異変
太陽が真上に昇る頃、月の地区にある小さな広場に人集りがあった。通りを歩く住人はチラチラそちらへ視線を向けている。集まっているのは全員女性で、年齢は関係なくにこやかに1人を囲んでいる。人々の中心に居るのはルービィだった。
彼女の周りにシートが敷かれ、そこには色とりどりの薔薇が並べられている。座っている足元にはバスケットが置いてあり、中には薔薇の種がたくさん入っていた。
「ルービィ様、先日頂いた薔薇でジャムを作ったんです。少ないですが……」
「青い薔薇で作ったのね? とっても綺麗。ありがとう、味見させて頂くわ」
恐る恐ると差し出された小瓶の中を、細長いスプーンですくって食べる。仄かな甘味と薔薇の香りがとても上品だ。
「とっても美味しいわ。でも、ご家族はもう少し甘い方が好みって仰っていたわよね? なら、蜂蜜を合わせるともっと素敵よ」
「本当ですか? 試してみます」
主婦は嬉しそうに言うと、新しい薔薇の種と花びらを貰って帰って行った。彼女の背に手を振って見送ったルービィは、次に声を掛けてきた少女の話へ耳を傾ける。
月の地区では週に1度、彼女による花の教室が設けられていた。庭で育てた薔薇や種を分け、育て方や目で愛す以外の使い道なども教えるのだ。別に性別は関係なく行なっているため、時折花が好きな少年、青年なども来る。
この集まりは、長ければ日が傾き始めるまで続く。それに今は宴の3日前だ。皆備えて家を飾ろうと、いつもよりも多く訪れている。やがてオレンジの日差しも冷たさを帯びて、徐々に人も少なくなってきた。
隣に置いていた薔薇の種を入れた籠に、何かがパラパラと降り注ぐ。視線を向ければ、そこには見覚えのある黄色の薔薇の花びらが散らされていた。
「やはり、なんでもかんでも育て親に似ると言うのは、本当ね」
どこか棘を感じる声に、ルービィは無意識に目元をしかめてしまう。見上げると、指に絡まった同じ色の薔薇の花を、まるで汚い物の様に払う少女が居た。
「ご機嫌ようルービィ」
「ご機嫌よう、スファレ。その薔薇は」
「以前貴女に頂いた物よ」
「……そう。さっきの言葉は、どういう意味かしら?」
「そのままよ。傷物が作る物は、傷物だった……と言う事。あらヤダ、気にしてた? ごめんなさいね。私、素直な性格なの」
「花びらは綺麗なままよ。貴女が好きなネックレスにもなるわ」
「やぁよ。貴女のなんて。あ、私ったらまた」
スファレは眉根を下げ、哀れなものを蔑む目でクスクスと笑う。彼女は太陽の地区の五大柱を務める父を持つ。つまりはルービィと同じ、五大柱の令嬢だ。
言ってはなんだが、あまり2人は性格が合わない。正しくは、一方的にスファレがルービィを目の敵にしているのだが。五大柱の娘はノイスには2人だけ。そのため、自分の方が美しいだの可愛らしいだのを勝手に1人で競っているのだ。
そんな態度を取られるのは昔からだったため、ルービィは慣れてしまった。だが最近はその反応の無さが面白くないのか、余計に絡んでくる。まさか集会にわざわざ顔を出してまでとは思わなかった。
「ねえ聞いたわよ」
スファレは興奮気味にテーブルに手をついて前のめりになる。置いてあった薔薇の花がクシャリと潰れたが、そんな事は眼中に無いようだ。間近に迫った赤味のある金の目は爛々としている。
「舞踏会へ出るんですって? 男嫌いな貴女が」
「ええ」
「やっぱり! お父様にお聞きしたのよ。知ってびっくりしたわ」
「貴女も参加するんでしょう?」
「もちろん。貴女と違って引くて数多ですもの。それにしても……」
スファレは距離を取ると、品定めするように細くした目を上下させ、彼女の胸元で視線を固定する。ルービィは庇うように、そこを手で隠した。それを見た彼女の唇がニィッと引き上がる。
「お相手がかわいそうね。それとも、その方も傷物なのかしら?」
「! 侮辱するのは私だけにして。他の人を言うのは許さないわ」
睨む鮮やかなピンクの瞳の奥に、濃い赤が垣間見える。その打って変わって弱さが掻き消えた彼女に、スファレはギリッと奥歯を噛み締める。
「ルービィ様を悪く言うのはおやめください!」
背後から飛んできた声に2人は視線を向ける。そこに居たのは、この集会では顔馴染みとなった1人の少女。彼女は少し怯えながらのスファレを睨んでいた。しかし彼女は、少女を嘲笑するように鼻で笑う。
「平民が私に指図しないでくださる?」
「この場では身分を盾にしないで。皆が肩書きを捨てられる場だから」
再びかかった鋭い声に、スファレは艶のある茶の髪を手で流して背を向け、気に食わないと言うように鼻を鳴らす。
「舞踏会、どんな方が相手か楽しみにしているわ」
