人の良さそうな男
ルルは周囲を見渡しながら、耳を澄ませる。昨日は出来る限り人気の無い場所を探し歩いたが、今日は逆に、賑やかな場所を目指す。人の様子を見たいのに、静かな方へ行っては意味が無い。
賞金関連のコソコソとした会話がちらほら聞こえるが、尚更堂々と歩けた。
(殺意がある人は……そんなに、居ないかな)
昼食時である今は、飲食街が盛り上がっている。敷居が高そうなレストランや、出店、日が高いうちから元気な居酒屋など。特に出店が充実している。どうやら、昼食は外食するのが一般的のようだ。
これだけならば、今まで訪れた国と大差ない。その中で少し引っかかるのは、噂の内容だった。ノイスは情報、もとい噂の回り方が早く感じる。しかしその噂の中には不思議と、行方不明者に対するものがほとんど聞こえなかった。
(たまたま、なのかな)
それともあまり良くない事実だからか、意識的に皆が黙っているのか。
鼻をくすぐる血生臭さも、少しだけ薄れている気がする。どちらかと言えば日中よりも夜、静かな時の方が、血の香りは濃いのかもしれない。
「ヘリオスは今日も休業か?」
「みたいだなぁ」
ルルは聞き覚えのある店の名前に足を止める。2日前に泊まった居酒屋だ。聞けば、続けての休業は経営初らしい。亭主であるトパズに何かあったのだろうか。
情報を求めて歩き出した足裏が、黄色い砂利以外の何かを踏んだ。反射的に足を退かすと、それは少女の姿が載せられた紙。気になったルルはそれを拾い、建物の壁に寄って指で文字をなぞり読み取る。
これは尋ね人の張り紙で、少女がつい先日行方不明になったようだ。家族は必死に探しているのか、娘を見つけた者には賞金を言い値で出すと書いてある。
(ヘリオスの事は……今夜もう一度、確かめに来よう。今は、こっち)
彼女が行方不明になった時の様子を聞ければ、アダマスの影も同時に濃くなるかもしれない。
ルルは出店の亭主や人々に紙に記された住所を聞き、飲食街を離れた。
住宅街は商店街などと違い、太陽の地区でも静かだった。一軒一軒が高い塀で囲まれていて、まるで互いに警戒し合っているかの様だ。
触れてみれば、肩辺りから別の石が塀を繋いでいる。それは比較的新しい石で、最近になって見上げるほどの塀が出来上がったらしい。
(えっと…………女神像を背に、住宅地の入り口を、歩いて……最初の角を、右)
ノイスの人々は記憶力がいいのだろうか。こんな迷路の様に複雑な地形を、地図無しにスイスイ進むのだから。万が一に迷ったらどうするのだろう。そんな可能性すら考えていないかもしれない。
ようやく辿り着いた家の戸をノックする。小さな庭の草がしばらくの時間放置されているのか、整備されていない。綺麗だった痕跡は見えるため、娘の失踪が影響しているのだろう。
扉の向こう側に人が立ったのが分かった。しかし開かれる事は無く、くぐもった声が聞こえてきた。
「何の用だ」
『貼り紙を、見たんだ。この件について……少し話を、聞かせてほしい』
「帰れ」
『友達の、お姉さんが……消えたの。情報が欲しい』
恐る恐ると言った具合に、扉が開かれた。顔を出したのは、頬が痩けた男。父親だ。彼の目の下には隈があり、娘の失踪であきらかに生活が狂っているのがよく分かる。男はほぼ姿の見せない相手に未だ警戒を向けたままだ。
ルルはそれでも開けてくれた事に嬉しく思いながら、紙を男へ見せる。
「何が聞きたい」
『彼女を最後に、見たのは?』
「4日前の夜だ。いつも通りに寝室へ行ったのが最後だ。ちゃんと……部屋に入ったのを見たんだ。なのに朝、居なくなっていた」
『そう。じゃあ例えば、何か、いつもと違う事、しなかった?』
「思い当たるのは……居なくなる1日前に、占いに行った事だけだな」
『占い?』
「アダマス様の水晶占いだ」
『それは、個別で……やるもの?』
「いや、何人も居る中、演説会の様に行われるんだ。それに、これは関係ないだろう。娘と同い年の子も、もっと幼い子供も居たが……帰って来なかったのは娘だけだったからな」
『他には?』
男は苦しそうな顔で首を振った。
もしそこに居る全ての少女が消えていれば、間違いなくアダマスへ疑いの目が行くだろう。言い逃れだって苦しいものとなる。単なる噂だけには留まらない。
そう考えると、関係ないと言われた占いとやらがきっかけである事は確かだろう。しかしもっと、確信を持てる情報が欲しい。
『その占いって……今も、やっているのかな?』
「ああ、毎日やってるが。まさか、行く気か?」
『そのつもり』
充分聞ける事は聞いた。改めて男に礼を言い、ルルは彼へ背を向ける。
「ま、待ってくれ! 娘は……無事だろうか……?」
縋り付くような悲痛な声にルルは驚いて男に振り返る。出会ったばかりの他国民に、まるで娘の命を託す様な言葉を言うなんて。
