意地の張り合い
ルルはまるで慌てた様に遠ざかっていく足音を聞きながら、溜め息に似た息を吐く。アダマスの反応の仕方からすると、彼を中心に考える事が増えた。
まずは鉱石病の流行。生き物全員、分け隔て無くかかる病気のはず。それなのにアダマスは全く怯える様子が無かった。彼だって患うかもしれないのに。そして国宝の音について尋ねた時に見えた明らかな動揺。自然的に起きたとばかり思っていたが、もしかすれば人工的に仕掛けられた可能性が高い。
その当事者がアダマスであるのなら、挙げられる理由は1つ。
(僕に近付き、首を手に入れる……口実を作るため)
仮面下で、思考に浸り閉じられていた目がそっと開かれる。虹が踊る全眼に、汚れた色が溶け込んだ。
(そのため……自分の欲望のため……? 何百とある命を、犠牲に)
それが事実なら、なんて下衆なのだろう。欲望に忠実な人間は見てきたが、ここまで溺れているのは初めてだ。
オリクトの民の血肉を食べ、己が上だと勘違いしたか? あの人間の心にその力は耽美な猛毒だ。己の力を知らぬ者ほど驕ると言う言葉は、教訓として意味を成していない。
(愚かだ。王を知らない、僕でも分かる。彼には……罰が必要だ。けれど、どんな罰を?)
彼の罪は重い。1人の体には身に余るほどだ。何千と、数え切れないほどの恨みがあるだろうから。王は罰を正しく裁く事が出来る。しかしルルはそんなふうに誰かを裁いた事はない。
はたと思考を止める。罰とは何のためにあるのだろうかと。これ以上のない痛み? 死ぬほどの恐怖? 地位の剥奪? その人物が壊れ、二度とまともな言葉を作れないような?
(違う)
確かにそれは与えてもいい。何故なら彼らは不思議な事に、自分は虐げられる側にならないと思い込んでいるからだ。同じ目に遭わせるのもいいだろう。
しかしそうではない。罰を与えると言う行為の意味。その本質は、苦しめるためではない。そもそも、罰で殺しては意味がないのだ。
(そう、死、以外。死なず、罪を後悔する、ちょうどいい罰。それは──)
地下室入り口からこちらへ来る足音が聞こえ、ルルは頭の中の言葉を止める。音は落ち着きを持ち、どこか堂々さを感じさせた。血の臭いがしないため、アダマスでは無さそうだ。
牢の前に立ったのは、ヴィリロスだった。ルルはその気配にハッとし、顔を上げる。
『貴方……僕とアダマスの間に、入った人……だね?』
「そうだ。彼に監視を任された」
『ちょうど貴方と、話したかったの』
その言葉にヴィリロスの目がふと細くなる。少しの間無言でいたが、その沈黙は不思議と重くはなかった。
『僕はルル。貴方は?』
「……ヴィリロスだ。家名はイェネオス」
『よろしく、ヴィリロス。貴方、特別アダマスを、支持していないね? 何故?』
「確かに彼は、この国を救った実績がある。だからと言って、彼を特別視はしない。同じ五大柱というだけだ」
『そう。やっぱり貴方は、聡明だね』
妙な気分だ。自分と20は離れていそうな子供にそんな事を言われても、惨めにならないのは。
ルルの頬が嬉しそうに、僅かに緩む。良かった。彼は対等に話を聞いてくれそうだ。
『アダマスを見て、疑問を抱いた』
「疑問……?」
『鉱石病は、どうやって広まるの?』
「歴史が古く、根源は我らにも知られていない。触れる事で感染し、生き物の体を侵食する」
『そう……なら、原因とされる僕に、触れるのは……貴方も恐ろしいはず』
本当にルルが原因ならば、確かに触れたくはない。感染すれば、治る事はほとんど不可能。しかも五大柱である自分が臥せてしまえば、民の心配をより煽るものとなるだろう。
『アダマスは、それを知らないのかな?』
「いや、知識はあるはずだ」
『ならどうして、迷わず僕の仮面に、触れようとしたと……思う?』
ほぼ無意識に、一瞬でヴィリロスの頭は記憶を呼び起こした。背中側しか見えなかったこちらからすれば、どんな表情をしていたのか分からない。しかし言われてみれば、確かに妙な動きだ。
