食後の運動
少しずつ、亀裂が外側から襲ってくる。ベリルは振り返って背後の宝石の壁に触れた。
「巣の奥は洞窟なんだ。こっち側だけ消せないか?」
言われて見れば、蛇が帰って行った方向も鳳凰の巣の奥だった。ルルは頷き、宝石の殻に手を翳す。すると、撫でる様に手が通った場所から、毛糸を解くようにスルスルと消えていく。出来上がったのは、人が通れそうなほどの穴。相手はまだ表面上に夢中で、卵の裏側に抜け道が出来た事に気付いていない。
ルルを前に行かせ、ベリルもあとに続く。足先が抜け出した直後、表側の殻に小さな穴が空いた。まぐれか狙ってなのか、親指ほどの穴を縫って銃弾がベリルの頭を掠める。
後ろ髪の上半分を結っていた髪留めが取れ、まとめ上げていた前髪がサラリと目の前を隠す。咄嗟に頭を手で確かめる様に触れ、ベリルは少し距離が出来た殻へ振り向く。1度穴が空けばその周りはとても脆いもので、少しずつ崩れて行っていた。
退いた足元スレスレに矢が刺さる。
「やっべ」
ベリルはその光景に思わず苦笑いし、充分背が伸ばせる場所まで来ると、ルルへ駆け寄りその体を肩に抱えた。
彼は突然の事に驚いて身を丸くする。
『ベリルっ?』
「こっちのが危なくないんだ。ちょっとの間後ろを頼む!」
ルルはこの洞窟の構造を知らない。風や気配で想像出来たとしても判断に数秒掛かる筈だ。今はその僅かな時間も惜しい。それなら道を知っている自分が足になり、防御の術を持つルルが盾になった方がいいのだ。
彼もそれが分かったのか、担がれる形のまま後ろへ手を翳す。手の平を中心に弾力のある膜が出来上がり、弾丸を包む様に受け止めた。
『さっきより、丈夫なの作った』
「ナイス」
『前、人居る』
「マジか。どのくらい近い?」
『ん……10秒後』
「ならいい」
『いいの?』
頷いたベリルはニヤニヤと楽しそうな笑顔を絶やしていない。
頭の中で、10から0へカウントダウンを呟いていく。そして5秒前、手前の暗闇から3人の黒衣を纏う男たちが現れた。捉えようと手が伸びて来るが、ベリルは止まろうとしない。あと少しで指先がルルのフードに触れる……その時。
「へへ、お疲れさん」
言葉と共に、ベリルとルルの姿が相手の視界から消えた。男たちは突如消えた目標に足元が疎かになり、思わずもつれ合って重なる。しかし前後左右と見ても、どこにも居ない。
「消えた……?」
「視界が悪い。外から立て直すぞ」
彼らはなんとか体勢を直し、ベリルたちが来た方へ向かって行った。
数人が走り去る振動で、砂埃がパラパラと地面に降る。それに耐え切れずクシャミをしたのはルルだった。だが、シュンッという声の無い小さなクシャミでは、誰も2人に気付かない。
「セーフ」
『鼻……痒いっ』
ベリルはまたクシャミしたルルの鼻に付いた埃を取ってやる。彼らが居るのは、目の前にあった道とは別の、地面に空いたもう一つの道の入り口だった。
洞窟には無数の道がある。左右に道があれば、上下にだって道はあるのだ。何度もここへ来ているベリルは、ほとんどの道を探索済みだ。目をつぶっても、どのくらいの距離にどの道があるか分かる。だがここをあまり詳しくない者は気付かない。彼らは前しか見ていなかったため、身を潜める事ができると踏んだのだ。
『ベリル』
「ん?」
『危ない事……巻き込んで、ごめんね。君だけでも、逃せれば……良かったけど』
ベリルは小さな言葉にキョトンとする。そして自分の行動を見返した。
今までだったらきっと1人で逃げていた。だって狙われているのは他人で、わざわざ自分が巻き込まれるなんて何の得も無い。それなのに、その当然だった選択肢が言われるまで、まったく頭に出なかった。体が勝手にルルと逃げる事を選んだ。しかし不思議と、それは後悔に結びつかない。むしろ自分だけ逃がそうとされていた事に腹が立つ。
