逃亡劇
『僕……昨日、ここに来たんだ。だから、どっちに進めばいいか、教えて』
「えっあ、右!」
細い小道に入ると、雪崩の様な人々はそれぞれ追う者と遠回りをして他の道を探す者に分かれる。
「ね、ねぇ、重くなったら捨ててほしいんだけど」
『重くないよ。むしろ……多分、軽いと思う。それに、人間なんだから、多少は重たくないと』
ルルは身動ぐ少女が落ちないように、ギュッと腕に力を込める。彼女はそれに状況が分かっていながらも、不覚にも頬を赤く染めた。そう申し出たのは、羞恥から来るものもある。こんなふうに、家族以外と密着などした事が無いのだ。
指示に従ってしばらく、壁に囲まれた細い道をジグザグに進む。しかし一本道に入った時に前と後ろから人が壁を作り、ルルは足に急いでブレーキをかけて止まった。
「よぉし大人しく捕まれよぉ?」
「俺が先だ!」
「いや、俺だ」
「旅人とあっちの令嬢……合わせて2000万ルナーかぁ。何に使うか」
「山分けだろ?」
囲んだ優越感に浸る彼らに、1000万の賞金を首に掛けられていた少女は体を強張らせる。しかし、肩をトントンと優しく叩いて来たルルを見上げると、フードの隙間から見える口元は全く怯んでいなかった。
『大丈夫。まだ道は、あるから』
道が作られた地面とは限らない。ルルは横にある薄汚れたゴミ箱の蓋を踏み込み、塀の上に器用に登った。重力を無視した様に軽々登った彼を住人は唖然と目で追い、我先に登ろうと足を木箱やゴミ箱へ乗りかける。
しかしその動きは想定内だ。ルルは呼吸を薄くさせて心臓の鼓動を聞きながら目を閉じる。そうして集中させた熱を外へ放出させた。その瞬間、塀と塀の間にもう一枚、宝石の薄い幕が覆る。
幕は蜘蛛の巣の様に男たちへかぶさって包む。彼らはしばらく一体何が起こったのか分からない様子で、ただ狂った様に破れない幕を叩き殴った。
『少し、大人しくしていて』
「ど、どうなってるの? 貴方の魔法?」
『ううん、違う。大丈夫……落ち着いた頃に、ちゃんと、壊れるから』
ルルは体の重心がズレないよう集中しながら、片足ほどの幅しかない道を走った。
喧騒が小さくなって来たのを見計らって、地上に戻る。しかしそれもつかの間、すぐに追手が来ているのを地面の微かな振動で理解した。
(この国に、居る間……とても体力が、付きそう)
そんな事を思いながら、彼らと出来る限り距離が出るように再び走った。
『僕はルル。貴女は?』
「あ……ルービィよ」
『太陽の人は、同じ地区の人でも、襲うんだね』
「私は月の民なの。訳あって、元々賞金は付いていたんだけど……今日は厄介なグループに捕まって」
『グループって、さっきの?』
「ええ。これからどうするの……?」
『逃げるよ。僕らを見失うまで。まだ、捕まる訳には……いかない』
クーゥカラットが自分を買った値段よりも、下の金額で売られたくはなかった。それに、自分を買うのは彼だけでいいのだ。
『もうちょっと、このまま……我慢してね』
「え、ええ」
どれほど逃げたか、流石に足が痛くなって来た。
ルービィは月の民と言っても、何度も太陽の地区へ来ているようで、指示に的確に入り組んだ場所を選んでくれた。しかしそれでも前に回ってくる輩は居て、仕方なく彼女の指示に背いて横道を行く事となった。
すると、それまで横にあった建物の気配が消える。拓けた場所に出たらしいと思ったが、ルービィがハッとして叫んだ。
「前、崖よっ!」
「!」
ルルの足が慌てて止まると、その振動で崖の欠片がパラパラと落ちた。
