1000万の賞金首
濃い灰色を基調にした金属の壁は、新鮮な太陽の色に染まって眩しいオレンジをしていた。一つ一つが太陽の様で、それに背を押される様に活気付く人々の声は、客人を威勢良く呼び込み始める。
『これを、1つ』
「あいよ」
賑やかな屋台が並ぶ中、ルルは甘い香りに誘われて、サーンという菓子を買った。串に刺さる赤いそれは花火の様で、玉の中で光が踊っている。口に入れて歯で割ると、中の光が口内で弾けて思わず肩を跳ねさせた。しばらくの間、口の中が飽きなそうだ。少し柔らかくてとても甘い不思議な飴だった。
早速いい気分だ。見知らぬ物を見つけると筆も進むし、国独自の文化に触れられるから、積極的に手を出したい。
ここは太陽の地区。月の地区から崖沿いに細い坂道を登ると、太陽の地区へ辿り着く。
バッカスの言葉から予想していた通り、太陽の地区に足を踏み入んだ途端、人の気配も声も一気に増えた。しかし何というか、人が多いと言うよりかは、個人の声や活気が強いと言った印象だ。
傷を勲章とする大柄な男や、自分の体よりひと回りは大きな武器を抱えた冒険者など。確かにむさ苦しい。しかしその中でルルは一際目立っているのだろうか、視線がちらほら向けられる。姿を隠した影の様な装いの人物は珍しく、皆怪しそうに見ていた。だがこの姿を晒せば、今度は違った意味で視線を浴びる事になる。その方が避けたい。
ルルは排気ガスを吐く一輪車バイクが通り過ぎるのを見送り、口の中で小さくなっていく光の動きを感じながら先を進んだ。
すると突如、目の前の角から誰かが飛び出した気配を感じた。
「!」
「きゃっ!」
咄嗟の事で避けられなかったが、ルルは少しふらついただけで転びはしなかった。しかし相手の体はぶつかった衝撃に負けて不安定に後ろへよろけ、反射的に相手の細い腕を掴んだ。
飛び出して来たのは、ドレスに身を包んだ少女だった。彼女はぶつかった事に何故か顔を背け、目をつぶると離れようと身動ぐ。
「離せっ……!」
『離したら、転んでしまうよ』
「え?」
彼女はようやくルルをまともに視界に納め、そこで非国民が相手だった事に気付いた。
「あ……ご、ごめんなさい」
『気にしないで』
「おい、逃げるな!」
少女が姿勢を正し、手を離そうとした時だった。今度は遠くから数人の足音と、男の怒声が聞こえてきた。彼女の口から、その群衆にハッと息を飲んだ音が聞こえる。なんだか不穏な空気を感じ、ルルは首をかしげた。
『知り合い?』
「あんなの知り合いに居ないわ。逃げているの。ぶつかってごめんなさい、それじゃあ」
しかし別れを告げた彼女の足を、集団の奥から伸びた細いワイヤーが仕留めた。逃げようとした拍子に足が引っ張られ、体を地面に叩きつける。
「あ? 何だお前」
息を荒げながら足を止めた彼らの興味は、少女の隣に立つ見慣れない人物へ向いた。少女は一向に逃げようとしない彼を見上げ、男たちは各々の武器を構える。
『旅人だよ』
「へぇ……? 随分といい物持ってるな」
『ありがとう』
「何だこいつ。口で喋れよ」
「まぁ待て。獲物を捕まえて機嫌が良いんだ。命までは取らないでやるよ。身包み全部置いてそこを退きな」
『嫌』
「あぁ?」
『これは、大切な物だから。ルナーはあげる。あと、宝石も。けれど他は嫌。それに……この人、貴方たちに追われる様な、悪い人?』
「いやいや、ソイツはいいやつさ。なんせ俺らの欲を払ってくれる天使様だからなぁ。いい女はいい金にもなるんだぜ? 坊や」
ルルはその言葉に、フードの中で顔を不愉快そうに歪めた。そして何を思ったのか、今もなお彼女の足に巻き付くワイヤーに片足を置くと、迷わず剣でそれを切る。
男たちはその動きに驚いた声を上げ、それまで上機嫌そうだった最も大柄な男は牙を剥いた。
「てめぇ、何しやがる」
