似合わない香り
なんて恥ずかしい事を言ってしまったのだろう。よく響いた自分の言葉に、ルービィは慌てて弁解した。
「ご、ごめんなさいっ! 不幸を笑う様な事、言ってしまって」
『ううん。確かに、昨日の事が無ければ、知り合えなかった。そう考えると……追われるのも、悪い事だけじゃ、ないね』
ルルは「ふふ」と笑ったような息を吐いて、頬を緩めながら言った。
まさか肯定されるとは思っていなかった。そのせいか、ルービィは嬉しそうに囁かれた事に、クラクラするほどの熱を顔に溜める。その顔はまるで彼女自身が薔薇の様だ。
「そ、そういえば! 怪我はどう? 大丈夫?」
恥ずかしさのあまりか声が裏返り、ルービィは大きく咳払いをした。ルルはそれにまた面白そうに笑った息を吐き、頷いて後頭部を撫でる。
『もう大丈夫。丁寧に、手当てしてくれて……ありがとう。そのお礼、持って来たんだけど』
「え、お礼?」
カバンの中から、丁寧に畳まれたチョーカーが取り出される。ルービィは可愛らしいリボンの付いた贈り物に目を丸くし、輝かせた。するとすぐ、そのチョーカーの見た目に覚えがあるのに気が付いた。
「わぁ、素敵……! それもしかして、私が包帯に使った」
『うん。洗ったんだけど……血は、落ちなくて。それでも、どうしても、もったいなくて。そこだけ切り取って、作ったんだ。やっぱり、包帯に使ったから…………嫌、かな?』
「そんな事ないわ!」
『じゃあ、受け取って……くれる?』
「もちろんよ、ありがとう」
ルービィは大切そうに、彼の手からチョーカーを取った。ルルは無事受け取ってくれた事にホッと胸を撫で下ろす。
早速彼女は、水の鏡に自分を映しながらチョーカーを着けた。締め付けは全く無く、生地もそれなりに上質だからか着け心地がいい。しかしアクセサリーまで手先の感覚で作れてしまうなんて、本当に器用だ。
ルービィはこちらの様子を伺っているルルへ振り返って、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうルル、とっても嬉しい! 大切にするわね」
彼女の目と同じ色をしたルビーが、小さいながらに輝き、その笑顔をより愛らしく引き立ててくれる。
ルルはその笑顔を少しでも知りたくて、ルービィの頬をそっと撫でる。無垢に微笑まれた唇に、自然と目を細めて顔を綻ばせた。
『喜んでくれて、僕も、嬉しい』
ルービィは頬を撫でる手に触れ、少しくすぐったそうに、そして幸せそうに笑った。
数分の間、互いの間に言葉が交わされなかった。しかしその沈黙に重さは無く、まるでこの時間の流れを惜しむかの様なものだった。
(ずっと2人で、ここに居られたらいいのに)
ふいにそんな感情が頭をよぎり、ルービィは自分に驚いた。
『どうしたの?』
「えっ? あ、何でもない!」
咄嗟に離れたかと思うと背中を向けられ、ルルは不思議そうに首をかしげた。ルービィは出会った頃と同じ、心臓が胸元から飛び出しそうな痛みを感じていた。高鳴りが全身に響くごとに、熱がじわじわと高まっていく。
心配そうな視線を受け、彼女は自分にしっかりしろと顔を軽く叩く。そして変わらない調子で振り返り微笑んで見せた。
「チョーカー、改めて本当にありがとう! ここに一緒に来られて嬉しかったわ。そろそろ、お屋敷に戻りましょう? お風呂場に案内するわ」
ルルはそう言った声の芯が、ほんの僅かに震えている事に気付いた。差し出された手を少しだけ見つめ、そっと重ねる。
『ありがとう。ねぇ……ルービィ』
「何?」
『また一緒に、ここでゆっくりお喋り、しようね』
ルービィはその言葉に目を丸くしたが、すぐに嬉しそうな笑顔で頷いた。
小屋から出ると、夜の冷たい空気が2人の肌を撫でた。ルルは目を閉じ、その空気を充分に感じてから、仮面を着けてフードを目深にする。
