第一話
俺の名前は内藤創、三十六歳。職業、探究者……すまん、少し盛った。いや、削った、か。世間一般で言うところの無職です。「生業の」探究者です。
でもな、なにも好きこのんで無職なわけじゃない。
二カ月前までは普通に働いていたんだ。決してブラックではないけどホワイトとも言いきれない、どこにでもある会社の普通のサラリーマンだったんだ。
だが二か月前のある朝、出勤して三十分後に会社がなくなると聞かされた。目に涙をためた専務の言うことには、『これまでギリギリのところで頑張ってはいた。厳しくはあったが、もう少し耐えれば絶対に先が見えてくると思っていた。しかし先日発生したある案件により、会社を畳まざるを得なくなった。悔しくてならない。』と。
社長と事務の女の子の姿が見えず、社長夫人でもある専務が涙目ながらも青筋立てた鬼の形相でそう言ってるんだから、こっちとしては何とも言いにくい状況だった。薄々感づいていたけど特に何もしてこなかったことへの後ろめたさもある。
その後はいたって事務的に事は進んだ。こういう場合の経験がある同僚がいたので、ソイツのする通りに失業保険やなんかの手続きをして「少し遊ぶべえ」とブラブラしたり、今までなかなかする暇がなかった趣味のキャンプや釣りをしたりで過ごすことにしたんだ。
そうこうしている内に実家から連絡が入った。故郷に新しくできるナンチャラ海浜ホニャララパークのスタッフが要るらしい。「オマエそういうの好きだろう?書類はこっちで勝手に出しといたから戻って来て試験受けろ。むこうの社長にゃ話つけてあるから。」だと。四十も近いのに親の世話になんて………ならない阿呆はいないだろう?親父お袋大好き!!ふるさと万歳!!地方コネ社会万歳!!もっとお世話して!!ラクさせて!!
そういうイキサツで、「住み慣れた」と言えるほどの愛着もなかったアパートを引き払い、荷物を整理して、故郷に向けて愛車を走らせている最中なんだ。基本的には車中泊しながら、よさげな海があれば釣りもしながらのんびり帰ろうと。
え?この車?
かっこいいだろう?我が国を代表するユタカ自動車のトラック『マグナ』だ。しかもダブルキャブ。MLデッキで2t積、おまけに4WD。
運転しにくいだろうって?
まあ大きいことは大きいからな。でもな、アイポイントが高くて周囲を確認しやすいし、回転半径は高級大型SUVと同じか、どうかすると小さいくらいなんだぜ?
個人で乗るような車じゃない?
そんなことないさ。べつに法律で禁止されてるわけじゃない。
それにコレ、実はもらいもんなんだよ。
こないだまで住んでいたトコロは母方の親戚が多くてね、その中に土建屋をやってるのがいたんだ。ところがその親戚が車を新しく買い替えて、さあもういっちょやったるか!という時にまさかのガン発覚。手術すればどうとでもなるし、術後生存率も高いやつだったらしいんだけど、本人がすごく気落ちしてね。今ならまだ借金もなく、それなりの貯えもあるからと思い切って廃業したんだ。俺はその人にかわいがってもらってたこともあって、
「つっくん、コレやるわ。オレからの遺産や。オマケもいろいろつけとくから、頼むからもろうてくれ。」
と言われては、断ることができなかった。
維持費はそこそこかかるが、釣りやらキャンプやら知人の引っ越しやらには重宝するよき相棒というところだ。問題は、この車の助手席に乗り続けてくれる女性がいなかったってところだな……
なんでや!?
見よ!この機能美溢れるスタイルを!
― キホン、機能美しかないけど。
そこらのクルマより頑丈やぞ!
― でないと潰れてまうやろ。
最大6人乗れるぞ!
― 乗り心地、快適性て言葉知ってるか?
ぎょーさん荷物も積めまっしぇ~!
― そらそれが仕事のクルマやもん。
……まあアレだ。真っ黒の2tトラックの運転席から「ほな行こか?」と声をかけたところで、行きつく先はどっかの作業現場しか思い浮かばないもんな。決してデートコースだとは思うまい……
実家に帰ったら中古でいいからフツーのクルマ買おう。
大学出てから十年ちょい、何やかんやありながら暮らした土地を後にして、キャンプをしながら故郷へ向けてのんびりクルマを走らせているんだが……さっきから疑問に思うことがある。
俺どこ走ってんの?
