王の騎士
月の地区は、人の気配はあれどもやはり静かで、馬たちの駆ける音がよく響く。長い間なだらかな坂を下って、小さな林を通り抜けた。明りが漏れる窓が増えてきた住宅街を走る。そして最後に短い坂を上がった所に、ルービィが住む、クァイットの館があった。
敷地内に踏み入れると、まず迎えてくれたのは人ではなく花の甘い香り。屋敷の門から玄関まで、赤やピンク、白などの花畑が連なって、可愛らしい迷路を作っている。途中にある噴水にも水と一緒に花びらが浮かび、より香りを濃くしていた。
馬を小屋に帰してから改めて辺りを見るルルに、ルービィは嬉しそうに微笑んだ。
「お花の香りは好き?」
『うん。いい香りだね』
「ありがとう。今年は可愛い子が沢山咲いたから」
数枚の花びらが重なった花を両手で包んで顔を近付け、我が子の様に愛しむ。
『ここ一帯……全て、育てたの?』
「ええ。庭の管理は、任せてもらっているの」
月光の柔らかな光の中、そう言って彼女は色鮮やかな花と同じように綺麗に笑った。
「お料理の仕上げが終わるまで、お部屋で休んでね」
『ありがとう』
ルービィは上機嫌にルルの手を引いていく。しかしいざ大きな扉の前に立つと、彼女は咳払いして背筋を伸ばし、胸を張った。それまでの無邪気な少女から、凛とした令嬢の姿に変わる。
彼女がドアノッカーを鳴らすと、すぐドアが両方へ口を開けた。出迎えに、数人の使用人たちがカーペットの端に立ち、頭を下げてくる。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「お待ちしておりました、旅人様」
「お荷物をこちらに。お部屋までお運び致します」
使用人は慣れた手付きで、ルルに両手を差し出す。しかしルルは、ぎこちなく彼らを見る事しか出来なかった。こんな人数に出迎えをされた事が初体験のため、どうすればいいのかと動きが固まる。慌てているのが伝わったのか、ルービィが耳打ちしてきた。
「預けるのは、かさばりそうな荷物だけで大丈夫よ。この人たちは、私が小さい頃から働いてくれているから、安心して」
『ん……うん、分かった』
脱ぐ気は無いが、マントや仮面は人の手に触れさせられない。そうすると元からあまり荷物を持たないため、より預けられるものが少なくなる。結局迷いに迷って、カバンだけを近くの召使いに渡した。
天井から下がる大きな月のシャンデリアが、開放的なエントランスホールを優しく照らしている。それぞれの部屋の隣には花瓶や絵画が飾られ、ルルは興味深そうにじっくり見渡した。
「おかえりルービィ。そしてようこそ我が家へ、ルル」
頭上から降って来た声に顔を上げる。会話が聞こえたのか、2階廊下からコランが顔を出していた。彼はゆったりとした動きで階段を降り、出会った頃と同じ胸に手を当てて会釈する。
「ただいま帰りました、父様」
『こんばんは、コラン。泊めてくれて、ありがとう』
「心待ちにしていましたよ、歓迎します。是非、寛いで下さいね」
「それじゃあ、お部屋に案内するわね」
『うん、ありがとう』
ルルはコランへ軽く会釈し、階段を登るルービィについて行った。
城の中では比較的細い廊下を進む。大理石の床に敷かれた赤いカーペットはふかふかで、この上ならばいくら歩いても疲れないと自信が湧く。
扉の数は多くないようだ。その代わり一室がそれなりに大きく、案の定案内された部屋はとても広かった。これまで旅をして泊まった中で、最も広い部屋と言っていいだろう。更には豪華だ。
あまりの広さに唖然としてしまい、続いて入らない事に気付いたルービィが首をかしげている。
「どうしたの? あまり、気に入らなかったかしら……?」
『あ、ううん、違う。あまりに、空間が広くて』
天井まで届く大きな窓はきっと、昼間は照明を必要としないほど室内を照らしてくれるだろう。たっぷり日を浴びれそうだ。側にあるしずく型のベッドも通常よりひと回り大きく、試しに中へ手を入れると雲の様にふわふわとしていた。
他にも目で見て飽きない装飾品が沢山あった。しかしどれも上品で統一感があり、ギラギラとしていないためか気負わずに過ごせそうだ。
『ゆっくり休めそう。素敵な部屋を、ありがとう。しばらく、お世話になるね』
「自分の部屋と思って使って。あ、そうだわ。少し、お願いがあるのだけど」
『なぁに?』
「食事を終えたあと、貴方に招待したい場所があるの。その……良ければだけれど」
『もちろん』
ルービィは迷わず聞こえた返答に、瞳を輝かせた。彼女にとって言い出すまで葛藤していたようで、ルルは両手を握って歓喜する様子に、可笑しそうな息を小さくこぼした。
料理の仕上げをするため、ルービィは厨房へと部屋を出た。まだしばらく掛かるそうで、呼びに来られるまで自由時間を手に入れた。城内を見て回る許可も得ているが、さて何をしようか?
