彼女の箱庭
入って来たのはルービィと、料理を乗せたワゴンを運ぶメイド。広いテーブルに、素早くも丁寧に料理が並んでいく。流れる様に目の前が豪華な食事や宝石で満たされた。ルルが礼を言うとメイドは深く頭を下げ、全ての料理を並び終えると退室して行った。
「お待たせ、ルル、父様」
「ああ、ありがとう」
『凄い……豪華みたい、だね』
食事の量と豪勢さに呆気に取られたルルに2人は笑う。
ルルは周囲をキョロキョロしながら、そっとフードを取った。ルービィはそれに少し慌てコランを見やる。
『大丈夫だよ、ルービィ。もう、話したから』
「そ、そう。なら良かったわ」
『料理……こんなに沢山、ありがとう』
「ふふ、さあどうぞ。お口に合うといいけれど」
ルルはいい香りを辿り、まず側にあったスープに手を付けた。トマトとチキンのスープはまるで血液の様に赤い。しかし刺激的な見た目とは裏腹に、トマトの甘味とホロホロの肉が人気だ。
歯を使わなくても崩れる肉の柔らかさに、思わず目を丸くする。ルービィはその反応に好感触を感じて嬉しそうにした。
「煮込みのスープ、美味しい?」
『うん、とっても。こんなに、柔らかいお肉……初めて』
「良かった。このスープはね、1日煮込むから柔らかいし甘くなってくれるの」
『1日? 料理って、その場で作る物……だけだと、思っていたよ』
「喜んで頂けたようで光栄です。我が国では肉料理が盛んなため、硬い肉をより食べやすくする調理方法が多いのですよ」
「いわゆる、下ごしらえね」
料理と言うと、いつもクーゥカラットがキッチンですぐに作る物や、屋台などで売っている既存の物を組み合わせる程度のものばかりだった。それでもとても美味しいし充分だったため、深く料理について考えなかった。
旅に出てから郷土料理を食べはしても、作り方に着目をしなかった。
「出身国をお伺いしても?」
『アヴァール』
「あぁ、なるほど。アヴァールの方は確かに、即席で出来る料理を好みますからね。しかしそれでいて、とても美味しい物が多いと有名です」
『国によって……本当に色々、あるんだね』
興味深い事が1つ増えた。これからはタイミングを見て、その料理の作り方を尋ねるのもいいかもしれない。
ノイスの代表的な料理を沢山作ってくれたのか、肉をメインにしたものが本当に多い。しかし味には飽きないし、食べ続けても不思議と胃に重たさを感じない。
濃厚な脂が乗ったチキンのソテー。果物と共に果汁に浸かったステーキ。その中で最も衝撃を受けたのは、肉の刺身だ。あっさりしているのに舌の上で蕩ける感覚は、とても新鮮だった。
ルルは一通り嗜むと、フォークとナイフを置いて一息吐く。
『改めて…………歓迎してくれて、ありがとう。お礼に、旅での事を、お話しするね』
印象的だった国、人、文化……本に記した物を、頭の中で簡単に噛み砕きながら、少し面白おかしく物語調にして話した。3年近い旅の間、感じたのは国それぞれまるで別世界の様に異なる事だ。他国との交流が少ないため、より独自の色が濃い国が完成するのだろう。
ルービィとコランは、彼の言葉に表情をコロコロと変える。まるで旅路を共にしているかの様に、時々食べる手を止めて聞き入っていた。
『もちろん大変だけど、それを含めて……旅は素敵だよ』
「まるでその場に居る様ね。素晴らしいわ!」
「この歳でも憧れてしまいますね」
コランの噛み締めるな言葉に、ルルは嬉しそうに「本当?」と聞き返した。彼のように老若男女関係なく、世界へ夢を馳せる人を増やしたい。中々一歩、母国から出られない人の背中を後押すきっかけになりたくて、記録をしているのだから。
「ところで、世界中の本を扱っている国をご存知ですか?」
『そんな国、あるの?』
「ええ。国同士の交流が無い中、本だけは流通しているでしょう?」
『あ……確かに』
