国宝と国石
夜遅く、部屋の中に聞こえていたペンが紙の上を通る音に、小さな寝息が混ざり始めていた。ルルはソファの上で横たわり、仕事中のクーゥカラットを見守っていたのだが、眠気には勝てなかったようだ。
クーゥカラットはその隣で、送られてきた書類に目を通したあと、サインを書いてハンコを押すのを繰り返していた。
しばらくして、ルルがモゾモゾ動いて目を覚ましたかと思うと、起き上がってクーゥカラットの膝の上に乗ってきた。クーゥカラットは組んでいた足を解いて、彼の頭を優しく撫でる。
膝の上に座ったルルは、胸元に頭を預けてグリグリと押し付ける。起きたばかりだからか、いつもより甘えたがりのようだ。
『……お仕事、まぁだ?』
「もう少しで片付く。それまでまだ寝てていいぞ?」
『ん~……。なんの、お仕事?』
「主には、国民の近状や法制の確認だな。あとは…俺とクリスタ以外に3人の選ばれた貴族が居るんだが、彼らの意見に賛成か反対かを決めて、また彼らに送るんだ。俺の意見も加えてな」
『国の決まりごと、クゥたちが……決めるの?』
「ああ。国ごとに選ばれた貴族が5人居る。月に1度集まり、国の方針を決めるんだ。国民は皆、俺たちを『五大柱』と呼ぶかな」
『そうなんだ。クゥ、凄いね』
「ははは、ありがとう」
彼の背中に腕を回したその時、ルルの鼻先にコツンと何かが当たった。体を離し、クーゥカラットの胸元を飾るペンダントに触れる。
『……宝石?』
「あぁ、シトリンだよ。『国石』と言って、それぞれの国で決まってる宝石だ」
『クリスタからも、同じ宝石の、匂いがしたよ』
「アヴァールの国民だからな。全員が持っているんだ。他にも服や道具だったり、その国の物である証拠として同じ石が使われてるんだ」
『……これ、本物?』
「え?」
『ううん、そうじゃない。ん…なんだろ……不思議な感じ』
ルルは確かめるように小さなシトリンを宝石の瞳で見つめる。偽物だという訳ではない。これは間違いなくシトリンで、誰が見ても純粋な宝石だ。
『これ、もっと、強い物が無いと………いけない気がする』
クーゥカラットはそれに驚いてルルを見たあと、シトリンを目の前に掲げる。ひし形になった銀のプレートに嵌め込まれた小さな石は、ほのかな明かりによって黄金に見えた。
「ふむ…オリクトの民だからか? 確かに、国石には基となった宝石があるんだ。それは国宝とされている。国宝はその国を支える役割があって、その国の代表石とし、恩恵を受けるために同じ石を持つんだ。今度見に行こうか?」
『うん……少し、見てみたい』
ルルはそう言ってクーゥカラットの国石を両手で包む。なんだか暖かい。ゆっくりと鼓動を打っていて、まるで生きているみたいだ。
(……これ…僕、知ってる?)