何度も何度も、同じ場面を切り取って繰り返し思い出す。あの行動には必死さを感じた。動きは心情が現れるもの。何に必死だったのか。たとえば怒りから来る必死? 民を思って、原因であろう相手を捕まえたくて心が急いだ? そうは見えない。あの仮面しか見えていないかの様な動きだった。それはまるで。
『まるで……僕の目を、確認するのが、目的みたいな』
ヴィリロスの口から、僅かに息を呑む音が聞こえた。それにルルは安堵する。少しでもアダマスの行動に違和感を感じてくれて良かった。もちろん、どちらを信じるかは彼次第だが。
『僕の種族が何か、知ってる?』
「いや」
『オリクトの民。アダマスはそれを、知っている』
ヴィリロスは僅かに驚きを見せて、確かめるようにルルを見つめた。証拠にというように、彼は縛られた両手を胸元に持っていくと、祈る様に指を絡ませる。指の合間から、牢の薄暗さを貫く輝きが漏れた。眩しさに細めた目に映ったのは、先ほどまでは欠片も無かった宝石。ムーンストーンとサンストーンを掛け合わせた不思議な石が、手の平に、当然のように転がっていた。
ルルの容姿は、あらゆる資料に記載されるオリクトの民の中、少し違う点がある。肌もそうだが耳の鉱石。しかし人には不可能なその行動に、信用せざるを得ない。
アダマスがオリクトの民を執拗に探しているという噂があった。これが本当ならあの仮面を取ろうとする仕草が、オリクトの民の特徴である「全眼」を確かめるため、というのも頷ける。
(そうだとして……この鉱石病はタイミングが良すぎる。まさか)
『多分僕らが、考えている事は、一緒だよ』
「…………貴方は、全て知っていると言うのか。彼が何をしようとしているのかを」
『まず、彼は貴方を、手中にする。それは僕らとしては……とても惜しい』
「何故私を?」
『分かっていないの? 貴方の言葉は、強いからだよ。その、冷静な判断力……全てを踏まえ、考えられる力。誰にもある訳では、ない。力は自覚しなきゃ、危ないよ。こうやって、他人に使われる』
ヴィリロスは唖然と頭に続く言葉を聞いていた。一瞬だけ、彼に跪きそうになった。いったいなんて子供だろう。いや、ただの子供と呼んではいけない。旅人であるからには、多少は歳よりも経験を積んでいるため、大人びるだろう。しかしそうではないのだ。オリクトの民とはまた違う、言い知れぬものを感じる。
ルルは指でちょいちょいと、ヴィリロスを手招きした。視線を合わせてきたところで、ルルの腕がギリギリ通る牢から、指先だけで先程の宝石を差し出す。
『これを持って。お守り。コランにも、持たせているから』
「貴方は本当に、何者なんだ」
そう呟く様な声は、地下牢に響かないほど小さかった。言葉は震えている。彼にしては珍しく、まるで怯えているように。
ルルは少しの間黙って考えた。顔が近付いたこの体勢なら、仮面を取ってもヴィリロスだけに見える。そうすれば彼は王だと気付き、もしかすれば牢を開けてくれるかもしれない。しかしそれをしたくなかった。
(これが、意地……なのかな?)
なんとなく、王という存在価値が絶大である事は理解していた。だがそれは彼にとって決して嬉しいものではない。だってほとんどの人は、ルルではなく《王》を求めるのだから。王だと理解した瞬間、自分の存在が失われる。
だからこれは、効率的ではない全く無駄な意地だ。彼がこの言葉を信じるかどうか、全てを委ねたい。
しかしそれで恐怖を与えるとは思っていなかった。別に未知の存在になりたくはない。少しヒントにと、ルルは口角を微かに緩める。
『王が収容、されているよね?』
「? ああ」
『考えてみて。王が本当に、自分の心臓を人間に……渡すと思うかどうか』
ルルの声は、普段と変わらず抑揚が少ない。しかしヴィリロスの細かった目は、これまでにないほど見開かれる。言葉を作ろうとした唇が、少年にしては華奢な指で止められた。
『僕は旅人。信じるかは、貴方次第だよ』
指から解放された口が、また何か言おうと息を吸ったが、言葉は吐き出されず深い吐息となった。彼はグッと硬く、口を閉ざす。そして差し出される不可思議な宝石を受け取った。




