不思議な気まずさ
よく男は地位や財力、女に溺れると聞くが本当の事らしい。ルルはあまり理解し難い感性に少し考えてから呟いた。
『でもそれなら……ルービィも危険だね』
「え? どうして?」
『どうしてって……美しい女を、集めるんでしょ? だから危ないと……思ったんだけど』
ルービィは鮮やかなピンクの目をパチクリさせると、言葉の意味を理解して顔を赤くした。熱をはぐらかす様に、キョトンとしている彼に顔をしかめたあと、プイッと逸らす。
「もう、からかわないで」
『ごめん、思った事、言っただけだけど』
「私はそんなに綺麗じゃないわ。姉様や貴方の方が綺麗よ」
『そう? 誰より誰が綺麗とか……あまりよく、分からない』
「どうして?」
『見えないから』
「え……もしかして、目が? あんなに戦えていたのに」
『剣や足技は……家族に、教えてもらったの。あ、そうだ。それならルービィの顔、教えて』
まさかそんな要求をされるとは思わなかった。否定したかったのに墓穴を掘ったのと一緒だ。
ルービィは戸惑いに視線を泳がせたが、少しして消え入る声で「いいよ」と言った。しかしいざ伸びて来た青い手を、反射的に両手で包んで止めた。「嫌?」と少し寂しそうに尋ねられ、僅かに無言を貫いたが、すぐ束縛した手を離す。
「あ、貴方の顔を見たから……見せないのは、不公平かもしれないものね」
自分へ言い聞かせるようにそう呟いて、怯んでいた背筋を改めて整える。
「そ、その代わり、変だとか、笑ったりとかしないでね?」
『そんな事しないよ』
ルービィはぎゅうっと目を瞑って体を強張らせる。暗闇の中指先は、頬、鼻、目元と、愛でる様にして顔全体を優しく通っていった。
壊れ物を扱うようなその仕草に、自然と肩からは力が抜け、恐る恐る目を開いた。しかし、端正な顔がまるで口付けでもする様な距離にあり、体が固まる。動いたら間違って、本当に触れてしまいそうなのだ。
そんなドギマギする自分が虹の瞳の中で鏡の様に映され、更に熱を運んだ。ルルはそれに気付いて心配そうに首をかしげる。
『熱いけど、大丈夫?』
「え、ええ」
『そう。触らせてくれて、ありがとう。そういえば、足はどう?』
「あぁ、まだ上手く動いてくれないの」
『捻挫なら、水で冷やせば……楽になるかな。水、あるよね?』
水の香りはすぐ近くから漂っていた。ルービィの手を取って支えながら泉の端まで行き、2人で腰を下ろす。
水の中に足を入れると、炎症のせいで熱を持っていた場所を程良く冷ましてくれた。ついでに、顔に溜まった熱も逃がして落ち着かせてくれる。しかし胸の高鳴りはすぐに治ってくれない。
(ど、どうしてこんなに痛いのかしら。もう、しっかりしないと)
ルービィは足元の水を掬って飲んだ。どうしてか緊張したせいで、カラカラになった口の中が心地良く潤う。
心臓が胸を叩きすぎて、割って出てきそうな感覚だ。下心のある殿方に言い寄られたって気持ち悪いだけなのに、今は顔が熱くなって仕方がない。しかしそれに対して、気持ち悪さや不愉快さは不思議と感じないのは初めてだ。
『ルービィ?』
「ひゃっ!」
ルルはそんな彼女の感情に気付ける事はなく、追い討ちを掛ける様に顔を覗き込んだ。「大丈夫?」と問いかけながら頬にそっと手を添えられ、落ち着いた筈の顔がたちまち火が出そうなほど熱くなる。出会ってからそう時間も経っていないのに、彼の距離感が近いせいだ。
「だ、大丈夫よ」
『そっか』
ルービィはやっと距離が出来た事にホッと胸を撫で下ろした。
ルルも靴を脱ぐと、泉に足首まで入れた。足を泳がせると、水の中にある不思議な煌めきが踊る。カバンから小袋を取り出し、適当に宝石を選ぶと口の中で転がした。
太陽の地区の端から落ちたここは、月の地区の北側にあるクレーラという森。木の葉や草花の色素が薄く、昼も夜も一定の明るさを保つ。そのため、それを知らずに迷い込んだ者は時間の経過が分からず、更に奥へ誘われてしまうらしい。
「そうだ、ルルって今までずっと旅をしていたんでしょう? どんな国があったの?」
すっかり落ち着きを取り戻したルービィは、少し声を弾ませて尋ねた。ルルはそれに過去、初めて旅人を見た時の自分と似た好奇心の強さを感じた。
カバンの中から紺の本を取り出して互いの間で開いて見せる。彼女は「わぁ!」と興味深そうに目を輝かせて覗き込んだ。
本の中は、1ページ目から国の事のメモでビッシリと埋まっていた。しかし殴り書きというわけではなく、小さなメモすら丁寧な字で、その土地の歴史や文化、家の特徴や道、使われている移動手段や食べ物などが記されている。
そしてその中でも目を惹かれたのは、国全体を縮小した模型の様な絵と、その土地の代表人物の様に描かれた肖像画だった。
「凄い……何でも出来ちゃうのね」
『何でもは、大袈裟だよ』
「そんな事ないわ。決して過大評価じゃない。そういえば、この国にはどんな用事だったの?」
『地形図を作るために。全ての国を巡って、最後は……誰でも見られる、形にするんだよ』
「これが沢山の人に見てもらえるなんて、とても素敵ね」
ルービィはまるで自分の事のように嬉しそうだ。だがルルにとっては喜びを通り越して、羞恥の感情が芽生え始める。こんなに手放しで褒められた事がないのだ。
その恥ずかしさは居心地の悪さになり始め、無意識に彼女から顔を逸らす。
「どうしたの?」
『……言い過ぎ』
「あ、もしかして……照れてる?」
『そんなに、言われ慣れないから。目が見えれば、字が書けるのも……戦えるのだって、普通でしょ?』
「そんなの、他人と比べればキリがないわ。それにルルがやっているのは、やろうと思って簡単に出来る事じゃない。だから凄いと思ったのよ?」
可笑しそうにクスクスと笑いながらそう言われ、ルルは珍しく押し黙る。確かに偏見が混ざっていたかもしれないと、気まずさが増した気がした。キラキラした眼差しを向ける彼女に、今はなんだか勝てる気がしない。