そう言われてみれば、国同士の共通点は言語と本くらいだ。
そこは、本を愛する人々が小さな村から築いた国なのだという。まるで国自体が本の世界の様な場所だそうだ。
「ルルが書く本……製本する際は是非その国で。きっと素晴らしい物となりますよ」
『ありがとう。覚えておくよ』
王冠の模様を刻んだ食堂のドアが、会話を邪魔しない程度にノックされた。その音にコランはハッとし、背後の柱時計を振り返る。すっかり話し込んでいたようで、食事を始めてからもう2時間経っていた。ノックしたのは使用人で、食器を下げに来たのだろう。
ルルに視線を送ると、彼も音に気付いてか目元がフードに隠された。
「どうぞ」
廊下に控えていた数人の使用人が頭を下げ、食器を丁寧に重ねて出て行った。ルルは彼らが去ったあと、いつの間にか暖炉の火が消えている事に気付く。
『どのくらい、経ったの?』
「軽く2時間ほど」
『そんなに……』
「時間を忘れてしまう、充実した食事でした」
「ええ、とっても楽しかったわ、ありがとう。旅で疲れているだろうし、ここに居る時くらいはゆっくりしてね?」
「そうだね。大浴場もありますから、寝る前にでも、体を癒してください」
『お風呂?』
ルルは申し出に思わず立ち上がった。2人の頭に響いた声は、どこか弾んでいる。フードの影から見える目がキラキラしていて、それが勘違いでないと分かる。
ルルは彼らのポカンとした様子に我に返り、すぐ恥ずかしそうに俯くと、フードの端を摘んで座り直した。
『ごめん、なさい』
「あははっお風呂、気持ちがいいものね」
「ふふふ、我が家自慢の湯を、どうぞ堪能してくださいね」
『……ありがとう』
ルルは未だ恥ずかしそうに顔を俯かせ、クスクスと笑いながら差し出されたルービィの手を戸惑いがちに取る。コランからの微笑ましそうな視線を背中で受けながら、食堂を出た。
『待ってルービィ。その前に……約束の場所、行こう?』
「え、でも」
『行きたいの。楽しみだったんだ』
もちろん湯も楽しみだが、ルービィとの約束を忘れるほどではない。
少し遠慮気味にこっちと言われながら向かうのは、室内ではなかった。玄関を出て屋敷の壁を半分ほどぐるりと伝う。そして辿り着いた裏側から更にまっすぐ走る。
もう辺りは暗くなり、道を開ける木に括られた月の照明が、ぼんやりと浮かび上がっている。小さな月光は点々と続き、2人を秘密の場所へと導いた。
「ここよ」
ルルは、植物のための柔らかな地面に足を取られないようにと、足元に必死だった。彼女の声でようやく意識を前に向ける。目の前にあったのは、ノイスでは珍しい煉瓦調の小屋だった。
自然の中に溶けそうな小屋をそっと触る。手の平に伝わるのは煉瓦の硬さよりも、石の端から顔を出す草の瑞々しさが先だった。遠くから見たら、本当に緑に紛れて一瞬見失うだろう。
ルービィは人差し指を飾る指輪をドアの前に翳す。その白を混ぜた淡い水色の光を中に蓄えた小さな石は、ムーンストーン。月の地区での国石だ。
少し古いのか、鉄の扉はか細い悲鳴を上げて開く。中から2人を迎えたのは、今までにない濃厚な甘い香り。酔ったかの様にうっとりしそうになるそれは、濃さのあまり、花の香りだとすぐには分からなかった。
『ここは……?』
「薔薇園よ。色んな種類の薔薇を育てているの。私の、大切な場所」
ルービィはそう言ってクルリと回る。浮かび上がる様な真っ白なドレスが広がり、まるで薔薇の香りに誘われて来た妖精の様だ。
薔薇園は不思議な空間だった。大きな噴水やベンチなどがあり、室内ではなくまさにもう1つの外だ。
目が覚めるような赤を基調とする薔薇たちを照らす数個の月の照明は、自然な風にふわふわと漂っていた。柔らかな月光を全体に浴び、薔薇は優しい色をしている。どこかキラキラした花びらからは、仄かだがハッキリと鉱物の持つ涼やかな香りがした。
