが、昨日は久しぶりに失敗した。今朝目が覚めた頃に比べれば多少はラクになったが、今もちょっとでも歩くペースを上げると吐いてしまうんじゃないかと心配になる。胃薬とかなかったっけか……
『みっともねえなあ、相棒。』
わかってるよ。でも悪いのは俺じゃない。悪いのは、ファビオが勧めたあの「ヴォート」とかいう酒だ…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺が連行されたのはホントに昼間から営業中の居酒屋だった。店主は髭面ドワーフで、店の中もどこか知ってるような雰囲気が漂う。気になって聞いてみたら
「なんだ、兄貴のところの客か?このへんに越して来たんなら、ウチも存分に使ってくれよな。」
とのことだった。南区のあっちは『金床亭』で、西区のこっちは『小槌亭』というらしい。更に北区には彼らの長兄が営む『大槌亭』というのもあるそうな。
昼間から営業してる店だけあって、客のほとんどはダメにんげ……そこそこの金があって暇を持て余し、人様がまだ仕事をしている時間帯に酒を飲もうという気概のある連中ばかりだった。で、ある意味そういう客の代表格が集まってるのがファビオとゆかいな仲間たち+俺のテーブル。たそがれ通りに骨董屋や古本屋、乾物屋、鍛冶屋、衣料品店などを構え、一応は現役の店主だったり、先日息子夫婦に代替わりしてたりとかいう連中の集まりだ。エルフのファビオが一番年上で、見た目は俺より若いくらいだが実際は270歳と少し。他は65歳より下はいなかったから、要は老人会の寄合だな。
「紹介するぜ、コイツが今日引っ越してきた……オメエ名前なんつったっけ?ああ、そうそうツクル!ツクルだ!皆、覚えてやってくれ。」
世話役を名乗るんなら、人の名前くらいきちんと憶えてくれ。
雑な紹介が済むとテーブルにジョッキと料理の皿が運ばれて、すぐに宴会が始まった。元気な爺さんばかりだ。「寄合」ってのはフツーは何か話し合いをするもんなんじゃないのかね。
「おいツル公。オメエさん、なんでまたラハティに住もうなんて思ったんだい?ちっと皆に聞かしてやってくんねえか。」
二、三回目のジョッキのお代わりをする頃、ファビオがそんなこと言ってきた。待てや、俺はエロ落語家とちゃうわえ。自己紹介代わりにと、「うそっこツクルの放浪物語」を語ってやる。国を追われ、ワケのわからぬまま見知らぬ土地へとばされた旅人の話を彼らは興味深そうに聞いてくれて
「苦労したんだねえ。まあお飲みよ、兄さん……」
と同情までしてくれた。
「…最近は冒険者ギルドがやってる工事の手伝いをしたりなんかしてね、こないだこんなものまでもらっちまった。」
懐から赤銅板章を取り出して見せるとファビオが大笑いした。
「ん?ぶっ!ふはははははははは!何だこれァ?赤銅板章に銀星紋!?不釣り合いなことこの上ねえじゃねえか!こんなの見たことねえや、おもしれぇ!ふぁっはっはっはっはっは!」
「どれどれ、アタシにも見せてごらんよ。ええっ?本当だ…。アタシも長いけど、こんなのは見たことがないねえ、この板章も銀星紋もホンモノだよ?兄さん、アンタいったい何者だい?」
骨董屋がポケットから出したルーペで見た後、呆れた顔で言った。鍛冶屋が板章を受け取ってまじまじと見た後、何かを思い出したかのように聞いてきた。
「……黒猫連れたおっさん赤銅板章だと……あ、ひょっとしてオマエが『大食い』か?」
「なんだ知ってるのか?小僧みたいなあだ名であんまり気に入ってはいないんだけどな。そう呼んでるヤツもいる。」
キャンプへの物資輸送の際、俺がアイテムボックスに手当たり次第に物資だの機材だのを詰め込んでるのを見た一部の冒険者がそう呼びはじめて、今では名前よりもあだ名のほうが広がってるとかなんとか。
「そうかそうか!それじゃあオマエは俺にとっても恩人みたいなもんだ!飲め!」
「何でえ、そのオーギーってなあ?」
「『大食い』だよ、『大食い』。なあ兄さん、『撃剣会』のエステバンって名前に聞き覚えはねえか?」
エステバン?……エステバン………!