しょぼんと顔を俯かせるルルの両頬をペチンと叩く。
「バーカ。片足突っ込んだのは、こっちからなんだ。友達置いてくやつが居るかよ。さっさと行くぞ!」
ルルは驚いた様子で、楽しそうな顔を見上げた。そして嬉しそうに目を細めると、差し出された手を取る。ベリルは満足そうに頷き、小さな青い手を力強く握って走り出した。
崖の中は、まるでアリの巣の様に入り組んでいる。下り坂だと思えばすぐに上り坂になり、いつの間にか横の道に逸れていたりと、目まぐるしかった。初めて入った者からすれば、出られるのか不安になってくる。しかも今は追っ手がいるという状況だ。
ルルは足に冷たく硬い何かが巻きついたのを感じた。次の瞬間、グイッと後ろへ引き寄せられ、ガクンと膝からバランスを崩す。ベリルは手が無くなった事に気付いて振り返った。追って来た2人のうち1人が、鎖をルルの足首に投げて動きを封じている。
「離せ!」
咄嗟にホルダーから銀のワイヤーを取り出し、相手の手元へ投げつけた。か細い糸の様なワイヤーは見た目によらず鋭く、持っていた鎖ごと手を叩き落とす。
控えていた1人が、次の手段をと前に飛び出す。それよりも早く、ルルの手をベリルが掬って駆け出した。しかしそれからすぐ、相手側の仲間が別の穴から2人の正面に回り込む。
「しつっけぇなあ!」
ルルは咄嗟に剣を抜き、背後から振り落とされたナイフを受け止める。ベリルはワイヤーを操りながら、なんとか距離を保った。しかしこんな狭い場所でまともに争うのは、あきらかに分が悪い。
目の前から降り続ける拳とナイフを、剣で受け止めながら考える。いつ押されるか分からない状況を打開するのは、もう1つしかなさそうだった。
(宝石で……相手を封じるしか、ない)
相手にオリクトの民であると情報を渡すのは癪だが、もう仕方ない。しかし、そう思って体の中に熱を意識しはじめた時、足裏に振動を感じた。それは人の走る音ではない。まるで土の上を這いずる様な音だ。
『何か、来る』
「へっ?」
まだ仲間でもいるのかと振り返った時、ベリルも足裏から振動が伝わるのを理解した。しかし相手へ向き直ると、彼らも訝しげに周囲を見渡している。
パラパラと土が振動で頭上に降ってくる。その時、敵の背後から何かが伸びてきたのが見えた。
「な、何だ?!」
敵は予想だにもしないそれに刃を振り上げた。しかし滑らかな鱗をまとった何かは、ダガーをあっさり弾き飛ばして腰に絡みつく。それは瞬きよりも早い出来事で、敵の1人はそのまま暗闇に連れて行かれた。僅かな悲鳴が洞窟内にこだまする。
唖然と奥を見る彼らのすぐ隣の壁に、ヒビが入った。そこからこちらを覗くのは、無数の目。次の瞬間、壁がボコッと穴をこじ開け、人間を何人も丸呑みできそうな大蛇が土と共に流れ込んできた。
「うおぉ?!」
「っ!」
ベリルは慌ててルルを引き寄せる。すると大蛇はそんな彼らを包む様に、太い尻尾で巻きついてきた。だが不思議な事に、大蛇から殺意を感じない。更に尻尾はまるで盾のように見えた。
「ど、どうなってんだ……?」
大蛇が出た穴から、大小様々な蛇が次々と這い出てくる。彼らもまたベリルたちにではなく、2人を狙っていた刺客へ飛びつきはじめた。
そのうちの1匹が、ルルの足首をしゅるりと伝って這い上がって来た。彼はその感覚に覚えがあった。首に優しく巻きつき、その子蛇は仮面越しに目を見つめてくる。
『君は……』
「あ、こいつさっきの蛇!」