「どうぞ入って」
ルルはフードと仮面を取り、驚いた様子でキョロキョロしながら、少し恐る恐ると言った様子で部屋に入った。見えないせいで、せっかくの薔薇を潰してしまわないかと思ったのだ。すると指先に花びらが触れ、そっと入って正解だったとすぐ証明された。
部屋を護る様に立ち並ぶ木の幹や柱にも、薔薇の蔓は伸びて花を咲かせ絡み、自然とアーチ状になっている。ルルはそこを通り抜け、ベンチに腰掛けるルービィの隣に座った。
「ここにどうしても、ルルを連れて来たかったの」
『ありがとう。とても、落ち着く場所だね』
「そう言ってくれて嬉しいわ」
『一面が薔薇……なんだね。1人で、育てているの?』
「ええ。小さな頃から好きなの」
『素敵だね。でも水やりは、どうしているの? とても、大変そう』
「ふふ、簡単よ」
ルルの素朴な疑問に、ルービィはあっさりそう言うと立ち上がった。
確かに、これだけの数えきれない花の世話を1人でするのは、普通に考えれば骨が折れる作業だろう。しかし彼女には作業を苦ではなく、むしろ楽しいものに出来る特技があった。
「私の魔法はね、少し変わってるの」
『どんなふうに?』
「ある一定の条件があれば、好きに使える魔法よ。国石関係なく」
ルルが独学として本から学んだ魔法は3種類ある。1つは国石に含まれた魔力を使う物で、これはとても微量で小さな魔法だ。国石を持つ者は誰でも使う事が出来る。2つは聖霊や妖精などの契約によって、特定の魔法に特化したもの。魔法使いなどはこの契約によって魔力を体に蓄積し、使う者が多いらしい。
3つがとても珍しいタイプで、これは体内に魔力を持って生まれた事によって使える魔法だ。その魔力の力によっては、賢者やら五大柱になる人間が多い。
「生まれた時から魔法が使えるの」
『体内に、魔力があるの?』
「ええ。たとえば……水が目の届く範囲にあれば水が使える。風が吹いていれば、その風を操る事が出来る。つまり側にある自然を、私の魔法として自在に使う事が出来るの。近くに水が流れているの、分かる?」
『うん』
ルービィはすぐ後ろにある噴水へ人差し指を向ける。指先をクルクル回すと、水が静かに渦を巻き始めた。彼女の指に操られ、手の平ほどの大きさをした水晶の様な水の塊が宙へ切り離される。
それはルルの目の前までふわふわと漂い、鼻先で弾けた。彼は驚いて目を丸くし、冷たさにブルブルと頭を振る。
「あははっごめんなさい。次は見てて」
ルービィは再び噴水へ手を翳すと「せーの」と呟き、腕を頭の上に振り上げた。その瞬間、思い切り水が吹き出し、小屋全体の草花たちに雨となって降り注いだ。
雨は2人が座るベンチだけを避けている。これが彼女の水やりの仕方だった。
『凄い……』
「自然の力を借りる事が出来るのよ。綺麗なものじゃないと難しいけれど」
ルルは彼女がもたらした雨の音を聞きながら、昨日の事を思い出す。逃げ切ったあとの気絶から目覚めた時、確か自分たちの周りだけが不自然に濡れていた。
『もしかして……昨日、ルービィが魔法で、助けてくれたの?』
「あぁ、あの時ね? ええ。近くに泉があったから、使わせてもらったの」
あの時、ルービィは気絶し離れそうになるルルを抱きしめ、咄嗟に水のクッションを作ったのだ。しばらくの間ルルの目が覚めず、もしかしたら水を飲んでしまったのかと心配したと、彼女は笑って語る。
『そうだったんだね。ありがとう、助けてくれて』
「ううん、私の方こそ。とても大変な1日だったわね、ルルにとって」
『着いて、2日目……だったからね。盛大な歓迎を、された気分だったよ』
「ふふふ、本当ね。でも、その事があったから、こうして出会えたって思ったら……悪い事じゃ、ないかな……なんて」
雨の音がちょうど止んで、彼女の小さな言葉は遮られなかった。