やがて息を荒げた民衆が2人を追い詰める。ルルは後ろギリギリに下がりながら彼らと睨み合った。後ろを横目でチラッと伺う。下からは微かに水が流れる音と、風に揺らぐ葉の音が聞こえてくる。正面突破を考えていたが、その音は別の道しるべになってくれた。
「手間取らせやがってっ」
「大人しくこっちに来い。そんな所から死ぬくらいなら、こっちに来た方がマシだぜ?」
『悪いけど僕はもう、誰かに、売られる訳には……行かないから。さようなら』
「は?」
『ルービィ、口を閉じて。舌……噛むから』
「え?」
ルルはルービィだけに語りかけると、そのまま崖から飛び降りた。彼が迷い無く飛び込んだのは、大きく広がる森林が下に広がっていたからだった。木が充分なクッションになってくれると踏んで飛んだのだ。
それを知らない男たちは、自殺行為と思われる行動に思わず息を呑み、崖の下を覗く。すると意図を察した1人の男が悔しげに唸り、我慢ならず足元の小石を拾って振り上げた。落ちる途中、それに気付いたルービィはピンクの瞳を見開く。
「危ない!」
「っ……!?」
しかしその悲鳴は既に遅く、伝わる頃には頭に思い切り命中した時だった。当たりどころが悪く、ルルは激痛に意識を手放し、彼女を抱えたまま森の中に落ちて行った。
~ ** ~ ** ~
ルルたちが崖に追い詰められて飛び降りた姿は、賞金稼ぎ以外の人物も見ていた。それは、無事逃げ延びたワイヤー使いの少年。彼がここに居たのは偶然で、ここなら休憩出来るだろうと、逃げた先を崖の中央にある小さな出っ張りに決めたのだ。
何やら騒がしいと思って見上げた瞬間、2人が飛び降りた。
「え、今のって……嘘だろ、飛び降りた?!」
「クソがッ!」
1人の悔しげな声を聞いてまた崖の上を見ると、男が大きめの石をルルへ目掛けて振り上げていた。石が頭を直撃したのはここからでもよく見え、少年は立ち上がって男を睨む。
「アイツ……逃げたヤツを無理に追うって、礼儀無いにもほどがあるだろ!」
あの荒くれ者たちにも賞金は付いているだろう。そんな賞金首たちの稼ぎ方には、暗黙のルールがある。それは、追った相手の姿が見えなくなったら追跡を止めるというもの。鬼ごっこは厳格な勝負の一つ。だから、追手を巻ければ追われた側の勝ちであり、勝負の決着がついた合図なのだ。
それなのに、彼らは姿を見失った相手を更に追い詰めようとしている。少年はそれに対し、苛立たしそうに顔を歪める。
「好き勝手しやがって……! へへ、少しイタズラしてやる」
彼は黒い笑みを浮かべると、ワイヤーを巧みに使って小さな枝に巻き付ける。振り子のようにして飛び、商店街へ移動した。そして布屋へ入ると、紫色のマントを適当なルナーを投げて攫う。
「おい、ドラゴン坊や、それはもっと高いもんだぞ」
「悪い、あとでちゃんと買うからさ!」
のんびり顔を出した亭主へ少年は早口に告げる。大きめなそれをかぶって体と顔を隠すと、男たちが居るそこへ駆け付け、目立つように小石を投げた。
音に振り返った男たちの目に映ったのは、紫のマントを着たあの旅人。
「おい見ろ、アイツだ!」
「どうやって戻って来たんだ?」
「いいから追うぞ!」
逃げる際に僅かに見えた紫色を頼りに路地の中へ入った。しかしそこにあったのは壁だけで、人が居る気配は無い。
「どこ行った……?!」
「手分けして探すぞ」
男たちは各々意気込むと、散り散りになっていった。少年は壁越しにそれを聞きながらシシシと笑う。
「見逃してくれた借りは返せたよな?」
内心ではホッとしながら、壁の一部を肘で突く。するとそこに、1人だけが通れそうな大きさの丸い穴が空いた。それは彼が国中に、イタズラとして開けた自分だけの秘密の抜け道。
彼は布を腰の巻き付けて中に入り込み、帰路を急いだ。




