陽の当たる幸せ
とある休日、ルルは留守番をしていた。クーゥカラットは、足りなくなった食糧や必要な物などを買いに、市場へ出かけている。
退屈を紛らわすため、ルルは彼の帰りを待ちながら紙に羽ペンを滑らせていた。覚えた字を忘れないよう、体に馴染ませるたくて日記を書いている。
彼しか居ない空間に、数回ノックの音が外から響いた。ルルの胸元を今も飾る通話石は、人の声しか通さないためノックの音には気付かない。ほどなくして音は止んだ。
「ルル、そこに居るかい?」
「!」
ルルはやっと頭に聞こえてきた柔らかな声に、紙から顔を上げる。よく聞き知ったこの声はクリスタのものだ。
ルルはペンを置いて椅子から立ち上がると、慣れた玄関を慎重に進んで扉を開けた。するとすぐ、自分よりも大きくてクーゥカラットよりは華奢な手が頬を撫でた。
ルルはその温もりに安心して目を細め、自分の手を重ねる。
「やあ。開けてくれてありがとうルル」
『ん…こんにちは、クリスタ』
「ああ、こんにちは。クーゥカラットは留守か?」
『うん。外で、買い出しに、行ってるよ』
「そうか。一緒に帰りを待ってもいいかい?」
『それまで、お話しよ?』
クリスタはルルと手を繋ぎ、彼が先程まで座っていただろう椅子に腰を下ろさせる。
テーブルに置かれた数枚の紙を覗き込むと、幼さを残していながらも丁寧な文字と文章が見えた。そういえば数ヶ月前、クーゥカラットからルルが字を書けるようになったと聞いていた。
「日記かな? 綺麗な字だな」
『ほんと? ありがとう』
「ふふ、字も覚えたし…大きくなったな。ルルがここに来て、もう1年が経ったんだ」
ルルはそう言われて、ようやくここで過ごしてきた時の流れを実感した。
『そっか……もう、そんなに、ここに居るんだ』
「だからな、今日はお土産を持って来たんだよ。甘い物は?」
『うん、好き』
「なら良かった」
ルルはクリスタの楽しげな声につられ、少しそわそわしながら待った。
クリスタはポケットから白い小袋を取り出した。口を結んでいる赤いリボンを解き、手の平にサイコロ状の食べ物がコロリと転がり出る。周りが白い粉にコーティングされ、少し触れるとサラサラ崩れた。
クリスタは残りが入った袋をテーブルに置き、ルルの手を取って1つを乗せる。ルルはそれを不思議そうに指先で探った。しかし今まで触れた事が無いもので、鼻に近付けて匂いを特徴的な香りは無く、それが何なのか判別が付かなかった。
『これ、なぁに?』
「スゥクレっていう砂糖菓子だ。昔から、子供たちのおやつとして親しまれているんだよ。そのまま食べてごらん」
『ありがとう。いただきます』
スゥクレは小さく、一口で頬張れる。
口の中へ放り込むと、思っていたよりも優しい甘みが舌の上に広がった。砂糖と聞いて強い甘みを想像していたが、しつこさは無く、唾液で優しい甘さが溶けて広がる。柔らかくて、歯に当たるとホロホロと崩れていった。するとその中から、今度は濃厚な甘い液体が出て来た。
『………蜜?』
「あぁ、それは蜜だったか。スゥクレの中には、ランダムに色んな物が入っているんだよ。ジャムだったりチョコレートなんかがね。口に合ったかい?」
『うん、甘くて、ホロホロしてて……とても美味しい。ありがとう、クリスタ』
「良かった。どういたしまして」
ルルは袋ごと受け取り、もう1つを口へ運んだ。
時折クリスタにも分けながら、最近見つけた事やクーゥカラットとやった事、新しく始めた事などの他愛の無い会話を続けた。