H島県からY口県に入って、左手に海を見ながら進んでたはずだ。
海、どこ行ったん?いや、海はどこへも行かん。
むしろどっか行ってしまってるのは俺だ。
左右に見えるのは野っぱら、野っぱら、林、林、森、森……
あと道も悪い。すこぶる悪い。
Y県は出身の総理大臣が多いから何かと優遇されてるとかで、県内のすべての道が完璧に整備されてガードレールはオレンジかピンクに塗られてるって聞いたぞ。ピンクてアンタ……
嘘やったな。舗装すらされてない。時々車が跳ねるくらい道が悪い。
でも道に迷っただけならどっかで止まってスマホでも見ればすむ。
だけどな、止まりたくないんだよ。
なぜかって?
ちょっとミラー見てくれるか?そう、後ろを見てくれればそれでいい。
見えるだろ?あの気持ち悪いの。
イノシシ(?)に跨って、棒きれ振り回してるヤツ。
5分くらい前から追っかけてきてるんだけど。
体が緑色とかありえんだろ……
でさ、たぶんアイツらって世紀末雑魚的にこのクルマをねらってなくね?
サルかなんかみたいにギャーギャー叫んでるし
ホンマ気持ち悪いわ……
まさか……アレがY口県民!?あのイノシシが明治維新を支えたとでもいうのか!?
(な…なんだってーっ!!)
10分も走ると、凶暴無比のY口県民(たぶん違う)は姿を消した。
よかった。ホンマよかった……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
クルマを停めるのに丁度いい場所を探して更に10分ほど進むと、峠になっているあたりに広場を見つけることができた。ちょいとここで地図でも見よう。
トラックを停止させ、窓から顔だけ出して、さっきのアレが近くにいないことを目視指さし確認する。
右よーし 左よーし 前よーし 後ろよーし
念のため鼻で大きく息を吸い込む。
……獣臭いにおいもない……と思う。森のほうから吹く、少し湿った緑のにおいがするだけだ。
車を降り、大きく背伸びをしてから省略型ラジオ体操っぽい動きで体をほぐす。
ざっと車の周りを見てまわるが、悪路を走って壊れたような様子は見られない。まずは一安心。
取りあえずは問題なさそうなんで、位置確認のためスマホを見ようと思ったんだが、なぜか電源が入らない。
どゆこと……?H島県を抜けようかってあたりでは見れたよな?
きちんと充電したはずなんだけど?
せめて時間だけでも確認しようと思いクルマに戻るが、こっちの時計も何だかおかしくなってる。なんだよ「99:99」って。
もう一度外に出ると、日が西の空に傾いて辺りが少し色づいて見える。完全に迷ってるし、自分の居場所もよくわからんとはね……。
道に迷った時どうするか?俺は基本的には「わかるところまで戻って再チャレンジ」派。でもわかるところまでっつったって、そもそもどこで道に迷い始めたのかがわからんし、戻ればまたY口県民(違う)に遭遇しないとも限らない。そして俺は休職中でヒマ持て余す身、かつ野外で飯食ったり寝たりというのが一切苦にならない趣味の持ち主。
「……今日はここを寝床にするか。」
そうと決まれば動きは早い。テントを広げるのによさげな場所の近くにトラックを移動させ、荷台から段ボール紙とブルーシートを下す。動物のフンや尖った石、不快な凹凸がないのを確認できたらこれらを敷いてテントを設営する。ここで寝るのは今晩だけの予定なのでツーリング用の小さいヤツを組み立てる。んで中にもマットを敷いて、と。
ストーブとパーコレーターを持ってきて仕掛ける。このストーブも使い始めてかなりになるな、十五年くらいは経ってるか?さすが、戦場の男たちを支え続けたモデルの血を引くだけのことはある。幾つか部品は交換したけど、まだまだ十分現役だ。
空腹と不眠は人間の健康を害し思考を停滞させるから、腹に何か入れておきたいところだ。食料品は昼にスーパーによって買い込んだし、水はポリタンクにいっぱい詰めたからまだ十分にある。
あれよという間に陽は低くなり、手元もだいぶあやしくなってきたのでランタンを点す。虫除けも一応焚いておこう。どんな虫が出てきて悪さをするかわからん。
出来上がったコーヒーをカップに注いで一口啜ると、心に余裕のようなものが生まれてくる。自分でも気づかないうちに緊張状態にあったんだろうな。あ、そういえばスマホの充電忘れてた。車に戻ろうと立ち上がると森の近くの薄暗くなったあたりから声が聞こえた。
「やあ兄弟!ちょっと時間をもらってもいいかな?あ、それと俺にもコーヒーくれないか?」
あんた誰?