毛嫌う意味
鳥の群れから、2人はガサガサと派手な音を立てて木の間を落ちて行く。枝の擦れる音のせいで周りは掻き消された。視界が悪い。そんな、葉が皮膚を浅く切る合間を縫って、ベリルはルルを抱き締めた。
しかし、より深く落ち続けた2人が落ちたのは地面ではなかった。ベリルは腰に来る衝撃の弱さに、力みで閉じた目をそっと開ける。自分たちが腰かけているのは地面ではなく、何本もの木の枝が重なって出来た椅子の上だった。
「生きてる、か?」
『ん、逃げられた……みたい』
そう言ってキョロキョロした時、ルルの頭の上にコツンとワイヤーの持ち手が落ちて来た。外れかけていた仮面がその小さな衝撃でズレて落ちる。目をパチクリさせたルルに、ベリルは吹き出した。
「派手な鬼ごっこだったな。でも俺らの勝ちだぜ?」
『うん、そうだね。助けてくれて、ありがとう』
「あったりまえだろ」
ベリルは満足そうな笑みを浮かべると、フードが取れて、葉が所々に引っ掛かった紫の混ざる銀の頭を掻き回す。それにルルが身動いだその時、細かく繊細に絡んでいた小さな枝がパキッと折れた。欠けたのはたったの1本だが、2人分の体重を支えられなくなるには充分だった。
ベリルは視界がグラリと傾いた事に気付いてギョッとする。その頃にはもう遅く、彼らは再び枝から放り出され、今度こそ地面に落ちた。
「イッテェ……。ん、何だこの匂い?」
鈍い音で、先程よりは腰に地面の硬さを感じたが、思った以上に土がふかふかしているのを感じた。それと共に、脳がそれだけで満たされそうになるほどの、菓子とは違う濃厚な甘い香りに包まれる。
そっと開けた目の前に広がった光景に、ベリルはポカンとする。真っ赤な薔薇が、無数に自分たちを囲んでいるのだ。
「な、何だぁ?」
『この匂い……薔薇?』
ルルは彼の胸の中から起き上がりながら、周囲を見渡す。このクラクラしそうになるほどの濃厚な香りは、知っている。そうか、ここは『彼女』の庭だ。
思った直後、上からバケツをひっくり返した様な大量の水が降る。そしてすぐ、悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあ! ルル、どうしてそこに?!」
『ルービィ?』
ここは月の地区の、クァイットの屋敷だった。恐らく水遣りをしていたのだろう。彼女はビシャビシャになったルルと、見覚えのある少年に目を丸くしている。
ベリルはルービィを思い出すと、気まずそうに顔を引きつらせる。そしてルービィは、ボロボロな2人の様子に何か妙な勘違いをしたらしい。彼女の濃いピンクの瞳が鋭くベリルを睨んだ。
「その人に何をする!」
向けられる尖った声色に、ベリルは咄嗟に両手を挙げる。ルルは両手を翳した彼女へ慌てて駆け寄り、自分の手を重ねて指を絡ませた。
『ルービィ、待って、違うの。襲われた、訳じゃないよ』
「え……?」
『友達。今日はずっと、一緒に居たんだ』
「でも貴方、あの時」
「あ~令嬢さん、あん時は……その、悪かった」
疑いの目が向けられたベリルはすぐに頭を下げる。あの日、ルービィを追っていた男たちに雇われていた事、人身売買の目的を知らなかった事、自分自身敵意はない事を、罪悪感から辿々しくも必死に伝えた。
「んでもう二度と、ああいった仕事はしないって……決めたんだ。だから、その……すんません」
「本当に……?」
「嘘は言わない。まぁ……それなりの罰は……受けるけど」
ルービィはその尻すぼみする言葉に偽りを感じれず、仕方なさそうに小さな息を吐く。居づらそうにするベリルへ首を横に振る彼女の口元には、淡い笑みが見えた。
「もういいわ、謝ってくれたなら。それに……お友達なんでしょう?」
「ま、まぁ」
『うん。とっても、凄い人なんだよ。いろんな物を、作るんだ。例えば』
「お、おいルル!」
ベリルは嬉しそうに褒める口を、無駄だと知りながらも咄嗟に塞ぐ。ルルはそれに少し不服そうにしたが、渋々言葉を止めた。そんなやりとりに、ルービィは可笑しそうに笑う。
彼女は改めるように、ベリルへ手を差し出した。
「私はルービィよ」
「え、あぁ」
ベリルは出された手を見たあと、思わずチラッとルルへ視線を向けた。彼はその視線に気付き、優しく目を細めて頷く。再び視線を戻し、白く華奢な手をそっと握り返した。
「ベリル。よろしく……ルービィ」
「ええ、よろしくベリル」
ルルは握手を交わす彼らの手に自分の手を重ねて頬を緩めた。友達同士が仲良くするのはとても嬉しい。
「2人共、お水……ごめんなさい。気付けなくて」
「へーきへーき」
『うん、大丈夫だよ。僕らが勝手に、落ちちゃっただけ、だから』
「でも、何があったの? そんなに傷だらけで」
ルービィは心配そうに、薄青い肌にある浅い切り傷をそっと撫でる。ルルは優しい手のぬくもりに目を細めながら、今日起こった事、そしてそれに至る原因を彼女へ説明した。
確かに一昨日彼は、用があるとだけ言って深夜になって屋敷を出て行った。ルービィは驚いたあと、すぐに怒りの表情を浮かべる。
「ルル、どうして何も言わずに無茶をしたの!」
『あ……えっと』
「そうだぞ、今回は逃げ切れたけど、もう絶対1人で無茶すんなよな」
「次からは絶対相談して」
『……はぁい』
2人に挟まれルルは首を縮めると、降参するように小さく返事をした。
夕方の風が吹き、ルルはずぶ濡れの体を撫でる冷たさに、体を震わせた。今日の夜は一段と冷える。
「このままじゃ、明日に響いちゃうわね。早く中に入って? ベリルも」
「えっ……でも俺、太陽の地区の」
避け合った地区に知らずとは言え立ち入り、対比となる民の世話になるのは気が引ける。ましてやルービィは五大柱の娘だ。もしこちらの民を毛嫌っている相手が屋敷に居たら、招き入れた彼女だって責められるだろう。
それでもルービィは、その考えを否定させる様に微笑んで首を振った。
「私は構わないわ。使用人も今は眠っているし。父も偏見はない。月の地区がどうしても嫌なら、無理は言わないけれど」
『……ベリルは、今も嫌い合う意味は、何だと思う?』
「え、あ~……何だろ」
言われてみれば、具体的に自分が月の地区で何かをされた事は無い。ただ周りが毛嫌う姿を見て、そういう物だとしか思うようになっていた。その中に自分の考えは、存在しない。
ベリルは少し黙り込んだあと、ゴムも解けてボサボサになった頭を気まずそうに掻きながら、改めてルービィをチラッと見た。
「俺も……いいか?」
「ええ、もちろん」
互いに背を向ける理由は知っている。しかしそれは、歴史と言う文字だけで伝えられてきた昔の景色。自分の意思はそこから先にある。少しくらい、違う事をしたって構わない筈だ。
そして自分たちと何ら変わらないルービィの笑顔に、少しだけ歩み寄ってみようと思えた。