しかしそれまで頭に響いていたルルの声が止み、クリスタは瞑っていた目を開いて彼へ首をかしげる。ルルは静かにスゥクレを見つめている。何か苦手な物でも入っていたのだろうか。
「どうした?」
『…甘い物、好き』
「ん? ああ」
『でも…1人で食べるより、みんなで、一緒に食べる方が…とっても甘くて、美味しい』
「うん、そうだな」
『……クゥも…笑うかな』
「え?」
『あのね、僕……クゥと、一緒に居られて、とても幸せなんだ。クゥは、僕を…抱きしめてくれるし、いつでも、僕の名前を…優しく、呼んでくれる。クゥのおかげで、知らないものを…沢山知れて、凄く幸せ』
ルルはポツリポツリと言葉を作りながら、スゥクレを指でもてあそび、まだ床に着かない足をブラブラと揺らす。
クリスタは彼の囁きが紡ぐ願い事に驚いたまま聞き入っていた。
『僕ね…クゥにも、もっと沢山…笑ってほしいの。今度は、僕が……クゥを幸せに、したいんだ』
甘い物が好きなのは、まるで優しさに包まれる様な感覚になるからだ。
『だから、甘い物を…一緒に食べたい。そうしたらもっと、美味しくなって……ね? 幸せでしょ?』
「…ああ………そうだな。きっと、幸せだ。ルルの言う通りだよ」
クーゥカラットは簡単に他人へ心を開かない。むしろ、人と関われば関わるたびに、心の鍵は増えていく。そのせいもあって、周りは彼が冷酷な人間だと噂するのだ。
そんな彼が、ルルと居る空間では穏やかな笑みを見せる。その優しい時間は、彼が今までどれほど苦労しても手に入れる事が出来なかった。しかしこれは彼らだけの幸せ。叶うならば、誰にも邪魔されずに平穏に時が進んでほしい。もしそれが願って叶うなら、自分が代わって神へ毎日祈ろう。
(もうアイツに、不幸なんて要らないんだ)
玄関からガチャリと鍵と扉が開く音がした。その手に大きな麻袋を持って、クーゥカラットが帰って来たのだ。
「ただいま。ん? クリスタ、来ていたのか」
「おかえり。渡したい物があってね」
そう言ってクリスタはクーゥカラットへ、足元に置いていた大きな袋を見せる。その袋が揺れた時、ルルの鼻は『不思議な香り』を嗅ぎ取った。
しかし今の彼にとっては香りの正体より、クーゥカラットの帰りを迎える方が大事だった。
ルルは椅子から降り、玄関に居るクーゥカラットの腰に抱き着いた。クーゥカラットはそれに応え、小さな肩を抱き返す。
『クゥ、おかえりなさい。これ』
そう言ってルルが差し出したのは、クリスタから貰ったスゥクレ。
「ただいまルル。スゥクレか…懐かしいな」
『口、開けて?』
「くれるのか」
頷いたルルに微笑んでクーゥカラットが口を開けると、口内にコロリと転がった。口の中で、幼い頃に食べた懐かしい甘さが広がる。中身はジャムだった。
『美味しい?』
「ああ、美味いよ。ありがとな」
ルルはそう言ったクーゥカラットの微笑みが嬉しくて、今度は強くぎゅうっと抱きついた。クーゥカラットはそんな彼の頭をポンポンと撫でる。
クリスタは2人の姿を微笑ましそうに眺め、とある事に気付く。
「そういえばクーゥカラット、ルルの髪は切らないのか?」
「?」
ルルはクリスタの言葉に振り返る。
彼が指摘した通り、ルルの銀が混ざる薄紫の髪は、ふくらはぎ程まで長くなっていた。
床に着かない様にか、途中で白色のリボンで緩く結ばれているが、動くのに少し不便そうだ。長さを見る限り、ここで暮らして1度も切っていないようだ。
「あー…何度か切ろうと思ったんだがなぁ。そのあとを考えると、どうすればいいか悩ましいんだ」
そう言いながら難しそうな顔をするクーゥカラットに、クリスタはルルの髪を軽く掬って見る。
