心をも操る力
旅人の言葉が一切国民の耳に入らなかったわけではなかった。特に、娘が失踪した家族は、彼の言葉を真摯に受け入れたのだ。そして旅人の死後、アダマスの追放を望む声が、国民から少なくも上がり始めた。彼への反対を示す人々の組織が出来上がったほどだ。
しかしその声が更に大きくなる事は許されなかった。組織を形成した重要人物数名が『反逆者』となり公開処刑されたからだ。
アダマス本人が、何かを説いたわけではない。全ての行動は、彼を盲信する国民が自ら行ったものなのだ。
その様子をコランも、五大柱の1人としてアダマスと共に見たらしい。しかし処刑を望む民の爛々とした目に吐き気を催し、耐えきれずその場を去ったそうだ。
その景色を思い出したのか、彼は顔をしかめて口元に手を抑えた。
『大丈夫?』
「……ええ。私は、その異常さを初めて目にしました。恥ずかしながらこの体、あまり長く外で動かす事が適いません。そのため、全く気付く事が出来なかった。だから改めて、五大柱の4人を集めました」
コランはその病弱さのせいか、国民から支持は受けるものの、五大柱の仲間にはあまり気に入られていない。そのため、招集に応じてくれただけでも有り難かった。しかし彼らもあの死を喜ぶ人々と同じ、殺気立った目をしていたのを覚えている。
まるで自分の死を狙う様な視線になんとか耐えながら、コランは訴えた。集めた理由と、あの公開処刑の異常さについてを。しかし話の途中で、彼らは「当然の結果だ」というたった一言で終わらせた。
私欲のための死は世界共通で禁忌とされ、重罪となる。そうでなくとも、ノイスで初めて行われたあの行動は、それだけで片付けられていいものではない。
彼らが言うには、国を救った英雄の証拠も無い噂を流そうとした、当然の報いらしい。
「証拠が無くて本当だと言えないのに、何故『嘘』だとは断言出来るのでしょう」
しかし彼らは、こちらの話などもう聞く気は無いようだった。その中で唯一、今まで1度も意見を述べていないのは、当事者と言えるアダマス。何か思う事は無いのかと、コランは思わず怒りに震えたという。
彼の怒りに対し、アダマスはただ「私を支える彼らが望んだんだ」とだけ言った。その時の彼は、まるで涙を堪えた様な微笑みを浮かべていた。しかしコランは、その瞳の奥にある恍惚さを見逃さない。
「彼らは早々に話を終わらせました。誰一人として、アダマス自身が何かをしたわけではないと。けれど、彼が何かをした事は確かです」
それに気付けたのは、恐らくこの国に住む人間の中ではコランだけだろう。
無意味に近かった会議が終わり解散したあと、アダマスとコランの2人が残った時だった。アダマスはコランへ自然に歩み寄り、目を合わせてきた。しかし、会議中服のシワが気になっていたと言って伸ばした手を、彼の体は拒絶する様に弾いたのだ。
「病弱で非力な私には、たった一つだけ力があります。それは、光の精霊の加護を持っている事です。負を弾く力のお陰で、これまで生きられました。あれは明らかに、何かの力から私を守るために拒絶したのです」
『つまりアダマスは、何かの力を利用して……黙らせようとした……って事だね』
「ええ」
五大柱の彼らは確かに賑やかなならば多少の喧騒を好むが、理不尽な死は望まないのだ。
アダマスは一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに淡い笑みに変えた。彼は立ち去る直前「それ以上、体が悪くならない事を願うよ」という言葉を残して。
ルルにはその言葉がそのままの意味を持っているとは思えなかった。恐らくは、下手に手を出そうとする事への忠告だろう。
「私1人が死ぬのは構いません。しかしそれによって、彼の行動に気付ける者が居なくなるのが恐ろしいのです。旅人の言う通り……本当にこの国は滅んでしまう」
その言葉にコランは顔を珍しく怒りに歪め、部屋から一歩出たアダマスへ仕返しの様に呟いた。いずれ全ての計画が崩れると。王も神もその愚行を許す事はないと、未来を占ってやったのだ。
『そんな事、出来るの?』