男の目はまるで、神に祈る様な目をしていた。彼は望んでいる。しかし、だからこそそれに頷いて、空っぽな安堵を与えてはいけなかった。
『……保証、出来ない。けれど、その主犯を打つ事は、約束するよ』
ルルはそれだけを言って、こちらを見据える女神像を目指し、歩き出した。
ノイスは不思議な地形をしている。客観的に見ると、月の地区がある西側に若干重なる形で、一段土地が上がった場所が太陽の地区、と言ったようになっている。そして2つの土地の更に上の北側の中央に、女神像が立つコロシアムの土地が設けられていた。まるで歯車か重なるように、3つの土地で分かれている。
柱の塔であるそれは、アダマスが拠点とする場所らしい。
商店街を抜けると、柱の塔へ続く長い階段を登る。土を固めた少し不安定な階段を踏むその間、周りには木々など視界を遮る物は無く、振り返ると太陽と月の地区が見下ろせた。余計な建物は見えず開放的な土地で、広々としたコロシアム越しに女神像が佇んでいる。
ルルは風が運んで来る微かな鉄の香りに、仮面下で少しだけ不愉快そうな顔をした。女神像から、その美しさに似合わない生臭さがする。
「さぁ、次はどなたかな?」
階段を上がり終えた所で、堂々とした声が聞こえて来た。それはコロシアム入り口付近にある、大きな噴水の前にできた人集りからだ。
十数人の国民を相手にしているのは、1人の美丈夫だった。民は彼に何かを話したあと、感謝の言葉を口にしながら深く頭を下げて、満足そうに帰っていく。すれ違った彼らから『アダマス』という名前が聞こえてくる。人の良さそうな笑みを称え、国民の悩みに寄り添っている彼がアダマスだ。
すると慈愛を含んだ黒い瞳が、遠くに居るルルを見つけた。
「そこの方、そんな遠くに居ないでこちらへどうぞ。さぁ、遠慮せず」
思ってもない誘いに数秒考えたが、何も言わず人集りに混ざった。すると国民は、見知らぬ格好をした彼を無意識に避け、道を開ける。それにルルは遠慮なく、アダマスの前に立った。
光の無い黒の瞳が視線を上下させ、品定めするように見つめてくる。
「初めてのお方かな?」
ルルは頷くだけで、やはり言葉を作ろうとはしない。その代わり、カバンから本を取り出すと、通話石ではなく、筆談で会話を求めた。
「旅人とは……珍しい。ようこそ、ノイスへ。私はアダマス。ここへ来たという事は、何やら悩みがおありかな?」
アダマスは穏やかに言うと、優しく微笑んだ。正直今のルルには、これと言った悩みは無い。あるとすれば目の前に居る人物こそだ。それでも、紙に「これからの旅路、未来について」と書いて彼へ見せた。
アダマスはお安いご用意だと、綺麗な丸いブラックダイヤモンドをルルに見せた。それはペンダントヘッドで、彼が持つ鎖と繋がっている。
鏡の様に光を反射する表面には、奇妙な模様が入っている。それからはとてもじゃないが、ただの宝石とは思えないほど、強い力を感じた。
「意識をこちらへ向けて。貴方の全てを、石に委ねて」
ルルは渡されたソレへ語りかける様に意識を向けた。すると、光を受け付けない石の中が、徐々に淡く白色に濁り始める。
「ん……?」
本来ならばここで、ダイヤモンドはアダマスにその人物の未来を見せてくれる。それは具体的な様子から抽象的なものまで、形は様々だ。しかし靄が掛かる一方で、何も見せてくれない。まるで石自体が隠しているかの様だ。
次の瞬間、まるで耐えきれないと言う様に、ダイヤモンドの中身がパキンッと音を立て、小さな亀裂を作った。
異例の事態だった。しかし他の民も見ているのだ。ここで「見えない」などと言えば信用が落ちる。
『これは、誰のだったの?』
「?!」
アダマスは突如聞こえた静かな声に、咄嗟に目を周囲へ巡らす。ルルは構わず彼の手を取って、ダイヤモンドを握らせながら続けた。
『代わりに僕が……貴方を、占ってあげる』
アダマスは信じられないといった様子でルルを凝視する。フードと仮面で厳重に守られた目に見つめられている気がして、心が騒ついた。体が動けない。自分より遥かに幼い相手に、本能が恐怖しているのが分かった。
『アダマス、貴方は、血を浴びすぎた。いずれ、溺れるよ』
声が届かない民たちは、無言でいる2人の様子を訝しそうに見守る。ルルは一歩下がると、唖然としているアダマスへ会釈し、そのまま人集りから出て行った。
彼からの視線を背中に感じた。それは鋭く、見えなくても睨まれている事が分かる。しかしそれは計算内だった。アダマスにとって悪い印象を与えた方が、こちらに集中して他への被害が減るだろうから。
「アダマス様?」
「どうなさいましたか……?」
「い、いや、申し訳ない。続けよう。次の方、どうぞ」
アダマスは不審そうな目を向ける民に軽く咳払いすると、調子を戻した様に笑みを作った。