暗闇の中、ポツポツと浮かぶ光を追いかけ、ルービィは上機嫌に手を引いて行った。
コランの計らいか、廊下に使用人の姿が無い。やがて客間よりひと回りほど大きな扉の前に着いた。開かれるとまた少し道が続き、その両端には水が沿うようにして流れている。奥から草木の香りと、浴槽の暖かい空気を感じた。
(不思議な場所……)
親子揃って緑が好きなのだろう。その大浴場は、自然の中に紛れた泉の様だった。木や花だけではなく、動物たちも居る。しかし彼らは初めて訪れた客人に、少しだけ警戒して身を潜めていた。
外となんら変わらない空気感に、室内であるのを忘れてしまいそうになる。不思議そうに周囲を見るルルに、ルービィは微笑んだ。
「心も休まる場所にしたかったの。あ、今日は晴れてるから月が明るいわ」
天井はガラス張りで、月が水面に映って揺れていた。しかし外からは反射して見えないようになっている。
「あの、ルル」
『なぁに?』
「姉様の事、協力してくれてありがとう」
彼女の声は、どこか寂しそうな色をしていた。気丈に振る舞ってはいるが、やはり実の姉の様に想っていた存在と離れ離れは辛いだろう。しかも監禁されているのに、時が来るまで何も手を下せないとなれば、もどかしいさに息苦しいだろう。そんな中、更に賞金を課せられても1人で挑み続けていたのだ。
ルルはそんな彼女が壊れてしまいそうに思え、体をそっと抱き寄せた。突然の抱擁に、ルービィは驚いて目を泳がせる。
『今はもう、独りじゃないよ』
優しい囁きに強張っていた体から力が抜けるのを感じ、ルルの背中に手を添えた。不思議と彼の言葉は心を解してくれる。
「うん、ありがとう」
『……。そうだ、せっかくなら、一緒に入る?』
「えっ?!」
体を離したかと思えばまさかの誘いに、ルービィは顔を真っ赤にした。しかしルルの唇の端が微かに上がっていて、からかわれたのだと気付く。
確かに彼に性別は無いが、気にしないで裸になれるわけがない。
「もう、ルルって意地悪言うのねっ!」
『ごめん』
そう言いながらも、ルルは可笑しそうに笑った息を吐く。プイッと顔を背けたあと、こちらの笑みにつられたのか、彼女もクスッと笑った。
ルービィは食事の後片付けや薔薇の手入れなどがあるらしく、浴場をあとにした。
香油の使い方やタオルの場所など、大まかな説明を頭の中で復唱しながら、ルルは気持ち良さそうに体をほぐす。
マントと服を脱ぎ、近くの木の枝に干すように掛けた。試しに、微かな白い濁りを持つ湯に爪先を入れてみる。少し肌を撫でるとろみを感じた。ルルは嬉しそうに目を細め、飛び込むと頭のてっぺんまで一気に潜った。久々の湯はとても心地良い。少しの間泳ぎ、仰向けになると顔だけを水面に出し、月を見上げる。
(あったかい……。こういう泉が沢山、あったらいいのに)
やがて落ち着いた吐息を吐き、香油を置いた湯船の淵に腕を置く。ピチチ……と鳥の鳴き声が傍で聞こえた。香油を入れた細長い銅の瓶に、ここの住人である小鳥が止まっている。
指を差し出してみると、小鳥はクチバシでツンツンと突いて様子を伺ってきた。こちらに敵意が無いと分かってくれたのか、小瓶から指に乗って来る。
『ありがとう、素敵な場所だね。もっと……この国の、いろんな所を、知りたいな』
明日は街を中心に見てから、ここの図書室を有り難く使わせてもらう予定だ。
小鳥が指から木へ飛んで行った。ルルは香油の瓶の蓋を取る。中からは薔薇の甘さがふわっと香った。思わず舐めたくなる香りだ。包み込む甘さは眠くなってくる。
しかしそれまでとろんと微睡んでいた目が、夢から覚めた様に開かれた。ルルはガラスの天井を見上げる。いつの間にか現れた雲が、月を半分ほど食べていた。
『……血の、香り』
この国に来てから、時折風に運ばれて来る血の生臭さ。
(この国に、似合わない香りだ)
ルルは僅かに目を細め、その香りを取り払うように湯の中に沈んだ。