彼女は優雅に腰を折って見せると、遠くで待たせている馬車へ向かっていった。
ルービィは遠ざかっていく馬車に、ふぅっと疲れた息を吐く。彼女と話すといつも体力を持っていかれる。
「あの、ルービィ様」
「あ……ごめんなさい、こんな所を見せてしまって」
少女は心配そうに顔を伺っている。ルービィはそれに、いつも通りに微笑んで応えた。しかし少女の気は晴れないのか、ムスッとした顔をしている。
「スファレ様はどうしていつもああなのでしょう」
「仕方がないわ」
「ルービィ様は優しすぎます。それに比べてあの方は──」
言葉の続きは、ルービィの指で唇を抑えられて紡げなかった。彼女は微笑みを浮かべながらも、その目元は悲しげに下がっている。
「いけないわ、彼女と同じ事をしては。誰かのために人を悪く言うのは駄目」
「……ごめんなさい」
「でも嬉しかったわ。私のために怒ってくれてありがとう。さあ笑って? 貴女の笑顔が大好きよ」
抱き寄せて囁くと、少女はつられたように少しはにかんだ。
小さく可愛らしい花の様な笑顔にホッとした所で、ルービィはふと気付く。いつも彼女と肩を並べている少女が居ない。集会には必ず一緒に訪れ、会話に花を咲かせるのを見るのが楽しかった。周りを見ても姿は無い。
「今日は1人なのね?」
「あ……はい」
少女はその話題に目線を逸らした。顔には影が落ち、ルービィは内緒話をするように身を寄せる。
「何かあったの?」
「いえ……その……」
「大丈夫、話してみて」
優しく諭され、少女は恐る恐る口を開く。彼女の友達が、昨日から体調を崩してしまったらしい。見舞いに行ったが両親からは玄関先で帰されるそうで、彼らの笑顔もどこかやつれているのだとか。会わせられないほどの重い病いを患ったのだろうか。
毎回来てくれていたというのもあり、ルービィの胸にも不安が巣を作る。自分に何か出来ないだろうか。少しでも双方を慰められる方法は。
「私も、お見舞いに行ってみようかしら」
「本当ですか?!」
「ええ。ご家族に病状を聞いて、薬を調合するわ」
ルービィは五大柱の娘。更に父であるコランの体の都合上、薬には多少詳しいのだ。その事情を月の民で知らない者は少ないだろう。案の定、少女は顔をパッと明るくさせた。少しでも彼女の影を追い払え、ルービィもホッと胸を撫で下ろす。
そろそろ会はお開きだ。時間もちょうどいいし人ももう居ない。ルービィは少女から地図を貰い、目で追いながら道を進んだ。
記載されていた住所は比較的街に近く、日が沈む前に辿り着いた。ドアの隣に下がったドアノッカーのベルを引くと、そっと扉が開かれる。それは恐る恐るといった様子で、まるで何かに怯えているかのようだ。
ドアと室内の隙間から、疲労感に染まった目がこちらを覗いた。ルービィは出来るだけ安心させようと微笑んでみせる。
「こんにちは」
「ルービィ様……?!」
母親はハッと息を飲むと、ドアを勢い良く開ける。そして縋るように彼女の肩を掴んだ。
「娘が……!」
「落ち着いてください。娘さんのお友達から、臥せっていると聞きました。どういう状態なのですか?」
泣き崩れそうになる母親をなんとか宥め、中へ通される。椅子に腰を下ろした父親は、こちらに気付いて会釈した。彼の目にも生気が感じられない。両親の顔を見るだけで、娘の症状が重いのだと理解できた。
しかしまずは状態を尋ねようとすると、2人はたちまち泣き出してしまった。今まで必死に耐えた反動か、それとも自分が訪れて気が緩んだのか。とにかく話はできそうな状況ではない。
ルービィは許可を取り、少女の部屋を教えてもらった。試しに扉をノックする。部屋から返事が返ってきた。しかしその声は不思議と弱々しいとは感じない。
「お母さん……?」
「こんにちは、ルービィよ」
「え……?!」
「お友達から、病気と聞いたの。症状を見せて。薬を煎じるわ」
「い、いけません……!」
「見なければ分からないわ。大丈夫よ」
悲痛な叫びに優しく返す。しばらく沈黙が続いたが、カチャリと鍵が開いた。入る許可を出してくれたのだ。
そっと静かに扉を開けた。部屋の中、ベッドに1人腰掛ける少女は、悲しそうな顔を俯かせている。しかしその様子は、病人にはあまり見えない。
「突然お邪魔してごめんなさい。でも、開けてくれてありがとう」
少女はぶんぶんと頭を振る。そしてこちらを見る彼女の目に、じわりと涙が溜まった。ルービィは彼女の前で膝をつき、膝に手を置いて首をかしげる。
「どこが調子悪いのか、教えてくれる? 薬を作ってくるわ」
「……無理なんです」
「え?」
少女は鼻をすすりながら、それまで背中に隠していた右手を差しだした。それは、光の角度で眩しく輝いていた。