「ダンジョンの『門』の向こうで救助がいつ来るかって賭けをしてた!」
「そう!その『撃剣会』のエステバンよ!アイツぁ俺の甥っ子でな、オマエがあっという間に助けに来てくれたおかげであの博打に大勝ちしてな、あちこちに作ってた借金を返しきったそうだ。俺んとこにもやって来てよ、ヘソクリから貸してたぶんを耳ぃ揃えたうえに利子までつけて返してきやがった。おかげで俺も思わぬ儲けになったってワケさ。」
「あ?ああアレか!ひと月くらい前にダンジョンが崩れっちまったけど、たった一晩で全員救助されたとかいう……よし!ツル公、オメエよくやった。おおい、姉さん!こっちに七色ヴォート持ってきてくれ!」
ファビオに応えて「あいよ!」という元気のいい返事と共に店員が七杯のグラスを持ってくる。それが問題の酒「ヴォート」だった。
「バン公の恩人、鍛冶屋の恩人ときちゃあ、いい酒飲まさねえわけにいかねえや。いいか?このヴォートってなぁ芋から作った蒸留酒でな、店ごとにいろんな香りづけ、味付けをして飲ますんだ。特にこの『小槌亭』の七色ヴォートってのは出来のいい原酒に名前の通り七種の香りと味をつけてあってな、ラハティの呑兵衛どもに有名なんだ。さ、まずは七色の一色目だ。ぐっといけ、ぐっと!」
ファビオが熱烈に勧めてくるグラスは薄い赤色の液体で満たされていた。口に近づけるとバラのような花の香りが漂ってくる。「芋から作った」なんていうから芋焼酎を想像したが、むしろフレーバー・ウォッカと言うべきだろうか。思い切って中身をきゅっと煽ると少し甘めで、花の香りが口から鼻へ抜けていく。が、問題はアルコール度数の高さだな。ホントにウォッカ並みだ。間違いなく40度以上、50度近くあったろう。
「っっくああああっ!…ふぅ…。少しキツイがうまいな。強い酒なのに甘口で花の香りがするのがおもしろい。」
グラスを机にコトンと置くと、誰ともなく歌い始めた。
〽 虹は七色 その七色を いったい何に喩えよか
赤は野に咲く花の色 あの娘に贈る花の色
俺の思いを花に乗せ 可愛いあの娘に贈ろうか
されどあの娘にゃ男がござる 男どうしてくれようか
憎い男にゃこの酒飲ませ つぶして女郎屋にたたきこめ
あの娘は男に愛想を尽かし 俺のところへ来るだろさ
ハァ トコトントコトン
「ぷくっ……ひっどいな、なんだその歌は?」
「七色ヴォートを飲むときのお約束、戯れ唄だよ。ほら二色目だ、さあ飲め!」
次に渡されたグラスにはリンゴのような香りがする薄い橙色の液体。
「……赤橙黄緑青藍紫で虹の七色、七色ヴォートか……まさかこの強い酒を七杯も飲めと?」
予想は当たりだった。二色目の橙を飲むとまた戯れ唄が歌われて、今度は柑橘系の香りがする薄黄色の酒のグラスが置かれた。この三色目あたりでギブアップすればよかったんだよな。それをしなかった昨日の俺はバカだったにちがいない。五色目あたりで戯れ唄に手拍子で参加しはじめ、七色目を空けた頃には意識がかなりあやしくなっていた。爺さんたちが歌う
〽 紫 呑兵衛の顔の色 お迎え近い顔の色
この世に別れを言う前に 飲み代出すのを忘れるな
されどオイラにゃ未練がござる 未練残して死なりょうか
可愛いあの娘を呼んどくれ 一目だけでも会わせておくれ
あの娘の姿をアテにして 地獄で酒盛りせにゃならぬ
ハァ トコトントコトン
とかいうのを聞いてあまりのひどさに大笑いしたのはうっすら覚えてる。
その後意識がなくなり、次に気がついたらファビオの肩を借りて家の玄関をくぐるところだった。
「ツル公、今日は男を見せたな!いい飲みっぷりだったぜ。……こっちが寝床か?ああ、丁度布団が敷いてあらあ。ほれ、寝かすぞ…。んじゃあ俺はこれで帰るぜ、また飲もうな。あばよ!」
俺より飲んでたはずなのに、あの元気の良さはなんなんだ…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そう、悪いのは俺じゃない。酒と場の雰囲気が悪かったんだ…。
『飲むのは構わねえけどさ、体壊しちゃ元も子もないだろ?中年なんだしよう。』
中年じゃない!三十代はまだ青年!「青い年頃」と書いて青年だ!