何故だろう、体の奥で宝石を求めて腹の虫が小さく鳴き出しだ。少し前に食べたばかりなのに。
「よし、ひと段落したぞ。待たせたな」
クーゥカラットの声にルルは我に返り、ペンダントをパッと離す。寝室へ行こうと抱き上げられたが、彼の胸元をギュッと握って引き止めた。
『クゥ、宝石…食べたい』
「ん? はは、国石の話をしたからか」
『分かんない…。お腹、空いちゃった…』
「ベッドに持って行こうか。好きに取っていいぞ」
クーゥカラットはルルを片手で軽々抱き直し、小振りの宝石を入れた物入れを持って階段を上がった。
ベッドに降ろされたルルは、小箱を受け取ると中から1粒1粒を選んで口の中へ運ぶ。宝石が歯にぶつかり、カラン、コロンと綺麗な音が鳴る。もちろん本人には聞こえない音だ。
ルルはアメジストを口へ放り込むと、それは噛まずに舌の上で転がした。
『宝石にも、味があれば…いいのに』
「そうか、冷たいだけって言ってたな」
『うん……つまんない』
その言葉に笑うクーゥカラットの声を聞きながら、ルルはアメジストを噛んで目を閉じる。
「?」
すると咀嚼した宝石を飲み込んだ時、腹の奥がじんわりと熱を持った感覚を覚えた。ルルは不思議に思いながら腹に手を添える。
だがその熱は決して不愉快なものではなく、どこかポカポカした心地の良いものだった。温もりにも似たその熱が、覚めかけていた目蓋を重くさせる。
クーゥカラットは眠気から来る欠伸を手で隠し、壁掛け時計を見やった。
(もうこんな時間か…)
時刻はもう0時を過ぎていた。
ルルの頭がトンと寄り掛かってきた。視線を向けると、前髪からチラリと見える宝石の双眸がこちらを見つめていた。手にある小箱の蓋は閉じられている。
「もういいのか?」
クーゥカラットは頷いたルルの頭を撫で、彼が横になったのを確認してから灯りを全て消し、自分も隣に寝そべる。
「おやすみ、ルル」
『ん……おやすみ…なさい』
暗闇でもよく見える虹の目は、眠さにトロンとしている。気のせいなのか、それとも宝石を多く食べたためか、瞳の色が濃い様に見えた。
そう思いながらクーゥカラットが頬を撫でると、それに眠気を促されたのか、すぐ目蓋に隠される。少ししてルルから寝息が聞こえ、クーゥカラットもそれを見守りながら眠りについた。
カチコチと時計が針を刻む音が寝息よりも目立って響いている。しかしそれまで2人の寝息が混ざっていたが、片方が途絶えた。
それはクーゥカラットよりも小さいルルの寝息。彼は閉じていた目元をシワ寄せ、ゆっくりと開いた。
(…あれ……?)
体が熱い。宝石の心臓が鼓動を打つたびに、流れる血液が熱を持っているのが伝わってくる。
先程までのぬくもりから一変し、内側からの強い熱は不愉快でしかなく、やがて息苦しさになっていった。
(頭、痛い…っ)
ドクンドクンと脈が響くと、頭が割れそうな痛みを帯び始める。なんとか痛みを逃がそうとして、体を丸めて頭を抱えた時、耳の奥でキーンと甲高い悲鳴が聞こえきた。しかしルルには、石同士がぶつかる音に似たそれが何なのか、考える余裕が無い。
まるで体の中で何かが訴える激痛に耐えきれず、ルルはクーゥカラットに縋った。目の前に触れた彼に助けを求めて服を引っ張る。
「ん……ン…っ?」
クーゥカラットはシーツが擦れる音と、抱き寄せられる感覚に目を覚ました。
起きたばかりの頭はまだ微睡み、すぐに状況を把握出来ない。しかし抱きついているルルの体が震えている事に気付くと、纏わりついていた眠気はあっという間に吹き飛んだ。
クーゥカラットは飛び起き、ルルの顔を覗き込む。瞳から僅かに光を持つ涙があふれ、シーツの上にポタポタと落ちた。
「どうした?!」
『いた、い……痛い、あついよ…クゥ…っ……。どう…して……っ何も、言わないの…? なん、にも…聞こえ、ないのっ?』
「き、聞こえない……?」
クーゥカラットは咄嗟にルルの首元に視線を落とす。しかし通話石は彼の胸元を彩り続けていて、見た所擦り傷も無い。
そもそも、最初からルルの声はこちらに問題なく聞こえているのだから、別に原因があるのだろう。
『クゥ……怖いよ…っ』
「ルル、俺はここに居るぞ……!」
クーゥカラットは苦しみを少しでも和らげようと、ルルの背中を優しく摩る。何度も何度も摩り、やがて震えは小さくなっていった。
「まだ聞こえないか?」
「……、………」
「やっぱり…どうなってるんだ……?」
クーゥカラットは目を閉じると、ルルへ意識を集中させて言葉を作った。テレパスで呼びかけるが、いくら経っても返事は無い。
(テレパスもダメか……? クソ、俺だけではどうにも出来ない。助けを……)
クーゥカラットは無力さに悔しそうに眉根を寄せる。しかしこの悔やむ時間すら惜しく、再び目を閉ざし、今度は別の人物へ呼びかけた。