木と水晶が組み合わさったローテーブルがあるソファに、使用人に預けたカバンが置かれていた。
(あ、そういえば……ベリルから貰った、書物)
まだ実際に2つを並べて、自分の指で読んでいなかった。食事に呼ばれるまで確かめておこう。
作業にちょうどいい机もあり、そこへ書物を2枚広げる。既に持っていた書物の終わりと、新しい書物の始まりがピッタリと合わさった。文字が掠れている部分は変わらず読めないため、読み取れる言葉をなんとか繋げる。それでもその部分は、もう頭に入れたものだらけ。
しかし少しして、諦めかけた薄青い指が止まる。
『王の……聡明な、《騎士殿》は……?』
王について調べて、初めて出て来た単語だ。しかし続きが書かれていたようだが、掠れていて読めない。あまりのもどかしさにルルの細い眉根が寄り、まるで泣き出しそうな顔になる。
(もう、大事な所で。でも騎士って、何の事だろう?)
それ以降《騎士》については書かれていない。わざわざ書物に残されるくらいなのだから、関係性は濃いだろう。
(王にとって、どんな存在? 僕は昔、1人じゃ、なかった?)
考えれば考えるほど、尋ねるべきは自分の記憶。いくら紙から情報を貰っても他人事のようでピンと来ない。
ルルは不貞腐れる様に、深い溜息を吐いた。それにしても、机いっぱいに広げられるほどの紙なのに、文章が少なすぎないだろうか。
試しに、今まで見なかった視点で考えてみる。例えば何故こんなに文字が少ないのだろう。そういえば、図書館などで置いてある本にも、王についての資料は一切なかった。それは偶然ではなく、何かしら意味があってではないだろうか。
もう1度、一通り文字に指を這わせる。そしてじっと睨む様に見つめ合い、なんとなく紙を裏返した。
(? 宝石たちの故郷、ビジュエラ?)
その言葉は通常では見えない、インクの無いオウトツで刻まれていた。指で触れなければ分からないだろう。
本には必ず、インクの匂いと共に焦げた匂いもある。量産するにあたって、焼印が必要だからだ。しかしこの文字だけは、焦げた香りがしない。
(意図的に、隠された文字……?)
宝石たちというのはおそらく、オリクトの民を指しているのだろう。しかし、故郷というのは一体どういう表現の仕方だ?
確かに以前、オリクトの民は人々が国を築く前からこの世に存在したと知った。世界、ビジュエラ自体が彼らの故郷と言いたいのだろうか。
(それとも、ビジュエラという……国がある?)
故郷というのが比喩でなければ、その可能性が高い。オリクトの民である自分もかつてここに居て、何かしらがあってアヴァールにいたのかもしれない。
ふと、記憶が旅立つ日に遡る。久しく聞いていない頭に響く誰かの言葉を、思い出した。
(僕が行くであろう、最後の、場所)
彼は確かにそう言った。もしや《ビジュエラ》がそうなのか?
ルルは小さく頭を振る。ここから先は、いくら思考を巡らせてもただの想像だ。だが頭に留めておくのは損ではない。
(……ねえ、貴方が王を、教えなかったのは……僕が自分で、知れるから?)
試しに夢の誰かに問いかける。当然に返って来ない。自分の声すら聞こえない、無音の頭。
(無駄な事、しちゃった)
ルルは自分へ呆れた溜息を吐く。そもそも誰かに会えるのは、少なくとも夢の中だけだ。そう分かっているのに問いかけるなんて、焦ったさで無意識に慌てているのだろう。
慌てても何もいい事はない。分かる事は少しずつ分かってきているのだ。情報が少なくたって、行動せず何も無いよりはいい。そう自分に言い聞かせ、落ち着かせる。
疲労感に、宝石が入った小袋の中を指で漁る。選ばれたチャロアイトを口へ招いた。その時扉が小さくノックされ、口の中で転がしていたそれを思わず噛む。
「コランです。まだ食事まで時間が掛かるそうで、お茶でもいかがですか?」
『ありが、とう。そうさせて、もらうよ』
慌てて言葉を作ってしまったため、崩れた形で伝わった。それに気付かないルルは口の中で粉々になった宝石を、用意されている水で流し込んでドアを開ける。
「失礼、また改めましょうか?」
『ううん、大丈夫。紅茶、好きだから』
「それは良かった。では、参りましょう」
少し大袈裟に頭を振ると、コランのクスリと笑った声が聞こえる。灯りを消し、ルルは先を進んでこちらに振り向く彼を追った。