その赤と黒の鮮やかな鱗を持つ蛇は、2人と朝食を共にした子蛇だった。子蛇は気付いた事に嬉しそうに目をつぶり、頭を2人の頬に擦り付けてくる。本当に、野生なのか疑いたくなるくらいに人懐っこい。
『助けに来て、くれたの?』
「じゃあこの大蛇って」
その言葉に振り返った大蛇の、艶のある黒い目と合わさった。殺意は感じないが、存在だけで凄みがある。ベリルは無意識に本能で、ルルの肩に回した腕に力をこめてしまう。
冷静になってよく見れば、大蛇も暗闇に溶ける赤と黒の鱗を持っている。
「お、親蛇……?」
ここに居る蛇も全員同じ模様だ。おそらく仲間だろう。敵に向かって行くのを見ると、信じがたいが、蛇の恩返しと言ったところか。
大蛇はチラリと、首に巻きついている子蛇を見る。そして長い舌でルルの頬を舐めた。彼はそれにベリルの腕からすり抜け、親蛇の頭にそっと手を添える。
『助けてくれて、ありがとう』
親蛇は微かに頬を緩めた表情に目を細める。それはまるで、自分の子を見るかの愛おしさがあった。
「いい加減にしろ!」
喚き声が響く。敵はいくら払ってもまとわりつく蛇たちに嫌気がさしたようだ。何十もの蛇を一々相手にしたらキリがない。
相手は何匹も蛇が絡んだ腕をそのままに、こちらへ伸ばして来た。すると彼の首に潜んでいた子蛇が気付き威嚇する。それでも構わず触れようとした手を、小さな牙で噛みついた。まだ幼くとも蛇である事には変わりない。敵は鋭い痛みにすかさず手を引っ込めたが、子蛇は執拗に離さなかった。
ベリルは大蛇が僅かにこちらを向いた事に気付いた。正直、蛇と意思疎通ができるなんて思っていなかったが、今は逃げろと言われているのが分かる。伝わるか定かではないが大蛇へ頷き、ルルの手を引いて走り出した。
『ベリル、あの子たちが──』
「ここではこいつらに任せたほうがいい。意味分かるだろ?」
言われてハッとする。自分たちを守りながらでは、大蛇は充分な力を発揮できないだろう。他に仲間を呼ばれてしまえば、その体を傷つけてしまう。
ルルはもつれさせていた足でしっかり地面を踏み直し、ベリルの手を強く握った。
前から光が見えた。それは穴の中ではない、外から差し込む光。
「出るぞ!」
直後、ベリルは急激な光の眩しさと突き刺す痛みに目を細める。洞窟の中はとても暗く冷たかった。その金の目は、陽の光を吸収して琥珀の様な色を見せた。
足元に地面は無い。一瞬の浮遊感のあと、2人は木々の合間に落ちて行った。ベリルは地面に落ちる前にと腰からワイヤーを取り出し、咄嗟に近くの木の枝へ巻き付ける。視界には生い茂る緑以外見えなかった。見た事の無い木の種類に、ここがどこなのか見当がつかない。
ルルは遠い後ろ、先ほどまで居た崖の上から視線を感じていた。銃を構える彼らと仮面越しに目が合うのが分かる。しかしその銃口はルルではなく、ベリルを狙っていた。
『来ないで』
咄嗟に放った言葉は、ベリルには聞こえない音。すると刺客たちは、頭に響いた言葉に手元が狂わされ、全く別の方向へ発砲してしまった。
ベリルはそれに気付く余裕がなかった。目の前の枝を掻き分けて通るのに必死だったのだ。どこか安定した枝などに足を置きたいが、全く見えてこない。
そんな緑一色の視界に別の色が躍り出た。それは先程の発砲に驚いた鳥の群れ。突然現れた鳥たちに避ける事は出来ず、2人はそのまま紛れる事になった。
「わっぷ!」
「っ?!」
鳥は群の中を乱暴に横切る彼らに敵対したのか、ベリルの髪やルルのフードをついばむ。鳥は発砲の原因をすっかり2人のせいだと勘違いしたらしい。
『違う、僕たちじゃ、ないよっ』
「イテッ……やっば、落ちる!」
ワイヤーを持つ手が突かれる。その痛みと汗で手が滑り、ズルリと持ち手から離れた。