彼の滑らかな髪は動くたび、星を抱く様に淡く煌めいている。流石はオリクトの民と言うべきか、これだけでも見入ってしまう。クーゥカラットが踏み止まる理由もよく分かった。
「そうか。人の髪は、切ったらそのあと燃やしてしまう。けれどルルの髪は、そうしてしまうには価値に見合わない……っていう事だな?」
「ああ。それで持て余していてな」
ルル本人は彼らの会話を聞きながら、自分の髪を鼻に近付ける。スンスンと嗅いだ香りは、クリスタが持って来た袋からした涼やかな香りと同じだった。
ルルはテーブルへ行くと、香りを辿りながら手探りで袋に触れる。
『ねぇ、クリスタ。この中……宝石、だよね?』
「あぁ、よく分かったな。そう、ルルの食糧にどうかと思ってね」
『香りがしたの、僕と同じ。僕の体が、宝石になるなら…これと僕の髪……交換、できない?』
「なんだって?」
「ふぅん? なるほど。いい案かもしれない」
申し出に驚くクーゥカラットの横で、クリスタは納得していた。確かにこの量の宝石と彼の髪ならば、交換の条件として申し分ない。
もちろん長さにも寄るが、むしろこちら側の宝石が少なくて、釣り合わないかもしれない。あまり値踏みはしたくないが、それほどその髪には価値がある。
「自分を売る事になるけど、大丈夫か?」
『うん。それでちゃんと、交換出来るなら…そうしてほしい』
「クーゥカラットも、それでいいか?」
「ああ、本人がいいなら構わない。それじゃあ切ろうか」
クーゥカラットは散髪用のハサミを取り出し、ルルの髪留めを解く。櫛で梳かしてから銀のハサミを通し、とりあえずは膝までの長さまでになった。
「もっと切るか?」
ルルは首を横に振る。彼はクーゥカラットに髪を洗われたり、梳かされるのが好きだ。短くなればその楽しみが減ってしまうから、最低限は切りたくないのだ。
クーゥカラットはハサミをテーブルに置き、切った髪を纏めて紐で丁寧に束にした。ルルから切り離されて『ただの素材』となったこれは、加工すればアクセサリーを作る事が出来るだろう。
クリスタは受け取った髪を懐へしまい、改めて、宝石が入った袋をルルの前に置いた。
「ありがとう、これで交換だ。本当なら、もっとこっちの量を増やした方が、価値に相応しいけれど…」
『ううん、これで大丈夫。交換してくれて、ありがとう』
「ああ、こちらこそ」
それから少し談笑したあと、そろそろ帰ろうかとクリスタは腰を上げた。しかし完全に立ち上がる前、腕がルルに捕まって動きが止まる。
一体何なのかとキョトンとする彼の気を引こうと、ルルはクイクイと腕を引き寄せる。もちろん、その弱い力では引き止める事も出来ないが、クリスタは振り解こうとは思えずただ戸惑った。
「何だい? ルル」
『…クリスタ、今日……お仕事、忙しい?』
「え? あぁいや、今はそんなに立て込んでないけれど…」
『それなら……今からみんなで、お茶会しようよ。みんなで、お菓子食べよ? ねぇクゥ、いい?』
「ああ、もちろんだ」
呆然としている間に、話が決まってしまった。ルルの提案を迷いなく承諾したクーゥカラットは、呆気に取られた親友の様子にクツクツと笑って肩を竦める。
クリスタはそれにフッと笑い、今も腕を離そうとしないルルの頭に手を置いた。
「ご一緒させて頂くよ」
ルルは彼らの笑い声にようやく束縛を解き、大人しく自分の席に座った。
2人も早く座ってという様にこちらへ無言の視線を向ける彼に、クーゥカラットとクリスタは顔を見合わせて一緒に笑った。クーゥカラットが買ってきた甘いケーキが焼ける香ばしさが家の外まで流れていく。3人のティーパーティは日が暮れても続いた。