『そういうの……嫌いなの』
「はぁ? お前にゃあ関係ねえだろ!」
『それなら、僕が何をしようと……尚更、勝手でしょ?』
「このガキィ。おいドラゴン野郎!」
「うわっ何だよ!」
奇妙なあだ名で呼ばれたのは、たった今騒動に追い付いたワイヤーの操り主。しかし少年は遅れて走って来たせいで、状況を把握出来ずにいた。
追っている人物が増え、それもその相手が何故か怒っている。彼は互いの様子を忙しそうに見比べた。
「ガキのアレを取れ。金になる」
「ん? あ~……りょーかい!」
手短に顎で示された方を見て、その手に自分の武器を切った剣が握られている事に気付く。男の指示に背こうとは別に思わなかった。理由はともあれ、一応は大事な武器を傷付けられたのだから。
武器には武器で抵抗してやとうと、少年は剣を持つ手元へワイヤーを投げる。ワイヤーは蛇の様に剣に絡み、それを主人の元へ攫った。
「ハッ! 良い剣じゃねえか。相応しい人間のところへ渡るべき──」
『返して』
たった一言。頭に響くその一言が、男の豪快な声を静かに遮る。抑揚が少ないその声は、不思議と明らかに怒りを含んでいるのが分かった。何か、逆らってはいけない無言の圧迫感に、全員の足が一瞬竦む。
『それ、返して。大切なんだ』
厳重に隠され想像も許されない目で、ハッキリと睨まれた感覚を少年は覚えた。彼はそれだけで、無意識に背筋を震わせる。
しかし怒りを売ったのなら、買わなければ男ではないと、すぐ意地が顔を見せ始める。いつもヘタレと言われている汚名を挽回出来るかもしれないのだ。それにあちらは1人だがこちらは人数があるのだから、勝機はある。
少年はどこか得意げに胸を張って言った。
「なら、ここに居る奴らに勝てたら、返してやるよ」
『本当?』
「ああ。ただし、勝てなかったら全部貰うぜ」
『……うん、それなら、いいよ』
「え、マジ?」
そんな拍子抜けした様子で、あっさり賛成されるとは思っていなかった。わざと払う対価に見合わない条件を出したのに。罪悪感が湧くじゃないか。
「おい無理すんなって。ぜ、全部じゃなくていいぜ? あ~、そのマントとか」
『全部でいい。大丈夫、負けないから』
「舐めてくれるなぁ、このガキが。どうなるか教えてやるよ!」
男は相当苛ついているようで、言葉が終わるよりも早く、巨大な拳がルルに振り落とされる。少女と少年は思わず目を塞いだが、倒れた音は聞こえない。見れば彼はかすり傷無く、男の拳と並んでいた。
ルルは男の拳と自分の距離を計算し、フードが微かに当たるギリギリで避けたのだ。通常であれば恐ろしい筈の大きな拳も、見えなければ『大振りなだけの遅い何か』であって、全く恐怖を与えない。
相手は限りなく小さな動きで回避された事に、目をパチクリさせる。怒りに大きく舌打ちをして、もう片方を頭上に上げる。するとルルも、落とされる拳のスピードに合わせて足を高くへ蹴り上げた。足先は男の肘に当たった。その瞬間、彼は骨の中に走る激痛に叫んで崩れ落ちる。
「なっ?」
「何しやがった!?」
『……僕は、力が弱い。だから、相手の弱い所を、突いたの。大きな力では、入らない所を。どんなに強くても、僅かな隙間は……弱いから』
肘の骨は浅いヒビから一瞬で深い亀裂に変わり、もう腕に力が入らない。皆はその姿に怯んだようだったが、それでも引き下がらずに囲んできた。大人数で掛かれば勝算があると考えたのだろう。だが彼はそれに困惑する様子は無い。
仲間に目配らせ、呼吸を合わせて一斉に襲い掛かった。しかしルルの耳がその微かな息遣いの変化を聞き逃す事はせず、ほぼ同時に地面を蹴って高く跳んだ。全力で掛かった力は、仲良く熱い抱擁をする形となった。
一方でルルは、手短な相手の頭に手を置き、そこを軸にして宙返りする。ゆったりした足元が扇の様に広がり、まるで舞っているかの様だった。