『二言目には無理ができないだの、衰えただの言いだすくせに…』
……わかった。次からは気をつける。そのように善処して努力するよう鋭意検討する。
少し時間はかかったが目的地である冒険者ギルドに到着。ドアを開けてまっすぐカウンターに向かうと、輸送業務をやってる間に顔馴染みになった若い女性職員が気づいてくれた。
「あらツクルさん、おはよ…ってクッサ!酒くっさ!昨夜は何したの!?ダメ人間のにおいがしてるわよ?」
そこまで言わんでも……はいはい、確かに昨日はダメ人間の集まりに参加してましたよ。
「クララ、俺も反省してるんだ、追い討ちはやめてくれると助かる…。それよりも、だ。このあいだ言ってたろ?新居が決まったらなるべく早くギルドに報告に来いって。」
「ああ、そのことね。はいはいちょっと待っててね……。はい、住所登録の書類。今ツクルさんに板章を出してるのは冒険者ギルドだから、こういうのをきちんと確認してなきゃならないの。」
そういうことか。身分証の発行元が住民登録もするわけね。名前はツクル、年は三十六歳、住所は西区…と。しかし『大鑑定』って便利だな。会話だけじゃなくて読み書きまでできるようになるんだから。
「なあ、俺は冒険者を専業でやっていく気は今のところないんだけど、職業欄はなんて書いたらいいんだ?」
「え?でも、うちの輸送業務はもちろん引き受けてくれるんでしょう?」
「ラハティにも業者がいるだろ業者が。騎乗ゴブリンのほうも落ち着いて自粛要請だって解除されたじゃないか。できりゃあそっちに頼んでくれよ。」
「カーチスさあん!ツクルさんが『専業冒険者になる気はないけど職業欄に何て書けばいいか?』だって!」
「あ?何も書かねえわけにゃいかねえから取りあえず『冒険者』って書かせとけ。んで、いつでも消せるようにうっすら『(仮)』と書いときゃいい。それよりもツクルが来てんだな?来たら顔出させるようにマスターが言ってたから連れてってやんな。」
「…だって。」
いつでも消せるように書くのは「冒険者」のほうじゃないのかよ。ああもう、わかりました!書きますよ書きますよ。……「冒険者」も「(仮)」もうっすら書いてやろ。
「はいさ、書けたよ。」
「じゃあマスターのところに案内するわね。お話してる間に書類の確認しとくから。」
「頼むよ。」
クララの後について階段を上り、ギルドマスターの執務室へ。途中すれ違う職員とも軽く挨拶を交わしてると、本意ではないのに何だかこの業界に慣れ始めている自分に気づく。いかんいかん、安全な仕事を副業的に多少手伝うことはあるにしても、冒険者を生業にするというのは考え物だ。
「ギルドマスター、ツクルさんが来たので連れてきました。」
「おう、来たか。入れ。」
「じゃ、私はこれで。」
ギルドマスターの部屋は大きな執務机とごく簡単な応接セット、そして書類棚くらいしかない。
「すぐにこの書類を片付けるから座って待っててくれ。」
ソファに腰かけて壁を見上げると、歴代のギルドマスターだろう人物の肖像画がかけられている。校長室っぽくもあるな。
「さて、こっちはこれでよし、と…。」
ペンを置いたギルドマスターは執務机を離れ、何やら書かれた紙を手に俺の正面に座った。
「オマエを呼んだのは聞きたいことがあったからなんだが、『馬なし馬車』とか『しゃべる猫馬車』って何のことだ?その、オマエの相棒と何か関係があるらしいが……」
うわお…




