妙な香りをした国石
陽が建物の向こう側へ隠れ始めると、暗かった街灯の中にある小さな太陽が、ポツポツと灯る。全ての街灯が人々の足場を照らし終えると、今度はそれぞれの店に下がった太陽の照明が灯り出した。暖かな緋色に冷たい紺色が混ざり、やがて天と地が反対になる時間が来た。
それでも落ち着きなく行き交う人々の中、ルルは路地裏に半身を隠す形で、留まっていた。
昼間より、人の気配が少ない気がした。賑やかな事には変わりないが、なんとなくそう感じていた。
しかしまだ太陽は完全に眠っていないため、目立つ場所では待っていられない。今は追われたくないのだ。
壁に背を付けて、迎えを待った。すると、影と一体化する様に足元へ向けていた顔が、ふと上がった。ルルは体重を前へ乗せ、大通りを覗くとキョロキョロとする。
(何の……香り……?)
しかし談笑を続ける住民たちの様子を見ると、どうやらルルにだけ分かる微かな香りらしい。
彼の鼻を突いたのは、強い宝石と生臭い香り。不愉快さに、仮面下で目を無意識に細める。この宝石の香りには不釣り合いなものだ。
(この香り、血だ)
誰か怪我をしているのだろうか。だがこれは2つが混ざっているように感じる。
ルルが頭を路地へ戻した時、大通りとは逆方向から足音が聞こえてきた。それは背後のもっと複雑に伸びる路地裏から、2つ分の慌てたように走る音。振動がほんの僅かなため、まだ遠くだろう。ルルは音を辿って奥へ向かった。
突き当たりを曲がってすぐ、その2人と対峙した。線の細い男と、その後ろには物騒な刃を持った背の高い男。追われているらしい細い男が、ルルの存在に気付いて顔を更に青くする。
「ど、退いてくれ! 殺されるぞ!」
『……肩、借りるね』
「へっ?」
言葉の意図が理解出来ず、男の足が減速した。ルルは避けるどころか彼らへ向けて走り出す。
その行動に唖然としている男の両肩に手を置くと、そこを軸に、刃物の男の上を舞った。そして男の太いうなじへ、落ちる勢いをそのままに踵を落とす。男の手から刃物がこぼれ、喉から蛙が潰れたような声を出してその場に崩れた。
蹴った力を利用して宙返りし、ルルは男たちの間に着地する。逃げた男は、肩を貸したと同時に腰を抜かしていた。
『大丈夫?』
「あ……え、なんで、助けて……」
『ちょうど、見かけたから』
「あ、あんた、あの旅人だろ? お、俺何も出せないんだ。賞金だって無いし、貧乏で」
助かったのに命乞いをする男に、ルルは意味が分からずキョトンとする。
しかし賞金が無いという事は、普段から追われるという状況に慣れていないのだろう。そうなると、彼には冷静さが欠けるほどの恐怖を味わった筈だ。
ルルはあたふたする男へ、自分の唇に指を置いて「シー」と息を吐いた。彼の動きがようやく止まる。
『そんなの、要らない。ちゃんと、家に帰って……怪我が無いか、確認して。ね?』
「あ、あぁ……ありがとう、慈悲深い旅人。あなたの旅が無事終わる事を祈るよ」
なんとか冷静さを取り戻した男は、震える声で何度も礼を言い、人混みの中へ溶けて行った。ルルは彼へ手を振って見送り、足元に伏せる男を見据えた。
逃げていた彼から血の香りはしなかった。だがこの男にも外傷は無い。やはり、人の皮膚下から流れる血液の香りでは無さそうだ。
(それにしても、随分あっさり……倒せた。まるで僕に、気付いていなかった、みたいな)
当たりどころが良かったにしろ、一撃で倒せるとは思っていなかった。呼吸は正常で、まだ意識を取り戻す様子は無い。
ルルはしゃがんで、香りの根源を探った。腰のベルトに触れる。括り付けるようにしてぶら下がった宝石が、指に当たった。
(見つけた。そういえば……ベリルやトパズも、同じ宝石の香り……していたっけ)
もちろん彼らのからはこんな生臭さは無かったが。男が持っていたのは、太陽の地区の住民ならば必ず持っている国石、サンストーン。
しかし炎を閉じ込めた様な純粋な赤に、黒が混ざっている。香りの通り、本当に血が混ざっているようだった。不純物の香りは妙に国石の香りと溶け合っていて、クラクラしそうなほどに強い。
(……嫌な香り。国石は、綺麗な物なのに)
国石は、その地を生きるものたちへ国宝の恩恵を受けるための、大切な石。このままでは、持ち主に大きな影響が出る。だからこの国石には、慰めが必要だ。
ルルはしばらくの間サンストーンを見つめる。そして背中を丸め、顔を近付けるとそれへ口付けをした。すると、彼の顔が退いたサンストーンからは、先程まであった血に似た濁りが嘘の様に消えていた。
ルルは軽く口元を拭いながら、香りから生臭さが消えた事にホッとした。
(あ、そろそろ……行かなきゃ。さよなら)
光の暖かさが完全に無くなっていとそこで気付き、まだ深い眠りの中の男へ別れを告げ、待ち合わせ場所へ急いで戻った。
ほとんどが居酒屋やレストランなど、店の中で食事を楽しんでいるからか、外を歩く人々は減って来た。もう少しで月が見える。
ルルはおもむろにカバンを漁り、手探りで小袋からシトリンを取り出した。街灯り金色に反射するそれを口へ放る。本当の飴の様に歯で砕き、飲み込む。
先程の生臭さが鼻に残っていて気持ち悪かったのだ。
再び、適当に選んでダイヤモンドを口に転がすと、体の中が浄化された様に落ち着いた。指がもう1粒をとせがんだが、なんとか我慢して袋の口を絞る。これから夕食なのだから、入らなくなってしまう。
ルルが人の流れを眺めていた目を伏せてしばらく、人々の足音に混ざって、別の音が聞こえて来た。それは、今か今かと待っていた蹄の音。次いで、小さくもハッキリと名前を呼ぶ声が聞こえて来た。
「ルル?」
『ルービィ、ここだよ』
ルルは少し明るい場所まで出て、彼女に応える。するとすぐに、馬の足音がこちらへ近付いて来た。
「お待たせ。馬には乗れる?」
『ありがとう。大丈夫だよ』
ルービィが跨っている先頭の馬に繋がれた、2馬目にルルが乗る。馬は彼女の合図で早速走り出した。
『コランは……どうしたの?』
「父様は屋敷で休んでるわ。あまり体が強くないの。昨日みたいに、調子がいい時は外へ出られるのだけど。あ、でも家の中では無理しない程度に生活出来るから、心配しないで」
『それなら、良かった』
「ふふ、ルルが来るの楽しみにしているわ。旅人が泊まるなんて、滅多にないんだもの」
『そうなんだね。確かにあまり、退屈な話は……無いかも』
今まで行った国の事を少しだけこぼすと、ルービィは心を弾ませたようだった。旅の思い出が、泊めてもらう礼として少しは成り立ちそうだ。