「ええ、幼い頃から占いは得意でした。結果は嘘ではありません。しかしアダマスは、まるでそれが戯言であるかの様に嗤い、去って行きました」
『どんなものだったの?』
「未来は見えませんでした。本来ならばこれは『死』を意味します。しかし彼の場合は2つです。未来が閉ざされるものと、占いすら通じない神の存在になるか……」
つまりコランは、己の占いの前者を信じて彼へ宣言したのだろう。
『……そう。今、失踪した人たちの、行方は?』
彼は重く、ゆっくり首を横に振った。今もなお、1人1人と消えた彼女たちは見つかっていない。しかしそれ自体、時が経つに連れて存在すら忘れられていっている。今だって失踪事件は起こっているというのに。
『その力が何か……見てみないと、いけないね』
アダマスが持つであろうその力は、恐らく言い伝えられている王の力に近しいもの。全ての生き物を従える力。それを心を操るために利用しているのなら見逃せない。心は神すらも縛れない。それをどうにかしようなど、なんて愚かで傲慢なのか。そして、そんな人間が人々の上に立つべきとも思わない。
しかしまずは彼が実際に力を使っている所を見なければいけない。どれほどの事をして来たのかを正しく見極めなければ。
『国の人が、そうなったのは』
「アダマスが移住してからです」
『そっか。もう少し……様子を見た方が、良さそうだね』
全員ではないにしろ、その話の通りなら国民もアダマスの手中だろう。周辺で妙な動きがあれば、彼の動きも見える筈だ。
「その際はお気を付けを。どちらの地区も血の気が増して……賞金を付けられかねません」
その言葉に、ルルはここへ来る前の出来事を思い出していた。追い、追われていた2人の男。追いかけた側は、相手に賞金が無いのも構わず殺意に満ちていた。狙っているのはルナーではなく、間違いなく命。
異様な殺気と、国石の汚れた臭い。もしかすると、国民たちの血の気が増しているのにも関係がありそうだ。
『賞金は、大丈夫。もう、付いているから』
「何ですって……?!」
笑うように目を細めて言われた事実に、コランは息を呑んで目を見開く。一体何が大丈夫なのだろう。どこから湧くのかと羨ましく思える自信だが、聞いている方は寿命が縮む。
『心配しないで。捕まる気、ないから。6億以外で、買われる気……ないの』
「な、何故そんな具体的な」
『ん、内緒。とにかく、それよりも安くは、されたくないんだ。色々、教えてくれて、ありがとう。思ったより、情報が貰えたよ』
「いいえ、これくらい。もしこちらで、何かお力添え出来る事があれば、遠慮無くお申し付けを。私は貴方を、心待ちにしていました。どうかこの国を──」
彼からすれば、国のためでもあり愛娘のためでもあるだろう。彼女が姉のように慕う存在が奪われたのだから。
ルルは深く頭を下げたコランに、頬を緩めて頷いた。この国に来て、散々派手な歓迎を受けた。他と比べれば確かに物騒な国だが、決して滅んでいいわけではない。そんな国は存在しないのだ。
「心から感謝致しします。ルービィから、国に来たもう1つの理由も伺っています。図書室があるので、是非調べ物などで自由に出入りしてください」
『本当? ありがとう。とても、助かるよ』
本への記録は早く進んでくれそうだ。こういった場は重宝する。もちろん実際に体で知る事も大事だが。
ふと、ルルは鼻を動かし始めた。胃の底をくすぐる匂いが部屋の外から漂って来る。まだほんの僅かな香りのため、コランは気付かない。
「いかがなさいましたか?」
『いい香り』
「あぁ、どうやら食事の準備が整ったようですね」
そう言ってクスクスと思い出し笑いをする彼を、ルルは不思議そうに見た。
「いえ、昨晩からルービィが張り切っていた様子を思い出しまして。貴方に喜んでもらいたいと」
『そうなんだね、とても楽しみ』
娘の意気揚々とした姿はとても微笑ましいものだろう。ルルもつられ、一生懸命料理をする彼女を思い描き、唇の端を小さく上げた。
ガラガラと何やら、小さな車輪が近付く音が聞こえてきた。それはドアの前で止まり、すぐにコンコンと控えめにノックされる。ルルは急いでフードをかぶった。




