眠るドラゴン
埃は少なくとも、窓が1つしかないせいか湿気がある。カラクリなどの整備に使われる道具もあるのか、鉄臭さも鼻を突いた。しかし足が進むごとに、ルルは確実に別の香りも嗅ぎ取っていた。それは微かに残った獣の香りと、強い宝石の香り。
ギィギィと足が木板を踏む2つのうち、ベリルの音が止まり、遅れて立ち止まる。
「これだ。ドラゴンの剥製」
そこに居たのは漆黒のドラゴンだった。見上げるほどの大きな体を、鋭い爪が伸びる四肢が支えている。威厳ある顔が2人を静かに見据え、呼吸の音が幻聴で聞こえてきそうだった。
傾き始めた日差しに照らされる艶やかな翼や体は、とても良く手入れされている。まるで今にも飛び立ちそうだ。動いていない方が奇妙と思えるくらい、そこに居るだけで迫力がある。この圧倒的な存在を、人間はどうして架空に出来るのだろう。ルルは確かに、そこにドラゴンが居ると分かった。
「触るか? せっかくだしな。慎重にな?」
ルルは許可が出ると同時、引き寄せられるようにそっとドラゴンの顔に触れた。日を背にする1人と1匹の姿がどこか絵画の様で、ベリルは眩しそうに目を細める。
青い指先が、彼の色を含んだ『虹の瞳』を撫でた。
「珍しいだろ。あ、そういえばルルの名前の由来って、その石から来てるんだな?」
『凄い……』
「へへ、親父の最高傑作なんだぜ。まぁ継ぎ合わせだから、臓器の種類とかバラバラだけどさ」
『ううん。合ってるよ』
「へ?」
『合ってる。羽も、心臓も、目も、臓器も…………全て……この子の物だよ』
「ルル……?」
ベリルはそれがどういう意味なのか分からず、ポカンとする。しかしルルは彼が理解していないのも構わない。自分の倍以上あるドラゴンを抱きしめるように、腕を精一杯に広げ、大きな顔に身を預けた。
かつて、人間のせいでバラバラになったドラゴンは、人の手によって再び繋ぎ止められた。そして待っていたのだ。永い眠りから覚めるために、凍った心臓を溶かす者を。自分を起こしてくれと、その圧倒的な存在感で訴える。
今まさに、心臓が小さく脈を打ち始める。
『この子は、生きている』
ルルは脈動に目を閉ざし、閉ざされた口元に口付けする。ただ眺めていたベリルはその時、息を飲んで目を疑った。鋭い虹の目がこちらを向いた気がしたのだ。いいや、確かに目が合った。
次の瞬間、畳まれていた翼が蕾から花開く様に広げられる。その風圧で屋根を支える柱に亀裂が入り、重たい筈の道具が埃と一緒に飛び交った。ベリルは吹き飛ばされそうな力に本能的に怯んだが、ドラゴンの傍にルルが居る事を思い出して駆け出した。
「ルル!」
ベリルは、強風の中では折れてしまいそうな彼の体に腕を回すと、かぶさるようにして庇う。
ドラゴンは真っ白な牙を持つ口を開くと、目覚めた事を歓喜する様に低く吠えた。その声は空気を震わせる。そして2人の真上で翼をはばたかせると、そちらを見向きもせず、窓を突き破って外へ飛び出した。
ベリルはドラゴンを追って、ボロボロになった窓枠に身を乗り出す。しかしその姿はあっという間に小さくなっていた。せめてと、全身で風を受け止めて空を行くドラゴンを、金の目に焼き付けようと見つめた。彼は呼吸すら忘れ、ドラゴンが見えなくなってもずっと空を見ている。
「……飛んだ」
ルルは驚愕のせいかやっとの思いで起き上がり、ポツリと呟かれた声で自分のした事を思い返す。何故急に動き出したのか。どうして自分が、ドラゴンが生きているのだと判断出来たのだろう。まるでそうするべきと決まっていたかの様に、体が動いたのだ。
しかしそこまで考えていくらか冷静さを取り戻すと、喉からヒュッと音を出した。ベリルから大切なものを奪ってしまったと気付いたのだ。いくら無意識だったとは言え、そんな事は関係ない。ドラゴンは彼の父親の最高傑作であり、宝物であり、そして形見なのだから。どれだけのルナーを払っても代わりなんてない。
風圧でズレていた仮面が外れ、フードが頭から取れる。ルルはそれも構わず、ベリルの元へ走って彼の背中に思わず抱き付いた。
『ベリル……ごめんなさい、僕』
「ルル、見たか?!」
『え?』
ベリルは振り返ると、怒りを示すどころか力強く抱きしめてきた。ルルはされるがまま、彼の感情が昂っている理由が分からず、キョトンとする。
「見たよな! ドラゴンが飛んだの!」
ベリルは声を震わせ、抱きついていたと思えば体を離し、肩をがっしりと掴む。明らかとなったルルの姿に気付かないほど、彼は興奮していた。
「見たろ?! 生きてたんだ、本物だったんだっ! すげぇよ!」
『か……悲しく、ないの? 行っちゃったんだよ……?』
「全然! 生きた姿を見れたし。それに生きてるんなら、自由に空を飛んだ方がいいだろ? それにしたって最期、親父は本物を作ったんだ。やっぱ俺の誇りだぜ!」
ルルはゆっくり瞬きをして、彼が落ち込んでいないと頭で理解すると、ホッと胸を撫で下ろした。
「──って、あれ? ルル、その格好」
「!」
まだ興奮収まらない様子だったが、彼の目がようやくルルを正確に映した。本人もその言葉で姿を晒している事に気付く。ベリルはドラゴンと瓜二つな虹の瞳を、信じられないと言ったように見つめていた。
「お前、まさかっ」
『あ、えっと、隠してて、ごめんね。僕』
「しゃがめ!」
「っ?!」
オリクトの民なんだと言おうとした時、頭が手で押さえられて床に伏せる。ベリルは周囲を警戒し、窓からルルをそのままの姿勢で離れさせた。
『ベリル?』
「しっ! とにかく下に行って話すぞ」
「……?」
低く潜められた声に、ルルは何も言わずに従って彼の自室に戻った。