彼は数秒空を楽しみ、控えていた男の顔面に見事着地する。すると鋭いかかとが顔にめり込むのが伝わり、「あ」と小さく声をこぼす。
『ごめんなさい。背中に、着地する予定……だったんだけど』
そう言いつつも容赦なく踏み込み、相手はそのまま勢いに身を任せて、後頭部を強打した。
「結局体に着地するのかよ!」
『そうだよ。だって、そうしないと……勝てないから』
ルルは綺麗に地面に降り直し、叫んだワイヤーの少年へ平然と応える。
小柄な旅人の周りに転がった屈強な男たち。その光景に、すっかり傍観者となっていた少年と少女は唖然とする。喧嘩に見慣れた国の人々も、知らないうちに無言で観客になっていた。
ルルは周りの様子を確認し、立っているのが少年だけだと分かると、一歩、距離を詰める。
『最後、だね』
「お、お前、剣が無ければ戦えないんじゃないのか?!」
『? どうして、そう思ったの?』
「いや、だってコレを奪ったら怒ったから、無きゃ戦えないんじゃって……」
『ううん。大事だから、返してほしいの。剣を人の血で、無駄に、汚したくないから……使うのは、万が一。だから無くても、戦えるよ』
「マ、マジか」
『じゃあ、やろ?』
その誘いは、冷静で冷酷な死刑宣告に似ていた。自分と彼では圧倒的にこちらが下だ。それに、相手は間違いなくこのやりとりを『試合』として楽しんでいる。絶対に勝てない。正直、金なんかより命が惜しかった。
少年は顔を引きつらせ、忙しなく金の目を泳がせる。数秒後、雲と太陽しかない空を見ると指をさした。
「あ、デッカいドラゴン!」
『ドラゴン?』
少年は抱えていた剣をその場に置いて、反対方向へ駆け出す。その後ろ姿は、ルルが空から顔を戻す頃にはとっくに見えなくなっていた。
ルルは周囲を見渡し、少年が去った事を理解する。置き去りにされた剣にホッとしながら、いつも通り腰へ刺した。それから、ポカンとしたままでいる少女へ手を差し伸べる。
『大丈夫? 逃げられなかったの?』
「えっ? あ、あぁ」
少女は我に返り手を取って立ち上がったが、足首から走る痛みに再びしゃがみ込む。捻挫したのか、ズキズキと重たい痛みのせいで足が言う事を聞いてくれない。
『怪我してる?』
「あ……わ、私の事はいいわ。貴方が逃げて」
『どうして、僕が逃げるの?』
「だ、だってもうすぐ」
「100万ルナー!」
「?」
「いいや、500!」
「1000万だ!」
それを最後に、周囲の人々は雄叫びにも似た歓喜の声を上げて盛り上がる。更には誰の魔法なのか、晴天にも負けない色鮮やかな花火が高く上がった。
『何の値段?』
「貴方の首の値段よ……」
『僕の姿、見えていたの?』
「え? いいえ、そうじゃない。貴方、他国の方でしょう? ここは誰だろうと、派手な事をした人には賞金がかかる。ただの旅人ならまだしも……貴方のような強い人は特に」
『貴女にも、賞金が?』
「ええ」
街中を覆う賑わいの声。「久々に上物が来た」という言葉を聞き逃さず、ルルはゾワリを体を震わせた。その悪寒は恐怖ではなく、本能的な不愉快さから来るもの。自分を金でしか見ない人間もいる。それでもまさか、姿を見せないままそんなふうに見られる日が来るなんて思っていなかった。
遠くから十数人が走ってくる音が聞こえた。それは街の名の知れた賞金稼ぎを生業にしている住民たち。
「あぁ、ごめんなさい……私を助けてくれたばかりに」
『逃げよう』
「え?」
『貴女も、追われている。なら、一緒に行こう』
「だ、駄目よ! 今走れないの。だから貴方だけ先に」
『それなら、こうすればいい』
ルルは屈むと、少女を掬う様に横抱きにかかえる。驚きに声が出ないのを了承とし、自分たちを追う彼らへ目もくれずに走り出した。




